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リオネル・メッシとは?

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2017年3月)
 | この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はメッシ第二姓(母方の姓)はクッシッティーニです。
リオネル・メッシ

ワールドカップアルゼンチン代表としてプレーするメッシ(2018年)

【名前】

【本名】
リオネル・アンドレス・メッシ・クッシッティーニ
Lionel Andrés Messi Cuccittini
【愛称】
レオ、リオ
メシアス(メシア)D10S
【ラテン文字】
Lionel MESSI
【基本情報】

【国籍】
アルゼンチン
スペイン
【生年月日】
(1987-06-24) 1987年6月24日(31歳)
【出身地】
ロサリオ
【身長】
170cm
【体重】
72kg
【選手情報】

【在籍チーム】
FCバルセロナ
【ポジション】
FW
【背番号】
10
【利き足】
左足
【ユース】

1995-2000
ニューウェルズ
2000-2003
バルセロナ
【クラブ】


クラブ | 出場 | (得点)
2003-2004
バルセロナC |  10  | (5)
2004-2005
バルセロナB |  22  | (6)
2004-
バルセロナ |  435  | (401)
【代表歴】

2004-2005
アルゼンチン U-20 | 18  | (14)
2007-2008
アルゼンチン U-23 | 5  | (2)
2005-
アルゼンチン | 130  | (67)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック

 | 2008 北京 | サッカー


1. 国内リーグ戦に限る。2018年3月4日現在。
2. 2019年6月8日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

リオネル・アンドレス・メッシ・クッシッティーニ(Lionel Andrés Messi Cuccittini [ljoˈnel anˈdɾes ˈmesi] ( 音声ファイル), 1987年6月24日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身のイタリア系アルゼンチン人サッカー選手リーガ・エスパニョーラFCバルセロナ所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワード

13歳でFCバルセロナに加入し、17歳でトップチームデビューして以降、10度のリーガ・エスパニョーラ優勝、6度のコパ・デル・レイ、4度のUEFAチャンピオンズリーグを含むバルセロナ歴代最多33回の優勝に貢献。自身も歴代最多タイ5回のバロンドールを受賞し、6回のチャンピオンズリーグ得点王と歴代最多6回のゴールデンシュー(欧州得点王)を獲得している。同クラブの歴代通算最多得点(603ゴール)の記録を保持しておりラ・リーガ(419ゴール)、ラ・リーガとヨーロッパのリーグの1シーズン(50)、クラシコ(26ゴール)の歴代最多ゴール記録ならびにチャンピオンズリーグ歴代最多ハットトリック記録(8)、ラ・リーガ(169)、コパ・アメリカ(11)の歴代最多アシスト記録を保持している。また多くのサッカー関係者、選手にサッカーの歴史上の最高の選手と呼ばれている。

アルゼンチン代表では2005年8月から代表に選出され、2010年からはキャプテンを務めている。同国代表の通算最多得点記録及び通算最多アシスト記録の保持者でもある。2005 FIFAワールドユース選手権に出場し、優勝するとともに自身もゴールデンボール賞(MVP)、ゴールデンシューズ賞(得点王)を受賞した。2008年、北京オリンピックに出場し、金メダルを獲得した。2014 FIFAワールドカップではアルゼンチンの準優勝に貢献し、大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞した。南米全てのチームからゴールを奪った史上4人目の選手である。W杯南米予選で通算21ゴールを記録しており南米予選歴代最多得点者でもある。

2012年、公式戦69試合に出場し91得点を記録した。これは1972年にゲルト・ミュラーが作った公式戦年間最多ゴール記録85ゴールを40年ぶりに破った記録である。更にこの年にまたがる2011-12シーズンラ・リーガでシーズン37試合に出場し50得点を記録。スペイン記録のみならず、1976-77シーズンにルーマニア1部リーグディナモ・ブカレストドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した47得点を抜き、欧州のリーグシーズン最多得点記録を更新した。この記録はギネス世界記録にも認定されている。2019年、フォーブスによる世界のアスリートの年収ランキングで1位に選出された。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 幼少期
    • 1.2 バルセロナ加入
      • 1.2.1 世界最高の選手へ
      • 1.2.2 バロンドール受賞以降
  • 2 代表経歴
  • 3 プレースタイル
  • 4 評価
  • 5 レオ・メッシ財団
  • 6 エピソード
  • 7 個人成績
  • 8 代表歴
    • 8.1 出場大会
    • 8.2 試合数
    • 8.3 ゴール
  • 9 タイトル
    • 9.1 クラブ
    • 9.2 代表
    • 9.3 個人
  • 10 脚注
    • 10.1 注釈
    • 10.2 出典
  • 11 外部リンク

経歴

幼少期

アルゼンチンのロサリオにて、工場労働者である父ホルヘ・メッシとパートタイムの清掃員の母であるセリア・クッチティーニという低所得の家庭の3人目の子供として生まれた。父方の祖先アンジェロ・メッシはイタリアアドリア海沿岸アンコーナ出身のイタリア人であり、1883年にアルゼンチンに移住した。母方の祖先も同じくイタリア人である。5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年には地元のクラブであるニューウェルズ・オールドボーイズに加入する。10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(成長ホルモン分泌不全性低身長症)が発覚、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が発達しないと診断されたが、ニューウェルズ・オールドボーイズは治療費の工面を拒否し、リーベル・プレートも獲得を諦めた。

バルセロナ加入

人生の転機となったのは、13歳の時に受験し合格したスペインリーガ・エスパニョーラFCバルセロナの加入テスト。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたという。FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。2001年3月1日正式契約を結びスペインでの新たな生活を始めることとなる。この時、彼の身長は143cmだった。治療のため一家での引越しだったとはいえリオネル少年にとって生まれ育った母国の友人らと別れる事になるのは子供心にショックな事だった。スペイン在住となってからでもアルゼンチン時代の幼なじみや友人知人とはこまめに連絡を取り合っていた。

ユースチームで投薬治療を続けた結果、身長は170cmまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長。17歳となった2004年10月16日、第7節エスパニョール戦にてプリメーラ・ディビシオン・デビューを果たすと、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点。17歳と10ヶ月7日で決めたこの得点は、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキッチが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少得点だった。このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。

世界最高の選手へ

2005年のマラガ戦にて

バルセロナと2014年まで契約期間を延長し、スペインの市民権を得て臨んだ2005-06シーズン、リュドヴィク・ジュリとの右ウィングのポジション争い時にこのフランス代表のライバルを上回る活躍を披露。ワールドユースも含めた質の高いプレーが人々に認知され、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドウェイン・ルーニーを抑えて選出された。UEFAチャンピオンズリーグの対チェルシーFC戦・1stレグをはじめ、相手左サイドをしばしば混乱に陥れるビッグプレーを見せたが、対チェルシー戦の2ndレグ中に右足の筋肉を故障し、その後のシーズンを棒に振った。リーガでは17試合、チャンピオンズリーグでは6試合の出場に終わったが、チームはリーガ、チャンピオンズリーグの二冠を達成した。

ヘタフェ戦でのメッシのゴールシーン

2006-07シーズンは故障による欠場が目立ったものの、右サイドから切れ込むドリブルが冴え渡り数々の印象的なプレイを披露する。バルセロナ最大のライバルであるレアル・マドリードとのエル・クラシコでは自身初のハットトリックを達成(試合結果は3-3)し、スペイン国王杯準決勝1stレグ、ホームでの対ヘタフェ戦においては、センターサークル付近から5人をかわして得点を決めた。後者はアルゼンチンサッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナ1986 FIFAワールドカップにおける伝説の5人抜きゴールとほぼ同じコースを辿った、同じ13回のタッチでのゴールであり、当時のリーガ最少失点チーム相手に繰り出した「マラドーナ2世」と呼ばれる彼の「後継者」たる所以を見せ付けたスーパープレーだった。第37節のエスパニョール戦では、マラドーナばりの「神の手」ゴールも記録した。チームはリーガ3連覇とチャンピオンズリーグ2連覇のどちらも達成できずに終わったが自身はリーグ、カップ合計で36試合に出場し17得点と奮闘した。

2007-08シーズンは、ジュリがローマに移籍したものの、プレミアリーグアーセナルからフランス代表のエースストライカー、ティエリ・アンリがチームに加入。サミュエル・エトオロナウジーニョにメッシ自身と4人のワールドクラスのFWを揃えた陣容は「ファンタスティック4」と呼ばれその圧倒的な攻撃力が期待されたが、アンリがチームのスタイルに合うまでに時間を擁し、エトオが負傷、ロナウジーニョが不調と、思うように攻撃陣が機能しない序盤戦、単独での突破から貴重なゴールを幾度となく決めチームを支え、欧州最優秀選手を選出するバロンドールではカカクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選出された。

2008-09シーズンのチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスターユナイテッド戦でプレーするメッシ

2008-09シーズンは、ACミランに移籍したロナウジーニョに代わって背番号10を背負ってチームを牽引。これまで孤立しがちだった右サイドにダニエウ・アウヴェスという心強い相棒が加わったこともあって、前線のエトオ、アンリと共にゴールを量産。初めて年間通して故障らしい故障もなく過ごし、チームはUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝し見事に三冠を達成。メッシは大会を通じて9得点を挙げ得点王に輝いた。2008-09シーズンの総計38得点は、チーム得点王。リーガ第21節、ラシン・サンタンデール戦(エル・サルディネーロ)では、バルセロナのリーガ通算5000ゴール目を決めた。ラシン・サンタンデールは、リーガ初年度第1節(1929年2月12日、エル・サルディネーロ)でマヌエル・パレーラがバルセロナのリーガ初得点を記録した相手でもある。

バロンドール受賞以降

2009年12月1日にはアルゼンチン出身の選手としては3人目(4度目)となるバロンドールに選出された。12月のクラブワールドカップでは負傷した状態での参加となったが試合には間に合い、準決勝のアトランテFC戦では途中出場し、決勝点を挙げる。決勝のエストゥディアンテス戦では先発出場し、延長戦の末にダニエウ・アウヴェスのクロスを胸で押し込み決勝点を挙げ、バルセロナの優勝に貢献。メッシは大会選定のゴールデンボール賞(MVP)を受賞した。胸でボールを押し込んだことに関してメッシは「相手GKが体勢を崩していて強いシュートを打つ必要がなかったので、確実にボールを押し込むために胸を使った」と話した。12月21日にはアルゼンチン人としては初となるFIFA年間最優秀選手に選出された。2007年、2008年と2年連続で次点となっていたため、3度目の正直での受賞となった。

2010年1月16日のセビージャ戦で、自身バルセロナ通算100得点を史上最年少で達成した。3月6日のアルメリア戦で決勝点を挙げると、14日のバレンシア戦、21日のサラゴサ戦と2試合連続でハットトリックを達成するなど、バルセロナの得点を9連続で記録した。4月6日のチャンピオンズリーグ準々決勝・アーセナルとの2ndレグで、大会史上6人目となる1試合4得点を達成した。決勝トーナメントでの1試合4得点は史上初であり、この得点でチャンピオンズリーグ通算得点が25となり、リバウドを抜いてバルセロナ歴代1位となった。チャンピオンズリーグは準決勝で敗退し連覇を逃したものの、リーガではその後も得点を挙げ続け、バルセロナの連覇に貢献。メッシ自身は35試合に出場して34得点を挙げ、得点王、ヨーロッパ・ゴールデンシューに輝いた。リーグ34得点、シーズン公式戦通算47得点はロナウドと並び、バルセロナ最多タイ記録となった。

2011年1月10日、バルセロナの同僚でありワールドカップ優勝メンバーでもあるアンドレス・イニエスタシャビを抑え、2年連続でバロンドールを受賞した。2年連続でバロンドールを受賞したのは史上6人目であり、複数回バロンドールを受賞するのは史上9人目の快挙である。バロンドールがFIFA最優秀選手賞と統合され、FIFAバロンドールとなってからは最初の受賞者となった。

2010-11シーズンも、前シーズンと変わらぬ活躍を見せる。チャンピオンズリーグではルート・ファン・ニステルローイと並び大会史上最多タイとなる12得点を挙げ、3季連続の得点王を獲得。バルセロナの2シーズンぶりの優勝に貢献した。2011年8月25日には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出された。

FIFAクラブワールドカップで優勝したことをチームメートと共に祝うメッシ

2011-12シーズンも開幕から得点を量産し、2011年9月28日のチャンピオンズリーグ・BATEボリソフ戦で2得点を挙げ、ラディスラオ・クバラと並びクラブ史上2位タイとなる公式戦通算194得点とすると、10月25日のラシン・サンタンデール戦で2得点を挙げ、単独2位となった。2011年12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝のサントスFC戦ではブラジルの新星ネイマールとのエース対決に注目が集まったが、試合は終始バルセロナがサントスを圧倒し、4-0のスコアで勝利した。メッシ自身も2得点の活躍で大会MVPを受賞し、チームの2年ぶり2度目の大会制覇に貢献した。

2012年1月9日にはFIFAバロンドール男性部門の最優秀選手賞を受賞。3度目の受賞は史上4人目、3年連続での受賞はミシェル・プラティニに次ぐ史上2人目の快挙となった。

バイエル・レバークーゼン戦でチャンピオンズリーグ史上初となる5得点を挙げたメッシ

2月14日のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのバイエル・レバークーゼン戦で1得点を挙げ、チャンピオンズリーグ決勝トーナメント通算得点数を19とし、ラウル・ゴンサレスアンドリー・シェフチェンコを抜き歴代単独最多となった。2月19日のバレンシア戦では自身のリーガ通算200試合出場を、4得点を挙げて祝った。同月26日のアトレティコ・マドリード戦では決勝点を挙げたもののハンドリングでシーズン5回目の警告を受け、自身初の累積警告による出場停止処分を受けた。3月7日のレヴァークーゼン戦2ndレグではチャンピオンズリーグ史上初となる1試合5得点を達成し、バルセロナの大勝に貢献した。3月20日のグラナダ戦でハットトリックを達成してバルセロナでの公式戦通算得点数を234とし、セサル・ロドリゲス・アルバレスの持つ記録を更新し歴代トップとなった。3月24日のリーガ第30節のマジョルカ戦で自己最多となるシーズン35得点目を挙げ、8節を残してロナウドの持つリーガでのシーズン通算得点のクラブ記録を更新した。4月3日のチャンピオンズリーグ準々決勝2ndレグ、ACミラン戦で2得点を挙げチャンピオンズリーグでのシーズン通算得点を14とし、昨年の自身の記録を更新して大会最多得点記録を樹立した。4月7日のリーガ第32節のサラゴサ戦で2得点を挙げ、1972-73シーズンのゲルト・ミュラー以来39シーズンぶりとなる、1シーズン公式戦通算60得点を達成した。5月2日のリーガ第20節延期分のマラガ戦で3得点し、これでシーズン公式戦68得点とし、ゲルト・ミュラーの持つ、シーズン公式戦67得点の最多得点記録を更新し、最終的にシーズン公式戦73得点を記録し、リーガ、チャンピオンズリーグの両方で得点王を獲得。リーガでは史上最多記録となる50得点を挙げ、1976-77シーズンにディナモ・ブカレストドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した欧州リーグシーズン得点記録(47得点)を35年ぶりに更新した。またチャンピオンズリーグでは前述の通り大会最多得点を記録し、史上初の4シーズン連続得点王となった。 2012年12月9日のリーガ第15節のベティス戦では2得点を挙げてゲルト・ミュラーの年間ゴール記録(85得点)を40年ぶりに更新し、最終的に年間91得点を記録した。

2013年1月7日、クリスティアーノ・ロナウドとアンドレス・イニエスタを抑え、バロンドールを4年連続で受賞。4年連続4度目の受賞は共に史上初である。

2013年1月27日のリーガ第20節のオサスナ戦では4得点を決めてリーガ200得点を史上最年少(25歳217日)で達成し、テルモ・サラの持つ記録(29歳352日)を大幅に更新した。3月9日のリーガ第27節のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では第11節のマヨルカ戦から続く17戦連続27得点を達成。その後、第29節から3試合負傷欠場するも復帰後は再び得点を続け、最終的に21戦連続33得点を記録しリーグ戦における史上最多連続得点を記録した。また、この記録によってプリメーラ・ディビシオンのバルセロナ以外の全19チームから得点を奪い、なおかつ得点を途切れさせずにリーグ戦を半周するという史上初の快挙を達成した。シーズン終盤は負傷欠場の影響もあり記録更新はならなかったものの、リーガ46得点、公式戦60得点を挙げ2年連続得点王に輝いた。また、これによって3度目の欧州得点王となり、ヨーロッパ・ゴールデンシューの単独最多受賞者となった。チャンピオンズリーグでは1回戦2ndレグのACミラン戦で2得点を決めてチームの逆転勝利に貢献するも、パリ・サンジェルマン戦の1stレグで右足ハムストリングを負傷。2ndレグでは途中出場となり、こちらも逆転勝利に貢献した。準決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では1stレグには出場を果たしたものの、2ndレグでは出場機会はなく、ベンチからチームの敗退を見届けることとなった。

2013-14シーズンは開幕当初から度重なる負傷に悩まされ、11月10日のベティス戦では左足大腿の肉離れを起こし、1ヶ月半以上の離脱を強いられることとなった。2014年3月16日のオサスナ戦ではハットトリックを達成して親善試合&公式戦含めて通算371得点を記録、これによってパウリーノ・アルカンタラの記録を87年ぶりに更新しバルセロナ歴代最多得点者となった。続く3月23日のレアル・マドリード戦でもハットトリックを達成してエル・クラシコでの通算得点を21とし、アルフレッド・ディ・ステファノを抜いてクラシコ単独最多得点者となった。

2014-15シーズンは9月27日のグラナダ戦で2得点を決め、クラブ、代表合わせて公式戦通算400ゴールを達成した。11月22日のセビージャ戦ではハットトリックを達成してリーガ通算253得点を記録しテルモ・サラを抜いてリーガ最多得点記録者となった。11月25日のチャンピオンズリーグGS、APOEL戦では2試合連続、CLでは5度目のハットトリックによってラウル・ゴンサレスの71得点を抜いてCL累計74得点を記録し、CL歴代最多得点者となった。12月7日のエスパニョールとのダービーマッチでは再びハットトリックを達成して、親善試合&公式戦含めてクラブ通算400ゴールを達成した。シーズン後半からはルイス・スアレスの加入の影響もあり、かつてのように右ウィングで起用されることが多くなった。2015年3月8日のラーヨ・バジェカーノ戦では公式戦32回目(リーガでは24回目)のハットトリックを達成し、公式戦、さらにはリーガでのハットトリック最多記録を更新した。4月18日のバレンシア戦ではバルセロナでの公式戦通算400ゴールを達成した。チャンピオンズリーグ準決勝ではかつての恩師、ジョゼップ・グアルディオラ率いる、バイエルン・ミュンヘンと対戦し、2ゴールを挙げ、前日にクリスティアーノ・ロナウドに抜かれたCL通算得点を77点とし、再びトップに立ち、決勝進出に貢献した。リーグ戦では5月17日のアトレティコ・マドリード戦、コパ・デル・レイでは決勝のアスレティック・ビルバオ戦でいずれも先制点を決め、 チャンピオンズリーグ決勝ユヴェントス戦では決勝点につながるシュートを打ちチームの史上初の2度目三冠達成に大きく貢献した。チャンピオンズリーグではネイマール、クリスティアーノ・ロナウドと並びCL得点王に輝いた。8月27日にはUEFA欧州最優秀選手賞を54票中49票(得票率90.7%)と圧倒的な票を集めて史上初となる2度目の受賞を果たした。FIFAクラブワールドカップでは決勝のリーベル・プレート戦で先制点を挙げてチームの5冠達成に貢献し、2015年を出場した6大会全てで得点して締めくくった。

2016年1月11日にはクリスティアーノ・ロナウドとチームメートのネイマールを抑えて5度目のバロンドール受賞を達成し、バロンドールの受賞記録をさらに更新した。2月3日のバレンシア戦では34度目のハットトリックを達成し、キャリア通算500ゴールを記録した。同17日のスポルティング・ヒホン戦では2ゴールを決めリーガ通算300ゴールを達成した。10月19日のチャンピオンズリーグ、マンチェスター・シティ戦ではチャンピオンズリーグ単独最多の7度目のハットトリックを達成した。11月6日のリーグ11節セビージャ戦ではクラブ通算500ゴールを達成した。2017年3月19日のバレンシア戦では2ゴールを決め、8シーズン連続リーグ戦25ゴール、および公式戦40ゴール越えを達成した。4月23日、レアル・マドリードとのエル・クラシコでは決勝点を含む2ゴールを決めてクラブでの公式戦通算500ゴールを達成した。

2017年7月5日、メッシはバルセロナとの間で新たに4年間の契約を延長したことが発表された。これにより税控除後の年俸は4,000万ユーロになるとのことである。10月1日、メッシは、ラス・パルマス戦に出場したことにより公式戦594試合出場を果たした。これによりカルレス・プジョルの記録を上回って、クラブ歴代3位の出場回数となった。10月18日、チャンピオンズリーグ、グループステージのオリンピアコス戦で欧州カップ戦通算100ゴールを達成した。11月1日にリーガのセビージャ戦に出場し公式戦600試合出場を果たした。2018年3月14日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦第2戦のチェルシー戦では2ゴールを決め欧州CL通算100ゴールを史上最速(123試合)で達成した。

2018年5月にキャプテンであったイニエスタが退団したことで、メッシは次のシーズンにチームの新キャプテンに選ばれた。 2018年8月12日、スペールコパでセビージャを2-1で下し、バルセロナのキャプテンになってから初めてタイトルを獲得した。 これによりバルセロナでの自身のタイトル獲得数が33個になり並んでいたイニエスタを抜き単独でチーム歴代最多記録となった。 チャンピオンズリーググループステージ第1節PSV戦でハットトリック(直接FK1本を含む)を達成した。10月20日、メッシはセビージャ戦でゴールとアシストをそれぞれ決めていたが26分に右腕から激しく転倒し負傷退場を余儀なくされた。検査の結果、橈骨の骨折と診断され3週間の欠場を余儀なくされた。12月16日、メッシはアウェイのレバンテ戦で2アシストと2018年50ゴール目と同時に自身通算43回目であるハットトリックを決めた。2019年1月13日、リーガ出場435試合目のホームのエイバル戦でリーガ400ゴール目を挙げチームも3-0で勝利した。そしてメッシは欧州5大リーグにおいて1つのリーグだけで400ゴールを決めた最初の選手となった。2019年1月17日、国王杯5回戦2ndレグレバンテ戦でデンベレの2ゴールをアシストし自身もゴールを決めチームの準々決勝進出に貢献した。レバンテ戦で決めたこのゴールは国王杯での通算49ゴール目でありバルセロナにおける国王杯でのゴール数でラディスラオ・クバラと並んで歴代2位に浮上した。1月30日、国王杯準々決勝2ndレグのセビージャ戦では国王杯通算50ゴール目を決めクバラのゴール記録を抜きバルセロナにおける国王杯得点数で歴代単独2位に浮上した。2月2日、リーガのバレンシア戦でチームの2点目をPKで決めた。しかし試合はドローで終了した。このPKでのゴールによってC.ロナウド、ウーゴ・サンチェスに続いてリーガにおいてPKで50ゴールを決めた3人目の選手となった。2月23日、アウェイのセビージャ戦でキャリア通算650ゴールを決めるとともに通算50回目のハットトリックを達成した。3月17日、アウェイのレアルベティス戦で相手サポータからの喝采を浴びたループゴールを含むキャリア通算51回目のハットトリックを達成した。4月16日、チャンピオンズリーグ準々決勝2ndレグのマンチェスターユナイテッド戦で2ゴールを挙げチームの準決勝進出に貢献した。4月27日、レバンテ戦では途中出場から決勝点となるゴールを挙げその試合での勝利により自身10回目となるリーガ優勝が確定した。2019年5月2日、チャンピオンズリーグ準決勝1stレグのリヴァプール戦でクラブ通算600ゴールとなるFKゴールを含む2ゴールを決めた。 しかしその後の2ndレグで4-0の大敗を喫しチャンピオンズリーグで2年連続の逆転負けを味わうこととなった。5月19日、ホームで行われたリーガー最終節となるエイバル戦でチームは2-2のドローに終わったが自身は2ゴールを決めリーガ通算34試合36ゴールの成績でテルモ・サラと並ぶ史上最多6度目のリーガ得点王になり同じく史上最多6度目のピチーチを受賞することが決定した。

代表経歴

アルゼンチン代表でプレーするメッシ

2005年6-7月にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権アルゼンチン代表として参加し、エースとしてチームを牽引した。決勝のナイジェリア戦では自身がドリブルを仕掛け獲得した ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/06/18 21:48

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