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ロイ・メドヴェージェフとは?

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ロイ・アレクサンドロヴィチ・メドヴェージェフ(ラテン文字表記の例:Roy Aleksandrovich Medvedev, ロシア語:Рой Александрович Медведев1925年11月14日-)は、ジョージアトビリシ生まれの歴史学者1972年英語で出版した『共産主義とは何か』(原題:歴史の審判 Let History Judge、以下邦題を使用)で、スターリニズムに反対する歴史を書いた作家としてその名を知られる。ロシアで著名となり、ミハイル・ゴルバチョフボリス・エリツィンの顧問を務めた。

日本ではしばしば「メドヴェーデフ」「メドヴェジェフ」「メドベージェフ」などとも表記・紹介された。翻訳著作にもそのような表記のものが複数ある。

生い立ちと教育

歴史学者・生物学者ジョレス・メドヴェージェフは双子の兄。父親は赤軍軍政アカデミーの哲学講師、マルクス主義研究者であったが、大粛清のさなかである1938年ブハーリン主義者であるとして逮捕され、モスクワのブティルカ監獄(ru:Бутырская тюрьма)で長期にわたって拷問を受けたあと、シベリア東部コルィマ強制収容所(ラーゲリ)に送られ、1941年に死亡した。ロイ、ジョレスと母親は宿舎を追われ、転々とした後ロストフ・ナ・ドヌに移住したが、独ソ戦のためトビリシに避難した。

レニングラード大学(現在のサンクトペテルブルク大学)を卒業後の1956年ソビエト連邦共産党に入党。ソ連科学アカデミー教育学部の研究者になる前に教師生活を続けた。

反体制の歴史家

ロイはマルクス主義の視点から、ソビエト時代にヨシフ・スターリンスターリニズムを公然と批判した。1960年代初期のロイは、地下出版(サミズダート)活動に従事していた。彼はルイセンコ論争の非科学性に批判的であった。1969年、ロイはソ連がプロパガンダによってスターリンの名誉を部分的に回復させようとしていた当時に、スターリンとスターリニズムを批判する内容の書物『共産主義とは何か』を出版したことで共産党から除名された。同書は、民族社会主義とレーニン主義への回帰、改革を求めたロイのように、1960年代のソ連の知識人たちのあいだで登場した反体制的な考えを反映したものである。ロイはアンドレイ・サハロフらとともに、1970年にソ連の指導者に対して公開書簡でもって自身の立場を表明した。

ロイはしばしば自宅軟禁に置かれ、レオニード・ブレジネフによる指導のもとでKGBによる嫌がらせを受けたが、ソビエトの歴史と政治に関する多数の批評の著書の国外出版に漕ぎ着けた。1960年代の終わりごろ、『共産主義とは何か』の国外出版に成功すると、彼は民主主義の積極的支援のために圧迫された。ジョレスとの共著『告発する!狂人は誰か』の中で、ロイはカルーガ精神病院でジョレスが予防拘禁されたことについて述べている。ジョレスはその病院で、地下出版とのかかわりについてや、1969年の著書『トロフィム・ルイセンコの興亡』について尋問され、1970年代に英国へ追放された。

1989年、ロイは共産党に復党する。その後はゴルバチョフによるペレストロイカグラスノスチという、政治的で経済的な改革が段階的に着手された。1991年12月ソ連が崩壊すると、旧共産党系の人民代議員とともに社会主義勤労者党を設立し共同議長となった。

ロイは、ウラジーミル・プーチンによるイデオロギープーチニズム」(en:Putinism)を支持している。

著書(英訳・邦訳書)

石堂清倫訳『共産主義とは何か(上・下)』(三一書房, 1973-74年, ISBN 438073207X/ISBN 4380742083 )
石堂清倫訳『告発する!狂人は誰か――顛狂院の内と外から』(三一書房, 1977年)
石堂清倫訳『社会主義的民主主義』(三一書房, 1974年)
下斗米伸夫訳『フルシチョフ権力の時代』(御茶の水書房, 1980年)
佐藤紘毅訳『ソ連における少数意見』(岩波書店[岩波新書], 1978年, ISBN 4004200660)
石井規衛訳『10月革命』(未來社, 1998年, ISBN 4624111176)
石堂清倫訳『スターリンとスターリン主義』(三一書房, 1980年)
石堂清倫訳『失脚から銃殺まで――ブハーリン』(三一書房, 1979年)

脚注

  1. ^ 『回想1925-2010』書評「"異論派"とは何か 今なお興味をかきたてる問題」評者:渋谷謙次郎週刊読書人』2013年2月8日号
  2. ^ 『回想1925-2010』書評「二〇世紀ソ連・ロシアを生きぬいたメドヴェージェフ兄弟の類まれな回想録─文学的香気に満ちたまことに魅力的な歴史ドキュメント」評者:高田広行(西洋史研究)図書新聞』2013年5月18日号
  3. ^ 原著 The Rise and Fall of Trofim D. Lysenko , Columbia University Press , 1969 、邦訳『ルイセンコ学説の興亡―個人崇拝と生物学』金光不二夫訳、河出書房新社 1971年

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出典:wikipedia
2020/02/27 04:10

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