このキーワード
友達に教える
URLをコピー

佐賀市とは?

さがし
佐賀市
佐賀インターナショナルバルーンフェスタ

 | 
佐賀市旗 | 佐賀市章
市旗・市章、共に2006年(平成18年)4月1日制定

【国】
日本
【地方】
九州地方
【都道府県】
佐賀県
団体コード
41201-5
法人番号
3000020412015
【面積】
431.84km
(境界未定部分あり)
【総人口】
233,813[編集]
(推計人口、2018年4月1日)
人口密度
541人/km
【隣接自治体】
小城市唐津市多久市神埼市
杵島郡白石町(海隔てて)
福岡県:福岡市柳川市大川市糸島市
【市の木】
イチョウ
【市の花】
サクラ
佐賀市役所

【市長】
秀島敏行
【所在地】
840-8501
佐賀県佐賀市栄町1番1号
北緯33度15分48.6秒東経130度18分3秒

【外部リンク】
佐賀市

― 市 / ― 町



ウィキプロジェクト
佐賀市中心部の航空写真。
中央やや右下に
「逆コの字型」の佐賀城跡の堀がある。
佐賀市中心部。
佐賀県庁より佐賀駅方面
佐賀市中心部及び周辺住宅街。
佐賀県庁より東側
嘉瀬川

佐賀市(さがし)は、佐賀県県庁所在地で、同県最大の人口を擁するである。施行時特例市

佐賀県の経済・行政の中心地。有明海から脊振山地までを縦断する市域を有し、市街地は佐賀平野の中心付近に位置する。には嘉瀬川河川敷を中心に佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催され、バルーン(熱気球)の街として賑わう。

目次

  • 1 地理
    • 1.1 地勢
    • 1.2 佐賀平野地域
    • 1.3 脊振山地地域
    • 1.4 気候
  • 2 地域
    • 2.1 人口
    • 2.2 町・大字
    • 2.3 土地区画整理事業
  • 3 歴史
    • 3.1 沿革
    • 3.2 年表
    • 3.3 行政区域の変遷
      • 3.3.1 市町村合併
  • 4 政治・行政
    • 4.1 市政
      • 4.1.1 市長
      • 4.1.2 市長選挙
    • 4.2 2013年10月20日執行
    • 4.3 2009年10月18日執行
    • 4.4 2005年10月23日執行
      • 4.4.1 行政機構
      • 4.4.2 市議会
    • 4.5 県政
    • 4.6 国政・国の出先機関
    • 4.7 広域行政・公共サービス
  • 5 経済・産業
    • 5.1 第1次産業
    • 5.2 第2次産業
    • 5.3 第3次産業
    • 5.4 佐賀市に本社を置く主な企業
    • 5.5 マスメディア
    • 5.6 特産品
    • 5.7 教育
  • 6 交通
    • 6.1 空港
    • 6.2 鉄道
    • 6.3 道路
    • 6.4 バス
    • 6.5 船舶
  • 7 姉妹友好都市・提携都市
  • 8 観光・文化
    • 8.1 文化公共施設
    • 8.2 史跡・歴史遺産
    • 8.3 名所、景勝地、公園など
    • 8.4 祭事・催事
    • 8.5 その他
  • 9 出身者
    • 9.1 佐賀市在住の有名人
  • 10 その他
  • 11 脚注
  • 12 関連文献
  • 13 外部リンク

地理

地勢

佐賀県の南東部に位置する。市域は南北に長く、南側は有明海に面し、南東部は筑後川を挟んで福岡県大川市柳川市に、北東部でも脊振山地を境に福岡県福岡市(早良区)・糸島市に接している。

長崎自動車道付近を境にして、市域の北半分は、北部九州を東西に貫く筑紫山地に属する脊振山地であり、山がちで起伏が大きい。市域の南半分は、有明海北岸に広がる筑紫平野の西部に属する佐賀平野であり、起伏がほとんどない低平な地域で、対照的である。市街地は佐賀平野の中心付近に位置している。

2005年(平成17年)・2007年(平成19年)の周辺町村との合併によって市域は104kmから431kmへと4倍に拡大し、県内では唐津市に次ぐ2番目に大きな面積を有する自治体となった。

隣接している自治体

佐賀県

福岡県

人口約24万人を有する佐賀県最大の都市だが、九州7県の県庁所在地では最少であり、県庁所在地以外を含めると佐世保市に次いで九州で10番目に人口が多いである。10%通勤圏人口では約41万人(2005年)を有する佐賀都市圏の中心市で、久留米都市圏の約51万人より少ないが佐世保都市圏の約31万人を上回る。

福岡市とは中心部相互間で約53kmと直線距離は近いが、山地を隔てているため生活圏や雇用圏は分かれていて、鳥栖市のようなベッドタウン化はみられない。江戸時代より佐賀藩の城下町として発達してきており、鳥栖市・久留米市が交通拠点・工業地域、唐津市が港湾・観光都市であるのに対し、佐賀市は農業地帯の中心に位置する地方都市や佐賀県中部・東部の商業都市としての面が強い。2000年代以降は観光都市としてPRする動きも活発であり、観光資源の発掘が盛んである。

佐賀平野地域

平野部では水辺と田園地帯が独特の自然景観を見せる。市域にあたる佐賀平野中部は、丘陵がほとんど存在せず、河川堤防を除くと全般的に海抜が低い。また中小河川や水路(クリーク)が発達していて、農業用水・生活用水や水運を目的としていたことから、市街部・田園部の別なく水路が網羅されていて、その恩恵を享受していた。一方で、脊振山地に源を発し市域西部を流れる嘉瀬川と、九州山地に源を発する九州最大の筑後川に挟まれているため、昔から洪水の頻発地帯であり、灌漑や治水によって農地や住民の生活が守られてきた側面もある。

市街地北部の国道34号付近でも海抜5mであり、有明海沿岸堤防の計画高水位より低い上、起伏が少ないため水はけが非常に悪い地域であった。一度堤防が決壊して町や農地が水浸しになると何週間も引かないことがある一方、水争いでの村同士の対立も深刻であった。これを一変させたのが、江戸時代に入ってから成富兵庫茂安らの協力で佐賀藩が行った治水事業である。平野全体で治水や灌漑を一体的に考える当時としては画期的な手法によって、洪水被害が軽減され水争いが減少した。また明治以降、干満差が大きい有明海を取り囲む高い堤防と水位調整、さらに蛇行の多い水路を直線的に改良して排水効率を向上する水路整備や排水ポンプ場整備により、現在の洪水被害は減少している。

江戸初期に設置された石井樋により嘉瀬川から分流した多布施川は、市街地北部を縦断して水路に分化しながら佐賀城内に至り、古くより生活用水として用いられていた。現在も多布施川から旧佐賀市の水道水が取水されている。城内通過後の多布施川は佐賀江川につながり、市街地南部を再び縦断して今度は農業用水に用いられ有明海に至る。このほか巨勢川福所江川八田江川などが、いずれも北から南に向かって流れている。諸富町南東では筑後川に接し、中州である大中島、筑後川と早津江川に挟まれた河口州である大詫間(島の南半分が佐賀市、北半分が大川市)は市域に含まれる。

起伏が少ない佐賀平野は水田に適しており、古代より順次開墾されていって稲作地帯となった。また佐賀平野は筑後川などの土砂運搬により急速な自然陸化が進む地域で、海岸線は年々南下してきた。これに加え、江戸時代以降本格化した干拓によって、人工的に土地を造成して農地を拡大してきた。東与賀町や川副町の大部分、本庄町・西与賀町・久保田町の南端はほとんどが干拓地である。

佐賀市街は、市内平野部のちょうど真ん中付近に位置している。佐嘉と呼ばれていたこの町は、戦国時代まで佐賀平野の1農村に過ぎなかった。室町時代中期に村中城および水ケ江城を構えて拠点としていた龍造寺氏戦国時代後期に勢力を伸ばしたことが転機となり、町が発展した。さらに、後継の鍋島氏は2つの城を慶長年間(1596年 - 1615年)に大改修し佐賀城を築城するとともに、城周辺を再整備した。その際、条里制による直線的な道路・水路を生かして碁盤の目のような整った街路区画を行っており、現在でもその名残を見ることができる。これ以降佐嘉は肥前佐賀藩の城下町として、また長崎街道の宿場町としても栄えた。中世以降「佐賀」の表記も用いられるようになり、明治維新以降は正式に「佐賀」と改められた。そして、明治初期の廃藩置県後に県庁所在地となったことで、近代以降の佐賀県の行政の中心地としての地位を確立する。

現在の佐賀市街は、佐賀駅を中心としてビル街・商業街があり、それを取り囲むように低層住宅地が位置し、住宅地郊外にショッピングセンター型の大型商業地が点在する。宅地化はやや道路に沿いながらもほぼ同心円状に進んだ。中心市街地では佐賀駅移転・工場の移転再整備・基幹道路整備という一連の流れにより再開発が進んだ地域もある。いわゆる高層建築物はほとんどなく、もともとの地形とも相まって、比較的平坦な街並みである。

地価高騰により住宅地が郊外に集積したことで、高齢化とドーナツ化現象が中心市街地の衰退を招いていたが、1990年代 - 2000年代には地価下落による再開発ラッシュの影響を受け、中心市街地に中層マンションが集積したことで、ドーナツ化は緩やかになっている。しかし、同時期に郊外型商業地の集積も進んだため、佐賀駅周辺や城内地区などの商店街型の小売業は長期的に衰退してきている。

一方の郊外部では、農地に点在していた住宅の間に新しい戸建住宅や団地が造成されるなどして、開発が順調に進められて市街地が拡大していった。通勤の軸が鉄道ではなく自動車(道路)であるため、主要道路の沿線に住宅地が形成されている。もともとの農地が区画整理されていたこと、1970年代から早期に環状道路が整備されたこと、郊外化に拍車をかける市街の地価高騰がそれほど顕著でなかったことから、スプロール現象は起こっていない。

脊振山地地域

脊振山地南側山麓のうち市域部分は、川久保断層などの断層系の影響で比較的急な斜面になっており、ゆるやかな丘陵地帯である小城市神埼市方面とは異なっている。市西端(佐賀県中央部)付近に位置する1046m(市内最高点)の天山、福岡県境に連なる900m級の雷山羽金山などが標高が高く、両地点の間には山々が連なり、その間を山間部では川上川とも呼ばれる嘉瀬川水系の河川が縫うように流れ、市北部をカーブを描きながら南下している。比較的緩やかな山合いや川岸の平地に、農地に囲まれた農村や、里山に接した山村が点在している。

川上川最上流の三瀬村西部には北山ダム、また同上流の富士町中部に佐賀県最大規模の嘉瀬川ダムがある。また、川上川水系から離れた大和町の一部や金立町・久保泉町の山間部では、少雨時に水不足になりやすいため、多数のため池が点在する。

羽金山には日本標準時標準電波 JJYを送信するはがね山標準電波送信所がある。JJY送信所は日本に2か所あり、もう1つは福島県田村市川内村 おおたかどや山

気候

佐賀市街
雨温図(説明)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
57
10
1
 | 
78
11
2
 | 
129
15
5
 | 
156
20
10
 | 
198
25
15
 | 
339
28
20
 | 
339
32
24
 | 
197
33
24
 | 
180
29
20
 | 
76
24
14
 | 
76
18
8
 | 
48
12
3

気温(°C)
総降水量(mm)
出典:気象庁、1981年-2010年平年値

インペリアル換算
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2.2
50
34
 | 
3.1
53
36
 | 
5.1
58
42
 | 
6.1
69
50
 | 
7.8
77
58
 | 
13
82
67
 | 
13
89
74
 | 
7.8
91
75
 | 
7.1
84
68
 | 
3
75
57
 | 
3
64
47
 | 
1.9
54
38

気温(°F)
総降水量(in)

夏に雨が多い太平洋側気候、その中でも温暖で年平均気温が17℃前後と高めの九州型気候に入る。また同じ九州北西岸の福岡市長崎市と同様に、冬季は降水量は少ないが曇天の日が多い特徴がある。年間雪日数は15.3日と雪の降る日は珍しくないが、市南部(平野部)では積もることは非常に少ない。また同じ有明海沿岸の熊本市久留米市などと同様に、気温の上下幅が大きい内陸性気候の傾向がある。近隣の唐津市や福岡市に比べ最低気温が低く、最高気温が高くなるうえ、1日の最低気温と最高気温の差も大きい。 山間部は市街地に比べて年間降水量が多く、年平均気温がやや低い。また、玄界灘からの北西季節風に伴い積雪することもある。

佐賀地方気象台(佐賀市駅前中央、標高6m)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 21.1
(70) | 23.1
(73.6) | 25.7
(78.3) | 30.8
(87.4) | 35.8
(96.4) | 37.1
(98.8) | 39.6
(103.3) | 38.6
(101.5) | 36.4
(97.5) | 32.6
(90.7) | 29.6
(85.3) | 24.5
(76.1) | 39.6
(103.3)
平均最高気温 °C (°F) 9.8
(49.6) | 11.4
(52.5) | 14.6
(58.3) | 20.4
(68.7) | 25.1
(77.2) | 28.0
(82.4) | 31.5
(88.7) | 32.5
(90.5) | 29.1
(84.4) | 23.9
(75) | 17.8
(64) | 12.3
(54.1) | 21.4
(70.5)
日平均気温 °C (°F) 5.4
(41.7) | 6.7
(44.1) | 9.9
(49.8) | 15.0
(59) | 19.5
(67.1) | 23.3
(73.9) | 26.8
(80.2) | 27.8
(82) | 24.2
(75.6) | 18.6
(65.5) | 12.9
(55.2) | 7.6
(45.7) | 16.5
(61.7)
平均最低気温 °C (°F) 1.3
(34.3) | 2.3
(36.1) | 5.3
(41.5) | 9.8
(49.6) | 14.7
(58.5) | 19.6
(67.3) | 23.6
(74.5) | 24.1
(75.4) | 20.2
(68.4) | 13.9
(57) | 8.3
(46.9) | 3.1
(37.6) | 12.2
(54)
最低気温記録 °C (°F) -6.9
(19.6) | -6.2
(20.8) | -4.1
(24.6) | -1.1
(30) | 3.7
(38.7) | 8.2
(46.8) | 14.3
(57.7) | 16.2
(61.2) | 9.4
(48.9) | 1.8
(35.2) | -1.3
(29.7) | -6.5
(20.3) | -6.9
(19.6)
降水量 mm (inch) 56.7
(2.232) | 77.5
(3.051) | 128.6
(5.063) | 156.2
(6.15) | 198.2
(7.803) | 339.0
(13.346) | 338.5
(13.327) | 196.9
(7.752) | 179.5
(7.067) | 75.5
(2.972) | 75.9
(2.988) | 47.7
(1.878) | 1,870.1
(73.626)
降雪量 cm (inch) 4
(1.6) | 2
(0.8) | 0
(0) | - | - | - | - | - | - | 0
(0) | 0
(0) | 1
(0.4) | 6
(2.4)
平均降水日数 (≥ 0.5mm) 9.3 | 8.8 | 12.2 | 10.7 | 10.1 | 13.3 | 13.1 | 10.6 | 9.9 | 6.0 | 8.0 | 8.1 | 120.1
平均降雪日数 (≥ 目視) 6.4 | 4.0 | 1.5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3.3 | 15.2
% 湿度 69 | 66 | 66 | 66 | 67 | 73 | 77 | 72 | 71 | 69 | 70 | 69 | 70
平均月間日照時間 124.3 | 138.0 | 156.3 | 183.2 | 191.1 | 140.1 | 170.2 | 206.7 | 176.3 | 189.9 | 150.3 | 142.7 | 1,969
出典: 気象庁。平年値:1981年-2010年、極値:1890年以降

地域

【地域】
【面積/km】
【世帯】
【人口】
旧市町村
(旧佐賀市) 127.49 | 67,716 | 0161,551 | 佐賀市
諸富町 012.02 | 03,985 | 01,1392 | 佐賀郡諸富町
大和町 055.42 | 08,071 | 022,319 | 佐賀郡大和町
富士町 143.25 | 01,512 | 004,314 | 佐賀郡富士町
三瀬村 040.70 | 00489 | 001,431 | 神埼郡三瀬村
川副町 046.49 | 05,802 | 01,7724 | 佐賀郡川副町
東与賀町 015.39 | 02,747 | 008,684 | 佐賀郡東与賀町
久保田町 014.39 | 02,752 | 008,394 | 佐賀郡久保田町
計 431.42 | 93,074 | 235,809
  1. ^ 2011年9月30日

人口


佐賀市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 佐賀市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 佐賀市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

佐賀市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 | 215,000人 | 

1975年 | 222,687人 | 

1980年 | 236,029人 | 

1985年 | 242,072人 | 

1990年 | 243,726人 | 

1995年 | 246,674人 | 

2000年 | 243,076人 | 

2005年 | 241,361人 | 

2010年 | 237,506人 | 

2015年 | 236,372人 | 


総務省統計局 国勢調査より

2010年10月1日の国勢調査時の諸統計

町・大字

佐賀市の地名を参照のこと。

土地区画整理事業

歴史

沿革

佐賀城鯱の門

縄文時代から弥生時代にかけて、市南部の平野地域はまだ海底であったが、度重なる海進・海退と河川による土砂運搬により、今ある佐賀平野が作られる。また有明海の干拓によって平野面積がさらに拡大した。

律令制下では肥前国に属し、現在の佐賀市大和町に肥前国国府が置かれた。戦国時代には龍造寺氏をはじめ、鍋島氏石井氏高木氏於保氏八戸氏などの在地領主が割拠していたが、龍造寺氏がそれらを統合して戦国大名化。城下町の基礎が形成された。龍造寺氏が絶えたのちの1608年(慶長13年)、龍造寺氏の重臣であった鍋島直茂が藩主の座に就き、以後は廃藩置県まで鍋島氏が統治する佐賀藩の本拠地となり、佐賀城が築城された。水運と農業中心の小さな町だった現在の佐賀市街付近は、佐賀城築城後に佐賀藩本藩の城下町として発展し、商工業が大きく発達した。

佐賀藩は別名を肥前藩ともいい、明治維新において、版籍奉還を上奏した「薩長土肥」の1つとなった。また、長崎に近かったため西洋科学技術を積極的に導入し、幕末には精錬方(藩立の科学技術研究所)、反射炉三重津海軍所(造船所・海軍修練所)などが設置され、鉄製大砲蒸気船、指字電信機(エーセルテレカラフ)、暗箱カメラなどが外国の技術者に頼ることなく独力で製作され、我が国の科学技術近代化に大きく貢献した。

明治時代は佐賀県の併廃とともに佐賀県、伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県、と変わり、最後には佐賀県が分離されてその県域に入った。1889年の市制施行時の市域は現在の市中心部の一部だったが、昭和の大合併により旧佐賀市、平成の大合併により現在の佐賀市の市域となった。これにより市域は福岡県境へと拡大した。人口規模は特例市の要件(20万人)を満たし、2014年4月1日付けで移行された。

佐賀市は、太平洋戦争において米軍による爆撃優先順位が180都市中101番目と決して低くなかったが、幸いにも誤爆により中心部の被害は免れ城下町の古い街並みがそのまま残った。しかし、その後目立った街並みの保存運動等が起こることが無く無秩序な建て替えなどでその多くが失われ、佐賀市歴史民俗館建物群がある旧市街東部の長崎街道沿いなどで江戸-大正にかけての町屋建築や明治 - 大正にかけての洋風建築の街並みを見ることができるのみであり、その他の旧城下市街では纏まった古い街並みは少なく古い町屋や洋館が散在する状況にある。ただし、江戸時代からの町割りや水路は良好に残されており、江戸時代の石積護岸の水路や石橋が今も現役で使用されている。

年表

佐賀の乱の忠魂碑

佐賀市は1970年代以降開発が急速に進められて都市らしくなっていったが、それまでは都心の一部を除き農村と変わらない風景だった。

12世紀 - 16世紀(鎌倉時代室町時代) : この時期平野部では、小地頭家人・有力百姓らが新田開墾を進めながら、自らの領地に環濠の発達した城郭を築いて割拠していた。この頃の代表的遺構に、久保泉町の古村周辺遺跡がある。やがて戦国時代に入ると水ケ江城を拠点としていた龍造寺氏戦国大名として北部九州の広範囲にまで勢力を拡大するが、大友氏に押されて肥前東部の支配に収まる。17世紀初頭には領家が鍋島氏に継承され、佐賀藩領主となる。

17世紀 - 19世紀(江戸時代明治時代前期) : 佐賀藩は当初の厳しい財政を新田開発や倹約により立て直し、長崎街道を有しまた長崎警備を行っていたという地の利から先進的科学技術の導入を進めたことで、幕末には高い軍事力・技術力を有するに至った。倒幕運動への参加は戊辰戦争からと後発だったが、以降明治政府へ多くの人材を輩出する。

2010Happy Mail