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中田翔とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
広島県広島市中区
【生年月日】
(1989-04-22) 1989年4月22日(29歳)
【身長
体重】
183 cm
99 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
一塁手左翼手
【プロ入り】
2007年 高校生ドラフト1巡目
【初出場】
2009年5月23日
【年俸】
2億円+出来高(2018年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本代表
WBC
2013年2017年
プレミア12
2015年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、広島県広島市中区出身のプロ野球選手(内野手外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 プロ入り後
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 打撃
    • 2.2 走塁
    • 2.3 守備
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別打撃成績
    • 4.2 年度別打撃成績所属リーグ内順位
    • 4.3 WBCでの打撃成績
    • 4.4 WBSCプレミア12での打撃成績
    • 4.5 年度別守備成績
    • 4.6 タイトル
    • 4.7 表彰
    • 4.8 記録
    • 4.9 背番号
    • 4.10 登場曲
    • 4.11 代表歴
  • 5 関連情報
    • 5.1 TVCM
    • 5.2 著書
    • 5.3 テレビ出演
    • 5.4 映画
  • 6 脚注
    • 6.1 注釈
    • 6.2 出典
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

広島市立竹屋小学校3年から広島鯉城リトルで捕手として野球を始める。6年時に投手に転向。広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打広島市立国泰寺中学校3年時に鯉城シニアで日本代表入り。エースで4番を務め、米国遠征で4本塁打を打ちMVPに輝き、世界大会準優勝の原動力となる。投手としても141km/hを計測した。中3時にイベントで訪れたヤクルト山本樹投手と勝負して3打数2安打、シニアの県大会で御建公園野球場で打った場外ホームランは、隣接する御建神社の屋根を破壊し、神社から弁償を請求された推定170m弾だったといわれる。広島で過ごした少年時代は、当時の広島市民球場でプロ野球選手になる夢を抱いた広島東洋カープファンだった。子どもの頃の実家の近所に緒方孝市宅があり、家に押しかけてサインをもらったこともある。

大阪桐蔭高校では1年夏には5番・一塁手でレギュラーとなり、2005年の夏の甲子園ベスト4に貢献、この時の3年生に平田良介辻内崇伸がいた。また投手としても最速147km/hを計測。 秋からエースで4番を任され、岡田雅利とバッテリーを組んだ。2年春には151km/hまで球速が伸びた。肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、4番・右翼手として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、更に秋季近畿大会準決勝の市川高校戦 (和歌山県営紀三井寺野球場)で推定飛距離170メートルの本塁打を打つ。この頃から「平成の怪物」と呼ばれるようになる。3年生時の7月6日全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録。大阪大会の決勝ではエースの植松優友を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも厳しいマークに遭い5打数無安打で、チームは敗戦して甲子園出場を逃した。この大会では本塁打は打てなかった。高校通算87本塁打、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を打った。

2007年10月3日プロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズ阪神タイガースオリックス・バファローズ福岡ソフトバンクホークスの4球団から1位指名を受けて、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。同年11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約。背番号は同年オフに現役引退した田中幸雄が着用していた6となった。

プロ入り後

2008年、守備位置としては高校時代の投手と外野手ではなく、三塁手を志願し球団の育成方針とも一致したことから、二軍で三塁守備での練習を始める。しかし、同年6月に左手首を骨折(全治1カ月)したときは、トレーナー陣から「これでケガをしても誰も面倒を見てくれないぞ」と注意を受けていた状態で1か月近くも骨折を放置されていた。同年は一度も一軍に昇格することはなかった。2009年春季キャンプ後の3月、三塁手としては使えないと判断され、一塁手に専念。同年5月23日の東京ヤクルトスワローズ戦で七番・指名打者としてプロ公式戦初出場、プロ初安打を記録。同月25日の中日ドラゴンズ戦では途中出場ながら初めて守備機会のある一塁手の守備にも就いた。同年7月23日のフレッシュオールスターゲーム(札幌ドーム)ではイースタン・リーグ選抜の四番に座り、2安打2打点でMVPを獲得。同リーグ史上最多のシーズン本塁打30と史上最多タイの打点95を記録し二冠王を獲得、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて特別賞を受賞した。同年9月26日には一塁手としての先発出場も果たし、9月27日犠飛でプロ初打点を挙げた。また、日本シリーズにも第3戦で代打で初出場した。一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ転向した(登録は内野手のまま)。

2010年は、長距離打者であるターメル・スレッジの退団と、レギュラー左翼手だった森本稀哲が故障で離脱した事もあり、開幕戦で七番・左翼手として自身初の開幕戦先発出場を果たし、杉内俊哉から自身初の2点適時打を打つ。その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備も無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。その3日後の21日の二軍の試合で左ひざ半月板を損傷。5月10日に手術を受けた。7月19日に一軍昇格。七番・指名打者として先発出場し、復帰後初安打。翌20日の千葉ロッテマリーンズ戦にも先発出場し、大嶺祐太からプロ入り初本塁打(公式戦91打席目)を打った。8月6日東北楽天ゴールデンイーグルス戦では栂野雅史青山浩二から2打席連続本塁打を記録した。夏場には金子千尋涌井秀章和田毅田中将大らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、本塁打9、打点22に終わった。なお、9本の本塁打は7月20日から8月20日までの約1ヶ月間に打ったものである。

2011年は、開幕から19打席無安打とスタートに苦しんだがその後は成績を伸ばし、小谷野栄一の離脱中は4番に抜擢されるなどチームの主軸となり、初のオールスターゲーム出場も果たした。後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどにも苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用され、初の規定打席到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打、91打点をマークした。しかし規定打席到達者ではリーグ最多と1個差の133三振、打率.2371はリーグワースト2位、出塁率はリーグワーストの.283に低迷し、OPSも.700を切ってしまった。

2012年は、1月11日に高校の同級生と結婚したことを発表。キャンプから足を大きく開き、やや腰を落としてほとんど踏み出さずに振る「ノーステップ打法」を採用。

この年から日本ハムの監督に就任した栗山英樹は、中田を中心とするチーム作りの意向を示しており、「4番・左翼手」として開幕スタメン。しかし、開幕から24打席無安打(25打席目で本塁打)となり、交流戦の頃から足を上げてタイミングを取る打法に切り替え、以後もフォームが定まらなかった。前半戦は打率1割台と不調だったが、栗山が不調でも我慢して使い続けたこともあり、最終的にレギュラーシーズンの全試合に4番打者として起用され続けた。球団では張本勲(1963年)、柏原純一(1983年)に続いて3人目の全試合4番出場となった。優勝チームでの全試合4番出場はパ・リーグでは野村克也(南海ホークス・1966年)以来、3人目。8月から徐々に調子を上げていき、後半戦は打率.293、14本塁打、OPS.882を記録。シーズン通算では打率はリーグワースト3位の.239、得点圏打率は.198に終わったが、リーグ2位の24本塁打、リーグ3位の77打点(チーム首位)をマーク。先制打、同点打、勝ち越し打、逆転の殊勲安打30本、17勝利打点はリーグ最多と、両極端な結果となった。内容的には前年に比べて三振を減らし、より四球を記録し、BB/Kを向上させるとともにリーグ最多得点を獲得した。また守備面では外野手としてリーグトップの19補殺(球団タイ記録)を記録し、そのうち9が併殺であり、中日の原田督三松竹岩本義行の外野手シーズン併殺数のプロ野球記録を62年ぶりに更新した。パ・リーグでは23年ぶりの2年連続リーグ最多補殺を記録。シーズン最後の連戦で、連敗すれば2位西武に並ばれる9月28日の西武戦では2ラン、3ランを放ってチームの全得点を記録し、リーグ優勝に貢献した。

ポストシーズンではクライマックスシリーズ日本シリーズでも全試合4番として出場する。10月28日、東京ドームでの日本シリーズ第2戦の1回表に澤村拓一から死球を受け左手を負傷し、4回裏の守備から途中交代したが第3戦以降も左翼手で出場し、第4戦では9回表の二死満塁のピンチの場面で左中間に抜ける打球を好捕して味方の失点を防ぎ、第6戦では6回表に自身のポストシーズン初となる3ラン本塁打を放つが、日本シリーズでは結局この1打席の3打点に終わった。シリーズ終了後には第2戦の死球により左手第5中手骨を骨折していたことが判明した。

シーズンオフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され候補入りした。監督の山本浩二から4番候補として期待される。合宿から立浪和義打撃コーチの指導のもと、懸念されていた打撃フォームの改造に取り組んだ。序盤戦は活躍するも後半戦は大振りが目立ち、個人成績は21打数6安打(.268)とあまり実を結ばなかった。打順は下位で起用されることが多かった。

2013年は、1月15日に第1子となる女児が誕生した。2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され代表入りした。

シーズンでは、4番として開幕から活躍を見せ本塁打ではリーグトップを走っていたが、8月21日の対楽天16回戦の初回に美馬学から左手甲に死球を受け、左手第5中手骨亀裂骨折と判明し戦線を離脱。その後のシーズンをほぼ棒に振りタイトルこそ逃したものの、自己最多の28本塁打(リーグ2位)を放ち、前年リーグワースト3位だった打率もリーグ8位の.305と初の三割を記録した。長打率、OPSはリーグ2位を記録した。シーズン後にはベストナインを初受賞した。

オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。

2014年は、2年ぶりに全144試合に出場し、死球の影響でスタメンを外れた7月の2試合を除く142試合で4番打者として先発した。新戦力として一塁手フアン・ミランダが加入し、内野手登録として、キャンプからオープン戦序盤まで三塁手に再挑戦するも、シーズンでは例年と同じく左翼手を守る機会が多かった。ただ、シーズン後半は一塁手を守る機会が増え、試合途中で左翼手から一塁手へ回る場面が多くなった。打率は前年より下落して.269だったが、チームトップとなる27本塁打(リーグ4位)を放ち、2年連続で25本塁打以上を記録した。また打点では、3月・4月で17打点を挙げると、5月から9月にかけて毎月15打点以上を記録し、順調に数字を伸ばした。9月27日のオリックス戦でサヨナラとなるソロ本塁打を放ち、自身初の100打点に到達。最終的に2014年のパ・リーグで打点を三桁に乗せた唯一の選手となり、打撃三部門で初の個人タイトルとなる打点王を、2位に10打点差をつけて獲得した。

この年はチームとしては3位だったが、オリックスとのクライマックスシリーズのファーストステージ第3戦(京セラドーム大阪)では、1対1で迎えた延長10回表に平野佳寿から決勝のソロ本塁打を放ち、続くファイナルステージで、第1戦、第2戦で本塁打を放ち、2008年のT.ウッズ(中日)以来2人目、パ・リーグのCSでは初の3試合連続本塁打を記録。続く第3戦でも6回表に3ラン本塁打を記録し、NPBのポストシーズンでの新記録となる4試合連続本塁打を達成した。翌18日の第4戦で3打数2三振1四球の無安打に終わり、記録は4でストップ。

シーズンオフの10月9日に、日米野球2014日本代表に選出されたことが発表された。

2015年は、開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出されたことが発表された。3月10日の第1戦、3月11日の第2戦に4番で先発出場し、1安打を記録した。

シーズンでは年間を通して一塁手として出場。交流戦終了の6月中旬までに20本塁打を記録する例年以上のペースで本塁打を量産していった。しかし慢性的な膝の不調に悩まされ、後半戦は大きく失速。不振に苦しむも、最終戦で涌井秀章から本塁打を放ち、キャリア初の30本塁打を記録。また、2年連続100打点を記録した(同チーム内での2年連続100打点は、東映時代に大杉勝男(1971〜1973年)が記録して以来2人目である)。守備は年間を通して安定し、初のゴールデングラブ賞を獲得した。

また、7月16日に第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表され、9月10日に第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表され、10月9日に最終ロースター28名に選出されたことが発表され代表入りしている。同大会では、第4戦まで合計11打点を記録。第4戦アメリカ戦では、6回表に決勝3ランを左中間スタンドに記録し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した上、最終的には打率.429 3本塁打 15打点で大会ベストナインに選出されている。

2016年は、開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された。4月16日に札幌市内の病院で第二子となる女児が誕生した。

レギュラーシーズンが始まると不調に苦しむようになる。6月27日の対埼玉西武戦では途中で代打を出され、その後の2試合では打撃不振のためスタメンから外れた。その後も打率は.250前後を推移し続けたが、8月30日の対東北楽天戦で、3試合連続本塁打になる20号本塁打を放つなどシーズン後半に復調。最終的にはシーズンを通して(スタメン落ちした2試合を除いて)4番打者に座り続けて、「打率.250、25本塁打、110打点」を記録。打率、本塁打こそ前年を下回ったが、打点は自己ベストの成績になり、(前述の大杉に並ぶ)3年連続の100打点を達成して打点王に輝いた。また一塁手として最多の守備機会に関わり、2年連続のゴールデングラブ賞を獲得、ベストナインにも選出された。このシーズンに本塁打数がそれほど伸びなかった背景にはブランドン・レアードに本塁打の量産を任せて自分はチーム打撃に徹するという考えがあり、シーズン前半には野球専門媒体がそのように報じていた。10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたことが発表された。4年ぶりの出場となった広島東洋カープとの日本シリーズでは、4年前と同様に全試合4番打者で出場する。第3戦では8回裏に逆転となる2点適時二塁打を含む3打点を挙げると、第4戦では6回裏に同点に追いつくソロ本塁打を放つ。そして日本一に王手をかけた第6戦では、同点の8回表に2死満塁から押し出し四球を選び、これが日本一を決める決勝点となった。自身初の日本一を経験するとともに、優秀選手賞に選ばれた。12月1日、3500万円アップの2億8000万円で契約を更改した。

2017年は、第4回WBC日本代表に選出。4番は筒香嘉智に譲ったが、欠場した二次ラウンドのイスラエル戦を除き筒香の後ろの5番打者に座った。1次ラウンドオーストラリア戦では勝ち越しソロ本塁打を放ち、二次ラウンドオランダ戦ではリック・バンデンハークから一時勝ち越しの3ラン本塁打を放つと同点に追いつかれた後の延長11回に勝ち越しの2点タイムリーを放った。大会全体では打率こそ.238にとどまったが、1次ラウンドの中国戦を合わせ3本の本塁打を記録し8打点をマークした。

3月31日の開幕戦は、6年連続での「開幕4番」を務めた。5月20日、札幌ドームでの対オリックス戦で吉田一将から天井直撃の二塁打を放つ。しかし、この年は開幕から深刻な打撃不振に陥り、7月6日の対埼玉西武戦を最後に、打率が.230を割り込む状況がシーズン終了まで続いた。2012年以来、4番打者の座を「ほかの誰も侵すことのできない指定席」としてきたが、6月10日の対巨人戦以後は、3番での起用が多くなった(中田が3番で起用される際は、ブランドン・レアードが4番で起用された)。7月8日の対ソフトバンク戦では、プロ初めての1番での起用になった。8月13日の対ソフトバンク戦からは、指定席であった4番に返り咲き、以後はほぼ4番として起用され続けた。

最終的には、「打率.216、16本塁打、67打点」。打率(リーグワースト1位)、得点圏打率(.195。リーグワースト2位)、OPS(.676。リーグワースト4位)、RC27(3.69。リーグワースト1位)など、打撃面でのほとんどの項目で、レギュラー定着後最悪の成績になってしまい、シーズン20本塁打も5年連続で途切れてしまった。この年は8月17日に、国内FA権を取得(2016年12月の契約更改のときから、国内FA権取得後の動向が注目されていた)。しかし、実質的に自己最悪のシーズンに終わった影響もあり、11月14日、「ふがいない成績でチームを去ることはできない」として、国内FA権を行使せずに残留することを表明、年俸2億円(8000万円のダウン)で契約を更改した。2018年4月のインタビューで、2017年シーズンの不振について「WBCに向けて(打撃における)タイミングと打つポイントを変えたが、結果として裏目になってしまった。(自身にとってFAイヤーである大切な年とわかっていたのでなおさら)このままで終わったらやばいという気持ちと焦り(が膨らみ続けた結果、シーズンを通してスランプから脱却できないまま終わってしまった)」と振り返っている。シーズンを通して自身の去就を熟考し続けたとのことだが、「(ファンの)みんなが掲げてくれた横断幕にしても、本当にありがたいなと思ったし、そういう人たちがいる限り裏切りたくない(と思うようになった)」として、最終的に残留を決断したという。

2018年は、新たなチームキャプテンに任命され「初心に帰ってがむしゃらに戦いたい」ことをテーマに掲げてキャンプインした。3月30日の開幕戦では、7年連続での「開幕4番」を務めた。4月15日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では、2014年10月以来、4年ぶりとなる左翼手出場を果たした(この試合では左翼手として補殺を1つ成功させている)。5月9日の対オリックス・バファローズ7回戦(京セラドーム大阪)では、6回表に小林慶祐から左前打を放ち、プロ野球通算1000安打を記録した。

選手としての特徴

打撃

中田のスイング(2009年の日本シリーズにて)

高校時代に推定飛距離170メートルの本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とし、体勢を崩されても打球をスタンドに運ぶことができる。初球から積極的に振っていくスタイルで、四球率は通算6.7%と平均的だが、反面、2011年にはボールゾーンのスイング率が30%を越えるなど選球眼に難があった。こうした選球眼の悪さが課題にあったものの、後述の「ガニ股打法」などの変遷を経て、徐々に四球数・三振数・バットコントロールを改善していった。

2014年頃からは緩急をつけるようになり、2ストライク時や得点圏で確実に1点が求められる場面によっては、足をわずかに上げミート重視のコンパクトな打撃に切り替えることが多くなった。本人も打点へのこだわりを述べている。その影響からか、IsoP(長打力を測る指標)は、2013年にリーグ1位の「0.246」を記録して以後の4シーズン(2014年〜2017年)は、「0.186→0.215→0.181→0.150」と、長距離打者としては比較的抑えられた数値になっている。

2015年~2017年の3シーズンにおいて、三振率は「19.6%→20.2%→19.0%」と、リーグ平均値を前後する数値で推移しているが、空振り率は「12.4%→13.2%→12.2%」と、リーグ平均値よりも望ましくない数値で推移している(リーグ平均値は「9.4%→9.0%→9.8%」)。また、初球スイング率では「31.9%→37.7%(リーグ2位)→33.7%」と、リーグ平均値を上回る高い数値で推移しており、積極的に振る傾向の強い打者であるといえる。

打球方向の「引っ張り打球割合」が、2015年~2017年の3シーズンにおいて、「51%→54%→49%」と高い数値で推移しており(特に2016年シーズンの「引っ張り打球割合」はリーグ1位であった)、日本人打者の中でも、プルヒッターの傾向の強い打者であることが示されている。また、2015年~2017年の3シーズンにおける「フライボール率」は、「55.6%(リーグ3位)→59.4%(リーグ1位)→58.2%(リーグ1位)」と高い数値で推移しており、打球におけるフライボールの多い打者(フライボールヒッター)であるといえる。

打撃フォームの変遷が激しく、2011年には選球眼の改善を試みるため、脇を閉めて足をガニ股に開くノーステップ打法に取り組んでいた。しかし、下半身に負担がかかるため後半戦からはガニ股をやめ、当時の打撃コーチであった福良淳一やチームメイトだった稲葉篤紀からアドバイスを受けながらすり足打法に取り組んだ。この年のオフにはケビン山崎の指導を受けて下半身を強化し、ガニ股打法を1年間継続させることを目指したが、翌2012年は5月まで打率.169と不振に陥ったため、同月下旬からは福良の指導を受け左足を軽く上げるオーソドックスな打撃フォームとなった。

栗山英樹の監督就任後の2012年から、ほぼ一貫して4番打者として起用され続けているが、栗山曰く、中田を4番として起用し続ける理由として、「自分の中の感覚だけど、いつも調子が悪くても、球の強い投手がきても、絶対に打てる可能性をいつも感じさせる選手。特別なタイプの投手を打てない、というのはダメ。どんな投手が来ても、いつも期待できる選手でないと4番を張れないし、何とかしてくれる可能性をいつも感じている打者だから。調子が悪くてもバットを振るし。その可能性が高くないとチームを背負えないので」という趣旨のことを述べている。

走塁

走塁面では一塁到達4.3秒台。

守備

入団当初は三塁手と一塁手で起用されていたが、出場機会の増加や強肩を活かすため、2010年からは左翼手として起用されるようになった。チームメイトだった小谷野栄一から「150km/hくらい出ている」と評され、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録、糸井嘉男陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった。2012年には左翼手で両リーグトップのUZR23.7を記録した。2014年には三塁手へ再コンバートしたが守備の悩みから打撃に悪影響を受け開幕は左翼手となり、結局同年の三塁手としての出場は無かった。翌2015年からは一塁手に転向し、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。

人物

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

2009 | 日本ハム | 22 | 38 | 36 | 3 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .278 | .289 | .333 | .623
2010 | 65 | 230 | 210 | 20 | 49 | 5 | 1 | 9 | 83 | 22 | 0 | 0 | 0 | 2 | 15 | 0 | 3 | 61 | 8 | .233 | .291 | .395 | .687
2011 | 143 | 572 | 527 | 49 | 125 | 32 | 2 | 18 | 215 | 91 | 4 | 0 | 0 | 8 | 31 | 2 | 6 | 133 | 12 | .237 | .283 | .408 | .691
2012 | 144 | 606 | 547 | 79 | 131 | 25 | 1 | 24 | 230 | 77 | 5 | 4 | 0 | 4 | 50 | 1 | 5 | 101 | 8 | .239 | .307 | .420 | .727
2013 | 108 | 459 | 407 | 67 | 124 | 14 | 1 | 28 | 224 | 73 | 1 | 2 | 0 | 1 | 45 | 4 | 6 | 77 | 11 | .305 | .381 | .550 | .931
2014 | 144 | 602 | 531 | 64 | 143 | 18 | 0 | 27 | 242 | 100 | 0 | 0 | 0 | 7 | 58 | 3 | 6 | 89 | 12 | .269 | .344 | .456 | .800
2015 | 143 | 611 | 539 | 72 | 142 | 26 | 0 | 30 | 258 | 102 | 1 | 0 | 0 | 7 | 64 | 4 | 1 | 120 | 11 | .263 | .339 | .479 | .817
2016 | 141 | 624 | 569 | 61 | 142 | 26 | 1 | 25 | 245 | 110 | 2 | 1 | 0 | 5 | 47 | 1 | 3 | 126 | 14 | .250 | .308 | .431 | .738
2017 | 129 | 542 | 472 | 56 | 102 | 23 | 0 | 16 | 173 | 67 | 0 | 1 | 0 | 4 | 61 | 0 | 5 | 103 | 14 | .216 | .310 | .367 | .676
NPB:9年 1039 | 4284 | 3868 | 471 | 968 | 171 | 6 | 177 | 1682 | 643 | 13 | 8 | 0 | 39 | 372 | 15 | 35 | 825 | 90 | .252 | .321 | .438 | .759

年度別打撃成績所属リーグ内順位

【年

度】



【リ
|
グ】
【打

率】
【安

打】
【二

打】
【三

打】
【本

打】
【打

点】
【盗

塁】



2009 | 20 | パ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - | -
2010 | 21 | - | - | - | - | - | - | - | -
2011 | 22 | - | - | 2位 | - | 3位 | 3位 | - | -
2012 | 23 | - | - | - | - | 2位 | 3位 | - | -
2013 | 24 | 8位 | - | - | - | 2位 | - | - | 10位
2014 | 25 | - | - | - | - | 4位 | 1位 | - | -
2015 | 26 | - | - | 9位 | - | 6位 | 2位 | - | -
2016 | 27 | - | - | 8位 | - | 5位 | 1位 | - | -

WBCでの打撃成績














































・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/10/08 19:01

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