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マカオとは?

※中華人民共和国としての国歌。
公用語 広東語ポルトガル語
主都 花地瑪堂区(ファティマ堂区)
最大の都市 花地瑪堂区
政府
行政長官 崔世安
行政法務司 陳海帆
面積
総計 28.6km(N/A)
水面積率 0
人口
総計(2015年) 643,100人(167位)
人口密度 18,568人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2017年)】
4,041億マカオ・パタカ
GDP (MER)
【合計(2017年)】
498億ドル(83位)
GDP (PPP)
合計(2017年) 717.8億ドル(97位)
【1人あたり】
111,600ドル
ポルトガルから中華人民共和国へ返還
【特別行政区】
1999年12月20日

通貨 マカオ・パタカ (MOP)
時間帯 UTC +8(DST:なし)
ISO 3166-1 MO / MAC
ccTLD .mo
国際電話番号 853
左上から時計回り:マカオ・タワー聖ポール天主堂跡カジノ・リスボア聖ヨセフ修道院嘉楽庇総督大橋媽閣廟ギア砲台
澳門特別行政区
【中国語】

繁体字
澳門特別行政區
簡体字
澳门特别行政区
【発音記号】

標準中国語

漢語拼音
Àomén Tèbié Xíngzhèngqū
IPA
[ɑ̂ʊ̯mə̌n]
注音符号
ㄠˋㄇㄣˊ ㄊㄜˋㄅㄧㄝˊㄒㄧㄥˊㄓㄥˋㄑㄩ
呉語

ローマ字
aumen dehbih ghantsenchiu
客家語

客家語拼音
Àu-mûn Thi̍t-phe̍t Hàng-tsṳn-khî
粤語

IPA
[ʔōu mǔːn]
粤拼
Oumun Dakbit Hangzing Keoi
閩南語

閩南語白話字 Ò-mn̂g Te̍k-pia̍t Hêng-chèng-khu

【ポルトガル語】

ポルトガル語
Região Administrativa Especial de Macau

中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称マカオ(: Macau澳門=広東語イェール式:Oumùhn、普通話:Àomén、おうもん)は、中華人民共和国特別行政区の一つ。中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル植民地で、現在はカジノ世界遺産を中心とした世界的観光地としても知られる。

目次

  • 1 概要
  • 2 名称
  • 3 歴史
    • 3.1 明朝以前
    • 3.2 ポルトガル人の居留開始
    • 3.3 ポルトガルの植民地に
    • 3.4 第二次世界大戦
    • 3.5 戦後
    • 3.6 マカオ暴動
    • 3.7 返還
    • 3.8 現在
  • 4 地理
    • 4.1 行政地域
    • 4.2 気候
  • 5 政治
  • 6 司法
  • 7 軍事
  • 8 経済
    • 8.1 通貨
    • 8.2 産業
    • 8.3 観光とギャンブル
  • 9 交通
    • 9.1 海運
    • 9.2 航空
    • 9.3 域内
  • 10 人口
    • 10.1 民族
    • 10.2 言語
    • 10.3 宗教
  • 11 文化
    • 11.1 食文化
    • 11.2 芸能
  • 12 教育
  • 13 スポーツ
    • 13.1 モータースポーツ
    • 13.2 マラソン
    • 13.3 トライアスロン
    • 13.4 国際バレーボール連盟・ワールドグランプリ
    • 13.5 国際大会
  • 14 観光名所
    • 14.1 宿泊施設及びカジノ
  • 15 姉妹都市・友好都市
  • 16 舞台にした作品
  • 17 関連項目
  • 18 脚注
  • 19 外部リンク

概要

マカオは中華人民共和国広東省珠江の最下流域に位置し、広州からは南西に145km、香港からは南西に70km離れている。珠海市に接し、中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合いのから構成される。この島は、もともとタイパ島コロアネ島という二つの島であったが、島の間は埋め立てられてコタイと呼ぶ地域となり、全体がひとつの島のようになっている。現在、半島部と旧タイパ島の間は3つの橋でつながれ、コタイから西に珠海と結ぶ橋もできている。

セナド広場

1999年までポルトガル植民地であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、2005年7月15日に、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前でユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。

域内には多くのカジノが運営されていることから、「東洋ラスベガス」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、香港中華人民共和国本土のほか、東南アジア、東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、それに隣接しているホテルを含む観光産業が盛んである。また、ドッグレースなどのユニークなギャンブルも存在する。毎年11月に市街地を使って行われるマカオグランプリは世界的に著名で、この時期に多くの観光客をひきつけている。

マカオと香港間は24時間高速船が約1時間で結んでおり、ほかにもヘリコプターによる定期便が頻繁に運航される。日帰りで訪れる香港人や旅行客も多い。現在香港とマカオを結ぶ橋港珠澳大橋が建設されている。

名称

マカオという名称の由来には多数の説があり定かではないが、マカオ半島にある道教媽閣廟に由来する説が有名である。ポルトガルの船員がマカオの媽閣の前から上陸するときに地名を聞いたら、廟の名前を聞かれたと思って「媽閣」(広東語:Ma1gok3)と答えたからと伝えられている。媽閣廟は、1448年媽祖を奉るために建設されたもので、現存し、海運、漁業の神として崇拝されている。 澳門は、「澳」が「水が奥深く入り込んだ湾や入り江」を表し、「門」は門のようにそびえ立つ南台山と北台山、また東の大字門と西の小字門から澳門と表記された。歴史的には、蠔鏡という名が代に記録されているのが最初で、澳門のほか濠鏡澳濠鏡海鏡香山澳などの名称もあった。文語的な表現でマカオは「濠江」(北京語:ハオジアン、広東語:Hou4gong1 ホウゴーン)とも表記される。また、が多いことから蓮島蓮海などの呼称もあり、区旗モチーフにも使われている。

なお、「Macau」の広東語音訳として馬交(広東語:Ma5gaau1 マーガーウ)と言う表記が用いられることもある。また、ポルトガル領時代の正式名称は Cidade do Nome de Deus de Macau, Não Há Outra Mais Leal(「最も忠貞なる主の名の街・マカオ」の意味)であった。

歴史

詳細は「マカオの歴史」を参照

明朝以前

フランシスコ・ザビエル
1840年代のマカオ
1900年代のマカオ

珠江と南シナ海の境目に位置するマカオは、もともと、漁民や蛋民と呼ばれた水上居民を中心とする漁業の村であった。その後、東南アジアなどとの通商が始まると、貿易の町として栄えてきた。

ポルトガル人の居留開始

1513年に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人が中国に初渡来し、王朝との交易を開始した。海禁下の明が1522年屯門島を拠点とするポルトガル船を駆逐し、広州交易を禁止した。

その後、1557年にポルトガルが明から居留権を得、中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地となった。但し、この時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。 この頃のマカオは、日本鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めた。しかし、その後は明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放、スペインフィリピン支配による交易低下等の影響から、アジアにおける貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。

ポルトガルの植民地に

これまで居住確保を目的としたポルトガルから清国への継続的な献金は、アヘン戦争後の1849年(道光29年)に停止された。ポルトガル人は、1851年にタイパ島、続いて1864年にコロアネ島を占拠するところとなり、1887年の葡清修好条約で澳門はポルトガルへの割譲となった。これより清国人及び領事以外の外国人については、1906年7月に旅券または書類提示による入出国となるなど、各方で近代的な法整備が進んだ。

その後、天然の良港に恵まれアジアにおける要衝として発展した香港とは対照的に、マカオの貿易港としての機能は低下し、その地位は全く凋落してしまった。マカオは珠江の土砂が堆積しやすい位置にあり、大型の船舶が入港しにくくなっていたこと、当時ポルトガルの国力は凋落していたことも衰退の原因に挙げられよう。中華民国と日本との間に1937年より起きた日中戦争においては、両国と国交を持ち中立的立場にあるポルトガル領であることから戦火とは遠い存在であった。

第二次世界大戦

1939年9月に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、その後1941年12月に勃発した太平洋戦争を通じて日本とも中華民国ともイギリスとも交戦状態に入らず、ポルトガルの植民地政庁のもとで中立港として機能した。このため、戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。

イギリスなど各国領事館が在したマカオは、大戦中は諜報活動の場となった。日本も1941年1月に在マカオ日本領事館を設置、蒋介石の直属機関(藍衣社)等による抗日活動と標的テロも勃発し、ドイツの敗戦が濃厚となる1944年末には対日テロが激化した。1945年には福井保光駐マカオ領事が中国人の襲撃に会い、拳銃で射殺されるという事件が起きている。また、ポルトガル人警察官による澳門特務機関員への発砲事件などが発生するなど、緊迫した事件が相次いだ。

戦後

1945年8月に第二次世界大戦が終結し、日本軍が中国大陸から撤退した後に、中華民国総統である蒋介石率いる中国国民党と、毛沢東率いる中国共産党の間に国共内戦が勃発した。

その後1949年には、毛沢東率いる中国共産党が、北京首都とした中華人民共和国を設立し、中華民国に代わって中国大陸の大部分を統治するようになったものの、その後もイギリスが統治を続けた香港同様、マカオも依然としてポルトガルの統治が続いた。

なおポルトガルは、中国共産党政府を早くも1950年承認したイギリスとは異なり、強烈な反共産主義者であったアントニオ・サラザール首相による独裁政権下にあったこともあり、中華人民共和国との国交は持たないままであった。

マカオ暴動

詳細は「一二・三事件」を参照

中華人民共和国内で文化大革命が行われていた1966年11月に、中国共産党系小学校における無許可での増築工事に対する代理総督による制裁が行われ、この制裁に怒った住民によるデモがセナド広場などで数度にわたり行われた。当初は平和的なデモであったが、その後中国共産党系の住人によって暴動化し、12月3日には、これを鎮圧しようとしたポルトガル軍警察がデモ隊に発砲したために、数人のデモ隊が死亡する惨事となった。

これに怒った中華人民共和国政府は、人民解放軍によるマカオへの軍事侵攻をほのめかしながら、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と責任者の処罰、共産党系の遺族に対する慰謝料の支払い、以後の中国共産党系住民による統治参加、そして中華民国の国務機関(諜報機関)によるマカオ内での活動の停止などを要求した。

当時のポルトガルは国力が低下し、マカオにわずかな軍事力しか駐留させていなかった上に、サラザール首相による独裁政権下にあったために、同年の香港暴動の際のイギリス政府のようにアメリカ合衆国などの西側政府による軍事的支援を受けられないことから、軍事対立が起きた場合全てを失うと判断したポルトガル政府はそれらの要求をほぼ全面的に呑み、総督が中国共産党系の住人組織に対して謝罪と慰謝料の支払いを行い、代理総督と警察幹部ら数名は国外へ追放された。

以後マカオにおいて中華人民共和国(中国共産党)の影響力が増すことになり、その後もポルトガル政府は中華民国との国交を保ち続けたにも関わらず、国連でアルバニア決議に賛成したり、その植民地であるマカオがあらゆる中華民国の活動を禁止して単独で中華民国と事実上「断交」するなど中華人民共和国政府に配慮した政策をとる。

返還

オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日カーネーション革命の後に、ポルトガル政府は民主化され当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。1976年にポルトガル政府は、マカオを「特別領」として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた。

その後1979年に、ポルトガル政府は中華人民共和国政府との国交樹立(と中華民国との断交)を行った。第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも地元民による自治が進んだマカオを植民地として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は、即時移譲(返還)を望んだ。しかし、同じく植民地下にある香港市民の動揺を恐れた中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつ、当分の間のポルトガルによる統治を希望したと言われており、主権と統治権(行政管理権)を分離した形を取ることを希望した形となった。

その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政管理権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。

現在

現在のマカオ中心部
マカオ博物館からの遠景

返還後のマカオの行政長官は、選挙委員会が選んだ者を中華人民共和国の中央政府が任命する形となっている。中華人民共和国の領土の一部であり、政治的にもその下に入ることとなったが、返還後50年間は現状の保全が取り決められている。このため、現在もポルトガル語が公用語として使用されるほか、ポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用される。住民は、中華人民共和国本土より大幅な自由が保障されている。

返還以来、マカオには中国人民解放軍が駐屯している。出動したのは2017年8月、台風被害の対応が初めてである。

ポルトガル語中国語(広東語)と並ぶ公用語とされ、政府の公文書におけるポルトガル語表記や、道路表示や看板などの全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられている他、一部のカトリック系学校においてポルトガル語の授業が設けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民が日常的に使用する言語は広東語である。尚、上述の通り、以前より中華人民共和国との結び付きが強かったため、香港に比べ若い世代を中心に普通話の理解度が高い(広州とほぼ同程度)。

2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまでスタンレー・ホー経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・カジノ(銀河娯楽場)」社とアメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放し、その結果ラスベガス・サンズなど多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、コタイを中心に多くの新しいカジノやホテルができるなど、経済的発展が進んでいる。

地理

1990年代のマカオの地図
現在のマカオの地図

南シナ海に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には珠江(パールリバー)、西には西江があり、中華人民共和国の本土の珠海経済特区と隣接している。

1970年代以降に大規模な埋立が行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、多数ある険しい丘が、元の地形の名残をとどめている。マカオ半島は元々島だったが、徐々に砂州が伸びてゆき、狭い地峡になり、その後の埋め立てにより狭い水路を残して大陸と一体化した(陸繋島)。

マカオは高度に構造物が密集した都市であり、耕地、放牧地はなく、実質的に農業はほとんど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。

行政地域

マカオの行政区分地図

かつては、半島部を澳門市、その他島嶼部を海島市とした基礎自治体により構成されていたが、2002年に両市は廃止され、全域を民政総署が管轄することとなった。

法人的地位を持たない行政区画としては、そこにある代表的な教会堂を冠した7個の堂区 (Freguesia)タイパ島及びコロアネ島をつなぐ埋立地であるコタイ地区、中国本土にある澳門大学並びに帰属未定の埋立地(マカオ新城区)により構成される。

各堂区等は以下のとおり(右の地図の番号に一致)、なお、澳門大学校区はコタイ、コロアネ島の対岸である中国本土に位置し、マカオ新城区は、マカオ半島東岸及びタイパ島北岸の埋立地である。

  1. 花地瑪堂区(ファティマ堂区)
  2. 聖安多尼堂区(聖アンドレ堂区)
  3. 望徳堂区(聖ラザロ堂区)
  4. 大堂区(主教座堂区)
  5. 風順堂区(聖ロレンツォ堂区)
  6. 嘉模堂区(ノッサセニョーラドカルモ堂区) - タイパ島(氹仔島)
  7. 路氹城 - コタイ地区
  8. 聖方済各堂区(聖フランシスコ・ザビエル堂区) - コロアネ島(路環島)


気候

マカオは、温帯夏雨気候 (ケッペンの気候区分: Cwa)に属し、年間の平均湿度が75% 〜 90%とかなり高い。他の華南地域同様、モンスーンの影響を強く受け、夏と冬の気温差・湿度差が、大陸内部ほどではないにせよ、顕著である。年間平均気温は22.7℃であり、7月が平均気温28.9℃と最も暑く、1月が平均気温14.5℃で、もっとも寒冷な月となる。

マカオは、中国の南岸地域に位置しているので、年間降雨量2120mmと多雨地帯に属する。しかし、冬季はシベリア高気圧の影響を受け、比較的乾燥する。10月から11月にかけての秋季は、晴天に恵まれ、温暖で湿度も低いなど過ごしやすい季節となる。12月から3月初旬の冬季は、平均的最低気温は13℃と穏やかであるが、時折、8℃を割るほど低下することもある。3月から、湿度が上昇し始め、夏季は気温がかなり高くなり(しばしば、日中30℃を超える)、亜熱帯性の豪雨や時には台風に見舞われる。

マカオの気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
平均最高気温 °C (°F) 17.7
(63.9) | 17.7
(63.9) | 20.7
(69.3) | 24.5
(76.1) | 28.1
(82.6) | 30.3
(86.5) | 31.5
(88.7) | 31.2
(88.2) | 30.0
(86) | 27.4
(81.3) | 23.4
(74.1) | 19.6
(67.3) | 25.2
(77.4)
平均最低気温 °C (°F) 12.2
(54) | 13.1
(55.6) | 16.2
(61.2) | 20.2
(68.4) | 23.6
(74.5) | 25.7
(78.3) | 26.3
(79.3) | 26.0
(78.8) | 24.9
(76.8) | 22.3
(72.1) | 17.8
(64) | 13.8
(56.8) | 20.2
(68.4)
雨量 mm (inch) 32.4
(1.276) | 58.8
(2.315) | 82.5
(3.248) | 217.4
(8.559) | 361.9
(14.248) | 339.7
(13.374) | 289.8
(11.409) | 351.6
(13.843) | 194.1
(7.642) | 116.9
(4.602) | 42.6
(1.677) | 35.2
(1.386) | 2,122.9
(83.579)
平均降雨日数 (≥ 0.1 mm) 6 | 10 | 12 | 12 | 15 | 17 | 16 | 16 | 13 | 7 | 5 | 4 | 133
% 湿度 74.3 | 80.6 | 84.9 | 86.2 | 85.6 | 84.4 | 82.2 | 82.5 | 79.0 | 73.4 | 69.3 | 68.8 | 79.27
平均月間日照時間 132.4 | 81.8 | 75.9 | 87.8 | 138.4 | 168.2 | 226.2 | 194.7 | 182.2 | 195.0 | 177.6 | 167.6 | 1,827.8
出典: SMG

政治

セナド広場にある民政総署
詳細は「マカオの政治」を参照

マカオの行政長官は、各業界団体から選出された委員からなる選挙委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる内閣を組織する。マカオの中国系住民の名望家であり、銀行家でもあったエドモンド・ホー(何厚鏵)が1999年12月20日にポルトガル統治下で任命されたロシャ・ヴィエラ(Rocha Viera)総督に代わるマカオ特別行政区初代行政長官に中華人民共和国から任命された。

立法機関はマカオ特別行政区立法会であり、マカオ住民の直接選挙で選ばれた12人の議員と各種職能団体(職能代表制)を通じて間接的に選出される10人の議員、及び行政長官が指名する7人の任命議員で成り立っている。立法会はあらゆる分野での法規定立の責任を負っている。現在のマカオには政党を名乗る政治集団が存在せず、住民は政治目的ごとに社団を組織して議員選挙に参加している。(社団の一覧についてはマカオの政党を参照のこと。)

司法

マカオでは長年、大陸法系ポルトガル法に基いた司法制度が運用されてきたが、中国返還後も継続している。返還に際して制定されたマカオ基本法は、中国中央人民政府が澳門特別行政府に対して自治権および一部の対外事務につき、これらを授権する旨規定された。これによりマカオは将来も「中國澳門」名義により外交的行為を行い、広汎な裁量権に基づいた地方自治は継続する。

三審制であり、第一審は初級法院と行政法院がマカオ域内のほぼ全域を管轄している。中級法院(控訴裁判所)は五名の裁判官、終審法院(CFA)は三名の裁判官により構成される。陪審制が規定されているが、実例はない。裁判官は選出委員会が選出し、行政長官が指名する。なお、マカオには死刑制度は存在しない。

1991年以前、マカオはポルトガルの司法管轄区分によるものとして、リスボン地方裁判所管区の支部として運用されていた。

マカオのスカイライン
マカオのスカイライン

軍事

人民解放軍駐マカオ部隊

経済

世界銀行の統計によると、2015年のマカオのGDPは461億ドル(約5兆円)である。一人あたりのGDPは世界屈指であり(2013年はカタールを超えて世界一でもあった)、また税収も非常に潤沢であるため、マカオ市民には一人あたり毎年約10万円相当の現金給付が行われ、また教育、医療費は無料であり、平均寿命は世界でも最も高い部類に入る。

通貨

域内の法定通貨は大西洋銀行及び中国銀行マカオ分行(1995年より)が発券するマカオ・パタカであるが、流通通貨の相当部分は香港ドルである。パタカの発券に際しては1香港ドル=1.03パタカ(1983年より)と香港ドルにペッグされており、香港ドルは米ドルペッグされているので、米ドルにペッグされているのと実質同等となっている。1香港ドル=1.03パタカと、パタカがわずかに価値が低いが、ほとんどの店では等価に扱われたり、流通レート以上に値上げされることがある。

なお、香港ドルで支払っても釣り銭はパタカで返ってくることがある。香港ドル硬貨はマカオ内の自動販売機などでも使用が可能ではあるが、タクシーなどでは1香港ドル未満の硬貨は受け取りを拒否されることがある。逆にパタカを香港での支払いに使うことはできない。

産業

マカオの経済はギャンブルを含む観光産業と織物や衣類、花火の生産に大きく依存しているが、多角化に努めた結果、小規模ながら玩具造花、電子機器の製造も始まった。

織物や衣類は輸出金額のおよそ4分の3を占めているが、GDPに占める製造業の割合は5%程度であり、GDPの40%~60%程度(さらにホテル、飲食業が5%程度)、政府歳入の80%程度はギャンブルに依拠している。

観光とギャンブル

カジノ「グランド・リスボア」、「リズボア」、「ウィン・マカオ」
コタイ・ストリップに建築中のカジノホテル群

2000年には800万人を越える観光客がマカオを訪れた。近年では、中華人民共和国本土からの訪問客が成長を押し上げる主な要因になっているが、香港からの観光客が現在でも最も多い他、台湾・日本をはじめとしたアジア各国・地域からの観光客がそれに続く。世界最大のカジノ設備が集客に貢献しているのは確かであるが、その他にも、世界遺産に登録されたマカオ歴史地区や、東西を融合した独特の食文化、また、カジノに隣接するブランド品の直営店など、ギャンブル以外の観光資源にも恵まれている。

なお、返還直前の1998年頃には経済の暗黒面である暴力団(黑社會)(マフィアギャング)の抗争により治安の悪化が伝えられたが、観光産業はそれほど影響を受けなかった。

2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまでスタンレー・ホー経営の「マカオ旅遊娯楽有限公司(Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A. STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・マカオ(銀河娯楽場)」社とアメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放した。

このことが功を奏し外国からの投資が急増し、2009年5月現在、「ホテル・リスボア(Lisboa、葡京娯楽場)」、「グランド・リスボア(Grand Lisboa、新葡京)」、「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/10/16 22:13

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