このキーワード
友達に教える
URLをコピー

ペンシルベニア州とは?

ペンシルベニア州
Commonwealth of Pennsylvania



(州旗) | (州章)
州の愛称: 礎石の州
The Keystone State
州都
ハリスバーグ
【最大の都市】
フィラデルフィア
州知事
トム・ウルフ
公用語
法的指定なし
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第33位
119,283 km²
116,074 km²
3,208 km² (2.7%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第6位
12,702,379
110人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

2番目
1787年12月12日
時間帯
UTC -5
DST -4
緯度
北緯39°43' - 42°16'
経度
西経74°41' - 80°31'
【東西の幅】
255 km
【南北の長さ】
455 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
979 m
340 m
0 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-PA
【ウェブサイト】
ペンシルベニア州政府
【上院議員】
ボブ・ケーシー・ジュニア
パット・トゥーミー

ペンシルベニア州(: Commonwealth of Pennsylvania[ˌpɛnsɪlˈvnjə] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国北東部、また大西洋岸中部に分類されるである。五大湖地方に含められることもある。「要石の州」(: Keystone State)とも呼ばれる。日本語ではペンシルヴェニア州、ペンシルバニア州、あるいはペンシルヴァニア州と表記される場合もある。ペンシルベニア州は、州(“State”)の代わりにコモンウェルス(“Commonwealth”)を用いる4つの州の1つである。ただし、日本語ではどちらも「州」と訳されている。なお、地質時代の区分の一つであるペンシルベニア紀(石炭紀の一部)は、ペンシルベニア州にちなんで付けられた名前である。名前の後半「シルベニア」はラテン語: silva(「森」の意)から取ったものであり、実際に自然が豊富である。

アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第33位、人口では第6位であり、人口密度が第9位と高い。南東はデラウェア州、南はメリーランド州、南西はウェストバージニア州、西はオハイオ州、北西はエリー湖カナダオンタリオ州、北はニューヨーク州、東はニュージャージー州と接している。アパラチア山脈が州の中央を斜めに走り、東西に長い州である。

ヨーロッパ人として最初にペンシルベニアに入ってきたのはスウェーデンオランダの入植者であったが、ペンシルベニアと命名したのは、イングランドチャールズ2世である。クエーカーイギリス人のウィリアム・ペンが「シルベニア」と名付けたものをウィリアム・ペンの父ウィリアム・ペン卿に敬意を表して改称した。ペンシルベニア州には、自由の鐘独立記念館で有名なフィラデルフィア市と、重要な河港を持つピッツバーグ市の、2つの主要都市がある。州都はハリスバーグ市である。

ペンシルベニア州はアメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つである。フィラデルフィアはアメリカ合衆国発祥の地と呼ばれることもある。フィラデルフィアは、独立宣言や合衆国憲法が立案された場所でもある。ゲティスバーグ南北戦争の激戦地であり、今も多数の大砲が保存されている古戦場跡として有名である。ブリンマーはフィラデルフィア郊外の閑静な住宅街として全米でもよく知られる。ポコノ山脈デラウェア・ウォーター峡谷は保養地として有名である。

【家庭で話される言語(ペンシルベニア州) 2010】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 90.15%
スペイン語 | 
 | 4.09%
【人種構成(ペンシルベニア州) 2010】

 |  |  |  | 
白人 | 
 | 79.5%
黒人 | 
 | 10.8%
ヒスパニック | 
 | 5.7%
アジア系 | 
 | 2.7%
インディアン | 
 | 0.2%
混血 | 
 | 1.9%

目次

  • 1 歴史
    • 1.1 18世紀
  • 2 地理
  • 3 気候
  • 4 人口動勢
    • 4.1 人種及び祖先
    • 4.2 ペンシルベニア・ダッチ
    • 4.3 宗教
  • 5 インディアン部族
    • 5.1 インディアン・カジノ
  • 6 州内の自治体と主要都市
  • 7 政治と法律
    • 7.1 州政府
      • 7.1.1 州知事
      • 7.1.2 州議会
      • 7.1.3 司法府
      • 7.1.4 税
    • 7.2 連邦議会への代表
  • 8 経済
    • 8.1 主な会社など
    • 8.2 金融業
    • 8.3 農業
    • 8.4 ギャンブル
    • 8.5 映画産業
  • 9 交通
  • 10 教育
    • 10.1 初等中等教育
    • 10.2 単科及び総合大学
  • 11 レクリエーション
  • 12 芸術・文化
    • 12.1 劇場・オペラハウス
    • 12.2 美術館・博物館
    • 12.3 オーケストラなど
    • 12.4 スポーツ
      • 12.4.1 ベースボール
      • 12.4.2 アメリカンフットボール
      • 12.4.3 バスケットボール
      • 12.4.4 アイスホッケー
      • 12.4.5 サッカー
  • 13 食品
    • 13.1 その他
  • 14 その他
    • 14.1 同州出身の有名人
    • 14.2 州のシンボル
    • 14.3 日本の姉妹都市
  • 15 脚注
  • 16 References
  • 17 関連項目
  • 18 外部リンク

歴史

主要記事:ペンシルベニア州の歴史
ペンシルベニア植民地」も参照

ペンシルベニア州となった地域にヨーロッパ人が入植する以前、この地域にはデラウェア族サスケハノック族、イロコイ族、エリー族、ショーニー族などのインディアンが住んでいた。オランダとイギリスがデラウェア川の両岸をアメリカにおけるそれぞれの植民地の一部と主張していた。オランダが最初に領有し、ペンシルベニアの歴史に大きく影響した。

1631年6月3日、オランダは現在のデラウェア州ルイスの地にツヴァーネンデール植民地を造り、デルマーバ半島への入植を始めた。1638年、スウェーデンが現在のウィルミントンの地に造ったフォートクリスチーナを中心とするニュースウェーデン植民地を設立することで、領有問題が加熱された。ニュースウェーデンはデラウェア川下流域(現在のデラウェア州、ニュージャージー州、ペンシルベニア州に跨る)の領有を主張し支配したが、植民者の数は少なかった。

インディアンと結んだペンの条約エドワード・ヒックス

1664年3月12日、イングランド王チャールズ2世ヨーク公ジェームズに、プリマスバージニア会社が当初持っていた勅許地全てに他の土地を含めた土地の勅許を与えた。この勅許は、現在のペンシルベニア州の一部を含むオランダ領ニューネーデルラントの主張する領有権と競合した。

1664年6月24日、ヨーク公は現在のニュージャージー州を含む広大な領土の一部を、ジョン・バークレーとジョージ・カートレットに売却し、領主植民地とした。その土地はこのときもイギリス領だったが、デラウェア川の西岸にあるニューネーデルラントの一部と重複した。同年8月29日にイギリスによるニューネーデルラント征服が始まり、ニューヨーク港に浮かぶイギリス艦船の大砲を面前にして、ニューアムステルダムが降伏を強いられた。この征服が継続し、同年10月には現在のデラウェア州ニューキャッスルにあったカシミア砦を占領することで、完成した。

ジョン・ディキンソン

1667年7月21日、イギリス、フランスおよびオランダの間に結ばれたブレダの和約により、イギリスの征服が確認されたが、一時的な反動も起きた。

1672年9月12日、第三次英蘭戦争の一部として、オランダはニューヨーク植民地とニューアムステルダムを再征服し、現在のデラウェア州とペンシルベニア州に当初の3郡となる郡政府を設立した。後にペンシルベニアに移管された部分がアップランドだった。1674年2月9日、第三次英蘭戦争を終わらせるウェストミンスター条約が結ばれ、政治的な状況を「戦前に元あった状態」に戻された。イギリスはオランダの郡をオランダの名称で保持した。同年6月11日までに、ニューヨーク植民地がアップランドを含め外郭の植民地に対する支配を再度主張したが、その名称は1674年11月11日までにイギリス名に変えられていった。同年11月12日、アップランドが分離し、現在のペンシルベニア州とデラウェア州の州境が概略生みだされた。

1681年2月28日、チャールズ2世がウィリアム・ペンの父ウィリアム・ペン提督から借りていた16,000ポンド(2008年のインフレ換算で210万ポンド)の借金のかたにウィリアム・ペンに土地の勅許を与えた。これは史上でも最大級の特定個人に対する勅許だった。その土地はペンシルベニアと呼ばれた。ウィリアム・ペン自身はニューウェールズあるいはシルベニアと呼ぶことを望んだが、この名称変更で人々がペン自身に因んで名付けたと考えることを怖れ当惑した。しかしチャールズ2世は名称を変えようとはしなかった。ペンは郡政委員会と信教の自由という2つの革新的な性格を持つ政府を樹立し、これは新世界の多くの国で真似されることになった。

1681年3月4日、ペンシルベニアで植民地政府を作り、ペンシルベニア州とデラウェア州の州境のペンシルベニア側にあったアップランドはチェスター郡と改名された。クエーカー教徒の指導者であるウィリアム・ペンは、デラウェア族の指導者タマニーと平和条約を結び、クエーカー教徒とインディアンの長い友好的関係の時代が始まった。クエーカー教徒とは、他の部族との条約も結ばれた。ウィリアム・ペンが結んだ条約は侵犯されることが無かった。

18世紀

1730年から通貨法に伴いイギリスの議会によって停止された1764年まで、ペンシルベニア植民地は金や銀の保有量不足に対応して独自の通貨を持っていた。この紙幣は「コロニアル・スクリップ」と呼ばれていた。この植民地では「信用証券」を発行し、その法定通貨としての位置づけ故に、金貨や銀貨と同等だった。政府が発行しており、銀行が発行したものではなかったので、利子が付かず、政府支出の支払に使われたので、大衆の税金だった。政府がその裁量で発行し、インフレを招かないよう大量に発行しなかったので雇用と繁栄を助長した。ベンジャミン・フランクリンがこの通貨創設に関与し、その有用性は決して侵されないと言っており、アダム・スミスの「慎重な承認」にも合致していた。

フィラデルフィアプレジデンツハウスPhiladelphia、このマスターズ・ペン邸宅には1770年代初期にペンシルベニアの総督が入った。1790年から1800年にはフィラデルフィアが暫定首都となり、ジョージ・ワシントンジョン・アダムズの大統領官邸となった

1765年の印紙法会議の後、フィラデルフィアの代議員ジョン・ディキンソンは「権利と抗議の宣言」を書いた。この会議は、マサチューセッツ植民地会議の要請で13植民地が集まった最初の会議だったが、実際には9植民地しか代議員を送らなかった。ディキンソンは続いて、「ペンシルベニアの農民からイギリス領植民地の住人に宛てた手紙」を書き、1767年12月2日から1768年2月15日のペンシルベニア・クロニクルに掲載された。

1774年にフィラデルフィアで開催された第一次大陸会議には、12植民地が代表を派遣した。1775年5月、やはりフィラデルフィアで開催された第二次大陸会議では、アメリカ独立宣言を起草し、署名を行った。フィラデルフィア市がイギリス軍に占領されると、大陸会議は1777年9月27日はランカスターの郡庁舎で開催され、その後ヨークに移った。そこでは13植民地が1つの国になるという連合規約が書き上げられた。後にはアメリカ合衆国憲法が起草され、フィラデルフィアは新生アメリカの誕生地に再度選ばれた。

ペンシルベニア州は1787年12月12日にアメリカ合衆国憲法を批准し、そのことで第2の州になった。デラウェア州の批准から遅れること5日だった。

カーライルのディキンソン・カレッジは1773年に設立され、国内初のカレッジとなった。このカレッジはパリ条約が批准された5日後の1783年9月9日に批准された。ベンジャミン・ラッシュが設立し、ジョン・ディキンソンに因んで名付けた。

ヒルズキャピトル、1821年から使われたが、1897年に焼失した

ペンシルベニア州議会は半世紀の間フィラデルフィア地域の様々な場所で開催されたが、インディペンデンスホールで定期的に開催されるようになり、63年間続いた。しかしもっと中央に近い場所で開催する必要性が出てきた。例えば1763年のパクストンボーイズ虐殺がそれに気付く機会になった。1799年、州議会はランカスター郡庁舎に移動し、最後は1812年にハリスバーグに移転した。

1821年12月までは昔のドーフィン郡庁舎で州議会が開催されていたが、このとき連邦様式のヒルズキャピトル(建設者でランカスターの建築家スティーブン・ヒルズに因む命名)が州政府の本拠のために取って置かれた4エーカー (16,000 m) の岡の上に建設された。この土地はヨークシャー生まれで、1705年にはサスケハナ川東岸に交易基地を設立し、1733年には渡し船を運航したジョン・ハリス・シニアの息子で先見の明ある事業家が確保していた。ハリスバーグはこのハリスに因む命名である。1897年2月2日、猛吹雪の日にヒルズキャピトルは焼失した。煙道に欠陥があったためと考えられている。

新しい州会議事堂が建設されるまで、州議会はステート通りのグレイス・メソジスト教会で開催された。「不正があった」とされる建築家選定競技会の後、シカゴの建築家ヘンリー・アイブス・コブが新しい議事堂の設計と建設にあたった。しかし議会にはその建設に充てる金がなく、おおまかに仕上げられたいくらか実用的な建物が完成した(コブ・キャピトル)。議会はこの建物の使用を拒んだ。1901年には政治と大衆の間に義憤が起こり、ペンシルベニア州の建築家に限った2回目の競技会が行われた。現在のペンシルベニア州会議事堂を設計するためにフィラデルフィアのジョセフ・ミラー・ハストンが選ばれ、コブの建物を壮大な公共建築に取り込んで完成させ、1907年に開所された。

ルーズベルト大統領による連邦緊急救済局の失業女性のためのキャンプ、1934年

新しい州会議事堂は激賞を得た。そのドームは、ローマサン・ピエトロ大聖堂アメリカ合衆国議会議事堂からヒントを得ていた。セオドア・ルーズベルト大統領は「国内で最も美しい州会議事堂」と呼び、その開所式では「これまで見た中でも最大に威厳のある建物」と言った。1989年、「ニューヨーク・タイムズ」は「偉大で時には畏敬の念を感じるが、動いている建物であり、市民が立ち寄ることができ、...日々の生活の実感と繋がる建物」と褒めた。

ペンシルベニア州には国内森林地域の9%がある。1923年、カルビン・クーリッジ大統領が1911年のウィークス法の下に、州北西部のエルクフォレストマッキーンウォーレン各郡に跨るアリゲイニー国立の森を創設し、アレゲニー川流域の木材生産と水域保護を目指した。アリゲイニー国立の森は州内唯一の国有林である。

フランクリン郡出身のジェームズ・ブキャナンは唯一の独身大統領であり、ペンシルベニア州出身としても唯一の大統領である。南北戦争の転換点となったゲティスバーグの戦いは、州内ゲティスバーグの近くで起こった。推計で35万人のペンシルベニア州民が北軍に従軍し、その中には8,600人のアフリカ系アメリカ人志願民兵もいた。

ペンシルベニア州では初めて事業的に成功した油井もあった。1859年、タイタスビル近くで、エドウィン・L・ドレイクが油井を掘り当て、国内最初の石油ブームをもたらした。

地理

w:Geography of Pennsylvania」および「ペンシルベニア州の郡一覧」も参照
ペンシルベニア州の都市及び道路
ペンシルベニア州の郡配置図

ペンシルベニア州は北東部の州と南部の州、大西洋岸と中西部を結ぶ地点にあることから、キーストーン・ステートと呼ばれている。北側及び北東側はニューヨーク州に隣接しており、東側はデラウェア川をはさんでニュージャージー州に隣接している。南側はデラウェア州メリーランド州ウェストバージニア州に隣接しており、西側はオハイオ州、北西側はエリー湖に隣接している。アメリカ合衆国最初の13州の中で、ペンシルベニア州のみが大西洋に面していない。ペンシルベニア州を流れるデラウェア川サスケハナ川モノンガヒラ川アレゲニー川オハイオ川はアメリカ合衆国の主要な河川である。州都ハリスバーグ市である。

ペンシルベニア州は南北の長さ170 マイル (274 km)、東西の幅283 マイル (455 km) 程である。総面積は[[1 E11 m|46,055 平方マイル (119,282 km)]]、陸地面積は44,817 平方マイル (116,075 km)、水域面積は内陸部に 490 平方マイル (1,269 km)、エリー湖で 749 平方マイル (1,940 km) である。アメリカ合衆国内で33番目に大きな州となっている。エリー湖の湖岸線は 57マイル (82 km)、デラウェア川に沿った海岸線は 57マイル (92 km) ある。マウントデイビスが海抜3,213 フィート (979 m) で州内最高地点である。最低地点はデラウェア川の海面である。ペンシルベニア州は東部標準時内に位置している。

州境の中で、南のメリーランド州とはメイソン=ディクソン線(北緯39度43分)、デラウェア州とは12マイル円、東はデラウェア川、西のオハイオ州とは西経80度31分、北のニューヨーク州とは北緯42度線が基本となってほぼ長方形をしており、北の三角形がエリー湖まで伸びた地域が唯一飛び出した形になっている。

地理的に州内は5つの地域に区分される。すなわちアリゲイニー高原、リッジ・アンド・バレー地域、大西洋岸平原、ピードモント台地、およびエリー平原である。

気候

詳細は「w:Climate of Pennsylvania」を参照

ペンシルベニア州の多様な地形により気候も様々であるが、総体的に冬は寒く、夏は降水量が多い。州南東の隅を除いて大部分は湿潤大陸性気候(ケッペンの気候区分Dfa)にある。フィラデルフィア大都市圏のみが温暖湿潤気候(ケッペンの気候区分Cfa)にあり、南のデラウェア州やメリーランド州に似ている。

内陸の山岳部に動くと冬は著しく寒くなり、曇りの日が増え、降雪量が多くなる。州の西部、特にエリー湖に近い地域は年間100インチ (250 cm) 以上の降雪があり、また降水量は州の全体で年間を通じて豊富である。春から夏、さらに秋にかけて異常気象が起こりやすく、竜巻は年間平均10個が発生している。

各都市の月別最高最低平均気温(°F)
年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
スクラントン 33/19 | 37/21 | 46/28 | 59/38 | 70/48 | 78/56 | 82/61 | 80/60 | 72/52 | 61/41 | 49/33 | 38/24
エリー 34/21 | 36/21 | 44/27 | 56/38 | 67/48 | 76/58 | 80/63 | 79/62 | 72/56 | 61/45 | 50/37 | 38/27
ピッツバーグ 36/21 | 39/23 | 49/30 | 62/40 | 71/49 | 79/58 | 83/63 | 81/62 | 74/54 | 63/43 | 51/35 | 39/25
ハリスバーグ 37/23 | 41/25 | 50/33 | 62/42 | 72/52 | 81/62 | 85/66 | 83/64 | 76/56 | 64/45 | 53/35 | 41/27
フィラデルフィア 40/26 | 44/28 | 53/34 | 64/44 | 74/54 | 83/64 | 87/69 | 85/68 | 78/60 | 67/48 | 56/39 | 45/30
アレンタウン 36/20 | 40/22 | 49/29 | 61/39 | 72/48 | 80/58 | 84/63 | 82/61 | 75/53 | 64/41 | 52/33 | 40/24
[3], [4],[5],[6],[7],

人口動勢

人口推移
【年】
【人口】
【】

1790 | 434,373 |  | 

1800 | 602,365 |  | 38.7%
1810 | 810,091 |  | 34.5%
1820 | 1,049,458 |  | 29.5%
1830 | 1,348,233 |  | 28.5%
1840 | 1,724,033 |  | 27.9%
1850 | 2,311,786 |  | 34.1%
1860 | 2,906,215 |  | 25.7%
1870 | 3,521,951 |  | 21.2%
1880 | 4,282,891 |  | 21.6%
1890 | 5,258,113 |  | 22.8%
1900 | 6,302,115 |  | 19.9%
1910 | 7,665,111 |  | 21.6%
1920 | 8,720,017 |  | 13.8%
1930 | 9,631,350 |  | 10.5%
1940 | 9,900,180 |  | 2.8%
1950 | 10,498,012 |  | 6.0%
1960 | 11,319,366 |  | 7.8%
1970 | 11,793,909 |  | 4.2%
1980 | 11,863,895 |  | 0.6%
1990 | 11,881,643 |  | 0.1%
2000 | 12,281,054 |  | 3.4%
2010 | 12,702,379 |  | 3.4%
2012(推計) | 12,763,536 |  | 0.5%
Source: 1910–2010
1790年から2000年の州人口推移
ペンシルベニア州の人口密度図

2012年7月1日時点で、ペンシルベニア州人口は12,763,536人と推計され、2010年国勢調査からは0.5%増加した。 2006年時点での推計では、人口12,440,621人、前年から35,273人の増加、2000年国勢調査からは159,567人の増加だった。国内他州への移住で27,718人が減少し、国外からの移民で127,007人が増加し、純増は98,289人だった。

人口の中で74.5%はペンシルベニア州生まれ、18.4%は国内他州の生まれ、1.5%はプエルトリコ、アメリカ合衆国領島嶼部あるいは国外でアメリカ人の親から生まれた者、5.6%は外国生まれである。 1970年代から1980年代、ペンシルベニア州人口はゆるやかに増加した。1990年代から2000年代に入ると、他の州(移住民)から多くの人々がペンシルベニア州に移動し始めた。

年齢層で見ると5歳未満が5.9%、18歳未満が23.8%、65歳以上が15.6%となっている。2005年時点で高齢者人口比率は50州の中の第3位だった。女性が人口の51.7%を占めている。2005年時点で貧困線以下の住民比率は11.9%だった。

ペンシルベニア州の人口重心ペリー郡のダンキャノン・ボロとなっている。

人種及び祖先

2010年国勢調査に拠れば、ペンシルベニア州の人種による人口構成は次のようになっている。

2011年時点で1歳未満の州民の32.1%は少数民族の子供である。

州内のヒスパニック系人口は、2000年から2010年の間に82.6%増加し、国内でも最大級の増加率となっている。主にアメリカ合衆国領であるプエルトリコからの移民が多いが、他にもドミニカ共和国メキシコなど中南米諸国からの移民や、ニューヨーク州やニュージャージー州など国内他州から、より安全で生活費が適度な環境を求めるヒスパニック系移住者が増えている。ヒスパニック系人口はアレンタウン、ランカスター、レディング、ヘイゼルトン、およびフィラデルフィア周辺で多く、その比率は20%以上となっている。2010年時点で、フィラデルフィア市から半径150マイル (240 km) 以内に85%が、またフィラデルフィア市内に約20%が住んでいる推計されている。

アジア系移民も約60%増加しており、特にインド系ベトナム系中国系の移民が多い。またニューヨーク州からフィラデルフィア市に移住するアジア系住民も多い。アジア系人口の絶対数で、フィラデルフィアは国内最大級の都市になっている。アフリカ系アメリカ人人口は13%成長した。白人は0.7%減少したが、この傾向は反転しつつある。

外国生まれの構成では、アジア系36.0%、ヨーロッパ系35.9%、ラテンアメリカ系30.6%、アフリカ系5%、北アメリカ系3.1%、オセアニア系0.4%となっている。

2006年から2008年の調査で、ペンシルベニア州で申告された祖先による構成比は、以下の通りだった。

ドイツ系祖先のペンシルベニア州民は、フィラデルフィア以外のこの州の多くの地域に住んでいる。ペンシルベニア州北東部はニューヨーク州境付近にイギリス系祖先の住民が暮らしており、スクラントン地域内に多くのポーランド系アメリカ人が住んでいる。フィラデルフィアは黒人の大多数が暮らしていて、少数の黒人住民がピッツバーグ及びハリスバーグに住んでいる。また、近代文明的生活を行わないアーミッシュと呼ばれるドイツ・スイス系の人々が住んでいる。

ペンシルベニア・ダッチ

ペンシルベニア・ダッチと呼ばれる人々と言語がある。この「ダッチ」はオランダ人ではなく「ドイツ人」あるいは「チュートン」を意味している。ドイツ人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/09/19 11:18

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「ペンシルベニア州」の意味を投稿しよう
「ペンシルベニア州」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

ペンシルベニア州スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ペンシルベニア州」のスレッドを作成する
ペンシルベニア州の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail