このキーワード
友達に教える
URLをコピー

下関市とは?

しものせきし
下関市
赤間神宮

 | 
下関市旗 | 下関市章

【国】
日本
【地方】
中国地方
中国・四国地方
【都道府県】
山口県
市町村コード
35201-2
法人番号
4000020352012
【面積】
716.10km

【総人口】
256,532[編集]
(推計人口、2020年1月1日)
人口密度
358人/km
【隣接自治体】
長門市美祢市山陽小野田市
福岡県北九州市(関門海峡を挟んで隣接)
【市の木】
クスノキ
【市の花】
ハマユウ
【他のシンボル】
市の花木:ツツジサクラ
市の魚:フク(フグ)
市の虫:ホタル
市の鳥:ペンギン
市の動物:クジラ
下関市役所

【市長】
前田晋太郎
【所在地】
750-8521
山口県下関市南部町1番1号
北緯33度57分28.4秒東経130度56分28.8秒座標: 北緯33度57分28.4秒 東経130度56分28.8秒
市庁舎位置


【外部リンク】
公式ウェブサイト

― 市 / ― 町



ウィキプロジェクト
火の山から下関市中心部を望む

下関市(しものせきし)は、山口県西部に位置する。人口規模、経済規模ともに山口県では最大の都市であり、中核市及び中枢中核都市に指定されている。また日本で最初に市制を施行した36都市の1つ。

概要

海峡ゆめタワーから下関市中心部東側と関門海峡を望む(中央部に見えるのは関門橋、右上は北九州市門司区)

本州の最西端に位置し、古くから関門海峡北岸に面する港湾都市として栄えたこともあってその人口規模は県庁所在地である山口市を凌ぎ、中国地方でも広島市岡山市倉敷市福山市に次ぐ5番目の人口規模の都市である。

中心部の一部の下関港周辺は、古くは「赤間関」(あかまがせき、あかませき、あかまのせき)と呼ばれており(対岸の門司は「もじがせき」と呼ばれていた)、これを赤馬関(あかまがせき)とも書いたことから、これを略した「馬関」(ばかん)という別名も用いられた(例えば、昔は下関駅を馬関駅と言い、今でも「しものせき馬関まつり」が毎年開催されている)。また、下関港を発着する関釜連絡船(現在の関釜フェリー)は、日本から朝鮮半島中国大陸へ渡る主要ルートの1つとなったことから、東アジア諸国への玄関口としての機能をも有した。また陸上交通・海上交通の両面で重要な地点となったことから、戦時中には下関要塞として関門海峡沿岸部一帯が大日本帝国陸軍の支配下に置かれた。

1878年(明治11年)郡区町村編制法により、東京15区、大阪4区、京都2区、以下1区ずつで名古屋、横浜、堺などと共に赤間関区(あかまがせきく)が置かれたことに始まり、1889年(明治22年)4月1日の市制施行時には、日本で最初に市制を施行された31市の1つ(山口県で唯一)として赤間関市発足。1902年(明治35年)6月1日に現在の市名である『下関市』となった。現在の市制は2代目で、2005年(平成17年)2月13日下関広域都市圏を構成していた(旧)下関市と豊浦郡の4町(菊川町豊田町豊浦町豊北町)の計1市4町が合併(新設合併)して、新たに発足したものである。合併前の(旧)下関市は2002年(平成14年)4月1日に特例市に指定されており(合併時に新市が特例市に指定)、合併時直近の国勢調査(2000年10月)に基づく旧1市4町の人口の合計が301,097人と、(当時の)中核市移行の基準である30万人を越えていたため、合併同年の2005年(平成17年)10月1日に中核市の指定を受けた。ただし、合併以来実際の人口が30万人を超えたことがなく(2005年の国勢調査時点では290,693人)、現在の人口は26万人あまりである。合併前の下関市・豊浦郡で下関都市圏(下関広域都市圏)を形成しており、現在は1市で都市圏を構成している。

現在も経済面でも山口県西部(長門国)の中心的都市であり、2016年の市内総生産は9174億85百万円で県内1位。下関市に本社、あるいは営業拠点を置く企業も多く、中国・四国地方最大の金融グループである山口フィナンシャルグループ(山口FG)および傘下の山口銀行、山口県下最大(中国地方3位)の信用金庫である西中国信用金庫、山口県内一円を営業エリアとする一般ガス事業者の山口合同ガス、地方紙「山口新聞」や水産食品専門紙「みなと新聞」を発行するみなと山口合同新聞社が本社を置いている。また日本銀行も山口市ではなく下関市に日銀支店(日本銀行下関支店)を置いている。一方で、関門海峡対岸に位置する北九州市をはじめとする北部九州地域との交流も深く、下関市は北九州市とともに関門都市圏を形成している(詳細は後述)。

地理・人口

関門海峡の衛星写真 上が下関市、下が北九州市(若干の歪みあり)

地勢

山口県の最西端かつ本州の最西端に位置する。関門海峡を挟んで西を日本海(響灘)、南を瀬戸内海(周防灘)に接する。周防灘に注ぐ木屋川や響灘に注ぐ綾羅木川などの河口付近に形成されている沖積平野部を除くと、稜線海岸ぎりぎりまで接近する地形となっており、特に旧市街では平地が少ない。また下関中心部と長府地区を遮るように霊鷲山や大唐楯山、茶臼山が存在している。旧郡部ではいくつかの盆地が点在し、それぞれの盆地で集落を形成している。市内に位置する主な山としては、関門海峡に面し観光スポットにもなっている火の山、航空通信施設などのある華山、あるいは狗留孫山(くるそんざん)などがある。人の住む島としては、関門海峡に面した彦島、響灘に浮かぶ角島蓋井島六連島がある。

気候

気候は複雑で、日本海側気候瀬戸内海式気候太平洋側気候の境界に当たる。冬は北西の季節風の影響で曇天が多く、の降る日もある。降雪量は少ない。

三方(西・南・東)をに囲まれ、響灘を流れる対馬海流の影響もあり、旧市内及び響灘沿岸日較差(日最高気温と日最低気温の差)は小さく、夏は山口県の他の地域に比べるとそれほど高温にならず、冬も低温にならない為、温暖で過ごしやすい地域と言える。しかし、豊田町や菊川町など山沿いの内陸部では寒暖の差は大きい。

下関地方気象台(下関市竹崎町、標高3m)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 19.1
(66.4) | 22.9
(73.2) | 26.2
(79.2) | 29.7
(85.5) | 30.9
(87.6) | 33.7
(92.7) | 36.2
(97.2) | 37.0
(98.6) | 35.0
(95) | 30.6
(87.1) | 26.9
(80.4) | 26.2
(79.2) | 37.0
(98.6)
平均最高気温 °C (°F) 9.4
(48.9) | 10.1
(50.2) | 13.1
(55.6) | 18.0
(64.4) | 22.1
(71.8) | 25.5
(77.9) | 29.4
(84.9) | 30.9
(87.6) | 27.5
(81.5) | 22.6
(72.7) | 17.2
(63) | 12.2
(54) | 19.83
(67.71)
日平均気温 °C (°F) 6.9
(44.4) | 7.2
(45) | 9.9
(49.8) | 14.5
(58.1) | 18.6
(65.5) | 22.3
(72.1) | 26.3
(79.3) | 27.6
(81.7) | 24.4
(75.9) | 19.4
(66.9) | 14.2
(57.6) | 9.4
(48.9) | 16.73
(62.1)
平均最低気温 °C (°F) 4.5
(40.1) | 4.6
(40.3) | 7.0
(44.6) | 11.4
(52.5) | 15.8
(60.4) | 19.9
(67.8) | 24.0
(75.2) | 25.4
(77.7) | 22.0
(71.6) | 16.6
(61.9) | 11.5
(52.7) | 6.9
(44.4) | 14.13
(57.43)
最低気温記録 °C (°F) -6.3
(20.7) | -6.5
(20.3) | -5.5
(22.1) | 0.5
(32.9) | 6.5
(43.7) | 9.5
(49.1) | 15.1
(59.2) | 17.5
(63.5) | 12.8
(55) | 5.9
(42.6) | 0.7
(33.3) | -4.6
(23.7) | -6.5
(20.3)
降水量 mm (inch) 75.5
(2.972) | 81.2
(3.197) | 128.4
(5.055) | 135.5
(5.335) | 165.5
(6.516) | 274.8
(10.819) | 287.1
(11.303) | 153.3
(6.035) | 173.9
(6.846) | 70.3
(2.768) | 78.8
(3.102) | 60.2
(2.37) | 1,684.5
(66.318)
降雪量 cm (inch) 2
(0.8) | 1
(0.4) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 4
(1.6)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 9.7 | 8.7 | 11.0 | 9.5 | 9.1 | 11.1 | 10.3 | 8.3 | 8.9 | 6.2 | 8.1 | 8.4 | 109.3
平均月間日照時間 96.6 | 114.2 | 154.7 | 185.9 | 200.3 | 154.6 | 175.1 | 209.5 | 162.2 | 177.7 | 134.8 | 110.0 | 1,875.6
出典: 気象庁
豊田(下関市豊田町大字稲光字土橋、標高40m)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
平均最高気温 °C (°F) 8.4
(47.1) | 9.5
(49.1) | 12.9
(55.2) | 18.4
(65.1) | 22.8
(73) | 25.9
(78.6) | 29.3
(84.7) | 30.6
(87.1) | 27.0
(80.6) | 22.1
(71.8) | 16.5
(61.7) | 11.3
(52.3) | 19.56
(67.19)
日平均気温 °C (°F) 3.3
(37.9) | 4.7
(40.5) | 7.1
(44.8) | 12.2
(54) | 16.9
(62.4) | 21.0
(69.8) | 24.9
(76.8) | 25.6
(78.1) | 21.7
(71.1) | 15.6
(60.1) | 10.1
(50.2) | 5.3
(41.5) | 14.03
(57.27)
平均最低気温 °C (°F) -1.4
(29.5) | -1.1
(30) | 1.4
(34.5) | 5.8
(42.4) | 11.0
(51.8) | 16.5
(61.7) | 21.2
(70.2) | 21.7
(71.1) | 17.4
(63.3) | 10.2
(50.4) | 4.7
(40.5) | 0.3
(32.5) | 8.98
(48.16)
降水量 mm (inch) 90.6
(3.567) | 91.1
(3.587) | 147.2
(5.795) | 157.4
(6.197) | 194.1
(7.642) | 299.3
(11.783) | 338.0
(13.307) | 160.1
(6.303) | 193.8
(7.63) | 84.9
(3.343) | 87.9
(3.461) | 73.6
(2.898) | 1,918
(75.513)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 11.8 | 10.7 | 12.5 | 10.3 | 10.4 | 11.9 | 11.7 | 9.4 | 10.6 | 7.9 | 9.7 | 10.9 | 127.8
平均月間日照時間 89.7 | 109.6 | 139.9 | 178.3 | 193.4 | 144.3 | 153.3 | 185.3 | 148.3 | 163.9 | 126.6 | 106.3 | 1,738.9
出典: 気象庁

人口

 | 
このページのノートに、このページに関する議論があります。(2020年2月)
議論の要約:この節で掲げられた人口分布グラフについて


下関市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 下関市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 下関市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性


下関市(に相当する地域)の人口の推移

総務省統計局 国勢調査より


隣接する自治体・行政区

地名

下関市の地名を参照。

北九州市との関係

北九州市#下関との交流関係」も参照

下関市は、関門海峡の対岸に位置する北九州市とともに本州九州の接点・大陸への玄関口として発達してきた。両市が中心となって形成される都市圏関門都市圏とも呼ばれるように、両市の経済面および文化的な繋がりは極めて深く、観光や行政サービスなどで両市の交流が盛んなほか、買い物・娯楽・通勤通学・交通機関利用(小倉駅北九州空港)等を目的とした両市間の人の流れが日常的にある。下関は北九州都市圏の5%都市圏であり実質、同一の生活圏を形成していると言える。ゆえに北九州市小倉の商業・娯楽施設の動向が、下関市内にある同施設の経営戦略に大きな影響を与えている。また、一時期ではあるが下関市と北九州市の道州制を見据えた越境合併及び関門特別市構想について両市で話し合いが行われたこともある。

歴史

古くより九州中国朝鮮半島といったアジア大陸からの本州の玄関口として栄え、江戸時代には「西の浪華」と呼ばれるほどの賑わいだった。また日本史における数々の重要な出来事に関係している都市でもある。

「下関」の名称の初見は869年(貞観11年) であるのに対し、「赤間関」の名称の初見は1185年(元暦2年)である。ただし、これを関所の名称 と捉え、「あかま(赤間・赤馬)」が地名であると解すると平安時代まで遡ることができる。いずれにしても鎌倉時代に「赤間関」という呼び名が成立し、付属する港湾や関門海峡長門国側を指す広域地名、更には対岸の豊前国門司関を含めた関門海峡全体の別名としても用いられた。

元寇をきっかけに赤間関を防衛するために長門守護は長門探題とされて北条氏一門が任ぜられた。北条氏が滅びると長門の御家人であった厚東氏が長門守護とされるが、南北朝の内乱の中で周防国の在庁官人・御家人であった大内氏が南朝方として周防・長門両国を征服、後に北朝方に離反して室町幕府から両国の守護、更に対岸の豊前国の守護にも任ぜられて赤間関を含めた関門海峡両岸を大内氏が支配する体制が16世紀中期まで200年近く続くことになる。大内氏は赤間関に代官を設置して直接管理し、港湾の管理・関銭や帆別銭の徴収・朝鮮などの外交使節への応対などにあたった。

特に外国からの船舶が東へと向かうためには必ず赤間関に立ち寄って瀬戸内海を経由して京都方面に向かうことになり、朝鮮通信使(朝鮮の使節)が博多に寄らずに直接赤間関を目指した例もある。また、室町幕府が派遣した遣明船の往復の際にも必ず赤間関に立ち寄り、帰国時には赤間関から京都へ使者が送られていた。遣明船の記録でも、往路は寧波到着時に日本の年号から明の年号に改め、帰路は赤間関到着時に日本の年号に戻す慣例 があった。また、16世紀に大内氏が日明貿易を独占すると遣明船から抽分銭を徴収する抽分司官が赤間関に置かれた他、明の朝廷に献上する貢物や輸出品を保管する倉庫も設置され、朝鮮などの外国人も居住していた。


 | 
この節の加筆が望まれています。

戦国時代まで

壇ノ浦古戦場址の碑(みもすそ川公園)

弥生時代には既に現在の下関市域には集落が複数存在しており、綾羅木郷遺跡(川中地区)、土井ヶ浜遺跡(現在の豊北地区)などに当時の遺構が現在も残る。

江戸時代

明治から第二次大戦まで

第二次大戦後

出典:wikipedia
2020/02/28 05:23

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「下関市」の意味を投稿しよう
「下関市」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

下関市スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「下関市」のスレッドを作成する
下関市の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail