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ワレンチナ・テレシコワとは?

この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年6月)
ワレンチナ・テレシコワ
Валенти́на Влади́мировна Терешко́ва


空軍少佐の制服を着用したテレシコワ(1969年)

ソ連の宇宙飛行士
最初の女性宇宙飛行士
【国籍】
ソビエト連邦
ロシア
【生誕】
(1937-03-06) 1937年3月6日(83歳)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ヤロスラヴリ州マスレンニコフ
【他の職業】
宇宙飛行士
【階級】
空軍少将
【宇宙滞在期間】
70時間50分
【ミッション】
ボストーク6号
【受賞】

ワレンチナ・ヴラディミロヴナ・テレシコワ(ロシア語: Валенти́на Влади́мировна Терешко́ва, ラテン文字転写: Valentina Vladimirovna Tereshkova, 1937年3月6日 - )は、ソ連・ロシアの宇宙飛行士、空軍軍人、政治家。1963年6月16日ボストーク6号に搭乗し、女性として世界初の宇宙飛行を行った。

生い立ち

友好勲章受章の際にドミトリー・メドヴェージェフ大統領と並ぶテレシコワ(2011年4月12日)

テレシコワはヤロスラヴリ州の小さな村、マスレンニコフに生まれた。学校を卒業後、通信制教育で学んだ後、織物工場で勤務した。彼女は、地元の航空クラブで22歳からスカイダイビングを行っていた。職場では旧ソ連共産党青年組織コムソモールのリーダーを務めていた。

宇宙飛行士への選抜

1962年、女性飛行士候補に選抜され、400人を超える候補の中から選抜された5人の1人となった。テレシコワ以外の4人はタチアナ・クズネツォワイリーナ・ソロウィオワジャーンナ・ヨールキナワレンチナ・ポノマレワである。宇宙飛行士に選抜されたことは、家族にさえ打ち明けることを禁じられていたため、家族がこの偉業を知ったのは、政府が全世界に向けて宇宙飛行を行ったことを発表してからだった。

宇宙飛行

1963年6月16日、テレシコワはボストーク6号に単独搭乗して70時間50分で地球を48周する軌道飛行を行い、史上初の女性宇宙飛行士、そして初の非軍人宇宙飛行士となった。

旧ソ連や現在のロシアでは、宇宙活動中の全ての飛行士が個人識別用のコールサインを付与され、テレシコワは「チャイカ」(Ча́йкаカモメの意)が与えられた。打上げ後の «Я — Чайка» (ヤー・チャイカ、「こちらチャイカ」の意)という応答が女性宇宙飛行士の宇宙で発した最初の言葉となり、日本ではチェーホフの戯曲『かもめ』で用いられる同様の台詞「私はカモメ」と結びつけて紹介され、ミッションの代名詞として広く知られた。


「私はカモメ(чайка)」が世界的に有名になった経緯は以下の通り。飛行ミッション終盤に宇宙船の操作が困難となりこのままでは地上に帰還できない可能性があった。テレシコワは地上基地へコールサイン「私はカモメ(чайка)」を送り問題を解決しようと試みたが、地上との連絡が取れなかった。原因はコールサインを送る際に無線バンドを間違ってしまい、そのため地上基地に届かなかったのだが、その誤送信した無線バンド帯が当時西側で良く使われていた無線バンド帯で、結果としてその無線バンド帯に乗って「私はカモメ(чайка)」が全世界に届くことになり広く知られることとなったのである。その後、その間違いに気づいた地上基地が、間違っていた無線バンド帯を用いて彼女と連絡を取り、宇宙船の操作を修正したので、彼女は無事帰還できた。後年、彼女はこう答えている「私はカモメ(чайка)はSOS。」

女性宇宙飛行士を搭乗させる計画はあったものの、2人目の女性宇宙飛行士であるスベトラーナ・サビツカヤが飛行したのは19年後となった。テレシコワと同時に選抜された他の4人は宇宙に旅立つことはなかった。テレシコワが宇宙飛行中にパニックを起こして問題となり、女性飛行士の採用が敬遠されたためとも言われるが、当時は(テレシコワがパニックに陥った原因とされる)宇宙酔いという現象がよく理解されていなかったことが理由のひとつとも言われている。

宇宙飛行後の活動

飛行後の1963年6月22日ソ連邦英雄を受章。ジュコフスキー空軍大学に入学し、1969年に宇宙工学の単位を得て卒業した。同年に女性飛行士隊は解散される。1977年に工学で博士号を得る。1966年から1991年までソ連邦最高会議の一員であり、1974年から1989年にかけては最高会議幹部会の一員であった。また、1969年から1991年まで党中央委員会の一員であった。1997年に大統領令により、空軍と宇宙飛行士隊から引退している。最終階級は空軍少将

1963年11月3日に同僚の宇宙飛行士であるアンドリアン・ニコラエフと結婚し、1964年に娘のエレナを産んでいる。1965年9月、日本社会党の招待により夫妻で来日した。このとき科学技術館で開催されていた「ソ連宇宙開発展」にあわせて講演会が開かれた。しかし、政治的な結婚であったこともあり、1982年離婚し、シャポシュニコフ博士と再婚した。博士とは1999年に死別しており、現在は独身である。

2003年6月10日に名誉勲章を受章。2011年4月12日に友好勲章を受章。12月4日に投開票されたロシアの下院選には、プーチン首相率いる政権与党統一ロシアから出馬・当選を果たし、ソ連邦最高会議時代以来、久々に政界に復帰した。

2020年3月10日、下院本会議上でロシア憲法改正案について、現在4期目のプーチン大統領が続けて5期目に立候補できるよう修正を提案。下院は憲法改正時の大統領にはそれまでの任期を算入しないとする修正案を採用し、11日に上院と共に通過させた。

脚注

  1. ^ ワレンチナ・V・テレシコワ”. JAXA宇宙情報センター. 2013年6月12日閲覧。
  2. ^ 30年のあゆみ 1989, p. 109.
  3. ^ 英雄のテレシコワ氏、突然の提案 プーチン氏続投に道. 朝日新聞. 2020年4月16日閲覧.

参考文献

関連項目

外部リンク

【典拠管理】

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出典:wikipedia
2020/05/30 13:38

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