このキーワード
友達に教える
URLをコピー

マギル大学とは?

【大学設置】
1829年
【創立】
1821年
【学校種別】
公立
【設置者】
王立学術振興協会
【本部所在地】
ケベック州モントリオール
【学生数】
31,081、40,036
【キャンパス】
メイン(ダウンタウン)
マクドナルド
【学部】
医学部、歯学部、工学部、法学部、経営学部 (Desautels)、理学部、音楽院 (Schulich)、教養学部、教育学部、農学・環境学部、神学部、生涯学習センター、等
【研究科】
教養大学院、経営大学院、
工学大学院、法学大学院、
医学大学院等
【ウェブサイト】
http://www.mcgill.ca

マギル大学(英語: McGill University)は、ケベック州モントリオールに本部を置くカナダ公立大学である。1829年に設置された。

1821年にイギリス国王ジョージ4世勅許によって創立されたカナダで最も歴史ある大学であり、国内有数の名門校の一つである。世界大学ランキングでも常にトップランクに位置づけられている。大学名は創立者のジェームス・マギルに由来する。ジェームスはスコットランド出身のモントリオールの商人であり、マギル大学の前身であるマギル・カレッジは1813年に死去した彼の遺産によって設立された。

概要

キャンパス

マギル大学のメインキャンパス(本校舎)はモントリオールのモンロワヤルの麓に位置する。2番目のキャンパスも同じモントリオール島にあり、本校舎の西およそ30km、サンタンドゥベルヴュー地区(en)の緑豊かな場所にある。学術ユニットは全11に分かれ、学部・専門大学の中に位置付けられる。この大学はアメリカ合衆国外にありながら、アメリカ大学協会の会員校である。また、マギル大学は世界経済フォーラムで組織された世界のトップ大学26校からなる国際大学リーダーズフォーラム(en)においてはカナダ唯一のメンバーである。

学位とディプロマ

300を超える学術分野において学位ディプロマを授与しているが、入学基準は非常に厳しい。特に大学を代表する看板学部である医学部と法学部の門は極めて狭く、過去10年の統計に見る平均合格率は医学部で7.21%、法学部で8.82%である。医学部は最初に設置され、また法学部とともに、国内で最も歴史が長い。学費はケベック州民、ケベック外カナダ国民、留学生で異なり、また学部間でも様々である。奨学金は潤沢ではあるものの競争が激しく、国内の他の高等教育機関と比べても獲得は至難である。

卒業生

12名のノーベル賞受賞者、142名のローズ奨学金獲得者を輩出している。これは両方ともカナダ国内で最も数が多い。そのほか、3名の宇宙飛行士、3名のカナダ首相、13名のカナダ最高裁判所裁判官、4名の外国首脳、28名の外国大使、その他、各賞の受賞者はアカデミー賞9名、グラミー賞11名、ピュリッツァー賞3名、さらに28名のオリンピックメダリストを数える。加えてその長い歴史上、卒業生はアメリカンフットボールバスケットボールアイスホッケーの発明や初期の体系化にも貢献してきた。卒業生が設立した主要な大学とカレッジには、例えばブリティッシュコロンビア大学ヴィクトリア大学アルバータ大学ウェスタンオンタリオ大学シューリック医歯学部(en)、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部(en)、ドーソン・カレッジがある。

経営学大学院 (Desautels Faculty of Management) は、東京都新宿区で週末集中講義による「マギル大学ジャパン 経営学修士課程(MBA)日本プログラム」を開講している。

歴史

王立学術振興協会

王立学術振興協会(Royal Institution for the Advancement of Learning: RIAL)はローワー・カナダ立法議会(en)による「州内無料教育機関の設立及び学術振興に関する法」(en)に基づき1801年に創立された。

1816年、RIALはケベックシティーとモントリオールで新たな王立グラマースクールを2校運営する権限を与えられた。この権限付与は、この大学の前身が1807年の「学区公立学校法」(the District Public Schools Act of 1807)により教育予算と教員給与の補助を受けて創立されたのと同様に、ローワー・カナダにおける公共教育の転換期であり、特定宗派に属さない教育機関を設立する重要な第一歩であった。1813年にジェームス・マギルが死去すると、遺産はRIALの管理に託されている。

1846年に初期の王立グラマースクールの2校が閉鎖され、直轄のグラマースクール82校についても19世紀半ばまでにRIALの権限は失われた。唯一、RIALに残された業務はジェームス・マギルの遺産を管理し、私立カレッジ補助に充てることであった。RIALは現存し、マギル大学の運営や、マクドナルド・カレッジ(現在のマクドナルド・キャンパス)、モントリオール神経学研究所(en)、ロイヤル・ヴィクトリア・カレッジ(旧女子大学を現在はマギル大学の学生宿舎に転用)といった多様な附属機関ならびに同大学の構成機関のコーポレートアイデンティティとなっている。ジョージ4世の勅許が1852年に改定されたため、RIAL評議員はマギル大学理事により構成されている。

マギル・カレッジ

ジェームス・マギルの肖像。マギル大学創立者

ジェームス・マギルは1744年10月4日にスコットランドグラスゴーに生まれた。1756年にグラスゴー大学に入学、のちにケベック州で商人として成功を収める。資産は1811年から1813年の時期に作成した遺言状により、王立学術振興協会(RIAL)に対して「バーンサイド・エステート」(Burnside estate)ならびに19ヘクタールの田園地、1万ポンドを譲渡すると決めている。

1813年12月、マギルが死去する。RIALはその設立当初の業務であるローワー・カナダ(en)の初等教育管理に加え、マギルの遺言に基づき、大学を設立することとなった。

遺産受贈の条件として、土地と資金は「当該州における教育目的及び学術振興のために大学またはカレッジ」の設立に充当する必要があった。また遺言状には学校に遺贈者の名前を冠するよう求めがあり、これらを死後10年以内に実施するか、さもなければ相続権は妻の相続人に移るとあった。

1821年3月31日、妻の相続人であるデリヴィエール家(Desrivières)との長い法廷闘争の後、マギル・カレッジは大学への昇格についてジョージ4世より勅許を受ける。その勅許状に「学位授与を条件として、カレッジは大学とする」と記載されていた。

カレッジから大学へ

キャンパス拡張

学内で最も古いアーツ棟。1843年完成。ジョン・オステル(en)設計。

マギル・カレッジは1821年に勅許を受けたが、1823年に設立されたモントリオール医学研究所(en)が学内初の学術機関となるものの、1829年まで活動はなく、同年、カナダ初の医学部となる。医学部は1833年に医学博士の第1号(Doctor of Medicine and Surgery)、すなわちカナダ初の医学学位保持者を輩出する。

医学部は、1843年に教養学部が新築のアーツ棟(Arts Building)と東翼のドーソンホール(Dawson Hall)で教授を開始するまで、唯一カレッジで機能していた学部である。

マギル大学は歴史的にカナダ近衛兵団(en)とも強いつながりがある。ジェームス・マギルがその軍事連隊の中佐を務めたこと、その階級はアーツ棟前にある記念碑に刻印されていることから、毎年、戦没者追悼記念日に行進をするカナダ近衛兵団は、その石碑を出発地点としている。

法学部は1848年に設置された。これはカナダで初めて設置された法学教育に関する学部である。創設から48年、法学部棟が大学構内に建設された。

学長職(1855-1893)についたジョン・ウイリアム・ドーソン卿。

1855年から1893年にマギル・カレッジの学長であったジョン・ウイリアム・ドーソン卿(Sir John William Dawson)はカレッジを近代の大学に成長させた。ドーソン学長はモントリオールの富豪たちから援助を募り、キャンパス内の建築物の建設に必要な資産や資金を受贈した。寄付者の名前はキャンパス内の主要な建物の多くに刻まれている。

1861年、ウイリアム・スピア(William Spier)は、ウイリアム・モルソン(William Molson)のために、アーツ棟に西翼増築を設計した。1888年、アレクサンダー・フランシス・ダンロップ(en)は、ボヴィ教授(Prof. Bovey)と理学部(Science Dept.)のために、マギル・カレッジの東翼(現在はマギル大学のアーツ棟と呼ばれている)の主な改築を設計した。キャンパスの拡張は1920年まで続いた。アンドリュー・テイラー(Andrew Taylor)によって設計された建築物は、レッドパス博物館(Redpath Museum:1880年)、マクドナルド物理学研究棟(Macdonald Physics Building:1893年)、レッドパス図書館(Redpath Library:1893年)、マクドナルド化学研究棟( Macdonald Chemistry Building:1896年)、マクドナルド工学研究棟(Macdonald Engineering Building:1907年。現在はマクドナルド・スチュワート図書館(Macdonald-Stewart Library Building))、ストラスコーナ医学研究棟(Strathcona Medical Building:1907年。現在はストラスコーナ解剖学・歯学研究棟(Strathcona Anatomy and Dentistry Building))がある。

1900年、マギル大学はマクレナン巡回図書館(MacLennan Travelling Library)を設立した。「マギル大学ワルツ」(McGill University Waltz)はフランセ・C・ロビンソン(Frances C. Robinson)によって作曲された。

1885年、大学の理事会は、公式に大学名を「マギル大学」(McGill University)とする採決をした。1905年、マギル大学の主要な寄付者であったウイリアム・C・マクドナルド卿(en)からカレッジを受贈する。所在地はモントリオールの西32km、サンタンドゥベルヴュー地区のマクドナルド・カレッジ(Macdonald College)と呼ばれており、現在のマクドナルドキャンパス(enである。1907年にマギル大学の学生を受け入れた当時は、農学と家政学、教育学を教えた(として知られている)。

ジョージ・アレン・ロス(George Allan Ross)は1922–23年に病理学棟を設計し、1933年に神経学研究所、1938年に神経学研究所附属棟を手がける。ジャン・ジュリアン・ペロー(Jean Julien Perrault)がチャールズ・E・グラヴェル(Charles E. Gravel)の依頼を受けて1934年に設計したマクタヴィッシュ通り(en)のレジデンスは、現在、デヴィッド・トンプソン・ハウスと呼ばれている。

女性教育

マギル大学における女性教育は1884年に始まった。ストラスコーナ卿(Lord Strathcona)として知られるドナルド・スミス(Donald Smith)が、大学教員によって行われる女学生への講義のための資金を提供し始めた。1888年、マギル大学は女性に初めて学位を授与した。1889年、ロイヤル・ヴィクトリア・カレッジ(Royal Victoria College: RVC)が寄宿制の女子大学として開校され、ヒルダ・D・オークレー(Hilda D. Oakeley)が初代学長に就任した。1970年代まで、すべての女子学部生は、「ドナルダズ」(Donaldas)と知られ、RVCのメンバーとされた。2010年秋期初旬、RVCの新タワー部は男女共用宿舎となったが、RVCのウェストウィングは女子専用の堅持している。タワーもウェストウィングも大学の寄宿システムの一部を形成している。私達は、ログイン

第一次世界大戦時におけるマギル大学

第一次世界大戦時、マギル大学は重要な役割を担った。1914年、国中を席巻した愛国心の高まりの中で、多くの学生や卒業生は兵役に志願した。しかし、イーペル(Ypres)で大量のカナダ人戦死者が出た後、1915年の春、カナダ連隊の創始者でモントリオールの富裕実業家であったハミルトン・ゴールト(Hamilton Gault)は深刻な隊員不足に直面した。彼は在宅の友人に支援を働きかけ、200名以上が兵卒から昇進し、戦争中より多くが兵士として従事した。戦後にカナダに帰還したジョージ・マクドナルド少佐およびジョージ・キューリ少佐(Major George McDonald and Major George Currie)はマクドナルド・キューリ会計事務所を立ち上げ、それはのちにプライスウォーターハウスクーパース(Price Waterhouse Coopers)の創立メンバーの一つとなった。パーシヴァル・モルソン大佐(Captain Percival Molson)は1917年に戦死した。マギル大学のパーシヴァル・モルソン記念スタジアム(Percival Molson Memorial Stadium)は彼の栄誉から名づけられた。

戦争記念館(War Memorial Hall)はマギル大学キャンパスのランドマークである。慰霊式典においてカナダ総督(ハロルド・アレグザンダー(初代チュニスのアレグザンダー伯爵))が記念館の定礎石を置いた。1946年10月6日、戦争記念館と隣接する記念プールに、第一次・第二次世界大戦で志願して戦死した誉れ高き学生たちに捧げられた。戦争記念館には、チャールズ・ウイリアム・ケルシー(Charles William Kelsey)によって作成された第一次世界大戦と第二次世界大戦の連隊章を型取った2枚のステンドグラスがある。

ブラッカダー・ロターマン建築学芸術学図書館の入り口ホールを飾る戦争記念ステンドグラス

また、チャールズ・ウイリアム・ケルシーによって大天使ミカエルと陸海空軍の軍章が装飾された一窓(1950年)が戦争記念館にある。ブラッカダー・ロターマン建築学芸術学図書館(Blackader-Lauterman Library of Architecture and Art)のエントランスには聖ジョージと討伐されたドラゴンを描いた第一次世界大戦記念窓があり、第一次世界大戦で命を捧げたデルタ・ユプシロン(Delta Upsilon)マギル支部の23名に捧げたものである。戦争記念館の西壁にあるその他6枚の窓は、チャールズ・ウイリアム・ケルシーよって、マギルの卒業生がメンバーであった連隊の紋章が描かれている(1951年)。

大理石の上に置かれているカナダのリメンバランス・ブック(Book of Remembrance)には両世界大戦での戦没者の名前が書かれている。2012年11月11日、マギル・リメンバーズ(McGill Remembers)というウェブサイトが立ち上がれ、マギル大学世界大戦記事務局が1940から1946年の間、第二次世界大戦のマギル学生、職員、教員に関する文書を収集した。

ユダヤ人学生に対する割り当て

1920年代初めから、続く1960年代まで、マギル大学はユダヤ人新入学生の受入に関して、制限を課していた。その時点まで、マギル大学におけるユダヤ人の割合は大きな比率を占めており、特に教養学部で20%、法学部で40%がユダヤ人であった。ユダヤ人の受入割当はマギル大学全体で最大で10%までと制限した。

MKウルトラ計画

マギル大学の医学施設でMKウルトラ計画の実験が極秘裏に行われていた。MKウルトラ計画とは、アメリカ中央情報局(CIA)科学技術本部がタビストック人間関係研究所と極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネームであり、アメリカとカナダ両国の国民を被験者として、1950年代初頭から少なくとも1960年代末まで行われていたとされる。

他大学・カレッジの創立

マギル大学はいくつかの主要な大学とカレッジの創立に貢献した。マギル大学はバンクーバービクトリアの都市成長拡大のため、ブリティッシュコロンビア州で、学位プログラムを提供する高等教育機関を設立した。1903年にマギル大学の連携短期大学としてビクトリア・カレッジ(Victoria College)を創立し、今日のビクトリア大学になるまで、教養学と科学を学ぶ2年制課程を置いていた。ブリティッシュコロンビア州において初の四年制大学は、マギル大学ブリティッシュコロンビア・カレッジ(McGill University College of British Columbia)として、バンクーバーに1908年に設立された。それは、1915年にブリティッシュコロンビア大学として独立するまで、マギル大学の学位を発行する私立教育機関であった。

ドーソン・カレッジ(Dawson_College)は、第二次世界大戦後に予測される学生流入の受け皿とするため、1945年にマギル大学のサテライトキャンパスとして開校した。多くの学生はドーソン・カレッジの工学部で最初の三年間を履修し、その後2年間、マギル大学のキャンパスで学び、学位課程を修了した。最終的に、ドーソンはマギルから独立し、ケベック州における英語教育のCEGEPとなった。別のCEGEPであるジョン・アボット・カレッジ(John Abbott College)はマギル大学のマクドナルド・カレッジのキャンパスで1971年に設立された。

アルバータ大学の創立者であるアレクサンダー・キャメロン・ラザフォード(en)とヘンリー・マーシャル・トーリー(en)は、両名ともマギル大学の卒業生であり、マギル大学で教えた経験がある。

ウイリアム・オスラー博士とハワード・アットウッド・ケリー博士(en)はアメリカ合衆国メリーランド州ボルティモアジョンズ・ホプキンズ大学医学部(en)の創設者4名の一員で、初期の教員でもあった。オスラーは1889年、ジョンズ・ホプキンズ病院の初代内科部長を拝命する。

1880年代、マギル大学の卒業生から、その他にもウェスタンオンタリオ大学シューリック医歯学部(en)創立者を輩出している。

キャンパス

ダウンタウンキャンパス

モンロワヤル山から見たダウンタウンキャンパス。円柱型の建物が医学部。

マギル大学のメインキャンパスはモントリオール中心街(en)、モンロワヤル(en)の麓にある。キャンパスは北をシャーブルック通り(en 、南をピール通り(en)とエールマー通りを結ぶピン通り(en)に囲まれ、校舎のほとんどは公園のような構内にある。キャンパスはまたドクターペンフィールド通り(Doctor Penfield)北側からピール通り西側の数ブロック先に医学部棟と法学部棟を置き、加えて、パーシヴァル・モルソン記念スタジアム(en)とモントリオール神経学研究所附属病院(en)があるピン通り北側からユニバーシティ通り(en)東側の地区まで広がる。学生が数多く住むのはユニバーシティ通り西側とピン通り南側の地区で通称「マギル・ゲットー」(en)として有名である。ダウンタウンキャンパスの最寄り駅はピール駅(en)とマギル駅(en)である。ダウンタウンの目抜き通りはマギル・カレッジ通り(en)と呼ばれ、大学正門ロディック・ゲート(en)に通じている。

大学の主要な建物は統一感を出すため、すべて灰色の石灰岩で建てられている。

Schulich 科学工学図書館

マギル大学の初めての授業はジェームス・マギルの故郷、バーンサイド・プレイス(Burnside Place)で行われた。この町の1840年代唯一の教育施設であり、この時期以降、校舎の建設が続く。アーツ棟の中央部と東翼は、その最初の建物である。キャンパスの敷地の残りは主に牧草地のままで、他のカナダの大学、あるいはアメリカの初期のカレッジも同様であった。

パーシヴァル・モルソン記念スタジアムを含むマギル大学の運動施設はモンロワヤルにあり、レジデンスホールやモントリオール神経学研究所に隣接している。体育館はアーサー・ウイリアム・キューリ大将(General Sir Arthur William Currie)の名誉から、アーサー・キューリ卿記念体育館という名である。

2012年、アメリカの大手旅行雑誌「トラベル・アンド・レジャー」(Travel + Leisure)は世界で最も美しい大学キャンパス、ベスト17の一つとして、マギル大学のキャンパスを評価した。

学生宿舎

マギル・ゲットー

マギルの学生宿舎には約3100人の学部生と少数の大学院生が暮らしている。「フロア・フェロー」(floor fellows)や「ドン」(dons)と呼ばれる、いわゆる寮生支援者、レジデント・アシスタントとして戻ってくる学生を除き、学部一年目を終えると、学生宿舎「residnece」(口語的に「リズ(rez)」と呼ばれる)に住む学生はほとんどいなくなる。二回生の大多数はキャンパス外に住まいを移す。多くの学生はダウンタウンキャンパスの東に隣接する「マギル・ゲットー」(McGill Ghetto)と言われる地区に住む。近年、学生たちは賃貸料の値上がりから、マイルエンド(Mile End)、プラトー(Plateau)、遠くはヴェルダン(Verdun)といった、ゲットー地区外に移動し始めている。

一回生の多くはビショップ・マウンテン・レジテンス(Bishop Mountain Residences:通称、アッパー・リズ(Upper Rez))に住む。アッパー・リズはモントロイヤルの傾斜面に建てられたコンクリート製の宿舎群のことであり、マッコーネル・ホール(McConnell Hall)、モルソン・ホール(Molson Hall)、ガードナー・ホール(Gardner Hall)、ダグラス・ホール(Douglas Hall)を含む。マギル大学で最も大きな宿舎はニュー・レジデンス・ホール(New Residence Hall:通称、ニュー・リズ(New Rez))で、それは四つ星ホテルを改築したものであり、キャンパスから数ブロック東に離れた、パーク通り(Park Avenue)とプリンスアーサー通り(Prince Arthur)の交差点にある。ライオネルグロウ駅(Lionel-Groulx)近くにあるソリン・ホール(Solin Hall)は二番目に大きな宿舎であり、約300人の学生が住む。シャーブルック東通り475番地にあるカルフール・シャーブルック・レジデンス・ホール(Carrefour Sherbrooke Residence Hall)は、かつてのフォー・ポインツ・シェラトン・ホテル(Four Points Sheraton Hotel)で、2009年にオープンした。2012年、シャーブルック東通りとハッチンソン通り(Hutchinson)の交差点に、ラ・シタデル(La Citadelle)をオープンした。ラ・シタデルはかつてホテルだった場所を改築したもので、286名の学生が住んでいる。

ロイヤル・ヴィクトリア・カレッジ(Royal Victoria College)はかつて女子専用宿舎であったが、2010年9月に男女共用になった。建物のオリジナル部分はブルース・プライス(Bruce Price)によって設計され、増築部分はパーシー・アースキン・ノッブス(Percy Erskine Nobbs)とジョージ・テイラー・ハイド(George Taylor Hyde)によって設計された。ロイヤル・ヴィクトリア・カレッジの目の前には、ルイーズ王女(アーガイル公爵夫人)によって建てられた、彼女の母、ヴィクトリア女王像がある。

マギル大学キャンパス外宿舎には、プレズバイテリアン・カレッジ(Presbyterian College)に隣接するプレズバイテリアン・ホール(Presbyterian Hall:通称、プレリズ(Pres Rez))とモントリオール司教区神学校(Montreal Diocesan Theological College)に隣接するユニバーシティ・ホール(University Hall:通称、ディオ(Dio))がある。グリーンブライヤー・ホール(Greenbriar Hall)には89名の学生が住んでいる。その他のマギル大学キャンパス外宿舎は、ピール通り(Peel Street)、ユニバーシティ通り(University Street)、ピン通り(Pine Avenue}上にあるが、ユニバーシティ・ホールとピン通り沿いのいくつかの宿舎を残して、大学はキャンパス外の宿舎を売却し始めている。

マクドナルドキャンパス

建設作業中のマクドナルドキャンパス。1906年。

サンタンドゥベルヴュー地区(en)にある2番目のキャンパスは、マクドナルドキャンパス(en)である。そこには農学部、栄養学部、環境学部、寄生学研究所(Institute of Parasitology)がある。モーガン植物園(en)とJ・S・マーシャル・ラダー天文観測所(en)が近くにある。

モーガン植物園は1945年に設立された。植物園は面積2.5平方kmにおよび、「授業、研究、公教育」を目的とした森林保護区である。その委任された研究目的は、植物園の農園と森林地の健全性の維持に関わる研究を続けること、発展する環境条件に適合する種の選定にかかわる新たなプログラムを開発すること、天然及び人工ともに生物学上の多様性を保護・促進をさせる林業実務の発展に寄与することである。

マギル大学ヘルスセンター再開発計画

マギル大学ヘルスセンター

2006年、ケベック州政府はマギル大学ヘルスセンター(McGill University Health Centre : MUHC)のため1600万ドルのLEED再開発プロジェクトを開始した。このプロジェクトは、二つに分離したキャンパスの設備を拡張させ、ヴァンドーム駅(Vendôme)に隣接するかつてCPレイルヤード(CP rail yard)の敷地にあるMUHCの種々の病院を統合させることである。グレンヤードとして知られるこの一帯は、17万mあり、モントリオールのノートルダムドゥグラース地区(en)近辺の一部と、ウェストモント市街地(en)にまたがる。

グレンヤードプロジェクトは、プロジェクトに対する地元民の反対、環境問題、プロジェクトそれ自体のコストのために、論争の的となっている。2003年に州政府から承認を得たこのプロジェクトは、2010年に完了する予定であった。新たなキャンパスは完成し、古い病院(例えば、ロイヤル・ヴィクトリア病院(Royal Victoria)、モントリオール小児病院(Montreal Children's)、モントリオール総合病院(Montreal General))から診療所をMUHCに移動する大規模作業が行われている。

環境保護維持活動

2007年、マギル大学は環境保護維持事務局(Office of Sustainability)を設置し、環境保護維持オフィサー(Sustainability Officer)に加え、それに次ぐ常勤の環境保護維持ディレクター(Director of Sustainability)をおいた。環境保護維持が持続可能な開発計画を実施するための最近の取り組みには、LEED-Silver認証を受け、緑の屋根が使用された建設された新しいライフサイエンスセンターや、他の環境保護維持活動プロジェクトの資金にするための2008年1月の駐車料金の引き上げが含まれている。

その他設備

マギル大学のベレアーズ・リサーチ・インスティテュート(en)はバルバドスのセント・ジェームズにあり、カナダ唯一の熱帯にある教育研究施設である。研究所は50年以上も使われている。その設備は研究のためにカナダ宇宙庁によって定期的に利用されている。

ハンツマン海洋科学センター(Huntsman Marine Science Centre: HMS)の研究所はカナダのニューブランズウィック州セント・アンドリューにあり、その敷地はセントクロア川三角江に30万mにわたり広がっている。研究所はアトランティック・リファレンス・センター(Atlantic Reference Centre)を運営しており、その広範な海洋生物学コレクションは、カナダの沿海州(ニューブランズウィック州、ノヴァスコシア州、プリンスエドワードアイランド州)全域で知られている。HMSは「基礎研究と応用研究を通じて海洋科学の発展」に貢献する研究施設であり、マギル大学および他の加盟大学のための研究と教育のフィールド施設として機能している。

マギル大学のゴールト自然保護区(Gault Nature Reserve)は10平方km以上に広がる森林であり、セントローレンス川渓谷の原始林が残された最も大きな森である。その地区での最初の科学的研究は1859年に実施された。この地区は広範囲の研究活動の場であり「今日では400以上の科学記事があり、100以上の大学院論文、50以上の政府報告書、30以上の書籍がモンサンティレール(en)での研究に基づいている」。

マギル大学ヘルスセンターに加えて、この数十年の間、マギル大学は多くの教育病院と直接提携しており、モントリオールの多くの病院と協力をしてきた歴史がある。これらの協力関係により、毎年1000名以上の医療系学生を大学から卒業できている。マギル大学の契約提携教育病院には、モントリオール小児病院(en)、モントリオール総合病院(en)、モントリオール神経科病院(en)、モントリオール呼吸器科病院(en)、ロイヤル・ヴィクトリア病院(en)があり、それらはマギル大学ヘルスセンター(en)を構成している。その他、医療系学生が利用できる病院には、ユダヤ総合病院(en)、ダグラス病院(en)、セント・メリー病院センターがある(en)。

19世紀後半まで、マギル大学はウェストモントサミット(Westmount Summit)の頂上に公園を所有しており、そこは植物園として使われていた。20世紀の初め、マギル大学は、その土地をウェストモント市(City of Westmount)に鳥類保護区にすることを条件として寄付した。

1998年、経営学はMBAジャパンプログラム(MBA Japan)を立ち上げ、それは日本で授与されるカナダの学位プログラムであり、東京の西新宿に校舎がある。

組織とアイデンティティ

学部

マギル大学の主な学部として、農環境学部(Faculty of Agricultural and Environmental Sciences)、教養学部(Faculty of Arts)、歯学部(Faculty of Dentistry)、教育学部(Faculty of Education)、工学部(Faculty of Engineering)、法学部(Faculty of Law)、経営学部(Desautels Faculty of Management)、医学部(Faculty of Medicine)、宗教学部(Faculty of Religious Studies)、理学部(Faculty of Science)、音楽院(Schulich School of Music)、生涯学習スクール(School of Continuing Studies)、建築学部(School of Architecture)、コンピュータサイエンス学部(School of Computer Science)、情報学部(School of Information Studies)、栄養学部(School of Dietetics and Human Nutrition)、理学・作業療法学部(School of Physical & Occupational Therapy)、看護学部(Ingram School of Nursing)、社会福祉学部(School of Social Work)、都市計画学部(School of Urban Planning)、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/05/30 05:04

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「マギル大学」の意味を投稿しよう
「マギル大学」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

マギル大学スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「マギル大学」のスレッドを作成する
マギル大学の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail