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マサチューセッツ州とは?

マサチューセッツ州
Commonwealth of Massachusetts



(州旗) | (州章)
州の愛称: 入り江の州
Bay State
州都
ボストン
【最大の都市】
ボストン
【州知事】
チャーリー・ベイカー
公用語
不文律:英語
面積
- 総計
- 陸地
- 水域 全米第44位
27,336 km²
20,306 km²
7,031 km² (25.7%)
人口(2010年)
- 総計
- 人口密度 全米第14位
6,547,629
312.7人/km²
【合衆国加入
- 順番
- 加入年月日】

6番目
1788年2月6日
時間帯
UTC -5
DST -4
緯度
北緯41°14' - 42°53'
経度
西経69°56' - 73°30'
【東西の幅】
295 km
【南北の長さ】
182 km
標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
1,063 m
150 m
0 m
【略称 (ISO 3166-2:US)】
US-MA
【ウェブサイト】
マサチューセッツ州政府
【上院議員】
エリザベス・ウォーレン
エド・マーキー

マサチューセッツ州(: Commonwealth of Massachusetts[ˌmæsəˈsɪts] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国であり、北東部ニューイングランド6州の1つでもある。マサチューセッツ州は「州」(State) の代わりにコモンウェルスを使っているが、日本語では他州と同様に「州」と訳されている。2010年度の人口は 6,547,629 人。

南はロードアイランド州コネチカット州、西はニューヨーク州、北はバーモント州ニューハンプシャー州に接している。東は大西洋である。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第44位、人口では第14位、人口密度が第3位である。東部のボストン大都市圏と、西部のスプリングフィールド大都市圏という2つの中心地がある。人口の約3分の2はボストン大都市圏に住んでいる。州都はボストン市であり、人口最大の都市でもある。ボストン大都市圏には、ハーバード大学マサチューセッツ工科大学などがあるケンブリッジサマービルクインシーなどの市町が含まれている。

マサチューセッツ州はアメリカ史の中で各分野にわたって重要な役割を演じてきた。1620年、メイフラワー号の乗船客ピルグリムによって、プリマス植民地が設立された。1636年に設立されたハーバード大学は国内最古の高等教育機関である。1692年、セイラムとその周辺ではセイラム魔女裁判と呼ばれる忌まわしい事件が起こった。18世紀、大西洋圏を席捲したプロテスタント第一次大覚醒運動は、ノーサンプトンの説教師ジョナサン・エドワーズに端を発していた。18世紀後半には、アメリカ独立戦争イギリスからの独立に繋がる扇動によって、ボストンは「自由の揺籃」とも呼ばれた。1777年にヘンリー・ノックス将軍が設立したスプリングフィールド造兵廠は、産業革命の時代に交換部品など多くの重要な技術進歩を促進した。1786年、州西部の農夫によるポピュリスト革命、シェイズの反乱が直接アメリカ合衆国憲法制定会議の開催に繋がる要因になった。

南北戦争以前の時代には、禁酒運動、超越論的思想、奴隷制度廃止運動の中心になった。1837年、コネチカット川バレーのサウスハドリーの町に、国内初の女子カレッジであるマウント・ホリヨーク大学が開校した。19世紀、州西部の都市、スプリングフィールドとホリヨークでバスケットボールバレーボールが発明された。2004年、州最高裁判所の判決により、国内で初めて同性結婚を法律で認める州になった。州内からはアダムズ家やケネディ家など多くの著名政治家を輩出してきた。

マサチューセッツ州は当初漁業、農業、貿易業に依存していたが、産業革命の間に工業の中心に変わった。20世紀にはその経済が工業からサービス業に転換された。21世紀には、高等教育、医療技術、ハイテクと金融業で指導的存在である。

【家庭で話される言語(マサチューセッツ州) 2010】

 |  |  |  | 
英語 | 
 | 78.93%
スペイン語 | 
 | 7.50%
ポルトガル語 | 
 | 2.97%
【人種構成(マサチューセッツ州) 2010】

 |  |  |  | 
白人 | 
 | 76.1%
ヒスパニック | 
 | 9.6%
黒人 | 
 | 6.6%
アジア系 | 
 | 5.3%
インディアン | 
 | 0.3%
混血 | 
 | 2.6%

目次

  • 1 歴史
    • 1.1 名称
    • 1.2 インディアン
    • 1.3 マサチューセッツ湾植民地時代(1629年-1686年)
    • 1.4 英領ニューイングランド(1686年-1692年)
    • 1.5 英領植民地マサチューセッツ(1692年-1774年)
    • 1.6 植民地独立へ(1760年代-1780年代)
    • 1.7 マサチューセッツ州初期(1780年-1820年)
    • 1.8 19世紀
    • 1.9 20世紀
    • 1.10 近年
  • 2 地理
    • 2.1 生態系
  • 3 人口動勢
    • 3.1 人口
    • 3.2 人種及び祖先
    • 3.3 宗教
  • 4 インディアン部族
    • 4.1 インディアン・カジノ
  • 5 郡、都市と町
  • 6 法律及び行政
    • 6.1 州政府
    • 6.2 政治
    • 6.3 州法
  • 7 経済
    • 7.1 主な会社など
    • 7.2 税
    • 7.3 エネルギー
  • 8 交通
    • 8.1 鉄道
    • 8.2 地域交通
    • 8.3 空港
    • 8.4 道路
  • 9 教育
    • 9.1 主な高等教育機関の一覧
    • 9.2 ボーディングスクール
    • 9.3 公立学校
  • 10 芸術・文化
    • 10.1 美術館・博物館
    • 10.2 オーケストラなど
    • 10.3 スポーツチーム
  • 11 その他
    • 11.1 同州出身の有名人
    • 11.2 州の象徴など
    • 11.3 姉妹州
    • 11.4 日本の姉妹都市
  • 12 脚注
  • 13 参考文献
    • 13.1 概論と研究
    • 13.2 二次史料
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

歴史

詳細は「マサチューセッツ州の歴史」を参照
マサチューセッツ州の主要道路と都市。

名称

マサチューセッツ州の前身マサチューセッツ湾植民地の名称はかつてマサチューセッツ湾の周辺に居住していたインディアン部族、マサチューセッツ族にちなむ。この部族の名はマサチューセット語で「大きな丘の場所」を意味し、ボストンの南のミルトンとカントンの間にある小さな山(今日の「ブルー・ヒルズ」)を指している。mass-adchu-s-et と綴られ、mass- は 「大きい」、-adchu- は「岡」、-s- は「小さい」を意味する指小辞、-et は場所を表す所格である。

別の説として、クインシーにあるモスウィタセット・ハンモック(鏃のような形の岡という意味)の名前から派生したとするものがある。ここで1621年に、プリマス植民地の指導者マイルス・スタンディッシュと通訳のスカントが、インディアンの酋長チカトーバットと出遭った。

州の公式名は "Commonwealth of Massachusetts" であり、口語では単純に "Commonwealth" と呼ばれることが多い。その意味合いで "State" との違いは無く、他州と同じ位置づけと権限がある。

インディアン

マサチューセッツ州となった地域に住んでいたのは、ワンパノアグ族、ナラガンセット族、ニプマク族、ポコンタック族、モヒカン族マサチューセッツ族など、アルゴンキン語族だった。その食料を補うためにカボチャやトウモロコシを栽培する一方で、狩猟漁労採集に依存していた。集落はウィグワムやロングハウスと呼ばれる小屋の集まりだった。サッチェムと呼ばれる男あるいは女の長老が部族を率いていた。

マサチューセッツ湾植民地時代(1629年-1686年)

プリマス港のメイフラワー号、ウィリアム・ハルシャル画、1882年。ピルグリムは1620年にプリマス植民地を設立したピューリタンの集団だった。

1600年代初期、アメリカ合衆国北東部のインディアンは、天然痘麻疹インフルエンザレプトスピラ症など免疫力の無かった疫病によって、大きく人口を減らした。1617年から1619年に、マサチューセッツ湾のインディアンの90%が天然痘で殺されたと報告されている。

1620年メイフラワー号北アメリカに到着したピルグリム・ファーザーズプリマス植民地に入植した。彼等はワンパノアグ族インディアンと良好な関係を築いた。北アメリカではジェームズタウンに続いてイングランド人による2つめの植民地になった。その後に他の清教徒たちも続き、1630年にはボストンにマサチューセッツ湾植民地が建設された。

ピューリタンはイングランド国教会に不満があり、中でも聖職階級制に拘りすぎていると考え、信教の自由を求めてマサチューセッツに来ていた。ただし、プリマス植民地とは異なり、マサチューセッツ湾植民地は王室勅許の下に設立された。清教徒たちは信仰の自由を求めてマサチューセッツに来たものの、彼らは異なる教義に寛容ではなかった。そのため、アン・ハッチンソンロジャー・ウィリアムズトマス・フッカーらはマサチューセッツを離れ、南に向かった。ウィリアムズはロードアイランド植民地を建て、フッカーはコネチカット植民地を建てた。

フィリップ王戦争(1675年 - 1676年)は植民地時代初期におけるワンパノアグ族を中心としたインディアンとの戦いで最も血なまぐさいものとなり、コネチカット川流域のパイオニアバレイとプリマス植民地でも大きな戦闘があった。ニューイングランド南部の諸植民地がこの戦いの傷から立ち直るのには長い年月を要した。

英領ニューイングランド(1686年-1692年)

1686年5月、ジョセフ・ダドリーがイギリス王ジェームズ2世によりニューイングランドの長官に任命され、マサチューセッツ湾植民地は終わりを迎えた。ダドリーはその後、ニューハンプシャー植民地とキングズプロビンス(今日のロードアイランド州の一部)に本拠を置いた。エドマンド・アンドロス卿が到着してニューイングランド自治領の総督に就任すると、ダドリーはアンドロス総督の議会の一員となった。

1689年ウィリアム3世メアリ2世のイギリス国王即位の知らせに、ボストン入植者たちは反乱をおこした。アンドロス卿と彼の部下たちはキャッスル島で拘束され、囚人としてイギリス本土に送還された。アンドロス卿は謀反の疑いが晴れたあと、1692年から1698年までバージニア植民地の知事を務めている。

1691年、マサチューセッツ湾植民地とプリマス植民地は合併して、新たにマサチューセッツ湾植民地となった。その植民地初代総督ウィリアム・フィップスが到着して直後の1692年セイラム魔女裁判事件が起こり、多くの男女が絞首刑にされた。

英領植民地マサチューセッツ(1692年-1774年)

この時代の著名な総督は、トマス・ハッチンソンフランシス・バーナード卿およびトマス・ゲイジなどである。ゲイジは英領マサチューセッツの最後の総督となった。

1755年、ニューイングランドでは最大級の地震が発生し、マサチューセッツ全土にかなりの被害を生じさせた。

植民地独立へ(1760年代-1780年代)

レキシントン・コンコードの戦いを描いたイラストEarl, Ralph; Doolittle, Amos (1775年). パーシーのレキシントン救出

マサチューセッツはイギリスによる支配に最初に反旗を翻した植民地としてアメリカ独立戦争を扇動した。1775年2月9日、英国議会はマサチューセッツは反乱していると宣言し、植民地秩序回復のため追加の軍隊を送った。

1770年3月5日、フレイミングハムからボストンを訪れていた黒人のクリスパス・アタックスらがボストン虐殺事件として知られる武力衝突で英軍兵士に殺された。アタックスはしばしばアメリカ独立戦争最初の犠牲者と考えられている。

1773年12月16日にはボストン茶会事件が起こった。

サミュエル・アダムズジョン・ハンコックなどによるイギリスの議会に反対する活動があり、これに対してイギリス政府が反発したことで、13植民地が結束することとなり、アメリカ独立戦争勃発に繋がっていった。

レキシントン・コンコードの戦いバンカーヒルの戦いボストン包囲戦を含むアメリカ独立戦争初期の戦いのいくつかはマサチューセッツで起こった。1776年春にイギリス軍がそれまで占領していたボストン市を明け渡した。ボストン市のあるサフォーク郡では現在も開放の日が祝われている。

この戦中にセイラムは私掠船活動の中心地となった。文書は不完全ながら、約1,700通の私掠免許状が発行された。800隻近い船舶が私掠船として活動し、約600隻のイギリス船舶を捕獲あるいは破壊したとされている。

マサチューセッツ州初期(1780年-1820年)

ボストン出身のジョン・アダムズは「独立のアトラス」とも呼ばれ、独立闘争とアメリカ合衆国形成期に重要な役割を果たした。アダムズは1780年にマサチューセッツ憲法を起草した。この憲法は普遍的な権利を宣言し、奴隷制度を廃止した最初のものとされている。後にアダムズはアメリカ初期の外交問題に関わり、ジョージ・ワシントンの後継大統領になった。その息子のジョン・クインシー・アダムズも第6代大統領になった。

ジョン・ハンコックがマサチューセッツ州初代知事となった。

独立後のアメリカ合衆国政府形成期だった1786年から1787年に、州西部でシェイズの反乱と呼ばれる武装蜂起が起こった。この反乱に参加したのは戦争の負債と税金に憤った小農が大半だった。これを切っ掛けにそれまでの連合規約に代わる強力な国家憲法を立案する必要があるという判断がなされた。

アメリカ合衆国憲法1787年の憲法制定会議で制定され、翌年発効した。1788年2月8日、マサチューセッツはアメリカで6番目にこの憲法を批准した。

1790年の人口調査によれば、マサチューセッツには奴隷は全くいなかったという。

米英戦争(1812年-1815年)の時に私掠船が復活した。

1820年3月15日、ミズーリ妥協の結果として、メイン地区はマサチューセッツから分離し、独立した23番目のとして合衆国に加わった。

19世紀

ローウェルにある繊維工場、マサチューセッツ州はアメリカ産業革命の先導役になった。

19世紀、マサチューセッツ州はアメリカ産業革命の先導役になった。ボストン周辺の工場では繊維と靴、スプリングフィールド周辺では工具と紙が生産された。農業に依存していた経済は工業依存に転換され、当初は水力を使っていたものが蒸気の力を生かすようになり、運河さらに後には鉄道が製品の輸送形態を変えた。その労働力として最初は自給自足農家からヤンキーを雇っていたが、後にはヨーロッパやカナダからの移民に頼るようになった。

南北戦争に向かう時代、マサチューセッツ州は進歩主義と奴隷制度廃止運動の中心になった。ホーレス・マンが州の教育体系を作り、国のモデルになった。ヘンリー・デイヴィッド・ソローラルフ・ウォルド・エマーソンがアメリカの思想界を形作った。超越論的思想運動員が自然界の重要性と人間性を訴えた。

マサチューセッツ州では奴隷制度廃止運動にかなりの反対の声もあり、1835年から1837年には暴動も起こったが、その後は奴隷制度に反対する動きが次第に高まっていった。運動家の働きが南北戦争の間に採った州の行動に反映された。白人士官の下に黒人連隊を組織し、訓練し、武装させた最初の州になった。ボストンコモンにあるロバート・グールド・ショー記念碑には、この第54マサチューセッツ志願歩兵連隊を表す浮き彫りが収められている。

20世紀

ボストン市のチャールズ川に架かる「ビッグ・ディッグ」の建設現場。

20世紀初期に多くの製造業がマサチューセッツ州を離れ、工業経済は衰退を始めた。1920年代までにアメリカ合衆国南部中西部との競合があり、これに続いて世界恐慌が発生したことで、マサチューセッツ州における3大産業の繊維、靴製造、輸送が崩壊した。この衰退は20世紀後半に入っても続き、1950年から1979年の間に、繊維産業に関わる州民の数は264,000人から63,000人にまで激減した。20世紀後半の40年間における脱工業化により、州西部の高給を取る職種の者が出て行った 。

第二次世界大戦のとき、州内では軍需産業生産高の3.4%を製造し、48州の中で第10位だった。戦後、州東部では経済が重工業からサービス業とハイテク産業に移っていった。政府調達、民間投資、研究施設が新しく改善された産業構造を作り、失業率を下げ、一人当たり収入を上げた。郊外化が進行し、1970年代にはマサチューセッツ州道128号線沿いにハイテク企業が点在し、高等教育機関の中でも優秀な大学を卒業した者を多く採用した。

20世紀のマサチューセッツ州政界ではケネディ家が特筆される存在だった。実業家と外交官であるジョセフ・P・ケネディ・シニアの子供達には、上院議員とアメリカ合衆国大統領を務め、1963年に暗殺されたジョン・F・ケネディ、上院議員、司法長官を歴任し大統領候補となっていた1968年に暗殺されたロバート・ケネディ、1962年からその死の2009年まで上院議員を務めたテッド・ケネディ、またスペシャルオリンピックスの共同設立者となったユーニス・ケネディ・シュライバーがいた。有名なケネディ・コンパウンドはケープコッドのハイアニスポートにある。

近年

1987年、マサチューセッツ州はセントラル・アーテリー/トンネルプロジェクトに州の予算手当を受けた。「ビッグ・ディッグ」と呼ばれるこのプロジェクトは当時、連邦政府でも最大級の道路建設工事となった。このプロジェクトはボストン市中心街の地下に中心動脈となるトンネルを造り、他の主要高規格道路を再配置するものだった。この工事には異論もあり、汚職や管理ミスも指摘され、工事費は当初の25億米ドルから150億米ドルにまで膨らんだが、それでもボストン市中心街の様相を一変させて完成した。かつては高架道路で分断されていた地域を繋ぎ、接続道路の交通状況を改善した。

2003年11月にマサチューセッツ州最高裁判所で、一般の結婚の権利から同性結婚を除外することは違憲であるとの判決が下り、2004年5月17日、マサチューセッツ州は国内で初めて同性結婚を法律で認める州になった。

地理

主要記事:マサチューセッツ州の地理

マサチューセッツ州は総面積10,555平方マイル (27,340 km) と、国内50州の中で7番目に小さな州であり、アメリカ合衆国北東部のニューイングランド地方に位置している。

マサチューセッツ州はニューハンプシャー州及びバーモント州で北部、ニューヨーク州で西部、コネチカット州及びロードアイランド州で南部、並びに大西洋が東部と隣接している。マサチューセッツ州の南東部端はケープコッドと呼ばれる大きな、砂質の、ひじを曲げた腕のような形状の半島である。マーサズ・ヴィニヤード島及びナンタケット島はケープコッドの南に位置している。

マサチューセッツ州は、州の東部海岸にあるマサチューセッツ湾及びケープコッド湾、並びに南部のバザーズ湾、マサチューセッツ州 – ロードアイランド州境のナラガンセット湾など複数の大きなを持つために「湾の州」として知られている。マサチューセッツという名称は、「大きな丘のふもと」または「青い丘陵の地」という意味のアルゴンキン語インディアンマサチューセッツ族の名称から来ている。

最大都市ボストンは、マサチューセッツ湾の最奥部、マサチューセッツ州で一番長い川であるチャールズ川の河口に位置している。アパラチア山脈の東端が州内西部まで伸びてきており、大西洋岸の砂浜や磯浜と対照をなしている。

アメリカ合衆国国立公園局の保護及び管理下に置かれている地域は以下の通りである。

生態系

州内陸部の主要な植生は温帯落葉樹林である。農業開墾のために森林はほとんど伐採されたが、孤立した地域に原生林が僅かに残され、農場が放棄されるにつれて、多くの田園部で森林が再生されてきた。現在は州域の62%が森林に覆われている。人間の開発によって最も影響された地域は東部のボストン大都市圏と西部のスプリングフィールド大都市圏、および農業地帯のパイオニア・バレーである。過去数世紀で絶滅した動物としては、ハイイロオオカミエルククズリマウンテンライオンがある。

マサチューセッツ州の多くの海岸地域はフエチドリなど野鳥の生息域になっている。

州内の都市化は進んだが、多くの生物種が生息している。ハヤブサは大都市の高層ビルをねぐらにしている。ゴミや動物の死骸をあさる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/12/14 15:36

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