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レディー・ガガとは?

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Lady Gaga
レディー・ガガ


カナダ『Toronto International Film Festival 2017』にて (2017年9月)

【基本情報】

【出生名】
Stefani Joanne Angelina Germanotta
【生誕】
(1986-03-28) 1986年3月28日(33歳)
【出身地】
アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
マンハッタン
【ジャンル】
ポップダンスエレクトロニカ
【職業】
歌手ソングライターミュージシャン音楽プロデューサーダンサー
【担当楽器】
ピアノシンセサイザーキーボード
【活動期間】
2005年 - 現在
【レーベル】
デフ・ジャム(2007-2008年)
インタースコープ・レコード(2008年-現在)
【公式サイト】

LadyGaga.com



レディー・ガガのサイン

レディー・ガガ(: Lady Gaga)(本名:ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ 英:Stefani Joanne Angelina Germanotta、1986年3月28日 - )は、アメリカ合衆国音楽家オーストラリアシドニー名誉市民

19歳のときにデフ・ジャムと契約し、ニューヨーク市の近郊のクラブでダンサーをしながら生計を立てた。また同時期インタースコープ・レコードとソングライターとして契約し、同レーベルのアーティストを中心に複数のミュージシャンに楽曲提供を行った。その後、楽曲提供を行うなかでエイコンにガガの歌手としての才能を認められ、エイコン自身のレーベルコンライブとレコード契約し、歌手としてのキャリアをスタートさせた。

2008年に発売したデビュー・アルバム『ザ・フェイム』は商業的に大きな成功を収め、4か国の音楽チャートで1位を獲得、1,500万枚以上売り上げた。米ビルボードのダンス/エレクトロニカ・アルバムチャートでも1位となり、多くの批評家から肯定的評価を受けた。アルバムからの最初のシングル2曲「ジャスト・ダンス」「ポーカー・フェイス」は世界中のチャートで1位を獲得する大ヒットとなり、前者は第51回グラミー賞にて最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされた。2009年に2枚目のアルバム『ザ・モンスター』を発表した。同アルバムからのシングル「バッド・ロマンス」「テレフォン」はそれぞれ全米チャートTop3に入る大ヒットになる。MTV Video Music Awards 2010では歴代2位となる8冠を獲得した。2011年には3枚目のアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』を発表し28か国で1位を獲得、800万枚以上の売り上げを記録した。アルバムからのシングル「ボーン・ディス・ウェイ」「ジ・エッジ・オブ・グローリー」は世界的ヒットとなった。彼女は現在までに世界中でシングルを8,400万枚、アルバムを2,500万枚以上売り上げている。

ガガはデヴィッド・ボウイクイーンエルトン・ジョンといったグラム・ロッカーのほか、シンディ・ローパーマイケル・ジャクソンホイットニー・ヒューストンマドンナといった複数のポップ歌手から音楽的な影響を受けている。また同時に自身が作詞・作曲とパフォーマンスを行ううえで必須の部分であると語るファッションの面からも強い影響を受けている。2010年5月、アメリカの雑誌『タイム』の世界でもっとも影響力のある有名人を選出する「タイム100」のアーティスト部門の1位に選ばれた。

Twitterのフォロワー数は2019年現在7,000万人を超える。2010年8月にフォロワー数が約568万人に達し、ブリトニー・スピアーズを抜いて世界1位となった。2013年1月21日にジャスティン・ビーバーに抜かれ、現在は6位となっている(2019年5月時点)。

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 1986 - 2004年:生い立ち
    • 1.2 2005 - 2007年:初期のキャリア
    • 1.3 2008年 - 2010年:ザ・フェイム・モンスター、グラミー賞受賞
    • 1.4 2011年 - 2014年:ボーン・ディス・ウェイ、アートポップ、Cheek To Cheek
    • 1.5 2015年 - 2017年:ジョアン、女優業挑戦、スーパーボウル出演
    • 1.6 2018年 - 現在:アリー/ スター誕生、アカデミー賞受賞
  • 2 アーティスト性
    • 2.1 音楽性と影響
    • 2.2 パブリック・イメージ
  • 3 社会貢献活動
    • 3.1 ハイチ地震の復興支援
    • 3.2 エイズ撲滅運動
    • 3.3 LGBTへの理解
    • 3.4 いじめ撲滅運動
    • 3.5 貧困、ホームレス問題の支援
    • 3.6 東日本大震災の復興支援
  • 4 収入と支出
  • 5 ディスコグラフィ
  • 6 ツアー
  • 7 来日公演
  • 8 フィルモグラフィ
    • 8.1 長編映画への出演
    • 8.2 ドキュメンタリーへの出演
  • 9 賞歴
  • 10 脚注
  • 11 外部リンク

来歴

1986 - 2004年:生い立ち

生まれ育ったニューヨーク州マンハッタン

シチリア島をルーツとするイタリア系アメリカ人でインターネット企業の実業家の家庭のもと、ニューヨーク州ヨンカーズに生誕。家は裕福で箱入り娘として育てられた。

4歳で楽譜なしでピアノが演奏できるようになった。父親が初めて聴かせてくれたレコードはスティーヴィー・ワンダーであり、その後ブルース・スプリングスティーンの曲などをピアノで練習するようになる。多くの有名アーティストを手がけた先生からレッスンを受けるようになり、13歳になるころには初のピアノ・バラードを自分自身で作曲。11歳当時にジュリアード学院の音楽部門に合格するも、当時は音楽にさほど興味がなく入学を辞退し、マンハッタンのカトリック系私立学校、聖心女子学院(Convent of the Sacred Heart)へ進学。

聖心女子学院はヒルトン姉妹(パリスニッキー)も在籍したことで知られるいわゆる「お嬢様学校」であった。パリス・ヒルトンとは年が6歳離れており学年が異なったことから、学校の廊下で見かけたことしかなかったという。伝統的な富豪家庭の令嬢が多く通うなか、自身は一代の成り上がりの家庭であったため周囲に馴染めなかった。さらにガガは変わった性格で、話し方も大胆で芝居じみていたためいじめに遭い、ロッカーには悪口が書かれ、廊下では常に「売女」と罵られたという。街で男子に同級生の目の前で抱え上げられ、ゴミ箱に捨てられたこともあり、「あんた泣くわけ?かわいそ」などと笑われ、ガガも自分自身を笑うしかなかったという。14歳からニューヨークのクラブでパフォーマンスを開始し、17歳で、それまで世界で20人しか早期入学が許されていなかったニューヨークのティッシュ・スクール・オブ・アート(ニューヨーク大学の芸術学部)に入学。そこで音楽を本格的に学び、エッセイや論文を書くことによって作詞作曲技術を改善した。このころから地味だったクラブのパフォーマンスも個性を追求するたびに派手になっていき、大学でも奇抜なスタイルにより周囲から煙たがられる存在となる。周囲から「あんたレズなの?」「そんな格好しててもあんたのこと誰も見てないから」などと言われ続けたとのちにインタビューで語っている。結局1年生のときにニューヨーク大学を退学し、薬物中毒に陥ってしまう。しかしブリトニー・スピアーズビヨンセに触発され、スターになるという夢を再確認、自らの意思でドラッグをやめ、芸術活動に専念するようになった。

2005 - 2007年:初期のキャリア

レストランでパフォーマンスをするガガ。

ガガは19歳のとき、デフ・ジャム・レコーディングスとの間で契約を結んだ。同じころ、親元を離れストリップクラブで働き出す。このことは特に隠さず、「ストリップクラブで働いていた。私のような裕福なイタリア系の家庭の出では珍しいことだ」と述べ、ストリッパーとして生計を立てていたことを明かしている。ストリッパーとして人気があったようで、ステージでヘアスプレイに火をつけて、狂ったように踊ったという。家族の助けなしに生活することで自由を実感したと語るが、家族は認めてくれなかった。そのほか、ドラァグ・クイーンゴーゴーダンサーとパフォーマンスを行うためにクラブに出入りしており、このことを知った父は大変なショックを受け、ガガ本人も「あのとき、2、3か月の間父は私を直視することができなかった」と認めている。ガガの初期に制作された楽曲に携わった音楽プロデューサーのロブ・フサーリはガガの声のスタイルをフレディ・マーキュリーのそれと比較し、クイーンの楽曲「RADIO GA GA」をもじり、現在の芸名「Lady Gaga」を彼女に与えた。また、ガガがスタジオに来るとき、あいさつ代わりにフサーリは『Radio Ga Ga』を歌い、それはガガの入場曲のようなものであったという。あるとき、フサーリがガガに送ったメールの中で書いた「Radio Ga Ga」という文が、修正機能で「Radio」が「Lady」になり、「Lady Ga Ga」になってしまった。しかし、それを大変気に入ったガガが「二度と私をステファニーと呼ばないで!」と言ったため、以後「レディー・ガガ」と呼ばれるようになった。

CDデビュー前のレディー・ガガ(右)とレディー・スターライト(左)。ロラパルーザにて。

2007年にインタースコープ・レコードとソングライター契約し、同レーベルに所属するファーギーブリトニー・スピアーズプッシーキャット・ドールズニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックエイコンといった有名アーティストに楽曲を提供した。制作者として活動を続けていたとき、エイコンがガガには制作者としてだけではなく、歌手としての才能もあると認め自身のレーベルコンライブとアーティスト契約を締結。エイコンはガガについて、「類稀な存在」「ダイアモンドの原石」と表現している。ガガはデビュー・アルバムの制作を音楽プロデューサーレッドワンとともに行った。1年ほどスタジオに籠って作詞作曲に専念し、アルバム150枚分ほどの楽曲を制作したという。

2008年 - 2010年:ザ・フェイム・モンスター、グラミー賞受賞

2008年にデビュー・アルバム『ザ・フェイム』をリリース。彼女自身がすべての歌詞を手がけ、メロディー作曲も自分でこなし、シンセサイザーの部分も自らが演奏している。『ザ・フェイム』は、オーストリア、イギリス、カナダ、アイルランドチャートにて1位を獲得。アメリカ合衆国とオーストラリアでは最高位4位を、日本では最高位6位を記録している。全世界での売上枚数は1,200万枚を突破している。アルバムからのリードシングル「ジャスト・ダンス」は2008年4月8日にリリースされ、世界各国で首位を獲得。「ジャスト・ダンス」は、イギリスなど世界5か国のシングルチャートで1位を獲得し、リリースから半年以上経った2009年1月にアメリカでも1位に到達した。2009年2月に行われた第51回グラミー賞では「ジャスト・ダンス」で最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされるも、ダフト・パンクの「仕事は終わらない」が受賞し、ガガは受賞を逃している。「ジャスト・ダンス」は全世界で700万枚以上売り上げるヒットとなった。続いて2008年にリリースされた「ポーカー・フェイス」は2009年4月11日付のアメリカ合衆国のシングルチャートBillboard Hot 100で1位となった。これによりガガは2000年以降、デビュー・アルバムから2枚のシングルを全米チャート1位に送り込んだ初の新人アーティストとなった。1st、2ndシングル2枚で全米1位を達成した女性新人アーティストは3人で、ガガはティファニーマライア・キャリークリスティーナ・アギレラに次ぐ4人目となった。この楽曲はイギリス、カナダ、オーストラリアをはじめとした世界17の国と地域のシングルチャートで1位を獲得している。また、「ポーカー・フェイス」はヨーロッパ全土を対象にしたシングル・チャートEurochart Hot 100 Singlesでも16週にわたって1位を記録。さらにイギリスのThe Official Chart Companyが発表した「イギリスで最もダウンロードされた曲」では77万ユニットのダウンロード数により1位を獲得している。「ポーカー・フェイス」は全世界で1,000万枚以上売り上げ、2000年代を代表する楽曲となった。

Fame Ball tourにて、泡をイメージしたプラスチックの衣装に身を包むガガ

その後、ガガは同じインタースコープ・レコード所属のアイドルグループニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのアメリカ市場でのツアーに同行。ガガは2008年10月8日のロサンゼルス公演から最終日の11月までを彼らとともに回り、またこれがガガにとって初のツアーとなった。なお、ガガは彼らの新作アルバム『ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック』に楽曲「ビッグ・ガール・ナウ」を提供、客演も行っている。2009年1月には、オセアニアヨーロッパの一部の国のみで「エイ、エイ (ナッシング・エルス・アイ・キャン・セイ)」をシングル・リリース。同曲はオーストラリア、ニュージーランド双方でゴールドの認定を受けている。ガガ初の自身の北アメリカライヴ・ツアー「The Fame Ball Tour」は2009年3月12日からスタートし、このツアーは批評家から賞賛された。5月にはプッシーキャット・ドールズでオープニング・アクトも務めている。その後、世界市場に向けての3rdシングル「ラヴゲーム」を発表。この楽曲のミュージック・ビデオは、オーストラリアのテレビ局Network Tenではビデオの内容と楽曲の歌詞が過激すぎることを理由にビデオの放映が中止され、イギリスでは同じ理由でシングル化自体が見送られている。この楽曲は7月に米ビルボード誌のエアプレイ・チャートMainstream Top 40の2009年7月25日付のチャートで1位を獲得。デビュー・アルバムから「ジャスト・ダンス」「ポーカー・フェイス」の2曲に続けて3曲を連続で同チャート1位に送り込んだ史上3組目のアーティストとなった。

MTV Video Music Awards 2009にて。

2009年5月、有力な音楽雑誌『ローリング・ストーン』の毎年恒例となっているHOTリスト号の同誌6月号の表紙をセミヌード姿で飾った。このとき、ガガは同誌のインタビューの中で、自らをバイセクシャルであるとカミングアウトした。ガガは6月にリリースされたラッパーワーレイのシングル「チリン」にも客演で参加している。7月にはイギリスで「パパラッチ」をシングル・リリースしている。MTV Video Music Awards 2009でガガは、この楽曲を含む同年のアワード最多となる合計9部門でノミネートを受け、9月に行われた授賞式では『パパラッチ』のライブ・パフォーマンスを披露したほか、「ポーカー・フェイス」での最優秀新人アーティスト賞を含む合計3部門で受賞。加えて、米ビルボード誌主催のWomen In Musicアワードでは新人賞にあたるRising Star賞を受賞している。

The Monster Ball Tourでパフォーマンスするガガ

11月に2枚目のアルバム『ザ・モンスター』を発表。全世界で600万枚以上売り上げ、2010年世界でもっとも売れたアルバムとなった。しかしガガは、再発盤のリリースはファンにとってフェアではないという理由から否定的な立場で、そのため『ザ・モンスター』には新曲を多く収録する予定であると話している。この再発盤からの1stシングル「バッド・ロマンス」は『サタデー・ナイト・ライヴ』にて初披露されている。同番組ではマドンナとパフォーマンスを披露している。同年10月10日にHuman Rights Campaignのデモ行進に出席。行進前に「音楽業界には未だ多くの同性愛嫌悪が存在する」とスピーチ。「今夜は自分の曲は演奏しないの。私のための夜ではない」と述べ、グランドピアノに座る前に「あなたたちのための夜だから」と言って、ジョン・レノンの「イマジン」を一部歌詞とメロディーを変えて披露した。また、1998年に殺害された同性愛者の大学生マシュー・シェパードへのメッセージを込めた。「バッド・ロマンス」はアメリカ、オーストラリア、アイルランドなでトップ10入り、イギリス、カナダ、スウェーデンなどのチャートで1位を獲得し、全世界で980万枚以上売り上げた。『ザ・モンスター』の収録曲「スピーチレス」は2009年12月11日に行われたロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンスで披露した。そこでは、イギリス女王エリザベス2世と対面した。2009年の暮れにThe Monster Ball Tourをスタートさせた。

2010年1月14日、Monster Ballツアーのウェストラファイエット公演を体調不良のために中止した。彼女は本番前に呼吸がしにくいことを訴えた。救護隊員はガガは脱水症状と疲労による不整脈で苦しんでいたと発表した。同年1月31日に行われた第52回グラミー賞にて初のグラミー賞を受賞した。「ポーカー・フェイス」で年間楽曲賞、年間レコード賞、最優秀ダンスレコーディング楽曲賞にノミネートされ、最優秀ダンスレコーディング楽曲賞を受賞した。アルバム『ザ・フェイム』は最優秀エレクトロニック/ダンスアルバム賞を受賞した。2010年3月15日、『ザ・モンスター』からのシングル「テレフォン」がイギリスなどで1位、アメリカで3位、アメリカのポップソングチャートにおいて1位を獲得した。これによりガガと同曲でフィーチャーされたビヨンセは6曲の全米1位シングルを持つことになり、過去最多の全米1位獲得シングル保持者であったマライア・キャリーと並んだ。「テレフォン」は全世界で700万枚以上を売り上げた。

2010年3月19日、『ザ・フェイム』のプロデューサーでガガの名づけ親でもあるロブ・フサーリがアルバム制作に関する報酬を受け取っていないとして、利益の20%を支払うようにガガを訴えた。同年8月にニューヨーク最高裁判所は訴訟を棄却、その後、両者は和解した。同年4月16日、YouTubeにおけるガガのミュージックビデオの累計再生回数が10億回を突破し、同サイトの新記録を樹立した。同年4月、『ザ・モンスター』からの3rdシングル「アレハンドロ」を発表し、ロザリオを口に入れるシーンが宗教冒涜として問題となった。同月、アメリカの雑誌『タイム』が世界でもっとも影響力のある有名人100人を選出する「タイム100」のアーティスト部門で1位になった。MTV Video Music Awards 2010では9部門にノミネートされ8部門を制する大勝利を収めた。

2011年 - 2014年:ボーン・ディス・ウェイ、アートポップ、Cheek To Cheek

トロントのステージで披露するマリア・アラゴン

2011年2月11日、「ボーン・ディス・ウェイ」が解禁され、世界23か国のiTunes音楽チャートでダウンロード数1位を記録した。特にアメリカでは配信後3時間で1位を獲得した。また、UKアルバム・チャートでは21万5,000枚を売り上げトップを飾った。2011年最速セールス記録となっている(2011年5月現在)。批評家やファンからはマドンナのエクスプレス・ユアセルフ」と酷似しているとの声も挙がったが、ガガは「この曲はマドンナのサポートを受けている。女王様(マドンナ)がいいと言えばそれでいい」と述べた。第53回グラミー賞授賞式ではガガは卵型カプセルに乗ってこの曲を歌い上げた。また、グラミー賞授賞式前には大麻吸引を自ら暴露し「ファンに嘘はつきたくないし、最近は大量には吸引していない」と語った。5月23日には2ndアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』が世界同時発売され、それに先駆けてアルバムからの2ndシングル「ジューダス」が4月16日に、3rdシングル「ジ・エッジ・オブ・グローリー」が5月17日に発売された。『ボーン・ディス・ウェイ』は全世界で800万枚以上売り上げ、2011年世界で2番目に売れたアルバムとなった。ガガはプロモーションとして世界中を飛び回り、6月20日には日本に4回目の来日を果たした。auのCMでガガの曲が使用されたことや、東日本大震災においてチャリティーリストバンドを即座に販売して収益を寄付したことで知名度が急上昇し、ガガの来日は大きく報道された。震災復興イベント「MTV VIDEO MUSIC AID JAPAN」では蜘蛛の巣パフォーマンスでスタジアムを沸かせた。8月23日にはガガがもっとも尊敬する世界的ロックバンドのクイーンのギタリストであるブライアン・メイとのコラボ作「ユー・アンド・アイ」が4thシングルとしてリリースされ、多くの国でTOP10入りを果たした。MTV Video Music Awards 2011では2冠獲得し、ステージ上でブライアン・メイと「ユー・アンド・アイ」を披露した。このころ、デビュー時からガガとともに仕事をこなしてきた振付師のローリーアン・ギブソンと決別した。ギブソンは振り付け以外にもビデオの監督や楽曲のプロデュースを手がけていたが、互いの方向性の違いにより距離を置くという選択を下した。11月にはアルバムからのラストシングルとなる「マリー・ザ・ナイト」をリリースし、ガガ自らビデオの監督を務めた。ビデオではガガの半生を描いており、話題となった。

2011 MTV Video Music Awardsで、ガガの心の中にいるもう一人の自分(ジョー・カルデローネ)に扮してステージに登場するガガ

2012年4月の韓国での公演ではパフォーマンスがわいせつだとして、保守的なキリスト教団体韓国教会言論会などが中止を要請、同国映像物等級委員会により18歳未満の観覧が禁止された。 香港から5月8日夜に通算6度目の来日をしたガガは、さいたまスーパーアリーナでワールドツアー「THE BORN THIS WAY BALL」を開催し、5月10日から12日の3日間で10万人を動員した。滞在中に東京ディズニーランド、六本木のペットショップ、原宿竹下通りのカフェ、新宿のしゃぶしゃぶ店などに出没し、次の公演先の台湾へ5月16日離日する前夜には「日本のシンボリックな場所から、日本のリトルモンスターたちにメッセージを送りたい」と本人のたっての希望により、特別に開業前の東京スカイツリーに来場、外国人歌手としても初めての来場となった。地上350メートルの天望デッキと450メートルの天望回廊から景色を楽しめるはずだったがあいにくの雨で夜景がよく見えず、それでもガガは「日本の3公演がソールドアウトなんて、皆さん応援してくれてありがとう。最後の夜にスカイツリーに来られて幸せ。雨だけどこんなにすてきな景色は初めてよ」と感謝し、日本語で「アイシテマス、ジャパン」と投げキッスを贈った。 6月3日にインドネシアジャカルタでの公演を予定しており、3月に発売されたチケットは2万5000が2時間以内で売り切れるほどの人気だったが、過激な露出スタイルの彼女に対してイスラム教の教義に反するハラームであると聖職者から反発があり、同年5月15日現地警察は開催不許可を決定した。

この年には『レディー・ガガ・フェイム』(LADY GAGA FAME)と題した香水を発売。自身初の香水プロデュースであった。この香水製品『フェイム』は全世界に先駆けて日本の東京・原宿で発売されることとなり、8月、東急プラザ表参道原宿の3階に設けられた『レディー・ガガ・ハウス・ラボラトリーズ(LADY GAGA HAUS LABORATORIES)』という期間限定の専門店舗にて初売り出しの運びとなった。

2012年4月にThe Born This Way Ballを始めたが、2013年2月に骨盤関節損傷を負い、ツアー中止を発表した。

2012年初期に3枚目のスタジオ・アルバムとなる「アートポップ」の制作を始め、テーマは「クラブの夜」。2013年8月にアルバムのリードシングル「Applause」をリリースした。続いてR・ケリーをフィーチャーした「Do What U Want」を発表した。2018年にケリーの性的暴行疑惑が取り沙汰され始めると、2019年にガガはこの曲をすべてのストリーミングプラットフォームから削除した。「アートポップ」は2013年11月にリリースされた。アメリカやイギリス、日本などで1位を獲得したが、全米で初動25万枚と売り上げは前作に比べ不振に終わった。このアルバムには2億円以上のプロモーション費用がかかっていたため、レコード会社は赤字を計上。発売元のインタースコープ・レコードは50人のリストラを敢行するはめになった。

2014年5月からアートポップのツアーである「ArtRave: The Artpop Ball」を開始した。このツアーは「Born This Way Ball」の日程からキャンセルされた都市も含まれており、8,300万ドルの収入を上げた。

2014年9月、Tony Bennettとのコラボレーションジャズアルバム、『Cheek To Cheek』を解禁した。このレコードは肯定的な評価を受け、Billboard 200で全米1位を獲得し、第57回グラミー賞で最優秀トラディショナル・ポップ・ボーカル・アルバムに選出された。2014年12月から2015年8月まで『Cheek To Cheek』ツアーを行った。

2015年 - 2017年:ジョアン、女優業挑戦、スーパーボウル出演

「ジョアンナ」ワールドツアーでのガガ

2015年10月から2016年1月にかけて放送されたテレビアンソロジーのホラーシリーズ、アメリカン・ホラー・ストーリーの第5シーズンにホテルオーナーのエリザベス役で出演した。女優はガガの幼少期の夢であった。この作品で第73回ゴールデングローブ賞にてミニシリーズ・テレビ映画部門の最優秀女優賞を受賞した。2016年9月から11月にかけて開催された同ドラマの第6シーズンでは、Scathachという名前の魔女を演じた。この経験は「ジョアン」の音楽性にも影響を与えたと本人は発言している。

2016年2月にはスーパーボウルの国歌斉唱を担当した。同年10月21日に5枚目のアルバムとなる『ジョアン』を発売。アルバムのタイトルは、音楽のインスピレーションを得た叔母にちなんでつけられた。ビルボード200で1位を獲得し、ガガは2010年代に4回チャートのトップに輝いた初の女性歌手になった。 アルバムのセカンドシングル「Million Reasons」は翌月に続き、全米で4位に達した。

2017年2月の第51回スーパーボウルで今度はハーフタイムショーに出演した。初めにスタジアムの天井で、数百台のドローンでかたどられたアメリカ国旗を背景に米愛国歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」を熱唱。その後、ワイヤーを用いた空中回転などのアクロバティックな演出やダンス、あるいは弾き語りをしながら「ポーカー・フェイス」「ボーン・ディス・ウェイ」などを歌う圧巻のパフォーマンスを見せ、称賛を受けた。アウトスタンディング・スペシャル・クラス番組部門でエミー賞にノミネートされ、CBSスポーツからはスーパーボウルのハーフタイムショー史上2番目にいいものという評価を受けた。

『ジョアン』の制作過程やハーフタイムショーの準備などを記録したNetflixのドキュメンタリー映画「Gaga:Five Foot Two」では慢性的な痛みとの闘いについても明かしており、のちにリウマチ性の疾患である線維筋痛症を患っていることを発表した。2018年2月、「激しい痛み」により2017年8月から行っている『ジョアン』のワールド・ツアーの残りの日程をすべてキャンセルすることを発表した。

2018年 - 現在:アリー/ スター誕生、アカデミー賞受賞

2018年の後半、1937年の名作映画「スタア誕生」の4度目のリメイクにあたる「アリー/ スター誕生」に、主演女優として出演した。『アメリカン・スナイパー』のブラッドリー・クーパーが主演男優および監督を務めた。この映画は批評家から非常に高い評価を受け、ガガ自身もアカデミー賞ゴールデングローブ賞英国アカデミー賞全米映画俳優組合賞の主演女優賞にノミネートされた。放送映画批評家協会賞米国映画批評会議賞では主演女優賞を受賞した。

映画内のサウンドトラックはすべてオリジナル曲であり、ガガとクーパーがそのほとんどを共同執筆し、プロデュースした。そのリードシングルで2人がデュエットする「シャロウ」は、2018年9月にリリースされ、アメリカを含むいくつかの国でチャート1位を獲得した。また、この曲はアカデミー賞ゴールデングローブ賞、放送映画批評家協会賞、グラミー賞2冠を獲得した。サウンドトラックは全34曲収録。うち19曲が映画で歌われる楽曲で、15曲がダイアローグである。このアルバムも高評価を受け、全米で初登場1位を獲得し、ガガは2010年代に5つのアルバムで全米1位になった唯一の女性歌手になった。イギリスやオーストラリア、アイルランドなどでも1位になった。また、英国アカデミー賞を受賞した。

2018年12月に米ラスベガス常設公演が発表され、【Lady Gaga Enigma】(エニグマ)と【Lady Gaga Jazz & Piano】(ジャズ&ピアノ)と題された2種類の公演が2018年12月28日から2019年11月までMGMパーク・シアターで行われる。

アーティスト性

音楽性と影響

ガガはおもにデヴィッド・ボウイクラウス・ノミクイーンエルトン・ジョンスティーヴィー・ワンダーブルース・スプリングスティーンクラレンス・クレモンズのようなロック・スターや、ポップ歌手のマドンナマイケル・ジャクソンシンディ・ローパーカイリー・ミノーグ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/08/19 08:03

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