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ルノーとは?

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ルノー
Renault S.A.

種類
株式会社
【市場情報】
Euronext: RNO
【本社所在地】
フランス
ブローニュ=ビヤンクール、ケ ル・ガロ13-15
【設立】
1898年10月1日
業種
輸送用機器
【事業内容】
自動車
【代表者】
ジャン=ドミニク・スナール(取締役会長)
ティエリー・ボロレ(CEO)

【資本金】
24,567 Million Euro
(2011年12月31日時点)
【売上高】
連結:42,628 Million Euro
(2011年12月期)
【営業利益】
連結:1,244 Million Euro
(2011年12月期)
【純利益】
連結:2,139 Million Euro
(2011年12月期)
【総資産】
連結:72,934 Million Euro
(2011年12月末時点)
【従業員数】
128,000人
(2011年12月末時点)
【決算期】
12月末日
【主要株主】
フランス政府 19.74%
日産ファイナンス(株) 15.00%(議決権なし)
(2016年12月31日現在)
【外部リンク】
group.renault.com(英語)
renault.jp(日本語)

メガーヌ RS
R.S.17

ルノー(Renault S.A.)は、フランスパリ近郊のブローニュ=ビヤンクールに本社を置く自動車製造会社。

グループ傘下の日産自動車(およびその傘下の三菱自動車)やダチアルノーサムスン自動車などを含めると世界最大の自動車会社である。

目次

  • 1 沿革
    • 1.1 ヨーロッパ最大の自動車会社
    • 1.2 安全への取り組み
    • 1.3 歴代会長
    • 1.4 歴代CEO
  • 2 会社概要
  • 3 年表
  • 4 歴史
    • 4.1 ヴォワチュレット
    • 4.2 生産規模の拡大
    • 4.3 マルヌのタクシー
    • 4.4 両大戦の狭間
    • 4.5 第二次世界大戦
    • 4.6 国営化
    • 4.7 4CVの成功
    • 4.8 小型車
    • 4.9 先進技術の導入
    • 4.10 「モノスペース・コンセプト」
    • 4.11 アメリカン・モーターズ買収
    • 4.12 民営化
    • 4.13 日産自動車を事実上の傘下に
    • 4.14 ルノー・日産アライアンス
    • 4.15 2000年代以降
  • 5 開発・生産・販売
    • 5.1 研究開発
    • 5.2 生産拠点
    • 5.3 アジア太平洋地域
  • 6 日本での販売
    • 6.1 日本市場参入
    • 6.2 相次ぐインポーター変更
    • 6.3 ルノー・ジャポン
  • 7 車種一覧
    • 7.1 現在生産されている車種
    • 7.2 過去の車種
    • 7.3 アルピーヌ
  • 8 ルノーと日産の共通のプラットフォーム
    • 8.1 アライアンス・Bプラットフォーム使用車
    • 8.2 アライアンス・Cプラットフォーム使用車
    • 8.3 アライアンス・Dプラットフォーム使用車
    • 8.4 CMF採用車
  • 9 モータースポーツ
    • 9.1 フォーミュラ1
      • 9.1.1 革新的技術の積極的導入
      • 9.1.2 2年連続チャンピオン
    • 9.2 ラリー競技
  • 10 広告・ブランド
    • 10.1 コーポレートカラー
    • 10.2 テレビCMに関するエピソード
  • 11 子会社・提携先など
    • 11.1 子会社・系列会社
    • 11.2 提携先・その他
  • 12 出典
    • 12.1 注釈
    • 12.2 出典
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

沿革

ヨーロッパ最大の自動車会社

プレミアム・トラクター

1898年にフランス人技術者のルイ・ルノー(Louis Renault1877年-1944年)とその兄弟によって「ルノー・フレール(ルノー兄弟)」社として設立された。現在は主に中小の乗用車や商用車を手掛ける。過去には商用車専門の子会社のルノーV.Iで大型トラックや軍用車両の生産、第二次世界大戦前は航空機ボートも生産していた。

1970年代以降PSA・プジョーシトロエンと並び、フランスの二大自動車企業の一角を占め、先進的なデザインと優れた安全性能、高品質が高い評価を受け、1998年以降2004年まで連続でヨーロッパ第1位の販売台数を維持した。

2011年現在、韓国ルノーサムスン自動車ルーマニアダチアロシアアフトヴァースの株式を保有し、これらを傘下に収めている。また日本日産自動車とお互いの株式を持ち合い名目上は対等の「ルノー・日産・三菱アライアンス」を構成しているが、日産はフランスの国内法の制限により議決権を行使できないため、ルノーが事実上傘下に収めている。

これらの傘下に収めたグループ企業を含めると、2011年度の新車販売台数の実績では、日本のトヨタグループを抜いて、アメリカGMドイツフォルクスワーゲングループに次いで世界第3位の規模の会社となる。また商用車製造社の世界的再編では、商用車専門の子会社のルノーV.Iボルボに売却する一方、ボルボの株を20%保有し影響力を保持している。

安全への取り組み

クリオ・ルノースポール

市販車で初の四輪ディスクブレーキ採用など、古くから安全性の向上に力を入れている。近年では、運転中の危険回避を補助するESP(エレクトロニック・スタビリティー・プログラム)を積極的に採用する他、世界で最も高い権威を持つ自動車衝突安全性テスト「ユーロNCAP」において、2006年現在で8車種(モデュスクリオメガーヌ、メガーヌ・グラスルーフ・カブリオレセニックラグナエスパスヴェルサティスコレオス)が5つ星の評価を得ており、これは世界の自動車会社中最多を誇る。

歴代会長

【】
【氏名】
在任期間
初代 | ルイ・シュバイツァー | 1992年 月 - 年 月
2代 | カルロス・ゴーン | 年 月 - 2019年1月
3代 | ジャン=ドミニク・スナール | 2019年1月 -

歴代CEO

【】
【氏名】
在任期間
初代 | ルイ・シュバイツァー | 1992年 月 - 2005年 月
2代 | カルロス・ゴーン | 2005年 月 - 2019年1月
3代 | ティエリー・ボロレ | 2019年1月 - 2019年10月

会社概要

ルイらルノー兄弟
本社
設立
設立者
経営陣
従業員数
生産台数
純利益

年表

歴史

ヴォワチュレット

ヴォワチュレットを運転するルイ・ルノー

フランスのパリ郊外に住む若いアマチュア技術者であったルイ・ルノーは、1898年にド・ディオン・ブートン3輪車を4輪式に改造する取り組みの過程で、現在のプロペラシャフト式フロントエンジン・リアドライブ方式(FR)の原型である「ダイレクト・ドライブ・システム」を発明した。この斬新な機構でルイ・ルノーは1899年にフランス特許を取得、ほどなくフランス中の自動車会社に模倣されることとなり、1914年に特許が切れるまでの間に当時の金額で数百万フランを越える莫大な特許料がルノーに転がり込んだ。

1899年にはこの機構を搭載した小型自動車「ヴォワチュレット」(Voiturette )を市販し、商業的成功を収めたことを受け、ルイは兄のマルセル、フェルナンと共に同年10月に「ルノー・フレール」社(ルノー兄弟社)を設立した。その後は事業規模の拡大に合わせ、1904年にはフランス国内に120店舗の販売代理店網を構えるなど、事業基盤を強固なものにする。先進諸国のモータリゼーションの拡大により、イギリスドイツ日本など諸外国への輸出も開始した他、ロシアに工場を建設するなど急激にその生産台数を伸ばした。

生産規模の拡大

FT-17軽戦車

1900年代以降は、小型車を中心とする量産政策によって生産規模が拡大したことから、先に創業されたプジョーなどを追い抜きフランスで最大の自動車製造会社となった。第一次世界大戦前後にはルノー FT-17 軽戦車等の戦車装甲車トラックなどの軍用車両や、飛行機および航空用エンジン、さらには小型船の開発・生産を行うなど、その事業範囲を拡大した。また、この頃から日本やオーストリア・ハンガリー帝国アメリカ合衆国などへ販売代理店を通じて本格的な輸出を開始した他、ロシア帝国での生産を開始するなど、世界各国へ積極的に進出した。

なお1900年代から1930年代初頭までのルノーは、エンジンの直後にラジエーターを置く独特の方式を採っており、前頭部に他社のような垂直のラジエーターグリルがない、変わった形態が特徴であった。これはウォーターポンプによる冷却水の強制循環機構に信頼を持てなかったルイ・ルノーが、温度差を利用する古典的な自然循環ラジエーター(サーモ・サイフォン方式)に長くこだわってラジエーター位置を制約した結果で、冷却機構の直接のトラブルは減ったが、客室内に熱が多く伝わり、また冷却水量も多く要するなど、効率面では決して有利な手法ではなかった。1930年代末期に至るまで、ルノー車の多くはサーモ・サイフォン式冷却機構で生産され続け、また動弁機構もほとんど一貫して効率の悪いサイドバルブ式のままだった。

マルヌのタクシー

パリの辻馬車会社は、フランスにおける自動車の普及を見て1905年からいち早く自動車化(タクシー)へのシフトを開始した。ルノーが1905年当時生産していた最小モデルの2気筒1060cc車「8CV」がタクシー用車種に選定され、のべ1,500台に達するオーダーが入った。これにより、1900年代後期には小型のルノー・タクシー多数がパリ市街を往来するようになった。

第一次世界大戦が勃発してから間もない1914年9月初旬、ドイツ陸軍はフランス領内に侵攻し、パリにほど近いマルヌ川まで到達した。ここでドイツ軍を止めようとするフランス陸軍との間で「マルヌ会戦」と呼ばれる凄絶な激戦が展開されたが、防衛するフランス側は当初形勢不利であった。鉄道輸送だけでは前線への兵士の増援が足りなかった。

パリ軍事総督として首都防衛にあたっていたジョゼフ・ガリエニ将軍は、ここでかつてない奇策を打ち出した。パリ市内を走るタクシーを緊急に大量チャーターし、兵員輸送に充てることにしたのである。動員に応じ、600台ものルノー・タクシーがドライバーと共に集結。9月7日深夜、完全武装のフランス軍兵士5名ずつを載せ、ヘッドライトを消したタクシーの車列がパリ-マルヌ間を2往復した。結果、一夜にして6,000人の兵士がフランス側前線に増援され、ドイツ軍の猛攻は食い止められた。

この「ルノーのタクシーの働きでパリが守られた」という逸話によって、その後パリを走るルノーのタクシーは「マルヌのタクシー」(Taxi de la Marne )と呼ばれることになった。自動車の軍事的重要性を世に知らしめたエピソードの一つである。

両大戦の狭間

40CV(1922年)。巨大な9.1Lエンジンの力に任せ、大統領公用車から速度記録試験車まで様々な用途に用いられた。大排気量エンジンの冷却をサーモ・サイフォン式ラジエータで行うため、ラジエータ部分が巨大である
NN(1926年)

第一次世界大戦の終戦後にはルノーを巡る情勢にも変化が生じる。戦闘用車両や武器生産という特需がなくなった上に、イギリスやドイツなどからの輸入車の増加によりフランス国内の販売競争が急激に激化した。また競合メーカーのプジョーや後発メーカーのシトロエン等が、生産車種を減らして量産効果を追求する手法で急速に追い上げをかけてきたのに対し、ルノーは世界恐慌下の厳しい経済事情にあっても、4気筒小型大衆車から巨大な8気筒高級車に至るまでの、多様なボディバリエーションを伴う多車種少量生産を継続し、1930年代にはその地位をフランス第3位に後退させた。

さらに老年に達したルイ・ルノーは保守的な設計思想に傾くようになり、1920年代末期に至っても第一次大戦直前レベルから大差のない、古典化したレイアウトの低効率なモデルがラインナップの多数を占めた。機械式ブレーキサーボだけは早くから導入したが、当時導入が急速に進んだ独立懸架も油圧ブレーキも、ルノーへの導入は競合他社に比べて大きく遅れた。製品の品質こそ優れていたものの、業界をリードする製品を作るメーカーではなくなっていた。

それでも老舗メーカーとしての信用は厚く、高級車分野では当時フランスに多数存在した高級車専門メーカーにも劣らぬステータスを誇った。6気筒9.1Lの「40CV」(原型は1913年発表で7.5L、1919年型で排気量拡大)とその後継車である8気筒7.1L「レナステラ」(1928年)、8気筒5.5L「ネルヴァステラ」(1934年)といった巨大な高級モデルは、フランスの大統領専用車として1910年代〜1930年代に一貫して用いられた。ラジエーターもようやく1930年前後からノーズ最先端配置となり(しかし相変わらずポンプなしのサーモ・サイフォン式であった)、ブレーキサーボの装備も行われた。

ルノーにようやくモダンな設計手法が取り入れられたのは1937年発表の1000cc級小型大衆車「ジュヴァキャトル」で、モノコック構造とウィッシュボーン式の前輪独立懸架を採用、全体的には1935年に発表されたドイツのオペル・オリンピアの亜流ともいうべきコンセプトではあったが、1939年までに30000台近くを売り上げるヒットとなった。だがその先進性が他のモデルに波及する以前に、ルノー社は危機的事態を迎える。

第二次世界大戦

ジュヴァキャトル(1937年 - 1960年)

1939年9月1日に勃発した第二次世界大戦において、戦争への準備が殆ど整っていなかったフランスは緒戦から敗北に次ぐ敗北を重ねた。1940年6月にはドイツ国防軍がパリを占領し、まもなくフランス全土はドイツの占領下に入ってしまう。この事態を受け、ルイ・ルノーは工場と従業員を守るために、やむなくドイツの占領軍とその傀儡政権・ヴィシー政権に協力することになった。しかしその結果、ルイ・ルノーは1944年連合国軍によるフランス解放後に対独協力者として逮捕され、同年10月、失意のうちに獄中で病死した。一説には対独協力者として憎まれ、獄中で虐待・暴行を受けた結果の死とも伝わる。

なお、大戦中の1942年から1943年にかけて主力工場の1つであるビヤンクール工場がアメリカ・イギリス両軍の爆撃を受けて深刻な被害を受けたほか、戦争によるインフラストラクチャーの破壊により、生産設備や販売網が壊滅的な打撃を受けている。

国営化

第二次世界大戦中に創業者の死と生産設備の破壊という苦難に陥ったルノーは、大戦終結後の1945年に、大戦中の亡命政権自由フランスの指導者で、新たにフランスの指導者となったシャルル・ド・ゴール将軍(後の大統領)の行政命令により国営化のうえ、「ルノー公団」(Regie Nationale des Usines Renault )に改組され、エンジニア出身のピエール・ルフォシュー総裁の指揮のもとで戦禍により破壊された生産設備や販売網の復興を進めると同時に、戦前から行われていた新型車の開発を続行することとなる。

4CVの成功

4CV(1946年 - 1961年)

フランスは戦勝国となったものの、連合軍の度重なる空襲を受け各地の工場施設が破壊されていただけでなく、工場を稼動させるためのインフラの整備や資材の調達にも事欠く状況であったが、従業員の士気は高く、終戦後わずか1年しか経っていない1946年パリサロンで、フェルナン・ピカール技師が戦時中から開発を進めていた小型車「4CV」を発表し、翌年から発売した。

4CVは廉価かつ経済的であった上、当時としては優れた走行性能を備えていたことから、大衆ユーザーの広範な支持を受けた。戦後のヨーロッパにおいてベストセラーとなった他、アメリカでも多くが販売された。その結果、1961年までの間に1,105,547台が生産され、フランスで初めて100万台を超えて生産された車種になった。日本でも日野自動車1953年から「日野ルノー」の名でライセンス生産し、その多くがタクシーとして使用されたことから、一躍日本中にルノーの名が広まった。

また、ミニマムな小型車でありながらル・マン24時間レースやミッレミリアなどの国際レースでも活躍するなど、4CVは第二次世界大戦後のルノー復興の立役者となった。

小型車

4(1961年 - 1993年)

第二次世界大戦後の復興期における「4CV」の大ヒット以後、ルノーは特に小型車の分野において実績を上げた。1955年2月に死去したピエール・ルフォシュー総裁の後を継いだピエール・ドレフュス総裁指揮の元、「4CV」の系譜を引く「5CVドーフィン」や「8」などのリアエンジン小型車に続いて1960年代以降は「4」や「6」などの前輪駆動 (FF) 方式の小型車を多数送り出した。特に「4」の大ヒットは、当時行ったアメリカ進出の失敗により苦境に陥った経営を助けることになった。

他にも「カラベル」や「フロリド」などのスポーツタイプの車種にバリエーションを広げたほか、1966年ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した「16」や、「12」などの比較的収益性の高い中型車もヒットさせ、これらの相次ぐヒットによりヨーロッパ有数の自動車メーカーとしての地位を不動のものとした。

先進技術の導入

5(1972年 - 1984年)

フランスの多くの自動車会社の例に漏れず、ルノーも古くから技術的、デザイン的なチャレンジに対して積極的である。1962年に発表されたリアエンジンの小型車「8」には、大量生産車として世界初の4輪ディスク・ブレーキを採用するなど、当時の最新技術を惜しげなく導入し高い評価を受けた。その後1965年に発売された「16」は、世界初のハッチバックスタイルを持つ中型車としてヨーロッパ中でヒットし、1979年までの長きにわたり生産された。

1972年に発売されたFF駆動方式のハッチバック小型車である「5」とその後継の「シュペール5」(1985年発売)は、その先進的なデザインと高い実用性、経済性が広く受け入れられて、ヨーロッパだけでなく世界中で大ベストセラーとなった。またこのモデルは量産市販車としては最も早い時期に樹脂製の前後バンパーを採用している。

1982年にはフエゴに世界で初めて赤外線リモコン操作による施錠装置(キーレスエントリー)を採用している。これは、当時のルノー車はドア用とイグニッション用の2種類のキーを使用しなければならなかったため、その不便を解消する目的で開発されたものである(同時期に、同様の目的でフォード/リンカーンの一部車種にもキーレスエントリーが採用されている。但し、こちらは運転席ドアハンドル付近にあるキーパッドに暗証番号を入力する方式である。)

「モノスペース・コンセプト」

エスパス(初代、1984年 - 1992年)

また、1984年に発売された、ヨーロッパの自動車メーカーとしては最初の本格的ミニバンエスパス」は、その未来的で斬新なデザインと実用的で広々とした室内スペース、高い経済性がフランスやイギリス、西ドイツをはじめとするヨーロッパの消費者に受け入れられて大ヒットモデルとなった。

エスパスがヒットしたことでヨーロッパ中でミニバンブームを巻き起こし、ヨーロッパの多くの自動車メーカーがそのコンセプト(ルノーでは「モノスパッセ・コンセプト」と呼んでいる)を模倣することとなった。なお、その後もルノーはエスパスの後継モデルをヒットさせている他、セニックなどのミニバンのヒット作を出している。

アメリカン・モーターズ買収

21 "ネヴァダ"(1986年 - 1994年)

1979年には、スケールメリットとアメリカ市場への本格的進出を狙い、1960年代初頭から提携関係にあったアメリカ第4位の自動車会社、アメリカン・モーターズ(AMC)を買収し、「5」(アメリカ仕様は「ル・カー」の名で販売され、フランス国内でも一時期同名で販売された)や、1982年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞車でもある「9」(同「アライアンス」)、「11」(同「アンコール」)、「フエゴ」などの複数のモデルを擁し、1950年代後半の撤退から10数年を経て再度北アメリカ市場に本格的に参入した。

アメリカン・モーターズの販売網を使ってアメリカとカナダ全土で大々的に発売を開始したものの、先に参入していた日本車やアメリカ製小型車との競争で苦戦した上に、ルノー本体の経営不振もあり、最終的に1987年に当時のクライスラーにアメリカン・モーターズを売却し北アメリカ市場から撤退した。なお、アメリカン・モーターズの売却後もクライスラーとの提携に基づき、1991年までクライスラー(イーグル)ブランドで「21」などのルノー車の販売が継続された。

民営化

サフラン(1992年 - 1999年)

1986年11月17日には、アメリカ進出失敗などによる財政再建への打開策の一環として、民営化に向けた舵取りを取っていた当時の会長のジョルジュ・ベスが、パリの自宅の玄関前で左翼テロ集団のアクション・ディレクトに暗殺されるという悲劇が起きた。

その後、ベスの後を次いで会長に就任したレイモン・レヴィとルイ・シュヴァイツァーの指揮のもと、スケールメリットを狙って1990年2月にスウェーデンの大手自動車メーカーであるボルボと業務・資本提携することを決定し、これを機会に第二次世界大戦直後から45年間続いた公団体制から株式会社に改組された。また、同1993年9月にはボルボとの完全合併案が発表されたが、フランス政府の干渉にボルボ側の経営陣や株主、従業員などが態度を硬化したことにより交渉が決裂し、同年12月には合併が正式に撤回された。

ボルボとの合併案は撤回されたものの、その後もフランス政府は株式を売却し続け、会長の暗殺や労働組合の反対という困難を乗り切って1996年には完全民営化を果たした。2016年現在、フランス政府の持ち株比率は約19%である。

日産自動車を事実上の傘下に

1999年3月27日に、当時深刻な経営危機下にあった日本第2位の自動車会社である日産自動車を事実上の傘下に収めることが発表された。その後同社と相互に資本提携し、ルノーが日産自動車の株を44.4%、日産自動車がルノーの株の15%を所有するという形で株を持ち合い、ルノーが日産自動車に経営陣を送り込むなど、事実上の親会社となったルノー主導で経営再建に着手した。

当時の取締役会長兼最高経営責任者 (PDG)であるルイ・シュヴァイツァーによって日産自動車の最高経営責任者(CEO)として送り込まれた副社長のカルロス・ゴーンとそのチームが、同年10月に発表された「日産リバイバルプラン」計画のもと、東京都武蔵村山市にある村山工場京都府宇治市日産車体京都工場(当時。現・オートワークス京都)などの余剰な生産拠点の閉鎖や余剰資産の売却、余剰人員の削減。子会社の統廃合や取引先の統合によるコスト削減や車種ラインナップの見直しなどのリストラを行うと同時に、新車種の投入や国内外の販売網の再構築、インテリア及びエクステリアデザインの刷新やブランドイメージの一新などの大幅なテコ入れを敢行した。

当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさなどを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行く先を危惧した。しかし、最終的には提携前の1998年には約2兆円あった日産自動車の有利子負債を2003年6月に返済し終え、再建を成し遂げた。

ルノー・日産アライアンス

(かつて北米で販売されていた小型車である「ルノー・アライアンス」については「Renault Alliance(英語版)」、及び「Renault 9 & 11(英語版)」を参照)

両社の間で言葉通りのアライアンス関係を構築し、車台やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じてコストダウンを図っているほか、メキシコなどいくつかの国ではルノーの車を日産ブランドで販売したり(OEM供給)、その逆を行うなど、アライアンスの内容は多岐にわたっている。2005年1月にはルイ・シュヴァイツァーが「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。

その後2005年5月に日産自動車の社長最高経営責任者(CEO)を務めていたカルロス・ゴーンが、公団時代の1992年より13年間の長きに渡り取締役会長兼最高経営責任者 (PDG)を務めたルイ・シュヴァイツァーに代わり、ルノーの9代目の社長兼最高経営責任者 (PDG) に就任し(日産の社長兼CEOも兼務)、それを受けシュヴァイツァーは取締役会長 (PCA)に就任(2010年6月23日に退任)した。

2000年代以降

メガーヌ・ルノースポール(2002年 - 2009年)
出典:wikipedia
2019/10/20 14:49

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