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ランディ・メッセンジャーとは?

日本野球機構 (NPB) からの正式公示がなされるまでは、テンプレートや定義文の所属球団、詳細情報(背番号含む)を変更・削除するなど、入団・退団・移籍に関する編集は行わないでください。編集を行った場合、このページが編集出来ない状態になる可能性があります。
NPBの公式ホームページ http://www.npb.or.jp/announcement/ にて公表されてから記述してください。
ランディ・メッセンジャー
Randy Messenger
阪神タイガース #54

2015年5月23日 阪神甲子園球場にて

【基本情報】

【国籍】
アメリカ合衆国
【出身地】
ネバダ州リノ
【生年月日】
(1981-08-13) 1981年8月13日(38歳)
【身長
体重】
198 cm
109 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1999年 ドラフト11巡目(全体326位)でフロリダ・マーリンズから指名
【初出場】
MLB / 2005年7月22日
NPB / 2010年3月26日
【最終出場】
NPB / 2019年9月29日
【年俸】
3億5,000万円(2019年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

この表について
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プロジェクト:野球選手 テンプレート


ランドール・ジェローム・メッセンジャー(Randall Jerome "Randy" Messenger, 1981年8月13日 - )は、阪神タイガースに所属するアメリカ合衆国ネバダ州出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。スポーツ新聞などの見出しでは「メッセ」と略されることもある。

阪神には2010年シーズンから在籍。2019年シーズンまで契約の更新を続けたことによって、在籍期間が10シーズンに達した。10シーズンに及ぶ在籍は、球団の歴代外国人選手として史上最長記録である。

なお、2018年シーズン中にNPB国内FA権を取得。FA権に関する規約で、2019年シーズンのNPBでは、外国人選手枠の対象から外れて、日本人選手と同じ扱いを受けていた(詳細後述)。2019年シーズン限りで現役を引退。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 マーリンズ時代
    • 1.3 ジャイアンツ時代
    • 1.4 マリナーズ時代
    • 1.5 阪神時代
  • 2 選手としての特徴
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別投手成績
    • 4.2 タイトル
    • 4.3 表彰
    • 4.4 記録
    • 4.5 背番号
    • 4.6 登場曲
  • 5 関連情報
    • 5.1 著書
  • 6 脚注
    • 6.1 注釈
    • 6.2 出典
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

4歳でティーボールを始める。9歳で本格的に野球を始め、スパークス高への進学直後まで遊撃手を中心に三塁手外野手、投手なども務めた。

スパークス高2年の頃から投手としての出場機会が急増し、球速は最速90mph(約144km/h)を計測した。3年生になると、球速は最速95mph(約152km/h)を計測するまでに成長を遂げ、大学やプロからの注目を集めるほどとなった。

1999年MLBドラフト11巡目でフロリダ・マーリンズに指名されプロ入り。

マーリンズ時代

2005年6月22日にマーリンズでメジャーデビュー。メジャーで29試合に登板した。なおデビュー4戦目にあたる7月8日の対シカゴ・カブス戦では、5回一死からドントレル・ウィリスに次ぐ2番手投手として登板し、後に阪神でチームメイトとなるマット・マートンと2打席対戦して右犠飛と右二塁打であったが、この試合がマートンのメジャーデビュー戦であった。

2006年には、中継ぎ投手としてメジャーに定着し59試合に登板。2勝7敗、防御率5.67の成績を残した。

2007年、前年に続きメジャーで救援登板を重ね、シーズン前半までに23試合へ登板し1勝1敗、防御率2.66の成績であった。

シアトル・マリナーズ時代(2009年)

ジャイアンツ時代

2007年シーズン途中にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。マーリンズ在籍時同様、中継ぎ投手として37試合に登板し1勝3敗、防御率5.09の成績を残した。

マリナーズ時代

2008年シアトル・マリナーズに移籍し、中継ぎで13試合に登板し防御率3.55の記録を残した。

2009年は3Aで52試合に登板、防御率2.86で25セーブの好成績を挙げた。メジャーでは12試合に登板、0勝1敗で防御率4.35であった。9月19日の対ニューヨーク・ヤンキース戦は松井秀喜を全て直球で3球三振に打ち取った。同年オフにロースターから外されて自由契約となった。

阪神時代

2009年12月10日に、阪神タイガースがメッセンジャーと契約したことを発表した。推定年俸60万ドルの1年契約で、背番号は前年までジェフ・ウィリアムスが着用していた54

2010年、前年限りで退団していたスコット・アッチソンに代わるセットアッパーとして期待されていたものの、シーズン開幕当初から不安定な投球が続いた。さらに、先発投手が足りないというチーム事情から球団がシーズン開始直後にジェイソン・スタンリッジを獲得した影響もあって、4月23日に出場選手登録を抹消された。抹消後は先発転向を視野に調整を進め、先発ローテーションの一角だったケーシー・フォッサムが不振に陥った7月に一軍へ復帰すると、11日の対横浜ベイスターズ戦(阪神甲子園球場)で来日後初先発し、6回2失点で勝利を挙げた。8月4日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦で内海哲也から左中間越えの大飛球を放ったところ、いったん本塁打と判定。ビデオ判定で打球が外野フェンスの最上部に当たっていることが判明したため、判定が二塁打に変更されたが、先発投手としては7回を2失点に抑えて勝利投手になった。しかし、9月8日の対中日ドラゴンズ戦で森野将彦に頭部死球を当てて危険球退場となり、その後も序盤に大量失点を与えたりと不安定な登板が続いて、5勝6敗、防御率4.93でシーズンを終えた。この成績のため翌年の契約は流動的であったが、新しく外国人選手を獲得するより計算できるとの首脳陣の判断によりオフに再び1年契約を結んだ。シーズン後には土木作業でトレーニングする意味合いも兼ねて、自宅の庭に馬小屋とブルペンを自作して自主トレーニングをしていた。

2011年には、スタンリッジと共に先発ローテーションに定着。8月6日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、9回二死で失点し完封は逃したが、最後は9回1失点で阪神入り後としては初の完投勝利を挙げた。9月6日の対広島東洋カープ戦ではチーム一番乗りの10勝に到達。結局、能見篤史と並ぶチームトップの12勝(7敗)でシーズンを終えた。シーズン終了後には、前年度の年俸を3倍に増やすことを条件に、阪神球団との間で新たに2年契約を結んでいる。

2012年には、4月17日の対ヤクルト戦で来日初完封を記録。味方打線の低迷により勝ち星には恵まれなかったが、チームで最多の29試合の先発登板を記録し、最終戦で10勝目を挙げた。この好成績を背景に、一時はメジャーリーグへの復帰説が報じられていた。しかし、前年末に結んだ2年契約に沿って、シーズン終了後に阪神への残留を決めた。

2013年には、能見が公式戦開幕前のWBCに日本代表として参加したことを背景に、阪神の外国人投手としては1987年マット・キーオ以来26年振り3人目の開幕投手に起用。ヤクルトとの開幕戦では、6回3失点という内容ながら、阪神の外国人投手としては1965年ジーン・バッキー以来48年振りの開幕戦勝利を記録した。5試合に先発で登板した7月には、1完投勝利を含む4勝無敗、防御率2.43という好成績で、セントラル・リーグ(セ・リーグ)投手部門の月間MVPを初めて受賞。阪神の投手からは、5・6月の能見に次ぐ3ヶ月連続の受賞であった。その一方で、9月17日の対広島戦では、来日後自己最多の150球(7回4安打1失点)を投げている。なお、シーズン通算の奪三振数が183に達したことから、シーズン終了後には、来日後初めてのタイトルとして、セ・リーグからセントラル・リーグの最多奪三振投手として表彰。その一方で、阪神球団がシーズン終了後にマウロ・ゴメス呉昇桓を獲得したことから、一軍へ同時に登録できる外国人選手数の上限(最大4名)との兼ね合いでスタンリッジと共に退団する可能性が報じられていた。結局、スタンリッジが退団(福岡ソフトバンクホークスへの復帰)に至ったのに対して、メッセンジャー自身は2年契約で阪神に残留した。

2014年には、阪神への在籍年数が5年に達し、同球団の外国人投手としてはウィリアムスに並ぶ長さとなった。レギュラーシーズンでは、4月29日の対広島戦から5月17日の対DeNA戦にかけて、甲子園球場での先発登板で3試合連続完封勝利を記録した。阪神の投手による本拠地での公式戦3試合連続完封勝利は、1962年・1966年の村山実、1965年のジーン・バッキーに次いで3人目である。9月2日の対DeNA戦(甲子園)では、8回3失点の12奪三振で勝利投手になるとともに、シーズン通算の奪三振が201に到達。この奪三振数は、2リーグ分立(1950年)以降のNPBの球団に在籍した外国人投手としての最多記録である。また、日本人投手を含めたセントラル・リーグでのシーズン200奪三振は、井川慶が阪神時代の2003年に記録して以来10年振りの達成であった。結局、レギュラーシーズンでは13勝で自身初の最多勝利、226奪三振で2年連続最多奪三振投手のタイトルを獲得。ただし、13勝での最多勝利はリーグ史上最少記録であった。チームのシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファイナルステージで第3戦に先発。初回に阿部慎之助にCSでは巨人唯一の先制適時打を打たれ、3回には亀井善行にソロ本塁打を打たれたものの得点圏の場面では初回の阿部以外に得点を許さず、5回2失点の好投を見せた。最終的にチームは6回に同点に追いつき、7回に勝ち越しそのまま逃げきって勝利。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、第1戦と第5戦で先発を任された。かつての同僚であったスタンリッジと投げ合った甲子園での第1戦では勝利投手になったものの、チームの1勝3敗で迎えた福岡ヤフオク!ドームでの第5戦では、味方打線の貧打で好投が報われないままソフトバンクのシリーズ制覇を許した。

2015年には、前年から2kg増の体重122kgで春季キャンプをスタート。3月27日の対中日戦(京セラドーム)に2年ぶり2度目の開幕投手として先発。6回3失点という内容ながら勝利を逸した(試合は延長10回の末に阪神が5-4でサヨナラ勝利)。その後の先発登板でも不安定な投球が続いたため、5月10日の対広島戦(甲子園)でリーグ最多の5敗目を喫したことを機に、新外国人投手のマリオ・サンティアゴと入れ替わる格好で翌11日に出場選手登録を抹消された。なお、抹消後の5月23日には、東北楽天ゴールデンイーグルスとのファーム交流戦(阪神鳴尾浜球場)に先発。5回1失点6奪三振という結果を残している。同月29日に再登録を果たすと、同日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)での先発登板でシーズン3勝目と11奪三振を記録。来日後の公式戦通算803奪三振も達成したことから、セントラル・リーグ在籍外国人投手の通算奪三振数で歴代2位に浮上した。さらに、この試合の1回裏から6月20日の対ヤクルト戦(甲子園)3回表まで、4試合にわたって自己最長の27イニング連続無失点を達成。同月28日の対DeNA戦(甲子園)で来日後の通算奪三振数が832(NPBの歴代外国人投手では単独5位の記録)に達すると、8月12日の対中日戦(京セラドーム)では日米通算1000奪三振、9月10日の対巨人戦(甲子園)ではNPB公式戦1000イニング登板に至った。しかし、レギュラーシーズンの一軍公式戦通算成績は9勝12敗で、来日1年目(2010年)以来5年振りのシーズン1桁勝利に終わった。なお、チームのシーズン3位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファーストステージ第2戦の先発登板(10月11日・東京ドーム)でチームにシリーズ唯一の勝利をもたらしている。また、シーズン終了後の12月8日には、1年契約で残留することが球団から発表された。

2016年、前年に続いて、京セラドームで中日との開幕戦(3月25日)に先発。7回途中4失点(10被安打)という内容で敗戦投手になったが、5回裏の第2打席で三塁ゴロながら一塁へ出ると、次打者・高山俊の打席中に単独で二塁への盗塁を企図した。公式戦では来日後初の企図であったが、この盗塁を成功させたばかりか、中日の捕手・桂依央利から二塁への送球が逸れる間に三塁まで進んだ。阪神の投手が一軍の公式戦で盗塁を記録した事例は、1981年小林繁以来35年振りで、外国人投手に限れば初めてであった。また、5月29日の対巨人戦(東京ドーム)8回裏に、亀井善行からの三振でNPB史上145人目(外国人投手では3人目)の一軍公式戦1000奪三振を達成。8月には、34歳最後の日(12日)に対中日戦(京セラドーム)で自身2年振り・5度目のシーズン10勝に到達すると、25日の対DeNA戦(横浜)で11勝目と来日後初の猛打賞(3安打)を記録した。阪神の投手が自身の登板試合で猛打賞を記録した事例は、2006年の福原忍以来10年振りで、外国人投手では2002年のトレイ・ムーア以来であった。さらに、9月24日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、シーズンの12勝目を自身2年振りの完封で挙げている。一軍公式戦には通算28試合の登板で、11敗を喫しながらも、チーム最多の12勝と防御率3.01をマーク。シーズン終了後の11月29日には、2年契約でチームに残留することが球団から発表された。

2017年には、3年連続の開幕投手として、3月31日の広島戦(マツダ)に登板。NPBの外国人投手では歴代最多(4度目)の開幕投手起用であり、NPB一軍公式戦通算200試合登板を達成したほか、2013年以来2度目の開幕戦勝利を記録した。NPBの一軍開幕戦で通算2勝を挙げた外国人投手は、テリー・ブロス以来2人目である。この勝利を皮切りに、4月には4度の先発で3勝を挙げ、開幕戦からの通算防御率を1.95にとどめたことを背景に、3・4月度のセ・リーグ投手部門月間MVPを受賞した。後に開幕戦からの連勝を5にまで伸ばすと、7月23日の対ヤクルト戦(神宮)では、3回表の打席で来日初本塁打を小川泰弘からのソロ本塁打で記録。先発投手としても8回を無失点に抑えた末に、2年連続・通算6度目のシーズン10勝を達成した。NPBの外国人投手による通算6度目の一軍公式戦シーズン2桁勝利は、台湾出身の郭泰源に並ぶ歴代最多記録で、アジア圏以外の出身者としては初めてである。さらに、8月4日の対ヤクルト戦(京セラドーム)では、シーズンの11勝目をチーム初完封勝利で記録した。しかし、次に先発した8月10日の対巨人戦(東京ドーム)7回裏に、阿部慎之助が放ったライナーが右脚のくるぶし付近を直撃。その影響で緊急降板を余儀なくされたばかりか、翌11日の診断で右脚腓骨の骨折が判明したため、同日付で出場選手登録を抹消された。故障による抹消は来日後初めてで、8月中旬にはアメリカへ一時的に帰国。骨折した個所を固定させる手術を受けた。8月下旬から日本でリハビリに取り組むと、9月27日のウエスタン・リーグ対広島戦(甲子園)から実戦に復帰。10月10日の中日とのレギュラーシーズン最終戦(甲子園球場)で、先発投手として一軍公式戦2ヶ月振りの先発登板を果たすと、4回を投げ終えたところでセ・リーグの最終規定投球回数に到達した。レギュラーシーズンでの最終規定回数到達は7シーズン連続で、この年にNPBの球団と契約していた投手では最も長く、最終登板では球団タイ記録の7者連続奪三振も達成した。さらに、チームがレギュラーシーズン2位でクライマックスシリーズへの進出を決めたことから、10月13日にはDeNAとのファーストステージ第1戦(甲子園)に先発。前述した骨折からわずか2ヶ月後にもかかわらず、レギュラーシーズンの最終登板から中3日で先発したばかりか、6回無失点の好投で勝利投手になった。チームは第2戦からの2連敗によってファイナルステージへの進出を逃したが、第3戦終了後の10月20日には、前年末に締結した2年契約に沿ってチームへ残留することが球団から発表された。

2018年、3月30日の対巨人戦(東京ドーム)に4年連続の開幕投手として先発。「一軍公式戦開幕戦への4年連続登板」というNPBの歴代外国人投手最長記録を達成するとともに、7回1失点の好投でシーズン初勝利を挙げたことによって、開幕戦での通算勝利数が歴代外国人投手で最多の3勝に到達した。次に先発した4月5日の対DeNA戦(横浜)で、阪神の外国人投手としては1965年のバッキー以来2人目の開幕2連勝を記録。同月12日の対広島戦(甲子園)では、2回表2死満塁から松山竜平へ四球を出した直後に、球審の白井一行へ暴言を吐いたとして、NPBの一軍公式戦では自身2度目(審判への侮辱行為では初めて)の退場処分を受けた。同月16日付で、NPBの国内FA権を取得(詳細後述)。3・4月には、4勝1敗、防御率1.82という好成績を残した末に、セ・リーグ投手部門3・4月度の月間MVPを受賞した。通算3回目の受賞で、阪神の外国人選手としては歴代最多であった。7月には、セ・リーグの監督推薦選手として、来日9年目にして初めてNPBオールスターゲームへの出場を果たした。7月22日の対横浜DeNA戦(横浜スタジアム)では、3回裏に桑原将志から奪った空振り三振でシーズン100奪三振を達成したことによって、8年連続8度目のシーズン100奪三振(NPBの外国人選手における歴代最多記録)を達成。さらに、この試合でシーズン10勝目に到達したことによって、通算7度目のシーズン2桁勝利(NPBの歴代外国人選手最多記録)に至った。10月3日の対広島戦(マツダ)では、6回裏に鈴木誠也から空振りで三振を奪ったことによって、NPB一軍公式戦通算1416奪三振の外国人投手記録を達成した。シーズン最終登板であった同月9日の対巨人戦(甲子園)で4つの三振を奪ったことによって、この記録を1420奪三振にまで更新したが、後半戦は総じて不調。8月11日の対DeNA戦(横浜)でシーズン11勝目(日米通算99勝目)を挙げて以降8試合に先発登板したものの、いずれの試合でも白星が付かなかったため、チームトップの11勝を記録しながら日米通算100勝達成には至らなかった。なお、シーズン終了後の12月10日には、翌2019年の契約を締結したことが球団から発表された。

2019年、レギュラーシーズンの開幕戦であった3月29日の対ヤクルト戦(京セラドーム)に先発。5年連続通算6度目の開幕投手で、「一軍公式戦開幕戦への5年連続登板」というNPBの歴代外国人投手最長記録を更新した。この試合では勝敗が付かなかったが、次に先発で登板した4月5日の対広島戦(マツダ)で、NPB/MLB公式戦通算100勝を達成。前半戦は先発で13試合に登板したが、右肩の状態が思わしくなく、3勝7敗、防御率4.69を記録するなど精彩を欠いた。7月下旬からは一時、アメリカで右肩の治療とリハビリに専念。8月上旬の再来日を経て、同月下旬以降は、二軍の対外試合で調整登板を重ねていた。しかし、長年にわたって右肩に疲労が蓄積した影響で調子も球威も上がらなかったことから、この年限りでの現役引退を決意。9月13日に、球団を通じて引退を発表した。引退記者会見へ臨んだ9月18日には、同月29日に甲子園球場で予定されている対中日戦を、メッセンジャーの引退試合として開催することが球団から発表された。29日の同カードで、打者1人との対戦を条件に、先発投手として現役最終登板。中日の1番打者・大島洋平から6球で三振を奪ったほか、試合後には、外国人選手としては異例の引退セレモニーが催された。

選手としての特徴

身長198cm、体重109kgの巨漢投手で、オーソドックスなオーバースローからの角度をつけた投球が持ち味。フォーシームはMLBでの中継ぎ時代は最速98mph(約157.7km/h)をマークしており、その後NPB移籍、先発転向などを機にコントロールを重視するようになったものの、依然として平均球速約147km/h(日本での最速は156km/h)の球速を維持している。主な変化球として、スライダーフォーク、落差のあるカーブなどを操る。中でもフォークが高く評価されている。また、カーブはマーリンズ時代に中継ぎ投手としてメジャーに定着して以降使用していなかったが、阪神移籍後に久保康生(当時一軍投手コーチ)のアドバイスにより使用を解禁し、それ以降配球の幅を広げる大きな武器として活用している。

奪三振能力に長け、通算奪三振率は8.37を記録している他、2010年から2018年までの在籍9年のうち9.00を超える奪三振率を3度記録。さらに2013年、2014年と2度の最多奪三振のタイトルを獲得している。また、公式戦通算1475奪三振、通算7度のシーズン2桁勝利、2014年に記録したシーズン226奪三振は、現役最終登板の時点でいずれもNPB(2リーグ分裂後)の外国人投手最多記録である。

阪神入団1年目途中で先発転向して以後、7回まで投げても8回からは継投に入ることが多く完投がなかったが、2011年8月6日の対ヤクルト戦において1失点で来日初の完投勝利を挙げた。翌年より完投・完封が増え、2012年から3年連続でリーグ最多完封、2013年から2年連続でリーグ最多完投を記録するなど、先発完投型の投手として活躍した。また、先発へ完全に転向した2011年から2018年まで、8年連続でセ・リーグの最終規定投球回に到達。阪神での実働10シーズンで、レギュラーシーズンの開幕投手に(5年連続を含む)6度起用された。阪神への在籍中に5年連続で開幕戦に先発した投手は、井川慶に次いで歴代2人目。2リーグ分立後(1950年以降)の阪神において、開幕投手を6度任された投手は昭和時代小山正明江夏豊に次いで3人目だが、平成時代ではメッセンジャーしかいない。

また、中6日で投げる先発投手の多い日本プロ野球界において、中5日(あるいは中4日)で投げることを苦にしない投手の1人で、球界有数の「超タフネス投手」と称される。2014年には全31試合の登板の内、中5日で15回、中4日で6回の登板をこなした。さらに、2012年から2016年までは、5シーズン連続で「投球回180以上、総投球数3000以上、奪三振160以上」を達成。2016年シーズンには、先発で登板した28試合のうち、4試合で総投球数が130球を上回っていた。阪神への入団後は、前述した2017年8月11日付での出場選手登録抹消まで、故障による戦線離脱を経験していなかった。その2017年も、抹消の原因になった右脚腓骨の骨折当初はシーズン中の復帰が絶望視されていたにもかかわらず、一軍のレギュラーシーズン最終戦で先発登板し短期間での復活を果たしている。

トレーニングでは走り込みを重視していた。2016年から2018年まで監督を務めた金本知憲は「ウチで一番走るのはメッセンジャー」と評価しており、本人もトレーナーに「選手に嫌われる覚悟でランニングを課さないとダメ」と力説している。

人物

城島健司はマリナーズ時代の同僚で、同時期にマリナーズから阪神へ入団した。マリナーズ移籍後MLB公式戦での登板機会を減らしていたメッセンジャーに対し、城島は日本球界挑戦を強く勧め、日本とアメリカでの野球の違いなどを事細かに説明した他、NPB球団への推薦なども買って出たという。メッセンジャーの阪神入団にあたり、先に阪神への入団が決定していた城島は「彼なら絶対できる」と評価していた。

メッセンジャーを先発投手として成功に導いた久保康生、阪神在籍時数多くバッテリーを組んだ藤井彰人をNPBにおける恩人として挙げており、特に久保からは人生全般に関しても強い影響を受けたといい、強い信頼関係を築いている。

阪神で外国人投手としての先輩にあたるジーン・バッキーとは、直接会ったことがないにもかかわらず、阪神入団後の2013年にSNSでメッセージを送り合ったことをきっかけに親交を深めていた。『ニューヨーク・タイムズ』では、バッキーへのインタビューを基に、2人の親交を物語る特集記事を2018年7月2日付の紙面に掲載した。バッキーが阪神への在籍中に達成した球団の外国人投手記録(一軍公式戦通算100勝・シーズン200奪三振)をメッセンジャーが塗り替えることを期待するコメントを、バッキー本人が出したこともある。メッセンジャーは、2014年にシーズン226奪三振、 阪神での実働10シーズンで98勝を記録したが、2019年9月13日に現役引退を表明。奇しくも、表明の直後(日本時間15日)には、バッキーが脳卒中により82歳で急逝した。この訃報に接したメッセンジャーは、バッキーの葬儀に花を贈呈。バッキーの長女からは、「もし父が生きていれば、彼(メッセンジャー)の引退をどれほど悲しんだでしょう。阪神での自身の記録を破ってくれることを、本当に楽しみにしていましたから」というメッセージが寄せられた。

オフシーズンにはアメリカの自宅で過ごすが、2016年まで住んでいたケンタッキー州の自宅では、自主トレーニング用のマウンドや馬小屋を自作していた。阪神入団後の2016年に購入したテネシー州の自宅でも、庭に生えている木をチェーンソーで切り倒した後に鉈で割って薪に使うなど、独自のトレーニングを継続している。

来日後にラーメンが好物となり、遠征先に必ず行きつけのラーメン店を作り、先発登板の前日は必ずラーメンを食べている。ラーメン店チェーンの天下一品では「こっさり」(「こってり」と「あっさり」のミックス)がお気に入り。最も好きなラーメン店は吉村家。「もやしを入れるとダシの味が変わってしまう」との理由で「チャーシューだけラーメン」にこだわっていることをテレビ番組で公言したり、甲子園球場内限定で販売するラーメンのプロデュースを手掛けたりするなど、ラーメンに対する熱意も非常に高い。2015年シーズンから同球場で販売中のプロデュースメニュー「メッセの豚骨醤油ラーメン」については、(麺以外の料理を含む)阪神選手のプロデュースメニューで、2016年シーズンまでに2シーズン続けてトップの売上を記録。「メッセ盛り」と称する大盛りも注文できることが特徴で、期間限定メニューや派生メニューの販売にまで発展している。

阪神入団9年目の2018年の4月16日に、NPB国内FA権を取得。同年のシーズン終了後に阪神との間で新たに1年契約を結んだことから、2019年以降のNPBでは、(阪神以外の球団に在籍する場合を含めて)外国人選手枠の対象から外れて日本人選手と同じ扱いを受けられるようになっていた(参考)。外国人選手の国内FA権取得はNPB史上9人目で、阪神に在籍中の外国人選手が国内FA権を取得するのは、球団史上初めての事例。1球団だけの在籍で国内FA権を取得した外国人選手は、1996年の郭泰源、2011年の許銘傑(いずれも西武)に次いでNPB史上3人目だが、アジア圏以外の地域出身の選手および、セ・リーグの球団に在籍する外国人選手では初めてである。阪神球団では、メッセンジャーが日本人選手と同じ扱いを受けることを記念して、本人の自筆による「I'm Finally 日本人」というロゴを入れたフリーサイズのTシャツを作製。2019年に公式グッズとして発売したほか、本人も同年の春季キャンプから、折に触れて公の場で着用していた。もっとも、メッセンジャーはこの年限りで現役を引退したため、日本人扱いの選手としての実働期間は1シーズンだけにとどまった。

NPBのオールスターゲームには、2018年にセ・リーグの監督推薦選手として出場権を得るまで縁がなかった。メッセンジャー自身はかねてから出場を熱望していたため、監督推薦選手の発表会見では、「過去にもオールスターゲームへの出場に値する成績を残したことがあったと思うので、9年かかったことは少し残念」というコメントを残している。実際には、京セラドーム大阪で7月13日に催された第1戦で、2回裏から2番手投手として初登板。公式戦を含めても2010年以来の救援登板ながら、ストレートだけを29球を投げ込んだうえで、2イニングを無失点に抑えている。翌2019年には故障や不振で出場を逃した末に現役を引退したため、オールスターゲームではこの救援登板だけで終わった。

2015年4月22日には、横浜スタジアムでの対DeNA戦に先発で登板したが、6回7失点という内容で敗戦投手になった。また、3回表無死1塁で迎えた第1打席では、DeNA先発のギジェルモ・モスコーソに対してスイングの気配を見せないまま見逃し三振。4回表1死1塁で迎えた第2打席では、首脳陣から犠打の指示が出ていたにもかかわらず、ボールコースの初球でバスターを失敗すると3球で見逃し三振に倒れた。打席でのこのような様子が「ナインの士気を下げかねない無気力プレー」と報じられたことから、阪神球団では翌23日に、高野栄一本部長が報道陣にプレーの経緯を説明する事態に至った。メッセンジャー自身は、「第1打席では、モスコーソのスライダーを待つために、あえて打つ気配を見せなかった。第2打席では、犠打のサインを見逃したため、自分の判断でバスターを試みた」という言い分で、前述の報道を否定している。同年のメッセンジャーは、上記の試合を含めて、横浜スタジアムでの公式戦4試合に全て先発で登板。セントラル・リーグの本拠地球場では唯一の未勝利(0勝2敗)で、防御率4.15、3被本塁打を記録するなど、マウンドとの相性の悪さを露呈していた。

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年度別投手成績




【球

団】























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

2005 | FLA | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 178 | 37.0 | 39 | 5 | 30 | 7 | 0 | 29 | 1 | 0 | 22 | 22 | 5.35 | 1.86
2006 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | 9 | .222 | 275 | 60.1 | 72 | 8 | 24 | 2 | 1 | 45 | 3 | 0 | 42 | 38 | 5.67 | 1.59
2007 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | .500 | 103 | 23.2 | 27 | 0 | 9 | 2 | 0 | 12 | 0 | 0 | 7 | 7 | 2.66 | 1.52
SF | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 5 | .250 | 188 | 40.2 | 58 | 4 | 12 | 3 | 1 | 22 | 1 | 0 | 23 | 23 | 5.09 | 1.72
'07計 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 1 | 11 | .333 | 291 | 64.1 | 85 | 4 | 21 | 5 | 1 | 34 | 1 | 0 | 30 | 30 | 4.20 | 1.65
2008 | SEA | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | ---- | 57 | 12.2 | 16 | 1 | 5 | 1 | 1 | 7 | 0 | 0 | 5 | 5 | 3.55 | 1.66
2009 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 43 | 10.1 | 13 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 5 | 5 | 4.35 | 1.26
2010 | 阪神 | 26 | 14 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | 1 | .455 | 350 | 80.1 | 88 | 
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出典:wikipedia
2019/10/18 02:45

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