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京王電鉄とは?

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確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。(2011年9月)
京王電鉄株式会社
Keio Corporation

京王電鉄本社(東京都多摩市)

種類
株式会社
【市場情報】
東証1部 9008

【略称】
京王
【本社所在地】
日本
206-8502
東京都多摩市関戸一丁目9番地1
北緯35度39分4.8秒 東経139度26分53.6秒 / 北緯35.651333度 東経139.448222度 / 35.651333; 139.448222座標: 北緯35度39分4.8秒 東経139度26分53.6秒 / 北緯35.651333度 東経139.448222度 / 35.651333; 139.448222
【本店所在地】
160-0022
東京都新宿区新宿三丁目1番24号
(京王新宿三丁目ビル)
北緯35度41分24.7秒 東経139度42分19.6秒 / 北緯35.690194度 東経139.705444度 / 35.690194; 139.705444
【設立】
1948年(昭和23年)6月1日
業種
陸運業
法人番号
3011101005999
【事業内容】
旅客鉄道事業 他(鉄道事業、土地・建物の賃貸業・販売業など)
【代表者】
代表取締役会長 永田正
代表取締役社長 紅村康
【資本金】
590億2300万円(2012年3月末現在)
【発行済株式総数】
1億2855万830株
(2017年10月1日現在)
【売上高】
単体:1217億3400万円
連結:4080億3900万円
(2015年3月期)
【営業利益】
単体:233億4700万円
連結:338億4500万円
(2015年3月期)
【純利益】
単体:87億7400万円
連結:172億4800万円
(2015年3月期)
【純資産】
単体:2099億400万円
連結:3077億2600万円
(2015年3月期)
【総資産】
単体:6891億5900万円
連結:7824億2200万円
(2015年3月期)
【従業員数】
単体:2,386人 連結:約20,000人
(2016年3月31日現在)
【決算期】
毎年3月31日
【会計監査人】
有限責任あずさ監査法人
【主要株主】
日本生命保険相互会社 4.78%
太陽生命保険株式会社 4.56%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口)3.73%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 3.65%
三井住友信託銀行株式会社 2.84%
(2016年3月31日現在)
【主要子会社】
京王グループを参照
【関係する人物】
井上篤太郎(創業者)
穴水熊雄(元社長)
五島慶太(大東急総帥)
三宮四郎(初代社長)
井上定雄(元社長)
三枝正幸(元社長)
加藤奐(元社長)
【外部リンク】
https://www.keio.co.jp/

京王電鉄株式会社(けいおうでんてつ、: Keio Corporation)は、東京都南西部から神奈川県北部に鉄道路線を有する鉄道事業者で、大手私鉄の一つである。京王グループの中核企業。略称は京王(けいおう)。日経225(日経平均株価)の構成銘柄の一社。

京王という名称の由来は、を結ぶ鉄道であることから。また、旧京王電気軌道と旧帝都電鉄(共に後述)の路線で発足した経緯から、1998年6月30日まで京王帝都電鉄(けいおうていとでんてつ、略称:京王帝都・京帝、英称:Keio Teito Electric Railway、英略称: KTR)という社名であった。パスネットの符丁はKO。

目次

  • 1 歴史
    • 1.1 京王電気軌道・玉南電気鉄道
      • 1.1.1 年表
    • 1.2 帝都電鉄(小田原急行鉄道時代も含む)
      • 1.2.1 年表
    • 1.3 大東急時代
      • 1.3.1 年表
    • 1.4 京王帝都電鉄へ
      • 1.4.1 年表
    • 1.5 京王電鉄
      • 1.5.1 年表
    • 1.6 歴代経営陣
  • 2 社章
  • 3 路線
    • 3.1 京王線系統
      • 3.1.1 現有路線
      • 3.1.2 廃止路線
      • 3.1.3 未成路線
    • 3.2 井の頭線系統
      • 3.2.1 現有路線
      • 3.2.2 廃止路線
      • 3.2.3 未成路線
  • 4 一日平均乗降人員上位20駅
  • 5 車両
    • 5.1 車体
    • 5.2 技術
    • 5.3 保安装置
    • 5.4 方向幕・ヘッドマーク・ラッピング
    • 5.5 所属・運用など
    • 5.6 優先席
    • 5.7 女性専用車両
    • 5.8 防犯カメラ
    • 5.9 現用車両
      • 5.9.1 京王線系統
      • 5.9.2 井の頭線
    • 5.10 過去の車両
      • 5.10.1 京王線系統
      • 5.10.2 井の頭線
    • 5.11 付番方法
  • 6 車両基地
  • 7 運転関係
    • 7.1 ダイヤ
    • 7.2 座席指定列車「京王ライナー」
    • 7.3 特急列車
  • 8 運賃
  • 9 割引乗車券
  • 10 グループ企業
  • 11 その他特記事項
    • 11.1 駅
    • 11.2 旅客案内ディスプレイと鉄道運行情報メール配信サービス
    • 11.3 連続立体交差事業
    • 11.4 CM・ドラマ撮影
    • 11.5 イメージキャラクター
    • 11.6 鉄道関連商品の許諾
    • 11.7 その他
  • 12 脚注
    • 12.1 注釈
    • 12.2 出典
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

歴史

現在の京王電鉄は、元々資本の異なる旧京王電気軌道(京王線の営業をしていた会社)と旧帝都電鉄(井の頭線の営業をしていた会社)が、第二次世界大戦時の戦時統制を経て発足したため、それぞれ個別に記述する。

京王電気軌道・玉南電気鉄道

現在の京王電鉄の歴史は、1905年(明治38年)12月12日に、日本電気鉄道株式会社が関係官庁に電気鉄道敷設を出願したことにまで遡る。この時出願した路線は、官設鉄道蒲田駅から調布町府中町を経て甲武鉄道立川駅に至る路線と、府中で分岐し内籐新宿に至る路線の二つであった。

日本電気鉄道は1906年(明治39年)8月18日武蔵電気軌道株式会社と改称し、新たに立川村内と府中 - 国分寺間の路線を出願するとともに既に出願していた鉄道路線計画を変更し、蒲田 - 立川間の調布以北と府中 - 新宿間を合体させ残る蒲田 - 調布間を国領で分岐し蒲田に至る路線として分離した。この時の経路が現在の京王線の基となっている。

その後、別に武蔵電気鉄道株式会社という会社が現れたため、1910年(明治43年)4月12日に、武蔵電気軌道が京王電気軌道株式会社と改称し、9月21日資本金125万円で設立され、鬼怒川水力電気取締役の川田鷹が取締役会長に、初代専務取締役(社長)に鬼怒川水力電気社長利光鶴松(小田急電鉄帝都電鉄の創業者)の親族である利光丈平が就任した。しかし、まだ鉄道路線は有していないため、当初の営業は1911年(明治44年)7月4日に関係官庁より許可が出た電気供給事業のみ執り行っており、1912年(明治45年)8月から調布町・多磨村・府中町・西府村に電気供給を行っていた。

そして、1913年(大正2年)4月8日に、玉川電鉄東京電燈から買った電力を笹塚変電所 (100kW) で受けて、4月15日笹塚駅 - 調布駅間の12.2キロの電車営業と、電車の補助機関として新宿駅 - 笹塚駅間及び調布駅 - 国分寺駅間の乗合自動車営業(路線バス事業)を開始した。しかし、京王線の建設資金に窮し、森村財閥の融資系列に入り、富士瓦斯紡績井上篤太郎(第3代専務)、藤井諸照(会長)が経営陣に参画することになる。その後は1914年(大正3年)11月19日の京王線の新町駅(現存せず) - 笹塚駅間の延伸を皮切りに、1915年(大正4年)5月30日には新宿追分駅(新宿3丁目付近にある追分交差点にあった駅 現・京王新宿三丁目ビルの位置) - 新町駅間が、1916年(大正5年)6月1日には調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間が、10月31日には調布駅 - 府中駅間が延伸開業した。また、1923年(大正12年)5月1日には新宿駅 - 府中駅間の全線複線化も行っている。このほか、1919年(大正8年)4月には多摩川原駅前での造園事業も行った。

また、電車運転の余力の売電も行い、1914年(大正3年)10月から国分寺村に、1915年(大正4年)8月から谷保村立川村に、同年10月から小平村田無村に、同年11月から保谷村に、1916年(大正5年)1月から拝島村に、同年2月から中神村他七カ村連合に、同年7月から神代村和田堀内村千歳村高井戸村松原村に、1917年(大正6年)3月から三鷹村に、同年8月から砧村に、1919年(大正8年)4月から稲城村に供給した。1922年(大正11年)12月に東京電燈の立川変電所から500 kW の受電を開始し、1923年(大正12年)3月から狛江村への電気供給を開始した。

一方、府中駅 - 東八王子駅(現・京王八王子駅)間は、1922年(大正11年)に設立された京王の関連会社である玉南電気鉄道株式会社によって1925年(大正14年)3月24日に営業を開始した。これは国からの補助金を得るため、府中駅 - 東八王子駅間を軌道法に基づく京王電気軌道ではなく、新たに設立した地方鉄道法に基づく新会社(玉南電気鉄道株式会社)により敷設を行ったものである。しかしながら免許路線が官営の中央本線に並行していることを理由に、京王・玉南が当てにしていた補助金は認められなかった。

その後、1926年(大正15年)12月1日に京王電気軌道が玉南電気鉄道を併合し、資本金1290万円の会社となる。1927年(昭和2年)6月1日に玉南鉄道線(府中駅 - 東八王子駅間)を1,067 mm から1,372 mm へ改軌する工事が終了し、全線軌道法による直通運転を開始した。しかし、新宿駅から東八王子駅まで乗り換えなしでは行けない状況は1928年(昭和3年)5月22日ダイヤ改定まで続いた。

1931年(昭和6年)3月20日には、初の支線である御陵線(北野駅 - 御陵前駅間)が開通したり、1932年(昭和7年)4月の高尾登山鉄道との連帯運輸の開始を皮切りに、帝都電鉄省線電車などとも連帯運輸を行うこととなる。また、御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道の軌道線も1938年(昭和13年)6月1日に買収し、一旦「京王電気軌道八王子線」(後に高尾線)としていたが、翌1939年(昭和14年)6月30日をもって休止、同年廃線にしている。

後の1937年(昭和12年)2月に資本系列が森村財閥から大日本電力に移り同社専務の穴水熊雄が社長に就任、沿線の乗客誘致政策が積極化することとなる。具体的には駅名の改称であり、例を挙げるならば、京王車庫前駅 → 桜上水駅・上高井戸駅 → 芦花公園駅・多磨駅 → 多磨霊園駅・関戸駅 → 聖蹟桜ヶ丘駅・百草駅 → 百草園駅・高幡駅 → 高幡不動駅・多摩川原駅 → 京王多摩川駅、など観光地であることを強調する駅名にしている。これらの駅名は、観光地駅としての地位についてはともかく、現在まで引き継がれ親しまれており、一定の先見の明があった施策といえる。

また、乗合自動車事業は1938年(昭和13年)3月の武蔵中央電気鉄道のバス事業(八王子市街地で運行)買収を皮切りに、高幡乗合自動車株式会社(高幡不動駅 - 立川駅間で運行)と由木乗合自動車株式会社(八王子駅 - 由木(現在の京王堀之内駅南大沢駅周辺の地域名称) - 相模原駅間で運行)の買収を行っている。

他にも、新事業として1938年(昭和13年)11月不動産事業を開始した。

しかし、第二次世界大戦の勃発で、1942年(昭和17年)前半には、陸上交通事業調整法に基づき、東京市内のバス路線の東京都への譲渡や、配電統制令により電力供給事業を関東配電株式会社(東京電力の前身)に譲渡することとなり、経営に大打撃を被る。そして、1944年(昭和19年)5月31日には陸上交通事業調整法に基づき東京西南地区の私鉄は1つに統合されることとなり、大株主であった大日本電力は、長年京王電気軌道と競合関係にあった東京急行電鉄株式を譲渡することとなり、いわゆる大東急の一員となる。京王は東急に吸収合併され、京王電気軌道は法人としては解散・消滅した。この合併で、会長の井上篤太郎は東急相談役に、井上の片腕であった取締役の後藤正策(後に京王帝都電鉄取締役)と、社長の穴水熊雄の次男穴水清彦(後に相模鉄道社長・会長)は、東急取締役に就任した。

年表

帝都電鉄(小田原急行鉄道時代も含む)

一方、井の頭線は、鬼怒川水力電気系列の帝都電鉄株式会社が同社の渋谷線として1933年(昭和8年)8月1日渋谷駅 - 井の頭公園駅間を開業させ、1934年(昭和9年)4月1日吉祥寺駅まで全通させたものである。

元々、同社は1928年(昭和3年)9月24日に設立された鬼怒川水力電気系列の東京山手急行電鉄株式会社がそもそもの母体である。1930年(昭和5年)11月15日東京郊外鉄道株式会社と社名を変更して、1931年(昭和6年)2月1日には1927年(昭和2年)7月に設立されていた渋谷急行電気鉄道株式会社を合併し、同社が計画中の渋谷線を継承した。そして、1933年(昭和8年)1月19日に帝都電鉄株式会社に改称した。理由は1932年(昭和7年)10月1日に沿線町村のほとんどが東京市に合併されたことにより、「郊外」の社名がふさわしくなくなったからとされている。

また、同社は1935年(昭和10年)には乗合自動車事業も開始したが、1940年(昭和15年)5月1日付けで同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道株式会社に合併され、小田原急行鉄道帝都線となる。さらに1941年(昭和16年)3月1日には親会社である鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併し、小田急電鉄株式会社に改称、小田急電鉄帝都線となる。そして1942年(昭和17年)5月1日には陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄株式会社は京浜電気鉄道株式会社と共に東京横浜電鉄株式会社に合併し、東京急行電鉄株式会社(いわゆる大東急)の一員となり、小田急電鉄帝都線は、東急井の頭線に改称される。

なお、大東急になる前の小田急電鉄は、主軸の電力部門を電力国家管理政策に基づき国家へ取り上げられた上、中華民国山東半島への鉱業進出が裏目に出て経営が悪化し、先行きが暗かった。加えて、経営者である利光鶴松が高齢を理由に、小田急の経営一切を自分が見込んだ東京横浜電鉄五島慶太に託して引退。事実上同社に身売りした。当然この背後には陸上交通事業調整法に基づく戦時交通統制があるが、小田急電鉄の場合、京王電気軌道と異なり、あくまで自主的に統合に加わったのであった。

年表

大東急時代

第二次世界大戦中、京王線も井の頭線も、大東急の路線となった。

京王線は、東京急行電鉄京王営業局(→京王管理部→京王支社)によって、井の頭線は東京急行電鉄渋谷営業局(→渋谷管理部→渋谷支社)によって、それぞれ営業が行われた。しかし、戦局が悪化する中、京王線・井の頭線共空襲などで様々な被害を受けた。とりわけ井の頭線は永福町車庫が被災し壊滅に近い状態となった。また、京王御陵線は「不要不急線」と判断され、営業休止(事実上の廃線)に追い込まれた。大東急時代に、空襲被災のため、陸軍工兵隊を動員したターミナル駅の京王新宿駅を新宿三丁目から西新宿への移転や、軌道から地方鉄道への変更が行われ、中央本線八王子駅への乗り入れ計画など(実現せず)、京王線の体質改善が計画されたが、間もなく、大東急は分割再編成に向かう。

年表

京王帝都電鉄へ

第二次世界大戦も終結し、京王線と井の頭線は、京王帝都電鉄株式会社の下で営業されることとなる。東京急行電鉄が、新たに新設した子会社・京王帝都電鉄に、事業と資産の一部を譲渡する分離方式が採られた。京王帝都電鉄は、分離の翌期に株式市場に上場して、金融機関などの他の株主資本が入ることで独立を果たした。

元来、京王電気軌道も、帝都電鉄も鬼怒川水力電気の利光鶴松が企図した事業であったが、その後の沿革が異なる両線が同一会社となったのは、京王線がまだ路面電車当時の設備のままで脆弱であったこと、また戦前の京王電気軌道のもう一つの主力であった配電事業が失われたこと、東都乗合自動車(現・国際興業バス)・藤沢自動車(現・神奈川中央交通)・中野乗合自動車(現・関東バス)などのバス会社や観光事業であった京王閣などの有力系列会社が傘下から離れていったことに起因する。

京王線は、京急線や小田急線とは違い、高速鉄道化が遅れ、車両や鉄道用地の規格が小さく、戦災による被災車両が発生しても、他線からの車両の融通や、新製車両の配備も行われなかった。また、東急本社も、車両、線路、設備の改良や新規の投資も行う余裕がなく、京王線は東急合併のメリットを享受できなかった。いわば、戦前の経営を支えた付帯事業を失い、戦災被害を受けたままの鉄道事業のみで自立しなければならない現状であった。そのため、京王線のみの分離では戦前の京王電気軌道よりも経営基盤が弱くなり、独立が危ぶまれていたのである。

実際に井の頭線を路線に加えるように推進したのは、当時の東急京王支社長の職にあった井上定雄(後の京王帝都電鉄社長)であり、五島慶太はむしろこの案にためらったと言われる。京王線と井の頭線は沿線が重複し、合体することで強固な経営基盤が築け、また井上は帝都電鉄出身であったため、自分の案なら古巣の井の頭線の連中も十分説得できると自信を持っていたとされる。井の頭線は駅の過半数が京王線以北にあることから、多くの沿線住民にとって京王の管轄の方が便利でもあった。

東急からの譲受価格は総額5115万2800円で、前述の事情から、鉄道事業の補填のため、東京横浜電鉄が戦前経営していた京王線以北の乗合バス路線も京王帝都電鉄が譲り受けた。このほか、初代社長に東急(目黒蒲田電鉄)生え抜きの三宮四郎が就任したこともあり(なお、新生小田急の初代社長は旧小田急出身の安藤楢六、京急初代社長は京浜電鉄出身の井田正一だった)、京王電気軌道の復活と言うよりは、新たな合併私鉄が誕生した趣きで再出発を期した。

当初の経営状況は不安定であった。1948年度は現在の「大手私鉄」の中でも収益は最下位で、1949年の『会社四季報』にも、「(東急系)四社の中で一番劣る」、「前途は芳しくない」、「労資関係も良くない」、「発展性は薄い」などと酷評される有り様であった。 戦災復旧、設備の改良など、巨額の投資を余儀なくされた一方、国鉄下河原線の払い下げ出願(実現せず)、競馬場線の建設計画のほか、収支改善のために、バス事業など付帯事業の強化を推進し、1955年(昭和30年)の高尾自動車株式会社の買収を始めとしたバス事業に本腰を入れる様になると共に、1956年(昭和31年)の京王百花苑(現・京王フローラルガーデンANGE)の開園や1959年(昭和34年)の京王食品株式会社(現・京王ストア)、1961年(昭和36年)の京王百貨店の設立など、沿線価値を上げる事業も開始した。

また、1960年代には、新宿地下駅の営業開始など、軌道線イメージからの脱却にも力を入れた。このほかにレジャー輸送を主にする競馬場線多摩動物公園線高尾線多摩ニュータウンに直結する相模原線の開業や、東京都交通局(都営地下鉄)新宿線との相互直通乗り入れ開始など、発展の道を歩んだ。

なお、1960年頃には、数多くの路線を建設しようとしており、立川線( ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/04/05 23:43

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