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京阪電気鉄道とは?

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京阪電気鉄道株式会社
Keihan Electric Railway Co., Ltd.

ロゴ(左)と社章(右)
本社(大阪マーチャンダイズ・マートビル)

種類
株式会社
【略称】
京阪、京阪電鉄、京阪電車
【本社所在地】
日本
540-6591
大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号(OMMビル)
【本店所在地】
573-0032
大阪府枚方市岡東町173番地の1
(京阪電気鉄道枚方事務所)
【設立】
2015年(平成27年)4月1日
(京阪電気鉄道分割準備株式会社)
業種
陸運業
法人番号
5120001189816
【事業内容】
鉄道事業
レジャー事業
【代表者】
代表取締役会長 加藤好文
代表取締役社長 中野道夫
【資本金】
1億円
【決算期】
3月31日
【主要株主】
京阪ホールディングス(株) 100%
(2016年4月1日現在)
【関係する人物】
渋沢栄一
岡崎邦輔
渡邊嘉一
土居通夫
太田光凞
佐藤一男
村岡四郎
青木精太郎
角田寛
宮下稔
金馬昭朗
佐藤茂雄
上田成之助
【外部リンク】
www.keihan.co.jp
特記事項:2016年4月1日、同日に純粋持株会社に移行した(旧)京阪電気鉄道株式会社(現商号は京阪ホールディングス株式会社)より吸収分割にて事業を継承、京阪電気鉄道分割準備株式会社より現商号に変更。
(旧)京阪電気鉄道の設立日は1906年(明治39年)11月19日1949年(昭和24年)12月1日

京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英称:Keihan Electric Railway Co., Ltd.)は、大阪府京都府滋賀県に路線網を持つ日本大手私鉄京阪ホールディングスの子会社である。通称は京阪電鉄または京阪電車で、略称は京阪

本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)内、登記上の本店所在地は大阪府枚方市岡東町173番地の1である。営業キロ程は91.1 km(2008年10月19日現在)。

京阪電気鉄道と、その子会社75社(有価証券報告書への記載義務のある連結子会社および有価証券報告書への記載義務のない非連結子会社を合わせた全子会社数)、および持分法適用関連会社3社から構成されている京阪グループの中核企業である。

目次

  • 1 概要
  • 2 社章・シンボルマーク
  • 3 歴史
  • 4 年表
    • 4.1 畿内電気鉄道
    • 4.2 初代・京阪電気鉄道
    • 4.3 京阪神急行電鉄
    • 4.4 2代・京阪電気鉄道
    • 4.5 3代・京阪電気鉄道
  • 5 沿革
  • 6 路線
    • 6.1 営業区間
    • 6.2 廃止区間
    • 6.3 未成区間
    • 6.4 他社への譲渡路線
  • 7 他社線との直通運転
    • 7.1 過去の事例
  • 8 路線の形成過程
    • 8.1 現有路線の免許(特許)・開業日
    • 8.2 過去の運営路線の免許(特許)・開業日
    • 8.3 営業廃止日
    • 8.4 未成区間の免許(特許)・失効日
  • 9 車両
    • 9.1 現有車両
      • 9.1.1 京阪線
      • 9.1.2 大津線
      • 9.1.3 鋼索線
      • 9.1.4 事業用
    • 9.2 過去の車両
      • 9.2.1 京阪線
      • 9.2.2 大津線
      • 9.2.3 鋼索線
      • 9.2.4 事業用貨車
    • 9.3 標識灯
    • 9.4 車両カラー
  • 10 乗務員区所
  • 11 駅管轄
  • 12 運賃
    • 12.1 運賃計算の特例
    • 12.2 回数券
    • 12.3 乗車カード・企画乗車券
  • 13 京阪電車の風景
  • 14 特記事項
    • 14.1 運行ダイヤ
    • 14.2 列車種別
      • 14.2.1 方向幕・方向板の色
    • 14.3 旅客案内
    • 14.4 発車メロディ
    • 14.5 駅ナンバリング
    • 14.6 駅名
    • 14.7 駅中店舗
    • 14.8 乗務員
    • 14.9 歴代CM出演者・おけいはん
    • 14.10 競馬
    • 14.11 プロ野球球団
    • 14.12 阪神との経営統合計画
    • 14.13 各鉄道・バス事業者との連携
    • 14.14 その他
  • 15 京阪と関連する企業
  • 16 京阪に関連するメディア
    • 16.1 放送中の提供番組・スポットCM枠
    • 16.2 過去の提供番組・スポットCM枠
    • 16.3 タイアップ・コラボレーション作品
  • 17 脚注
    • 17.1 注釈
    • 17.2 出典
  • 18 関連項目
  • 19 関連文献
  • 20 外部リンク

概要

スローガンは「こころまち つくろう」である。2008年4月15日までの京阪グループ共通スローガンは「街をつなぐ、心をむすぶ KEIHAN GROUP」であった。新スローガン導入と同時にテレビCMではサウンドロゴも併せて導入した。

テレビCMではこれまで全国的に知名度の高いタレントを起用してきたが、2000年12月からは「京阪のる人、おけいはん」をキャッチフレーズに各種キャンペーンを展開している(「歴代CM出演者・おけいはん」を参照)。

この会社の設立以来、大阪証券取引所第一部(2013年に東京証券取引所に統合)に単独で株式を上場していたが、2006年3月22日には東京証券取引所第一部にも上場した。また、同年11月13日に開業100周年を迎える2010年を目処に純粋持株会社へ移行することが発表され、その傘下に置かれる運輸業不動産業流通業レジャーサービス業の各事業会社を統括する形態になると説明していたものの、経済情勢の変化により、設立予定としていた2010年5月に持株会社への移行を見送ることを明らかにしていた。その後、経営の効率化により各事業の収支が改善したことから、2016年4月1日に「京阪ホールディングス株式会社」に社名変更した上で純粋持株会社移行を目指すことが2015年1月29日と4月30日に発表された。4月30日の発表によると京阪ホールディングス傘下に鉄軌道事業などを継承する京阪電気鉄道株式会社、不動産販売業を継承する京阪電鉄不動産株式会社、その他京阪グループ各社を置く体制で、2016年4月1日に純粋持株会社体制に移行した。

2011年、JICAの第3回「協力準備調査(PPPインフラ事業)」に対し、社団法人海外鉄道技術協力協会と株式会社野村総合研究所との三者共同で、「ベトナム ハノイ5号線整備事業準備調査」について応募提案 して8月末に本契約を締結したり、日本国外の鉄道プロジェクトに対してコンサルティング事業を行う新会社「日本コンサルタンツ」への出資 や、中国瀋陽市での複合開発プロジェクトに東京建物と参画するなど、事業の日本国外展開をはじめている。

スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKHである。

社章・シンボルマーク

  • ロゴ(シンボルマーク)

  • 社章

右の画像が京阪電気鉄道の正式な社章となっており、大阪市章の澪標を6つ円形に配置して「京」の形を表現し、合わせて「京阪」を表現したもので、現在は鉄道車両でもほとんど使用されておらず、左の京阪グループの共通ロゴ(シンボルマーク)を使用している。類似した社章は子会社の京阪京都交通で使用されている。シンボルマークはイニシャルの「K」を2つの三角形に図案化し、上はオレンジ色で「暖かさ、趣」を思わせる旗を、下はブルーグレー色で「安全安心、やさしさ、心のこもった」グループの基盤を表現し、風になびく旗と基盤が一体となって「人を思い、潤いのある“街と暮らし”を共に創る」というブランドコンセプトを表現している。

歴史

大阪と京都の間には1876年(明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道(現在の東海道本線JR京都線〉)が敷かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。そこで左岸(東側)の京街道沿いに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。両派は競願のムダを避けて話し合いの末に一本化し畿内電気鉄道株式会社として設立。1903年(明治36年)11月9日改めて畿内電気鉄道として軌道条例による路線特許が申請された。その後1905年(明治38年)8月30日の発起人会・設立委員会で京都 - 大阪を結ぶ鉄道ということをあらわす「京阪電気鉄道株式会社」に名称変更すること、運輸だけでなく電力供給事業・同関連事業を兼業することが決められた。1906年(明治39年)8月25日に軌道敷設の特許がおり、同年11月19日に東京商業会議所で創立総会を開催し京阪電気鉄道株式会社が設立された。

建設に当たり用地買収と路線の実測を開始すると大阪市の行政指導(市営モンロー主義)や淀川沿いの軟弱地盤・用地買収の遅れ・京都での琵琶湖疏水堤防上への変更などで十数か所にわたりルートの変更を余儀なくされ1908年(明治41年)9月にようやく全路線の青写真が出来上がり、同年10月より4工区に分割され建設工事が開始された。そして1910年3月に軌道の敷設は完了した。

1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として大阪・天満橋 - 京都・五条(現在の清水五条)間が開業した。阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、「京阪電鉄“カーブ”式会社」とも揶揄されたほどであったが、それを克服するため様々な技術開発が行われた。また集客策として10月から12月にかけて香里園にあった香里遊園地で『菊人形展』を開催、1912年からは枚方市に隣接する1万mを買収(のちのひらかたパーク)して10月6日から11月25日にかけて菊人形展が開催された。

1911年10月(明治44年)には森小路(現在の千林に相当) - 香里(現在の香里園)間の沿線で電灯電力供給事業を開始。翌1912年には摂津電気を買収し淀川右岸への電力供給事業を手に入れ、1921年(大正10年)7月に和歌山水力電気を、1926年(大正15年)12月に日高川水力電気を合併し、京阪沿線だけでなく和歌山県の電力供給の約75パーセントを京阪が供給することとなった。

1922年ごろより営業エリアの滋賀県琵琶湖周辺への拡大を狙い京津電気軌道との合併交渉を開始するが、京津電気軌道の一部役員が京都電燈との合併を望み、話し合いの結果、電力供給は京都電燈へ売却、軌道部門は京阪電鉄に合併されることが決まり、1925年2月に京津電気軌道を合併。続けて湖南汽船から増資を引き受けて1926年7月に湖南汽船を子会社化した。これに対抗して大津電車軌道・湖南鉄道・太湖汽船は合併して琵琶湖鉄道汽船を設立。しかしこうした争いは「双方にマイナスになる」と、湖南汽船の社長の仲介により琵琶湖鉄道汽船との合併交渉が進められ、鉄道部門の大津電車軌道部分を京阪へ、湖南鉄道部分は別会社の八日市鉄道(のちに近江鉄道に合併)として独立、船舶部門は湖南汽船に譲渡して(新)太湖汽船(のちの琵琶湖汽船)となった。これにより琵琶湖を自社の営業エリアに収めた(京阪の社史では「湖上制覇」と表現している)。

また、並行線を他社によって敷設されることを阻止する企業防衛のための新京阪鉄道(現在の阪急京都本線)建設や奈良電気鉄道(奈良電、現在の近鉄京都線)・阪和電気鉄道(現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線)への関与、さらには和歌山(阪和と和歌山軌道線)への進出など積極的な拡張策を展開した。しかし、投資が回収できないうちに昭和恐慌に見舞われ、債務処理のため1930年(昭和5年)5月和歌山地区の電力供給部門・軌道部門は合同電気株式会社へ譲渡され、同年9月新京阪鉄道を合併し債務の圧縮を図るなど逼塞を余儀なくされる。

この時期は節電に大規模な投資が行われた、1932年(昭和7年)12月、正雀・守口・伏見の3変電所に大容量の蓄電池を設置、深夜電力を充電して電力使用ピーク時に放電する「ピークカット用蓄電池」が設置された。この投資に当時60万円が投入されたが電力料金を年間20万円の節約でき、1934年の室戸台風では電力会社からの送電が回復前に一部区間で列車の運転をさせることができた。翌1933年(昭和8年)4月には日本初のコンパウンド(複巻)モーターによる回生ブレーキ付き電車50型4両が京津線に投入された。

1941年8月発布の配電統制令により電力供給事業を関西配電(のちの関西電力)に現物出資の形で失い、太平洋戦争中には陸上交通事業調整法に基づき阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄、現在の阪急阪神ホールディングス)となる。

戦後1949年12月に京阪神急行電鉄から分離して京阪電気鉄道株式会社として再発足するが、この時、新京阪線は阪急に残ることとなり、京阪線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の5路線、子会社も太湖汽船(現在の琵琶湖汽船)、京阪自動車(現在の京阪バス)での再発足となった。その後、南日本航空(現在のかんこう)、宇治田原自動車(宇治京阪タクシー京阪宇治交通の母体)などに出資、子会社化した。

また近畿日本鉄道との間で奈良電気鉄道をめぐって株式の争奪戦をしたが、1962年に当時の関西電力社長で京阪再発足時の京阪神急行社長であった太田垣士郎の仲介により、京阪の持つ奈良電気鉄道の株式を近鉄に譲渡、代わりに近鉄の持つ京福電気鉄道の株式を京阪に売却することになり、奈良電は近鉄に合併されて近鉄京都線に、京福電鉄は京阪の子会社になった。その前年(1961年)近畿日本鉄道と西武鉄道が株式の買い集めをおこなっていた江若鉄道(現在の江若交通)を子会社化している。

これらの経験が、他の関西大手私鉄と比べて事業の多角化に慎重で、「本線の淀屋橋延長」「複々線区間の延長」「鴨東線」の開通と本業を重視し、京阪沿線の不動産開発や京阪百貨店の開業など地域密着する傾向につながった。再発足から25年間社長を務めた村岡四郎は、就任時に「大阪中心部への乗り入れ」「京阪線曲線部の改良」「鴨東線の建設」を公約に掲げ、「当社の事業はどこまでも電気鉄道中心だ」「不動産事業もそれからデパートにしても、あるいはその他の雑多な事業でも、やはり鉄道というのが一つの大きな骨格になっている」と語っていたという証言が残されている。しかし、並行路線である大阪市営地下鉄谷町線守口市大日への延長・京都市営地下鉄烏丸線の開業・JR東西線の開業と片町線の近代化などによる乗客数の減少、さらに少子高齢化により鉄道事業のみでは今後の発展は望めないとして、観光事業を強化。1985年4月に福井県小浜市に「小浜フィッシャマンズ・ワーフ」を開業、1988年4月に瀬戸大橋のたもと与島に「瀬戸大橋京阪フィッシャマンズ・ワーフ」を開業した。だがバブル崩壊と瀬戸大橋の高額な通行料金により利用客が減少。2003年3月末に若狭湾観光と京阪フィッシャマンズ・ワーフの全株式を売却、京阪グループから分離された。

その後、本業の鉄道事業では2001年中之島新線の建設着手を決定、建設主体となる第三セクター中之島高速鉄道を設立、2003年5月着工、2008年10月19日に開業した。

2006年には、開業100年(2010年)を迎えるのにあたり、持株会社化の方針を表明するとともにエリア外(特に関東地方)での事業多角化を進めることを明らかにした。京都への団体観光客誘致に関東・中部に進出した京阪交通社に続き、2003年に京阪電鉄不動産ジューサーバーが関東に進出し、「ホテル京阪」や流通事業についても全国展開を進めている。2009年6月6日には、北海道札幌市内に「ホテル京阪札幌」が、同年11月21日には東京都台東区内に、「ホテル京阪浅草」も開業した。

京阪グループ全体の持株会社化に備えて、2008年に中間持株会社の京阪タクシーシステムズを、2009年には京阪バスシステムズと不動産賃貸管理子会社の京阪ビルディングを京阪電鉄本体に吸収合併したほか、京阪建設を京阪エンジニアリングサービスへ合併、京阪福井国際カントリーを売却、2010年には京阪タクシーなど京阪タクシー関連7社を第一交通産業(北九州市)へ譲渡、2011年7月には旅行代理業務をJTBとの合弁会社であるJTB京阪トラベルへ移管(同時に関東・中部の営業所を閉鎖)した後、京阪交通社を解散するなど、子会社の整理統廃合も進められている。

なお、2007年6月より、社長/会長制度から、大手私鉄では初めてCEO/COO制度に移行している。さらに2016年4月1日に、純粋持株会社体制へ移行した。

年表

本年表で「客車」とあるのは電車(電動客車)のことである。

畿内電気鉄道

  • 1901年(明治34年):渋沢栄一、成田鉄道社長佐分利一嗣らを中心とした関東の実業家、並びに衆議院議員岡崎邦輔が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道(現在の国道1号に相当)大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を私設鉄道法に基づく京阪鉄道として敷設することを計画。
  • 1902年(明治35年):村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道に沿って大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を軌道条例に基づく畿内電気鉄道として敷設することを計画。
  • 1903年(明治36年)
    • 11月9日
      • 渋沢栄一、佐分利一嗣成ら関東の実業家、並びに岡崎邦輔、村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が合流し、畿内電気鉄道株式会社を創立。
      • 軌道条例に基づき、畿内鉄道 大阪市東区高麗橋詰町(現在の大阪市中央区東高麗橋付近) - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰(現在の京都市東山区朱雀町付近)間の電気軌道敷設の特許を内務省に請願。現在の京阪本線の起源。
  • この間
    • 内務省が、逓信省鉄道作業局が運営する官設鉄道東海道本線 大阪 - 京都間の路線と競合することなどを理由に、畿内鉄道が計画する大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許下付に難色を示す。
    • 渋沢栄一、佐分利一嗣ら関東の実業家、並びに岡崎邦輔が内務省および逓信省鉄道作業局との折衝を図る。
  • 1906年(明治39年)
    • 8月25日:原敬内務大臣から大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許状、並びに命令書が下付。
    • 8月30日:畿内電気鉄道株式会社起人総会が開催され、渋沢栄一が創立委員長に就任し、創立委員6名を選任。

初代・京阪電気鉄道

  • 1906年(明治39年)
    • 9月3日:畿内電気鉄道株式会社創立委員会が開催され、定款が決定されるとともに、社名を京阪電気鉄道株式会社と変更し、資本金700万円(現在の貨幣価値に換算して約189億4,500万円)、株式の額面(1株当たり)を50円、発行株式総数を14万株とすることが決定。
    • 11月19日:東京市麹町区有楽町1丁目(現在の東京都千代田区有楽町1丁目)の東京商業会議所(現在の東京商工会議所)において京阪電気鉄道株式会社(初代)創立総会が開催され、取締役に岡崎邦輔、桑原政、村野山人、佐分利一嗣、林謙吉郎、井上保次郎、渡邊嘉一が、監査役には田中源太郎、田辺貞吉、村井貞之助がそれぞれ就任し、その取締役会において専務取締役に渡辺嘉一が、相談役に渋沢栄一がそれぞれ就任。京阪電気鉄道株式会社の設立。
    • 12月19日:山縣伊三郎逓信大臣から電気鉄道事業経営の許可書、並びに命令書が下付。
    • 12月21日:京阪電気鉄道株式会社設立の法人登記を完了。京阪電気鉄道株式会社の発足。
  • 1907年(明治40年)
    • 3月12日:職制を制定し、総務課、運輸課、建築課、電気課の4課を設置。
    • 4月20日:東京市麹町区有楽町1丁目の東京商業会議所において第1回定時株主総会を開催。
    • 春:専務取締役渡辺嘉一が有望な人材を探し出て引き抜くため、帝国鉄道庁を訪問し、同庁運輸部庶務課長の太田光熈にその人選を依頼する。
    • 7月16日:大阪事務所を大阪市東区北浜2丁目29番屋敷(現在の中央区北浜2丁目付近)から大阪市東区今橋3丁目2番地(現在の中央区今橋3丁目付近)に移転。
    • 7月28日:大阪市北区毛馬(現在の都島区毛馬町 毛馬橋北畔の蕪村公園)において毛馬発電所の起工式を挙行。
  • 1908年(明治41年)
    • 9月26日:大阪市電との調整を図るため、大阪市と市営電車軌道共用、並びに市内乗入契約を締結。
    • 10月25日
      • 大阪市と市営電車軌道共用、並びに市内乗入契約に基づき、電気軌道敷設計画の大阪市内における起点地を定めた定款第2条の「高麗橋東詰」を「京橋一丁目天満橋南詰」と改正。
      • 定款第2条の「一般運輸ノ業ヲ営ミ」以下を削除し、「前項ノ附帯事業トシテ電気ノ供給、娯楽機関ノ経営 及び土地家屋ノ賃貸営業ヲ為スコトヲ得」を加えて改正。
    • 11月:臨時株主総会において、電気軌道敷設計画の大阪市内における起点地を高麗橋東詰から天満橋南詰へ変更することが決議(承認)。
    • 12月8日:支配人に太田光熈が就任。
  • 1909年(明治42年)
    • 4月:大阪市北区東野田網島(現在の都島区網島町)に車両工場、並びに車庫の建設を開始。
    • 6月:大阪府北河内郡守口町(現在の守口市)、大阪府北河内郡枚方町(現在の枚方市)、京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)に変電所の建設を開始。
    • 7月7日:渋沢栄一が相談役を辞任。
    • 9月24日:大阪事務所を大阪市東区今橋3丁目2番地大阪市北区東野田網島に移転。
  • 1910年(明治43年)
    • 1月27日:大阪府下の各駅が竣工。
    • 2月9日:京都府下の各駅が竣工。
    • 3月11日:高崎親章大阪府知事から全線8区、1区間につき5銭。大阪市内区間、甲2銭、乙4銭。他に回数乗車券、普通定期乗車券、学生定期乗車券。往復運賃は大阪市内区間をのぞき1割引とする旅客運賃を認可。
    • 3月31日:大阪・天満橋 - 京都・五条(現在の清水五条)間46.57kmの軌道敷設工事が竣工。
    • 3月:客車30両を新造。
    • 4月2日:守口変電所、枚方変電所、伏見変電所の建設工事がそれぞれ竣工。
    • 4月11日:大阪・天満橋 - 京都・五条間で試運転を開始。
    • 4月13日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の旅客営業の開始が認可。
    • 4月15日:現在の京阪本線、大阪・天満橋 - 京都・五条間46.57kmが開業。天満橋 - 五条間を1時間40分で結ぶ。
    • 6月7日:取締役会長に渡辺嘉一が、専務取締役に桑原政がそれぞれ就任。
    • 6月25日:取締役井上保次郎が死去。
    • 7月12日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間30分に短縮。
    • 8月30日:電気供給事業兼営の許可状、並びに命令書が下付。
    • 10月15日:第1回菊人形を香里遊園地(1912年3月閉園)で開催(12月10日まで)。のちの「ひらかた大菊人形」の始まり。
    • 10月29日:株主配当を年間5分とすることを決定。
    • 11月19日:取締役に太田光熈が就任。
    • 11月22日:宇治電気鉄道株式会社が所有する中書島 - 宇治間の電気軌道敷設の特許状、並びに命令書の譲受が認可。
    • 12月25日:本店所在地を大阪府北河内郡枚方町岡604番地(現在の枚方市岡東町付近)に移転。
    • 12月:客車19両を新造。
  • 1911年(明治44年)
    • 1月17日:渡辺嘉一が取締役会長を、桑原政が専務取締役を、岡崎邦輔が取締役を、田辺貞吉が監査役をそれぞれ辞任し、専務取締役に太田光熈が就任。
    • 2月6日:社長、常務制を採用し、取締役社長に田辺貞吉元監査役が、常務取締役に太田光熈が、監査役に岡崎邦輔元取締役がそれぞれ就任。
    • 4月1日:350万円の増資を実施し、資本金を1050万円に増額。
    • 5月24日:電灯電力供給工事の施工認可が下付。
    • 10月8日:第2回菊人形を香里園遊園地で開催。
    • 10月13日:大阪地区での電気供給事業を開始。
    • 10月28日:定款第2条の末尾を「附帯事業トシテ電気ノ供給、娯楽機関ノ経営、貸家経営ノ資金ニスル目的ヲ以テ土地顔家屋抵当トスル金銭ノ貸付 及ビ土地家屋ノ賃貸経営ヲナスコトヲ得」と改正。
    • 12月28日:岡崎邦輔が監査役を辞任。
  • 1912年(明治45年)
    • 2月14日:大阪市との市営電車軌道共用、並びに市内乗入契約を解除。
    • 1月13日:監査役に岡崎邦輔元監査役が就任。
    • 1月23日:大阪府東成郡城北村(現在の大阪市旭区 城北公園付近)、並びに大阪府東成郡榎並村(現在の大阪市営地下鉄谷町線 野江内代駅付近)への電気供給を開始。
    • 3月3日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間28分に短縮。
    • 4月29日:株主配当を0.5分増配し、年間5分5厘と改定することを決定。
    • 5月1日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間25分に短縮。
  • 1912年(大正元年)
    • 9月9日:取締役の桑原政が死去。
    • 9月11日:動力供給のため、京都電燈株式会社と電力供給契約を締結し、その送電工事を開始。
    • 9月13日:明治天皇大喪のため、23時00分から3分間、全線において電車の運転を停止し、敬悼遥拝。
    • 9月14日:京都電燈への電力供給を開始。
    • 9月末:動力供給のための京都電燈への送電工事が竣工。
    • 10月6日:菊人形を枚方遊園地(現在のひらかたパーク)に移して開催(11月25日まで)。
    • 10月29日
      • 株主配当を1分増配し、年間6分5厘と改定することを決定。
      • 摂津電気株式会社の株式買収を決定。
      • 田辺貞吉が取締役社長、並びに佐分利一嗣が取締役を辞任し、取締役社長に土居通夫が、取締役に岡崎邦輔監査役、並びに岩本栄之助が、監査役に秋岡義一がそれぞれ就任。
    • 11月21日:伏見変電所から京都電燈への高圧送電を開始。
    • 12月2日:大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間20分に短縮。
    • 12月20日:京都電気鉄道(のちの京都市電)と京津電気軌道(現在の京津線)との連絡運賃が認可。
  • 1913年(大正2年)
    • 1月:宇治支線(現在の宇治線) 中書島 - 宇治間の電気軌道敷設工事を着工。
    • 3月:200型貨車1両を新造。
    • 4月15日:「社報」第1号を発行。
    • 5月29日:京都市に対して三条 - 五条間の電気軌道敷設特許状、並びに命令書が下付。
    • 5月:霧島人形を枚方遊園地で開催。
    • 6月1日
      • 宇治支線 中書島 - 宇治間開業、中書島 - 宇治間を20分で結ぶ。
    • 7月4日:貨物営業を開始。
    • 7月20日:宇治線 中書島 - 宇治間の所要時間を17分に短縮。
    • 9月13日:村野山人が取締役を辞任。
    • 10月1日:摂津電気株式会社を合併し、西国街道(現在の国道171号に相当)沿いの大阪府三島郡高槻町(現在の高槻市高槻町付近) - 大阪府三島郡千里村(現在の阪急電鉄千里線 千里山駅付近)間の大阪府三島郡21町村、並びに大阪府豊能郡豊津村(現在の吹田市豊津町付近)、西成郡西中島村(現在の大阪市淀川区西中島付近)ほか4村、合計27町村(いずれも大阪府北部)への電灯電力供給事業を継承。
  • 1914年(大正3年)
    • 1月
      • 日本で初めての色灯三位式自動閉塞信号機をアメリカ合衆国に発注。1915年4月1日に使用開始。
      • 客車10両を新造。
    • 2月5日:電灯営業で炭素線電球に代わり、タングステン電球の使用を開始。
    • 5月15日:天満橋駅、五条駅をそれぞれ午前0時30分に発車する深夜1往復のノンストップ急行列車の運転を開始し、大阪・天満橋 - 京都・五条間の所要時間を1時間に短縮。日本初の電車による急行運転の開始。
    • 7月10日:天満橋駅の新築拡張工事を竣工。
    • 9月18日:井上密京都市長と京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道使用契約を締結。
    • 10月28日:株主配当を0.5分減配し、6分と改定することを決定。
    • 12月17日:京都市会において、京阪電気鉄道株式会社に対する京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道貸与契約案が可決。
  • 1915年(大正4年)
    • 2月6日:臨時株主総会において、京都市長と締結した京都市電気軌道鴨東線 三条 - 五条間の軌道使用契約が承認。
    • 3月16日:社債250万円の募集を決定。
    • 4月1日
      • 天満橋 - 五条間において日本初の色灯三位式自動閉塞信号機の使用を開始。
      • 午前と午後、上下それぞれ2本の急行電車を増発。
    • 4月28日:株主配当を1分減配し、年間5分と改定することを決定。
    • 7月23日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事が認可。
    • 8月10日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事を着工。
    • 10月20日:鴨川線 五条 - 三条間の電気軌道敷設工事を竣工。
    • 10月27日:鴨川線 五条 - 三条間1.5kmが開業。現在の京阪本線の一部区間。
  • 1916年(大正5年)
    • 4月1日
      • 従来の急行電車を四条駅にのみ停車し、天満橋 - 三条間を1時間で結ぶ最急行電車とする。
      • 枚方東口駅(現在の枚方市駅)、八幡駅(現在の八幡市駅)、中書島駅、伏見桃山駅、稲荷駅、七条駅、五条駅、四条駅の8駅に停車し、天満橋 - 三条間を1時間10分で結ぶ急行電車を新設し、24分間隔で8分間隔の普通電車2本あとに運転。
    • 4月28日:株主配当を1分増配し、年間6分と改定することを決定。
    • 7月16日:京津電気軌道との連絡乗車券の発売を開始。
    • 8月1日:最急行電車を廃止。
    • 10月1日: ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/04/26 04:55

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