ロビン・ファン・ペルシ(Robin van Persie, オランダ語発音: [ˈrɔbɪn vɑn ˈpɛrsi] ( 音声ファイル); 1983年8月6日 - )は、オランダのロッテルダム出身で同国代表サッカー選手。現在フェイエノールトに所属。ポジションはフォワード。ファン・ペルシーとカナ表記されることもあるが、-ieは必ずしも長音で発音されない。
2011-12・2012-13シーズンと2シーズン連続で異なるクラブでプレミアリーグ得点王に輝いたストライカー。オランダ代表では3度のワールドカップに出場。オランダ代表の通算得点記録の保持者でもある。 また、元々ウインガータイプの選手にもかかわらずプレミアリーグ通算得点ランキング10位(2017年現在)である。(280試合144得点 得点率51%)
SBVエクセルシオールユースからフェイエノールトユースを経て2002年にトップチームにデビューし、すぐに頭角を現す。この年のUEFAカップ優勝も経験。U-19、U-21オランダ代表にも選出された。フェイエノールト時代は左ウィング、左サイドハーフとしての起用がほとんどであった。
2004年には初の国外挑戦として数多くのオファーの中から、プレミアリーグのアーセナルFCを選択。2006-07シーズンにはティエリ・アンリに代わり試合に出場したが、骨折によりシーズン終了まで離脱した。
2007-08シーズン序盤、代表戦での怪我で半年近くの離脱。2008-09シーズンには11アシストを記録してプレミアリーグのアシスト王に輝いた。2009年夏、アーセナルとの契約を2014年6月まで延長した。
2010-11シーズン序盤は怪我で欠場していたが、怪我から復帰後はゴールを量産。リーグ戦ではアウェーで8試合連続ゴールを記録(最終的にリーグ18得点)、またカーリングカップ決勝でも得点をあげた。しかし、チームとしては前述のカーリングカップで敗退し、カンプ・ノウでのUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦のFCバルセロナ戦では1stレグで同点ゴールを挙げ勝利に貢献したものの、2ndレグでは遅延行為により退場し、その後逆転され敗退した。
2011-12シーズンはセスク・ファブレガスの移籍に伴い、アーセナルのキャプテンに就任した。 チームが怪我で苦しむ中で1人好調をキープし、前年度を上回るペースでゴールを量産。シーズン終了間際の2012年4月20日時点で27ゴールをマークし、PFA最優秀選手賞を受賞した。最終的にゴール数を30にまで伸ばし、得点王となった。
シーズン終了後、アーセナルとの契約を延長しないことを発表。これを受けてユヴェントスFCやマンチェスター・シティFCなどの強豪が獲得に動いたが、2012年8月15日、マンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍した。
2012-13シーズン、マンチェスター・ユナイテッドでもゴールを量産し、2年連続でリーグ得点王を獲得。優勝を決めたアストン・ヴィラFC戦ではハットトリックを達成した。
2014-15シーズンはオランダ代表で共にワールドカップを戦ったルイ・ファン・ハールが監督に就任した。しかし、度重なる負傷に悩まされ、26試合の出場で10ゴールと満足行く結果を残すことができなかった。2015年7月14日、トルコのフェネルバフチェSKへ完全移籍することを発表した。
2017年夏の移籍市場でフェイエノールトが関心を示し、ファン・ペルシ本人も子供たちの環境も考えてオランダに帰国を望んだがフェネルバフチェが契約解除に応じなかった。しかし出場機会が大きく減ったことで2018年冬の移籍市場でフェネルバフチェが契約期間残り半年分のサラリー200万ユーロの内180万ユーロを支払っての契約解除に応じ、フリーに。1月22日にフェイエノールトとの1年半契約にサインし、14年ぶりの帰還を果たした。背番号はデビュー当時に付けていた32.
2005年6月4日にルーマニア戦でオランダ代表デビューを果たし、ドイツワールドカップにも出場。グループリーグのコートジボワール戦で強烈なフリーキックを決めるなどオランダの予選突破に貢献した。EURO2008ではスーパーサブとして2得点を挙げる活躍を見せ、グループリーグでのオランダの快進撃に貢献した。2010 FIFAワールドカップにも出場し、チームは準優勝したが、自身はカメルーン戦の1得点のみに終わった。
2011年9月2日のUEFA EURO 2012予選のサンマリノ戦では1試合4得点を記録した。 2013年10月11日の2014 FIFAワールドカップ予選ハンガリー戦でハットトリックを記録し、パトリック・クライファートのオランダ代表最多得点記録を更新した。
2014年のブラジルワールドカップでは主将として、3位決定戦までの7試合のうち累積警告で出場停止となったチリ戦以外の6試合に出場した。対スペイン戦において背後からのクロスボールをダイビングヘッドでループシュートを決め、これはFIFA公式サイトで実施された大会の最優秀ゴールの投票において2位に輝いた。最終的に出場した6試合で4得点を挙げ、チームの3位入賞に貢献した。