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今田耕司とは?

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  • 出典が不足しています。存命人物の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります。(2012年7月)
  • 雑多な内容を羅列した節があります。(2009年5月)
今田 耕司
Koji Imada


【本名】
今田 耕司
【ニックネーム】
今ちゃん
【別名義】
KOJI1200
【生年月日】
(1966-03-13) 1966年3月13日(54歳)
【出身地】
日本大阪府大阪市
【血液型】
A型
【身長】
174cm
【言語】
日本語
【方言】
大阪弁
【最終学歴】
清風高等学校定時制課程普通科
【出身】
NSC大阪4期生
【コンビ名】
ダブルホルモンズ(解散)
【芸風】
漫談コント
【事務所】
吉本興業
【活動時期】
1985年 -
【同期】
130R桂茶がま(NSC4期)
東野幸治木村祐一リットン調査団(数か月後輩)
【現在の代表番組】
今ちゃんの「実は…」
アナザースカイ
開運!なんでも鑑定団
人生が変わる1分間の深イイ話
【過去の代表番組】
今田ハウジング
やりすぎコージー
着信御礼!ケータイ大喜利
【他の活動】
司会者俳優
【配偶者】
なし

今田 耕司(いまだ こうじ、1966年〈昭和41年〉3月13日 - )は日本お笑いタレント司会者。愛称は今ちゃん大阪府大阪市出身。吉本興業所属。

略歴

3人兄弟の末っ子。実家は大阪市天王寺区生玉の道善寺という本門法華宗で、父は会社員住職を兼業していた。 住職である父親は誕生日がクリスマスであり、今田はこのネタをすべり知らずであると語っている。

中学3年生のとき、友人と3人で独立して生活していこうと決心して家出するが、数日で連れ戻されて自宅謹慎になる。

1981年、先生からの勧めで全寮制の日生学園第一高等学校(現在は桜丘高等学校)に入学。しかし、1年で「『プリズン・ブレイク』みたいな感じ」で学校から脱走し、そのまま中途退学した。それ以前にも脱走をしたことがあるが、その際は退学手続きのために保護者同伴で学校に戻ったところ、担任から「学校を続けるというまで殴る」と親の眼前で体罰を受け、失敗した。 なお、後に芸人として先輩・後輩の関係になる浜田雅功は同校の卒業生(副学寮長を務める)である。

その後、清風高等学校定時制課程普通科に編入。昼の時間帯は日本一若い店長になることを目標にしてラーメン屋で働いていた。夏休みは、友人数人と母方の実家である宮崎県児湯郡高鍋町に滞在し、小丸新茶屋(うどん店)でアルバイトしながらサーフィンに没頭していた。

定時制高校の卒業後は、「手に職をつけたい」と思い寿司職人か美容師専門学校の入学を検討した。しかし学費が高い上に肌が弱かったため、医者から「を扱う職業には向いていない」と忠告されたこともあって断念。途方に暮れていたときに、当時入学料が5万円程度だった「吉本総合芸能学院」(以下、NSC)に目が留まり、「昔からお笑いも好きだし」と軽い考えで1985年、4期生としてNSCに入学した。同期にNSCでは130R(ほんこん板尾創路)、桂茶がまがおり、吉本以外ではダチョウ倶楽部ウッチャンナンチャン出川哲朗などがいる。程なく、ほんこんとお笑いコンビ「ダブルホルモンズ」を結成。ほんこんは「骨付きカルビ」という芸名でボケ、今田は「上ロース」という芸名でツッコミを担当。ネタはほんこんが作っていて、節水をテーマにした漫才などをやっていた。

NSCは実家から2駅離れた場所にあったため、当時今田はNSCには実家から通っていた。家に帰れば食事も寝る所もあり、さらに夜はアルバイトをしていたためお金もそこそこあった。そのため今田は当時を振り返り、「良いこと尽くめの下積み時代だった」と語っている。

1986年、ダブルホルモンズを解散し、ピン芸人として活動を始める。ちょうどこの頃、2丁目劇場ができるタイミングで前座のオーディションがあり、ピンになって初めて書いた「才能のない構成作家のオーディション」というネタで見事合格した。ダウンタウンとはこの頃に出会い、「おもろいな」と爆笑してもらったのが最初に交わした言葉である。

1986年、京都花月12月中席(12月11日 - 12月20日)にて劇場デビューする。

1987年4月、『4時ですよーだ』放送開始。1989年、『4時ですよーだ』終了後、東野幸治らと共に吉本新喜劇の補強メンバーとして活動。時には座長としても舞台をこなした。

1990年、ダウンタウンを慕って東京へ進出。『ダウンタウンのごっつええ感じ』で全国的な知名度を獲得する。以来ダウンタウンの番組出演のほか、Wコウジとして司会などで活躍した。

1991年、『正解るんです』(CBCテレビ制作)に東野幸治と共に出演、ローカル深夜番組にもかかわらず熱狂的ファンを集めた。以降東野幸治と共に、長らく名古屋のCBCテレビで深夜のレギュラー番組を持っていたが、2020年3月末の『本能Z』の終了で一旦打ち切られることとなった。

1995年、『今田耕司のシブヤ系うらりんご』で、初めての冠番組を持つ。『いつかまた逢える』に出演で、初めてのキスシーンを大塚寧々西田尚美らと演じた。

2007年、不定期の特番として放送されていた日本テレビ系バラエティ番組『今田ハウジング』が、3月7日から水曜19:58 - 20:54の時間帯にて1年間、レギュラー放送された。自身初のゴールデンでの冠番組となった。

2008年以降、朝日放送系バラエティ番組、『今ちゃんの「実は…」』で司会を務める。番組内の新たな言葉を生み出し番組内のウィキペディア辞書に登録するコーナー、そして本物のウィキペディアに書き込まれた人物の真相を確かめるミニコーナーがあった。

現在は多数のレギュラー番組に出演しているほか、ルミネtheよしもとで新喜劇の座長も務めている。

2008年4月28日発売の『週刊現代』に、今田が未成年の女性に飲酒を無理強いさせたうえで淫行に及んだという記事が掲載される。今田本人と所属事務所である吉本興業は「事実無根で名誉を棄損」として、講談社に対して損害賠償及び謝罪広告の掲載を求めて名誉毀損などで提訴したが、講談社側が2009年10月26日発売の同誌に「記事の事実確認はできませんでした」とする謝罪広告を掲載し、11月6日付で今田宛の損害賠償金550万円と遅延損害金を支払ったため、同日付で訴訟を取り下げた。吉本興業は「謝罪広告の内容や賠償額などは必ずしも満足できるものではないが、気持ちを新たに仕事へ専念することを優先し、早期解決することにした」と今田の心境を代弁した。

人物

家系

NHKで2013年10月4日に放送されたファミリーヒストリーにより、両親の知られざるルーツが明らかにされた。

父方の曽祖父は大阪屋を営んでいたが、大口の顧客倒産して代金を回収できずに倒産したため、家族を残し一人上京、当時有数の繁華街だった浅草で、朝は納豆売り、夜はおでん屋をしながら再起を図った。3年後に家族を呼び寄せた直後に富くじで大金を当て、それを元手に現在の元浅草アパート経営を行っていた。曽祖父は計10人の子供をもうけたが、大阪で尼僧をしていた曽祖父の実姉が、寺を継ぐ養子が欲しいと曽祖父に願い出る。当初は女の子を寄越すつもりだったが、姉の方から「尼僧は結婚できないから、そんなかわいそうな目に遭わせたくない」とのことで寄越した男子が耕司の祖父だった。養子縁組により、祖父は元の藤田姓から今田姓に変わることとなる。その後、耕司の祖父を養子に出した後にこの家族は東京大空襲で全財産を失い、大阪にいる耕司の祖父とは疎遠になる。藤田家の子孫は、2012年9月まで今田耕司が自分の親戚だと知らなかったと語る。

母は鹿児島県で双子として生まれたが、まだ赤ん坊の時に子供に恵まれなかったパラオに住む彼女の叔母夫婦に、養女として引き取られた。それを母が初めて知ったのは結婚した後、従兄弟に「自分の実の妹だ」と告げられた時の事だった。母方の祖父(実際は母の養父)は宮崎県児湯郡高鍋町出身で、パラオで一般採用からたたき上げで郵便局長になった当時としてはかなり珍しい経歴の人物だった。母方の祖母(実際は母の叔母で養母)は鹿児島県川辺郡笠沙町(現・南さつま市)出身。母が8歳の時に戦況悪化でパラオから内地へ引き揚げる際、手違いで乗船するはずだった三池丸に乗れず、貨物船東山丸に乗せられた。これにより、引き揚げの船団が米海軍の潜水艦「トリガー」により攻撃され最終的に三池丸が沈没したが、運良く難を逃れている(乗船した東山丸にも魚雷が当たったが不発だった)。終戦後は家族で鹿児島県に暮らした。

プロフィールには長年血液型はO型と表記されていたが後にA型であることがカミングアウトされたが、暫くの間はO型で通していた。

Mっ気が強くSMの女王様に愛想を尽かされたことがある。

趣味・嗜好

交友関係

評価

出演

テレビ

現在の出演番組

レギュラー番組
準レギュラー番組
スペシャル番組(最新出演から1年未満の間隔で継続出演している特別番組)

過去の出演番組

2010Happy Mail