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ワン・ワン・ライスとは?

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ワン・ワン・ライスは、細川内閣羽田内閣与党の要職に就いていた小沢一郎市川雄一米沢隆を総称して指す言葉。特に、小沢と市川の関係は「一・一ライン(いち・いち‐)」と呼ばれた。

目次

  • 1 概要
  • 2 メンバーと政権発足時の役職
  • 3 沿革
    • 3.1 自公民路線
    • 3.2 非自民・非共産連立与党
  • 4 「ワン・ワン・ライス」のその後
  • 5 関連項目

概要

小沢郎の一(one)、市川雄の一(one)、沢隆の米(rice)に因んで命名された。細川内閣および羽田内閣で三者とも与党各党の幹事長級の職に就いており「与党代表者会議」のメンバーであった。羽田政権崩壊後、小沢、市川、米沢の3名は羽田政権時の与党議員を中心とする新進党の結党に揃って参加した。

細川内閣当時は「ワン・ワン・ライス」は大きな発言力を保ったものの、与党内部が全て「ワン・ワン・ライス」の考えに賛同していたわけではなかった。特に連立与党幹部であった大内啓伍(民社党中央執行委員長厚生大臣)、村山富市(日本社会党中央執行委員長)、武村正義(新党さきがけ代表、内閣官房長官)は彼ら「ワン・ワン・ライス」と意見を異にすることが多かった。内啓伍の大(big)、山富市の村(ムラ)、武正義の村(ムラ)に因んで、彼らを「ビッグ・ムラ・ムラ」と総称するマスコミもあった(TBSテレビの『ブロードキャスター』など)。

羽田内閣においては、武村率いる新党さきがけは閣外協力に転じ、村山率いる日本社会党は連立政権から離脱したため、両者とも新進党の結党には参加していない。また、羽田政権の与党である民社党に所属していた大内も、新進党には参加しなかった(新進党不参加の経緯は大内啓伍#来歴を参照)。

羽田内閣総辞職後に発足した「自社さ連立政権」となる村山内閣では一転して、大内(自由連合総裁を経て、自由民主党へ入党)、村山(日本社会党中央執行委員長、内閣総理大臣)、武村(新党さきがけ代表)のいずれもが与党に所属していた。

メンバーと政権発足時の役職

【政権】
非自民・非共産連立政権
自社さ連立政権
【内閣】
細川
羽田
村山
村山(改)
橋本1
橋本2
橋本2(改)
ワン・ワン・ライス
小沢一郎 新生党
代表幹事 | 新生党
代表幹事 | 新生党
代表幹事 | 新進党
幹事長 | 新進党
党首 | 新進党
党首 | 新進党
党首
市川雄一 公明党
書記長 | 公明党
書記長 | 公明党
書記長 | 新進党
政務会長 | 新進党
副党首 | 新進党 | 新進党
米沢隆 民社党
書記長 | 民社党
書記長 | 民社党
委員長 | 新進党
副党首 | 新進党
幹事長 | 新進党
副党首 | 新進党
ビッグ・ムラ・ムラ
大内啓伍 厚生大臣
民社党
委員長 | 厚生大臣
民社党
委員長 | 民社党 | 自由連合
総裁 | 自由民主党 | 自由民主党 | 自由民主党
村山富市 日本社会党
国会対策委員長 | 日本社会党
委員長 | 内閣総理大臣
日本社会党
委員長 | 内閣総理大臣
日本社会党
委員長 | 日本社会党
委員長 | 社会民主党
特別代表 | 社会民主党
特別代表
武村正義 内閣官房長官
新党さきがけ
代表 | 新党さきがけ
代表 | 大蔵大臣
新党さきがけ
代表 | 大蔵大臣
新党さきがけ
代表 | 新党さきがけ
代表 | 新党さきがけ | 新党さきがけ

沿革

自公民路線

1989年第15回参議院議員通常選挙で大敗した自由民主党は内閣・党執行部を刷新。党総裁海部俊樹が、党幹事長には小沢が就任した。

新執行部の課題は過半数割れした参議院での対策であった。そこで小沢は公明党民社党両党の協力が必須として公明党書記長の市川・民社党書記長の米沢に接近した。

第15回参院選および1990年第39回衆議院議員総選挙では、野党日本社会党が議席を大きく伸ばした。また、参院選では社公民統一候補の「連合の会(のちの民主改革連合)」も国政選挙初参加で12人中11人当選という成果を上げた。しかし、公明・民社両党は議席を減らし、特に民社党は総選挙で結党以来最低となる大敗となった。市川・米沢は党勢の停滞に危機感を持ち、かつ現実路線に移行しない社会党に失望、社公民路線の転換を検討していた。

1991年、小沢は東京都知事選挙において現職の鈴木俊一の推薦に否定的であった公明党の意向を汲み、磯村尚徳を擁立(自民党本部・民社党本部・公明党都本部推薦)するも敗北、小沢は責任をとって幹事長を辞任したが自公民の協力関係の礎を築く事に成功した。

1992年PKO国会で社会党が日本共産党と徹底抗戦する中、政府・自民党案の修正に公明・民社は合意し成立させ、社公民路線は終焉、自公民路線へ舵を切った。しかし自民党は、公明党・民社党を表向きはあくまで野党として扱った。同年の第16回参院選では、公明は一部で自民と選挙協力を行ったが、民社は連合を介した社公民の枠組みでの選挙となった。しかし、PKO法で対立した両党の協力がうまく行くはずもなく、民社党は改選議席を維持したが、社会党は大敗。連合の会の公認候補は全滅した。

非自民・非共産連立与党

1993年、自民党最大派閥の竹下派の内部対立から始まった権力闘争の結果、小沢・羽田孜らは竹下派から離脱して羽田派を結成し「政治改革」を唱えて自民党を離党、新生党を結成した。新生党は社会・公明・民社と連立政権樹立で合意し、細川護煕率いる日本新党武村正義が代表の新党さきがけを取り込んで非自民・非共産連立政権細川内閣が発足した。

与党となった各党党首はすべて閣内に入ったため、党の意思決定は幹事長クラスの会議『与党代表者会議』で行われる事になり、小沢(新生党代表幹事)、市川、米沢が与党第一党の社会党を抑えて主導権を握った。

1994年4月、細川首相が辞任を表明すると羽田孜が後任の首相となったが、社会党は閣外協力に転じた。さらに民社党の大内の提案で、社会党・さきがけに断り無く、残りの与党各党で院内会派改新」を結成した。与党第1会派となり、国会内でも社会党に対して主導権を握ろうとしたものだが、社会党は反発して与党を離脱し、さきがけも閣外協力に転じたため、羽田内閣は少数与党に転落した。野党となっていた自民党が羽田内閣不信任決議案を提出すると、可決が必至の情勢となり、羽田内閣は内閣総辞職した。自民党は社会党の村山富市を首相にする条件で自民・社会・さきがけの3党連立政権にこぎ着け、与党復帰を果たした。会派「改新」は対抗勢力として新進党を結成したものの、野党暮らしが続くと自民党に移籍する議員が続出し、党内の内紛も絶えず、1997年12月に解散した。

「ワン・ワン・ライス」のその後

新進党の解党後は、小沢は自由党、市川は新党平和を経て再度結党された公明党、米沢は新進党公認として立候補した第41回衆議院議員総選挙で落選していたが、解党後の2002年10月に繰り上げ当選で国政に復帰。民主党に入党し、それぞれ袂を分かつ形となった。

その後、小沢が2003年民由合併により民主党に合流。再び米沢と同じ政党に属することになった。市川については公明党に所属したまま、同年11月の衆議院解散をもって政界から引退、2017年12月に死去。米沢は2005年第44回衆議院議員総選挙で落選し政界から引退。2016年6月に死去した。

関連項目

小沢一郎
選挙区 | 
岩手県第2区(中選挙区時代) - 岩手県第4区 - 岩手県第3区
 | 
親族 | 
小沢佐重喜(父) - 竹下亘(義弟) ほか

所属政党 | 
自由民主党 - 新生党 - 新進党 - 自由党 (1998-2003) - 民主党 - 国民の生活が第一 - 日本未来の党 - 生活の党 - 生活の党と山本太郎となかまたち - 自由党 (2016-)

関連派閥・グループ | 
周山会(自民党佐藤派)- 七日会→木曜クラブ(自民党田中派) - 創政会(自民党田中派の竹下系) - 経世会(自民党竹下派) - 改革フォーラム21(自民党羽田派) - 旧自由党G(民主党小沢G) - 一新会(民主党小沢G) - 北辰会(民主党小沢G)- 新しい政策研究会(超党派小沢G)

主要役職 | 
衆議院議院運営委員長 - 第34代自治大臣 - 第44代国家公安委員長 - 内閣官房副長官 - 自由民主党幹事長 - 新生党代表幹事 - 新進党党首 - 自由党党首 - 民主党代表代行 - 民主党代表 - 民主党幹事長 - 国民の生活が第一代表 - 生活の党代表 - 生活の党と山本太郎となかまたち共同代表・選挙対策委員長

秘書・元秘書 | 
高橋嘉信 - 藤原良信 - 樋高剛 - 鶴保庸介 - 青木愛 - 横山北斗 - 石川知裕 - 川島智太郎 - 大久保隆規 - 金淑賢 - 木戸口英司ほか

著書 | 
単著 | 
日本改造計画』 - 『語る』 - 『男の行動美学』 - 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』 - 『剛腕維新』 - 『小沢主義(オザワイズム)―志を持て、日本人』

共著 | 
『日米関係を読む』(ジェームズ・ファローズ・松永信雄共著) - 『ジョン万次郎とその時代』(川澄哲夫編) - 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』(菅直人共著)- 『小沢一郎総理(仮)への50の質問』(おちまさととの対談)


関連人物 | 
羽田孜 - 平野貞夫 - 小池百合子 - 二階俊博 - 藤井裕久 - 田村秀昭 - 山岡賢次 - 鈴木克昌 - 広野允士 - 東祥三 - 森裕子

関連項目 | 
1991年東京都知事選挙 - 政治改革四法 - 三宝会 - 小沢一郎政治塾 - 小沢チルドレン - 小沢訪中団 - 西松建設事件 - 陸山会事件 - ワン・ワン・ライス - 金竹小 - 竹下派七奉行 - ネオ・ニューリーダー - 一龍戦争 - 一六戦争


公明党
支持母体:創価学会
歴代代表 | 
公明党委員長 | 
原島宏治 - 辻武寿 - 竹入義勝 - 矢野絢也 - 石田幸四郎

公明代表 | 
藤井富雄 - 浜四津敏子

公明党代表 | 
神崎武法 - 太田昭宏 - 山口那津男


閣僚経験者 | 
細川内閣 | 
郵政大臣:神崎武法 - 労働大臣:坂口力 - 総務庁長官:石田幸四郎 - 環境庁長官:広中和歌子

羽田内閣 | 
運輸大臣:二見伸明 - 郵政大臣:日笠勝之 - 建設大臣:森本晃司 - 総務庁長官:石田幸四郎 - 科学技術庁長官:近江巳記夫 - 環境庁長官:浜四津敏子

小渕内閣第2次改造内閣
第1次森内閣
第2次森内閣 | 
総務庁長官:続訓弘

第2次森改造内閣 (中央省庁再編前) | 
厚生大臣労働大臣:坂口力

第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)
第1次小泉内閣
小泉再改造内閣
第2次小泉内閣 | 
厚生労働大臣:坂口力

第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣 | 
国土交通大臣:北側一雄

第1次安倍内閣
第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
 | 
国土交通大臣:冬柴鐵三

福田康夫改造内閣
麻生内閣 | 
環境大臣:斉藤鉄夫

第2次安倍内閣
第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣 | 
国土交通大臣:太田昭宏

第3次安倍第1次改造内閣
第3次安倍第2次改造内閣
第3次安倍第3次改造内閣
第4次安倍内閣
第4次安倍改造内閣 | 
国土交通大臣:石井啓一


関連人物 | 
戸田城聖 - 池田大作 - 公明党国会議員一覧

歴史 | 
大阪事件 - 言論出版妨害事件 - 日本共産党と創価学会との合意についての協定 - 自公連立 - 三党合意

政権構想 | 
中道革新連合政権構想 - 公民連合政権構想 - 社公連合政権構想 - 社公民路線 - 自公連立

結党時の理念 | 
王仏冥合 - 仏法民主主義 - 国立戒壇

関連項目 | 
公明新聞 - KOMEIブラウザ - ワン・ワン・ライス - 宗教政党 - 聖教新聞社 - 聖教新聞

カテゴリ | 
公明党 - 創価学会


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/11/08 09:39

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