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三浦大輔とは?

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三浦 大輔
横浜DeNAベイスターズ スペシャルアドバイザー

現役時代
(2014年3月16日、横浜スタジアムにて、40歳)

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
奈良県橿原市
【生年月日】
(1973-12-25) 1973年12月25日(44歳)
【身長
体重】
183 cm
88 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1991年 ドラフト6位
【初出場】
1992年10月7日
【最終出場】
2016年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


コーチ歴

  • 横浜DeNAベイスターズ (2014 - 2016)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
五輪
2004年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


オリンピック
男子 野球
 | 2004 | 野球

三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。愛称は「ハマの番長」。マネジメントはエイベックス・マネジメント。現在は横浜DeNAベイスターズの球団スペシャルアドバイザー。

横浜大洋ホエールズへ入団した1992年以降、後継球団の横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズを通じて一貫して横浜でプレーした。また「NPBの現役最年長選手および、横浜大洋への在籍経験を持つ最後の選手」として迎えた2016年には「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録を達成し、同年シーズン限りで現役を引退した(詳細後述)。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 横浜時代
      • 1.2.1 現役引退
    • 1.3 スペシャルアドバイザーとして
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 対戦チーム別勝敗
    • 2.2 開幕戦未勝利
  • 3 人物・エピソード
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別投手成績
    • 4.2 年度別打撃成績
    • 4.3 年度別守備成績
    • 4.4 タイトル
    • 4.5 表彰
    • 4.6 記録
    • 4.7 背番号
    • 4.8 登場曲
  • 5 出演作品
    • 5.1 テレビ番組
    • 5.2 ラジオ番組
    • 5.3 テレビドラマ
    • 5.4 映画
    • 5.5 PV
    • 5.6 ライヴ
    • 5.7 CM
  • 6 著書
  • 7 脚注
    • 7.1 注釈
    • 7.2 出典
  • 8 関連項目
  • 9 外部リンク

経歴

プロ入り前

橿原市立真菅北小学校時代、2人の弟と共に「真北リトルズ」で活躍する。幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布宅を訪れた縁があり、地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を当時から岡田は評価していた。横浜入団後の2008年に三浦が国内FA権の行使を宣言した際には、岡田がかつて在籍した阪神タイガースから横浜を上回る条件で移籍を打診された。

橿原中学校時代は「北大和シニア」に所属。

高田商業高校に進学。1991年の県大会は春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れ甲子園出場は叶わなかった。

横浜時代

1991年11月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜大洋ホエールズから6位で指名され、入団。背番号は「46」。

1992年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)に、3番手投手として一軍デビュー。「横浜大洋ホエールズ」としては最後の公式戦で、篠塚和典から三振を奪うなど打者6人を完璧に抑えた。

1993年9月4日の対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利・初完投を記録。

1995年から先発ローテーションに加わって活躍し始め、1997年は自身9連勝などもあって初の二桁勝利を挙げる(10勝3敗)。同年7月29日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では5回まで無安打に抑える快投を見せるも、8回に代打を出されて無安打のまま降板した。

1998年には前年の活躍が認められ、背番号を以前から自身が希望していた「18」へ変更した。この年は安定感が増し、8月に肝機能障害で1ヶ月離脱するアクシデントはあったが自己最多となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。しかし西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦に先発したものの、球数を多く費やし6四球を出すなど苦しみ、序盤で降板して敗戦投手となっている。

2000年2001年はチームの生え抜き先発投手陣が不調や配置転換など苦しむ中で安定した成績を収め、押しも押されもせぬエースの座に君臨する。

2002年7月3日の対巨人戦で、投球中に右肘の違和感を訴えて途中降板、同年オフに欠けた骨を取り除く内視鏡手術を行った。また、契約更改では2003年から2008年までの6年契約を結んだ。

2003年は前年受けた手術の影響もあって春季キャンプは二軍スタートとなり、開幕も出遅れる。

2004年に行われたアテネオリンピックでは、日本代表に選ばれて銅メダルを獲得した。

2005年は2001年(11勝)以来となる二桁勝利(12勝)を挙げ、プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率最多奪三振)を獲得し、4年ぶりのチームAクラス入りに貢献した。28試合中23試合で7イニング以上を投げ、21試合でQS達成(うちHQS16試合)、10完投と大活躍だった。

2006年野球規則委員会が「二段モーションなどは不正投球とする」という見解を示したことから、日本野球機構もこれを承認したことでフォーム改造を余儀なくされ、その影響からか前半は勝ち星に恵まれず8勝(12敗)に終わるも9完投、3完封、3無四球完投はいずれもリーグ最多であり、自己最多の216回2/3と、前年に続き二年連続で200イニング以上を投げた。また5月9日の楽天戦で通算100勝を達成した。

2007年6月20日から同年7月27日にかけて35イニング連続無失点を記録し、連続イニング無失点の球団記録を更新(それまでは平松政次の33回1/3)した。また、第9回ゴールデンスピリット賞を受賞している。

2008年オフにFA宣言し、阪神タイガースが獲得に動いたが「強いところを倒して優勝したい」「阪神にベイスターズを馬鹿にされた」と残留を発表。

2009年は失点、被本塁打ともリーグ最多を記録したが、3戦連続を含む6完投もリーグ最多だった。2年ぶりの2ケタ勝利となる11勝を挙げた。

2010年11月23日、横浜スタジアム(36歳)

2010年は開幕前のオープン戦で振るわず開幕直前で2軍落ちとなった。その後1軍に復帰したが不安定な投球が多く3勝8敗と不振に陥り、1994年以来16年ぶりに投球回数が100イニングを下回った。この年のチームは開幕前の構想から外れた戦いを強いられたことでシーズン中盤までは粘ったが、後半は負け試合がさらに多くなり、3年連続最下位に終わってしまった中でも自身の不振は大きく響いた。

2011年7月10日の対中日戦(横浜スタジアム)に先発して勝利投手となり、19年連続勝利の球団記録を更新した。この年の三浦は開幕当初こそ二軍落ちする不本意な成績であったが、イースタン・リーグでの調整を通して全身を鍛えるために短距離ダッシュを繰り返すなど独自の練習で調整するなか、往年の球威と制球力を取戻して7月に昇格するとシーズン終了まで先発ローテーションを守り抜き、この年のチームで唯一の完投・完封を含む、チーム最多タイ(高崎健太郎と同数)の5勝をマークした。投球回数も規定投球回には達しなかったものの、2年ぶりに100イニングを超えるなど健在ぶりを発揮した。

2012年には、4月1日の対阪神戦(京セラドーム大阪)で勝利投手となり、横浜DeNAベイスターズとしての球団初勝利となった。7月4日の対巨人戦で、2005年8月23日以来となる2507日ぶりの巨人戦勝利となり、同時に通算150勝を達成した。通算150勝を挙げて以降は調子を上げて前半戦は8勝をあげ、3年ぶりのオールスターゲームにも出場。チームトップの9勝をあげリーグ最多の6完投を記録した。

2013年には、6月12日の対ロッテ戦(QVCマリン)で3対0で完封勝利し、小山正明の39歳1カ月での球団最年長完封記録を39歳3カ月で更新するなどチームトップの9勝をあげた。

2014年からは、投手として現役生活を続けながら一軍の投手コーチを兼任している。この年には開幕から4連敗を喫したが、7月13日のヤクルト戦で一軍公式戦22年連続勝利(米田哲也に並ぶNPB歴代3位)を達成したことを皮切りに5連勝。チームの後半戦巻き返しに貢献した。8月は1完投を含む3勝0敗、セ・リーグ唯一の防御率1点台(1.20)の活躍で月間MVPに選ばれた。シーズン通算では、5勝6敗と負け越しながら、チーム5位の投球回数を記録した。

2015年には5月5日の対ヤクルト戦で一軍でのシーズン初登板を果たすと、一軍公式戦23年連続勝利のNPB最長タイ記録(右投手としては新記録)を樹立。5月20日の同カードでは、一軍でのシーズン初安打を放ったことによって、一軍公式戦23年連続安打(NPBの投手新記録)を達成した。さらに5月27日の対オリックス戦にも勝利したことで、シーズン初登板からの一軍公式戦3連勝を記録した。三浦はセ・リーグの40代投手では初めて、パシフィック・リーグを含めたNPBの投手としても最年長の記録であった。シーズン終了後には、NPB最年長(50歳)の山本昌や同期入団の斎藤隆(45歳)など、年齢で41歳の自身を上回る8選手が相次いで現役を引退。三浦自身は、11月28日に投手兼任コーチとしての契約を更改したことによって、2016年シーズンにおけるNPBの現役最年長選手になった。

2016年には、7月11日の対中日戦(横浜)で先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験。4回6失点という内容で敗戦投手になったが、2回裏の第1打席で一軍公式戦通算122本目の安打を放ったことによって一軍公式戦24年連続安打(野手を含めたNPB歴代4位タイ記録)を達成した。さらにこの記録が「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録に認定されたため、三浦は8月22日に公式認定員から認定証が授与された。同年は、一軍公式戦に登板しない期間も前年に続いて投手コーチとして一軍の遠征に帯同。遠征のない場合には、もっぱら二軍で投手としての調整を続けていた。

現役引退

2016年9月29日、横浜スタジアム(42歳)

2016年シーズンは若手の台頭により8月を終えても一軍登板は先述の1試合のみにとどまり、三浦も自身の中で引退を決意していた。9月16日の対阪神戦(甲子園)に先発投手としてシーズン2度目の一軍公式戦登板を果たすも、1回裏に福留孝介の本塁打で2点を失った末に4回1/3で降板し、シーズン2敗目を喫した。三浦はこの試合後に高田繁ゼネラルマネジャーへ現役引退を申し入れ、球団側も引退を了承した。チームが19日に球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めたことを受け、翌20日にシーズン限りでの引退を表明した。三浦は引退を決断した理由を「自分では勝てなくなったから」と語り、引退後の進路について三浦は「現役(生活)からは卒業するが、野球からは卒業しないので、ずっと野球に関わっていたい」と述べた。

球団は、三浦が1998年から19年にわたって着用してきた背番号「18」を「横浜ナンバー」として「準永久欠番」にし、着用にふさわしいとされる選手が現れた場合にのみ、球団と三浦による協議を経て継承を認めることを発表した。

三浦は本拠地の横浜スタジアムで行われた9月29日の2016年レギュラーシーズン最終戦に、先発投手として現役最後の登板に挑んだ。この試合では、DeNAの全選手が三浦の背番号18を入れたユニフォームを着用し、試合前には三浦の長男による始球式が行われた。 三浦はこの試合のスタメンとして一軍初出場を果たしたヤクルトのルーキー・廣岡大志初打席初本塁打となる3点本塁打を浴びるなど6回表終了時点で10失点を喫したが、アレックス・ラミレス監督の計らいもあってか6回裏には現役最後の打席に立ち(結果は中飛)、次イニングも続投を決意。7回表のマウンドに向かう際、捕手の髙城俊人から最後の対戦打者への直球一本勝負を提案され、イニング先頭の雄平から空振り三球三振を奪い降板となった。三浦も6回1/3で119球を投じ8三振を奪うも、12被安打10失点(自身初の2桁失点試合)という結果になった。

試合後に三浦の引退セレモニーが開催され、三浦は「今は最高に気分が良く、『できることなら、このまま時間が止まってくれればな』と思っています。でも、チームはやっとクライマックスシリーズに出られます。どんどんチームが変わってきて、苦しかった時を乗り越えて、やっと『横浜DeNAベイスターズ、いいチームになっただろ』とみんなに自慢できます」「横浜一筋で25年来られたのも、皆さんのおかげです。これからの人生も、横浜一筋で来られたことを誇りに頑張っていきます。今シーズンをもちまして現役を引退致しますけれども、これからも三浦大輔はずーっと横浜です。ヨ・ロ・シ・ク!」と挨拶し、チームメイトから三浦の背番号にちなみ、18回にわたって胴上げされた。同時に、兼任していた一軍投手コーチも同時に退任する意向を引退試合の翌日(9月30日)に球団へ伝え退団を表明。TBSテレビテレビ神奈川の野球解説者、日刊スポーツの野球評論家としても活動しながら、退団後の2017年からは横浜DeNAのスペシャルアドバイザーに就任した。

スペシャルアドバイザーとして

先述の通り、2017年より就任したスペシャルアドバイザーとして球団の標榜する「横浜スポーツタウン構想」に対する地域活動への参加やアドバイスをするという役割を担うこととなり、「野球」、「横浜」、「横浜DeNAベイスターズ」の3つの軸を根幹として活動を展開している。

具体的な活動としては、野球教室の開催や、MLBの視察などである。視察では、元チームメイトのスティーブン・ランドルフの紹介でアリゾナ・ダイヤモンドバックスマイク・ブッチャー投手コーチとの対談やメジャー、マイナー、ルーキーリーグなど試合を観戦した。また、ドーザー・パークで行われたセントルイス・カージナルス傘下組織のシングルAピオリア・チーフスの試合では、試合前に来賓として始球式を行った。

2018年も引き続き、同職として活動を継続していくことが発表された。

選手としての特徴

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この選手の選手としての特徴に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2012年2月)

オーバースローから平均球速約139km/h、最速148km/hのストレートと、カットボールスライダーフォークスローカーブシュートなどを投げ分ける技巧派。立浪和義は「カット系の小さいスライダーを覚えてから厄介な投手になった印象があります」と、カットボールに着目した。90km/h以下のスローカーブは他の投手にない武器であり、主に緩急をつけるのに用いられている。

最大の武器は通算与四球率2.42の抜群の制球力で、2010年6月12日放送の『すぽると』における「1/100 この選手がすごい!投手編・コントロール部門」で1位に選出されている。2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も併せ持つ。豊富なスタミナを活かした完投能力も高く通算16回の無四球完投を記録、これは現役のNPB選手では最多である(2014年シーズン終了時)。また2012年にはセ・リーグ最多の6完投を記録したが、39歳シーズンでの最多完投は歴代最年長である。

2段モーションの先駆けかつ代表格だったが、2006年以降にボークに関する規定の厳格化(2段モーションの禁止)によって投球モーションの変更を余儀なくされた。

堅実なフィールディングで、25年間3276投球回700守備機会でわずか9失策、守備率.987を記録している。

対戦チーム別勝敗

阪神タイガース戦に滅法強く、通算46勝32敗と大幅に勝ち越した。一方で読売ジャイアンツ戦に13勝39敗と大の苦手にしており、2005年8月23日に勝利投手となってから2012年7月4日に通算150勝を達成するまで勝利できなかった。

またセ・パ交流戦では通算17勝23敗と負け越しており、特に福岡ソフトバンクホークス戦では0勝6敗に終わった。

【対戦チーム】
巨人
ヤクルト
中日
阪神
広島
日本ハム
楽天
西武
ロッテ
オリックス
ソフトバンク

勝敗 | 13勝39敗 | 34勝38敗 | 32勝30敗 | 46勝32敗 | 30勝22敗 | 4勝2敗 | 2勝3敗 | 3勝5敗 | 5勝3敗 | 3勝4敗 | 0勝6敗 | 172勝184敗
勝率 | .250 | .472 | .516 | .590 | .577 | .667 | .400 | .375 | .625 | .429 | .000 | .483

開幕戦未勝利

横浜・横浜DeNAの開幕投手を7回務めているが、0勝7敗でいずれも敗戦投手になっている。開幕戦に登板した投手の7連敗は、同年時点でNPB記録である。

【年度】
【対戦チーム】
【球場】
【相手投手】
備考
1999年 | ヤクルトスワローズ | 横浜スタジアム | 石井一久 | 同点の7回に連打を浴びて降板。この年は開幕から6連敗を経験し、14試合目の登板で初勝利。
2002年 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 | 佐々岡真司 | 8回途中まで2失点と好投するも打線の援護に恵まれず。
2004年 | ヤクルトスワローズ | 明治神宮野球場 | ジェイソン・ベバリン | 無失点で迎えた7回裏に3本のソロ本塁打を浴びて降板、打線の援護もなく黒星。
2005年 | 中日ドラゴンズ | ナゴヤドーム | 川上憲伸 | 8回無失点と好投するも、9回裏にアレックス・オチョアにサヨナラ満塁本塁打を被弾。
2006年 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム | 上原浩治 | 初回に4失点、3回にも2失点し、4回6失点で敗戦投手となる。
2007年 | 読売ジャイアンツ | 横浜スタジアム | 内海哲也 | 試合開始直後の初球を高橋由伸に本塁打とされるなど、6回3失点で敗れた。
2009年 | 中日ドラゴンズ | ナゴヤドーム | 浅尾拓也 | 2年ぶりに開幕投手となるが、和田一浩に2本塁打を喫するなど7回4失点。
これによって開幕投手7連敗となり、東尾修を抜いてプロ野球記録となった。

2010年の開幕はキャンプの段階で指名されていたが、三浦が調整遅れのためスティーブン・ランドルフが務めた。

人物・エピソード

三浦が入団した1992年から2015年シーズン終了時点までに、球団名が横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと変化しているが、三浦は「その3球団全てに在籍したことがある」「横浜ベイスターズ期間中(1993年 - 2011年)に一度も移籍したことがない」唯一の選手であった。また、2015年・2016年シーズンには、「横浜球団時代の1998年にセ・リーグ優勝を経験した唯一の生え抜き選手」として現役生活を続けた。

2015年シーズンまでは、横浜大洋時代に入団した選手のうち、三浦・斎藤・谷繁元信(1989年ドラフト1位)がNPBで現役生活を続けていた。しかし、斎藤・谷繁が同年限りで現役を引退したため、2016年シーズンは三浦が横浜大洋時代を知る最後の現役選手となった。

先発した試合で最小失点に抑えていても、味方打線の沈黙によって敗戦投手になるケースが多い。2005年はチームが記録した7引分のうち5試合に先発登板しているが、その中には両チームの完封リレーによって0-0で引き分けた試合(4月15日の広島戦、相手先発投手は黒田博樹)も存在したほか、7回2失点以内に抑えて勝利投手になれなかった試合も9試合存在する。しかし、そのような試合でも「打たれた自分が悪い」と決して他人に責任を押し付けず、打線を擁護するコメントを出している。

リーゼントの髪型がトレードマークで、通称「ハマの番長」と評される。現役引退会見にもリーゼント姿で登場し、「現役から卒業しても、リーゼントの髪型をできる限り続けたい」との意向を示した。

矢沢永吉の大ファン。リーゼントの髪型は矢沢からの影響で、プロに入ってすぐ矢沢の自伝『成りあがり』を読みポマードを買って髪を固めた。シーズンオフはジャケットに身を包み、タオルを首に巻いて矢沢の日本武道館でのコンサートに足を運ぶ。数年前から長男も連れて行っているという。2016年の引退試合後に行われたセレモニーでは、矢沢本人からのVTRメッセージが流された。

プロレス関係者との交流が深い。1998年1月4日に東京ドームで行われた新日本プロレスの「FINAL POWER HALL in 闘強導夢」の第8試合、蝶野正洋越中詩郎戦ではnWoジャパン構成員として、鈴木尚典と共に蝶野のセコンドに付いた。2002年には魔界倶楽部総裁の星野勘太郎から「魔界18号」と命名されている。また、親交の深かった橋本真也が2005年に急逝した直後の7月13日の広島戦(横浜スタジアム)では橋本の入場テーマ「爆勝宣言」でマウンドに上がって見事完封勝利を収め、ヒーローインタビューで涙を流した。2009年10月12日に両国国技館で行われた蝶野の25周年記念大会にも足を運び、大会終了後には蝶野、そして武藤敬司とのスリーショット写真を自身のブログにアップしている。2015年2月27日の春季キャンプ終了後には新日本プロレスの沖縄県立武道館大会を観戦し、大会終了後には天山広吉との2ショット写真に収まり、天山が自身のTwitter上でその写真をアップしたツイートを投稿した。

自身のブログには、三浦自身が見つけたものや見かけたもの(モニュメント、花、景色)や季節、チームメイトの山口俊牛田成樹加賀繁やトレーナー、裏方などといった三浦と交流がある人物、本拠地である横浜スタジアムの様子、自身が出演するメディアの情報、さらには飼っている2匹の犬(「ラブ」と「シュガー」と名づけている)の様子などが原則1日1回のペースで更新されている。ブログに載せている写真はほぼ全て自ら撮影しているため、常に右端の同じ位置でフレームインしている。登板した試合で勝利投手となった日は、既にブログを更新している場合でも勝利を表す白星(☆)を1個ずつシーズン勝利数の分だけ積み重ねて再度更新するなど、ファンとの交流を非常に大切にしている。

2011年には現役の野球選手として初めて競走馬「リーゼントブルース」を所有することとなり、日本中央競馬会の馬主登録も行った。

トマトが嫌いである。

詳細情報

年度別投手成績






























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

1992 | 大洋
横浜
DeNA
 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | - | 6 | 2.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00
1993 | 15 | 8 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | -- | .500 | 255 | 60.1 | 60 | 4 | 21 | 1 | 2 | 61 | 2 | 0 | 23 | 23 | 3.43 | 1.34
1994 | 17 | 6 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 228 | 47.2 | 61 | 2 | 25 | 0 | 0 | 35 | 2 | 1 | 27 | 23 | 4.34 | 1.80
1995 | 25 | 22 | 3 | 0 | 1 | 8 | 8 | 0 | -- | .500 | 619 | 147.2 | 131 | 17 | 52 | 5 | 4 | 107 | 5 | 0 | 66 | 64 | 3.90 | 1.24
1996 | 34 | 21 | 4 | 0 | 0 | 5 | 10 | 0 | -- | .333 | 582 | 131.1 | 151 | 17 | 55 | 1 | 1 | 101 | 0 | 0 | 82 | 72 | 4.93 | 1.57
1997 | 26 | 22 | 4 | 1 | 1 | 10 | 3 | 0 | -- | .769 | 578 | 142.1 | 113 | 9 | 51 | 1 | 3 | 129 | 4 | 1 | 54 | 53 | 3.35 | 1.15
1998 | 25 | 24 | 2 | 1 | 0 | 12 | 7 | 0 | -- | .631 | 656 | 158.2 | 138 | 12 | 60 | 3 | 3 | 119 | 4 | 0 | 64 | 56 | 3.18 | 1.25
1999 | 30 | 25 | 4 | 3 | 1 | 9 | 10 | 0 | -- | .473 | 729 | 175.0 | 174 | 22 | 51 | 1 | 2 | 130 | 2 | 0 | 92 | 83 | 4.27 | 1.29
2000 | 24 | 24 | 4 | 0 | 1 | 11 | 6 | 0 | -- | .647 | 665 | 164.2 | 154 | 22 | 32 | 0 | 3 | 122 | 3 | 0 | 64 | 59 | 3.22 | 1.15
2001 | 26 | 25 | 5 | 2 | 0 | 11 | 6 | 0 | -- | .647 | 673 | 168.2 | 137 | 14 | 53 | 6 | 2 | 135 | 1 | 0 | 56 | 54 | 2.88 | 1.13
2002 | 19 | 18 | 4 | 2 | 2 | 4 | 10 | 0 | -- | .285 | 488 | 119.2 | 108 | 12 | 28 | 6 | 2 | 100 | 1 | 0 | 46 | 43 | 3.23 | 1.14
2003 | 15 | 15 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 
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出典:wikipedia
2018/09/17 09:14

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