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ルクセンブルグとは?

(ルクセンブルグから転送)
ルクセンブルク大公国
Grand-Duché de Luxembourg(フランス語)
Großherzogtum Luxemburg(ドイツ語)
Groussherzogtum Lëtzebuerg(ルクセンブルク語)



(国旗) | (国章)

国の標語:Mir wëlle bleiwe wat mir sinn
(ルクセンブルク語:我々は今ある状態を保ちたい(我々は独立していたい))

国歌:Uelzecht(ルクセンブルク語)
我が母国

公用語 フランス語ドイツ語ルクセンブルク語
首都 ルクセンブルク市
最大の都市 ルクセンブルク市
政府

大公 アンリ
首相 グザヴィエ・ベッテル

面積

総計 2,586km(168位)
水面積率 極僅か

人口

総計(2016年) 576,249
GDP(自国通貨表示)

【合計(2015年)】
521億ユーロ(€)
GDP (MER)

【合計(2015年)】
578億ドル(74位)
GDP (PPP)

合計(2015年) 560億ドル(102位)
【1人あたり】
99,505ドル
建国

フランス帝国より 1815年7月9日
ベルギーに編入
1830年10月16日
オランダより独立
1839年4月19日
オランダと同君連合
1867年5月11日
【オランダとの同君連合解消】
1890年11月23日

通貨 ユーロ(€) (EUR)
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 LU / LUX
ccTLD .lu
国際電話番号 352

  1. ^ 外務省 ルクセンブルク基礎データ
  2. ^ IMF Data and Statistics 2016年12月16日閲覧
  3. ^ 1999年以前の通貨はルクセンブルク・フラン
  4. ^ ルクセンブルクのユーロ硬貨も参照。

ルクセンブルク大公国(ルクセンブルクたいこうこく)、通称ルクセンブルクは、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家。首都は国名と同名のルクセンブルク市。隣接国は、南のフランス、西と北のベルギー、東のドイツである。ベルギー、オランダと併せてベネルクスと呼ばれる。

目次

  • 1 国名
  • 2 歴史
  • 3 政治
  • 4 地方行政区分
  • 5 地理
  • 6 経済
    • 6.1 GDP
    • 6.2 大規模な外国資本
    • 6.3 主要な国内産業
      • 6.3.1 鉄鋼業を中心とする重工業
      • 6.3.2 ユーロ圏を代表する国際金融センター
      • 6.3.3 欧州における情報通信産業の中核
      • 6.3.4 白ワインとチョコレートの国
      • 6.3.5 歴史遺産とエコツーリズム
    • 6.4 外国人労働者問題
  • 7 国民
  • 8 文化
    • 8.1 婚姻
    • 8.2 世界遺産
    • 8.3 祝祭日
    • 8.4 教育
    • 8.5 スポーツ
  • 9 著名な出身者
  • 10 参考文献
  • 11 脚注
    • 11.1 注釈
    • 11.2 出典
  • 12 関連項目
  • 13 外部リンク

国名

正式名称は以下のとおりである。

歴史

詳細は「ルクセンブルクの歴史」を参照
ルクセンブルクの領域の変遷(1659年 - 1839年)

963年アルデンヌ家のジーゲフロイト(Sigefroid)伯爵が、今の首都の領土に城を築いたことに始まる。その当時、砦を“lucilinburhuc”(小さな城)と呼んでおり、それが変化してLuxemburgとなった。1060年頃、アルデンヌ家の分家であるルクセンブルク家に伯爵位が与えられた。14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から神聖ローマ皇帝ボヘミア王を出し、1354年にルクセンブルク家の皇帝カール4世によって伯領から公領へ昇格された。しかしルクセンブルク家はカール4世の孫の代で断絶し、ルクセンブルク公領は抵当に入れられた後、1461年ブルゴーニュ公国に併合された。その後、ネーデルラント一帯はハプスブルク家領となり、ルクセンブルクはハプスブルク領ネーデルラントの一州としてスペインオーストリアの支配を受けた。

フランス革命期にフランスの支配を受けた後、1815年ウィーン会議の結果、ドイツ連邦に加盟しながらもオランダ国王を大公とするルクセンブルク大公国となった。1830年ベルギー独立革命の際にはベルギーと行動を共にし、首都ルクセンブルクを除いて、その統治下へと置かれた。1831年、ロンドン会議によって領土の西半分(現在のリュクサンブール州)をベルギー、残りの領土をオランダ国王の統治下へと帰属することが決められた(Third Partition)。この割譲が実現されたのは、1839年になってからである。1867年にはロンドン条約によってプロイセン王国とフランスの緩衝国とするため永世中立国となった。1890年、元ナッサウ公アドルフがルクセンブルク大公となり、オランダとの同君連合を解消した。

20世紀初頭から王家が積極的に外資を誘致、労使関係が良好となった。第一次世界大戦第二次世界大戦においては、ドイツの占領下に置かれた。後者においては、ベルギー国立銀行に預託していた資産をヴィシー政権におさえられナチスに奪われた。1948年ベネルクス間で関税同盟を結成。1949年にはNATOに加盟し、82年間続いた永世中立を放棄した。1957年欧州経済共同体1967年欧州連合1999年ユーロ圏へといずれも原加盟国として参加している。2001年クリアストリーム事件が起きた。

政治

立憲君主制国家元首ナッサウ=ヴァイルブルク家世襲するルクセンブルク大公。大公は儀礼的な職務のみでなく、内閣とともに行政権を執行する。2018年現在、世界で唯一の大公国である。

議会代議院による一院制。全60議席、任期5年。議員は、直接選挙で選出される。また、議会に対して助言をする国務院(コンセイユ・デタ)がある。メンバーは全21名で、首相の推薦に基づき、大公が任命する。

ルクセンブルクの軍事は現状必要最低限のものである。戦力は陸軍のみであり、総兵力は4個中隊、約450名。空軍・海軍はない。北大西洋条約機構に加盟し、欧州合同軍にも兵力を提供している。

新自由主義的な経済政策を志向しているが、伝統的に労使関係が良好でストライキは少ない。また企業への税負担が極めて低く抑えられていることから、外国資本による大規模な投資を呼び込むことに成功してきた。

地方行政区分

詳細は「ルクセンブルクの地方行政区画」を参照

3つの広域行政区に分かれる。

  1. ディーキルヒ広域行政区
  2. グレーヴェンマハ広域行政区
  3. ルクセンブルク広域行政区

広域行政区の下には12の県が、県の下には126の基礎自治体(Gemeng)があり、三層構造となっている。

地理

ルクセンブルクの地図

国土は南北82km、東西57kmにわたって広がる。神奈川県佐賀県沖縄県程度の広さの国土に、人口は48万人強。

国土の大部分には丘と低い山地が広がる。首都ルクセンブルクの標高は379m。最高地点は同国北端に近いクナイフの丘(Kneiff, 560m)。ローマ帝国時代から、街道が交わる重要拠点であった。北部はベルギーから続くアルデンヌ高原、南部はフランスから続くロレーヌ台地。東側のドイツとの国境は、モーゼル川が流れる。

ルクセンブルクは地理的に欧州の中心に位置している。その意味ではブリュッセルストラスブールと並ぶ世界都市である。

道路や空路(航空貨物大手のカーゴルックス航空が本拠地を置く)といった交通網がよく整備されており、オランダ(国際的な海運業の中核)を隣国とする「欧州における物流の要所」である。更には英語フランス語ドイツ語といった「欧州の主要言語がすべて通じる」理想的な環境にあるため、欧州圏にビジネス展開しようとする世界企業にとっては魅力的な立地条件を有している。

ルクセンブルクの月別最高気温(赤)、最低気温(青)、降水量(棒グラフ)
出典:BBC Weather

ルクセンブルクの気候はケッペンの気候区分によると西岸海洋性気候に分類される。

首都ルクセンブルクの年平均気温は、1961年から2000年の30年平均値で8.6度。月別平均気温が最も低くなるのは1月(0.2度)、最も高くなるのは7月(17.2度)である。

年間降水量は847.7mm。図からも分かるように月別降水量の年間における変化に乏しい。最も降水量が少ないのは2月(59.6mm)、最も多いのは11月(79.3mm)である。どの月においても降水が観測された日が過半数を占める。

相対湿度が最も低くなるのは4月から6月にかけてであり、73%である。最も高い月は12月(90%)。年平均値は81%である。

経済

1965年のビジネス・ウィーク誌によると、ミューチュアル・ファンドの巨人ジョン・テンプルトンとその共同経営者ウィリアム・ダロムスは、Investors Overseas Services ルクセンブルク保険のファイナンスを手がけた腕を買われてIOS のパートナーとなり、バーニー・コーンフェルドもテンプルトンのレキシントン・リサーチ・アンド・マネジメントの株式をIOSと個人名義で保有した。

最近では1MDB をめぐる汚職事件と関係して、実業家のKhadem al-Qubaisi が、パナマ文書に載っているオフショア会社を経由し、ジュネーヴに本店があるエドムンド・ド・ロスチャイルド銀行のルクセンブルク支店で口座を開設した。

GDP

IMFの統計によると、2015年のルクセンブルクのGDPは578億ドルであり、2013年度における日本岐阜県の経済規模とほぼ同じである。1992年以降、一人当たりのGDPは世界首位の座を保っている。ただし、購買力平価ベースでは、2000年代中盤を境にカタールに追い抜かれ、第2位に甘んじている。(補足:ルクセンブルクは高度に発達した先進工業国である一方、カタールは石油産業(オイルマネー)に依存する国である)

ルクセンブルクの経済成長率は毎年4 - 5%の範囲で推移(2007年度以降は鈍化)しており、先進国としては例外的に高い経済成長を維持し続けていたが、2008年に起こった世界経済危機の影響を受け、2009年にはマイナス成長に転じた。翌年には持ち直したものの、2012年にはユーロ危機によって再びマイナス成長となった。ただし2016年現在は以前の状態に回復している。

GDP比で特徴的なのは対外債務である;GDPの67倍であり極めて高い水準にある。(2017年6月末現在)(List of countries by external debt)。

大規模な外国資本

ルクセンブルクは先進国の中でも特に税率が低い国であり、数多くの国外企業を誘致することに成功している。近年ではインターネット関連企業の誘致に力を注いでおり、スカイプeBayアップルなどを筆頭として数多くのインターネット関連企業が本社機能を移転している。ただし、本社機能を完全移転したスカイプ社のような事例は稀であり、その大半は欧州本社である。日本企業としては、ファナック楽天などが欧州本社を置いている。

また、その税負担の軽さから、EUやOECD(またはG20)などに事実上のタックスヘイブンとみなされ、強い非難を浴びてきた。近年までは一連の非難に対して強気の姿勢を崩さなかった。典型的な福祉国家ではないのにも関わらず、概して失業率が良好に推移しており、国内の所得格差が北欧諸国並みに小さいのは、巨額の外資を導入しているからである。

とはいえリーマンショックに端を発する世界恐慌以降は、国際的な金融規制の流れを受けて税率改正の動きを見せはじめている。その一環として 2010年1月25日、租税条約改正について日本政府と合意した。

主要な国内産業

ルクセンブルクには多種多様な産業が発達している。大規模に外資を投下された民間企業による経済活動は極めて盛んである。このことは重工業金融にあてはまる。また、国策として情報通信分野における産業振興を図った結果、ヨーロッパにおける情報通信産業(放送メディア産業)の中核を担うことになった。ベルテルスマンRTLグループ買収は一例である。

他にも、高度に発達した工業と豊かな自然(特に田園風景)とが共存しており、観光業(近年ではエコツーリズム)も盛んである。その自然の豊かさから「欧州における緑の中心地(Green heart of Europe)」と称されることもあり、上海万博におけるルクセンブルク・パビリオンの標語としても採用されている。食品産業は全般的に低調である。

鉄鋼業を中心とする重工業

中立化以前のルクセンブルクは農業国であった。20世紀初頭からベルギーから外資が投下された。外資の出所はドイツやフランスといった欧州の強国であった。ルクセンブルクが普仏関係の緩衝地帯というのは軍事面でのことであって、経済戦争においては前線であった。次第にベルギー鉄鋼業がルクセンブルクに延長してきた。1926年の鉄鋼カルテル(Entente internationale de l'acier)は欧州石炭鉄鋼共同体の原型となった。第二次世界大戦後、アンリ・J・レイル(Henry J. Leir)がグッドイヤーデュポンモンサントなどを誘致した。1960年代よりアルセロールなどがルクセンブルクの経済を牽引した。およそ十年後にオイルショックがベルギーごとルクセンブルクの鉄鋼業に再編を迫った。

2006年、インドに本拠地を置くミタルスチール社がアルセロールを買収した。この事件は国内鉄鋼業の衰退を象徴したが、しかし合併後(アルセロール・ミッタル)も依然として同国に本社を置いている。

製造業としては、化学繊維、自動車部品、プラスチック・ゴムといった分野でも実績があるが、いずれも鉄鋼業ほどの影響力はない。隣国ベルギー(アントウェルペン市)がダイヤモンド取引の中心地であるため、ルクセンブルクにもダイヤモンド加工産業が根付いているが、ベルギーほど加工技術は高くないとされる。

他に特筆すべき工業製品としては高級食器が挙げられよう。ビレロイ&ボッホ社がルクセンブルク(オーストリア大公国領時代)に工場を置き、ハプスブルク家の御用達となったことから世界的に名声が広まった。ルクセンブルク工場が製造する陶磁製食器は、現在でも世界的に高い評価を受けている。

ユーロ圏を代表する国際金融センター

2017年の調査によると、世界18位の金融センターであり、欧州では3位である。

2016年現在では金融サービス業をはじめとする第三次産業がGDPの約88%を占めるようになった。ユーロ圏におけるプライベート・バンキングの中心地であり、世界的に見てもスイス(非EU加盟国)に匹敵する規模を誇る。デイリーテレグラフ紙によれば、金正日の持つ隠し資産の大半がルクセンブルクの銀行に預けられているという。そんな金融機関を束ねる国際決済機関のクリアストリームは、ルクセンブルクの繁栄を象徴している。また、欧州圏における再保険分野の中心地でもある。

こうした金融セクターは(およそ30万人の労働人口に対して)7万人近い雇用を生み出し続けており、労働人口全体のおよそ5分の1を構成していることになる。一方、ルクセンブルク・リークスで明らかとなったような脱法が目立つ。

また、国内には欧州投資銀行ユーロスタット欧州会計監査院といった欧州連合における金融関連機関が集中しており、ユーロ圏における金融センターとしての地位を不動のものとしている。

欧州における情報通信産業の中核

ルクセンブルクは情報通信分野(放送メディア産業)の産業振興に力を入れてきた。結果として、現在はRTLグループSES S.A.の二大メディア複合体を擁し、欧州における同分野の中核を担っている。RTLグループは欧州随一の規模を誇る放送メディアの企業複合体であり、SES S.A.は欧州のみならず世界有数の規模を誇る衛星放送事業者。特に後者は国策企業(日本で言えばNHK-BSに近い)を前身とし、現在では世界最多(41機)の放送衛星を運用する民間企業である。欧州最大の商業通信衛星群 ASTRAシリーズは、子会社のSES アストラによって運用されている。

金融サービスに関連して電子商取引の重要性にいち早く注目し、2000年8月に世界に先駆けて電子商取引の関連法を制定した。同様に電子商取引の安全性を保証する仕組みとして電子認証機関ルクストラストを官民共同プロジェクトとして設立し、官民を問わず広く利用を促している。続いて2009年には、欧州最大規模の商用インターネット相互接続ポイントルシックス」が設立された。ちなみに、国内全域において光ファイバーによる高速回線が利用可能である。近年では、首都ルクセンブルク市および第二都市エシュ=シュル=アルゼットの一帯で Wi-Fiによる高速無線通信も利用可能になった。

白ワインとチョコレートの国

他分野と比べると第一次産業が見劣りすることは否めないが、モーゼル川流域は古代ローマ時代からワインの生産が盛んな地域であり、良質な辛口の白ワインを産出することで知られている。ただしドイツフランスとは異なり国内生産量は15,000kl/年と小規模であるため、輸出されることは少なく希少性が高い(一般的にモーゼルワインと言えばドイツ産が有名)。ちなみに、葡萄の主要品種はリースリングゲヴュルツトラミネールピノ・グリなど。

農業が吸収する労働人口は全体の1%前後とされる。農家の大部分は家族経営の小規模な自作農であり、耕作畜産混合農業が一般的。有機農法を用いた農地に政府助成金が支給される仕組みとなっているため、政府認証を受けた農地のほぼ100%が有機農法を行っている。また、農業関係者の遺伝子組み換え食品に対する拒否感は強い。

隣国ベルギー同様にチョコレート菓子が有名で、「オーバーワイス」は王家御用達である。

また、飲食店の格付け冊子として著名なミシュランガイドにおいて国民一人あたりの星の数が世界一という実績から、「美食の国」として誉れ高い隣国ベルギー同様、グルメ観光を目的とした旅行客も少なくない。

歴史遺産とエコツーリズム

大国に翻弄されながらも独立を維持してきたルクセンブルクは、その歴史を偲ばせる建造物が国内各所に点在している。特に首都の旧市街は世界遺産に登録されており、観光地として人気がある。しかし観光客は近隣諸国から来てすぐ帰ってしまう。実際にベルギーからの日帰り客が少なくない。そのため、観光客をいかに長期滞在させるかが観光業の課題となっており、近年では豊かな自然を生かしたエコツーリズムに力点が置かれている。

エコツーリズムをメインとする観光地としては、鬱蒼とした森が広がるアルデンヌ地方や「小スイス」と称されるミュラータール、モーデル川沿いの丘陵地帯(ワイン観光)などが挙げられる。鉄鋼業の中心地である南部(エシュ=シュル=アルゼット)には豊かな自然に加え、かつて鉄鉱石を運んだSL鉄道 をはじめする産業遺産が残されている。この地域は岩石が鉄分を含むために赤味を帯び、通称「赤岩の地(land of red rocks)」とも呼ばれる。

また、小国ながら自転車競技では世界レベルの実力を誇る国だけあって自転車ロードレースの国際大会(ツール・ド・ルクセンブルク)が毎年開催されており、大会期間中は観戦客で大いに賑わう。

外国人労働者問題

ルクセンブルクは伝統的に諸外国から多くの移民を受け入れており、2015年現在のデータでは人口の45.3%が外国出身である。この割合は欧州連合の中でも突出したものであり、世界の中でもルクセンブルクを越える国は多くない。ただし、ルクセンブルクの場合は近隣諸国(同じ言語圏)からの移民も少なくないため、多言語国家であっても、米国のような多民族国家とは言い難い。そもそも、ルクセンブルクに外国出身者が多いのは、同国が(ユーロ圏で唯一)二重国籍を認めていなかったために過ぎず、在住する外国人の多くは近隣諸国からの越境者である(東京と近隣県の関係に近い)。実際、労働人口のおよそ半数が隣国(主にベルギーやフランス、ドイツなど)から越境通勤してくる「コミューター」とされる。ちなみに、こうした越境労働者が多いことが一人当たりのGDPを引き上げる要因となっている。

また、好調な経済に惹かれてやって来た不法移民(不法滞在者)も多いとされるが、ルクセンブルクの国籍(あるいは労働許可証)を取得していない限りは存在しないものとされ、正確な統計情報も存在しない(発覚した場合は国外追放)。もっとも、シェンゲン協定の締結以後、周辺国(現在では欧州のほぼ全域)との往来が自由になっているため、ルクセンブルクを目的地とした不法移民なのかどうかを判断するのは困難である。ちなみに、在留資格がなくとも現地での被雇用を条件に長期滞在許可が下りる(ただし、これは主に難民に対する処置)。

また、ルクセンブルクにおける外国出身者の失業率は他の欧州各国と比較して低く、外国人に対する差別意識もさほど強くない上、前述の通り寛容な移民政策を採用していることから、不法滞在の目的は何らかの非合法活動に従事する場合に限られる。

国民

ルクセンブルクの人口推移(1961年 - 2003年)

住民はケルト人ゲルマン人などの混血が主である。外国人の割合は高く、3分の1程度である。主な外国人は、2016年現在、ポルトガル人(36%)、フランス人(15%)、イタリア人(8%)、ベルギー人(7%)である。神聖ローマ(ドイツ)帝国から分離した歴史上ドイツ系の国民と見なすことができるがフランスの影響も強く、ドイツ語系の方言を古い母語としながら公的にはフランス語が主流となっている点では、フランスのアルザス地方と相似している。

言語はフランス語、ドイツ語、ルクセンブルク語の3つが公用語とされている。フランス語は7歳から教育が始まり、行政と法律の言語として使用されている。家庭内、友人間、地元に密着した店ではルクセンブルク語が現地人の言葉として使われ、また多くの場合カトリック教会の典礼言語としても使用されている。ルクセンブルク語は中部ドイツ語の一派であり、標準ドイツ語との距離も近いため、テレビや映画など報道関係分野ではドイツ語が多用される。またその他、街やレストランなどでは英語のみならず、ポルトガル語イタリア語

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出典:wikipedia
2018/07/18 14:05

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