このキーワード
友達に教える
URLをコピー

ミャンマーとは?

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年5月)
 | 
この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2018年5月)

 | この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(ビルマ文字)が含まれています。
ミャンマー連邦共和国
ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်



(国旗) | (国章)
国の標語:なし
国歌:
公用語 ビルマ語
首都 ネピドー
最大の都市 ヤンゴン
政府
大統領 ウィンミン
国家顧問 アウンサンスーチー
第一副大統領
ミンスエ
【第二副大統領】
ヘンリーバンティオ
面積
総計 676,578km(40位)
水面積率 3.06%
人口
総計(2014年) 51,419,420人(25位)
人口密度 75人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2017年)】
91兆2,826億チャット
GDP (MER)
【合計(2017年)】
673億ドル(72位)
GDP (PPP)
合計(2017年) 3,298億ドル(53位)
【1人あたり】
6,265ドル

独立
- 日付 イギリスより
1948年1月4日
通貨 チャット (MMK)
時間帯 UTC +6:30(DST:なし)
ISO 3166-1 MM / MMR
ccTLD .mm
国際電話番号 95
注2: かつてのccTLDは.bu

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ビルマ語: ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်英語: Myanmar)、通称ミャンマーは、東南アジアインドシナ半島西部に位置する共和制国家。独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦、通称ビルマ東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都ネピドー(2006年まではヤンゴン)。

南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面する。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する。インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾を挟んで相対している。

多民族国家で、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語公用語である。他に、カレン族カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い(言語参照)。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
    • 2.1 驃国・タトゥン王国
    • 2.2 ビルマ族の南下
    • 2.3 イギリス統治時代
    • 2.4 独立
    • 2.5 軍事政権時代
    • 2.6 選挙と民主化
    • 2.7 宗教上の対立
    • 2.8 ロヒンギャ問題
  • 3 政治
    • 3.1 元首・立法・行政
    • 3.2 議会
    • 3.3 司法
  • 4 経済
    • 4.1 産業
    • 4.2 経済史
    • 4.3 日本との交易
  • 5 自然災害
  • 6 国際関係
    • 6.1 一般
    • 6.2 対日関係
  • 7 軍事
    • 7.1 少数民族の民兵組織
    • 7.2 核兵器開発疑惑
  • 8 地方行政区分
    • 8.1 主要都市
    • 8.2 軍事政権が変更した町の名称
  • 9 地理
    • 9.1 気候
    • 9.2 水理
  • 10 交通
    • 10.1 空運
  • 11 国民
    • 11.1 人口
    • 11.2 民族
    • 11.3 言語
    • 11.4 宗教
    • 11.5 人名
    • 11.6 教育
  • 12 文化
    • 12.1 衣料・化粧品
    • 12.2 音楽
    • 12.3 食文化
    • 12.4 世界遺産
    • 12.5 祝祭日
    • 12.6 ミャンマーを題材とした作品
  • 13 脚注
  • 14 関連文献
  • 15 関連項目
  • 16 外部リンク

国名

ミャンマーの国名」も参照

正式名称のビルマ語表記は、国際音声記号では、[pjìdàuɴzṵ θàɴməda̯ mjəmà nàiɴŋàɴdɔ̀](ピダウンズ・タンマダ・ミャンマー・ナインガンドー、Pyidaungzu Thanmada Myanma Naingngandaw)。通称は、Myanmar Naingngan(ミャンマー・ナインガン)。ビルマ語では、口語的な呼称としてBurma(、バマー)、文語的な呼称としてMyanmar(、ミャンマー)があり、ミャンマーでは古くからこの2つの呼称を使い分けている。

2010年以降の公式の英語表記はRepublic of the Union of Myanmar。通称は Myanmar

2010年以降の日本語表記はミャンマー連邦共和国。通称はミャンマー

1948年から1974年までビルマ連邦

1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国(公式の英語表記はSocialist Republic of the Union of Burma )

1988年から1989年まではビルマ連邦、1989年から2010年まではミャンマー連邦(公式の英語表記はUnion of Myanmar )

通称は、独立以前からビルマ連邦まで一貫して、ビルマ漢語(北京官話)で緬甸(Miǎn diàn)と表記し、日本語でも同じ表記(読みは「めんでん」)が用いられ、略語のも用いられた(泰緬鉄道など)。日本軍統治(太平洋戦争)の間通称(ビルマ国)にされる。ビルマは、江戸時代末期に蘭学者によってオランダ語(ポルトガル語由来説もある)からもたらされた。

1989年6月18日軍事政権国家法秩序回復評議会」 (SLORC) は、国名の英語表記をUnion of BurmaからUnion of Myanmarに改称した。変更したのは英語表記のみで、ビルマ語での国名は以前のまま同じである。軍事政権が代表権を持つ国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。日本マスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続けるマスメディアもある。『朝日新聞』は長らく「ミャンマー(ビルマ)」と表記していたが、2012年の頃「(ビルマ)」を削除している。また、毎日新聞は「ミャンマー」表記を原則としつつも、専門家の寄稿については「ビルマ」表記も容認している。

軍事政権の正当性を否定する人物・組織は、改名が軍事政権による一方的なものだとして英語国名の変更を認めていない。ただし、「ビルマ」が植民地時代にイギリスにより利用された名称であり、より民族主義的であるとされる「ミャンマー」表記を擁護する意見もある。

名称変更を認めていない立場から、アウンサンスーチービルマ連邦国民連合政府 (NCGUB) のほか、アメリカ合衆国イギリスオーストラリア政府などは「ビルマ」とし、EUが両表記を併記する例もあった。ASEAN諸国、日本、インド、中国、ドイツ政府などは「ミャンマー」表記を採用している。マスコミも対応が分かれている。タイの英字紙、BBC、『ワシントン・ポスト』、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)、『タイム』、主要な人権団体は「ビルマ」を用い、『ニューヨーク・タイムズ』『ウォール・ストリート・ジャーナル』、CNNAP通信ロイターは「ミャンマー」を採用している。

歴史

詳細は「ミャンマーの歴史」を参照

ビルマでは10世紀以前にいくつかの民族文化が栄えていたことが窺えるが、ビルマ民族の存在を示す証拠は現在のところ見つかっていない。遺跡からビルマ民族の存在が確実視されるのはパガン朝(11世紀 - 13世紀)以降である。ビルマ族は10世紀以前にはまだエーヤワディー川(イラワジ川)流域に姿を現していなかった。ビルマ族の起源は中国青海省付近に住んでいたチベット系族と考えられている。580年、氐族の最後の王朝である仇池の初代皇帝楊堅に攻められ滅亡。四散した氐族は、中国雲南省大理にあった烏蕃氏の六詔の傘下に入ったと考えられている。後に六詔が統一されて南詔となった。

驃国・タトゥン王国

パガン王朝の都、バガン。バガンとは広くこの遺跡群の存在する地域を指し、ミャンマー屈指の仏教聖地である。

ミャンマー南部の地は古くからモン族が住み、都市国家を形成して海上交易も行っていた。北部では7世紀ピュー人ピュー(驃)を建国した。 832年、驃国は南詔に滅ぼされ、モン族とピュー族は南詔へ連れ去られたために、エーヤワディー平原(ミャンマー)は無人の地となり、200年間にわたって王朝がなかった。9世紀頃、下ビルマでモン族のタトゥン王国(9世紀 - 1057年)が建国された。

ビルマ族の南下

タウングー王朝王朝の支配領域(1572年)

1044年、南詔支配下にあったビルマ族がエーヤワディー平原へ侵入してパガン王朝を樹立した。パガンは最初小さな城市であった。王統史の言う「44代目」のアノーヤター王(在位1044年 - 1077年)が初代国王とされる。1057年、パガン王朝はタトゥン王国を滅ぼした。パガン王朝は13世紀モンゴルの侵攻を受け、1287年パガンの戦いで敗北し、1314年に滅びた。下ビルマには、モン族がペグー王朝 (1287年 - 1539年)を建国し、上ビルマには、ミャンマー東北部に住むタイ系シャン族が、ピンヤ朝(1312年 - 1364年)とアヴァ王朝(1364年 - 1555年)を開き、強盛になると絶えずペグー王朝を攻撃した。1385年から40年戦争が起こり、今日のミャンマー全土を巻き込む内戦となった。1486年タウングーに流れ込んでいたパガン王朝のビルマ族遺民によってタウングー王朝が建国された。タウングー王朝はポルトガルの傭兵を雇い入れ、タビンシュエーティーの治世にペグーとアヴァ王朝を併合し、次のバインナウンの治世には1559年には現東インドのマニプールを併合し、アユタヤ王朝ラーンナー王朝などタイ族小邦や、チン・ホー族が住む雲南シップソーンパーンナーを支配した。しかし1612年にはムガル皇帝ジャハーンギールの下で、プラターパーディティヤが支配していたチッタゴンを除く現バングラデシュ地域がムガル帝国の統治下に入り、1666年にはさらにムガル皇帝アウラングゼーブが現ラカイン州に存在したアラカン王国支配下のチッタゴンを奪った。17世紀にタウングー王朝が衰亡し、再びモン族・シャン族が再興ペグー王朝を興した。1752年3月、再興ペグー王朝によって復興タウングー王朝が滅ぼされたが、アラウンパヤーが王を称しモン族・シャン族の再興ペグー王朝軍に反撃し、これを撃退。1754年にビルマを再統一した。これがコンバウン王朝である。に助けを求めたシャン族が乾隆帝と共に興した国土回復戦争が清緬戦争(1765年1769年)である。しかし結局この戦いに敗れ、シャン族の国土回復の試みは失敗することになる。タイは1767年のアユタヤ王朝滅亡以来ビルマの属国だったが、1769年タークシン率いるトンブリー王朝(1768年-1782年)が独立し、その後に続くチャクリー王朝(1782年-1932年)は、ビルマと異なった親イギリスの外交政策をとって独立を維持することに成功した。

イギリス統治時代

詳細は「英緬戦争」および「イギリス統治下のビルマ」を参照
イギリス人が見たシュエダゴン・パゴダ(1825年)
英緬戦争、19世紀に起こったイギリスとビルマ王国の戦争
植民地時代の旗 (1937–1948)

一方、コンバウン朝ビルマは、イギリス領インドに対する武力侵略を発端とする3度に渡る英緬戦争を起こした。国王ザガイン・ミン(在位:1819年1837年)治下の初期には、英緬間に緩衝国家としてアーホーム王国(1228年1826年)が存在していたが、ビルマのアッサム侵攻(1817年1826年)によってビルマに併合され、アッサムの独立が失われると、英緬国境が直接接触するようになっていた。ビルマは、インドを支配するイギリスに対してベンガル地方の割譲を要求し、イギリス側が拒否すると武力に訴えて第一次英緬戦争(1824年-1826年)が勃発した。ビルマが敗れ、1826年2月24日ヤンダボ条約が締結され、アッサムマニプールアラカンテナセリムをイギリスに割譲した。

イギリスの挑発で引き起こされた1852年第二次英緬戦争で敗れると、ビルマは国土の半分を失い、国王パガン・ミン(在位:1846年1853年)が廃されて新国王にミンドン・ミン(在位:1853年1878年)が据えられた。イスラム教徒のインド人華僑を入れて多民族多宗教国家に変えるとともに、周辺の山岳民族(カレン族など)をキリスト教改宗させて下ビルマの統治に利用し、民族による分割統治政策を行なった。インド人が金融を、華僑が商売を、山岳民族が警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされた。この統治時代の身分の上下関係が、ビルマ人から山岳民族(カレン族など)への憎悪として残り、後の民族対立の温床となった。下ビルマを割譲した結果、ビルマは穀倉地帯を喪失したために、から輸入し、ビルマは綿花雲南経由で清へ輸出することになった。

1856年から1873年にかけて中国の雲南省・シップソーンパンナーパンゼーと呼ばれる雲南回民(チン・ホー族)によるパンゼーの乱が起こり、雲南貿易が閉ざされた結果、米をイギリスから輸入せざるを得なくなった。1858年から1861年にかけて新首都マンダレーを建設して遷都。イギリス領インドと印僑の反対で雲南問題は遅れていたが、1885年7月にイギリス側も芝罘条約を締結して解決し、雲南・ビルマ間の国境貿易が再び許可された。1885年11月の第三次英緬戦争で王朝は滅亡。1886年6月、英清ビルマ条約でイギリスは清にビルマの宗主権を認めさせると、ビルマはイギリス領インドに併合されて、その1州となる。国王ティーボー・ミン(在位:1878年1885年)と王の家族はインドのゴア州ボンベイの南に近いラトナーギリーに配流され、その地で死亡した。

建国の父アウンサン(1940年代)

ビルマ人の対英独立運動第一次世界大戦中に始まり、1929年世界恐慌以後若い知識層の間に広まった。1930年には、タキン党が結成された。また、タヤワディ地方では農民が武装蜂起を行い、Saya San rebellionと呼ばれる反植民地運動が下ビルマ全域に広がったが、1931年半ばに鎮圧された。1937年、インドから独立してイギリス連邦内の自治領となり、アラカンは返還されたが、アッサムマニプルはインド領(インド独立後に分割され、7姉妹州と呼ばれる)となった。1939年タキン・ソービルマ共産党 (CPB)を結成した。

日中戦争の激化に伴い、ビルマは中華民国蒋介石政府をイギリスなどが支援する「援蒋ルート」の一つとしても使われた。1941年12月、日本はイギリスやアメリカ合衆国などに対して開戦(太平洋戦争)。日本陸軍南方作戦の一環として、タイ王国進駐に続いて英領ビルマに進撃した(ビルマの戦い)。

1942年アウンサンビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐し、1943年に日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。

しかし1944年の独立一周年記念の席上でアウンサンは「ビルマの独立はまやかしだ」と発言。 1944年インパール作戦の失敗など日本の敗色が濃厚と見るや、1944年8月に秘密会議で反ファシスト人民自由連盟(AFPFL、1945年-1962年)が結成され、Thakin Soe率いるビルマ共産党、アウンサン率いるビルマ国民軍ウー・ヌ率いるthe People's Revolutionary Party (PRP)が三派合同した。1945年3月27日、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。連合国軍がビルマを奪回すると、ビルマ国政府は日本に亡命した。日本軍に勝利したものの、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。1946年2月、ビルマ共産党が、内部抗争の末にAFPFLを離脱し、タキン・タントゥンの率いるビルマ共産党(CPB)から、タキン・ソーの率いる赤旗共産党が分裂した。

独立

1947年7月19日にアウンサンがウー・ソーの傭兵によって暗殺された後、AFPFL(パサパラ)をウー・ヌが継いだ。1948年イギリス連邦を離脱してビルマ連邦として独立。初代首相には、ウー・ヌが就任した。独立直後からカレン人が独立闘争を行うなど、政権は当初から不安定な状態にあった。現ミャンマー連邦共和国政府はその建国をビルマ連邦が成立した1948年としており、ビルマ国との連続性を認めていない一方で、ミャンマー国軍については、1945年3月27日のビルマ国および日本への蜂起をもって建軍とし、この日をミャンマー国軍記念日としている。

1949年国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊(KMT/NRA)がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行った。CIAが物資や軍事顧問団を援助し、タイへのアヘンの運び出しも行った。ヌ政権は国際連合中華民国と米国の策動に抗議した。一方で政権は中華人民共和国と連携し、シャン州の一部に中国人民解放軍および国軍部隊を展開し、1950年代半ばまでに国民党軍(KMT)勢力を一掃した(中緬国境作戦)。しかし、シャン州は依然として半独立状態が続き、独立意識の高いワ族シャン族コーカン族など諸民族を下地として、都市部から排除されたビルマ共産党(CPB)が黄金の三角地帯麻薬産業を支配下において、事実上の支配を継続した。一方、ロー・シンハン(羅星漢)のKa Kwe Ye (KKY)が、ビルマ共産党(CPB)に対抗させる狙いを持つネ・ウィンの後押しで結成された。また、中国国民党残党から独立したクン・サ率いるモン・タイ軍も独自に麻薬ビジネスを行なった他、ビルマ共産党に対する攻撃も行なった。

ヌ首相の仏教優遇政策は、キリスト教徒の割合が多い、またはキリスト教徒が支配的な立場を占めるカチン、チン、カレンなどの民族の強い反発を招いた。独立を求める民族勢力(麻薬産業を背景にする北部シャン州と、独立志向の強いカレンなど南部諸州と概ね2つに分けられる)、国民党軍、共産党勢力との武力闘争の過程で、国軍が徐々に力を獲得し、ネ・ウィン将軍が政権を掌握する下地となった。

軍事政権時代

ネ・ウィン将軍(1959年6月8日)

1958年10月27日、ウー・ヌからの打診を受けたネ・ウィン将軍のもとで ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/10/18 00:43

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「ミャンマー」の意味を投稿しよう
「ミャンマー」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

ミャンマースレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ミャンマー」のスレッドを作成する
ミャンマーの」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail