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井上陽水とは?

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井上 陽水

【出生名】
井上 陽水(いのうえ あきみ)
【生誕】
(1948-08-30) 1948年8月30日(70歳)
日本 福岡県嘉穂郡幸袋町
(現・飯塚市幸袋地区)
【出身地】
日本 福岡県田川郡糸田町
【学歴】
福岡県立西田川高等学校卒業
【ジャンル】
フォークソング
ニューミュージック
アダルト・コンテンポラリー・ミュージック
フォーク・ロック
J-POP
【職業】
シンガーソングライター
音楽プロデューサー
【担当楽器】
ボーカル
ギター
【活動期間】
1969年 -
【レーベル】
CBSソニー
(1969年 - 1970年)
ポリドール・レコード
(1972年 - 1975年)
フォーライフ

フォーライフミュージックエンタテイメント
(1975年 - 2014年)
ユニバーサル・ミュージックジャパン / ZEN MUSIC
(2015年 - )
【共同作業者】
多賀英典
星勝
安全地帯
奥田民生
忌野清志郎
【公式サイト】
Yosui Inoue official site
ザ・ビートルズ
ボブ・ディラン
ミッシェル・ポルナレフ

井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年8月30日 - )は、日本シンガーソングライター作詞家作曲家音楽プロデューサー。本名・井上 陽水(いのうえ あきみ)。旧芸名:アンドレ・カンドレ

福岡県嘉穂郡幸袋町(現・福岡県飯塚市幸袋)生まれ・福岡県田川郡糸田町育ち。血液型はAB型。

目次

  • 1 人物
  • 2 経歴
    • 2.1 生い立ち
    • 2.2 アンドレ・カンドレ時代
    • 2.3 ポリドール時代
    • 2.4 フォーライフ時代〜第二次陽水ブームまで
    • 2.5 フォーライフ時代〜『九段』まで
    • 2.6 『GOLDEN BEST』とその後
  • 3 逸話、関連人物など
  • 4 作品
    • 4.1 シングル
      • 4.1.1 「アンドレ・カンドレ」名義
      • 4.1.2 「井上陽水」名義
      • 4.1.3 コラボレーション
    • 4.2 アルバム
      • 4.2.1 スタジオ・アルバム
      • 4.2.2 カバー・セルフカバーアルバム
      • 4.2.3 ライブ・アルバム
      • 4.2.4 ベスト・アルバム
      • 4.2.5 CD-BOX
      • 4.2.6 トリビュート・アルバム
      • 4.2.7 コンピレーション・アルバム
    • 4.3 関連作品
    • 4.4 映像作品
      • 4.4.1 PV
    • 4.5 「井上陽水奥田民生」名義
    • 4.6 タイアップ一覧
    • 4.7 楽曲提供
  • 5 出演
    • 5.1 音楽番組
    • 5.2 映画
    • 5.3 テレビドラマ
    • 5.4 CM
  • 6 書籍
    • 6.1 著書
    • 6.2 関連書籍
  • 7 脚注
  • 8 外部リンク

人物

2人目の妻・石川セリとの間に1男2女を儲ける。長女は作詞家・歌手の依布サラサ(本名・井上ニサ)。

身長178cm。

経歴

生い立ち

父は高知県幡多郡佐賀町(現黒潮町)出身の元軍医・井上若水(いのうえ・わかみ)であり、当時赴任していた京城(現在のソウル)で母と知り合い結婚している。終戦に伴い、母が地元の福岡県直方市に帰郷。追って父が引き揚げて、以降福岡に定住。

父は引き揚げ後は炭鉱で働いていたが、井上陽水が生まれてまもなく、福岡県田川郡糸田町歯科医院を開業。兄弟姉妹は姉1人、妹1人。

1953年、糸田町に引っ越す。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。

小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいねと褒められる少年であった。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオに熱中するようになる。

1963年、中学3年の時に小島正雄のラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、以降ビートルズに熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、休日には(当時出始めの)オープンリールのテープレコーダーでその歌を録音するなど、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。

家業を継いで歯科医になることを期待されていたため、1967年九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。二浪目の1969年帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ。ギターを見よう見まねで始める。1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めた。その後「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった。

アンドレ・カンドレ時代

1969年RKB毎日放送ラジオ番組スマッシュ!!11』が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は「カンドレ・マンドレ」を自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、『スマッシュ!!11』のディレクターの野見山実が難色を示し、芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は『スマッシュ!!11』で放送され、数多くのリクエストを受ける。ただしリクエストの大半は、陽水が友人(主に浪人仲間)にはがきを配ってリクエストを出すよう指令したためのものだったという。

放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、同年6月にレコーディングのため上京。「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし、同年9月1日、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)からアンドレ・カンドレとして同曲でデビュー。演奏は六文銭、編曲は小室等が担当したが、ほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わり、シングル3枚でアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになった。以後、ポリドール移籍までの約一年間、本人も語ろうとしない空白の一年が存在する。

ビートルズ狂いの経緯もあり、本人は自らをフォーク歌手とは全く思っていなかったが、当時一般には「ギターを持って歌う歌手はフォーク歌手」として認識されていたため、フォーク歌手的な扱いを受けることが多く、営業先で嫌な目にあう事がしばしばあり、これが後にホリプロから独立する遠因になった。

アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセション忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディランを薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた。

当時の映像として1970年公開の、和田アキ子主演映画『女番長 野良猫ロック』にモップスなどホリプロのアーティストと共に出演。「アンドレ・カンドレ」を歌うシーンがある(但し、レコード音源に合わせて歌う、いわゆる「リップシンク」)

ポリドール時代

1971年ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水-ようすい」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。

1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「傘がない」が収録されたアルバム『断絶』がリリースされる。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から。陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴ もどり道』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている。

1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。中川右介はこの曲がようやくヒットするまでの陽水は低迷していたと指摘している。

ポリドール時代には理由は諸説あるが殆どテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」から『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」を以降著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。1982年日本テレビのドラマ『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬』、1986年の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』で、サングラスを外し、髷のカツラをかぶって若き日の伊藤博文を演じている

1974年1月17日熊本県出身の女性と結婚する。

1975年、陽水・吉田拓郎泉谷しげる小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。

フォーライフ時代〜第二次陽水ブームまで

1976年2月、離婚。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。1977年、石川のアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。同年9月10日大麻所持容疑逮捕され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。9月22日保釈され、10月11日には懲役8か月、執行猶予2年の判決を受ける。この逮捕に関して筑紫哲也が、マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っていると発言し、援護を行っている。なお筑紫がキャスターを務めた『筑紫哲也 NEWS23』は、放送開始時のエンディングテーマを井上が担当していた。筑紫は番組を持つことになったとき、『傘がない』の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」というくだりが頭に浮かんだ、と回想している。この事件直後にリリースされたアルバム『"white"』は、オリコンチャートの3位を獲得した。『NEWS23』において、井上の曲は1997年9月までの8年間にわたって使われていた。

1978年8月30日、30歳の誕生日に石川と結婚、同年12月16日には長男が産まれている。

1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を務め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二は、その後BANANAなどの名前で陽水の作品に多く携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述の通りセールスは伸びなかったが、この時期の作品には「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」などが含まれている。

1981年1月、特別番組でテレビ初出演(詳細不明)。7月『夜のヒットスタジオ』で二度目のテレビ出演、生放送は初めて。8月『ザ・ベストテン』出演。初登場初出演(「いっそセレナーデ」)だったが、翌週は「法事があるから」という理由で出演を拒否している。

1982年バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場で行う。このコンサートで「夏の終りのハーモニー」を初披露、6万人の聴衆を動員しテレビ中継のほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録された。

フォーライフ時代〜『九段』まで

1988年9月1日、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病気で臥せっていた昭和天皇危篤になったため、声はカットされた。いしいひさいちは団欒中の家族に、窓を開けた陽水が「皆さんお元気ですか」と言うと一気にしらける、イラク軍の捕虜にこのCMを見せた途端、それまで騒がしかった捕虜たちが脱力しておとなしくなる、という作品を描いている。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。

1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。リリース直後はそれほどでもなかったが、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMに使われてから売り上げを伸ばした。シングル「少年時代」はロングセラーとなった。当初は藤子不二雄Aの作詞という話であったが、出来上がってみると藤子の歌詞はまったく使われていなかった。

1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-up Shadow」(2007年にはトヨタ・ブレイドのTVCFソングとしても使われた)で、第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する。

このころからリリースのペースが落ち始める。1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表してから、次のアルバム『九段』(1998年)までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年末から1999年9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。

1996年PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生である(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名でリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものと言えよう。「ありがとう」はリリースされた1997年サッポロビール・「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってヒットする。

『GOLDEN BEST』とその後

1999年、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベスト・アルバム『GOLDEN BEST』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラーとなった後も売り上げを伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD』が、『GOLDEN BEST』の売り上げが200万枚を突破した2003年には記念として『GOLDEN BEST SUPER』が発売される。

2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒット。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD『UNITED TOUR』として発売される。このアルバムに関して小林信彦は『週刊文春』2002年10月10日号の連載コラム「人生は五十一から」で、陽水がラジオでプロモーションをしているのを聞いたが、フォークの長老である自分が歌謡曲のような低いものを歌ってやるんだという態度がモロに出ていたと感じたためか、出来には感心しなかった。それならPRになんか出なければいいのに、と記している。

2002年には4年振りの新作『カシス』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『Blue Selection』をリリース。1999年から2006年までは、2004年を除いて毎年全国ツアーを行うなど、歌うことに関しては活発だが、自作の新曲は少なくなっている。

2006年にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『LOVE COMPLEX』をリリース。2008年もツアー活動を行いつつ、『弾き語りパッション』と『BEST BALLADE』の2作を発表している。2009年にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる日本武道館公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌2010年には4年半振りとなるオリジナル・アルバム『魔力』をリリースしている。

2014〜2015年「井上陽水 氷の世界ツアー」を行う。40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を全曲歌う、という内容のツアーだった。

2015年、40年ぶりにポリドールの流れを組むユニバーサル・ミュージックに復帰することが発表された。

逸話、関連人物など

 | 
この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2009年7月)

作品

(リリースリストの表にある各項目の矢印をクリックすると当該項目にジャンプ)

'井上陽水'(アンドレ・カンドレ、コラボレーション含む)のディスコグラフィ
リリースリスト
スタジオ・アルバム 24
ライブ・アルバム 4
コンピレーション・アルバム 15
シングル 50
映像作品 6

シングル

「アンドレ・カンドレ」名義

発売日 タイトル 収録曲 備考 最高位
CBSソニー
1st | 
1969年9月1日
 | カンドレ・マンドレ | カンドレ・マンドレ |  | -
終りがないのは | 
2nd | 
1969年12月5日
 | ビューティフル・ワンダフル・バーズ | ビューティフル・ワンダフル・バーズ |  | -
闇の中で | 
3rd | 
1970年10月
 | 花にさえ、鳥にさえ | 花にさえ、鳥にさえ |  | -
さあ、おぬぎ | 

「井上陽水」名義

発売日 タイトル 収録曲 備考 最高位
ポリドール・レコード
1st | 
1972年3月1日
 | 人生が二度あれば | 人生が二度あれば |  | -
断絶 | 
2nd | 
1972年7月1日
 | 傘がない | 傘がない |  | 69位
感謝知らずの女 | 
3rd | 
1973年3月1日
 | 夢の中へ | 夢の中へ |  | 17位
いつのまにか少女は | 
4th | 
1973年9月21日
 | 心もよう | 心もよう |  | 7位
帰れない二人 | 
5th | 
1974年4月1
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/07/24 15:40

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