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中島裕之とは?

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中島 宏之 (中島 裕之)
オリックス・バファローズ #1

2015年3月5日 京セラドーム大阪にて

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
兵庫県伊丹市
【生年月日】
(1982-07-31) 1982年7月31日(35歳)
身長
体重 180 cm
90 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
内野手
【プロ入り】
2000年 ドラフト5位
【初出場】
2002年10月6日
【年俸】
3億5,000万円(2018年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
五輪
2008年
WBC
2009年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


中島 裕之(なかじま ひろゆき、1982年7月31日 - )は、オリックス・バファローズに所属する兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打で、妻はファッションモデル相沢紗世

NPBでは、西武ライオンズ・埼玉西武ライオンズへの在籍中から、オリックスへの移籍1年目の2015年まで本名を登録名に使用していた。2016年からは登録名を中島 宏之(読みは本名と同じ)へ変更している。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 西武時代
    • 1.3 アスレチックス傘下時代
    • 1.4 オリックス時代
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 打撃
    • 2.2 守備・走塁
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別打撃成績
    • 4.2 年度別打撃成績所属リーグ内順位
    • 4.3 年度別守備成績
    • 4.4 タイトル
    • 4.5 表彰
    • 4.6 記録
    • 4.7 背番号
    • 4.8 登録名
    • 4.9 登場曲
  • 5 関連情報
    • 5.1 CM
    • 5.2 DVD
    • 5.3 ラジオ
  • 6 脚注
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

出生時は右肩が母体内で引っかかるなどの難産で、担当医からは「右肩に何らかの障害が残る可能性がある」と指摘され、乳児の頃から柔らかいゴム製のボールを半ば強制的に握らされていたという。伊丹市立桜台小学校時代は投手として幼馴染みの山崎勝己バッテリーを組み、全国大会に出場。伊丹市立天王寺川中学校では宝塚シニアに所属し、高校進学時には県外の強豪校からもスカウトされ、地元の名門である報徳学園高校を山崎と共に受験。山崎は合格したものの、中島は合格に至らなかったため、進学校ながら野球では無名の兵庫県立伊丹北高校に進学。シニアでの厳しい練習から野球に嫌気が差していたこともあり、強豪校とは違う練習環境の中で力を伸ばしていった。後に本人は「報徳に入学していたら野球を続けていなかったと思う」と述べている。

伊丹北高校への進学後は、1年時からレギュラーに定着。夏の選手権大会兵庫大会では、1年夏に右翼手、2年夏に1番打者先発投手に転向した3年夏には「1番・投手」として出場した。在学中のチーム成績は2年夏の兵庫県大会での16強が最高であったが、中島自身は対外試合で通算43本塁打を放ったことから、西武ライオンズのスカウト陣は打者としての能力を高く評価していた。

2000年のNPBドラフト会議で、西武から内野手として5巡目で指名。契約金4,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。無名校出身ながら高卒で指名された理由について、当時同校の監督だった後藤博雄は「真面目な性格が下積みにも耐えられるとスカウトが評価したのではないか」と語っている。入団当初の背番号は56

西武時代

2001年には、チームの正遊撃手だった松井稼頭央メジャーリーグへの挑戦を志向していたことを背景に、遊撃手へコンバート。しかし、高校時代まで経験のなかったポジションであったことから、30試合に出場したイースタン・リーグの公式戦では7失策を喫した。また、打撃面でも2安打を放っただけで、打率が.105にとどまった。

2002年には、二軍のレギュラーに定着するとともに、イースタン・リーグ公式戦でただ1人全100試合に出場。リーグの最終規定打席へ到達するとともに、リーグ最多の安打、得点、犠飛死球を記録した。併殺打(10本)、失策数(25失策)もリーグ最多であったが、リーグ2位の打率.299、チーム2位の11本塁打、リーグ4位の47打点という好成績を残したことから、ファームの優秀選手賞に選出。10月6日の対日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)に「5番・指名打者」としてスタメンで一軍デビューを果たすと、2回表に金村曉から一軍での初安打を放つなど、一軍公式戦にも4試合へ出場した。

2003年には、一軍公式戦44試合に出場するとともに、一軍での初打点、初本塁打、初盗塁を相次いで記録。イースタン・リーグ公式戦では、最終規定打席に達しなかったものの、チームトップの打率.306、チーム2位の13本塁打という好成績を残した。シーズン終了後には、背番号を、かつて清原和博が着用していた3に変更することが球団から発表された。

2004年には、前年までの正遊撃手だった松井が海外FA権の行使によってニューヨーク・メッツへ移籍したことを背景に、一軍公式戦の開幕から「7番・遊撃手」としてスタメンに抜擢。その後も「正遊撃手は荷が重過ぎる」との声もある中で監督の伊東勤からスタメンで起用され、オールスターゲームにも監督推薦で初出場した。同年のパシフィック・リーグでは唯一フルイニング出場し、打率.287(リーグ19位)、27本塁打(リーグ8位)、90打点(リーグ7位)、18盗塁(リーグ4位)を記録してリーグ優勝と日本一に貢献。

2005年イレギュラーバウンドした打球を顔面に受けて頬骨骨折し、戦線離脱。復帰後はレギュラーに戻り規定打席に到達して打率.274(リーグ19位)、11盗塁(リーグ7位)を記録したが、リーグ3位の17併殺打、遊撃手としてリーグ最多の10失策を記録。

2006年は開幕から3番打者を務め、オールスターゲームにも選出され、一時首位打者争いに加わるなどチームの首位争いに貢献した。7月30日の楽天戦で山村宏樹から死球を受け、左第4中手骨を骨折したが予定より早い9月12日に復帰した。初の打率3割となるリーグ4位の打率.306を記録。守備では2年連続で遊撃手部門リーグ最多の16失策を記録し、同年オフの契約更改では球団初となる守備での出来高払いが設定された。

2007年も開幕から3番で起用され、オールスターゲームに3度目の出場を果たした。両リーグ通じて唯一の9試合連続打点を記録するなど、リーグ5位の打率.300、同3位の160安打、チーム2位の74打点を記録したが、リーグ3位の134三振とレギュラー定着以降減少していた三振数が倍増した。守備でもリーグ2位、遊撃手としては3年連続リーグ最多の20失策を記録。

2008年北京オリンピック野球日本代表に選出され、オールスターゲームにも4度目の出場。共に同じ遊撃手の川崎宗則西岡剛が選出されたこともあり、オールスターゲームでは三塁手を務めたが、悪送球による失策を記録した。北京五輪では、川崎の故障によって主に遊撃手を務めた。4年ぶりに20本塁打を記録。前半戦終了時にリーグトップだった打率は後半戦に入って徐々に落ちていったが、楽天のリック・ショートと首位打者を争い、楽天との最終戦までもつれ込んだ。結果は7毛差で及ばなかったが自己最高の打率.331を記録。最終戦後には敬遠されなかった事について「勝負してくれて嬉しかった」と語った。シーズン成績はチームトップの55四球を選び、それぞれ自己最高を更新する出塁率.410、25盗塁で、初タイトルとなる最高出塁率を獲得した。遊撃守備ではリーグ2位の12失策を記録したものの、守備率は遊撃手部門2位を記録して送球ミスも減り、ゴールデングラブ賞ベストナインを初受賞した。同年、かつて西武で背番号「3」を着けていた清原が引退を表明し、オリックス・バファローズとの最終戦の日にユニフォームの交換を行なった。オフの契約更改で年俸2億円に到達。「野球をやっている以上、いろんな国の選手がいる中でやってみたいという夢はあります。メジャーに行けるような選手になりたい」と将来的なメジャーリーグ挑戦志向を明かした。

2009年第2回WBC日本代表に選出された。1次選考選手発表の際にイチロー片岡易之岸孝之らと共に「(選ばれれば)日本代表のキーマンになる3人」と語った。大会では2番遊撃手として出場、発熱で一部の試合を欠場したが、2度目のキューバ戦でスタメンに復帰した。チームトップの打率.364、出塁率.516、7打点を記録して日本代表の大会2連覇に貢献。ペナントレースでは開幕から25試合本塁打がなかったが、6月21日のヤクルト戦で通算100本塁打を達成。オールスターゲームに選手間投票によって選出され5度目の出場。第2戦でファウルボールを観客席に突っ込んで捕球するなどしてベストプレー賞を受賞し、「守備で賞を頂けたことがうれしい」とコメント。主に3番遊撃手としてリーグで唯一全試合フルイニング出場してシーズン後半には故障した中村剛也の代わりに4番打者も経験し、2年連続3割20本塁打20盗塁(史上5人目)、自己最多の92打点、173安打で自身初の最多安打、出塁率.398で2年連続となる最高出塁率のタイトルを獲得し、2年連続でベストナインも受賞。遊撃守備では初めて守備率.980台をマーク。

2010年は一時打率が4割を越えたが、シーズン終盤はチャンスでの併殺打が増えた。同年オフにはポスティングシステムを利用したメジャーリーグ挑戦を球団側に訴えたが、交渉窓口となった球団本部長(当時)の前田康介が「話し合いの結果、残留で決まった」と報道陣に対して一方的に発表したことから、中島は「勝手に発表された。『分かった』としか言われていない」と、事実と異なる説明をされたとして球団に対する不信感を露にした。その後、監督の渡辺久信の仲裁により球団側と再度話し合い、残留することが正式に発表された。

西武時代(2011年)

2011年はこの年から導入された統一球の影響もあり、5月までは打率.266、3本塁打、OPS.771と調子が上向かなかったが、6月から調子を上げ、6月から9月まで打率.312、9本塁打、OPS.819と復調。7月11日のオリックス戦では警告試合を引き起こしている。事の発端は、6回裏に高宮和也の2球目が中島の背中に直撃。これに中島が激昂してマウンドへ歩み寄ると、両チームがベンチに飛び出し、乱闘寸前の雰囲気となった。試合は9対1で勝ったものの「(オリックスは)しょうもないチーム」、「ことしのうちに、必ず試合中にやり返しますよ」と発言した。最終的にこのシーズンでの対オリックス戦は、打率.383、36安打の18打点と滅法強かった。チームが最下位に沈んでいた7月25日のロッテ戦では決勝本塁打を放ち、ヒーローインタビューではこの試合からキャプテンに任命されて右胸に「C」の文字が入ることを報告した。しかし10月は打率.271、本塁打なし、OPS.612と再び調子を落とし、5年連続で記録していた打率3割が途絶えた。最終的に右投手に対しては打率.316と例年通りの成績を残したが、左投手に対しては打率.237と苦手とした。本塁打も16本と4年ぶりに20本を下回ったが、得点圏打率はリーグ2位の.351を記録し、遊撃手としては史上二人目となるシーズン100打点を達成。中村剛也とともに球団初の100打点コンビとなった。また、21個の盗塁を成功させ失敗はわずか2個で、盗塁成功率は.913であった。オフには球団よりポスティングシステムを利用したメジャー移籍を容認されたことを受け、11月22日にメジャー挑戦を正式表明した。同月28日に申請書類を提出し、12月8日には入札額250万ドルでニューヨーク・ヤンキースが交渉権を獲得したことが発表された。その後グレグ・ゲンスキーを代理人として入団交渉を行ったが契約合意には至らなかった。

2012年1月10日に契約更改を行い、このシーズンも残留することが決定。シーズンでは6月に入ってから調子が上がり、6月の月間MVPを獲得。12年目で初の受賞となった。故障で離脱した中村の代わりに4番を打つこともあった。首位打者を牽引していたが、8月に腰の状態が悪化、9月に左脇腹痛を発症してからは打率が下がり、ロッテの角中勝也と首位打者を競うことになる。ロッテとの最終戦では1打席は四球。2打席目も敬遠気味にボールを投げられ、その際2球わざと空振りした。最終戦では2打席凡退し、打率.311。1厘差で首位打者を逃した。オフには海外FA権を行使する。

アスレチックス傘下時代

2012年12月18日にオークランド・アスレチックスと総額650万ドルの2年契約+出来高(3年目は年俸550万ドルの球団オプション)で契約。

2013年スプリングトレーニングで無安打が続き、バッティングフォームをオープンスタンスに変更するなどしたが、9試合ぶりの安打である一塁内野安打を打った直後に左太もも裏を損傷。その後の試合は全て欠場し、結局17試合の出場で打率.167、出塁率.286、本塁打なし、2盗塁、遊撃守備で4失策を喫してスプリングトレーニングが終わり、3月30日に15日間の故障者リスト入りして開幕を迎えた。5月3日にはAAA級サクラメント・リバーキャッツの公式戦に出場したが、翌日に左太ももの痛みが再発し再検査を受けることが発表され、23日に25人枠から外れる。AAA級では遊撃手の他に三塁手と二塁手でも起用され、6月7日のツーソン戦まで10試合連続安打を記録し、前半戦は52試合の出場で打率.279、4本塁打、OPS.729、2盗塁の成績を記録したが、8月16日に40人枠から外れる。後半戦は38試合の出場で打率.289、本塁打なし、OPS.652、1盗塁の成績で、2013年シーズン成績は、打率.283、4本塁打、OPS.698でチーム平均OPS.776を大きく下回る。

2014年は招待選手としてのスプリングトレーニング参加もなく、当初はAA級ミッドランド・ロックハウンズで開幕を迎える予定だったが、アディソン・ラッセルの故障に伴いスプリングトレーニングに参加し、6試合に出場。3月28日に40人枠入りし、翌日にAAA級サクラメントへ異動。4月3日に再び40人枠から外れ、AAA級では打率.128、0本塁打の成績で、4月30日にはAA級ミッドランドへ降格した。その後は昇格することなくマイナーのレギュラーシーズンを終える。AA級では主に二塁手で起用された他、内野全ポジションを経験し、73試合の出場で打率.266、6本塁打、3盗塁、OPS.704でチーム平均OPS.717を下回る。チームはプレーオフに進出するが、ディビジョンシリーズ第1戦のフリスコ・ラフライダーズ戦で左手首を骨折する。オフの10月30日にアスレチックスが550万ドルの2015年球団オプションを破棄したため、FAになった。FA選手ランキングを扱った記事では全165人中165位にランクされた。アスレチックスGMのビリー・ビーンは中島の獲得に関して、地元紙のインタビューで「大失敗だった。大金を積めばいい選手が獲れるという考えは、やはり浅はかだったということが図らずも証明された」と語り、スポーツライターの臼北信行によると、中島の獲得は日本での宣伝効果を見込んだものであり、「多少期待外れでもナカジマをメジャーに昇格させるつもりだったが、あまりに酷すぎて使い物にならず、結局目をつぶることができなくなった」という。中島はNPB復帰を示唆。そして同年11月に代理人のスコット・ボラスが「ヒロは日本に戻ってプレーすることになるだろう。日本球団との契約交渉を進めていく」と語り、NPB復帰が決定、MLBの試合には1試合も出場することはなかった。古巣である西武の他に阪神オリックスの争奪戦となった。

オリックス時代

2014年12月5日にオリックス・バファローズが獲得を発表。小学生時代以来約20年振りに、山崎と同じチームに所属することになった。オリックスとの契約期間は3年で、背番号は「1」。

2015年は開幕を一軍で迎えると、主に「4番・一塁手」としてスタメンに起用された。しかし、4月19日の対西武戦(ほっともっとフィールド神戸)2回裏の打席で内野安打を放った際に、右太もも裏を痛めて途中交代。翌日の診断で右ハムストリングの肉離れが判明したため、21日に出場選手登録を抹消された。5月8日の対楽天戦(京セラドーム大阪)で「7番・一塁手」としてスタメンで一軍に復帰したが、同月26日の対DeNA戦(横浜)開始前の昼食中にぎっくり腰を発症。試合への出場が困難になったため、翌27日に再び登録を抹消された。6月9日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)で再び一軍に復帰。シーズン全体では、指名打者・三塁手・遊撃手にも起用されながら、一軍公式戦117試合の出場でパ・リーグの最終規定打席に到達したが、10本塁打、46打点、打率.240という成績に終わった。なお、シーズン終盤の9月にはファッションモデル相沢紗世と結婚。シーズン終了後には、10月15日に結婚と相沢による第1子(女児)の出産、11月27日に「中島 宏之」への登録名変更を相次いで球団から発表している。

2016年には、正遊撃手の安達了一が春季キャンプの直前に潰瘍性大腸炎で入院したことを受けて、キャンプから遊撃守備の練習を再開。一軍公式戦でも、開幕戦から4試合連続で、遊撃手としてスタメンに起用された。以降の試合には指名打者や三塁手として出場したが、4月15日の対西武戦(京セラドーム大阪)での走塁中に右ふくらはぎを痛めたことを境に、故障や打撃不振で3度の二軍降格を経験した。その間には、5月28日の対西武戦(ほっともっと神戸)でNPB史上119人目の通算1500本安打、8月18日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で史上61人目の通算1000三振を記録。一軍公式戦全体では、出場試合数(96)・本塁打数(8)で前年を下回ったものの、打率は.290にまで上昇した。

2017年には、楽天との開幕3連戦(京セラドーム)で3番打者へ起用されたことを皮切りに、主に指名打者として一軍の公式戦に出場していた。しかし、7月9日の対ロッテ戦(京セラドーム)の試合前にスコアボード下の外野グラウンドでトレーナーとストレッチに臨んでいたところ、スコアボード下の外野5階席へスポンサーの看板を設置するために組まれていた鉄パイプが落下。グラウンドで跳ねた鉄パイプが右腰から首の辺りに当たったため、病院で検査を受けた。診断の結果打撲と診断されたことから、当日の試合ではベンチで待機。その後も一軍へ帯同していたが、実戦復帰は7月18日にZOZOマリンスタジアムで催された同カードでのスタメン出場まで持ち越された。7月28日の対楽天戦(ほっともっとフィールド神戸)では、7回裏に自身6年振りの満塁本塁打を金刃憲人から放った。結局、一軍公式戦には124試合へ出場。本塁打数は9本にとどまったものの、パ・リーグの最終規定打席へ到達したほか、チームトップ(リーグ7位)の打率.285を記録した。なお、このシーズンで3年契約を満了したが、中島は契約の付帯条件であった契約期間の延長オプションを行使。シーズン終了後の12月8日には、前年までの3年間と同じ推定年俸3億5,000万円という条件の1年契約で残留することが判明した。

選手としての特徴

打撃

中島の打撃フォーム(西武時代の2010年)

剣道上段構えのようにバットを高く掲げた特徴的な構えからスイングする。相手の呼吸に合わせて間合いをとるため逆に自分の呼吸を読ませないように考えた結果、左腕が上がって口元を隠すフォームに行き着いたという。

早いボールカウントから積極的に踏み込んで打ちに行く傾向があり、ファーストストライク時の打率が高く広角に長打を放つことができる。これは高校時代に練習で打球が左翼後方のテニスコートやプールに飛び込むことが多く、他の部から苦情が頻出したことから監督に「危ないから右に打て」と指示されて取り組んだという。本人曰く「ゴルフのピッチング・ウェッジを打つ感覚」で右手を押し込む強さを加減して打球の飛距離を調節できると言い、宮本慎也からは「天才」と評された。

基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年までの通算対左打率.255と左投手に弱いが、同対右打率.321と右投手に強い。同得点圏打率.318と勝負強さも備え、10打席に1つ近い割合で四球を選ぶ選球眼も兼ね備える。一方でバントは苦手としており、犠牲バントのサインが出ると「(投手が)楽なところに投げてこないかなぁ」と毎回思うという。また、狙った場面で犠牲フライを打つ技術も持ち合わせている。

守備・走塁

西武時代は遊撃手としてプレーし、守備では下半身と地肩を活かしたプレーを特徴とする。レギュラーに定着した頃は失策数も多かったが、ゴールデングラブ賞を受賞した2008年から守備練習を増やした結果徐々に堅実さが加わり、2010年にはリーグ2位の守備率を記録するなど例年守備率を向上させている。一方で遊撃手としては守備範囲が狭く、2010年には守備イニング1000以上の同ポジション中で両リーグワーストのUZR-19.4を記録し、2012年にも両リーグワーストのUZR-23.2を記録した。アスレチックス傘下のAAAサクラメント、AAミッドランドでは遊撃手だけでなく、三塁手や二塁手としても起用された他、2014年シーズンの終盤は一塁手も経験した。日本復帰後、守備を指導した森脇浩司監督は「まだまだ伸びしろがあるし、天性でやっている部分もある。理にかなうことが大事」と語っている。

オリックス1年目の2015年には、主に一塁手や指名打者として出場。安達が遊撃手のレギュラーに定着していたことや、中島自身に故障が相次いだことなどから、遊撃手としてのスタメン起用は1試合にとどまった。しかし、安達が前述の事情で出遅れた2016年には、開幕の当初に遊撃を守った。

走塁では一塁到達タイムは5秒台が多く、良くて4.25秒と足が速いほうではないがベースランニングは上手い。三塁打時には12秒台前半を記録し、盗塁成功率も日本での通算約75パーセントを誇る。このためメジャーリーグのスカウトからは「スピードのあるマイケル・ヤング」「頭脳的なベースランニングのラン(得点)・プロデューサー」と評価された。

人物

愛称は「ナカジ」。

西武時代の背ネームH.NAKAJIMAは同チームに名字が同じ読みの中嶋聡が在籍していたことによる。中嶋の退団後、中島がH.が付いた表記を気に入っていたことから継続された。

西武の後輩野手たちからは「打撃のアドバイスを求めても、返答は擬音が多くてわかりにくい」「時々何を言っているのか理解できないことがある」と言われている。球場に来た長嶋茂雄から打撃指導を受けた際、長嶋独特の擬音を交えた指導にほかの西武の選手が首をかしげる中、中島のみ「長嶋さんの理論がわかりました」と語ったという。

女性人気が高く、2010年バレンタインデーにはチームNo.1となる120個のチョコレートが届いた。一方でファン感謝デーなどの際にいきなり女性に尻を揉まれるといったことも頻発しており、試合だけでなくこれらの行事などでもファウルカップを着用している。

シーズンオフにはチームメイトの伝を頼って海外に一人旅に出ることが多く、2008年にはアレックス・カブレラの出身国であるベネズエラ2009年は同じくヒラム・ボカチカプエルトリコに旅に出ている。特にスペイン語ができるわけでもないのに物怖じせずに旅に出る姿勢から、金村義明から「絶対メジャーリーグ向きだ」と評された。

現在の妻で4歳年上の相沢とは、2011年1月に、女性ファッション誌の対談連載企画で初対面。その直後に中島が相沢にデートを申し込んだことをきっかけに、同年5月頃から交際が始まった。中島がアスレチックスに在籍していた時期にも、遠距離恋愛を続けていたという。オリックス入団後の2015年に、第1子の誕生がきっかけで結婚を決意。2016年から自身の登録上の名前を「宏之」に変更したのは、長女の命名を依頼した姓名判断関係者から、「(自身の名前に)『宏』の字を入れた方が良い」と勧められたことによる。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S

2002 | 西武 | 4 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .143 | .143 | .143 | .286
2003 | 44 | 98 | 89 | 12 | 23 | 3 | 1 | 4 | 40 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | 4 | 22 | 0 | .258 | .327 | .449 | .776
2004 | 133 | 559 | 502 | 70 | 144 | 22 | 3 | 27 | 253 | 90 | 18 | 2 | 3 | 4 | 39 | 7 | 11 | 108 | 7 | .287 | .349 | .504 | .853
2005 | 118 | 444 | 405 | 56 | 111 | 21 | 2 | 11 | 169 | 60 | 11 | 3 | 3 | 3 | 22 | 3 | 11 | 67 | 17 | .274 | .327 | .417 | .744
2006 | 105 | 459 | 412 | 76 | 126 | 22 | 1 | 16 | 198 | 63 | 14 | 4 | 0 | 4 | 30 | 3 | 13 | 66 | 12 | .306 | .368 | .481 | .849
2007 | 143 | 593 | 533 | 68 | 160 | 28 | 5 | 12 | 234 | 74 | 9 | 4 | 1 | 5 | 41 | 0 | 13 | 134 | 15 | .300 | .361 | .439 | .801
2008 | 124 | 556 | 486 | 75 | 161 | 32 | 0 | 21 | 256 | 81 | 25 | 5 | 0 | 3 | 55 | 3 | 12 | 96 | 15 | .331 | .410 | .527 | .937
2009 | 144 | 648 | 560 | 100 | 173 | 31 | 3 | 22 | 276 | 92 | 20 | 12 | 0 | 3 | 75 | 4 | 10 | 113 | 17 | .309 | .398 | .493 | .891
2010 | 130 | 579 | 503 | 80 | 158 | 33 | 3 | 20 | 257 | 93 | 15 | 5 | 0 | 11 | 52 | 2 | 13 | 97 | 20 | .314 | .385 | .511 | .896
2011 | 144 | 633 | 566 | 82 | 168 | 27 | 1 | 16 | 245 | 100 | 21 | 2 | 0 | 11 | 44 | 0 | 12 | 93 | 11 | .297 | .354 | .433 | .787
2012 | 136 | 567 | 499 | 69 | 155 | 29 | 1 | 13 | 225 | 74 | 7 | 6 | 1 | 6 | 52 | 3 | 9 | 76 | 10 | .311 | .382 | .451 | .833
2015 | オリックス | 117 | 483 | 417 | 43 | 100 | 10 | 0 | 10 | 149 | 46 | 1 | 2 | 0 | 1 | 53 | 1 | 12 | 93 | 10 | .240 | .342 | .357 | .699
2016 | 96 | 347 | 314 | 24 | 91 | 23 | 0 | 8 | 138 | 47 | 1 | 0 | 0 | 4 | 26 | 0 | 3 | 54 | 7 | .290 | .346 | .439 | .7
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出典:wikipedia
2018/02/21 05:17

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