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倉敷市とは?

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くらしきし
倉敷市
倉敷美観地区・中橋と考古館

 | 
倉敷市旗 | 倉敷市章
1967年10月1日制定


【国】
日本
【地方】
中国地方山陽地方
中国・四国地方
【都道府県】
岡山県
市町村コード
33202-0
法人番号
6000020332020
【面積】
355.63km

【総人口】
475,843[編集]
(推計人口、2019年10月1日)
人口密度
1,338人/km
【隣接自治体】
岡山市玉野市総社市浅口市小田郡矢掛町都窪郡早島町
(海上で隣接)
香川県:坂出市丸亀市
【市の木】
クスノキ
【市の花】
フジ
【市の鳥】
カワセミ
倉敷市役所

【市長】
伊東香織
【所在地】
710-0833
岡山県倉敷市西中新田640番地
北緯34度35分6.3秒東経133度46分19.6秒座標: 北緯34度35分6.3秒 東経133度46分19.6秒
市庁舎位置


【外部リンク】
倉敷市

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村



ウィキプロジェクト

倉敷市(くらしきし)は、日本中国地方岡山県南部に位置する。白壁の町並みが残る倉敷美観地区本州四国を結ぶ瀬戸大橋などで知られる。中国地方で三番目の人口を擁し、中核市に指定されている。

目次

  • 1 概要
  • 2 地理・地勢
    • 2.1 主な自然地形
    • 2.2 気候・環境
  • 3 市勢
    • 3.1 人口
    • 3.2 近隣都市との関係
    • 3.3 隣接している自治体・行政区
  • 4 歴史
    • 4.1 古代〜中世
    • 4.2 近世
    • 4.3 年表
    • 4.4 地名の由来
    • 4.5 市域の変遷
  • 5 政治・行政
    • 5.1 市長
    • 5.2 市役所組織
    • 5.3 市議会
    • 5.4 岡山県議会(倉敷市・都窪郡選挙区)
    • 5.5 衆議院
    • 5.6 警察
    • 5.7 消防
    • 5.8 財政
  • 6 姉妹都市・提携都市
    • 6.1 海外
    • 6.2 日本国内
  • 7 倉敷市にある出先機関
    • 7.1 岡山県の出先機関
    • 7.2 官庁出先機関
  • 8 主な医療機関
  • 9 経済
    • 9.1 商業
    • 9.2 工業
    • 9.3 農業
    • 9.4 水産業
    • 9.5 本社を置く企業
    • 9.6 倉敷市ゆかりの企業
  • 10 交通
    • 10.1 鉄道
    • 10.2 バス
    • 10.3 道路
    • 10.4 自動車のナンバープレート
  • 11 教育
    • 11.1 大学
    • 11.2 短期大学
    • 11.3 高等学校
    • 11.4 中高一貫校
    • 11.5 中学校
    • 11.6 小学校
    • 11.7 特別支援学校
    • 11.8 各種学校
    • 11.9 専修学校
    • 11.10 学校教育以外の施設
  • 12 インフラ等
    • 12.1 電気
    • 12.2 都市ガス・供給区域
    • 12.3 上水道
    • 12.4 下水道
  • 13 通信
    • 13.1 電話
    • 13.2 郵便
    • 13.3 放送
    • 13.4 新聞
    • 13.5 出版
  • 14 観光
    • 14.1 観光地
    • 14.2 祭事・催事
    • 14.3 特産品
  • 15 文化・施設・スポーツ
    • 15.1 商工団体
    • 15.2 スポーツチーム
    • 15.3 音楽団体
    • 15.4 その他各種団体
    • 15.5 文化施設
    • 15.6 公園・スポーツ施設等
  • 16 倉敷市を舞台にした作品
  • 17 倉敷市出身・ゆかりの著名人
    • 17.1 政治
    • 17.2 社会活動家
    • 17.3 経済
    • 17.4 学術
    • 17.5 文化・芸術
    • 17.6 芸能
    • 17.7 マスコミ
    • 17.8 スポーツ
    • 17.9 その他
  • 18 脚注
    • 18.1 注釈
    • 18.2 出典
  • 19 参考文献
  • 20 関連項目
  • 21 外部リンク

概要

岡山県下では県庁所在地で東に隣接する岡山市に次いで二番目の人口を擁し、岡山市や周辺自治体と共に岡山都市圏を形成している。また、備中県民局の本庁が置かれ、県西部(高梁川流域圏)の中枢都市としての機能も有する。倉敷川沿いの白壁の町並みが「美観地区」として保存されており、観光の街としての顔を持つ一方、市内における製造品出荷額(2016年)は3兆円超に上り、大阪市などと並び西日本を代表する工業都市でもある。

主要な地域としては行政観光倉敷重化学工業地帯のお膝元・水島学生服ジーンズメッカ児島貿易港新幹線駅を有する玉島などといった地理や歴史の異なる多様な地域で形成されている。また、行政人口48万人の中核市であるが、四つの主要地域の人口規模は倉敷で約20万人、水島・玉島・児島は概ね10万人弱で市街地も分散しているため、港湾・工業・観光の機能を除けば東に隣接する岡山市衛星都市的性格になっている。

倉敷市は1928年(昭和3年)に都窪郡倉敷町の市制施行に伴い、初代の市が発足した。その後、1967年(昭和42年)の初代倉敷市・玉島市・児島市の3市による新設合併に伴い、現在の二代目倉敷市が発足した。

初代・倉敷市の詳細は歴史の節、もしくは倉敷地域を参照

地理・地勢

市域は岡山県の南中央部に位置し、市西部を高梁川が北から南に流れ瀬戸内海にそそいでいる。平野の多くは干拓地や沖積平野で占められ、児島地域を除き比較的平坦である。市内には児島、亀島山、玉島、連島など「島」の付く地名が多く、それらの地域が陸続きになって今の市域が形成されている(「島」の付く地名は、かつて付近一帯が干拓される以前には島だった名残である)。

山陽新幹線山陽本線山陽自動車道国道2号が東西に横断し、山陰地方を結ぶ伯備線四国を結ぶ瀬戸大橋(瀬戸大橋線瀬戸中央自動車道)も市内を経由しており、交通・物流の結節点としての重要な地位を占めるに至っている。

主な自然地形

平成30年7月豪雨では小田川の堤防が決壊、甚大な被害を出した。

気候・環境

温暖で晴れの日が多く雨が少ない瀬戸内海式気候に属する反面、高梁川による豊富な水資源の恩恵で水不足になることは稀である。冬から春にかけては、中国大陸から流入する黄砂に見舞われることもある。また冬には積雪の観測される日も年に1~2回程度はあるが、大雪は極めて少ない。

太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「」が発生し、35度を超える猛暑酷暑となる日や、熱帯夜になる日もある。また、瀬戸内海を隔てて南方に位置する千数百メートル級の急峻な山々が連なる四国山地により台風が直撃することが滅多に無く、直上を通過しても四国山地で勢力が弱められて甚大な被害とはならない場合が多いのも特徴。

大部分が沖積平野干拓地である平野部は河川や海の水面との差があまりない低地が多く、明治時代まで東西に分かれていた高梁川が度々氾濫を起こす水害の多い地域であった。しかし、大正時代に用水路の整備とともに改修工事が行われ現在の形に一本化された後は大きな水害が少なくなった。

倉敷の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 16.1
(61) | 22.5
(72.5) | 23.4
(74.1) | 30.5
(86.9) | 32.6
(90.7) | 35.2
(95.4) | 36.4
(97.5) | 37.1
(98.8) | 36.0
(96.8) | 31.9
(89.4) | 25.1
(77.2) | 19.9
(67.8) | 37.1
(98.8)
平均最高気温 °C (°F) 9.0
(48.2) | 9.7
(49.5) | 13.1
(55.6) | 19.2
(66.6) | 23.9
(75) | 27.2
(81) | 30.6
(87.1) | 31.9
(89.4) | 28.1
(82.6) | 22.7
(72.9) | 16.9
(62.4) | 11.7
(53.1) | 20.3
(68.5)
平均最低気温 °C (°F) 0.1
(32.2) | 0.3
(32.5) | 3.2
(37.8) | 8.4
(47.1) | 13.5
(56.3) | 18.7
(65.7) | 23.1
(73.6) | 24.0
(75.2) | 19.7
(67.5) | 12.8
(55) | 6.9
(44.4) | 2.1
(35.8) | 11.0
(51.8)
最低気温記録 °C (°F) -5.4
(22.3) | -8
(18) | -3.5
(25.7) | -0.8
(30.6) | 3.1
(37.6) | 9.8
(49.6) | 16.0
(60.8) | 17.1
(62.8) | 8.9
(48) | 2.7
(36.9) | -0.9
(30.4) | -4.1
(24.6) | -8
(18)
降水量 mm (inch) 32.2
(1.268) | 47.1
(1.854) | 82.7
(3.256) | 86.3
(3.398) | 116.1
(4.571) | 153.2
(6.031) | 146.1
(5.752) | 75.7
(2.98) | 129.3
(5.091) | 79.6
(3.134) | 50.8
(2) | 30.5
(1.201) | 1,029.6
(40.535)
平均月間日照時間 137.7 | 137.5 | 164.2 | 185.0 | 187.4 | 143.5 | 164.9 | 198.5 | 154.8 | 169.4 | 150.0 | 147.1 | 1,935.5
出典 1: 気象庁(統計期間:気温・降水量は1981-2010年、日照時間は1988-2010年)
出典 2: 気象庁

市勢

(平成25年8月末日の登録人口による)

人口


倉敷市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 倉敷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 倉敷市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性


倉敷市(に相当する地域)の人口の推移

総務省統計局 国勢調査より


近隣都市との関係

当市は岡山都市圏に含まれ岡山市とは人的交流に加え行政面でも密接な関係を持ち、全体的に岡山への通勤・通学者が圧倒的に多い。しかし、両市は過去に県主導で行われた合併構想を破談にしており、かつて倉敷市は代官所が置かれた天領、岡山市は外様大名城下町であったという中心地域成立の歴史的違いによる対抗心も根強いものがある。なお、児島地域は岡山市と同じ旧備前国、江戸時代は岡山藩の支配下におかれ、交通の便も岡山市の方が良いなど繋がりが強く、本社の移転や最初の出店は岡山市内に構えることが多い。

また、県境を越えて西にある福山都市圏や、瀬戸大橋(瀬戸内海)を越えた対岸の高松都市圏との交流も少なくない。市内の地域によって事情は異なるが、地理的な位置関係からJR山陽本線沿線の玉島地域・倉敷地域は福山、南の児島地域は高松への通勤・通学者もいる。

隣接している自治体・行政区

香川県(海上で隣接)

歴史

各地域の沿革の詳細は、倉敷水島玉島児島庄村茶屋町船穂町真備町の各ページを参考のこと

古代〜中世

熊野神社

市内の最も古いとされる遺跡は紀元前2万年頃先土器時代鷲羽山遺跡で、この当時瀬戸内海は陸地であったと推測されている。1万年前に氷河期が終わり海水面が上昇、6000年前までに海になった。もっとも早く村として形成されたとされるのが吉備路の南に位置する現在の庄地区北部で、この周辺はかつて「吉備の津」と呼ばれ吉備国の海の玄関であったことから、紀元前100年頃の上東遺跡(じょうとういせき)に楯築遺跡(たてつきいせき)や王墓山古墳群、6世紀頃に土器を生産した二子窯跡に加え650年頃に作られた日畑廃寺跡など多くの遺跡が集中している。

現在の倉敷市一帯は3世紀から律令国になるまでは吉備国、飛鳥時代7世紀後半の壬申の乱をきっかけに行われた吉備分割後は旧児島郡に含まれる地区が備前、それ以外は備中になった。備中国の中枢および国府は共に倉敷市の北に隣接し備中国分寺のある総社に置かれていたと思われる。総社の高梁川を隔てた西に位置する真備町一帯を拠点としていた吉備国の有力氏族・下道氏(しもつみち)出身の吉備真備が活躍したのは奈良時代8世紀中頃である。

倉敷地域倉敷美観地区周辺は吉備の穴海(児島湖児島湾の原型)と呼ばれた内海に浮かぶ鶴形山向山によって形成された鶴形島(円亀島、阿智島)を起源とする。平安時代始め頃には既に陸続きになり、周辺は阿智潟と呼ばれる干潟であった。藤原純友の乱の後、小野好古が鶴形山に南にを築き中世まで小野氏が支配したと云われる。倉敷の名前が登場するのは近世になってからであるが、以前より水夫(かこ)の港が現在の船倉町辺りにあったとされる。水夫達は周辺で行われた数々の戦いにかり出され、水軍として活躍したといわれている。ちなみに中世の高梁川河口は現在の水江・船穂町柳井原・船穂町水江付近である。

児島地域は吉備児島(または備前児島)と呼ばれた離島の西側にあたり、『古事記』や『万葉集』等に書かれた古くから海上交通の要衝であった。奈良時代に建立された熊野十二社権現の寺社地や通生荘(かよおのしょう)の荘園等が存在し、本州と四国を結ぶ中継地として栄えた。藤原純友の乱源平合戦藤戸の戦い南北朝の戦い等に関わり戦国時代には政治軍事上の要地として豪族の争奪戦が行われるなど、度々戦乱の舞台にもなった。『太平記』に登場する児島高徳は当地の出身であるとする説がある。

玉島地域の平野は江戸時代初め頃まで七島・柏島・乙島(おとしま)等の島々に囲まれた甕ノ海(もたいのうみ)という内海であった。八島から道口一帯は甕ノ泊(もたいのとまり)といわれた天然の良港で中世から備中国の海の玄関になり、古墳時代~室町時代に陶(すえ)から亀山周辺で生産された須恵器(亀山焼)という(かめ)等の土器を出荷していた。また、玉島旧市街地周辺の海は万葉集で"玉の浦”と読まれ、場所は水島の戦い源義仲が陣を敷いた乙島の北岸で現在の通町付近と推測されている。

和名類聚抄(平安時代の辞書)によると7世紀の律令制によって定められた現在の倉敷市内にあたる行政区域は大まかに次の通りとされる。

※括弧内は近辺と推定される現在の地名

近世

旧・野崎邸

倉敷一帯の島々は豊臣政権の五大老であった宇喜多秀家が始めた干拓江戸時代以降も続き、やがてそれらの島々が陸続きになり現在の平野が形成された。なかでも小豆島に匹敵する大きさの吉備児島は児島半島となった。江戸時代に入り幕藩体制下ではかなり複雑な統治がされており、場所によって様々な領地が入り乱れている。天領である倉敷代官所領の他、備中松山藩岡山藩(鴨方藩生坂藩等の支藩を含む)・浅尾藩丹波亀山藩岡田藩他の大名領に加え、知行処(旗本領)や寺社領などがあった。

天領になった倉敷旧市街は高梁川と児島湾を結ぶ運河として倉敷川が作られ内陸の港町になり、1614年備中松山城の城番で備中代官であった小堀政一陣屋を構えた後、代官所(支配所)がおかれた。その後、倉敷が商人の町として発展したのは港の機能より年貢米の集積地としてであった。倉敷代官所は商人たちの自治を認め優遇したことで人口も増加し、領地は名目上5万石であったが、実質は10万石以上の領地を支配した。ちなみに、倉敷代官所は現在の倉敷アイビースクエアのある場所に置かれ、美観地区蔵屋敷はこれによって富を得た商人の蔵である。

児島地区は岡山藩の支藩である天城池田家支配の下、古くからの産業である塩田に加え、周辺の新田で栽培された綿花を使った機織りが盛んになり、藩はそれらに専売制を取り入れ財政の柱にすえる。やがて機織りによって作られた製品が地場産業となり、真田紐足袋等といった名産品を生み出し“繊維の町・児島”の素地を形成していく。沿岸の港のうち下津井北前船の寄港地、田の口と下村(現下の町)は瑜伽大権現四国金刀比羅宮を結ぶ港として繁栄した。

玉島地区の甕ノ泊は備中松山藩藩主の水谷勝隆勝宗親子と岡山藩による干拓で瀬戸内海側に面していた乙島や柏島と陸続きになった。その後、水谷氏により高瀬通しと呼ばれる水路が作られ、下流の玉島新田と阿賀崎新田は高梁川上流から高瀬舟によって運ばれてくる物資を北前船に載せる積出港として発展した。やがて“玉島湊”として全国に知られるようになるが、1693年水谷氏断絶後は幕府に領地の多くが接収され、備中松山藩領として残った羽黒神社周辺を除き倉敷代官所、岡山藩、丹波亀山藩等によって細分統治された。

年表

(645年 - 大化の改新)
(794年 - 平安遷都)
(1603年 - 江戸幕府開府)
(1868年 - 明治維新)
旧・倉敷町役場
空襲後の水島

※市町村合併関連は下記の市域の変遷を参照

(1941年(昭和16年) - 太平洋戦争開戦)
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