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ペ英洙とは?
(ペ英洙から転送)
裵 英洙 (ペ・ヨンス)
Young-Soo Bae
【斗山ベアーズ 二軍投手コーチ #91】
【基本情報】
【国籍】
大韓民国
【出身地】
大邱広域市
【生年月日】
(1981-05-04) 1981年5月4日(39歳)
【身長
体重】
184 cm
84 kg
【選手情報】
【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1999年 1次ドラフトでサムスン・ライオンズから指名
【初出場】
2000年4月9日
【最終出場】
2019年10月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
|
選手歴
コーチ歴
【ペ・ヨンス】
【各種表記】
ハングル: |
배영수
漢字: |
裵英洙
【発音:】
ペヨンス
英語表記: |
Bae Young-Soo
裵 英洙(ペ・ヨンス、韓国語:배영수、1981年5月4日 - )は、韓国の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。184cm、84kg。右投右打。
経歴
サムスン時代
大邱広域市出身。地元の名門、慶北(キョンブク)高校からサムスン・ライオンズに入団。
入団当初は期待されながらも度胸がなく、逃げるようなピッチングで球速のわりにはよく痛打されていた。2001年、ロッテ・ジャイアンツとの試合で相手打者のフェリックス・ホセに死球を当て、激怒したホセに殴り倒されたこともある。
2004年に宣銅烈がコーチに就任すると、彼の指導を受けて一気にチームを支えるエースに成長。2004年の韓国シリーズ第4戦では強打者が揃った現代ユニコーンズ相手に無安打に抑え込んだ(しかしこの試合では打線の援護がなく、延長10回時間切れで0対0の引き分けになり、ノーヒットノーラン達成ばかりか勝利投手にもなれなかった)。この年はシーズン17勝2敗の成績でMVPを受賞している。
2005年、アジアシリーズの決勝戦の千葉ロッテマリーンズ戦に先発、これが日本での初登板となった。敗戦投手になったものの、高校の先輩である李承燁から2三振を奪った。
2006年はWBC韓国代表に選出された。WBCの1次リーグ日本戦でリリーフ投手として登板したが、イチローに死球を与えて降板させられた。同年のレギュラーシーズンは右肩痛に悩まされ8勝9敗に終わった。しかし韓国シリーズでは、高卒新人ながら投手3冠を達成した柳賢振(リュ・ヒョンジン)に投げ勝ち、先発・リリーフを問わずに登板する「便利屋」として活躍した。
2006年のシーズン後に肘の故障が発覚し診察のため渡米。「靭帯の損傷が激しいため手術が避けられない」と診断され、トミー・ジョン手術を受けた。2007年シーズンはリハビリのため一軍登板の機会がなかったが、1年にわたるリハビリに専念した結果、2008年シーズンに復帰、開幕から先発ローテーションの一角を担い復活を遂げた。
2009年は投球内容が大きく悪化し、1勝12敗と大きく負けが先行した。
2010年オフ、シーズン中に取得したフリーエージェント権を行使し、日本プロ野球・東京ヤクルトスワローズとの移籍交渉を進めたが、メディカルチェックでB型肝炎に感染している事が発覚し、これが球団側の基準を満たしておらず破談となり、サムスンと2年契約を結び残留した。2011年も6勝止まりで防御率5点台と、2008年以降は手術前ほどの成績を残すことはできなくなっている。しかしサムスンが韓国シリーズで優勝したため出場したアジアシリーズ2011の台湾代表統一セブンイレブン・ライオンズ戦では、5回を1失点と好投しチームの勝利に貢献した。
2012年は、8月26日LG戦にて呉智煥から三振を奪い、韓国プロ野球史上23人目となる1000奪三振を達成した。さらにこの試合の勝利投手となり、通算100勝利を記録した。2005年以来7年ぶりに2ケタ勝利(12勝)をあげ、サムスンの2連覇に貢献した。ポストシーズンでは韓国シリーズ第3戦に登板するも3回3失点を乱調気味でアジアシリーズでは、Lamigoモンキーズ戦にて5回1失点と好投したが、味方が相手投手から無失点に抑えられ敗戦投手に。2013年は14勝と9年ぶり2度目の最多勝を獲得。
2014年シーズンオフ、二度目のFAを行使しハンファ・イーグルスへ移籍した。彼の補償選手には鄭鉉錫が選ばれたがわずか1日で金銭トレードで韓華に復帰したため、事実上の金銭補償となった。
ハンファ時代
2015年は4勝に終わり、2016年は故障で一軍登板がなかった。
2018年限りでハンファを戦力外となり、2019年より斗山ベアーズと契約した。
斗山時代
2019年10月26日、韓国シリーズ第4戦の延長10回裏に登板し、斗山の韓国シリーズ優勝の胴上げ投手となり、韓国シリーズの個人通算登板記録(25試合)、最年長セーブ記録(38歳5ヶ月)を更新した。そしてシリーズ終了直後にプレイングコーチに就任することを打診されるもこれを拒否し、現役引退を発表した。個人通算138勝は、2019年シーズン終了時では現役選手最多勝であった。
現役引退後
2020年より斗山のコーチとなり指導者に転身する。
プレースタイル・人物
投球スタイルとしては140km/h中盤のストレートとスライダーを持つ。球のキレで勝負する本格派投手。
2006年WBCで、実況を担当したTBSの松下賢次アナウンサーから「マウンドにはペ・ヨンジュンが上がります」と間違えられた。しかし、厳密にいうと、韓国語では、ペ・ヨンジュンのヨンと彼のヨンは発音が違う。
高校の先輩の李承燁と親しい関係であり、2006年のWBCの時には、お互い所属チームで付けていた背番号を交換して付けたりもした(裵英洙のサムスン時代の背番号は25、WBCでは36、李承燁はサムスンのときから前年まで所属していた千葉ロッテでの背番号は36、WBCでは25)。これが、後に李承燁が巨人で背番号を25に変えたきっかけのひとつにもなった。
詳細情報
年度別投手成績
【年
度】
【チ
|
ム】
【試
合】
【勝
利】
【敗
戦】
【セ
|
ブ】
【ホ
|
ル
ド】
【完
投】
【完
封】
【投
球
回】
【被
安
打】
【被
本
塁
打】
【与
四
球】
【与
死
球】
【奪
三
振】
【失
点】
【自
責
点】
【防
御
率】
奪 三 振 率
|
2000 | サムスン | 25 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 45.1 | 59 | 9 | 21 | 3 | 32 | 36 | 34 | 6.75 | 6.35
2001 | 35 | 13 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 169.2 | 169 | 11 | 89 | 8 | 96 | 82 | 71 | 3.77 | 5.09
2002 | 22 | 6 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 81.1 | 94 | 13 | 43 | 5 | 63 | 55 | 50 | 5.53 | 6.97
2003 | 30 | 13 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 163.2 | 174 | 11 | 77 | 7 | 99 | 85 | 82 | 4.51 | 5.44
2004 | 35 | 17 | 2 | 0 | 0 | 4 | 2 | 189.2 | 163 | 6 | 74 | 11 | 144 | 65 | 55 | 2.61 | 6.83
2005 | 31 | 11 | 11 | 2 | 1 | 2 | 1 | 173.0 | 148 | 10 | 48 | 11 | 147 | 61 | 55 | 2.86 | 7.65
2006 | 32 | 8 | 9 | 0 | 4 | 0 | 0 | 157.1 | 142 | 13 | 38 | 9 | 133 | 56 | 51 | 2.92 | 7.61
2007 | 一軍出場なし
2008 | 27 | 9 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 114.2 | 127 | 15 | 38 | 3 | 71 | 59 | 58 | 4.55 | 5.57
2009 | 23 | 1 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 75.2 | 106 | 18 | 22 | 7 | 40 | 73 | 61 | 7.26 | 4.76
2010 | 31 | 6 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 119.2 | 136 | 11 | 37 | 8 | 64 | 69 | 63 | 4.74 | 4.81
2011 | 25 | 6 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 103.0 | 127 | 5 | 27 | 6 | 47 | 67 | 62 | 5.42 | 4.11
2012 | 26 | 12 | 8 | 0 | 0 | 2 | 0 | 160.0 | 159 | 7 | 39 | 3 | 89 | 64 | 57 | 3.21 | 5.01
2013 | 27 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 151.0 | 193 | 9 | 38 | 14 | 101 | 83 | 79 | 4.71 | 6.02
2014 | 25 | 8 | 6 | 0 | 0 | 1 | 0 | 133.2 | 171 | 14 | 39 | 5 | 111 | 87 | 81 | 5.45 | 7.47
2015 | ハンファ | 32 | 4 | 11 | 0 | 1 | 0 | 0 | 101.1 | 124 | 21 | 39 | 14 | 56 | 93 | 79 | 7.04 | 4.99
2016 | 一軍出場なし
2017 | 25 | 7 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 128 | 155 | 17 | 29 | 13 | 86 | 82 | 72 | 5.06 | 6.04
2018 | 11 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 55.2 | 69 | 6 | 15 | 6 | 47 | 42 | 41 | 6.63 | 7.60
2019 | 斗山 | 37 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 45.1 | 50 | 4 | 11 | 3 | 10 | 25 | 23 | 4.57 | 1.99
【通 算】
【499】
【138】
【122】
【3】
【7】
【11】
【3】
【2167.2】
【2366】
【200】
【724】
【136】
【1436】
【1184】
【1074】
【4.46】
5.96
|
獲得タイトル
-
MVP:1回(2004)
- 最多勝:2回(2004、2013)
- 最優秀勝率:1回(2004)
- 最多奪三振:1回(2005)
-
ゴールデングラブ賞:1回(2004)
代表歴
背番号
-
25 (2000年 - 2014年、2019年)
-
37 (2015年 - 2016年)
-
33 (2017年 - 2018年)
-
91 (2020年 - )
脚注
-
^ 裵英洙の入団を諦めたヤクルトは2010年シーズン途中で退団したトニー・バーネットと再契約している。
-
^ “プレイングコーチ就任拒否で引退”. https://sports.v.daum.net/v/20191029053603084
外部リンク
斗山ベアーズ 2021 |
【監督】
【一軍コーチ】
- 86 姜錫千(首席)
- 73 鄭載勳(投手)
- 71 李到炯(打撃)
- 81 姜東佑(打撃)
- 91 裵英洙(プルペン)
- 90 高永民 (作戦)
- 89 孔弼聖(内野守備)
- 85 金周燦(外野守備兼作戦兼走塁)
- 102 兪泰玄(トレーニング)
- 李丙國(トレーニング)
- 金志勲(バッテリー)
【二軍監督・コーチ】
- 87 朴哲祐(監督)
- 75 権明哲(投手総括)
- 85 李龍昊(ブルペン)
- 72 曺敬擇(バッテリー)
- 79 鄭炳坤(内野守備)
- 83 李光雨(トレーニング)
- 84 金尚珍(リハビリ投手)
- 80 金昣秀(リハビリバッテリー)
- 70 柳在信
- 李正勳(打撃)
【投手】
【捕手】
- 10 朴世爀
- 12 崔容済
- 22 張勝賢
- 44 張圭彬
- 権基栄
【内野手】
【外野手】
業績
|
韓国野球委員会ゴールデングラブ(投手) |
【1980年代】
【1990年代】
【2000年代】
【2010年代】
【2020年代】
韓国野球委員会MVP |
【1980年代】
【1990年代】
【2000年代】
【2010年代】
【2020年代】
韓国野球委員会最多勝利投手 |
【1980年代】
【1990年代】
【2000年代】
【2010年代】
【2020年代】
韓国野球委員会最多奪三振 |
【1980年代】
【1990年代】
【2000年代】
【2010年代】
【2020年代】
野球韓国代表 - 2006 ワールド・ベースボール・クラシック |
【監督】
【コーチ】
【投手】
【捕手】
【内野手】
【外野手】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2021/03/04 16:08
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