このキーワード
友達に教える
URLをコピー

仙台市とは?

せんだいし
仙台市
仙台七夕まつり | SENDAI
光のページェント

仙台牛タン | 夏の定禅寺通
伊達政宗騎馬像
仙台城址から見た仙台市都心部の夜景

 | 
仙台市旗 | 仙台市章
1933年9月5日制定


【国】
日本
【地方】
東北地方
【都道府県】
宮城県
市町村コード
04100-9
法人番号
8000020041009
【面積】
786.30km

【総人口】
1,091,407[編集]
(推計人口、2020年6月1日)
人口密度
1,388人/km
【隣接自治体】
山形県
山形市
尾花沢市
東根市

【市の木】
ケヤキ
【市の花】
ハギ
【市の鳥
市の虫】
カッコウ
スズムシ
仙台市役所

【市長】
郡和子
【所在地】
980-8671
宮城県仙台市青葉区国分町三丁目7番1号
北緯38度16分5.6秒東経140度52分9.9秒座標: 北緯38度16分5.6秒 東経140度52分9.9秒
市庁舎位置


【外部リンク】
公式ウェブサイト

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村



【特記事項】
市章は伊達家の家紋「竪三引両」をもとに仙台の「仙」の字をデザイン。1933年(昭和8年)9月5日制定。
ウィキプロジェクト
仙台市5区 色分け地図

仙台市(せんだいし)は、宮城県の中部に位置する。宮城県の県庁所在地であり、東北地方唯一の政令指定都市。人口約109万人を有し、東北地方最大の都市でもある。

概要

仙台市都心部周囲には広瀬川青葉山などの自然があり、また都心部にも街路樹などの緑が多いことから、「杜の都」との雅称をもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」などのキャッチコピーも用いている。東北を代表する港湾およびサーフスポットである仙台港(仙台塩釜港)が北東部に、宮城県内の純観光地の中で宿泊客数第1位を誇る秋保温泉が南西部に、宮城県内で利用者数1位を誇るスプリングバレー泉高原スキー場が北西部にある。中国では、魯迅留学した都市として知られる。

東日本等や海外(参照)の商店街イベントとして定着した七夕まつり(仙台七夕)、旧・仙台藩地域での仙台初売り、地方では困難な公的財源に頼らない大規模イルミネーションイベントのSENDAI光のページェント、「街角無料音楽祭」の定禅寺ストリートジャズフェスティバル、および、それがバリアフリー化したとっておきの音楽祭等、市民が中心となって創り上げた都市イベントを数々生み出しており、その運営ノウハウやフォーマットを市外・県外に移出する文化都市でもある。

現在の仙台市の推計人口は、東北地方の中で最も多い約109万人で、宮城県民の47.5%が居住し、秋田県山形県よりも人口が多い。その仙台市が県内総生産の55.5%、県民所得の58.3%を占めており(2013年度)、「仙台一極集中」と言われることがある。また、仙台都市圏(広域行政圏)の推計人口は約154万人で、宮城県民の66.9%が居住する。このような集積度と東北における拠点性により、物販面では隣県に及ぶ仙台経済圏を形成している。

当市はかつての宮城郡南部と名取郡北部に市域が広がるが、両郡の東部に広がる仙台平野(狭義)は、西と北を陸前丘陵、東を太平洋仙台湾、南を阿武隈川に囲まれる。また、同平野の北部は長町-利府線断層帯 を境に、北西側が洪積台地、南東側が沖積平野に分かれる。当地は、畿内に端を発する山道(後に東山道に再編)と海道(後に東海道に再編)とが合一する唯一の地であり、その合一した街道は後年、奥大道東街道と名称を変えながらも同断層帯およびそれに続く高舘丘陵の東縁に沿って南北に通る重要な道として存在し続けた。伊達政宗による仙台開府以前の当地では、この街道沿いを中心に、同断層帯・丘陵より東側の沖積平野にある自然堤防などの微高地(以下「東方微高地」)にのみ町場が形成された。「東方微高地」には、4世紀末頃に東北最大の雷神山古墳(現名取市地図)や県内2位の遠見塚古墳(地図)が築造され、7世紀半ばの陸奥国設置後は国府とされる郡山遺跡(地図)や多賀城(現多賀城市地図)、さらに陸奥国分寺(地図)や陸奥国分尼寺(地図)など同国の重要施設も置かれた。

多賀城が11世紀前半に国府としての機能を失うと、陸奥国府は陸奥府中の南西部にあたる現・JR岩切駅(地図)周辺の七北田川沿い「東方微高地」に移転し、南北朝時代まで続いた。12世紀には陸奥国府は多賀国府とも呼ばれるようになり、国府周辺には多賀国府町(たがのこう町)と呼ばれる、陸奥国の政治・経済の中心地としての町場が戦国時代まで続いた。当時のその他の町場には、原町宿場、陸奥国分寺の門前町である国分日町国分氏小泉城下町粟野氏北目城下町(地図)などがあり、いずれも「東方微高地」にあった。

慶長5年12月24日(1601年1月28日)より政宗は、伝統的な当地の中心地である「東方微高地」ではなく、同断層帯より西側の洪積台地に広がる広瀬川の河岸段丘上に仙台城(青葉城、地図)および仙台城下町(地図)を建設して仙台藩62万の中心地とした。城下は、南北道の奥州街道と、仙台城大手門から石巻街道(塩竈街道)へとつながる東西道の大町とが交差する芭蕉の辻を商業中心とし、国分日町が移転してきた国分町、北目城下町が移転してきた北目町、そして伊達氏に従って移転してきた御譜代町6などの町人町を城下の街道沿いに配置した。「東方微高地」では、小泉城および小泉城下町が政宗によって再編されて若林城(地図)および若林城下町となったが、死後に廃城および仙台城下町に吸収合併された。また、原町の宿場は石巻街道(塩竈街道)下り第一宿駅原町宿(地図)に再編され、旧・北目城下町の西隣には奥州街道上り第一宿駅の長町宿(地図)が設置され、それぞれ仙台城下町とコナベーションした。この結果、仙台は「2城下2宿場連接都市」の様相を呈した。またこれ以降、奥羽(東北地方)最大都市となった(参照)。旧・陸奥府中では、塩竈(現塩竈市地図)が仙台城下町の外港として発展し、塩竈と仙台との間に造られた運河系により物流の中継地となった蒲生(地図)や原町も発展した。

明治になると、東京青森のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置する当地に、東北鎮台(→仙台鎮台→第2師団)が設置されて陸軍施設が集まり、「軍都」の側面を持ち始めた。1878年(明治11年)に仙台区となり、1882年(明治15年)に木道社が日本初の人車軌道(後に日本で2番目の馬車軌道に転換)を仙台 - 蒲生間に開業。1887年(明治20年)には旧制二高が創立、日本鉄道(現JR東北本線)仙台駅も設置された。同駅の設置により、木道社は廃業して蒲生は中継地としての地位を失い、船運中心の江戸時代に発展した石巻塩竈から、鉄道が集積する仙台に商権が移って、現在に至る「商都」の側面を手に入れた。

1889年(明治22年)4月1日市制施行。日露戦争を機に1907年(明治40年)には東北帝国大学(現・東北大学)が創立し、「学都」としての地位を確立。また、同年から大正昭和初期にかけて「五大事業」を推進して近代都市へと脱皮し、「森の都」や「杜の都」と呼ばれるようになった。中心商業地は一番町へと移り(参照)、郊外ではかつて宮城郡役所が置かれた原町、名取郡役所が置かれた長町など隣接町村と合併して、これら新市域に工場地区を形成した。また、秋保電気鉄道日本初の旅客用地下鉄を開業した宮城電気鉄道等の沿線には行楽地が開発された。

1941年(昭和16年)、鉱工業が発達する福島県秋田県に続いて東北地方で3番目に日本銀行の支店が置かれるなど、太平洋戦争前後に中央省庁出先機関が集積する「行政都市」としての側面を得た。統制経済下で困窮した商工業者が満州国に渡って仙台村を拓いたり、仙台空襲により中心部が廃墟となったりした戦争が終わると、仙台駅前には大規模な闇市が生まれ、東北各地との間で鉄道を使った物資の集散もなされた(参照)。戦後占領期には戦災復興事業により、市街地に広幅員道路が縦横に建設されて現在の都心部の基盤となった。また、闇市に替わって公定価格マーケットや路上の屋台が市民生活を支える一方、宮城県に進駐した約1万人のGI向けに仙台駅北側のX橋(宮城野橋)周辺には歓楽街が誕生。X橋は日本ハードボイルド小説の嚆矢の舞台となった。

高度経済成長期になると、企業の支店が多く進出して第三次産業が伸長し、「札仙広福」と並び称される支店経済都市となった。また、1964年(昭和39年)の新産業都市指定を機に、都市計画区域を隣接する宮城郡泉町(1971年より泉市地図)・宮城町(地図)、名取郡秋保町(地図)に広げ、さらに1970年(昭和45年)には12市町による「仙塩広域都市計画区域」が指定された。すると人口集中地区 (DID) の急速な拡大とモータリゼーションが促進され、都心部の交通渋滞解決の必要から国道4号仙台バイパス沿いに工業・流通地区を新設、業者が移転して空いた国分町は歓楽街に転換していった。また仙台市地下鉄の計画も始まり、1976年(昭和51年)には仙台市電が廃止された。市電廃止は、「2城下2宿場連接都市」期における市街地の縁にあって、かつ市電と鉄道のターミナルだった北仙台・原町・長町の市内3拠点の商業中枢性を奪う結果も招いた。

1962年度(昭和37年度)から県内総生産で、1980年(昭和55年)国勢調査からは人口でも(参照)、福島県を抜いて宮城県が東北最大県となった。すると仙台市は、泉・宮城・秋保の1市2町を編入合併し、県から権限を移譲されて市制100周年の1989年(平成元年)4月1日に全国で11番目となる政令指定都市に移行(参照)。この間、1982年(昭和57年)の東北新幹線開業に合わせ、仙台駅の建て替えと大規模なペデストリアンデッキを伴う駅前整備がなされ、1987年(昭和62年)の政宗ブーム地下鉄南北線開業に始まるバブル景気期には民間投資と箱物行政(参照)により都心部に高層ビルが建ち並び始めた(参照)。一方で市は郊外部において、北の泉中央副都心、南の長町副都心、東の仙台港副都心(現みなと仙台ゆめタウン)、西の愛子副都心の4つの副都心を設定した。しかし、地下鉄沿線の泉中央・長町の両副都心やロードサイド店舗に物販・職場が郊外化する傾向が見られるようになったため市は、バブル崩壊後の1990年代後半からコンパクトシティを志向するようになり、都心部への「アクセス30分構想」を進めている(参照)。

2000年代に入ると高速バス仙台 - 福島線仙台 - 山形線などにおける値下げ・増便競争、および、仙台発着便の新規開設が進み、県外からの集客力が一気に増強した。また、JR仙台駅東口側一帯における土地区画整理事業に伴って宮城野通が開通し、その地下にJR仙石線地下新線が移転開通、東口駅前広場も完成した。そこに2004年(平成16年)、宮城球場(地図)を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルス(チームカラーがクリムゾンレッド)が新規参入すると、都市計画用途地域赤系色に塗られる地域(赤:商業地域、橙:近隣商業地域)への県外・海外資本の投資が進み「レッドバブル」と呼ばれた。2006年(平成18年)に仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(2008年10月1日 - 12月31日)の開催が決定すると投資は郊外を含めて加速、「ミニバブル」「プチバブル」などと呼ばれる活況を呈した(参照)。しかし、リーマン・ショック後の景気後退に加え、東日本大震災で大きな被害を受けた。震災後は復興の拠点となる一方、2015年(平成27年)の地下鉄東西線の開業も重なり、様々な開発が活発化している。

地名

市名の由来

地名の語源は諸説があり、

  1. 国分氏が「千代城」と名付けたことが由来とする説。これは城の位置に千体仏があったためで、千体が転じて「千代」となった。転じた理由としては、城が千代(ちよ)に栄えるようにという願いからつけられたという説がある。その後、伊達政宗が「仙臺」(新字体で「仙台」)と改名した。
  2. アイヌ語の「セプ・ナイ(広い・川)」が「せんだい」になったのであり、広瀬川が仙台の名の由来という説。
  3. 仙台城のある川内地区を音読みで「せんだい」としたことが由来との説。

などが主なものであるが、1.の国分氏由来の説が一般的に信じられている。

政宗が改めた「仙臺」との表記は、中国前漢代の故事とそれを題材にした代の漢詩に由来する。

前漢の文帝老子の道を好み、黄河の支流に老子に詳しい人物がいると聞いて会いに行ったが、その男は庵にこもって出てこなかった。文帝が「大空の下に王土でないところはなく、大地の果ての浜辺まで王の臣下でない者はいない」と脅したところ、男は空中に昇り「上は天に至らず、中は人に煩わされず、下は地に住まない」と言い放った。文帝は彼が神人であることを知って乗物から降りてをなし、を求めた。文帝は首都長安の西山に台(宮殿)を建てた。

唐の