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中西清起とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
高知県宿毛市
【生年月日】
(1962-04-26) 1962年4月26日(57歳)
【身長
体重】
179 cm
87 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1983年 ドラフト1位
【初出場】
1984年6月3日
【最終出場】
1996年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


コーチ歴

  • 阪神タイガース (2004 - 2015)

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


中西 清起(なかにし きよおき、1962年4月26日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ野球解説者。現役時の背番号19春・夏の全国大会で活躍した高知商業高校時代から、「中西球道」(水島新司の漫画「球道くん」の主人公)にちなんで「球道(くん)」と呼ばれている。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 プロ入り後
    • 1.3 現役引退後
  • 2 プレースタイル
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別投手成績
    • 4.2 タイトル
    • 4.3 表彰
    • 4.4 記録
    • 4.5 背番号
  • 5 関連情報
    • 5.1 解説者としての出演番組
      • 5.1.1 現在(第2期)
      • 5.1.2 過去(第1期のみ)
  • 6 脚注
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

高知商業高校では、1年夏、2・3年春、3年夏の4度にわたって甲子園に出場している。1年生時の1978年夏の第60回全国選手権は、1年上のエース森浩二の控え投手として出場。決勝まで進むが、西田真二を擁するPL学園に惜敗、準優勝にとどまる。この大会では2試合に登板した。1979年春の第51回選抜大会右翼手、控え投手として出場。2回戦で牛島和彦香川伸行らのいた浪商に惜敗、自身の登板機会はなかった。1980年春の第52回選抜大会では、エース、四番打者としてチームを牽引、決勝で帝京高伊東昭光に投げ勝ち初優勝。この大会では準々決勝で選抜通算200号にあたる大会第11号本塁打を放っている。同年夏の第62回全国選手権は2回戦で箕島高に敗退。

高校卒業後は、社会人野球リッカーへ入団。東京都代表で出場した1981年都市対抗では、日本生命中本茂樹電電中国津田恒美(協和発酵から補強)に投げ勝ち準々決勝に進出。東京ガスに敗退するが、チームメイトの内野手・黒田光弘と共に、若獅子賞を受賞した。1982年大会では明治生命1983年大会では熊谷組の補強選手として出場。社会人野球の公式戦では、通算で38勝を挙げた。

1983年度ドラフト会議にて阪神タイガースから1位指名を受けて入団。この年までエースとして活躍した小林繁から、背番号19を引き継いだ。担当スカウトは、今成亮太の実父である今成泰章。

プロ入り後

1984年には、一軍公式戦33試合に登板。ジュニアオールスターゲームにも、ウエスタン・リーグの選抜メンバーとして出場した。一軍では救援を中心に起用されたが、1勝6敗、防御率5.35という成績で、同じ社会人出身・同期入団の池田親興(9勝6敗)ほどの活躍に至らなかった。

1985年には、「バックスクリーン3連発」で知られる4月17日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(阪神甲子園球場)で、9回表無死から登板。ウォーレン・クロマティ原辰徳からの2者連続本塁打で1点差に迫られた福間納の後を受けての登板だったが、後続の打者を2者連続奪三振を含む三者凡退に抑えたことで、一軍初セーブを挙げた。この試合を機に、従来からのクローザー山本和行との「ダブルストッパー」として活躍。山本がアキレス腱の断裂で戦線を離脱した9月以降は、1人でクローザーの重責を担った。10月16日ヤクルト戦(神宮球場)では、同点の延長10回裏に登板。チームが勝つか引き分けるかで21年振りのセントラル・リーグ優勝が決まるという状況で、ヤクルト打線を完璧に抑えると、最後の打者・角富士夫をピッチャーゴロでアウトに仕留めて「胴上げ投手」になった。結局、レギュラーシーズンでは11勝19セーブの好成績を挙げた末に、リーグ最優秀救援投手のタイトルを獲得した。

1986年1987年には一軍公式戦61試合、1988年には46試合に登板。1986年・1988年に8勝を挙げるなど、引き続きクローザーとして活躍した。1987年・1988年には、チームが低迷する状況でオールスターゲームへの出場を果たしている。

1989年には、シーズンの途中から先発に転向。一軍公式戦通算で10勝5セーブを記録するとともに、先発投手として2試合で完封勝利を挙げ自身最初で最後の規定投球回数もクリアした。

1990年には、初めて一軍の開幕投手を任されると、開幕戦で完封勝利を収めた。しかし、シーズン途中に右足首の故障で戦線を離脱した影響で、通算では5勝6敗に終わった。

1992年からはクローザーに復帰。1995年まで、一軍公式戦で4年連続30試合以上に登板した。3試合の登板にとどまった1996年に、球団から戦力外を通告されると共に、投手コーチへの就任を打診。阪神での最終登板になった10月9日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)では、この試合を最後に現役を引退する木戸克彦とのバッテリーで、先発投手として中日打線を14球で三者凡退に抑えた。中西はこの時点で現役続行を希望していたため、コーチへの就任要請を固辞したうえで、シーズン終了後に横浜ベイスターズ福岡ダイエーホークスの入団テストに参加。しかし、いずれのテストでも入団に至らなかったことから、現役を引退した。

現役引退後

1997年から2003年まで、朝日放送野球解説者日刊スポーツ野球評論家として、阪神の地元・関西地方を拠点に活動した。

現役時代の主力打者だった岡田彰布が阪神の一軍監督に就任した2004年に、一軍投手コーチとして同球団に復帰。高校の後輩・藤川球児セットアッパーとして大成させたほか、ブルペン担当コーチとして、JFK(ウィリアムス、藤川、久保田智之)やSHE(桟原将司橋本健太郎江草仁貴)と称されるリリーフ投手陣の整備で大きな成果を残した。その実績を買われて、2009年からは、二軍投手コーチとしてファーム投手部門の強化に尽力した。

2013年から阪神の一軍投手コーチに復帰。チームの2014年クライマックスシリーズ初突破と日本シリーズ進出に貢献した。しかし、レギュラーシーズンのチーム防御率・失点がいずれもセントラル・リーグ5位に低迷。二軍コーチ時代から指導してきた若手投手の伸び悩みや、救援陣刷新の不備などが顕著に表れた2015年限りで、コーチを退任した。

コーチ退任後の2016年からは、朝日放送解説者・日刊スポーツ評論家としての活動を再開している。

2018年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会では、8月14日の第1試合前に甲子園レジェンド始球式へ登場、真ん中低めのボールを放り投げスタンドの観衆を沸かせていた。

プレースタイル

人物

詳細情報

年度別投手成績






























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

1984 | 阪神 | 33 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | -- | .143 | 304 | 67.1 | 79 | 10 | 31 | 4 | 0 | 50 | 3 | 0 | 44 | 40 | 5.35 | 1.63
1985 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 3 | 19 | -- | .786 | 445 | 107.2 | 92 | 10 | 31 | 7 | 4 | 83 | 3 | 0 | 38 | 32 | 2.67 | 1.14
1986 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 9 | 5 | -- | .471 | 387 | 95.0 | 86 | 9 | 20 | 6 | 3 | 73 | 1 | 0 | 38 | 31 | 2.94 | 1.12
1987 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 8 | 14 | -- | .429 | 439 | 103.2 | 105 | 15 | 29 | 8 | 5 | 56 | 5 | 0 | 52 | 45 | 3.91 | 1.29
1988 | 46 | 2 | 1 | 0 | 0 | 8 | 9 | 15 | -- | .471 | 391 | 91.0 | 91 | 10 | 26 | 3 | 6 | 54 | 3 | 0 | 49 | 45 | 4.45 | 1.29
1989 | 34 | 18 | 7 | 3 | 0 | 10 | 10 | 5 | -- | .500 | 608 | 139.2 | 156 | 14 | 36 | 6 | 7 | 74 | 4 | 0 | 67 | 62 | 4.00 | 1.37
1990 | 17 | 14 | 4 | 2 | 1 | 5 | 6 | 0 | -- | .455 | 405 | 89.2 | 117 | 10 | 25 | 1 | 4 | 50 | 1 | 0 | 52 | 49 | 4.92 | 1.58
1991 | 16 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | -- | .333 | 236 | 50.1 | 70 | 3 | 13 | 0 | 2 | 18 | 2 | 0 | 47 | 42 | 7.51 | 1.65
1992 | 31 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 3 | -- | .286 | 188 | 39.2 | 46 | 5 | 18 | 6 | 4 | 32 | 1 | 0 | 24 | 21 | 4.76 | 1.61
1993 | 33 | 10 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 11 | -- | .500 | 357 | 82.0 | 103 | 6 | 12 | 2 | 5 | 54 | 1 | 0 | 37 | 33 | 3.62 | 1.40
1994 | 46 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 9 | 3 | -- | .250 | 335 | 79.0 | 79 | 3 | 22 | 7 | 3 | 57 | 1 | 0 | 32 | 29 | 3.30 | 1.28
1995 | 33 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 170 | 38.0 | 48 | 6 | 12 | 4 | 1 | 29 | 0 | 0 | 28 | 28 | 6.63 | 1.58
1996 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 16 | 3.2 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 9.82 | 1.36
通算:13年 477 | 67 | 12 | 5 | 1 | 63 | 74 | 75 | -- | .460 | 4281 | 986.2 | 1077 | 103 | 275 | 54 | 44 | 633 | 25 | 0 | 512 | 461 | 4.21 | 1.37

タイトル

表彰

記録

初記録
その他の記録

背番号

関連情報

解説者としての出演番組

現在(第2期)

過去(第1期のみ)

阪神のコーチ時代にも、プロ野球オフシーズンには、在阪テレビ・ラジオ局制作の番組へたびたびゲストで出演していた。

脚注

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  4. ^ 【10月9日】1996年(平成8年) あの感激は再現せず…阪神優勝バッテリーそろって引退スポーツニッポン 2008年10月9日
  5. ^ 阪神中西投手コーチを二軍に配置転換日刊スポーツ 2008年10月22日
  6. ^ 阪神大刷新 中西、山口投手コーチら5人の退任発表 日刊スポーツ 2015年10月16日、同11月14日閲覧。
  7. ^ 中西清起氏始球式 真ん中低めに速球ズバ! 日刊スポーツ 2018年8月14日記事。
  8. ^ 「本間勝交遊録」27人目 中西清起 八十五年、歓喜の胴上げ投手の不思議な思い出月刊タイガース 2011年10月・11月号
  9. ^ 元阪神コーチ・中西氏失跡騒動の顛末 情報飛び交い一時ヤフーニュースのトップにZAKZAK 2015年10月28日
  10. ^ 失踪騒動の中西元阪神コーチ「淡路島で釣り」だった東京スポーツ 2015年10月28日
  11. ^ 『日刊スポーツ』大阪本社発行版2016年1月25日付2面に掲載のコラム「中西清起の球道回想記」第1回を参照
  12. ^ 松下雄一郎『藤川球児 ストレートという名の魔球』(2008年、ワニブックス)pp.161 - 162「万全のシーズン開幕」
  13. ^ “阪神・藤浪、インステップする癖を直すも…感覚や制球にズレ”. Sanspo Web (サンケイスポーツ新聞社). (2014年3月26日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20140326/tig14032604050003-n1.html 2014年4月21日閲覧。
  14. ^ “呉昇桓にフォーム改善指令 “横振り”直し復活だ!”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2015年7月24日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1512066.html 2016年1月24日閲覧。
  15. ^ 実際には、阪神のレギュラーシーズンの全日程終了後に、当時東京ヤクルトスワローズに在籍していたトニー・バーネットも41セーブを記録。呉・バーネットとも、2016年から活躍の場をMLBに移している。
  16. ^ “2台目ベンツゲット!虎・福留「来年優勝」してEクラス頂く(5)ヤナセ・阪神タイガースMVP賞歴代受賞者”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2015年12月12日). http://www.sanspo.com/baseball/photos/20151212/tig15121205030006-p5.html 2018年3月1日閲覧。

関連項目

外部リンク

業績
セントラル・リーグ最優秀救援投手
1970年代 | 

1980年代 | 
  • 1980 江夏豊
  • 1981 角三男
  • 1982 山本和行
  • 1983 斉藤明夫
  • 1984 山本和行
  • 1985 中西清起
  • 1986 斉藤明夫
  • 1987 郭源治
  • 1988 郭源治
  • 1989 津田恒実

  • 1990年代 | 
  • 1990 与田剛
  • 1991 大野豊
  • 1992 佐々木主浩
  • 1993 石毛博史
  • 1994 高津臣吾
  • 1995 佐々木主浩
  • 1996 佐々木主浩
  • 1997 佐々木主浩
  • 1998 佐々木主浩
  • 1999 高津臣吾

  • 2000年代 | 
  • 2000 E.ギャラード
  • 2001 高津臣吾
  • 2002 E.ギャラード
  • 2003 高津臣吾
  • 2004 五十嵐亮太
  • 2005 岩瀬仁紀
  • 2006 岩瀬仁紀
  • 2007 藤川球児
  • 2008 M.クルーン
  • 2009 岩瀬仁紀

  • 2010年代 | 
  • 2010 岩瀬仁紀
  • 2011 藤川球児
  • 2012 岩瀬仁紀, T.バーネット
  • 2013 西村健太朗
  • 2014 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  • 出典:wikipedia
    2019/08/19 10:34

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