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仁志敏久とは?

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仁志 敏久
横浜ベイスターズ時代
(2009年6月21日)

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
茨城県古河市
【生年月日】
(1971-10-04) 1971年10月4日(48歳)
【身長
体重】
171 cm
80 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
二塁手三塁手
【プロ入り】
1995年 ドラフト2位(逆指名)
【初出場】
1996年4月5日
【最終出場】
2009年9月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球解説者、野球指導者。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 巨人時代
    • 1.3 横浜時代
    • 1.4 米独立リーグ時代
    • 1.5 引退後
  • 2 人物
  • 3 詳細情報
    • 3.1 年度別打撃成績
    • 3.2 年度別守備成績
    • 3.3 表彰
    • 3.4 記録
    • 3.5 背番号
    • 3.6 コーチ歴
    • 3.7 登場曲
  • 4 関連情報
    • 4.1 出演番組
    • 4.2 著書
    • 4.3 出演ゲーム
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

経歴

プロ入り前

常総学院高等学校では1年生からレギュラーを務め、エースの島田直也と共に活躍した。全国高等学校野球選手権大会でPL学園に敗退準優勝を1回含め3年連続で出場。高校通算28本塁打

早稲田大学人間科学部に進学後は野球部主将としてチームを牽引し、主に遊撃手として活躍。4年の六大学春季リーグではシーズン6本塁打を記録するなど活躍。ベストナインを3回獲得し、早慶戦史上初のサヨナラ満塁本塁打を放つ(その試合では2本目の本塁打)など活躍。4年の秋季リーグでは監督の石井連藏の起用方針に反発して選手だけでオーダーを作り、チームを優勝に導いた。自身は前年秋の早慶戦で優勝を逃すサヨナラ失策を犯している(併殺を焦ってゴロをファンブル)。当たり出すと猛打賞だがノーヒットも多かった。リーグ通算79試合出場、280打数91安打打率.325、11本塁打、40打点、27盗塁。

その後、日本生命に進むが、遊撃手失格の烙印を押され三塁手に転向する。1995年のドラフト会議で2位指名(逆指名)を受けて読売ジャイアンツに入団し、長年主砲として活躍し前年に引退した原辰徳背番号8」を与えられた。幼いころから原の大ファンで、入団時には少年時代に懸賞で原のサイン入りバットが当選した、というエピソードが紹介された。仁志は、当時野球評論家に就任して間も無い原との対談でそのバットを見せながら「(プロ入り初打席は)このサイン入りバットで打ちたい」と発言していた(実際は使用しなかった)。プロ入り後に「巨人に入団して変わったことは」と聞かれ、「これまで「原」「原」と呼び捨てにしていたのが「原さん」に変わった」とコメントしている。

巨人時代

1996年は、開幕当初は二塁手での起用だったが新外国人のジェフ・マントが開幕から一ヶ月で解雇されるなどがあり、シーズン途中から三塁手に定着。打率.270、7本塁打、24打点を記録し、巨人の野手では原辰徳以来15年ぶりのセ・リーグ新人王受賞。巨人の野手の新人王は2009年に松本哲也が受賞するまで10年以上現れなかった。同年の阪神戦で久慈照嘉のサードゴロをトンネルしサヨナラエラーをしてしまい悔しさで顔をしばらく上げられないほど落ち込んだが、それ以来守備の意識が高くなった。8月16日の対ヤクルト17回戦では12回に山本樹からサヨナラ本塁打を放った。日本シリーズではチームは敗れ日本一を逃したものの敢闘賞を受賞した。

1997年二塁手に転向。7月19日のヤクルト戦では、巨人キラーの石井一久に対して、松井秀喜以外はすべて右打者を並べるという監督の長嶋茂雄の采配のためにレフトを守った(二塁が元木大介、三塁が石井浩郎)が、その試合で池山隆寛の高い飛球をランニング本塁打にしてしまい、その後二度と守ることはなかった(試合後、長嶋は自分の起用ミスのせいであると仁志を庇い、先発の斎藤雅樹に謝罪した)。同年は打率.242と前年より下がったが、10本塁打、39打点と本塁打と打点は前年より上がった。小柄な体格だったがコーチの土井正三の熱心な指導もありこれ以降二塁手としての評価を伸ばした。

1998年は106試合に出場し、打率2割7分台と再びアベレージを挙げ、11本塁打をマークした。

1999年は打率.298を記録。また、守備面でも自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。

2000年は打率.298、本塁打20本、日本シリーズでは優秀選手賞も受賞。2001年も20本塁打、盗塁20。

2002年から原辰徳が監督に就任。投手の左右を問わず安定した働きを見せていた清水隆行を1番に固定し、仁志を2番で起用する構想を打ち出す(原曰く「1番打者が2人いるような打線」を組もうとする構想)。しかし打撃不振に陥った挙げ句に故障してしまい、二岡智宏が2番に起用された。復帰後は7・8番に定着し、規定打席には僅かに及ばなかったものの得点圏打率.320と活躍したほか、リーグ2位の22盗塁で盗塁成功率100パーセントを記録(盗塁数20以上での成功率100パーセントはセ・リーグ初)した。なお規定打席に到達しなかったのはプロ入り初である。日本シリーズでも日本一に貢献した。この年もゴールデングラブ賞を受賞したが、これで1999年から4年連続で ゴールデングラブ賞を二塁手として受賞した。

2003年も一時は首位打者になるなど順調なスタートを切ったものの、ジョージ・アリアスの飛球を捕った元木大介に激突し、シーズン早々に故障した。この年の故障は打撃・守備・走塁に尾を引いてしまい、欠場中や後半戦には俊足の鈴木尚広が起用されることも多かった。

2004年、監督が堀内恒夫に交代。再び1番打者を任され、28本塁打を記録(106得点はリーグ1位)。一方で盗塁3、盗塁死10と脚力は回復できず、オフにFA宣言し、スコット・ボラスと代理人契約を結んでメジャーリーグ移籍を目指したが、同時にメジャー挑戦を表明した井口資仁に注目が集まったためか手を挙げる球団がなく、巨人に残留する。

2005年も1番打者としてスタートしたが、4月の不振からセ・パ交流戦直前に9番仁志、1番清水に配置転換を迫られる。その交流戦こそ12球団選手中打率4位の成績を残すものの、セ・リーグ投手陣相手には苦しみ、後半戦には若手の台頭で6・7番を担当。シーズンオフに千葉ロッテマリーンズから小坂誠が移籍し、更に原が監督復帰した。

2006年も2002年の清水・仁志の「ダブル1番構想」にこだわりをみせる。しかし不調のため、小坂に開幕スタメンを奪われる。仁志と小坂は同様に1割台後半の不調に陥り、小坂が2番打者として優先的に使われ、仁志起用時は7番・8番打者として使われることが多くなる。シーズン中盤に離脱した後は一軍に上がれず、手首も骨折した。64試合出場、打率.185、1本塁打、7打点、1盗塁と過去最低のシーズンとなった。

監督構想からも外れ、自らトレードを志願して球団も受け入れ、同年11月6日、小田嶋正邦と金銭のトレードで横浜ベイスターズへ移籍。背番号は日本生命時代に着用していた「7」。

横浜時代

2007年は、開幕から28試合連続出塁記録を樹立するなど、序盤は首位打者争いを競い、オールスターにも出場。序盤の横浜首位の原動力のひとつとなったものの、チームも自身も後半失速。シーズン後半まで1番に座っていたが、盗塁と四死球が少なかった。

2008年はほとんどの試合で2番で出場。リーグ3位となる34犠打を記録した。2008年3月25日、祥伝社より『プロフェッショナル』というタイトルで自伝を出版した。原稿は仁志が原稿用紙に直筆で綴ったものである。

2009年は開幕を「2番・二塁手」でスタートしたが、打率1割台と極度の不振に陥り、5月半ば以降は開幕当初は遊撃手であった藤田一也にレギュラーを奪われる。以降も休養を入れながらスタメン出場するも調子は上がらず、終わってみれば51試合の出場で打率.159、3打点、本塁打と盗塁はプロ入り後、初のゼロと自己最低の成績に終わった。極度の不振とチームの若手育成の為、2009年度限りでの横浜退団、他球団でのプレーを希望した。オフに収録されたズームインサタデーのインタビューにおいてメジャーリーグ挑戦を表明した。

米独立リーグ時代

2010年4月、独立リーグアトランティックリーグに加盟するランカスター・バーンストーマーズに入団、当時のチームメイトに、後に横浜ベイスターズへ入団するブレット・ハーパー埼玉西武ライオンズに入団するライアン・マルハーンがいた。同年は、4月22日から31試合に出場し、打率.208、1本塁打、3打点の成績を残したが、右太もも痛の悪化により6月8日に現役を引退した。

帰国後の7月17日、横浜ベイスターズ対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)の試合前に引退セレモニーが行われた。

引退後

2010年9月には独立リーグのサザンメリーランド・ブルークラブスで臨時コーチを務めた。

2011年4月からはフジテレビすぽると!』のレギュラー野球解説者を務めている。また、同じフジテレビ系列の野球中継である『BASEBALL SPECIAL〜野球道〜』にもゲスト解説として出演している。2011年の解説者としての仕事は専らフジテレビで行っていたが、2012年より文化放送の野球解説者にも就任した。

2013年7月に筑波大学の大学院に合格したことを公表し(同時期に工藤公康吉井理人も合格している。)、翌2014年4月から人間総合科学研究科で体育学を学ぶ。。2016年3月25日に同大学大学院人間総合科学研究科体育学専攻を修了。

2013年より、同学年の小久保裕紀が監督を務める野球日本代表(侍ジャパン)の内野守備・走塁コーチを務めている。

2014年からは侍ジャパンのアンダー世代である12U(小学生以下)代表監督にも就任した。同年8月の12Uアジア選手権では決勝まで進むがチャイニーズ・タイペイに3-7で負けた。

2015年2月6日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表内野守備・走塁コーチを務めることが発表された。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表内野守備・走塁コーチを務めることが発表された。

2016年1月28日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表内野守備・走塁コーチを務めることが発表された。10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表内野守備・走塁コーチを務めることが発表された。

人物

ズームイン!!サタデーのスポーツコーナーではジャイアンツ時代から政治や他のスポーツでの深い話を語る「雑学キャラ」となっている。ベイスターズ移籍後もこの番組にはよく出演しており(この為、コーナー担当の宮本和知は仁志の移籍後はジャイアンツ対ベイスターズ戦が行われる日に取材を優先する傾向がある)、2007年11月10日放送分ではスポーツコーナーを完全に独占された。尚、プロ野球選手といえど、引退後の人生設計まで考えて、社会に出る前に「社会性」ということはどこかで学ばなければならないという考えを持つ。(参考リンク)

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1996 | 巨人 | 114 | 453 | 403 | 70 | 109 | 15 | 2 | 7 | 149 | 24 | 17 | 5 | 9 | 2 | 37 | 0 | 2 | 58 | 2 | .270 | .333 | .370 | .703
1997 | 119 | 461 | 414 | 52 | 100 | 19 | 0 | 10 | 149 | 39 | 10 | 6 | 9 | 2 | 34 | 1 | 2 | 62 | 17 | .242 | .301 | .360 | .661
1998 | 106 | 479 | 424 | 76 | 116 | 15 | 1 | 11 | 166 | 33 | 17 | 10 | 6 | 2 | 45 | 1 | 2 | 65 | 6 | .274 | .345 | .392 | .736
1999 | 127 | 560 | 510 | 79 | 152 | 28 | 4 | 9 | 215 | 42 | 18 | 8 | 9 | 2 | 39 | 0 | 0 | 72 | 6 | .298 | .347 | .422 | .768
2000 | 135 | 611 | 560 | 81 | 167 | 30 | 1 | 20 | 259 | 58 | 11 | 19 | 4 | 3 | 41 | 2 | 3 | 89 | 6 | .298 | .348 | .463 | .810
2001 | 140 | 652 | 597 | 88 | 163 | 29 | 1 | 20 | 254 | 59 | 20 | 3 | 10 | 4 | 36 | 0 | 5 | 92 | 15 | .273 | .318 | .425 | .743
2002 | 103 | 399 | 369 | 47 | 90 | 19 | 2 | 8 | 137 | 42 | 22 | 0 | 6 | 2 | 20 | 4 | 2 | 60 | 8 | .244 | .285 | .371 | .656
2003 | 105 | 305 | 281 | 31 | 69 | 7 | 0 | 8 | 100 | 34 | 7 | 2 | 3 | 2 | 17 | 2 | 2 | 42 | 8 | .246 | .291 | .356 | .647
2004 | 137 | 648 | 608 | 106 | 176 | 27 | 1 | 28 | 289 | 60 | 3 | 10 | 3 | 1 | 35 | 0 | 1 | 93 | 9 | .289 | .329 | .475 | .804
2005 | 128 | 522 | 484 | 50 | 130 | 13 | 0 | 11 | 176 | 45 | 5 | 7 | 7 | 3 | 27 | 1 | 1 | 70 | 11 | .269 | .307 | .364 | .670
2006 | 64 | 137 | 119 | 13 | 22 | 4 | 1 | 1 | 31 | 7 | 1 | 1 | 4 | 1 | 12 | 2 | 1 | 21 | 4 | .185 | .263 | .261 | .524
2007 | 横浜 | 137 | 606 | 556 | 68 | 150 | 27 | 2 | 10 | 211 | 45 | 3 | 2 | 10 | 4 | 36 | 0 | 0 | 63 | 14 | .270 | .312 | .379 | .692
2008 | 121 | 535 | 476 | 59 | 126 | 27 | 1 | 11 | 188 | 50 | 1 | 3 | 34 | 2 | 22 | 2 | 1 | 63 | 12 | .265 | .297 | .395 | .692
2009 | 51 | 158 | 132 | 10 | 21 | 3 | 0 | 0 | 24 | 3 | 0 | 0 | 13 | 0 | 12 | 0 | 1 | 25 | 6 | .159 | .234 | .182 | .416
通算:14年 1587 | 6526 | 5933 | 830 | 1591 | 263 | 16 | 154 | 2348 | 541 | 135 | 76 | 127 | 30 | 413 | 15 | 23 | 875 | 124 | .268 | .317 | .396 | .713

年度別守備成績

【年
度】
二塁
三塁
遊撃
外野


















【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



1996 | 26 | 37 | 67 | 2 | 4 | .981 | 91 | 56 | 124 | 9 | 11 | .952 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | -
1997 | 107 | 226 | 305 | 9 | 61 | .983 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | - | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000
1998 | 85 | 193 | 229 | 7 | 54 | .984 | 27 | 28 | 45 | 1 | 4 | .986 | 1 | 1 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | -
1999 | 120 | 267 | 393 | 8 | 70 | .988 | - | - | -
2000 | 133 | 290 | 367 | 4 | 65 | .994 | - | - | -
2001 | 140 | 343 | 399 | 8 | 66 | .989 | - | - | -
2002 | 103 | 210 | 304 | 8 | 46 | .985 | - | - | -
2003 | 101 | 149 | 217 | 8 | 35 | .979 | - | - | -
2004 | 137 | 281 | 383 | 5 | 75 | .993 | - | - | -
2005 | 128 | 295 | 409 | 5 | 73 | .993 | - | - | -
2006 | 50 | 61 | 88 | 2 | 16 | .987 | - | - | -
2007 | 136 | 305 | 402 | 10 | 72 | .986 | - | - | -
2008 | 120 | 306 | 370 | 5 | 82 | .993 | - | - | -
2009 | 48 | 80 | 127 | 1 | 14 | .995 | - | - | -
通算 1434 | 3043 | 4060 | 82 | 733 | .989 | 120 | 84 | 169 | 10 | 15 | .962 | 3 | 4 | 6 | 0 | 1 | 1.000 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

コーチ歴

登場曲

関連情報

出演番組

著書

出演ゲーム

脚注

  1. ^ 巨人に“不動の正二塁手”が出てこない理由 仁志敏久氏が語る「育てる難しさ」”. スポーツナビ. Yahoo! JAPAN. p. 1 (2013年6月14日). 2016年12月18日閲覧。
  2. ^ ベースボールレコードブック1997
  3. ^ 仁志 単身渡米、独立リーグ開幕へ
  4. ^ “元巨人の仁志が引退…米独立リーグ所属も不振”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年6月9日). http://www.yomiuri.co.jp/sports/yakyu/news/20100609-OYT1T00214.htm 2010年6月9日閲覧。 “仁志引退…米挑戦も右太もも痛悪化で決断”. 日刊スポーツ. (2010年6月9日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100609-639443.html 2010年6月9日閲覧。
  5. ^ お疲れさま…仁志氏に巨人&横浜ファンが大拍手 - スポーツニッポン2010年7月17日配信、2014年10月17日閲覧
  6. ^ “仁志敏久さん「野球界に恩返し」筑波大大学院に進学”. スポーツ報知. (2013年7月15日). http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20130715-OHT1T00024.htm 2013年7月15日閲覧。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/11/28 03:37

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