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ロシアとは?

ロシア連邦
Российская Федерация



(国旗) | (国章)
国の標語:なし
国歌: Госуда́рственный гимн Росси́йской Федера́ции(ロシア語)
ロシア連邦国歌
公用語
ロシア語
首都
モスクワ
【最大の都市】
モスクワ
政府
大統領
ウラジーミル・プーチン
首相
ドミートリー・メドヴェージェフ
面積
【総計】
17,075,200km(1位)
【水面積率】
0.5%
人口
【総計(2017年)】
146,804,400人(9位)
人口密度
8.5人/km
GDP(自国通貨表示)
【合計(2013年)】
66兆7,553億ロシア・ルーブル
GDP (MER)
【合計(2013年)】
2兆968億ドル(8位)
GDP (PPP)
【合計(2013年)】
3兆4,916億ドル(6位)
【1人あたり】
24,298ドル
建国
モスクワ大公国(ロシア帝国の基礎) 1263年
ロシア・ツァーリ国(ロシア帝国の前身) 1547年1月16日
ロシア帝国
1721年10月22日
ロシア臨時政府(二月革命により成立) 1917年3月16日
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(十月革命により成立) 1917年11月7日
ソ連崩壊によりソビエト連邦継承国として独立 1991年12月25日

通貨
ロシア・ルーブル (RUB)
時間帯
UTC +2 - +12(DST:なし)
ISO 3166-1
RU / RUS
ccTLD
.ru, .su, .рф
国際電話番号
7
  1. ^ 連邦構成主体の各共和国は連邦公用語(ロシア語)とは別に、自らの公用語を定めうることが憲法で認められている。

ロシア連邦(ロシアれんぽう、ロシア語: Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家である。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 国土の形成と開発
    • 1.2 迷走する社会主義
    • 1.3 ロシア連邦の機関化
  • 2 国名
    • 2.1 歴史的な国名
    • 2.2 国名の日本語表記の変遷
  • 3 歴史
    • 3.1 古代・中世
    • 3.2 ロシア帝国
    • 3.3 ソビエト連邦
    • 3.4 ロシア連邦
      • 3.4.1 成立と脱共産化
      • 3.4.2 国際地位の向上
      • 3.4.3 クリミア半島編入と欧米対立
  • 4 政治
    • 4.1 第2次プーチン政権による統制の強化
    • 4.2 司法
  • 5 国際関係
    • 5.1 日本
  • 6 地方行政区分
    • 6.1 連邦構成主体
    • 6.2 連邦管区
    • 6.3 主要都市
  • 7 地理
    • 7.1 気候
      • 7.1.1 亜寒帯
      • 7.1.2 その他の気候区
  • 8 経済
    • 8.1 資源依存の経済
    • 8.2 農業
    • 8.3 漁業
    • 8.4 鉱業
    • 8.5 貿易
    • 8.6 軍需産業
  • 9 交通
    • 9.1 鉄道
  • 10 国民
    • 10.1 民族
    • 10.2 言語
    • 10.3 結婚
    • 10.4 宗教
    • 10.5 保健
    • 10.6 教育
  • 11 メディア
    • 11.1 テレビメディア
    • 11.2 ラジオメディア
    • 11.3 報道機関
    • 11.4 出版
    • 11.5 インターネット(SNS)
  • 12 文化
    • 12.1 建築
    • 12.2 文学
    • 12.3 音楽
    • 12.4 美術
    • 12.5 映画
    • 12.6 食文化
    • 12.7 世界遺産
    • 12.8 祝祭日
    • 12.9 スポーツ
  • 13 脚注
    • 13.1 注釈
    • 13.2 出典
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

概要

国土の形成と開発

地理的にロシアの国境は、北西から南東へ、ノルウェーフィンランドエストニアラトビアリトアニアおよびポーランド(ともにカリーニングラード州と隣接)、ベラルーシウクライナグルジアアゼルバイジャンカザフスタン中華人民共和国モンゴル国朝鮮民主主義人民共和国と接する。海上境界線としては、日本とはオホーツク海宗谷海峡根室海峡珸瑤瑁水道アメリカ合衆国とはベーリング海峡アラスカ州と接する。ロシアの面積は17,075,400km世界最大であり、地球上の居住地域の8分の1を占める。2012年時点で、ロシアの人口は1億4300万人で世界第9位である。国土は北アジア全体および東ヨーロッパの大部分を含む。ロシアは11の標準時を有し(ロシア時間)、多様な環境または地形に富む

ロシアの歴史は、3世紀から8世紀までの間にヨーロッパで認識され始めた東スラヴ人の歴史に始まる。9世紀末、ヴァリャーグの戦士の精鋭はキエフ大公国中世国家を誕生させ、東ローマ帝国を二度攻撃し通商条約を結んだ(911年と941-4年)。988年、東ローマ帝国から正教会を導入し、次の千年紀ロシア文化を特徴付ける東ローマ帝国およびスラブ人の文化の統合が始まった。キエフ大公国は最終的には多くの国に分裂し、キエフ大公国の領土の大部分はモンゴルに制圧され、遊牧国家ジョチ・ウルスの属国になった。モスクワ大公国は次第に周辺のロシアの公国を再統合、ジョチ・ウルスからの独立を獲得し、キエフ大公国の文化と政治を再興した。18世紀が終わるまでにモスクワ大公国は、征服・併合・探検を通じ、版図をポーランドから北米のアラスカまで広げ、史上第3位の大帝国であるロシア帝国となった。1815年ワーテルローの戦い。1828年、第一次バルカン戦争

ロシアはクリミア戦争(1853年)から南下政策を本格化させた。将来ズベルバンクとなる貯蓄を充実させながら、新ロシアからトルキスタンまでを順に開発し耕地を広げた。サンクトペテルブルクの貿易為替銀行にドイツ銀行を参加させたが、露仏同盟を結んで以来国際金融市場から外資が雪崩れ込むようになった。この19世紀末から工業化も進展した。

迷走する社会主義

ロシア革命後、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ソビエト連邦最大かつ指導的な構成国となり、世界初の憲法上の社会主義国および超大国として広く認められ、第二次世界大戦において連合国の勝利に決定的な役割を果たした。ソ連は戦後、ユーロダラーベルリンの壁と、世界初の人工衛星有人宇宙飛行をふくむ技術革新を生んだ。

1963年2月、シャルル・ド・ゴールと仏ソ通商条約。1965年、仏ソ原子力平和利用協定。同年にブレジネフ書記長が主導権を握った。そしてベトナム戦争にてホー・チ・ミン率いる北ベトナムを支援した(旧フランス領インドシナ)。ブレジネフ在任中の1968年には衛星国であったチェコスロバキア社会主義共和国で「プラハの春」が始まり、翌1969年にはかねてから対立していた中華人民共和国と珍宝島/ダマンスキー島を巡って中ソ国境紛争を戦った。1970年1月イタリアと、2月西ドイツと貿易協定。1971年3月、仏ソウラン協定。10月、仏ソ共同宣言・仏ソ新経済協力協定。1972年、ソ連は凶作のため穀物メジャーを頼った。1974年5月、英ソ経済協力協定。12月、仏ソ首脳会談で経済協力5ヵ年協定。1975年1月、米ソ通商協定破棄を通告。10月、米ソ穀物協定。1976年3月、日米ソ3カ国がヤクート天然ガス探査協定。11月、米ソ漁業協定。1977年3月、排他的経済水域を実施。

1979年から1989年にかけてアフガニスタンを侵略した。この際ソ連軍がアフガニスタンの大統領官邸を急襲し、最高指導者ハフィーズッラー・アミーンと警護隊を皆殺害するというテロ行為(嵐333号作戦)を行っている。1985年にソ連の指導者となったミハイル・ゴルバチョフは、翌1986年にチェルノブイリ原子力発電所事故で情報統制を試み、米ソレイキャビク会談(Reykjavík Summit)を決裂させた。ソ連のペレストロイカグラスノスチが不可避となる一方、各地で民族主義が噴出し、共産党内の対立が激化した。物資の供給増加をともなわない性急な貨幣経済を導入し、国民の生活を混乱させながら1991年にソ連は崩壊した

ロシア連邦の機関化

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は自らをロシア連邦として再構成し、連邦国家の継続的な法人格として認識されている。ソ連成立時と異なり対外債務を承継したうえ、ユーロ債の発行を重ねた。

1997年、第一回サンクトペテルブルク国際経済会議が開かれた。1999年、ロスチャイルド代理人のアルフレッド・ハルトマン博士が資金洗浄の国内捜査線上で名前をとりあげられた。そしていわゆる「サンクト派」が政治を担うようになった。

2003年ミハイル・ホドルコフスキーが脱税などの罪で逮捕・起訴され、ユコスの社長を辞任した。シブネフチとの合併が取り消されるなどして株価が乱高下し、内部者取引が横行した。2007年、ホドルコフスキーを除くユコス株主らは、ロシア政府がユコスを破綻させたとしてハーグ常設仲裁裁判所へ提訴した(ユコス破綻事件)。2010年6月26日、政府側のロスネフチに賠償命令が出た。7月27日、内部者取引と株価操作を取り締まる法案がようやく批准された。これは翌年から施行された。

2014年ウクライナ騒乱が2月に起きてVTBが態度を硬化させた。7月、ユコス破綻事件で政府は19億ユーロの賠償金支払いを命じられていたが、12月に欧州人権裁判所が政府の上訴を棄却した。2016年4月、ハーグ地区裁判所が、ロシア政府に株主らへ500億ドルの賠償金支払いを命じた常設仲裁裁判所の判決を棄却した。

2014年時点で、ロシアの経済名目GDP世界第9位かつ購買力平価世界第6位であった。ロシアの豊富な鉱物およびエネルギー資源は世界最大の埋蔵量であり、世界最大の原油生産国および世界最大の天然ガス生産国の一つである。ロシアは核保有を認められた5大国の一つであり、世界最大の大量破壊兵器保有量がある。ロシアは列強および国際連合安全保障理事会常任理事国であり、独立国家共同体の指導国であるだけでなく、G20欧州評議会アジア太平洋経済協力上海協力機構ユーラシア経済共同体欧州安全保障協力機構 (OSCE)、世界貿易機関 (WTO) 加盟国である。

そして今や、ズベルバンクの外国法人持分が45%を超えるような、機関化国家の一つである。

なお、ロシア連邦軍はソビエト連邦が保有していた核兵器を継承保有している。

国名

ロシア連邦(Российская Федерацияラテン文字転写: Rossíjskaja Federátsija など、発音:ラスィーイスカヤ・フィヂラーツィヤIPA: [rɐˈsʲijskəjə fʲɪdʲɪˈratsɨjə] 発音)。ロシア語では略号のРФ (RF)も使われる。英語表記は Russian Federation

ロシア連邦憲法第1条第2項でロシア連邦ロシア(РоссияRossíjaラスィーヤ[rɐˈsʲijə] 発音)は同じ意味としており、ロシア語においてもロシア連邦の意味でロシアが使われることがある。

歴史的な国名

詳細は「ルーシ (地名)」を参照

ロシアの国名は、現在のロシア北西部とウクライナベラルーシにあたるルーシという国家のギリシア語Ῥωςから派生したῬωσσία(現代ギリシャ語ではΡωσία)の発音によって生まれた名前である。この名は、ルーシの北東の辺境地に起こったモスクワ大公国がルーシ北東地域を統合し、“ルーシの遺産の争い”をめぐってリトアニア大公国と対立していた16世紀イヴァン4世(雷帝)の頃に使われ始め、自称に留まったロシア・ツァーリ国を経て、18世紀初頭のピョートル1世(大帝)がロシア皇帝(インペラートル)と称したことにより対外的にも正式の国名となった。

ルーシのギリシャ語風名称としてのロシア(正確には「ローシア」)という語はかつてのルーシの諸地域を指し、ルーシ北西部を「大ロシア」現在の西ウクライナあるいは中・南部ウクライナを「小ロシア」と呼んだ。ベラルーシも「白ロシア」という意味である。しかし、小国の乱立したルーシ地域では早くからウクライナやベラルーシの人々とロシアの人々との間には異なった民族意識が醸成されていった。結果、これらの国々はロシア帝国の崩壊後別々の国家を樹立し、再統合されたソ連邦下でも別々の共和国とされ、ソ連邦の解体に際しては別々に独立することとなった。別の観点から言うと、ロシアはキエフ・ルーシ時代、その大公権に属するモスクワ公国という小さな一部分に過ぎなかったが、ジョチ・ウルスの時代に征服者モンゴルとうまく協調したこと(税金を進んでモンゴルに納めたことなど)や、隣国を破って旧キエフ・ルーシの東側領土の大半を影響下に収めたこと、帝政時代の極東への進出と拡張により大国となった。その権力の正統性を説明するため、モスクワは東ローマ帝国からローマの威信も受け継いだという学説も考案された。こうしたことから、モスクワ大公国は「偉大なルーシ」の権力を継ぐ国家であると自称するようになり、なおかつヨーロッパ国家の一員であるという考えから公式にギリシャ風の「ロシア」を国号として用いるようになった。

国名の日本語表記の変遷

前はよりロシア語名に近いロシヤと書かれることが少なくなかったが、1980年代頃からギリシャ語風の(つまり他のヨーロッパ諸国の名称に合わせた)ロシアという表記が完全に主流となった。なお1991年(平成3年)の内閣告示『外来語の表記』には、細則的な事項として「イ列・エ列の音の次のアの音に当たるものは、原則として「ア」と書く。」とあり、これに従った場合の表記はロシアになる。現代日本語の漢字表記露西亜で、略称は江戸時代にはオロシャをろしやとも呼ばれた。これは、中国語の「俄羅斯」およびモンゴル語Орос(オロス)に近い呼び名である。日本の江戸時代から戦前にかけては魯西亜という表記が主流で、1855年に江戸幕府とロシア帝国の間で初めて結ばれた条約は「日本国魯西亜国通好条約」という名称になった。この漢字表記について1877年(明治10年)にロシア領事館から「魯は魯鈍(愚かなこと・様子)を連想させる」との抗議を受けた当時の日本政府は、ロシア側の希望を容れ表記を露西亜とした。だが露の字も「日(=日本)が昇ると(ろ・つゆ)は消える」というマイナスイメージがあることから、この様な表記の変更を敢えて受け入れたことに当時の対ロシア観が現れているとする見方もある。なお、白川静の『字統』によると「魯」の原意は「おろか」でなく「よろこび」。

歴史

詳細は「ロシアの歴史」を参照

古代・中世

クルガン仮説: インド・ヨーロッパ祖語話者の故郷としての南ロシア

今日のロシア人は様々な民族の混血によって成立しているのでその起源を一つに絞ることはできないが、国家や文化、言語の変遷において「ロシア民族」の祖となる人々は、北東ルーシと呼ばれる地域に古くから居住していた。その地に暮らした東スラヴ系の諸部族はフィン系の民族と隣接しており、言語や文化、習慣において大きな影響を受けた。やがてその多くは同化し、ほかの地域の東スラヴ人とは異なる文化を築いていった。ロシア人には、モンゴロイドに由来するフィン・ウゴル系遺伝子(Y染色体ハプログループN系統)もある程度見られる。

11世紀のキエフ大公国

北東ルーシには、ノルマン人ではないかと推測されている、民族系統不明の人々「ヴァリャーグ」が進出しており、交易や略奪、やがては入植を行った。862年にはヴァリャーグの長リューリク大ノヴゴロドとなり、町は東ローマ帝国との貿易拠点として発展した。後代に書かれた原初年代記には、リューリクの一族が東スラヴ人の居住地域に支配を広げていったと記録される。9世紀後半にヴァリャーグはドニエプル地方に拠点を移した。そのため、それから13世紀にかけてのルーシの中心は、現在はウクライナの首都となっているキエフであり、現在のロシアの中心である北東ルーシはむしろ辺境化し、モスクワの街もまだ歴史には登場していなかった。ヴァリャーグの支配者層を含めてスラヴ化したキエフ大公国は、9世紀に東ローマ帝国から東西教会分裂以後に正教会となる東方のキリスト教ギリシャ文化を受容し、独特の文化を育んだが、13世紀初頭にモンゴルによって征服されキプチャク・ハン国の支配下に入った。その混乱の中で、それまでキエフにあった府主教座はウラジーミル・ザレースキイへ移された。

イヴァン雷帝

数多くいるルーシ諸公の一人に過ぎなかったモスクワ公は、モンゴル支配下でルーシ諸公がハンに納める貢納を取りまとめる役を請け負うことで次第に実力をつけ、15世紀にキプチャク・ハン国の支配を実質的に脱してルーシの統一を押し進めた。府主教座もモスクワへ遷座した。国家は独立性の高い大公国となった。のち、モスクワ大公はイヴァン3世のときツァーリ(皇帝)の称号を名乗り、その支配領域はロシア・ツァーリ国と自称するようになった。ただし、国内の生産力は低く、西欧諸国からは異質の存在と見られている。16世紀イヴァン4世(雷帝)が近代化と皇帝集権化、シベリア進出などの領土拡大を進めたが、彼の死後はその専制政治を嫌っていた大貴族の抗争で国内が大混乱(動乱時代)に陥った。モスクワ大公国の主要貴族(ボヤーレ)たちはツァーリの宮廷の権威を認めず、士族民主主義の確立していたポーランド・リトアニア共和国を慕った。この民主派のボヤーレたちはポーランド・リトアニア共和国とモスクワ大公国との連邦構想さえ打ち立て、ツァーリ専制を嫌っていた農民商人をまとめ上げ、さらには共和国軍をモスクワ領内に招き入れてツァーリ派と戦い、共和国軍と共にモスクワを占領した。いっぽう、ツァーリ派の貴族や商人たちは政商ストロガノフ家の援助でニジニ・ノヴゴロドにおいて義勇軍を組織した。義勇軍側は、モスクワ政策を巡ってローマ・カトリック主義のポーランド国王兼リトアニア大公信教自由主義ポーランドリトアニア共和国議会と激しく対立していたことを絶好の機会とし、「反ローマ・カトリック闘争」の形で急速に数を増した。そして1612年ドミートリー・ポジャールスキークジマ・ミーニンの指揮の下、モスクワ市内のクレムリンに駐屯していた共和国軍の治安部隊を包囲攻撃、11月1日して撃破、モスクワを解放した。この、民主派に対するツァーリ派、およびローマ・カトリックに対するロシア正教会の勝利は、現在でも国民の祝日となっている(11月4日)。ここで中世ロシアは終わり、ロマノフ朝の成立とともに近代ロシアが始まることになる。

ロシア帝国

詳細は「ロシア帝国の歴史」を参照
ロシア帝国初代皇帝、ピョートル1世

1613年ロマノフ朝が成立すると、大貴族と農奴制に支えられ、封建色の強い帝国の発展が始まった。17世紀末から18世紀初頭にかけて、ピョートル1世(大帝)は急速な西欧化・近代化政策を強行し、新首都サンクトペテルブルクの建設(1703年)、大北方戦争(1700年 - 1721年)での勝利を経てロシア帝国の基盤を築いた。彼の時から正式に皇帝(インペラートル)の称号を使用し、西欧諸国からも認められた。1762年に即位したエカチェリーナ2世オスマン帝国との ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/06/21 14:22

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