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リスボンとは?

リスボンの風景
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正式名称: Concelho de Lisboa
名前の由来: Lisboa, ポルトガル語 フェニキア語から派生した「安全な港」を意味する Allis Ubbo ; ラテン語 オデュッセウスに因んだUlyssippo ; ローマ人のテージョ川の名称 Olissipona
愛称: A Cidade das Sete Colinas (7つの丘の街), Rainha do Mar (海の女王)

ポルトガル
区域 リスボン地域
小区域 大リスボン圏
地区 リスボン県
自治体 リスボン

行政教区 53地区
テージョ川

所在地 リスボン
- 標高 | 2m (7ft)
- 座標 | 38°42′50″N 9°8′22″W / 38.71389°N 9.13944°W / 38.71389; -9.13944座標: 38°42′50″N 9°8′22″W / 38.71389°N 9.13944°W / 38.71389; -9.13944
最高地 227 m
- 所在地 | セラ=デ=モンサント, ベンフィカ地区, リスボン
- 標高 | 199m (653ft)
- 座標 | 38°43′43″N 9°11′5″W / 38.72861°N 9.18472°W / 38.72861; -9.18472
最低地 海面
- 所在地 | 大西洋

面積 84.8 km2 (33 sq mi)
- 都市部 | 958 km2 (370 sq mi)
- 都市圏 | 2,957 km2 (1,142 sq mi)

人口 547,631 (2011)
- 都市部 | 3,051,000
- 都市圏 | 3,035,000
人口密度 6,458 /km2 (16,726 /sq mi)

集落の創建 fl. 719
- 都市の創建 | c. 1256
行政単位 Concelho/Câmara Municipal
- 所在地 | Praça do Município, Lisbon, Grande Lisboa
- 座標 | 38°42′29″N 9°8′18″W / 38.70806°N 9.13833°W / 38.70806; -9.13833
市長 フェルナンド・メディーナ (PS)
市議会議長 エレーナ・ロゼータ (PS)

等時間 WET (UTC+0)
- 夏時間(DST) | WEST (UTC+1)
ISO 3166-2コード PT-
郵便区 1149-014 Lisboa
市外局番 +市内局番 (+351) 21 XXX-XXXX

住民の呼称 Lisboeta , Alfacinha
守護聖人 サラゴサのヴィセンテ
自治体住所 Praça do Município, 1
1149-014 Lisboa

ポルトガルにおけるリスボンの位置

ウィキメディア・コモンズ: Lisbon
ウェブサイト: http://www.cm-lisboa.pt/

リスボン(ポルトガル語: Lisboa IPA: [ɫiʒˈboɐ] ( 音声ファイル)、[liʒˈβoɐ] リジュボア英語: Lisbon IPA: [ˈlɪzbən])は、ポルトガルの首都で同国最大の都市である。市域人口は54万7,631人を擁し、市域面積は84.8平方キロメートル(33平方マイル)に過ぎないが、そのぶん高い人口密度を保持している。リスボンの都市的地域は行政区としての市域を越えて広がっており、人口は300万人を超え、面積は958平方キロメートル(370平方マイル)を占めており、欧州連合域内では11番目に大きな都市圏 (en) を形成している。約303万5,000人 の人々がリスボン都市圏に暮らし、ポルトガルの全人口の約27パーセントを占めている。リスボンはヨーロッパの大都市ではもっとも西にある都市であると同時に、ヨーロッパの中でもっとも西側に位置する政府首都でもある。ヨーロッパ諸国の首都のなかで唯一の大西洋岸にあるリスボンは、イベリア半島の西側、テージョ川の河畔に位置している。

リスボンは金融や商業、出版、娯楽、芸術、貿易、教育、観光といったさまざまな分野で重要な都市であることから、世界都市とみなされている。ポルテラ空港は2012年に1,530万人の旅客を扱い、高速道路(Auto-estrada)や高速列車アルファ・ペンドゥラールによりポルトガルのほかの主要都市と結ばれている。南ヨーロッパではイスタンブールローマバルセロナマドリードアテネミラノに次いで7番目に多くの観光客が訪れる都市で、2009年には174万人の観光客が訪れた。リスボンの総所得は世界の都市で32番目に高い位置を占めている 。ポルトガルの多国籍企業の本社はほとんどがリスボン地域に置かれており、世界では9番目に多くの国際会議が開かれる都市でもある。

また、ポルトガルの政治の中心でポルトガル政府の首府やポルトガルの大統領官邸が置かれているほか、リスボン地域リスボン県の中心でもある。

世界的にも古い歴史がある都市の一つで、西ヨーロッパでは最古の都市であり、現代のヨーロッパのほかの首都であるロンドンやパリ、ローマなどよりも数百年さかのぼる。ガイウス・ユリウス・カエサルはフェリキタス・ユリア(Felicitas Julia)と呼ばれるムニキピウムを創建し、オリピソ(Olissipo)の名に加えた。5世紀から一連のゲルマン人部族により支配され、8世紀にはムーア人により攻略された。1147年、ポルトガル王国の建国者アフォンソ1世下のレコンキスタでのリスボン攻防戦で、ポルトガルはムーア人からリスボンを奪回する。以来、リスボンはポルトガルの主要な政治、経済、文化の中心となっている。ほとんどの首都と異なり、リスボンのポルトガルの首都としての地位は法令や書面の形式では公式に認められたり確認されたりしていない。首都としての地位は憲法制定会議を通じて事実上の首都としてポルトガルの憲法に定められている。

リスボンには欧州薬物・薬物依存監視センター(EMCDDA)と欧州海上保安機関(EMSA)の2つの欧州連合の専門機関が置かれている。「ルゾフォニアの世界の首都」と呼ばれ、ポルトガル語諸国共同体の本部がペナフィエル伯宮殿に置かれている。ベレンの塔ジェロニモス修道院の2つはUNESCO世界遺産に登録されている。さらに1994年、リスボンは欧州文化首都になり、1998年にはリスボン国際博覧会が開催された。

目次

  • 1 地理
    • 1.1 地勢
    • 1.2 気候
    • 1.3 行政教区
    • 1.4 地区
      • 1.4.1 アルカンタラ
      • 1.4.2 アルファマ
      • 1.4.3 バイロ・アルト
      • 1.4.4 バイシャ
      • 1.4.5 ベレン
      • 1.4.6 シアード
      • 1.4.7 エストレラ
      • 1.4.8 パルケ・ダス・ナソンイス
  • 2 歴史
    • 2.1 ローマ以前
    • 2.2 ローマ時代
    • 2.3 中世
    • 2.4 近世
    • 2.5 19世紀から現代まで
  • 3 人口動態
    • 3.1 都市圏
  • 4 経済
  • 5 交通
    • 5.1 路面電車
    • 5.2 鉄道
    • 5.3 道路・路線バス
    • 5.4 橋
    • 5.5 フェリー
    • 5.6 航空
  • 6 教育
    • 6.1 高等教育
  • 7 文化
    • 7.1 文化施設
    • 7.2 行事
    • 7.3 その他
  • 8 スポーツ
    • 8.1 サッカー
    • 8.2 ほかのスポーツ
    • 8.3 競技施設
  • 9 リスボン出身の人物
  • 10 姉妹都市
  • 11 ギャラリー
  • 12 脚注
  • 13 外部リンク

地理

SPOTからのリスボン都市圏地域の正射図

地勢

リスボンはイベリア半島に位置している。市街は西南ヨーロッパの大西洋岸に位置するテージョ川河口の湾の北岸に位置している。川幅が広がっていったテージョ川は大西洋に注ぐ最後の数キロの河口部分は狭くなっていく。岸からはいくつかの丘が隆起しており、リスボンには高い丘や深い谷がある。リスボンの最高地点は226メートルで、市街は長い間テージョ川に沿って開けていた。20世紀以来、内陸部にも都市が開けている。リスボンの最西部にはモンサント森林公園があり、10平方キロメートル(4平方マイル) を占めヨーロッパでは最大規模の都市公園で、市域面積の10パーセントを占めている。リスボンの市域面積は84.94平方キロメートル(33平方マイル)を占め、ほかの大都市とは異なり歴史的な中心の狭い範囲が市域として定められている 。ほかの都市化されたリスボン都市圏地域は一般的に大リスボン圏(ポルトガル語: Grande Lisboa)として知られ、実際にはいくつかの都市や自治体に定められており、アマドーラケルシュアグアルヴァ=カセンオディヴェーラシュローレシュアルマーダバレイルセイシャルオエイラシュなどがある。

気候

リスボンは亜熱帯 - 地中海性気候(ケッペンの気候区分ではCsa)に属し、穏やかで暖かな冬と暑い夏がある。年間の平均気温はおおむね日中が21.5℃(70.7℉)で、夜間が13.5℃(56.3℉)で、海水温は17.5℃(63.5℉)である。冬の降雪はまれであるが、1993、1994、2006、2007年に観測された。最寒月は1月で気温の範囲はおおむね8 - 15℃で、海水温の平均は15℃(59℉)である。最暖月は8月で気温の範囲はおおむね18 - 28°Cで海水温は19℃(66℉)である。夏は通常、5月から10月の6か月間続く。3月、4月、11月は季節の変わり目で、気温は時折20℃(68℉)を上回り、これら3か月の日中の平均気温は18.9℃(66.0°F)、夜間の平均気温は12.0℃(53.6°F)である。12月、1月、2月は一番寒い月で、日中の平均気温は15.5℃(59.9℉)、夜間の平均気温は8.9℃(48.0°F)である。ヨーロッパの大都市や首都の中ではリスボンは一番温暖な冬である。降雨はおもに冬に見られ、夏は概して乾燥している。年間の日照時間は2,800時間で、日中の平均日照時間は12月が4.6時間、7月が11.4時間である。

リスボンの気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 20.6
(69.1) | 24.8
(76.6) | 28.3
(82.9) | 29.4
(84.9) | 35.0
(95) | 41.5
(106.7) | 40.6
(105.1) | 37.9
(100.2) | 37.1
(98.8) | 32.6
(90.7) | 25.0
(77) | 25.1
(77.2) | 41.5
(106.7)
平均最高気温 °C (°F) 14.5
(58.1) | 15.9
(60.6) | 18.2
(64.8) | 19.2
(66.6) | 21.4
(70.5) | 24.8
(76.6) | 27.5
(81.5) | 27.8
(82) | 26.2
(79.2) | 22.1
(71.8) | 18.0
(64.4) | 15.2
(59.4) | 20.9
(69.6)
日平均気温 °C (°F) 11.3
(52.3) | 12.6
(54.7) | 14.3
(57.7) | 15.4
(59.7) | 17.4
(63.3) | 20.4
(68.7) | 22.7
(72.9) | 23.0
(73.4) | 21.8
(71.2) | 18.4
(65.1) | 14.8
(58.6) | 12.4
(54.3) | 17.0
(62.6)
平均最低気温 °C (°F) 8.1
(46.6) | 9.2
(48.6) | 10.4
(50.7) | 11.5
(52.7) | 13.3
(55.9) | 15.9
(60.6) | 17.9
(64.2) | 18.1
(64.6) | 17.3
(63.1) | 14.6
(58.3) | 11.5
(52.7) | 9.5
(49.1) | 13.1
(55.6)
最低気温記録 °C (°F) 0.4
(32.7) | 1.2
(34.2) | 2.9
(37.2) | 5.5
(41.9) | 6.9
(44.4) | 10.3
(50.5) | 13.1
(55.6) | 13.8
(56.8) | 10.7
(51.3) | 8.0
(46.4) | 3.9
(39) | 2.4
(36.3) | 0.4
(32.7)
雨量 mm (inch) 96.8
(3.811) | 90.2
(3.551) | 51.2
(2.016) | 64.7
(2.547) | 55.6
(2.189) | 17.2
(0.677) | 6.1
(0.24) | 6.8
(0.268) | 28.5
(1.122) | 79.8
(3.142) | 107.1
(4.217) | 121.8
(4.795) | 725.8
(28.575)
平均降雨日数 (≥ 0.1 mm) 15.0 | 15.0 | 13.0 | 12.0 | 8.0 | 5.0 | 2.0 | 2.0 | 6.0 | 11.0 | 14.0 | 14.0 | 117.0
平均月間日照時間 142.6 | 156.6 | 207.7 | 234.0 | 291.4 | 303.0 | 353.4 | 344.1 | 261.0 | 213.9 | 156.0 | 142.6 | 2,806.3
出典: Instituto de Meteorologia, Hong Kong Observatory for data of avg. precipitation days & sunshine hours

行政教区

リスボンの行政教区 (ポルトガル語: freguesias)

リスボン市は行政教区であるフレギジーア(freguesias)と呼ばれる53の下位の行政区画に2012年11月まで分けられていた。新しい法律("Lei n.º 56/2012") によりフレギジーア数は24に減っている。

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地区

流行の地区となっているアルカンタラの埠頭

地元のリスボンの住民はより一般的にリスボンの場所を歴史的なバイロ (en) (地区)で表している。これらの地域の範囲ははっきりとは定められておらず、共通の歴史文化やランドマークとして確認できる建築物、暮らしの水準や地元の雰囲気により表された独特の地区で、バイロ・アルト(Bairro Alto)やアルファマ(Alfama)、シアード(Chiado)などさまざまである。

アルカンタラ

今日では完全に中心部になっているが、かつては単なるリスボンの郊外に過ぎず、ほとんどは農場や邸宅が占めていた。16世紀には小川があり、貴族たちが自分たちの小舟で遊覧していた。19世紀後半を通して、アルカンタラ地区は多くの小さな工場や倉庫が建ち並ぶ工業地区となった。100年を経て、この地域では多くの魅力的で古い建物は失われ、小川(村の女性たちが洗濯する場)もなくなった。

1990年代初期、アルカンタラは多くのパブやディスコにより若者を惹きつけるようになった。これはおもに、ほとんどが商工業用の建物からなる町の外縁の区域であることから、騒音を生み出すナイトライフと周囲の住宅地域との間の防壁としての役割を果たしていた。一方ではジェントリフィケーションが進み、いくつかの地区では再開発が行われ、街の中心に近く川の景色を望むことのできるロフト・アパートや新しいマンションの開発が集中している。

サン・ジョルジェ城
アラファマのポルタス・ド・ソルを走るトラム

アルファマ

詳細は「アルファマ」を参照

リスボンでももっとも古い地区で、サン・ジョルジェ城からテージョ川にかけ南斜面に広がる。地区の名称はアラビア語Al-hammaに由来しており、泉や浴場を意味する。ウマイヤ朝によるヒスパニアの征服の時期、アルファマは市内の大部分を占め西側のバイシャ地区に拡大した。だんだんとアルファマには漁師や貧しい人々が暮らすようになり、貧しい地区との評判は今日でも続いている。1755年リスボン地震のときには首都全体は大きな被害に見舞われたが、アルファマは複雑で密集した狭い路地と小さな広場により少ない被害で済んだ。被害から免れた歴史的な地区には、住宅や小さな店、ファドのバーやレストランなどさまざまな用途に建物が使われている。新しい建物も建てられてきたが、古い建物も別の目的に利用されたりリフォームされたりしており、現代化の傾向は地区を活気づけている。

バイロ・アルト

詳細は「バイロ・アルト」を参照

バイロ・アルト(Bairro Alto)はポルトガル語で「高い地区」を意味し、リスボンの中心地区の一つである。住宅や商業、娯楽の地区で、若者を惹きつけるポルトガルの首都のナイトライフの中心である。バイロはリスボンのパンクゲイヘヴィメタルゴスヒップホップレゲエなどそれぞれのシーンの拠点で、クラバやバーに専門性を与えている。ポルトガルの民族歌謡であるファドは新しいナイトライフでも残っており、バイロ・アルトに集まる群衆には文化や娯楽の多文化が混在している。

バイシャのアウグスタ通りコメルシオ広場へ続いている。

バイシャ

詳細は「バイシャ・ポンバリーナ」を参照

バイシャ・ポンパリーナはリスボンのダウンタウンで街の中心で、単にバイシャと呼ばれることも多い。バイシャ・ポンパリーナは洗練された地区である。おもにリスボン地震のあとに造られ、その名称はジョゼ1世下で宰相でポルトガルの啓蒙時代に鍵となる人物であったポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの名から取られている。1755年の震災後、公爵はリスボンの再建に関して厳しい条件と建設指針を課し、震災前の地区を特徴づけていた本来の通りは現在の格子状の通りへと変わった。結果として、バイシャ・ポンパリーナは耐震建築の最初の一例となった。

建築のモデルは兵士たちを周辺で行進させ、地震に見立てて試験が行われた。注目されるポンパリーナ構造には「ポンパリーナ・ケージ」も含まれ、地震の力を分散することを目的とした対称的な木製の格子状の骨組みと、火災の広がりを防ぐためテラス間の壁が屋根材より高く造られた特徴が含まれる。

ベレン

ジェロニモス修道院はポルトガル中でも最も人が訪れる建物の1つ。
詳細は「ベレン」を参照

ベレン地区は多くの偉大なポルトガルの探検家が発見の旅に出た場所として有名である。特にヴァスコ・ダ・ガマは1497年にインドへ向けここから旅立ち、ペドロ・アルヴァレス・カブラルは1499年にブラジルへ向け旅立った。以前の王室の宮殿であった、17 - 18世紀を特徴づけるベレン宮殿があり、現在ではポルトガル大統領の官邸で、アジュダ宮殿は1802年に始まったが未完のままである。ベレン地区でもっとも有名で特徴となる塔はベレンの塔で、そのイメージはリスボンの観光局でずっと使われている。この塔は要塞化された灯台としてマヌエル1世(1515 - 1520)の統治期に建てられ、港の船の出入りを監視していた。この塔はテージョ川の右側の小さな島に建っていて、周囲は水辺である。ベレンのほかの有名な歴史的建築物にはジェロニモス修道院があり、ベレンの塔はこの建物の一部を守るためにも建てられている。ベレンでもっとも現代的な特徴を持つのは発見のモニュメントである。ベレンの中心はインペリオ広場(Praça do Império)で、大噴水を中心とした庭園は第二次世界大戦時に設計された。庭園の西側はベレン文化センターである。ベレン地区はもっとも人が訪れるリスボンの地区の1つである。

ルイス・デ・カモンイス広場はシアード地区の活動の中心。

シアード

詳細は「シアード」を参照

シアードは従来からのショッピングエリアで、昔からの店や現代の店が混ざりカモル通りやガレット通りに特に集中している。地元の人や観光客はシアードで本や服、陶器類を買ったりカフェを楽しんだりしている。シアードでもっとも有名なカフェにはカフェ・ア・ブラジレイラがあり、常連客にはフェルナンド・ペソアもいた。いくつかの建物は1988年の火災により焼失し、これはポルトガル国民に深い衝撃を与えた。著名な建築家であるアルヴァロ・シザがコーディネートした10年を超える再建計画によって、影響を受けた地区は復興している。

エストレラ

バロック様式新古典主義建築エストレラ大聖堂はこの地区のメインとなる呼び物である。巨大な教会には大きなドームを擁し、リスボン西部の丘の上に建っており遠方からでもよく見ることができる。建築様式はマフラ国立宮殿に似ており、後期バロック様式と新古典主義建築である。ファサードは2つの鐘楼に聖人や寓意的な彫刻が含まれる。サン・ベント宮殿には共和国議会と首相公邸があり、この地区にある。

パルケ・ダス・ナソンイスの景観

パルケ・ダス・ナソンイス

詳細は「パルケ・ダス・ナソンイス」を参照

パルケ・ダス・ナソンイス(Parque das Nações)はリスボンの新興地区で、リスボン国際博覧会からつながる都市再生計画でExpo'98としても知られる。この地区は大きく変化し、パルケ・ダス・ナソンイスには未来的な容貌を与えている。長い間変わらなかった地域は、リスボンの新しいショッピングエリアやハイエンドな住宅地に変貌した。地区の中心部にはオリエンテ駅があり、リスボンの主要な鉄道やバス、タクシー、地下鉄の交通の中枢になっている。ガラスやスチールの円柱はゴシック様式に触発されたもので、全体の構造は日差しや夜のイルミネーションにより視覚に魅力を与えている。駅のデザインはバレンシアの建築家サンティアゴ・カラトラバによる。通りはヴァスコ・ダ・ガマ・モールから博覧会の会場であった国際公園(Parque das Nações)へ続いている。地区には新しい建物につながるペデストリアンデッキやレストラン、庭園、リスボンカジノ、国際見本市会場(FIL)、カモンイス劇場、リスボン水族館がある。アトランティコ・パビリオンはリスボンの多目的アリーナになっており2万人が収容でき、コンサートやバスケットボールのトーナメント戦などに使用されている。

歴史

詳細は「リスボンの歴史」を参照

ローマ以前

フェニキアの遺跡発掘、リスボン大聖堂。

考古学的な発見から、フェニキア人の影響は紀元前1200年にさかのぼることが提唱され、おもな歴史家はフェニキア人の交易地が現代の都市の中心である城丘の南斜面辺りを占めていた可能性があると考えている。テージョ川の河口に保護された港は、集落やシリー諸島コーンウォールへ航海するフェニキア人の船に安全な港を提供するには理想的な場所であった。新しい街はフェニキア語で安全な港を意味するAllis Ubboと名付けられた可能性があり、リスボンの元になる地名学の説の一つとなっている 。ほかの説では集落がローマ以前のテージョ川の名称(LissoLucio)を取ったことが提唱されている。テージョ川の集落は内陸部の部族にとって、貴金属や塩、彼らが獲った塩漬けの魚の販路や古代に著名であったルシターノ馬を売るなど交易の中心として重要であった。中世のリスボン大聖堂の下から紀元前8世紀からのフェニキアの遺跡が発見されたが、現代の歴史家は遺跡は古代の先住民の集落(オッピドゥム)の1つで、せいぜいそれは陶器や工芸品によりフェニキア人との商業的なつながりであったと考えている。

リスボンの名称は地理学者でヒスパニア出身のポンポニウス・メラにより、ラテン語Ulyssippoで書かれた。その後、ガイウス・プリニウス・セクンドゥスにより「Olisippo」と言及され、ギリシャ人はOlissipo (Ολισσιπών) やOlissipona (Ολισσιπόνα)と言及した。伝説によれば、この地はオデュッセウスにちなんで命名され、入植地は彼がギリシャとの連合から逃れるためイリオスから去ったあとに創建された。のちにギリシャ名は俗ラテン語Olissiponaの形式で表れている。

ローマ時代

ローマ時代の城壁の一部。

ポエニ戦争中のハンニバルの敗北に続いて、ローマはカルタゴのもっとも価値がある領地であるヒスパニアを奪うことを決意した。ヒスパニア東部でスキピオ・アフリカヌスにより敗北したカルタゴの軍隊は、デキムス・ユニウス・ブルートゥス・カッライクスがリードする西部の和平を許している。デキムスはオリシッポOlissipoの同盟(北西部のケルト人の部族に対抗するためローマ軍団と一緒に戦う男を派遣する)を獲得し、Municipium Cives Romanorum Felicitas Juliaとして帝国に統合された。地元の権威者は50キロメートルにわたり自らの支配が認められ、税の免除や市民にはローマ市民権の特権が付与されローマの属州であるルシタニアに統合されている。ルシタニアの主都はエミレタ・アウグスタであった。ローマの支配していた期間には、ルシタニア人の襲撃や反乱から入植地の周りには壁の建設を必要とした。

アウグストゥスの統治の時代、ローマ人は巨大な劇場やカシアンの浴場、ユーピテルディアーナキュベレーテーテュースフリギアの概念(小アジアからの珍しいカルト)からの神殿、それらに加えて皇帝への神殿やフィゲイラ広場の下の大きなネクロポリスやフォルム、インスラなど城丘と歴史的な都市の中心部の間に建てた。

都市は海賊を排除して進んだ技術を取り入れ、フェリキタス・ユリア(Felicitas Julia)はローマの属州であるブリタニアの、特にコーンウォールラインとの交易の中心となった。経済は力強く、オリッシポ(Olissipo)はガルム(魚醤の1種で、帝国のエリート層に珍重されアンフォラでローマに輸出されていた)やワイン、塩、馬の繁殖で知られ、ローマの文化は後背地に浸透しつつあった。幅の広い街道によりヒスパニア西部やほかの大都市であるヒスパニア・タッラコネンシスのブラカラ・アウグスタ(現代のブラガ)、ルシタニアの主都であるエメリタ・アウグスタ(現代のスペインのメリダ)と結ばれていた。都市はJuliiCassiaeの2つの一族が占める寡頭制の議会によって支配されていたが、地方の統治はローマの名誉総督か皇帝のティベリウスによるものであった。住民の大半がラテン語の話者というなかで、大きなマイノリティーのギリシャ人の商人や奴隷も暮らしていた。

オリッシポは帝国西側のもっとも大きな都市のように、キリスト教普及の中心であった。最初のリスボン総主教Potamius(356年)であった証明や、いくらかの殉教者がキリスト教迫害の時期にありメリダのエウラリアなどは重要な例である。当時のローマ帝国の衰退により、オリッシポは重要なキリスト教の中心となっていった。

アラファマのサン・ジョルジェ城のムアー人の城塞。

ローマ帝国の崩壊に続いて、蛮族の侵入があり409年から429年に街は連続してサルマタイアラン人ヴァンダル族に支配さ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/07/11 15:54

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