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二階俊博とは?

二階 俊博
にかい としひろ

【生年月日】
(1939-02-17) 1939年2月17日(81歳)
【出生地】
和歌山県御坊市
【出身校】
中央大学法学部政治学科卒業
【前職】
衆議院議員遠藤三郎秘書
【現職】
自由民主党幹事長
【所属政党】
(自由民主党→)
(新生党→)
(新進党→)
(自由党→)
(保守党→)
(保守新党→)
自由民主党(二階グループ二階派)
【称号】
法学士(中央大学・1961年)
【配偶者】
二階怜子
【親族】
父・二階俊太郎(和歌山県議会議員)
【公式サイト】
二階事務所ホームページ
第6・9-10代 経済産業大臣

【内閣】
福田康夫改造内閣
麻生内閣
【在任期間】
2008年8月2日 - 2009年9月16日
【内閣】
第3次小泉改造内閣
【在任期間】
2005年10月31日 - 2006年9月26日
第75-76代 運輸大臣
第69-70代 北海道開発庁長官

【内閣】
小渕第2次改造内閣
第1次森内閣
【在任期間】
1999年10月5日 - 2000年7月4日
衆議院議員

【選挙区】
(旧和歌山2区→)
和歌山3区
【当選回数】
12回
【在任期間】
1983年12月19日 - 現職
和歌山県議会議員

【当選回数】
2回
【在任期間】
1975年4月13日 - 1983年

二階 俊博(にかい としひろ、1939年〈昭和14年〉2月17日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(12期)。自由民主党幹事長(第48代)、志帥会会長(第5代)。

和歌山県議会議員(2期)、運輸政務次官(第2次海部内閣細川内閣)、運輸大臣(第75代・第76代)、北海道開発庁長官(第69代・第70代)、保守党幹事長(第2代)、保守新党幹事長(初代)、自由民主党総務局長経済産業大臣(第6代・第9代・第10代)、自由民主党国会対策委員長(第48代)、自由民主党総務会長(第46代・第53代)、自由民主党選挙対策局長(初代)、自由民主党国土強靭化推進本部長などを歴任した。

来歴

生い立ち

1939年2月、和歌山県御坊市新町に生まれる。父親の俊太郎は和歌山県議会議員だった。父は仕事が忙しく、父と一緒に遊んだ経験がなかった。母・菊枝は医師古久保良輔の娘で、当時まだ珍しかった女性医師だった。

稲原小学校に入学し、終戦後、御坊小学校に転入した。御坊中学校に進学した二階はある時、外郭団体の主催する弁論大会のメンバーに選ばれ、部落差別問題を主題にした島崎藤村の社会小説『破戒』を引用し、人権問題について演説した。和歌山県立日高高等学校を経て中央大学法学部政治学科に進学する。

政界入り

和歌山県議会議員

法学士号を取得して卒業後、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎秘書となる。遠藤の死後、和歌山県に戻り、1975年4月13日に和歌山県議会議員選挙に立候補して当選し、連続2期務めた。

衆議院議員

1983年12月18日旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補する。5万3611票を獲得し、2位で当選を果たした。以後、現在まで連続当選を続けている。

田中角栄に対する配慮と、師・遠藤三郎がかつて藤山派に属していたために江崎真澄に近いことから竹下派結成には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した。

第39回衆議院議員総選挙が行われた直後の1990年2月、第2次海部内閣運輸政務次官に就任。1992年の竹下派分裂時は小沢一郎に同調し、羽田派に参加する。

自民党離党後

運輸政務次官

1993年宮沢内閣不信任決議案に賛成して自由民主党を離党、小沢らと共に新生党結成に参加した。総選挙後に発足した細川内閣で再び運輸政務次官に就任する。細川内閣での政務次官時代は社会党運輸大臣伊藤茂を差し置いて「影の運輸大臣」と呼ばれた。

小沢一郎の側近

細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」の運輸交通部門と建設国土部門の大臣などを務める。小沢側近として小沢の党首選出にも尽力した。1996年10月20日第41回衆議院議員総選挙で新設された和歌山3区から立候補し、自民党(清和研)の現職野田実を破り5連続当選を果たす(野田は比例復活したが、後に連座制を適用されて失職した)。

1998年、新進党分党後も小沢側近として自由党結党に参加した。

運輸大臣

自由党国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年小渕第2次改造内閣運輸大臣北海道開発庁長官として初入閣した。

保守党結成

2000年4月、自由党の政策が実現されないとして連立解消を主張する小沢ら連立離脱派と袂を分かち、野田毅扇千景ら連立残留派とともに保守党を結成する。自公保連立政権に参加し、小渕内閣を引き継いだ第1次森内閣で運輸大臣兼北海道開発長官に留任した。

同年7月、保守党国会対策委員長に就任。2001年、保守党党首の扇が野田に党首の座を譲ったことから、保守党幹事長に就任した。

2002年、保守党の後継政党である保守新党でも幹事長に就任したが、2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。かくして二階は約10年ぶりに自民党へ復党することになる。

自民党復党後

2008年11月10日、中央合同庁舎第五号館にて厚生労働大臣舛添要一(手前左)と
2008年11月10日、中央合同庁舎第五号館にて厚生労働大臣舛添要一(手前右)と

自民党総務局長

自民党への復党後、旧保守新党の議員らで新しい波(二階グループ)を結成して会長に就任。2004年9月、自民党総務局長に任命される。以後、自民党が下野する2009年までほぼ一貫して政府や党の要職の座につけ、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。

2005年5月、内閣総理大臣小泉純一郎の意向により、自民党総務局長を兼任しながら衆議院郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任する。郵政国会では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、地位向上が行われるようにもなった。またこれによって、比例当選議員が中心ではあるものの二階派の議員数が増加することになり、二階が一定の政治的影響力を持つことになった。

経済産業大臣

総選挙での功績を買われ、2005年10月に発足した第3次小泉改造内閣経済産業大臣として入閣する。2006年4月7日、「二階イニシアティブ」(東アジアEPA、東アジア版OECD、アジア人財資金)を提唱した。同年9月、小泉の自民党総裁任期満了に伴い安倍晋三が総裁に就任し、民主党代表小沢一郎への対策として自民党国会対策委員長に任命された。

自民党総務会長

2007年8月、党三役の一角である自民党総務会長に就任。その直後、自らが代表を務める和歌山県第三選挙支部の政治資金収支報告書未記載問題が発覚する。2007年9月14日自民党幹事長麻生太郎の総裁選挙立候補を受け、自民党役員会において、2007年自民党総裁選期間中の幹事長職務を一任された。9月24日福田康夫が総裁に就任し、総務会長に留任することが決まった。

2008年福田内閣改造に伴い自民党総務会長を退任し、福田改造内閣に経済産業大臣として再任された。2008年9月24日に発足した麻生内閣でも経済産業大臣に再任されている。

自民党選挙対策局長

2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に出馬した際は、公明党の推薦も受けて9回目の当選を果たし、同年10月には自民党幹事長の下に新設された自民党選挙対策局長に就任。自身が会長を務めていた二階グループは総選挙で二階本人を除く衆議院議員が全員落選し、参議院議員2名と合わせて総勢3名となったことから派閥の維持が困難となった。このため、11月5日に全員が志帥会(伊吹派)へ合流し、同日付で二階グループは解消された。

同年12月に西松建設事件で政策秘書が政治資金規正法違反で略式起訴となったことを受け、自民党選挙対策局長を辞任する。

志帥会会長

2012年12月、伊吹文明が衆議院議長への就任に伴い志帥会(伊吹派)会長を退任。後任として二階が同派会長に就任し、志帥会は伊吹派から二階派へと衣替えした。

2013年第2次安倍政権下で衆議院予算委員長に就任。与野党の人脈を駆使し、衆議院において史上最速で予算案を通過させた。

2014年9月、第2次安倍改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で党総務会長に再任される。党四役は派閥を離れるとの慣例により、二階は志帥会(二階派)会長の職を退任し、同派会長は空席とされた(同派の指揮は会長代行の河村建夫が務める)。

自民党幹事長

2016年8月3日第3次安倍第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院した谷垣禎一の後任として自民党幹事長に就任した。就任時の年齢は77歳と5ヶ月であり、歴代の自由民主党幹事長の中で史上最高齢の就任であった。

2017年8月3日の第3次安倍第3次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任し、記者会見で「しっかりと党をまとめる努力をしたい」「みなさんから意見を頂戴しながら党運営をやっていく」と抱負を述べた。

2019年8月3日で幹事長として連続在職日数が1096日に達して前尾繁三郎を抜き歴代最長になり、さらに続投すれば2020年9月には通算在職日数が最長の田中角栄も超える可能性を記者会見で問われた際は「大先輩に日数が近づいたということは、長く居過ぎたかな」と述べた。23日に総理としての通算在任日数が戦後最長となった安倍晋三首相の総裁任期を延長させた党則改定と連続3選などを実現して中国との太いパイプを生かした独自の党外交も展開する一方で無所属や野党の議員も派閥に取り込む強引とも映る政治手法は党内でも物議を醸すも、翌9月の第4次安倍内閣第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任した。

政策・主張

日中友好活動

江沢民碑建立計画

親中派の有力議員の一人であり、北京オリンピックを支援する議員の会にも所属した。

保守新党時代には、地元・和歌山県田辺市新庄総合公園江沢民が自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」の文字と、自身も参加した2000年の日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講話を刻んだ日中国交正常化30周年記念碑の建立を計画し、新東京国際空港や全国各地にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元市議らの猛反対に遭ったため頓挫した。

新幹線輸出

新幹線の中国への輸出に関し、訪中時に新幹線担当の国家発展計画委員会主任(大臣)曽培炎、さらに中国大使陳健に対し、「日本は中国から文化を教わり、その延長線上に今日の日本の繁栄がある。そのなかから、たまたま新幹線の技術を開発した」「この技術が中国の発展にもしお役にたつならば、どうぞ一つお使いください。積極的に協力します」と発言した。

東シナ海ガス田の試掘中止

東シナ海日中中間線でのガス田開発問題では、外務大臣麻生太郎中華人民共和国によるガス田開発強行に断固対応する姿勢を示すと、この「日本の対応に“こそ”問題がある」「強硬に対応するなら勝手にやればいい」と述べた。当時の経済産業大臣中川昭一帝国石油に東シナ海ガス田の試掘許可を下ろしたが、後任として二階が経済産業大臣になると試掘は中止された。

書画展

NPO法人日中国会議員書画展実行委員会が運営する日中国会議員書画展へ書画を提供している。

新たな日中友好議連計画

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙後に、自民党元幹事長古賀誠、元内閣総理大臣森喜朗らとともに新たな日中友好議員連盟の結成を予定していると報じられた。

同年7月4日、中華人民共和国大使の王毅と大使公邸で懇談し、日中友好に関する協力を求めた。日中国交正常化35周年に合わせて日本と中華人民共和国が進める「2万人交流」プロジェクトが2007年秋にも達成されるのに合わせ、双方で記念式典を開催することで一致したとされる。2007年10月12日、その行事記念として中国人民解放軍交響楽団の日本公演が行われた。

日本ボアオ会

2015年11月、ボアオ・アジア・フォーラムを支援する日中友好団体として「日本ボアオ会」を立ち上げ、自ら会長に就任、発起人には前経団連会長の御手洗冨士夫やタレントの高木美保らが名を連ねた。

一帯一路

2017年5月、中国国家主席習近平の唱える一帯一路をテーマにした一帯一路国際協力サミットフォーラムへの出席のため、戦略的互恵関係を重視する旨が書かれた内閣総理大臣安倍晋三親書を携え、代表団団長として、経団連会長榊原定征経済産業副大臣松村祥史内閣総理大臣秘書官今井尚哉らを引率して訪中し、「日本も積極的に協力をする決意をもってうかがってる」「日本は一帯一路に最大限協力する」と述べた。

また、同サミット直前に行われた北朝鮮のミサイル発射については「こういう日に北朝鮮の行為は許されるものではない。強く日本国としても自民党としても抗議する」「日中両国を含む北東アジア地域および国際社会の安全保障に対する明らかな挑発行為だ」「日本は中国と緊密に連携する」と述べた。ただし、同サミットには北朝鮮の閣僚級も出席しており、同サミットに代表団を派遣していたアメリカ合衆国政府からも中国に懸念は表明されていた。同じく中国の主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)についても「参加をどれだけ早い段階で決断するかだ」と発言した。

2017年8月に自民党・公明党と中国共産党の間で行われた第6回日中与党交流協議会では一帯一路への協力を具体的かつ積極的に検討するとする共同提言をまとめた。

2019年4月の第2回一帯一路国際協力サミットフォーラムでは財政の健全性や透明性などを条件に「日本も協力していく」と述べ、持論である国土強靭化も自然災害対策のインフラ整備に必要と演説した。

共創

2017年12月での第7回日中与党交流協議会への参加のための訪中で中国共産党中央党校で講演した際に、現代日中関係の基礎である戦略的互恵関係を共に未来を創る「共創」に格上げすることを提唱した。また、「大国である中国と、それを追う日本が協力し、時に競争することも必要」とも述べてる。

清華大学名誉教授

2017年12月、清華大学から名誉教授の称号を授与される。

尖閣諸島

尖閣諸島問題に関しては棚上げ論者である。

日韓友好活動

2015年2月、1400人の訪問団を率いて韓国入りし、慰安婦問題解決を迫る大統領朴槿恵に「積極的な努力」を約束した。

2017年に韓国観光公社が最高級ホテルで平昌観光を促進のためにジャーナリストと旅行業関係者など約250人の日本人内で招待客の最高位であった。自民党の序列第2位の幹事長、日本全国旅行業協会会長としての挨拶した際には「(韓国人の)皆さんは、どんどん日本人が平昌オリンピック(のために韓国に)に来なければならないと言いますが、(日本人に)『謝罪せよ』という話をやめるのであれば行きます。日本人は最近、韓国旅行を恐れています。お金かけて、時間を費やして(韓国に)行くというのに『謝罪せよ』という言葉を聞かなければならない。それを(謝罪要求)しないという約束をしてくれるのであれば私も平昌訪問キャンペーンに率先して乗っていきましょう」と述べている。

過去の数々の韓国に対する功績に対して、韓国から最高位の国家勲章「金塔産業勲章」(1等級)を授与されている。日韓議員連盟常任幹事も務める。産経新聞前ソウル支局長の拘留問題(産経新聞韓国大統領名誉毀損問題)では、「われわれから新聞社の判断や韓国の司法がどうだとか、言うべきことではない」と発言している。河野談話の見直しについては「軽々しく口にすべきではない」として否定的な立場を示しており、元衆議院議長河野洋平の国会招致についても反対している。

2019年7月に日韓貿易紛争日韓関係が史上最悪とも評される中で韓日議員連盟会長の姜昌一が訪日した際は面会を中止して「物乞い外交に来たのではない」と姜昌一を激怒させた。

「金忠善」碑の建立

和歌山県和歌山市紀州東照宮沙也可顕彰碑を建立している。沙也可は加藤清正の配下であったが、文禄・慶長の役の際に朝鮮側に寝返り、日本側と戦ったとされる人物である。2015年に渡韓した際、ソウルで開かれた「韓日友好交流行事」でもモデルとして金忠善の例を挙げ、日韓友好を訴えた。

日本における外国人参政権

2003年2月11日、青瓦台で大統領秘書室長朴智元と会談し、在日外国人に対する参政権について「実現に向け、引き続き努力する」と述べた。

靖国神社問題

2003年2月11日、青瓦台で大統領秘書室長朴智元と会談し、自身が韓国の国立墓地「顕忠院」に参拝したことを紹介した上で、靖国神社に代わる新たな追悼施設について「必要性をあらためて認識した。実現のために努力したい」と述べた。その一方で、4月22日には靖国神社に参拝している。

韓国への苦言

しかし一方では、「世界津波防災の日」の制定に反対する韓国に対し、「日本が提案しているというだけで反対したがる特殊な国民性がある」と名指しで苦言を呈したこともある。2017年6月10日には、木浦(モッポ)市であった韓国国会議員らとの会合であいさつし、日韓の関係改善を妨げる動きが両国にあるとの認識を示した上で、「一握りの悪巧みをする連中は撲滅をしていくように。韓国の中にも一握りだけでもいるかも知れないが、見つけたら撲滅して」と述べた。

国対政治

「だんごの会」

自由党保守党時代に国会対策委員長を務め、自由民主党でも国対委員長を務めた。1999年の通常国会では、自民党国対委員長の古賀誠公明党国対委員長の草川昭三としばしば懇談し、3人は当時の流行歌『だんご3兄弟』をもじって「談合三兄弟」と呼ばれた。二階はこれを逆手に取り、自由党国対副委員長だった西川太一郎主催の形で、だんごを食べながら国政を語る「だんごの会」を企画した。「だんごの会」は会期末間近の8月8日に開催され、「3兄弟」揃って参加することで結束をアピールした。自自公連立政権成立に3人は大きな役割を果たしたとされ、その後も固いパイプを誇った。このため二階は党内ハト派の重鎮である一方、調整や根回しに優れる数少ない親分肌の党人派という顔も持っている。

郵政国会

馳浩によると、「その人脈と調整力と勝負カンの鋭さと気配りは、衆目の一致するところ」であるという。同じく馳によると、2005年の郵政国会では、民主党の筆頭理事(=中井洽)の弱みを利用し、中井の顔を立てる形で採決に協力させた。

北朝鮮への非難決議

2006年10月9日北朝鮮が核実験を行ったが、二階はあらかじめ6日に「週末に北朝鮮が核実験をもしも行ったら、世界で唯一の被爆国である日本は、強い抗議声明を国民総意として世界に発信しなければならない。そのためには、野党の国会対策責任者がその準備をしておかねばならない。祝日だからといって危機管理の対応が疎かになってはならん。いざという時には休日であっても集まって、本会議を開く準備をしておこう!!」と各党の国対委員長のもとに出向き頭を下げて要請していた。その結果、翌 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2020/05/29 08:41

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