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モスクワとは?

モスクワ
Москва

右上から反時計回りにクレムリン救世主ハリストス大聖堂モスクワ大学ボリショイ劇場赤の広場モスクワ・シティ
 | 
市旗 | 市章

愛称 : 「第三のローマ」
位置

座標 : 北緯55度45分8秒 東経37度37分56秒 / 北緯55.75222度 東経37.63222度 / 55.75222; 37.63222
歴史
成立 1147年
行政
ロシア
連邦管区 中央連邦管区
行政区画 モスクワ連邦市
モスクワ
市長 セルゲイ・ソビャーニン
(統一ロシア)
地理
面積 | 
市域 2,511 km (970 mi)
標高 156 m
人口
人口 (2018年現在)
市域 12,506,468人
人口密度 4,882人/km
その他
等時帯 モスクワ時間 (UTC+3)
郵便番号 101xxx – 129xxx
市外局番 +7 495、+7 499
ナンバープレート 77、99、97、177、199
公式ウェブサイト : http://www.mos.ru/

モスクワ(ロシア語:Москва́ IPA: [mɐˈskva] マスクヴァー、 発音)は、ロシア連邦首都連邦市として市単独でロシア連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。ただし州とは区別され「モスクワ市(Город Москва)」となる。人口は約1,250万人でヨーロッパでもっとも人口の多い都市であり、世界有数の世界都市である。漢字による当て字は莫斯科英語で発音した場合には、アメリカではマスコウ、イギリスではモスコウ(Moscow [米:mάskoʊ][ˈ英:mɒskoʊ])のようになる。

目次

  • 1 地理
  • 2 人口
  • 3 民族
  • 4 標準時
  • 5 気候
  • 6 経済
  • 7 歴史
  • 8 市内の地理
  • 9 政治
    • 9.1 行政区分
    • 9.2 市政
    • 9.3 歴代市長
  • 10 交通
    • 10.1 鉄道
      • 10.1.1 エレクトリーチカ
    • 10.2 地下鉄
    • 10.3 路面電車
    • 10.4 道路
    • 10.5 空港
    • 10.6 水運
  • 11 文化
    • 11.1 教育
      • 11.1.1 大学
      • 11.1.2 研究所
    • 11.2 スポーツ
  • 12 観光
    • 12.1 世界遺産
    • 12.2 教会
    • 12.3 美術館
    • 12.4 その他の建造物
    • 12.5 ギャラリー
  • 13 ジンクス
  • 14 おもな姉妹都市
  • 15 文学・芸術上に現れたモスクワ
  • 16 脚注
  • 17 関連項目
  • 18 外部リンク

地理

北緯55度45分、東経37度37分に位置する。市の中心をモスクワ川が蛇行しながら流れる。市域面積は2,511平方キロメートルに達する。植生的には北の針葉樹林帯と南の混合樹林帯との接点に位置する。土壌はポドゾルが主で、それほど肥沃ではない。

人口

市域人口は1250万6468人(2018年)。2016年の近郊を含む都市圏人口は1657万であり、世界第15位、ヨーロッパ第1位である。世界有数のメガシティである。

民族

2010年の調査によると定住人口の中ではロシア人91.65パーセント、ウクライナ人1.42パーセント、タタール人1.38パーセントの順となっているが、これらには移民や不法滞在者は含まれておらず、おもに中央アジアから100万人を超える移民が在住しているとされる。

標準時

この地域は、モスクワ時間帯標準時を使用している。時差はUTC+3時間で、夏時間はない。2011年3月までは標準時がUTC+3、夏時間がUTC+4であったが、同年3月からは夏時間を標準時とする形で夏時間制が廃止された。2014年10月から通年UTC+3となった。

気候

ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。年間降水量は707ミリメートルで、6月から8月にかけての夏季にもっとも降水量が多くなるが、一方で5月から8月にかけては晴天も多くなり、日照時間ももっとも多くなる。冬季には降水量は少なくなるものの曇天が続き、日照時間は非常に少なくなる。近年の冬季は気候変動と都市化による影響で以前に比較して平均気温が上昇しており、1981年から2010年の現平年値では、1961年から1990年の旧平年値より1月の平均気温で2.8度、2月が1.0度も上昇した。なお、1990年の1月の平均気温は-12.0度であったことを踏まえると約5度も上昇している。しかしながら2000年代以降でも、2006年、2010年、2011年、2012年、2013年には強い寒波の影響を受け零下30度前後まで冷え込んだことがある。また、ヒートアイランド現象により都市部と郊外では冬の冷え込みが大きく異なり、10度前後の差になることもある。夏季は比較的暑くなり、30度を超えることも珍しくない。

過去最高気温は2010年7月29日の38.2度、過去最低気温は1940年1月の-42.2度である。

モスクワの気象観測は中心部から10キロほど離れた郊外のオスタンキノ公園に隣接する全ロシア博覧センター(通称ВВЦ,VCC)で行われており、緑豊かな場所にある。


モスクワ (VVC) 1981–2010年平均, 極値 1879年–現在の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 8.6
(47.5) | 8.3
(46.9) | 19.7
(67.5) | 28.9
(84) | 33.2
(91.8) | 34.9
(94.8) | 38.2
(100.8) | 37.3
(99.1) | 32.3
(90.1) | 24.0
(75.2) | 16.2
(61.2) | 9.6
(49.3) | 38.2
(100.8)
平均最高気温 °C (°F) -4
(25) | -3.7
(25.3) | 2.6
(36.7) | 11.3
(52.3) | 18.6
(65.5) | 22.0
(71.6) | 24.3
(75.7) | 21.9
(71.4) | 15.7
(60.3) | 8.7
(47.7) | 0.9
(33.6) | -3
(27) | 9.6
(49.3)
日平均気温 °C (°F) -6.5
(20.3) | -6.7
(19.9) | -1
(30) | 6.7
(44.1) | 13.2
(55.8) | 17.0
(62.6) | 19.2
(66.6) | 17.0
(62.6) | 11.3
(52.3) | 5.6
(42.1) | -1.2
(29.8) | -5.2
(22.6) | 5.8
(42.4)
平均最低気温 °C (°F) -9.1
(15.6) | -9.8
(14.4) | -4.4
(24.1) | 2.2
(36) | 7.7
(45.9) | 12.1
(53.8) | 14.4
(57.9) | 12.5
(54.5) | 7.4
(45.3) | 2.7
(36.9) | -3.3
(26.1) | -7.6
(18.3) | 2.1
(35.8)
最低気温記録 °C (°F) -42.2
(-44) | -38.2
(-37) | -32.4
(-26) | -21
(-6) | -7.5
(18.5) | -2.3
(27.9) | 1.3
(34.3) | -1.2
(29.8) | -8.5
(16.7) | -16.1
(3) | -32.8
(-27) | -38.8
(-38) | -42.2
(-44)
降水量 mm (inch) 52
(2.05) | 41
(1.61) | 35
(1.38) | 37
(1.46) | 49
(1.93) | 80
(3.15) | 85
(3.35) | 82
(3.23) | 68
(2.68) | 71
(2.8) | 55
(2.17) | 52
(2.05) | 707
(27.86)
平均降雨日数 0.8 | 0.7 | 3 | 9 | 13 | 14 | 15 | 15 | 15 | 12 | 6 | 2 | 105.5
平均降雪日数 18 | 15 | 9 | 1 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 0.1 | 2 | 10 | 17 | 72.2
% 湿度 83 | 80 | 74 | 67 | 64 | 70 | 74 | 77 | 81 | 81 | 84 | 85 | 76.7
平均月間日照時間 33 | 72 | 128 | 170 | 265 | 279 | 271 | 238 | 147 | 78 | 32 | 18 | 1,731
出典:
モスクワ (VVC) 1961–1990年平均の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
平均最高気温 °C (°F) -6.3
(20.7) | -4.2
(24.4) | 1.5
(34.7) | 10.4
(50.7) | 18.4
(65.1) | 21.7
(71.1) | 23.1
(73.6) | 21.5
(70.7) | 15.4
(59.7) | 8.2
(46.8) | 1.1
(34) | -3.5
(25.7) | 8.9
(48)
日平均気温 °C (°F) -9.3
(15.3) | -7.7
(18.1) | -2.2
(28) | 5.8
(42.4) | 13.1
(55.6) | 16.6
(61.9) | 18.2
(64.8) | 16.4
(61.5) | 11.1
(52) | 5.1
(41.2) | -1.2
(29.8) | -6.1
(21) | 5.0
(41)
平均最低気温 °C (°F) -12.3
(9.9) | -11.1
(12) | -5.6
(21.9) | 1.7
(35.1) | 7.6
(45.7) | 11.5
(52.7) | 13.5
(56.3) | 12.0
(53.6) | 7.1
(44.8) | 2.1
(35.8) | -3.3
(26.1) | -8.6
(16.5) | 1.2
(34.2)
出典:

経済

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2014年のモスクワ都市圏の総生産は7944億ドルであり、世界10位の経済規模を有する。ヨーロッパではロンドン都市圏パリ都市圏に次ぐ3位である。

2016年、アメリカの経済誌『フォーブス』が公表した統計によると、10億ドル以上の個人資産をもつ大富豪は60人で、ニューヨーク香港に次いで3番目に多い都市となった。

2011年にモスクワ市の予算規模が、ニューヨーク市に次いで第2位となった。ニューヨーク市の予算は、人口818万人に対し659億9100万ドルで、モスクワ市の予算は、人口1151万人に対し508億ドルとなっている。

歴史

詳細は「モスクワの歴史」を参照
 | 
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聖ワシリイ大聖堂

1147年キエフ大公国ユーリー・ドルゴルーキー(手長公)が会合を行った場所として言及されるのが最古の記録である。1156年に砦が築かれて以降、徐々に小都市化していった。1237年から1238年にかけてはモンゴル帝国軍によって灰燼と帰した(モスクワ包囲戦)。

1271年ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーの末子であるダニール・アレクサンドロヴィチが遺領としてモスクワを獲得し、モスクワ公国が成立した。3代目モスクワ公のイヴァン1世の代にキプチャク・ハン国にとりいってルーシ諸公からの徴税権を得たことから力をつけ、モスクワ大公国となった。1382年にはキプチャク・ハン国のトクタミシュ・ハンによって占領されることなどはあったが、1480年イヴァン3世がタタールのくびきを完全に終わらせることで、モスクワはロシア最大勢力の都となった。彼はウスペンスキー大聖堂ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂アルハンゲリスキー大聖堂を建設・再建し、クレムリンを壮麗なものとした。クレムリンの前に赤の広場が建設されたのもこの時代である。1534年から1538年にはクレムリン北東のキタイ・ゴロドをクレムリンと同じ城壁で囲み、以後この地域は商工業地域として発展した。

モスクワの歴史:赤色(クレムリン)、黄色(キタイ・ゴロド)、白色(白い町)、茶色(土の町)

1561年にはイヴァン4世によって聖ワシリイ大聖堂が建設された。1590年ごろにはクレムリンとキタイ・ゴロドの外側に城壁が築かれ、さらにその外側には土塁が築かれ、モスクワの町は大幅に拡張された。新しい城壁の内側はベールイ・ゴロド(白い町)、土塁と城壁の間はゼムリャノイ・ゴロド(土の町)と呼ばれた。16世紀末には動乱時代となり、1610年には偽ドミトリー2世を擁したポーランド・リトアニア共和国軍がロシア・ポーランド戦争を起こしてモスクワを占領したが、商人のクジマ・ミーニンと公爵ドミトリー・ポジャルスキーを中心として組織された国民軍が1612年にモスクワを奪回し、翌1613年にはミハイル・ロマノフツァーリに選出されてロマノフ朝が成立した。

1784年のモスクワの地図
フョードル・アレクセーエフの描いた赤の広場(1802年)

ロマノフ朝時代は国土の拡張にともないモスクワも成長を続けたが、ピョートル1世1712年にロシア北西端のネヴァ川河口にサンクトペテルブルクを建設したことで首都の座を譲った。しかしそれ以後も副首都の座を保ち続け、歴代のロシア皇帝はモスクワにて戴冠式を行うことを常とした。古い貴族階級は遷都以後もモスクワに居住する者が多く、西欧の思想を取り入れる窓口となったサンクトペテルブルクに対し、モスクワは古いスラブ主義の思想の中心地となっていった。1755年にはロシア最初の大学であるモスクワ大学が開校した。このころ、ベールイ・ゴロドの城壁が撤去され、その跡地にプリヴァール環状道路が建設された。1812年にはナポレオンのモスクワ侵攻(祖国戦争)を受け、街は灰燼に帰したが、その後すぐに復興された。19世紀にはゼムリャノイ・ゴロドの土塁も撤去され、その跡地はサドーヴォエ環状道路となった。1851年にはサンクトペテルブルクとの間に鉄道が開通し、その後も1862年にはニージニー・ノヴゴロド、1864年にはリャザン、1868年にはクルスク1870年にはヤロスラヴリへの鉄道が相次いで開業し、ロシア中央部の商工業の中心としての地位は揺るぐことなく、農奴解放による労働力の流入や軽工業の発展もあいまって、19世紀末には人口は100万人を突破した。

ソビエトによって1918年に首都機能が移転され、ソビエト連邦とロシア・ソビエト社会主義共和国(現在のロシア連邦)の首都となった。大祖国戦争時には市の北西40キロの地点にまでドイツ軍が進出したものの、軍民一丸となった抵抗により陥落しなかった。かつては冷戦による対立関係があったアメリカワシントンとともに、モスクワは超大国の首都として二分し、スターリンはニューヨークの高層ビルに対抗意識を持ち、スターリン様式という建物を多く建築した。ソ連崩壊後のロシア連邦においても引き続き首都であり、現在では人口1000万を超えるロシアの政治経済の中心である。

1400年から1856年までのモスクワ人口の推移
1400年
1638年
1710年
1725年
1738年
1775年
1785年
1811年
1813年
1825年
1840年
1856年
40 000 | 200 000 | 160 000 | 145 000 | 138 400 | 161 000 | 188 700 | 270 200 | 215 000 | 241 500 | 349 100 | 368 800
1868年から2002年までのモスクワ人口の推移
1868年
1871年
1888年
1897年
1912年
1920年
1926年
1939年
1959年
1979年
1989年
2002年
416 400 | 601 969 | 753 459 | 1 038 600 | 1 617 157 | 1 027 300 | 2 101 200 | 4 609 200 | 6 133 100 | 8 142 200 | 8 972 300 | 10 383 000
『1867年に撮影されたモスクワのパノラマ』

市内の地理

赤の広場はモスクワの中心である
トヴェルスカヤ通り

モスクワは、中央にあるクレムリンから同心円状に広がっている町であり、クレムリンからはすべての方角に放射状に幹線道路が延びている。その幹線道路をつないでプリヴァール環状道路、サドーヴォエ環状道路モスクワ環状道路(大環状道路)の3つの環状道路がある。モスクワ地下鉄環状線とほぼ同じ場所を走るサドーヴォエ環状道路は、1590年代のモスクワ市の土塁の跡に作られている。

クレムリンは1156年にユーリー・ドルゴルーキーが砦を築いて以来一貫してモスクワの中心であり、モスクワ大公国時代からロシア帝国初期を通じて王宮が置かれていた。ソビエト連邦成立後はここに政府が置かれ、現在もロシア連邦の大統領府があるロシア政治の中枢である。クレムリンの正面には赤の広場が広がり、広場周辺にはグム百貨店聖ワシリイ大聖堂レーニン廟がある。広場の北東はキタイ・ゴロドと呼ばれ、モスクワ大公国時代からの商工業地域だったところで、現在では都心の一部となっている。その北にはかつてKGBの本部の置かれていたルビャンカや、ボリショイ劇場などがある。

クレムリンから北西に伸びるトヴェルスカヤ通りは、19世紀からの目抜き通りであり、現在でも繁華街となっている。トヴェルスカヤ通りはその先でレニングラード街道と名を変え、サンクトペテルブルクまで延びている。クレムリンから西へと伸びるアルバート通りは歩行者天国となっており、商店や土産物屋が立ち並んで観光客が多く訪れる。

クレムリンの南西には、モスクワ川に沿って救世主ハリストス大聖堂トレチャコフ美術館がある。

政治

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行政区分

モスクワの行政区画」を参照

2012年7月1日、ノヴォモスコーフスキー区とトロイツキー区に相当する地域を編入したため、一挙にモスクワ市域面積が約2.5倍になった。それ以降、モスクワ市は以下の12の行政区(Административные округа, АО)に分かれている。従来は1960年代に開通したモスクワ環状道路がモスクワ市の境界線とほぼ一致していたが、現在は市域が当時の約3倍に拡大している。

  1. 中央区(Центральный АО)
  2. 北区(Северный АО)
  3. 北東区(Северо-Восточный АО)
  4. 東区(Восточный АО)
  5. 南東区(Юго-Восточный АО)
  6. 南区(Южный АО)
  7. 南西区(Юго-Западный АО)
  8. 西区(Западный АО)
  9. 北西区(Северо-Западный АО)
  10. ゼレノグラード区(Зеленоградский АО)
  11. ノヴォモスコーフスキー区(Новомосковский АО)
  12. トロイツキー区(Троицкий АО)

また、この行政区はさらにラヨン(район)に分かれている(ロシア語ではライオンと発音される)。

市政

市議会の定数は35である。2009年10月12日の選挙では、統一ロシアが圧勝した。1992年に就任したユーリ・ルシコフ市長のもとでモスクワ市は積極的な経済開発を行い、行政府がインフラ整備や外資の誘致などを徹底して行うことで高い経済成長を記録した。さらに小企業の保護育成に市政府が積極的に取り組むことで失業問題を解決し、失業率を全国平均の10分の1に押さえ込んだことから、市民の高い支持を得て18年間の長期政権を維持した。しかし、2008年のリーマン・ショック後に経済が減速するとともに長期政権にともなう汚職や腐敗が取りざたされるようになり、2010年9月28日にドミトリー・メドヴェージェフ大統領によって解任された。

歴代市長

交通

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市内の主要な公共交通機関は地下鉄をはじめ、バストロリーバス路面電車タクシー乗合タクシー近郊電車など。

鉄道

13の線路、方面別に9つのターミナル駅がある。列車の行先の地名が駅名になっている。

エレクトリーチカ

エレクトリーチカ(近郊電車)はモスクワ市内と郊外を結ぶ路線で縦横無尽に走っている。2016年には都市高速鉄道としてモスクワ中央環状線が開通したが、これは地下鉄のネットワークに含まれている。

地下鉄

詳細は「モスクワ地下鉄」を参照
環状線キエフスカヤ駅の様子

市内には地下鉄が11の路線網を張りめぐらしており、世界でもっとも利用客の多い地下鉄の一つとなっている。また、ヨシフ・スターリン政権時代に建設された駅を中心として豪華絢爛な装飾が施されており、モスクワ市民の誇りとなっている。地下鉄路線の終点を起点とした高架線主体のライトメトロ(лёгкое метро)2路線(1路線は建設中)、およびモノレール1路線がある。

路線や駅にもよるが、きわめて深い場所に作られた豪華な装飾の駅と、地上と駅を結ぶ長い超高速エスカレーターはモスクワ地下鉄の特徴である。

路面電車

詳細は「モスクワ市電」を参照

郊外を中心に路面電車の路線網が張りめぐらされており、地下鉄の補完的役割を果たしている。

道路

ロシア連邦道路#モスクワからの放射状主要道路」を参照

モスクワ市内にはトゥヴェルスカヤ通りアルバート通りなど比較的名が知られた通りがある。市中心部から道路が放射状に伸びており、北西にはサンクトペテルブルクへと向かうレニングラード街道(トゥヴェルスカヤ通りモスクワ~サンクトペトルブルク高速道路は途中の一部のみが開通)、北東にはヤロスラヴリ街道、東にはニジニ・ノヴゴロドに向かうゴーリキー街道、南東にはリャザン街道、南にはワルシャワ街道、南西にはキエフ街道(レーニンスキー大通り)や ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/10/15 20:08

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