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中村剛也とは?

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中村 剛也
埼玉西武ライオンズ #60

2011年8月30日 こまちスタジアムにて

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
大阪府大東市
【生年月日】
(1983-08-15) 1983年8月15日(35歳)
【身長
体重】
175 cm
102 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
三塁手一塁手指名打者
【プロ入り】
2001年 ドラフト2巡目
【初出場】
2003年9月28日
【年俸】
2億8,000万円(2019年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
プレミア12
2015年
この表について
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プロジェクト:野球選手 テンプレート


獲得メダル
日本
WBSCプレミア12
 | 2015 | 野球

中村 剛也(なかむら たけや、1983年8月15日 - )は、大阪府大東市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。妻は元タレントの村上麻里恵日本プロ野球歴代3位の6度の本塁打王獲得経験者。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 西武時代
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 打撃
    • 2.2 守備・走塁
    • 2.3 その他
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別打撃成績
    • 4.2 年度別打撃成績所属リーグ内順位
    • 4.3 年度別守備成績
    • 4.4 タイトル
    • 4.5 表彰
    • 4.6 記録
    • 4.7 背番号
    • 4.8 登場曲
    • 4.9 代表歴
  • 5 関連情報
    • 5.1 出演番組
  • 6 脚注
    • 6.1 注釈
    • 6.2 出典
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

高校時代は大阪桐蔭高等学校の4番打者として活躍していた。進学した理由は自宅から高校まで徒歩5分という立地条件であったという。3年夏は大阪府予選6本塁打を記録した。高校通算83本塁打。

2001年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議西武ライオンズから2巡目指名を受け、入団。背番号は「60」に決まった。

西武時代

2002年は二軍で打率.215、7本塁打、28打点をマークした。

2003年は二軍で22本塁打を記録し、イースタン・リーグ本塁打王を獲得した(打率.249、58打点)。9月28日の日本ハムファイターズ戦で4番打者として一軍初出場、初打席で初安打となる二塁打を放ち、出塁していたランナーが得点したことから初打点も記録。

2005年ホセ・フェルナンデスに代わり三塁手のレギュラーとなった。セ・パ交流戦では12球団最多の12本塁打を放ち優秀選手賞(日本生命賞)を受賞。80試合に出場し、自己最多の22本塁打を打った。長打率は6割を越えた。

2006年はホセ・フェルナンデスが東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍し、三塁手のレギュラーを石井義人平尾博嗣らと争い、特に左投手が先発する時は三塁手のスタメンは平尾になるのが恒例となった。自己最多の100試合に出場したが、本塁打は半減し9本に終わった。またチャンスに打てなかった(得点圏打率.205)。

2007年は「8番・三塁手」で2年連続の開幕スタメンに選出。打撃不振で5月に二軍落ちしたが、6月に復帰。三塁手のレギュラーで起用され続けたが打撃は上向かず、レギュラー定着以降最低の成績に終わった。アレックス・カブレラの守備難から一塁手でも10試合にスタメン起用された。

三塁守備に就く中村(2008年)

2008年5月11日のオリックス・バファローズ戦で金子千尋から顔面右側に死球を受け頬骨骨折するもスタメン出場を続け、15日の福岡ソフトバンクホークス戦では本塁打を放った。この年は守備面では主に捕球における不安定さが目立ち、リーグ最多の22失策を記録。打撃では打率は昨年よりわずかに上回ったものリーグワースト3位、得点圏打率も.231と勝負弱さも課題となった。三振は162個とリーグ最多で、シーズン記録としては歴代7位、日本人右打者では最多。しかしこの年から打撃コーチに就任した大久保からミートポイントを前にするようアドバイスされ、三振の多さと引き替えに本塁打を量産。西武の日本人選手の本塁打記録(43本、秋山幸二田淵幸一)、25歳の本塁打記録(44本、大杉勝男岩村明憲)を塗り替える46本塁打、自身初としては、規定打席本塁打王、100打点(101打点、リーグ3位)、サヨナラ本塁打、オールスターゲーム出場(三塁手、ファン投票1位)。西武の日本人選手で年間40本以上の本塁打を放ったのは1987年の秋山幸二以来21年ぶり。同球団での達成経験者としては、田淵、秋山に次いで3人目。また、日本プロ野球において、初の規定打席到達で年間40本以上の本塁打を記録したのは1985年の秋山幸二、2004年多村仁に次ぎ日本人選手では3人目となった。日本シリーズでは、3安打3本塁打7打点。アジアシリーズの予選の天津ライオンズ戦では東京ドームの三階席まで飛ばす特大の本塁打を放っている。私生活では、7月8日に元タレントの村上麻里恵と結婚した。

2009年5月13日のオリックス戦で通算100号本塁打を達成。9月20日のソフトバンク戦で40号を放ち、西武の日本人選手では秋山幸二以来となる二年連続40本塁打を達成した。シーズン長打86本(本塁打48本、三塁打1本、二塁打37本)は2002年の松井稼頭央の88本に次いで歴代2位。この年はケガでの離脱もあったが開幕から打ち続け、48本塁打、122打点を記録し2年連続本塁打王となり、打率も.285と前年に比べて大きく上がった。打点王は自身初。2年連続の本塁打王は西武の日本人打者としては1953年 - 1956年中西太以来53年ぶりで、打点は球団最多記録を更新した。一方で154三振、15失策で二年連続最多三振・最多失策だった。また、OPSは両リーグ唯一の1.0超えを記録した。26歳でのシーズン48本塁打は王貞治と並ぶ最多記録である。

2010年は春季キャンプ中の2月25日、打撃練習を待っていた中村の顔面にディー・ブラウンの振ったバットが直撃。大量の鼻血が出たが、幸い鼻の打撲で済み、翌日から通常の練習メニューをこなした。公式戦を間近に控えたオープン戦で、自打球が顔面に当たり頬骨を骨折。3月20日の開幕戦には何とか間に合った。しかしその影響か開幕から10試合は本塁打が出ず打率も1割ほどで打点もわずか1と極度の不振であった。ようやく放ったシーズン第1号は、4月7日のオリックス・バファローズ戦であった。6月10日に5月中から続いていた右肘の痛みが激しくなり登録抹消。6月中に右肘の遊離軟骨除去手術を受け、その治療のためファン投票・選手間投票第1位で選出されたオールスターゲームも出場を辞退した。8月27日に一軍に復帰、9月に調子を上げ85試合の出場で25本の本塁打を打ったが打率は.234と最後まで低いままで、規定打席未到達にもかかわらず111三振を喫し得点圏打率も.170と低くかった。6月4日の東京ヤクルトスワローズ戦で伊東勤を抜いて球団新となる通算9本目の満塁本塁打を記録した他、5月25日の広島東洋カープ戦と6月4日のヤクルト戦、9月3日の楽天戦と史上初の3号連続の満塁本塁打を記録。また、入団9年目での満塁本塁打10本目到達は2001年の中村紀洋(大阪近鉄バファローズ)、2010年のアレックス・ラミレス(読売ジャイアンツ)の10年目を抜く最速記録になった 。

2011年7月23日にQVCマリンフィールドで開催されたオールスター第2戦では2本の本塁打を放ち、MVPに選ばれた。2009年と並ぶ自己記録タイの48本塁打を放ち、本塁打王と打点王の2冠を達成。本塁打数は千葉ロッテマリーンズのチーム本塁打数の46本を2本上回っており、個人の本塁打数がチームの本塁打数を上回るのは、1954年西鉄の中西太(31本)と毎日山内一弘(28本)が近鉄の27本を上回って以来の57年ぶり3度目の記録となった。また、25本の本塁打を放ち本塁打数2位となったソフトバンクの松田宣浩とは23本差をつけたが、これは2位の打者との本塁打数の差としては1966年に王貞治が記録した22本差を上回る新記録となった。パシフィック・リーグ全体の本塁打数は454本であり、中村1人で10.57パーセントの本塁打を打ったこととなる。これは1953年の中西太の9.33パーセントを上回っており、10パーセント以上となったのは2リーグ分裂後初のことである。10月21日に放送されたテレビアニメクレヨンしんちゃん』では本人役で出演し、作中では野原しんのすけに「棒読みだよーん」と突っ込まれた。12月15日の契約更改では総額10億円の3年契約を結んだ。西武で複数年契約を結ぶケースは数少なく、球団本部長の鈴木葉留彦は「個人名は控えますが、複数年は過去もいた。中村選手にも、特別に残ってほしい意思の表れです。これだけホームランと打点を稼ぐ打者は日本で他にいない」と語った。

阪神甲子園球場にて(2012年)

2012年は開幕当初から不振に陥り、レギュラー定着以降は最長となる129打席連続本塁打なしのスランプも味わったが、交流戦以降は調子を取り戻し、交流戦での通算本塁打12本の新記録も樹立した。しかしその後、6月14日の阪神戦の守備で左肩肩甲下筋を損傷、出場選手登録を抹消された。再び出場選手登録された後には左膝にも怪我を負い、スターティングメンバーから外れる事も多かったが、最終的には27本で2年連続4度目の最多本塁打のタイトルを獲得した。5年間で4度以上の本塁打王に輝いたのは中西太、野村克也、王貞治以来4人目であるが、27本での本塁打王は1995年の小久保裕紀(28本。当時は130試合制)を下回る低水準であった。10月25日には左膝の前十字靭帯と半月板の修復手術を受けた。

2013年は前年に受けた手術の影響で前半戦を棒に振り、オールスターのファン投票の対象から除外された。左肩の違和感で一軍復帰が遅れ、26試合の出場で4本塁打に終わった。12月9日の契約更改で4年総額20億円の複数年契約を結んだ。

2014年6月13日の対広島東洋カープ戦で史上9位のスピード記録となる通算250本塁打を達成。また、7月21日対楽天戦(西武ドーム)でNPB史上54人目の通算1000三振に到達。1014試合での到達はラルフ・ブライアントの647試合に次ぐ史上2位のスピード記録で、広沢克己の1102試合を抜いて日本人最速での到達となった。この年、34本塁打を記録し、同僚のエルネスト・メヒアとともに最多本塁打を獲得。なお同一シーズンに同一球団から複数の本塁打王獲得者が出たのは2リーグ制以降では初。

2015年7月24日の日本ハム戦では通算300号本塁打と通算1000本安打を同時に達成。同月、月間MVPを獲得した。これは自身初である。8月9日のオリックス戦でシーズン4本目の満塁本塁打を記録した。これで通算満塁本塁打数が16本となり、王貞治が持っていた通算満塁本塁打15本を超えて日本新記録達成となった。9月は不調の時期が続いたが、30日のオリックス戦(京セラドーム)では6試合ぶりの複数安打をマークし復調の気配をみせた。シーズン成績としては37本塁打、124打点で本塁打王、打点王を獲得。通算6度の本塁打王は王貞治(15回)、野村克也(9回)に続く歴代単独3位の記録である。オフの10月9日に第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された。

2016年は6月15日の広島東洋カープ戦での挟殺プレーで左股関節痛を痛めて6月16日に二軍落ちする。最終的に108試合に出場したが、21本塁打に終わる。また規定打席への到達はならなかった。

2017年7月19日のソフトバンク戦で通算350本塁打を記録。115試合に出場したが4番を外されるなどシーズン通して不調で、2年ぶりに規定打席に到達したが打率.217、27本塁打、79打点に終わった。それまで規定打席に到達した年は全て本塁打王のタイトルを獲得していたが、それも初めて逃すことになった。

2018年、開幕を一軍で迎えるが、打撃不振に陥る。4月21日のロッテ戦で左肩を負傷し、4月22日に一軍登録を抹消された。6月1日に一軍に復帰し、6月9日の巨人戦でシーズン初本塁打を記録した。8月7日のオリックス戦で2ラン本塁打を放ち、球団初の通算1000打点を達成。8月25日のソフトバンク戦で通算1500試合出場を達成した。8月は12本塁打、26打点、長打率.647を記録し、3年ぶりに2度目の月間MVPを受賞した。11月15日、海外FA権を行使した上で西武に残留することを表明。同日、NPBから公示される。

2019年6月14日の対ヤクルトスワローズ戦(メットライフドーム)で自身の持つプロ野球記録を更新する18本目の満塁本塁打を放った。

選手としての特徴

打撃

一部メディアから「究極」と評される天性のホームランバッター。

本塁打を放つ際、美しい放物線を描くことから「ホームランアーチスト」と称され、本人も「7割の力でもスタンドへ運ぶことができる」と自負する長打力が持ち味。外野へのフライの30パーセント近くを本塁打にする。

元西武のコーチの光山英和は「今まで清原(和博)とか、秋山(幸二)さんとか、石井(浩郎)さんとか、いろんなホームランバッターを見てきたけど、ホームランを打つことに関しては、あいつが断トツ。ボールの飛び方がぜんぜん違う。ちょっと次元が違うね。ああいうのが、ほんまのホームランバッターって言うんやと思う」と評している。2016年シーズンまで、規定打席に達した年は全て本塁打王を獲得していた。

基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年の間においても、リーグ最高の通算OPS.891と両リーグ最多の通算75本塁打を記録し、ボールを引きつけて柔らかいスイングからインパクトの瞬間に右手を押し込む打撃で本塁打を放つ。右手で押し込む感覚は2011年6月29日のオリックス戦で中山慎也から打った本塁打がきっかけで身に付いたと述べており、「感覚的なことなので、なかなか説明するのは難しいが、ボールがバットに長くくっついている感じ」だという。2011年シーズン当初は、統一球で本塁打を打つにはミートポイントを前にすることが大切であると言われていたが、中村は『バットを長く押し込むこと』と『打者の手元寄りのミートポイント』を挙げており、「ポイントを前にしたほうが、当たれば飛ぶとは思います。実際に僕が2008、2009年に本塁打のタイトルを取ったときもポイントはかなりピッチャー寄りでした。ただ、ポイントを前に置くことによって、変化球への対応が難しいというデメリットもある。だからそのときと比べたらだいぶ手元寄りになりましたよ。(今のポイントは)左足を踏み込んだときの前あたりです。ホームランを打っているときは、だいたいこのポイントで打てているはず」と話している。

守備・走塁

50メートル走は6.3秒、そして右打者ながら一塁到達は4.18秒を記録するなど、脚力も備えている。かつてコーチを務めた笘篠誠治は「打撃センスはともかく、走塁のセンスには非常にずば抜けているものがある」「走塁に興味を持てば、球界でも上位クラスにもいけるのでは」としている。また、チームメイトだった平尾博嗣からは「動けるデブ。体重100kg以上の人の運動会があったら間違いなく1位」と評されている。

三塁守備ではグラブ捌きの柔らかさと打球反応の良さを兼ね備え、また遠投110メートルという生来の肩の強さを誇るものの、三塁手としてはスローイングが少し弱い傾向にある。捕球が不安定な上に送球のコントロールに難があり失策が多く、本塁打王となった2008年・2009年・2011年は同時にリーグ最多失策も記録している。また、守備での負担を軽減して打撃に専念させるためか一塁手としても起用されることがある。

その他

筋肉痛が嫌いという理由により筋力トレーニングは滅多に行わず、野球に必要な筋力は練習で培っている。

人物

愛称は主に「おかわり君」。これは先輩に「好きな言葉は?」と聞かれ「おかわり」と答え、またキャンプの声出しでも「好きな言葉は『おかわり』です」とアピールしたことから。一部テレビ中継では座右の銘として「おかわり」と紹介された。スポーツニュースでも「おかわり」という表現が使われており、たとえば中村が連続ホームランを打ったときには「ホームランをおかわりする」、中村が重ねて打点をあげたときには、「打点をおかわりする」などいう使われ方をしている。同僚や他球団の選手からは芸人の三瓶に似ていることから「さんぺい」とも呼ばれている。

妻は元タレント・元レースクイーンの村上麻里恵で、2009年7月22日に第1子(長男)、2011年12月3日に第2子(次男)、2014年6月12日に第3子(三男)をもうけている。なお中村は、村上と結婚した後の2008年から2013年まで試合のなかった2012年を除き、村上の誕生日である9月10日に本塁打を放っている。

弟は社会人野球クラブチームである滋賀・高島ベースボールクラブに所属し、2012年の第37回全日本クラブ野球選手権大会では優勝を果たしている。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

2003 | 西武 | 4 | 14 | 12 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | .167 | .286 | .250 | .536
2004 | 28 | 37 | 33 | 8 | 9 | 1 | 0 | 2 | 16 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 10 | 1 | .273 | .351 | .485 | .836
2005 | 80 | 259 | 237 | 40 | 62 | 13 | 1 | 22 | 143 | 57 | 0 | 2 | 0 | 1 | 16 | 1 | 5 | 62 | 7 | .262 | .320 | .603 | .924
2006 | 100 | 323 | 283 | 47 | 78 | 16 | 0 | 9 | 121 | 29 | 4 | 2 | 3 | 0 | 29 | 2 | 8 | 78 | 9 | .276 | .359 | .428 | .787
2007 | 98 | 267 | 226 | 29 | 52 | 16 | 0 | 7 | 89 | 32 | 2 | 0 | 11 | 1 | 22 | 0 | 7 | 71 | 3 | .230 | .316 | .394 | .710
2008 | 143 | 590 | 524 | 90 | 128 | 24 | 4 | 46 | 298 | 101 | 2 | 1 | 3 | 3 | 53 | 1 | 7 | 162 | 10 | .244 | .320 | .569 | .889
2009 | 128 | 562 | 501 | 91 | 143 | 37 | 1 | 48 | 326 | 122 | 3 | 1 | 0 | 2 | 52 | 0 | 7 | 154 | 8 | .285 | .359 | .651 | 1.010
2010 | 85 | 354 | 304 | 50 | 71 | 14 | 2 | 25 | 164 | 57 | 1 | 0 | 0 | 3 | 44 | 5 | 3 | 111 | 7 | .234 | .333 | .539 | .873
2011 | 144 | 622 | 525 | 97 | 141 | 30 | 0 | 48 | 315 | 116 | 4 | 1 | 0 | 6 | 79 | 2 | 12 | 134 | 15 | .269 | .373 | .600 | .973
2012 | 123 | 498 | 432 | 54 | 100 | 16 | 1 | 27 | 199 | 79 | 2 | 3 | 0 | 1 | 56 | 1 | 9 | 125 | 11 | .231 | .331 | .461 | .792
2013 | 26 | 114 | 96 | 8 | 20 | 2 | 0 | 4 | 34 | 15 | 0 | 0 | 0 | 2 | 16 | 3 | 0 | 38 | 1 | .208 | .316 | .354 | .670
2014 | 111 | 466 | 382 | 68 | 98 | 19 | 1 | 34 | 221 | 90 | 0 | 0 | 0 | 3 | 79 | 0 | 2 | 124 | 13 | .257 | .384 | .579 | .963
2015 | 139 | 599 | 521 | 82 | 145 | 35 | 0 | 37 | 291 | 124 | 1 | 0 | 0 | 3 | 68 | 4 | 7 | 172 | 12 | .278 | .367 | .559 | .926
2016 | 108 | 432 | 387 | 45 | 92 | 14 | 2 | 21 | 173 | 61 | 2 | 1 | 0 | 2 | 40 | 1 | 3 | 125 | 9 | .238 | .313 | .447 | .760
2017 | 115 | 486 | 415 | 69 | 90 | 14 | 0 | 27 | 185 | 79 | 1 | 0 | 0 | 6 | 61 | 1 | 4 | 118 | 12 | .217 | .319 | .446 | .765
2018 | 97 | 392 | 355 | 53 | 94 | 14 | 1 | 28 | 194 | 74 | 1 | 0 | 0 | 2 | 33 | 0 | 2 | 112 | 11 | .265 | .329 | .546 | .876
NPB:16年 1529 | 6015 | 5233 | 831 | 1325 | 266 | 13 | 385 | 2772 | 1043 | 24 | 11 | 17 | 35 | 652 | 21 | 78 | 1602 | 130 | .253 | .343 | .530 | .872

年度別打撃成績所属リーグ内順位

【年

度】
【年

齢】
【リ
|
グ】
【打

率】
【安

打】
【二

打】
【三

打】
【本

打】
【打

点】



2003 | 20 | パ・リーグ | - | - | - | - | - | - | -
2004 | 21 | - | - | - | - | - | - | -
2005 | 22 | - | - | - | - | - | - | -
2006 | 23 | - | - | - | - | - | - | -
2007 | 24 | - | - | - | - | - | - | -
2008 | 25 | - | - | - | - | 1位 | 3位 | -
2009 | 26 | - | - | 2位 | - | 1位 | 1位 | -
2010 | 27 | - | - | - | - | 4位 | - | -
2011 | 28 | - | - | 4位 | - | 1位 | 1位 | 4位
2012 | 29 | - | - | - | - | 1位 | 2位 | -
2013 | 30 | - | - | - | - | - | - | -
2014 | 31 | - | - | - | - | 1位 | 2位 | 6位
2015 | 32 | - | 8位 | 3位 | - | 1位 | 1位 | 9位
2016 | 33 | - | - | - | - | 9位 | - | -
2017 | 34 | - | - | - | - | 6位 | 7位 | -
2018 | 35 | - | - | - | - | 6位 | 10位 | -

年度別守備成績

【年
度】
【球
団】
一塁
三塁
【試

合】















【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



2003 | 西武 | 2 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | -
2004 | 4 | 10 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 6 | 1 | 2 | 1 | 0 | .750
2005 | 6 | 12 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | 56 | 39 | 70 | 4 | 9 | .965
2006 | 7 | 26 | 1 | 1 | 4 | .964 | 85 | 54 | 132 | 7 | 10 | .964
2007 | 16 | 82 | 7 | 1 | 8 | .989 | 83 | 39 | 103 | 8 | 9 | .947
2008 | 8 | 13 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 139 | 80 | 256 | 22 | 18 | .939
2009 | 28 | 143 | 9 | 3 | 12 | .981 | 89 | 55 | 160 | 12 | 17 | .947
2010 | 21 | 96 | 5 | 2 | 9 | .981 | 46 | 21 | 70 | 7 | 10 | .929
2011 | 31 | 282 | 10 | 2 | 16 | .993 | 121 | 69 | 212 | 15 | 18 | .949
2012 | 45 | 328 | 21 | 2 | 28 | .994 | 31 | 26 | 51 | 1 | 3 | .987
2014 | 8 | 54 | 3 | 1 | 6 | .983 | 15 | 6 | 25 | 0 | 2 | 1.000
2015 | - | 122 | 73 | 198 | 12 | 15 | .958
2016 | - | 48 | 38 | 75 | 5 | 6 | .958
2017 | - | 108 | 59 | 187 | 11 | 11 | .957
2018 | - | 94 | 44 | 137 | 9 | 9 | .953
通算 176 | 1063 | 59 | 12 | 87 | .989 | 1043 | 604 | 1678 | 114 | 137 | .952

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
出典:wikipedia
2019/06/17 14:39

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