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モンテネグロとは?

公用語 モンテネグロ語
首都 ポドゴリツァ
最大の都市 ポドゴリツァ
政府
大統領 ミロ・ジュカノヴィチ
首相 ドゥシュコ・マルコビッチ
面積
総計 13,812km(155位)
水面積率 極僅か
人口
総計(2008年) 624,000人(165位)
人口密度 48.7人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
33億ユーロ (€)
GDP (MER)
【合計(2013年)】
44億ドル(150位)
GDP (PPP)
合計(2013年) 91億ドル(151位)
【1人あたり】
14,666ドル

【独立】
セルビア・モンテネグロより
2006年6月3日
通貨 ユーロ (€) (EUR)
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 ME / MNE
ccTLD .me
国際電話番号 382
  1. ^ イェ方言セルビア語と見なされている。2007年の憲法改正でモンテネグロ語が第一公用語とされた。他に4言語(アルバニア語セルビア語ボスニア語クロアチア語)が公用語に指定されている。

モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する共和制国家首都ポドゴリツァ(旧憲法ではツェティニェ)。ユーゴスラビア紛争によるユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体によって成立したユーゴスラビア連邦共和国(1992年-2003年)およびセルビア・モンテネグロ(2003年-2006年)を構成する2つの共和国のうちのひとつ、モンテネグロ共和国であったが、2006年6月3日に独立を宣言した。

南はアドリア海に臨み、北西をクロアチアドゥブロヴニクボスニア・ヘルツェゴビナ、北東をセルビアサンジャク地方、南東をアルバニア、東部をコソボと接する。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
  • 3 政治
    • 3.1 大統領
    • 3.2 内閣
    • 3.3 議会
    • 3.4 政府
    • 3.5 裁判所
  • 4 軍事
  • 5 国際関係
  • 6 地方行政区分
    • 6.1 主な都市
  • 7 地理
  • 8 経済
  • 9 交通
    • 9.1 鉄道
  • 10 国民
    • 10.1 民族
    • 10.2 言語
    • 10.3 宗教
    • 10.4 教育
    • 10.5 保健
  • 11 文化
    • 11.1 食文化
    • 11.2 文学
    • 11.3 音楽
    • 11.4 スポーツ
    • 11.5 祝祭日
  • 12 脚注
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

国名

公用語のモンテネグロ語ではツルナ・ゴーラ(Црна ГораCrna Gora)[t͡sr̩̂ːnaː ɡɔ̌ra] と呼ぶ。モンテネグロ(Montenegro [ˌmonteˈneɡro])とはヴェネト語による名称で、いずれも「黒い山」を意味する。かつて黒山国とも当てられ、中国語では黒山(黑山、ヘイシャン)と訳する。

英語表記は、Montenegro [ mɒn.tɪˈnɛ.ɡɹəʊ][mɒn.tɪˈneɪ.ɡɹəʊ][ˌmɑn.təˈneɪ.ɡɹoʊ][ˌmɑn.tɪˈni.ɡɹoʊ]

日本語での表記は モンテネグロ [mò̜̞nté̞né̞ŋù̜ɾò̜̞][mò̜̞nté̞né̞ɣù̜ɾò̜̞]。2007年10月の新憲法制定に伴い、それまでのモンテネグロ共和国(Република Црна ГораRepublika Crna Gora)から共和国が外された。

歴史

詳細は「モンテネグロの歴史」を参照

言語的、文化的にはモンテネグロ人セルビア人の違いはほとんどない。宗教も同じ正教会だが、セルビアで主流のセルビア正教会の他に、マケドニア正教会とセルビア正教会に併合されたモンテネグロ正教会も復活して存在する。

ドユラード・ツルノイェヴィッチ公(Đurađ Crnojević)が大主教に賛同して退位し、1516年ツェティニェ主教公(vladika)による神政政治が確立した(モンテネグロ司教領(1696-1852)、Prince-Bishopric of Montenegro)。主教公の職は1697年からペトロヴィチ=ニェゴシュ家が保持した。主教公は、その神政政治という性格から叔父から甥へと継承され、オスマン帝国スルタンに朝貢を続けながら国家を存続させた。主教公は1852年に世俗的な公へと転化し、モンテネグロ公国が成立した。これを契機として宗主国オスマンとの武力衝突に発展し、ロシア帝国の支援を仰ぐことになっていた。

モンテネグロ王国 (1913年)

1878年露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約ベルリン条約でオスマン帝国からの完全な独立を承認された。1905年に憲法が制定されて、モンテネグロ公はモンテネグロ王と規定しなおされ、国号はモンテネグロ王国になった。公国および王国の初代君主ニコラ1世で、1918年までその地位にあった。北をオーストリア・ハンガリー帝国、南をオスマン帝国に挟まれる地政学的条件を背景として、モンテネグロはロシアとの協調を対外関係の機軸とした。日露戦争では1905年日本に宣戦布告し、ロシア軍とともに戦うため義勇兵を満州に派遣していた。しかし実際には戦闘に参加しなかったことから、その宣戦布告は無視され、講和会議には招かれなかった。そのため国際法上は、1918年のセルビアによる併合後も、モンテネグロ公国と日本は戦争を継続しているという奇妙な状態になった。

第一次世界大戦では、セルビアに対していくらかの援助を行った。このためモンテネグロはオーストリア・ハンガリー帝国に占領されることになり、ニコラ1世はフランスへと亡命した。その後モンテネグロはセルビア軍によって占領され、1918年に成立したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国(のちユーゴスラビア王国)に取り込まれた。1919年に併合反対派が武装蜂起(クリスマス蜂起)を起こしたが、セルビア軍により鎮圧された。以後はユーゴスラビアの中の一地域となった。ニコラ1世とその子孫はモンテネグロ王位を請求し続けたが、実らなかった。

モンテネグロ王国 (1941年-1945年)

第二次世界大戦でユーゴスラビアはイタリアとドイツによる侵攻を受け、分割された(ユーゴスラビア侵攻)。モンテネグロはイタリアの占領下に置かれ、傀儡国家モンテネグロ独立国の統治下に置かれた。しかしパルチザンの抵抗の結果、1944年に枢軸軍は撤退し、モンテネグロは再びユーゴスラビアに復帰した。建設されたユーゴスラビア社会主義連邦共和国においては連邦を構成する6つの共和国の一つモンテネグロ人民共和国、1963年からはモンテネグロ社会主義共和国として存続した。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国内のモンテネグロ(濃緑)

1991年から始まったユーゴスラビア紛争においてもモンテネグロ共和国セルビアと歩調を合わせており、最後までユーゴスラビア連邦共和国から離脱しなかった。1997年の選挙でミロ・ジュカノヴィッチ大統領に就任した頃から、分離独立の示唆が行われて来ていた。1999年コソボ紛争でもセルビアの行動を非難し、アルバニア難民の受け入れに努めた。コソボ紛争後、通貨や関税に関してセルビアから独立し、徐々に独立の動きが強まっていった。

これに対して欧州連合はモンテネグロの独立がヨーロッパ地域の安定に必ずしも好影響を及ぼさないという立場から、モンテネグロとセルビアの仲介に動き出した。こうした欧州連合の努力により、2003年2月には3年後の2006年以降に分離独立の賛否を決める国民投票を実施できるという条件付きで国家連合セルビア・モンテネグロが成立した。新国家はセルビア・モンテネグロ内で圧倒的にマイノリティーであるモンテネグロに対してセルビアとの間に最大限の平等を保障していたが、それでもモンテネグロは共同国家の運営に対して非協力的であり、モンテネグロ独自の外交機関、軍事指揮系統を有していた。このため連邦国家としてのセルビア・モンテネグロはほぼ有名無実の状態になっていた。

2006年5月21日に、セルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施された。欧州連合は、セルビア・モンテネグロでなければ欧州連合への加盟を認めないという立場を取っていたが、投票の直前には「50%以上の投票率と55%以上の賛成」というハードルに切り替えた。一方で独立支持派は「モンテネグロの独立こそが欧州連合加盟への早道」であるとするキャンペーンを展開した。投票の結果、投票率86.5%、賛成55.5%で欧州連合の示した条件をクリアした。

2006年6月3日夜(日本時間4日未明)に独立賛成派が国民投票の結果に基づき独立を宣言した。6月5日にはセルビアもセルビア・モンテネグロの継承を宣言して、モンテネグロの独立を追認した。6月12日には欧州連合がモンテネグロに対する国家承認を行った。これにより国際的にモンテネグロの独立が認められた。両国の独立により6つの共和国から構成されていたユーゴスラビア社会主義連邦共和国は完全に解体した。6月16日に日本が国家承認、6月28日国際連合へ加盟した。

日本との関係では、独立に際して、日露戦争における戦争状態が解消していない事が問題となる可能性が指摘された。これについて日本政府は、2006年に提出された衆議院議員鈴木宗男の質問主意書に対する答弁書において「千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。」と回答している。2006年6月3日のモンテネグロ独立宣言に際し、日本政府は、6月16日に独立を承認し、山中あき子外務大臣政務官を総理特使として派遣した。UPI通信は、6月16日、ベオグラードのB92ラジオのニュースを引用し、特使は独立承認と100年以上前に勃発した日露戦争の休戦の通達を行う予定と報道したが、日本国外務省からは、特使派遣報告をはじめとして日露戦争や休戦に関連する情報は出されていない。(参考:外交上の終結まで長期にわたった戦争の一覧)

2007年10月に新憲法を制定し、国名をモンテネグロ共和国からモンテネグロに変更した。2008年には独立後初の大統領選挙でブヤノビッチ大統領が再選され、2010年には独立以前から首相を務めてきたミロ・ジュカノビッチが退陣、イゴル・ルクシッチが首相となった。2012年には欧州連合への加盟交渉が開始され、また首相にジュカノビッチが返り咲いている。

政治

初代大統領フィリップ・ヴヤノヴィッチ
詳細は「モンテネグロの政治」を参照

モンテネグロは共和制議院内閣制を採用する立憲国家である。ユーゴスラビア時代の1992年10月12日に公布された憲法では、モンテネグロを「民主的な主権国家」と規定している。だが2006年6月3日の独立宣言を受け、2007年10月に新憲法を制定。

モンテネグロ憲法」も参照

またその一方で、旧モンテネグロ王家には特別の地位が与えられており、王家の家長には王家礼遇法により大統領と同額の手当が支給され、政府の儀礼上の公式代表としての役割を果たすなど、共和制と君主制の折衷ともいえるやや特異な国家体制を採っている。

ニコラ・ペトロヴィッチ」も参照

大統領

国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年、3選は禁止されている。議院内閣制をとるモンテネグロでは、大統領には以下の様な象徴的・儀礼的な役割しか与えられておらず、政治的実権は持っていない。

内閣

行政府首相を頂点とする内閣である。首相の任命手続きは、大統領の推薦を受け、議会が承認することとなっている。だが、実際には総選挙後の第一党勢力の指導者が、首相に就任するのが慣例となっている。閣僚は首相が指名するが、議会の承認が必要。議院内閣制をとるモンテネグロでは、内閣は大統領ではなく議会に責任を負い、国家における最高行政機関となっている。

議会

立法府であるモンテネグロ議会は一院制。定数は81議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年である。議会には以下のような権限が与えられている。

モンテネグロは複数政党制が機能している。主要政党には左派モンテネグロ社会主義者民主党 (DPS) やモンテネグロ社会民主党 (SDP)、右派モンテネグロ社会人民党 (SNP) や人民党 (NP)、セルビア人勢力のセルビア民主党 (SNS) などがある。

2016年に行われた選挙の結果社会主義者民主党が第一党となった。

社会主義者民主党 | 36議席
民主戦線 | 18議席
「鍵」連合 | 9議席
民主的モンテネグロ | 8議席
社会民主党 | 4議席
社会民主主義者党 | 2議席
少数民族政党(ボシュニャク党他) | 4議席

政府

社会主義者民主党,社会民主主義者党及び少数民族政党(ボシュニャク党他)による連立政権。

裁判所

司法府は行政府、立法府から独立しており、三権分立が保障されている。憲法問題を扱う憲法裁判所が最高司法機関だが、通常裁判所の最高位は最高裁判所である。全ての裁判官は、議会によって任命される。

軍事

詳細は「モンテネグロ軍」を参照

ロシアの反発があったが、2017年6月5日北大西洋条約機構(NATO)へ加盟した。

総兵力は2,041名(2013年4月現在)。

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国際関係

詳細は「モンテネグロの国際関係」を参照
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前述のようにNATOに加盟し、欧州連合(EU)参加も目指している。

NATO加盟が争点だった2016年10月議会選挙の先日、モンテネグロ政府はクーデター未遂容疑を摘発し、後にセルビア治安部隊元幹部や、ロシア連邦情報機関と関係すると見られる人物ら約20人を訴追した。ロシアはこの事件に関与したとの疑惑を否定している。

中華人民共和国一帯一路政策の対象国の一つと位置付け、インフラストラクチャー整備への融資や労働者派遣を行っている。首都ポドゴリツァを経由して、アドリア海沿岸の港湾と内陸国である隣国セルビアを結ぶモンテネグロ初の高速道路(165キロメートル)建設が代表例である。この計画は、採算が見込めないとして欧州の銀行が融資を拒否した。モンテネグロの国家債務は国内総生産(GDP)の約7割に達し、中国からの融資は返済不能となった場合に中国がモンテネグロの土地・財産を取得できる契約となっているため、モンテネグロ国内でも警戒する意見がある。

地方行政区分

モンテネグロの地図
詳細は「モンテネグロの基礎自治体」を参照

モンテネグロは24の基礎自治体(オプシュティナ / コムーナ)によって構成されている。

主な都市

ブドヴァ
詳細は「モンテネグロの都市の一覧」を参照

地理

詳細は「モンテネグロの地理」を参照

モンテネグロの地形はバルカン半島西部のカルスト地形の一部となっているセルビア、コソボ、およびその国境に沿った高い山脈から、幅わずか1.5〜6km(1〜4㍄)の狭い沿岸平野にまで及んでいる。 平野は北部で止まっており、ロブチェン山オルゼン山コトル湾湾口に接している。

同国のカルストは、海抜1000m(3,280ft)の高さにあり、沿岸で最も大きい山として知られるオルゼン山(1,894m )は 2,000mに上る。一方でゼータ川に位置する谷は標高が500mと最も低い。

モンテネグロの山々には「ヨーロッパで最も険しい」と評される地形がいくつか含まれており、その標高は2,000mを超える。その中の山頂の1つはドゥルミトル山のボボトヴ・ククで2,522mに達する。また、同国の山脈は西側の湿度が高いため、バルカン半島においては氷河期の末期から最も氷に覆われている地域となっている。

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経済

最大の都市ポドゴリツァ
詳細は「モンテネグロの経済」を参照

IMFの統計によると、2013年GDPは33億ドルである。一人当たりのGDPは7,112ドルで、世界平均のおよそ70%弱の水準に位置する。

通貨2006年の国家としての独立以前からセルビアから独立していた。1999年11月3日からそれまでのセルビア・ディナールに変わって、ドイツマルクの流通が合法化された。その後2002年にドイツマルクの流通が完全に停止されてからは、独立後の現在に至るまでユーロが流通している。

セルビアとの境界には独立以前から税関が設けられていた。世界貿易機関 (WTO) にも、以前からセルビアとモンテネグロで個別に加盟交渉を行っていた。

主要産業は農業,製造業,観光業である。

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交通

詳細は「モンテネグロの交通」を参照

鉄道

詳細は「モンテネグロの鉄道」を参照

国民

民族

2011年の国勢調査によると、民族構成はモンテネグロ人が45%、セルビア人が29%、ボシュニャク人が9%、アルバニア人が5%他が12%だった。

なおここでの「エジプト人」とは自らのルーツがかつてのエジプトにあると言う概念から、エジプト人であると主張するユーゴスラビア固有の民族集団のひとつである。現在のエジプトにはエジプト人と言う民族集団はなく、エジプトを構成する最多の民族集団はアラブ人である。

言語

モンテネグロの公用語はセルビア語モンテネグロ方言であり、63.5%が自らの母語をセルビア語であると宣言しているが、約22%がセルビア語と方言程度の違いのあるモンテネグロ語を母語としていると答えている。

宗教

詳細は「モンテネグロの宗教」を参照

宗教は、74%が正教会イスラム教が17.74%となっている。

教育

詳細は「モンテネグロの教育」を参照

保健

詳細は「モンテネグロの保健」を参照

文化

詳細は「モンテネグロの文化」を参照

食文化

詳細は「モンテネグロ料理」を参照

文学

詳細は「モンテネグロ文学」を参照

音楽

詳細は「モンテネグロの音楽」を参照

スポーツ

詳細は「モンテネグロのスポーツ」を参照

モンテネグロのスポーツは、サッカーバスケットボール水球バレーボールハンドボールテニス卓球などの球技を中心に展開されている。他にはボクシング水泳柔道空手陸上競技がある。

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祝祭日

詳細は「モンテネグロの祝祭日」を参照
【日付】
【日本語表記】
【現地語表記】
備考
1月1日 | 元日 |  | 
1月7日 | 正教会クリスマス |  | 
移動祝日 | 聖金曜日 |  | 復活大祭2日前の金曜日
移動祝日 | 復活大祭の前日 |  | 復活大祭前日の土曜日
移動祝日 | 復活大祭 |  | 
移動祝日 | 復活大祭後の月曜日 |  | 復活大祭翌日の月曜日
5月1日 | メーデー |  | 
5月9日 | 戦勝記念日 |  | ヨーロッパ戦勝記念日
モスクワ夏時間基準のため9日になっている
5月21日 | 独立記念日 |  | 
7月13日 | 国家の日 |  | 

脚注

  1. ^ World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年10月12日閲覧。
  2. ^ THE CONSTITUTION OF MONTENEGRO (pdf)”. 2019年3月29日閲覧。
  3. ^ Constitution of the Republic of Montenegro”. 2019年3月29日閲覧。
  4. ^ Montenegrina, digitalna biblioteka crnogorske kulture (Montegreina, digital library of Montenegrin culture), Istorija: Đuro Batrićević, citing Batrićević, Đuro. (1996). Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Montegegrans in the Russo-Japanese War); retrieved 2011-05-12; compare Dr Anto Gvozdenović: general u tri vojske. Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Dr. Anto Gvozdenovic: General in Three Armies; Montegegrans in the Russo-Japanese War)
  5. ^ 2006年(平成18年)6月28日外務省告示第372号. モンテネグロ共和国の承認の件. - ウィキソース.
  6. ^ モンテネグロの承認及び山中総理特使のモンテネグロ訪問について 外務省 平成18年6月16日<
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    出典:wikipedia
    2019/09/18 12:01

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