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ミゲル・カブレラとは?

【基本情報】

【国籍】
ベネズエラ
【出身地】
アラグア州マラカイ
【生年月日】
(1983-04-18) 1983年4月18日(36歳)
【身長
体重】
6' 4" =約193 cm
249 lb =約112.9 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
三塁手一塁手左翼手右翼手
【プロ入り】
1999年
【初出場】
2003年6月20日
【年俸】
$30,000,000(2020年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
ベネズエラ
WBC
2006年2009年2013年2017年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


ホセ・ミゲル・カブレラ・トーレス(José Miguel Cabrera Torres, 1983年4月18日 - )は、ベネズエラ共和国アラグア州マラカイ出身のプロ野球選手(内野手)。MLBデトロイト・タイガース所属。

MLBにおける最高の打者の1人で、MLB45年ぶり且つ現役選手唯一の打撃三冠王達成者。愛称は「ミギー(Miggy)」。

経歴

プロ入り前

1983年4月18日、ベネズエラのアラグア州マラカイで誕生した。父は元野球選手、母はソフトボールのベネズエラ代表、おじは元マイナーリーガーという野球一家だった。カブレラも野球をするようになり、10代半ばにはメジャーのスカウトに注目される存在となっていた。14歳時にはメジャー5球団がカブレラのスカウトを始めていたという。

マーリンズ時代

1999年に契約解禁年齢となったカブレラは、7月にベネズエラの選手としては当時の最高額の契約金180万ドルでフロリダ・マーリンズと契約。ニューヨーク・ヤンキースロサンゼルス・ドジャースはマーリンズを上回る200万ドルを提示したが、これを蹴ったのは、カブレラが1997年のワールドシリーズを観戦した時に中南米系選手が活躍したマーリンズのファンになっていたことと、「マーリンズは中南米系若手選手の育成に優れている」とカブレラの父が判断したことが原因である。また本人によれば「野球で芽が出ないまま引退した際には大学進学を認め学費も球団が負担する」という条件を契約に盛り込んだのがマーリンズだけだったことや、ヤンキースやドジャースよりマーリンズの方が選手層が薄くメジャー昇格が近いことも大きかった。

2000年、ルーキーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせた。この時の守備位置は遊撃手だった。

2001年にA級へ昇格すると三塁手もこなすようになる。

2003年にAA級へ昇格すると左翼手にも回るようになった。

2003年AA級で打率.365を残し、6月20日にAAA級を経ない "飛び級" でメジャーに昇格。

マーリンズ時代(2007年)

2003年6月20日に、球団史上2番目の若さとなる20歳63日でメジャーデビューを果たした。この試合(デビルレイズ戦)に「8番・左翼」で先発し、延長11回にサヨナラ本塁打を放った。デビュー戦でサヨナラ本塁打を放ったのはMLB史上3人目である。その後は、左打者のトッド・ホランズワースと併用という形ながらメジャーに定着し、打率.268・12本塁打・62打点という成績を残した。本塁打と打点は新人選手としてリーグ2位、長打率.468は同1位だった。

この年のポストシーズンにも出場したカブレラは、マーク・プライアー(カブス)、ロジャー・クレメンス(ヤンキース)などMLB屈指の投手から次々と本塁打を放つなど活躍。チームはワールドシリーズでヤンキースを下し、1997年以来2回目のワールドチャンピオンとなった。シーズン終了後に行われた新人王の投票ではカブレラは5位に入った。

2004年は左翼のレギュラーとして160試合に出場し、33本塁打・112打点を記録。シーズン100打点達成は史上5番目の若さだった。オールスターゲームにも初選出された他、この年オフの日米野球にも参加している。

2005年には打率.323とリーグ3位の高打率を記録。本塁打は前年と同じ33本だったが二塁打が12本増加し、塁打数344は球団新記録となるなど、長打力が増した。シーズン終了後にはシルバースラッガー賞を初めて受賞し、MVPの投票では5位に入った。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ベネズエラ代表に選出された。

シーズンでは、前年までマーリンズの正三塁手だったマイク・ローウェルが放出されたことから、本職の三塁手に再転向された。以前から雑と指摘されていた守備が顕著となった。7月8日のメッツ戦では怠慢な守備が引き金となり、スコット・オルセンとの口論から掴み合いになりかけた。打撃では、打率や二塁打で球団記録を更新。特に打率ではフレディ・サンチェス(パイレーツ)やアルバート・プホルス(カージナルス)と首位打者争いを演じたが、サンチェスの打率.344に約5厘及ばず、自身初の打撃タイトル獲得を逃した。シーズン終了後、球団との契約更改において年俸調停を申請、カブレラ側の主張が認められ、2007年の年俸は前年の47万2,000ドルから約16倍の740万ドルになった。調停官の裁定額としてはアルフォンソ・ソリアーノ(2006年・1000万ドル)、アンドリュー・ジョーンズ(2001年・820万ドル)に次ぐ史上3番目(当時)の高額である。

2007年は、自己最多となる34本塁打・119打点を記録した。9月4日には、MLB史上3番目の若さとなる24歳139日で通算500打点を記録している。

タイガース時代

タイガース時代のカブレラ(2008年)

2007年12月4日、ドントレル・ウィリスと若手6選手とのトレードデトロイト・タイガースへ移籍した。

2008年3月22日に、タイガースと8年総額1億5230万ドルで契約を延長。契約総額ではアレックス・ロドリゲスデレク・ジーターマニー・ラミレスに次ぐ高給選手となった。平均年俸ではロドリゲス、ヨハン・サンタナ、ラミレスに次ぐ4位である。シーズン序盤は三塁手として出場を続けていたが、あまりにもエラーが多く、開幕1か月もたたないうちに一塁手のカルロス・ギーエンとコンバートされた。打撃では、4月から6月まで3か月連続で長打率が4割台だったが、7月にプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選出されて以降、3ヶ月連続で6割台の長打率を記録。4年ぶりに打率が.300を下回ったものの、自己最多となる37本塁打・127打点を記録。本塁打王争いのライバルだったアレックス・ロドリゲスカルロス・クエンティンらが故障したこともあって、自身初の打撃タイトルである本塁打王を獲得した。30本台でのアメリカンリーグ最多本塁打は、1989年のフレッド・マグリフ以来19年ぶり。

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCベネズエラ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。

シーズンでは、自身3度目、自己最多タイとなる160試合に出場。打率.324を記録した他、3年連続30本塁打以上、6年連続100打点以上となる34本塁打・103打点という成績を残した。安打数198本も出場試合数と同じく、自己最多タイ、打点は100打点以上を記録した6度の中で自己最少だった。また、シーズンオフのMVP投票では、1位票を1票だけ獲得し、総合では4位になった。チームが優勝争いしていた10月、夫婦喧嘩が警察沙汰に発展。マスコミに顔の傷を「犬に引っかかれた」とごまかしたが、警察の発表によって全てが発覚した。チームの士気を大きく下げて優勝を逃す原因となり、ファンの恨みの的となった。

2010年は、2004年以降、レギュラーに定着後(規定打席に到達したシーズン)としては自己最少の150試合出場だったが、打撃面では自己最高の活躍を見せた1年となった。打率.328は、自身のキャリアで3番目に高い数字でありかつリーグ2位の数字・本塁打38本は、自身が本塁打王を獲得した2008年の37本を1本更新する自己記録であり、リーグ3位の数字だった。また、126打点を記録し、自身初の打点王を獲得した。更に、四球89と三振95はそれぞれ自己最高と自己最少の数字であり、また出塁率でもリーグ1位となり、OPSが1.000を超えたのも2010年が自身初となった。MVPの投票では、ジョシュ・ハミルトンに次ぐ2位に入った。

2011年は、通算1500安打(あと100本)・300二塁打(あと2本)・250本塁打(あと3本)・1000打点(あと121打点)・2500塁打(あと35)など、様々な節目の記録が目前に迫った中でシーズンを迎えた。161試合に出場し、48本の二塁打(いずれもリーグ最多)、また2年連続となる最高出塁率(.448)を記録した。また自身初となる首位打者(.344)のタイトルも獲得し、チームの実に24年振りとなる地区優勝に貢献した。

2012年プリンス・フィルダーの加入により、久々に三塁を守ることになった。フィルダーがカブレラの後を打つようになったことで、勝負を避けられることが減った。その結果、本塁打、打点が前年よりも大幅に増加し、9月に入った頃には三冠王が視界に入ってきた。最終的に本塁打ではジョシュ・ハミルトンカーティス・グランダーソン、打率ではマイク・トラウトジョー・マウアーらとの熾烈な争いを制し、チームでは1909年タイ・カッブ以来103年ぶり、MLB史上ではカール・ヤストレムスキー以来45年ぶりとなる打撃三冠王を達成した。MVPを巡っては新人ながら走攻守でハイレベルな成績を残したマイク・トラウトとの争いが注目を集めた。しかし終わってみれば、投票資格を持つ28人中22人から1位票を獲得し(残りの6人はトラウトに1位票)、大差でア・リーグMVPを獲得した。ベネズエラ出身の選手としては初のMVP受賞となった。

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCベネズエラ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした。シーズンではタイガースは地区優勝は当然という選手層を揃え、チームの目標は前年あと一歩及ばなかったワールドシリーズ制覇だった。このシーズンもMLB史上初の2年連続三冠王という偉業を達成するのではないかというペースで本塁打と打点を量産し、尚且つハイアベレージを維持する。しかし、足の故障のため打撃が失速。代打などで出場を続けるも、このシーズンで本格的な覚醒を見せたボルチモア・オリオールズクリス・デービスに本塁打と打点で競り負け、最終的に主要三冠の中でのタイトルは打率のみとなる。しかし打率.348(ア・リーグ1位)、44本塁打(ア・リーグ2位)、137打点(ア・リーグ2位)と故障を抱えながらも驚異的な数字を残し、チームを地区優勝へと導いて2年連続のアメリカンリーグMVPを受賞した。

2014年3月28日にタイガースと8年総額2億4800万ドル(2023年・2024年のオプション付き)に合意した。2016年シーズンからの契約で、2008年に結んだ8年契約の残り2年を合わせると、10年総額2億9200万ドルとなった。オプションとしてMVP、表彰等での出来高が含まれ、バイアウトの際は800万ドル発生する。レギュラーシーズンでは、右足首の不調の影響もあり、例年よりやや低調な成績に終わった。それでも2004年に初めて規定打席に到達して以降、11年間で9度目、6年連続での打率.300以上となる.313をマーク(打率.300以上をマークしたシーズンとしては、カブレラの中で最低の数値)。本塁打は、2006年以来8年ぶりの30本未満・規定打席に到達したシーズンでは最低の25本に終わったが、それでも11年連続での25本塁打以上。打点は109リーグ2位で、史上5人目となる11年連続100打点を達成した。得点101(5年連続100点以上)は、リーグ3位。二塁打(52本、自己ベスト)・犠飛(11本)でリーグトップ。三振が5年ぶりに100を超え、OPSが6年ぶりに0.900未満だった。長打数は、本塁打こそ激減したものの二塁打を量産した為、2013年の71本を上回る78本だった。チームは地区優勝してプレーオフ進出を決めたが、カブレラが、プレイオフ進出チームに分配されるボーナス金を受け取らないとした、と報じられた。カブレラはビクター・マルティネスとのスペイン語での会話の中で、「優勝リングが欲しいだけだ (I just want the ring.) 。」と話したという。オフに入った10月24日、右足首の手術を受け、骨棘の除去と疲労骨折を治療した。

2015年5月16日のセントルイス・カージナルス戦で通算400本塁打に到達した。このホームランで、ベネズエラ出身の選手としては、アンドレス・ガララーガの399本塁打を抜き、歴代1位となった。7月3日の対トロント・ブルージェイズで走塁中に左ふくらはぎを痛めて途中交代し、キャリア初となる故障者リストに登録された。その後、オールスターゲームに選出されたが、出場を辞退した。8月14日に故障者リストから復帰し、8月16日のヒューストン・アストロズ戦で通算1426打点となり、こちらもガララーガを抜き、ベネズエラ出身選手として歴代1位となった。長期離脱の結果、シーズン180安打が10年連続(歴代4位)、25本塁打が11年連続、100打点が11年連続(歴代4位タイ)、300塁打が11年連続(歴代4位)でそれぞれ途切れた。しかしギリギリで規定打席には到達し、自身4度目となる首位打者のタイトルを獲得。出塁率も4度目のリーグ1位に輝いた。

2016年5月23日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で史上62人目となる通算500二塁打、7月22日のシカゴ・ホワイトソックス戦で史上56人目となる通算1500打点を史上5番目の若さで、8月6日のニューヨーク・メッツ戦で史上102人目となる通算3500出塁、9月18日のクリーブランド・インディアンズ戦で史上100人目となる通算2500安打を史上8番目の若さで達成など、さまざまなマイルストーンを達成した。シーズン成績では、3年ぶりとなる3割30本100打点を記録する。一方、13年ぶりとなる無盗塁を記録している。オフの12月5日に第4回WBCベネズエラ代表に選出され、4大会連続4度目の選出を果たした。

2017年開幕前に選出されていた第4回WBCに参加。シーズンでは7月20日のロイヤルズ戦で史上33人目の通算1600打点を達成した。8月24日のヤンキース戦で5回にマイケル・フルマーゲイリー・サンチェスに死球を与え、6回裏にトミー・ケインリーから報復として背後を通過する投球をされ退場になった際に、オースティン・ロマインと口論になり殴打し、両チームから選手が入り乱れる乱闘を起こし、退場になった。8月25日にMLBより7試合の出場停止処分を受けた。このシーズンはWBCの疲れや故障などの影響で、打率.249(自己最低)、16本塁打、60打点に留まった。

2018年は4月を打率.326、3本塁打と復調を見せていたが、5月4日に右ハムストリングを痛みのために10日間の故障者リストに入った。6月1日に復帰したが、12日のミネソタ・ツインズ戦でスイングをした際に左上腕二頭筋の腱断裂の重傷を負い退場した。その後左腕の上腕二頭筋の腱断裂と診断され、修復の為の手術を受けることになり、残りのシーズンを欠場することになった。この年の成績は38試合で打率.299、3本塁打、22打点であった。

2019年は昨年同様に4月から打率は高い数字を維持していき、前半戦終了の時点で打率.303を記録する一方、長打率が4割を下回り、出塁率を下回る月もあった。膝の故障に苦しみ、6月からは指名打者として起用された。夏場に17打席ノーヒットを喫し失速するも、136試合に出場して打率.282、12本塁打、59打点を記録した。この年はチームで唯一規定打席に届いた一方で、長打率がキャリアワーストを記録し本塁打数が大幅に減少した。

プレースタイル

打撃

インサイドの球を引っ張って、アウトサイドの球を流してホームランにできる卓越したバットコントロールとパワーを有している。シーズン100打点以上を12回記録している。

2003年のメジャーデビューから2015年までの13シーズンで、三冠王1度を含む首位打者4度、本塁打王2度、打点王2度を獲得している。

守備

元々は遊撃手だった。メジャーデビューから数年間は三塁左翼右翼を守っていたが、三塁の守備が粗雑だった為、タイガース移籍1年目の2008年4月から本格的に一塁にコンバートされた。その後、ポジションが重なるプリンス・フィルダーが加入した事により、三塁に再コンバートされたが、フィルダーがレンジャーズに移籍していった後は一塁に戻っている。

ファーストコンバート後も守備力が良くなったわけではなかったが、2014年にはトレーニングを積んだ事で大幅に改善され、ゴールドグラブ賞の候補として名が挙がるほどに成長を見せた。守備力の向上ぶりは守備成績にも反映されており、5失策は自己最少・守備率.995とDRS - 1は、いずれも最も良い数値タイだった(成績は、いずれも一塁守備での数値)。

評価

2014年12月31日にESPNが特集した「現役選手での殿堂入りに近い選手は誰か?」とするランキング特集でカブレラは、デレク・ジーターアルバート・プホルスイチローと共に「この4人は議論するまでもなく将来の殿堂入りが確実」としてランキングから外された。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

2003 | FLA | 87 | 346 | 314 | 39 | 84 | 21 | 3 | 12 | 147 | 62 | 0 | 2 | 4 | 1 | 25 | 3 | 2 | 84 | 12 | .268 | .325 | .468 | .793
2004 | 160 | 685 | 603 | 101 | 177 | 31 | 1 | 33 | 309 | 112 | 5 | 2 | 0 | 8 | 68 | 5 | 6 | 148 | 20 | .294 | .366 | .512 | .878
2005 | 158 | 685 | 613 | 106 | 198 | 43 | 2 | 33 | 344 | 116 | 1 | 0 | 0 | 6 | 64 | 12 | 2 | 125 | 20 | .323 | .385 | .561 | .946
2006 | 158 | 676 | 576 | 112 | 195 | 50 | 2 | 26 | 327 | 114 | 9 | 6 | 0 | 4 | 86 | 27 | 10 | 108 | 18 | .339 | .430 | .568 | .998
2007 | 157 | 680 | 588 | 91 | 188 | 38 | 2 | 34 | 332 | 119 | 2 | 1 | 1 | 7 | 79 | 23 | 5 | 127 | 17 | .320 | .401 | .565 | .966
2008 | DET | 160 | 684 | 616 | 85 | 180 | 36 | 2 | 37 | 331 | 127 | 1 | 0 | 0 | 9 | 56 | 6 | 3 | 126 | 16 | .292 | .349 | .537 | .886
2009 | 160 | 685 | 611 | 96 | 198 | 34 | 0 | 34 | 334 | 103 | 6 | 2 | 0 | 1 | 68 | 14 | 5 | 107 | 22 | .324 | .396 | .547 | .942
2010 | 150 | 648 | 548 | 111 | 180 | 45 | 1 | 38 | 341 | 126 | 3 | 3 | 0 | 8 | 89 | 32 | 3 | 95 | 17 | .328 | .420 | .622 | 1.042
2011 | 161 | 688 | 572 | 111 | 197 | 48 | 0 | 30 | 335 | 105 | 2 | 1 | 0 | 5 | 108 | 22 | 3 | 89 | 24 | .344 | .448 | .586 | 1.034
2012 | 161 | 697 | 622 | 109 | 205 | 40 | 0 | 44 | 377 | 139 | 4 | 1 | 0 | 6 | 66 | 17 | 3 | 98 | 28 | .330 | .393 | .606 | .999
2013 | 148 | 652 | 555 | 103 | 193 | 26 | 1 | 44 | 353 | 137 | 3 | 0 | 0 | 2 | 90 | 19 | 5 | 94 | 19 | .348 | .442 | .636 | 1.078
2014 | 159 | 685 | 611 | 101 | 191 | 52 | 1 | 25 | 320 | 109 | 1 | 1 | 0 | 11 | 60 | 10 | 3 | 117 | 21 | .313 | .371 | .524 | .895
2015 | 119 | 511 | 429 | 64 | 145 | 28 | 1 | 18 | 229 | 76 | 1 | 1 | 0 | 2 | 77 | 15 | 3 | 82 | 19 | .338 | .440 | .534 | .974
2016 | 158 | 679 | 595 | 92 | 188 | 31 | 1 | 38 | 335 | 108 | 0 | 0 | 0 | 5 | 75 | 15 | 4 | 116 | 26 | .316 | .393 | .563 | .956
2017 | 130 | 529 | 469 | 50 | 117 | 22 | 0 | 16 | 187 | 60 | 0 | 1 | 0 | 3 | 54 | 6 | 3 | 110 | 15 | .249 | .329 | .399 | .728
2018 | 38 | 157 | 134 | 17 | 40 | 11 | 0 | 3 | 60 | 22 | 0 | 0 | 0 | 1 | 22 | 4 | 0 | 27 | 6 | .299 | .395 | .448 | .843
2019 | 136 | 549 | 493 | 41 | 139 | 21 | 0 | 12 | 196 | 59 | 0 | 0 | 0 | 5 | 48 | 4 | 3 | 108 | 18 | .282 | .346 | .398 | .744
MLB:17年 2400 | 10236 | 8949 | 1429 | 2815 | 577 | 17 | 477 | 4857 | 1694 | 38 | 21 | 5 | 84 | 1135 | 234 | 63 | 1761 | 318 | .315 | .392 | .543 | .935

年度別守備成績

【年
度】
【球
団】
一塁(1B)
三塁(3B)
左翼(LF)
右翼(RF)
【試

合】















【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



2003 | FLA | - | 34 | 17 | 53 | 1 | 2 | .986 | 55 | 99 | 5 | 3 | 1 | .972 | -
2004 | - | - | 59 | 92 | 6 | 2 | 0 | .980 | 100 | 170 | 7 | 7 | 1 | .962
2005 | - | 29 | 22 | 46 | 2 | 50 | .971 | 134 | 188 | 12 | 5 | 3 | .976 | -
2006 | - | 157 | 114 | 266 | 17 | 33 | .957 | - | -
2007 | - | 153 | 100 | 266 | 23 | 23 | .941 | - | -
2008 | DET | 143 | 1117 | 73 | 9 | 116 | .992 | 14 | 15 | 30 | 5 | 4 | .900 | - | -
2009 | 153 | 1215 | 105 | 7 | 128 | .995 | - | - | -
2010 | 148 | 1218 | 96 | 13 | 133 | .990 | - | - | -
2011 | 152 | 1263 | 103 | 13 | 117 | .991 | - | - | -
2012 | 2 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 154 | 127 | 243 | 13 | 31 | .966 | - | -
2013 | - | 145 | 87 | 184 | 12 | 24 | .958 | - | -
2014 | 126 | 978 | 98 | 5 | 100 | .995 | 10 | 6 | 13 | 1 | 2 | .950 | - | -
2015 | 107 | 903 | 76 | 4 | 96 | .996 | - | - | -
2016 | 147 | 1186 | 95 | 7 | 124 | .995 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | -
2017 | 115 | 761 | 63 | 1 | 90 | .999 | - | - | -
2018 | 32 | 248 | 13 | 1 | 22 | .996 | - | - | -
2019 | 26 | 204 | 5 | 1 | 13 | .995 | - | - | -
MLB 1151 | 9097 | 727 | 61 | 940 | .994 | 697 | 490 | 1101 | 74 | 134 | .956 | 248 | 379 | 23 | 10 | 4 | .976 | 100 | 170 | 7 | 7 | 1 | .962

タイトル

表彰

出典:wikipedia
2020/04/03 17:38

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