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井出竜也とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
山梨県南都留郡河口湖町
(現:富士河口湖町)
【生年月日】
(1971-04-19) 1971年4月19日(48歳)
【身長
体重】
179 cm
86 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
外野手
【プロ入り】
1993年 ドラフト2位
【初出場】
1995年4月1日
【最終出場】
2005年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


コーチ歴

  • 福岡ソフトバンクホークス (2007 - )

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


井出 竜也(いで たつや、1971年4月19日 - )は、山梨県南都留郡河口湖町(現:富士河口湖町)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。2007年より福岡ソフトバンクホークスコーチとなり、現在は二軍外野守備走塁コーチを務めている。

経歴

アマチュア時代

河口湖南中学から吉田高校に進み、エースとして3年夏に選手権大会に出場。1回戦では小松島西、2回戦では前田智徳を擁する熊本工をそれぞれ完投で破っている。高校卒業後は社会人野球日本通運に進み、外野手に転向。3年目の1992年には都市対抗の初戦で中堅手としてスタメン出場し、先制本塁打を放っている。

1993年アジア選手権日本代表に選ばれ、社会人No.1野手という評価を得て西武ヤクルト巨人の3球団を希望し、特に西武とは一時ほぼ合意に達したと見られていた。しかし指名の確約に至らなかった事から2位指名という条件で強く誘ってきた日本ハム逆指名した。同年のドラフト会議において日本ハムに2位指名され、契約金と年俸それぞれ1億3,000万円、1,200万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる。

プロ野球選手時代

日本ハム時代

走力と強肩は入団前からプロでも1線級のレベルにあると言われたが、1年目は1軍出場はできなかった。

2年目の1995年に1軍出場を果たすと、打率.228、9本塁打と不振だったが129試合に出場し中堅手の定位置を確保した。

1996年は初めてシーズン100安打を放ち、打率.254と前年より確実性を見せた。

1997年オールスターに初めて選ばれ、第2戦に先発出場している。最終的に打率.284の成績を残した。同年はゴールデングラブ賞を初めて受賞した。

1998年は前年の活躍から一転して不振に陥り、100安打未満に終わってしまった。

1999年は出場機会が減り、60試合の出場にとどまった。

2000年4月1日開幕戦で守備の際にチームメートと交錯して首の捻挫で1ヶ月半に渡って休んだが、自己最高となる13本塁打、56打点を上げている。

2001年はパンチ力があって走れるトップバッターとして大島康徳監督から期待をかけられたが、開幕直前に持病の腰痛を発症して一軍復帰は4月下旬となった。5月1日大阪ドームにおける対近鉄6回戦で一番・中堅手として先発出場し、プレイボール直後の高村祐が投じた初球を本塁打にした。その後両チームとも得点できず、日本ハムがプロ野球史上初の初球本塁打による1-0の勝利を達成している。同年もパンチ力を見せ、11本塁打を放ち、打率も自己最高の.288を記録した。

2002年8月24日近鉄19回戦では6回に代打で出場し、ジェレミー・パウエルから右前へ安打を放った。これを鷹野史寿が後逸した間に一気に生還し、高沢秀昭以来11年ぶりとなる代打でのランニングホームランを記録している。同年は打撃不調で規定打席にはわずかに到達しなかったが、2度目のゴールデングラブ賞に選ばれた。オフには700万円減の年俸6,100万円(推定)で契約を更改している。

2003年は故障もなくシーズンを迎えたが、新監督のトレイ・ヒルマンからはオープン戦で一度も起用されず開幕から2ヶ月間にわたって二軍生活が続き、処遇に納得できなかったという。結局82試合の出場に終わった。同年オフの12月12日入来祐作との交換トレードで巨人に移籍。

巨人時代

2004年の巨人にはタフィ・ローズ清水隆行高橋由伸らがいたが、貴重な右打ちの外野手として守備力と長打力を評価され、アテネ五輪で高橋がチームを離れる際の右翼手としても期待されていた。シーズンに入ると守備要員として起用されたが打撃の方は打率.043と振るわず、41試合の出場に留まり10月7日戦力外通告を受け、わずか1年で退団した。同年12月9日ダイエーへ移籍し、年俸2,200万円(推定)で契約を結んでいる。

ソフトバンク時代

移籍1年目の2005年は守備固めや、対左投手の先発としても起用され、77試合に出場した。だが打撃では.182と振るわなかった。

2006年は1軍出場無しに終わり、この年のオフに現役引退を表明した。

現役引退後

同年10月18日にソフトバンクの二軍外野守備走塁コーチに就任することが発表されたが、その1ヶ月後の同年11月26日五十嵐章人が招聘されて二軍外野守備走塁コーチを務めることが決定したため、一軍外野守備走塁コーチへの昇格が発表された。2013年は三軍外野守備走塁コーチ、2014年は二軍外野守備走塁コーチを務める。また2016年12月に台湾で行われたアジアウインターベースボールリーグではNPBウエスタン選抜の監督を務め、見事優勝監督となり胴上げされた。

エピソード・人物など

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1995 | 日本ハム | 129 | 475 | 421 | 45 | 96 | 14 | 2 | 9 | 141 | 46 | 12 | 5 | 16 | 4 | 33 | 0 | 1 | 109 | 2 | .228 | .283 | .335 | .618
1996 | 122 | 472 | 414 | 44 | 105 | 13 | 5 | 7 | 149 | 38 | 11 | 10 | 20 | 2 | 34 | 3 | 2 | 85 | 7 | .254 | .312 | .360 | .672
1997 | 135 | 590 | 521 | 75 | 148 | 27 | 5 | 8 | 209 | 45 | 27 | 10 | 5 | 3 | 59 | 1 | 2 | 101 | 12 | .284 | .357 | .401 | .758
1998 | 130 | 334 | 296 | 38 | 64 | 11 | 2 | 6 | 97 | 28 | 10 | 5 | 15 | 3 | 20 | 0 | 0 | 56 | 4 | .216 | .263 | .328 | .591
1999 | 60 | 211 | 179 | 34 | 46 | 8 | 2 | 7 | 79 | 26 | 8 | 2 | 9 | 2 | 21 | 0 | 0 | 27 | 2 | .257 | .332 | .441 | .773
2000 | 103 | 447 | 378 | 71 | 101 | 15 | 6 | 13 | 167 | 56 | 14 | 5 | 15 | 3 | 50 | 2 | 1 | 71 | 7 | .267 | .352 | .442 | .794
2001 | 109 | 488 | 427 | 66 | 123 | 20 | 2 | 11 | 180 | 35 | 14 | 6 | 7 | 5 | 46 | 1 | 3 | 89 | 6 | .288 | .358 | .422 | .780
2002 | 120 | 421 | 376 | 44 | 85 | 22 | 1 | 13 | 148 | 38 | 5 | 3 | 4 | 5 | 30 | 3 | 6 | 94 | 6 | .226 | .290 | .394 | .684
2003 | 82 | 210 | 189 | 26 | 49 | 14 | 0 | 4 | 75 | 20 | 3 | 0 | 0 | 0 | 21 | 1 | 0 | 46 | 1 | .259 | .333 | .397 | .730
2004 | 巨人 | 41 | 27 | 23 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 14 | 1 | .043 | .185 | .087 | .272
2005 | ソフトバンク | 77 | 63 | 55 | 4 | 10 | 4 | 0 | 1 | 17 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 7 | 1 | 0 | 17 | 1 | .182 | .274 | .309 | .583
通算:11年 1108 | 3738 | 3279 | 450 | 828 | 149 | 25 | 79 | 1264 | 336 | 105 | 46 | 92 | 27 | 325 | 12 | 15 | 709 | 49 | .253 | .320 | .385 | .705

年度別守備成績

【年
度】
【球
団】
外野
【試

合】















1995 | 日本ハム | 129 | 268 | 9 | 3 | 2 | .989
1996 | 120 | 271 | 8 | 1 | 3 | .996
1997 | 135 | 313 | 12 | 3 | 1 | .991
1998 | 121 | 231 | 2 | 4 | 1 | .983
1999 | 56 | 102 | 7 | 1 | 2 | .991
2000 | 103 | 241 | 5 | 3 | 2 | .988
2001 | 103 | 223 | 5 | 0 | 2 | 1.000
2002 | 119 | 248 | 8 | 1 | 3 | .996
2003 | 78 | 97 | 3 | 1 | 2 | .990
2004 | 巨人 | 29 | 21 | 0 | 1 | 0 | .955
2005 | ソフトバンク | 17 | 18 | 1 | 0 | 0 | 1.000
通算 1010 | 2033 | 60 | 18 | 18 | .991

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

代表歴

脚注

注釈

  1. ^ なお、初回表先頭打者本塁打による1-0の試合は2009年までにセ・パ両リーグ合わせて5例ある。
  2. ^ 三軍創設前のソフトバンクには一軍監督コーチの背番号を80 - 89、二軍監督・コーチの背番号を70 - 79で統一するという慣習があったため。

出典

  1. ^ asahi.com 第71回全国高校野球選手権大会 吉田 対 小松島西
  2. ^ asahi.com 第71回全国高校野球選手権大会 吉田 対 熊本工
  3. ^ 毎日新聞、1992年9月4日付朝刊、P.21
  4. ^ 毎日新聞、1992年12月3日付朝刊、P.21
  5. ^ 毎日新聞、1993年11月6日付朝刊、P.21
  6. ^ スポニチ 日めくりプロ野球 【5月1日】2001年 井出竜也 初球先頭打者本塁打で史上初の“スミ1球”勝利 Archived 2016年3月4日, at the Wayback Machine.
  7. ^ 毎日新聞、1993年11月23日付朝刊、P.21
  8. ^ 毎日新聞、1993年11月13日付朝刊、P.20
  9. ^ 毎日新聞、2001年1月13日付朝刊、山梨地方面
  10. ^ 毎日新聞、2002年12月6日付朝刊、P.17
  11. ^ 読売新聞、2004年3月20日付朝刊、山梨地方面
  12. ^ 読売新聞、2004年12月11日付朝刊、P.20
  13. ^ 2016アジアウインターベースボールリーグ(AWB)NPBメンバー一覧”. NPB.jp (2016年11月22日). 2017年10月21日閲覧。
  14. ^ 過去20年で最高の外野手は誰だ?~記録で見る真実の「守備力」~プロ野球 - Number Web - ナンバー、2016年3月17日閲覧。

関連項目

外部リンク

福岡ソフトバンクホークス 2020
監督 | 

81 工藤公康


一軍コーチ | 

二軍監督・コーチ | 

三軍監督・コーチ | 

投手 | 

捕手 | 

内野手 | 

外野手 | 

育成選手 | 

制限選手 | 


パシフィック・リーグ ゴールデングラブ賞(外野手)
1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 
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