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ベトナム戦争とは?


アメリカ合衆国
大韓民国(1964-1973の8年6カ月)
オーストラリア
フィリピン
タイ
ニュージーランド
クメール共和国(1970-)
ラオス王国

援助国:
カンボジア王国(-1970)
ラオス王国中道派勢力(-1967)
台湾
パキスタン
イギリス
フランス
ポルトガル
カナダ
マラヤ連邦(-1963)
マレーシア(1963-)
ベルギー
スペイン
イラン
西ドイツ
南アフリカ共和国
ローデシア


ベトナム民主共和国

南ベトナム解放民族戦線
クメール・ルージュ
カンボジア民族統一戦線(1970-)
パテート・ラーオ
ラオス王国中道派勢力(1967-)

援助国:
カンボジア王国(-1970)
ソビエト連邦
中華人民共和国
北朝鮮
キューバ
ポーランド
アルバニア
ユーゴスラビア
東ドイツ
チェコスロバキア
ハンガリー
ブルガリア
ルーマニア
アルジェリア
モンゴル
スウェーデン
ビルマ

指導者・指揮官
グエン・バン・チュー
ゴ・ディン・ジエム
ラム・クァン・チ
グエン・カオ・キ
グエン・カーン
ゴー・クァン・チュロン
ズオン・バン・ミン
チャン・バン・フォン
ジョン・F・ケネディ
リンドン・ジョンソン
リチャード・ニクソン
ロバート・マクナマラ
ウィリアム・ウェストモーランド
クレイトン・エイブラムス
フレデリック・ウェイアンド
エルモ・ズムウォルト・ジュニア
ジョン・ポール・ヴァン
ロビン・オールズ
朴正煕
蔡命新
タノーム・キティカチョーン
ハロルド・ホルト
キース・ホリオーク
フェルディナンド・マルコス | ホー・チ・ミン
レ・ズアン
レ・ドゥク・ト
グエン・チー・タイン
ファム・フン
ヴォー・グエン・ザップ
ヴァン・ティエン・ズン
レ・ドゥック・アイン
ホアン・ヴァン・タイ
グエン・フー・ト
フイン・タン・ファット
チャン・ヴァン・チャ
レ・チョン・タン
周恩来
林彪
ニキータ・フルシチョフ
アレクセイ・コスイギン
レオニード・ブレジネフ
金日成

戦力
延べ2,000,000
南ベトナム軍
1,400,000
アメリカ軍
548,383
韓国軍
312,853
タイ軍
22,000
フィリピン軍
6,110
オーストラリア軍
49,968
ニュージーランド軍
2,500 | 延べ1,260,000
北ベトナム軍
280,000
南ベトナム解放民族戦線
800,000
ソ連軍
3,000
北朝鮮軍
600
中国人民解放軍
(高射2個師団)
損害
推定戦死者 285,000
行方不明者 1,490,000
民間人死者 1,581,000 | 推定戦死者 1,177,000
行方不明者 604,000
民間人死者 3,000,000
ベトナム戦争
リスト
  • 南ベトナム内における浸透戦
    南ベトナムにおける初期浸透ゲリラ戦
    外国軍の介入
    アプバクの戦い - ゴコンの戦い - ヒエップホアの戦い - チェンラの戦い - 34A作戦 - ロンディンの戦い - クェトタン202作戦 - ナムドンの戦い - アンラオの戦い - ビンギアの戦い - プレイク飛行場の戦い - ソンベの戦い - バギアの戦い - ドンソアイの戦い - ストライク作戦 - プレイメの戦い - ハンプ作戦 - ガントイの戦い - イア・ドラン渓谷の戦い - ゲーム・ワーデン作戦 - クリンプ作戦 - ホワイト・ウィング作戦 - アシャウ渓谷の戦い - シャカムマイの戦い - ヘイスティングズ作戦 - ドゥクコの戦い - ロンタンの戦い - ビーバー・ケージ作戦 - アッテンボロー作戦 - ディックホース作戦 - シーダー・フォールズ作戦 -トラビンドンの戦い - バービー作戦 - ジャクソンシティ作戦 - ユニオン作戦 - 881高地の戦い - マルール1号/2号作戦 - ユニオン2号作戦 - バッファロー作戦 - 7月2日の戦い - ホン・キルドン作戦 - スイフト作戦 - ウィーラー作戦 - 第一次ロクニンの戦い (テト攻勢) - メディーナ作戦 - オンタンの戦い - ダクトの戦い - テト攻勢 - ケサンの戦い - バンホエイサンの戦い - サイゴンの戦い - フエの戦い - ロンベイの戦い - リマ85監視哨の戦い - 5月攻勢 (ベトナム戦争) - カムドクの戦い - スピーディー・エクスプレス作戦 - デューイ渓谷作戦 - 1969年のテト - ハンバーガー・ヒルの戦い - ビンバの戦い - ジェファーソン・グレン作戦 - ラムソン719作戦 - バンドンの戦い - 723高地の戦い - マリー・アン基地の戦い - イースター攻勢 - 第一次クアンチの戦い - 第二次ロクニンの戦い - アンロクの戦い - ドンホイの戦い - コンツムの戦い - 第二次クアンチの戦い
    外国軍撤退後の戦い
    スベイリンの戦い - フォクロンの戦い - ホー・チ・ミン作戦 - バンメトゥトの戦い - ニューライフ作戦 - スアンロクの戦い - チュロンサの戦い - サイゴン陥落
    航空戦
    ファームゲート戦術 - チョッパー作戦 - ランチ・ハンド作戦 - ピアス・アロー作戦 - 南タイホア橋爆撃 - バレル・ロール作戦 - ポニー・エクスプレス作戦 - フレイミング・ダート作戦 - ローリング・サンダー作戦 - スティール・タイガー作戦 - アーク・ライト作戦 - タイガー・ハウンド作戦 - シャッド・ライト作戦 - ボロ作戦 - ポップアイ作戦 - ナイアガラ作戦 - イグルー・ホワイト作戦 - ジャイアント・ランス作戦 - コマンドー・ハント作戦 - メニュー作戦 - フリーダム・ディール作戦 - パティオ作戦 - ラインバッカー作戦 - ライバッカー2号作戦 - ホームカミング作戦 - ベビー・リフト作戦 - イーグル・プル作戦 - フリークエント・ウィンド作戦
    海上戦
    トンキン湾事件 - マーケット・タイム作戦 - ブンロ湾事件 - シー・ドラゴン作戦 - シー・ロード作戦
    カンボジア侵攻及びラオス戦
    カンボジア作戦 - コンポンスプーの戦い - プレイベンの戦い - スヌオルの戦い - リップコード基地の戦い - テイルウィンド作戦 - チェンラ1号作戦 - チェンラ2号作戦 - マヤグエース号事件
    秘密作戦
    フェニックス作戦 - ソンタイ捕虜収容所救出作戦


ベトナム



ベトナム戦争(ベトナムせんそう, : Vietnam War)は、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争の総称。

第二次インドシナ戦争(だいにじインドシナせんそう、: Second Indochina War)ともいわれた。

旧北ベトナム、現在のベトナム社会主義共和国では米国戦争(べいこくせんそう、ベトナム語: Chiến tranh Mỹ quốc / 戰爭美國)、対米抗戦(たいべいこうせん、ベトナム語: Kháng chiến chống Mỹ / 抗戰挵美)、抗米救国戦争(こうべいきゅうこくせんそう、ベトナム語: Kháng chiến chống Mỹ cứu nước / 抗戰挵美救渃)などと呼ばれる。

目次

  • 1 概要
  • 2 フランス植民地時代とベトナム独立運動
    • 2.1 フランス帝国によるベトナム侵略
      • 2.1.1 ナポレオン3世のアジア太平洋進出
      • 2.1.2 清仏戦争とベトナムの保護国化
    • 2.2 日本軍進駐とベトナム独立
    • 2.3 ベトナム八月革命
  • 3 インドシナ戦争
    • 3.1 連合軍・自由フランス軍の再進駐
    • 3.2 士官学校とインドシナ残留日本兵
    • 3.3 勃発
    • 3.4 冷戦(ソ連、アメリカ、中華人民共和国の介入)
      • 3.4.1 朝鮮戦争
    • 3.5 ディエンビエンフーの戦いとフランス軍の敗退
      • 3.5.1 ディエンビエンフーの戦い
    • 3.6 ジュネーブ協定と南北分断
      • 3.6.1 アメリカのインドシナ半島への介入開始
  • 4 南北対立と米国の本格的介入
    • 4.1 ジエム政府(南ベトナム)
      • 4.1.1 反政府勢力の掃討作戦
      • 4.1.2 反ジエム連合戦線
    • 4.2 南ベトナム解放民族戦線
      • 4.2.1 第十五号決議
      • 4.2.2 Đ基地とベンチェ動乱
      • 4.2.3 NLF結成
  • 5 アメリカ軍事介入の開始
    • 5.1 ケネディ政権
    • 5.2 仏教徒による抗議・焼身自殺
    • 5.3 ジェム大統領暗殺からミン政権・チュー政権へ
    • 5.4 トンキン湾事件
    • 5.5 ジョンソン政権
    • 5.6 北ベトナム・中ソからの軍事援助
    • 5.7 解放戦線の勢力
  • 6 北爆
    • 6.1 ローリング・サンダー作戦
  • 7 経過
    • 7.1 米軍上陸
    • 7.2 韓国軍・SEATO連合軍の参戦
    • 7.3 北ベトナム軍陣地
    • 7.4 サーチ・アンド・デストロイ(索敵殺害)作戦
      • 7.4.1 韓国陸軍によるビンディン省攻撃と大量虐殺
    • 7.5 ソンミ村虐殺事件と反戦運動
    • 7.6 チュー大統領就任
    • 7.7 反戦運動
    • 7.8 テト攻勢
    • 7.9 フエ事件
    • 7.10 アメリカの国内の混乱と北爆停止
    • 7.11 ニクソン政権
    • 7.12 中ソ対立の激化とデタント
    • 7.13 ホー・チ・ミン死去
    • 7.14 カンボジア侵攻
    • 7.15 ラオス侵攻
    • 7.16 米中接近と北爆再開
  • 8 パリ和平協定調印
    • 8.1 アメリカ軍の全面撤退
  • 9 アメリカ軍撤退後の戦況
    • 9.1 西沙諸島の戦い
    • 9.2 ニクソン退陣
    • 9.3 北ベトナム軍の全面攻撃
    • 9.4 サイゴン撤退作戦
    • 9.5 サイゴン陥落と南ベトナム崩壊
  • 10 南北ベトナム統一
  • 11 第三次インドシナ戦争
    • 11.1 カンボジア内戦と中越戦争
  • 12 主に参加した航空団・部隊一覧
    • 12.1 アメリカ合衆国
    • 12.2 南ベトナム
    • 12.3 北ベトナム
  • 13 年表
  • 14 戦争の影響
    • 14.1 ベトナム
    • 14.2 再教育キャンプ
    • 14.3 ラオス・カンボジア
    • 14.4 アメリカ
    • 14.5 フランス
    • 14.6 中東
    • 14.7 日本への影響
  • 15 戦争犯罪
    • 15.1 南ベトナム解放民族戦線の攻撃による民間人被害
    • 15.2 枯葉剤・ナパーム弾
    • 15.3 虐殺事件
      • 15.3.1 ソンミ村虐殺事件
      • 15.3.2 韓国軍による虐殺事件
    • 15.4 混血児問題
  • 16 現在
    • 16.1 アメリカとの和解
  • 17 報道
    • 17.1 報道写真
    • 17.2 テレビ中継
  • 18 ベトナム戦争を扱った関連作品
  • 19 脚注
    • 19.1 注釈
    • 19.2 出典
  • 20 参考文献
  • 21 関連項目
  • 22 外部リンク

概要

ベトナム戦争は宣戦布告が行われなかったため、戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。

この戦争は、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義自由主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を盟主とする共産主義社会主義陣営との間に、第二次世界大戦後に生じた対立(いわゆる冷戦)を背景とした代理戦争でもあった。

ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、南ベトナムを「アメリカ合衆国の傀儡国家」と規定し、共産主義イデオロギーを背景に、ベトナム人による南北ベトナム統一独立国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとした。

第一次インドシナ戦争終結後も、北ベトナムが支援する南ベトナム解放民族戦線(アメリカ合衆国民はベトコンと呼称)が南ベトナムで武力を用いた反政府活動を続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣した。その後、ジョン・F・ケネディ大統領は軍事顧問団の規模を増大させることで事実上の正規軍の派兵を進めた。リンドン・ジョンソン大統領は大規模な正規軍を送ってベトナム戦争に積極的に介入した。

アメリカ、韓国の他にSEATO(東南アジア条約機構)の主要構成国であるタイフィリピンオーストラリアニュージーランドが南ベトナムに派兵した。ソビエト連邦や中華人民共和国は、北ベトナムに対して軍事物資支援を行うとともに多数の軍事顧問団を派遣したが、アメリカやSEATO諸国のように前面に出る形での参戦は行わなかった。北朝鮮は飛行大隊を派遣し、ハノイの防空を支援した。

ベトナム戦争を巡って世界各国で大規模な反戦運動が発生し、社会に大きな影響を与えた。1973年パリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。その後も北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線と南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日サイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦した。

フランス植民地時代とベトナム独立運動

フランス帝国によるベトナム侵略

フランス領インドシナ」、「ベトナムの歴史」、および「ベトナム#フランスとの関係」も参照

19世紀ベトナム(阮朝)はフランス帝国の植民地となる。7月王政時代のフランス帝国(フランス植民地帝国)国王ルイ=フィリップ1世は、1834年にアルジェリアを併合し、1838年にはメキシコ菓子戦争を起こして介入、1844年にはアヘン戦争で敗れた黄埔条約を締結した。そして極東進出の延長として1847年4月、ベトナムの植民地化を図り、フランス軍艦によるダナン砲撃によるインドシナ侵略を始める。

1860年ナポレオン3世

ナポレオン3世のアジア太平洋進出

フランス第二帝政ルイ=ナポレオン・ボナパルト3世皇帝も東方へのフランス勢力拡大に熱心で、フランス海軍司令官に大幅な自由裁量権を与え、アジア太平洋地域では強硬な帝国主義政策が遂行された。太平洋では、ニュージーランドを併合したイギリスへの対抗、またオーストラリアとの貿易の拠点および犯罪者の流刑地にする目論見で1853年にニューカレドニアを併合した。

1856年10月にイギリスがアロー号事件を口実にへ出兵すると、フランスも清の江西省でフランス人宣教師のオーギュスト・シャプドレーヌが殺害された事件を口実として清への出兵を開始し、英仏は協力してアロー戦争を遂行する(第二次アヘン戦争)。フランスは清侵略と並行して清周辺地域への侵略も開始し、同1856年、阮朝(ベトナム)に対して不平等条約締結に応じるよう要求したが、阮朝が拒否したため、スペイン人宣教師死刑を口実として1857年よりベトナム侵攻を開始し、1858年9月にはフランス・スペイン連合艦隊によって再度ダナンに侵攻する。同1858年、英仏軍による北京陥落を恐れた清政府は天津条約の締結に応じ、一時終戦した。しかし、英仏軍が撤収するや清政府は条約批准を拒否して発砲、1860年に英仏軍が攻撃を再開、北京は陥落する。清はさらに不利な北京条約を締結させられた。フランスは日本とも1858年徳川幕府との間に不平等条約日仏修好通商条約を締結したが、ここでは英仏の協調は崩れ、フランスは徳川幕府、イギリスは薩長を支持して対立、幕府は明治維新で倒れ、また明治政府は対等外交を志向したため、幕府を通じて日本に影響力を行使しようとした目論見は潰えた。

フランスはその後1862年6月に阮朝に不平等条約であるサイゴン条約を結ばせ、南部3省を割譲させた。阮朝の宗主権下にあったカンボジア王国では、カンボジア人の反ベトナム感情を利用して1863年にフランス保護国に組み込むことに成功した。1866年には李氏朝鮮に対してフランス人宣教師死刑を口実に戦争を仕掛けたが(丙寅洋擾)持久戦に持ち込まれ、撤退した。1867年6月にはベトナム南部のコーチシナへ侵攻し、併合に成功。シャム(タイ)にも英米に続いて不平等条約を締結させたが、フランスとの対立激化を恐れたイギリスが同地を緩衝地帯にすることを望み、フランスのタイ分割案を牽制したこともあって、タイは植民地化をまぬがれた。

清仏戦争とベトナムの保護国化

フランス第三共和政と清仏戦争

フランス第三共和政時代の1874年3月、第2次サイゴン条約を締結、フランスは紅河通商権を割譲させる。1882年4月にはハノイを占領する。1883年8月には第1次フエ条約(アルマン条約、癸未条約)を締結しベトナムがフランスの保護国になる。翌1884年6月には清への服属関係を断つ第2次フエ条約(パトノートル条約、甲申条約)締結に成功する。その2か月後にベトナムへの宗主権を主張する清との間で清仏戦争がはじまる。1885年6月9日に締結された講和条約である天津条約(李・パトノートル条約)では清はベトナムに対する宗主権を放棄し、フランスの保護権を認めた。1887年10月、フランス領インドシナ連邦が成立する。こうしてベトナムはカンボジアとともに連邦に組み込まれ、フランスの植民地となった。阮朝は植民地支配下で存続していた。1889年4月にはラオス保護国を併合した。

1900年代になると、ベトナム知識人の主導で民族主義運動が高まった。ファン・ボイ・チャウは、日露戦争でアジアの一国である日本がヨーロッパの帝国の一つであるロシア帝国に勝利したことに感銘を受けて大日本帝国に留学生を送り出す東遊運動(ドンズー運動)を展開。1917年ロシア革命によってソビエト連邦が成立すると、コミンテルンが植民地解放を支援し、ベトナムの民族運動も、コミンテルンとの連携のもとで展開していく。こうしたなか、1930年にはインドシナ共産党が結成され、第二次世界大戦中のベトミン(ベトナム独立同盟)でもホー・チ・ミンのもとで共産党が主導的な役割を果たし、ベトナム民族が独立することは1945年のベトナム独立宣言でも謳われ、のちの第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)でも、理念であり続け、戦争を持続させた原動力であった。

日本軍進駐とベトナム独立

日中戦争当時、英米は援蒋ルートを通じて中華民国蒋介石率いる国民党軍拠点の重慶に支援物資を輸送していた。援蒋ルートのうち、フランス領インドシナハイフォン港から昆明、南寧までの鉄道輸送を行う仏印ルートが重要なものであった。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、1940年にはフランスがドイツに敗北し全土をドイツ軍の占領下に置かれ、その後親独政権であるヴィシー政権が成立した。これを受けてフランスの植民地政権がヴィシー政権側につくことを選択したことで、1940年7月27日にドイツとの間で日独伊三国同盟を結んでいた日本政府(第2次近衛内閣)は「時局処理要綱」において仏印進駐を決定。8月30日に松岡・アンリ協定が結

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出典:wikipedia
2019/11/29 20:22

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