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入れ墨とは?

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入れ墨(いれずみ)は、針・刃物・骨片などで皮膚を刺突、切るなどして、そこに墨・煤・朱などの色素を入れ着色し、文様・文字・絵柄などを描く手法、および、その手法を使って描かれたものである。

起源

2,500年前のアルタイ王女ミイラ: 腕の部分の皮膚に入れ墨が残されている
入れ墨状の文様を持った土偶

入れ墨は比較的簡単な技術であり、野外で植物のが刺さったり怪我をしたりした際に、入れ墨と同様の着色が自然に起こることがあるため、体毛の少ない現生人類の誕生以降、比較的早期に発生し普遍的に継承されて来た身体装飾技術と推測されている。

古代人の皮膚から入れ墨が確認された例としては、アルプスの氷河から発見された5300年前のアイスマンが有名であり、その体には入れ墨のような文様が見つかっている。

また、1993年に発掘された2,500年前のアルタイ王女のミイラは、腕の皮膚に施された入れ墨がほぼ完全な形で残されたまま発掘されている。

日本の縄文時代に作成された土偶の表面に見られる文様は、世界的に見ても古い時代の入れ墨を表現したものと考えられており、縄文人と文化的関係が深いとされる蝦夷アイヌ民族の間に入れ墨文化が存在(後述)したため、これも傍証とされる。

続く弥生時代にあたる3世紀の倭人(日本列島の住民)について記した『魏志倭人伝』には「男子皆黥面文身」との記述がある。黥面とは顔に入れ墨を施すことであり、文身とは身体に入れ墨を施すことであるため、これが現在確認されている日本の入れ墨の最古の記録である。

また『魏志倭人伝』と後の『後漢書東夷伝』には、

と、共通した内容の入れ墨に関する記述が存在し、入れ墨の位置や大小によって社会的身分の差を表示していたことや、当時の倭人諸国の間で各々異なった図案の入れ墨が用いられていたことが述べられている。魏志倭人伝では、これら倭人の入れ墨に対して、中国大陸の揚子江沿岸地域にあった呉越地方の住民習俗との近似性を見出し、『断髪文身以避蛟龍之害』と、他の生物を威嚇する効果を期待した性質のものと記している。

目的

個体識別

入れ墨は容易に消えない特性を持ち、古代から現代に至るまで身分・所属などを示す個体識別の手段として古くから用いられて来た。

アウシュヴィッツ強制収容所で入れ墨されていた収容者番号

有名な例ではナチ親衛隊員が、戦闘中に負傷した際に優先的に輸血を受けられるよう左の腋下に血液型を入れ墨(SS blood group tattoo)していたほか、アウシュヴィッツなどの強制収容所に収容された人々は腕に収容者番号を入れ墨されていた。

人間以外の家畜やペットに対しても個体認識のために入れ墨や焼印が行われて来た歴史があり、かつての欧米では囚人の管理用に広く用いられたほか、近年でもユーゴ内戦時の各収容所において入れ墨による識別が行われていたことが知られている。

また、こうした強制的なケースばかりではなく、出漁中に事故に遭う可能性のある漁師が、身元判定のために入れ墨するケース(類似に木場川並が好んで入れていた「深川彫」など)や、首を取られてしまえば身元不明の死体として野晒しになるおそれのあった日本の戦国時代の雑兵が、自らの氏名などを指に入れ墨したケースなども知られている。

刑罰

罪を犯した者に対して顔や腕などに入れ墨を施す行為は、古代から中国に存在した五刑のひとつである(ぼく)・(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡るとされる。

墨刑は額に文字を刻んで墨をすり込むもので、五刑の中では最も軽いものだった。前漢の将軍・英布(黥布)は若い頃に顔に罰として入れ墨を施されたことから逆に自ら黥を名乗ったと伝えられている。

日本書紀』中にも、履中天皇元年四月に、住吉仲皇子の反乱に加担した阿曇野連浜子に『即日黥』(その日に罰として黥面をさせた)との記述がある。この記述は、海人の安曇部の入れ墨の風習を、中国の刑罰と結びつけて説いた起源説話とされている。阿曇野連は漁民でもある海部(あまべ)を統括する氏族であり、河内飼部は馬の飼育にかかわる河内馬飼部(うまかいべ)のことであり、また鳥の飼育をするのが鳥養部(鳥飼部)である。これらは、生き物を飼う職能集団であるという共通性がみられる。飼育している生き物からの危害を避け、威嚇する意味も含めて、こうした呪術的意味を含み黥面をしていたと推側する研究者もいる。

また『日本書紀』雄略天皇10年10月には宮廷で飼われていた鳥が犬にかみ殺されたので、犬の飼い主に黥面して鳥飼部(とりかいべ)としたとの記述がある。

江戸時代には左腕の上腕部を一周する1本ないし2本の線(単色)の入れ墨を施す刑罰が科せられた。施される入れ墨の模様は地域によって異なり、額に入れ墨をして、段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字を入れ、五度目は死罪になるという地方もあった。

ファッション

米国における入れ墨は、1960年代末に世界的に流行したヒッピー文化に取り入れられ成長したため、その図案や表示するメッセージなどにおいて両者は不可分の関係にあり、ドラッグ・カルチャーとの関連からヒッピー達が好んだヒンドゥー教チベット仏教に由来する梵字オカルト的な図案が多く好まれていた。

近年の日本では、ヒッピー文化の影響を受けた両親を持つ団塊ジュニア世代以降の若年層に第2世代ヒッピーが、ファッションとしての意味合いで入れ墨を施すことが流行している。こうした「入れ墨のファッション化」と日本国内のサブカルチャーの影響により、アニメのキャラクターやアイドルなどを入れ墨する事例も現れている。入れ墨といえば前述の反社会性ばかりが取沙汰された時代があったが、歌手の安室奈美恵が自らの亡き母親や息子の名前を入れ墨にしている事例からも解るように、一部の人たちは「愛する対象との同一化」や「憧れの対象との同一化」を図るための自己表現の為の装飾道具に変化しつつあると主張している。

また、このような大衆社会の風潮に対して、大手企業を中心としたマスメディアでは「入れ墨」を従来の入れ墨と同様に反社会的なサインとして関連付けてイメージ誘導する例が見られる。

美容用途

ヘナを用いて手に文様を描く印僑女性: シンガポール

女性の眉や唇などに針の深度を浅くしたアートメイク・タトゥー(数年で薄くなるが完全に消えはしない)を施すほか、南アジアやアフリカの女性が施すヘナ(植物性の染料)を用いて手に模様を描く(染料なので消える)ことが行われている。 TATsと呼ばれるエアブラシを用いて皮膚表面に色素を定着させ、針を使った入れ墨に近い描画を可能とした技法も存在する。この手法では一度描いた文様を油性溶剤を用いて消し去り、新たに描き直すことも可能であるため、一般的な入れ墨では忌避されるような図案であっても大胆に描くことが可能であり、入れ墨を入れる前に図案が自分に合うかどうか事前に確認する用途にも用いることができる。 また、神社の祭礼時の出店などで良く売られている、模様の印刷された極薄のフィルムに超微粒子の顔料を使用した、プラモデルの耐水デカールの様に肌に転写する「タトゥーシール」もあり、ファッションの一部として用いられているが、こうした“消せるタトゥー(入れ墨)”の存在が「入れ墨は消せないが、タトゥーは消せる」といった誤った認識を一般人の間で蔓延させる要因ともなっている。(ただし針を浅く入れるライトタトゥーをおこなえば、数年で消えてしまうようにする事も可能である。) 美容用途の入れ墨は人間以外に対しても行われており、色素が薄い白毛の犬などの鼻部に生じてしまう白斑を隠すために黒色の入れ墨を施し、ドッグショーでの評価を上げるケースなどが知られている。

性的装飾

主に性的サービス業に従事する女性が、男性の性的興奮を高める性的装飾として入れ墨を施す文化が各国に存在しており、女性器の周辺を装飾している場合も多い。 東南アジアの一部の国においては、適齢期に婚期を逃した独身女性が眉部に太幅の眉毛の形状(ちょうど日本のバブル期に流行した眉毛の形である)に入れ墨を施すことで、特定の男性に限定されずに幅広く恋愛を行う意思(=夜這いへの誘い)を示すサインとする習俗がある。

組織帰属の証

日本の暴力団や中華系のなど、反社会的な組織の構成員の多くが入れ墨を入れている。欧米においても、ロシアのマフィアや米国の白人至上主義団体が入れ墨を構成員の象徴として用いている。 日本の暴力団関係者が入れ墨をする理由としては、社会からの離脱と帰属組織への忠誠を表す、痛みに耐えて消えない刻印を背負うことで覚悟を示す、また「彫り物をしている」と流布することで周囲を威圧する、等が挙げられる。その図案は日本の伝統的な題材を描いたいわゆる「和彫り」が主流である。 特定の犯罪組織への帰属を示す入れ墨の存在により当該犯罪組織からの離脱が困難になる場合があるため、米国においては自発的な犯罪組織脱退者に対して入れ墨除去手術の費用を公的に負担する場合がある。 反社会的な組織に限らず、近代国家においても、国家への帰属意識・忠誠の確認として入れ墨を入れた例がある。朝鮮戦争において中華人民共和国が義勇軍の名目で参戦した時、実際にはその名に反して多くの者が国民党軍から寝返ったばかりの兵士であり、人海戦術の使い捨ての駒とされた。そのため少なからぬ数の兵士が、自ら国連軍に投降し、そうでなくても捕虜となった義勇軍兵士たちは、中華人民共和国への帰参を望まなかった。中国義勇軍の捕虜たちの3分の2を占める1万4000人が大陸ではなく、台湾への渡航を希望した。台湾への渡航を希望する者は、自らの意思で、あるいは半ば強制されて、国民党への忠誠・反共を表す文言を入れ墨として入れた。

医療関係

入れ墨による色調再建(左乳輪)
乳頭・乳輪の再建
形成外科領域では、乳頭・乳輪の再建のために入れ墨の技術を用いることがある。
乳房再建#乳頭・乳輪の再建」も参照
メディカル・アラート・タトゥー
意識を失っている状態やその緊急搬送時などの、自身の身体情報や病歴を伝達できない状況の想定下で、持病やアレルギーや、検視では判別が難しい内臓の異常を医療従事者などに迅速に知らせる目的のタトゥーのことで、脈拍を検べるときに発見しやすい手首の内側に入れる人が多い。緊急性はないが、見た目で判別がつきにくいことで他者から誤解されやすいため、片耳に聴覚障害を知らせるタトゥーを施した例もある。
傷跡隠し
家庭内暴力や暴行、自傷の傷跡を隠すためのタトゥー。

入れ墨の技術

手ぬぐいを噛んで痛さに耐え恋人の名を刻む江戸時代の女郎。『風俗三十二相月岡芳年、1888年

器具を使ったから「洋彫り」、手で彫ったから「和彫り」とは一概に分類できず、絵の画風や全体の様子で判断する。和風の絵でも筋は器具で、ぼかしは手彫りで行うなど、手法は彫師により千差万別である。 現在は痛みの少ない機械彫りが主流であるが、日本の伝統的な手彫りの場合は激痛を伴う。痛みに耐えるために口に咥えるタオルが歯ぐきからの血で滲むこともある。そのため、暴力団などの間では手彫りが一種のステータスとなっている。現在では技術の進化、向上により肌へのダメージが最小限に抑えられていて、彫師の技術はそこで判断することもできる。

手法及び用語

手彫り(テボリ)
柄の先で針を束ね、手を動かして肌に墨を入れる。
羽彫り(ハネボリ)
手彫りの技術。針を皮膚に刺した後、針先を跳ね上げることで、穿孔が広がり色素が多く入る。
突き彫り(ツキボリ)
手彫りの技術。
隠し彫り(カクシボリ)
腋下・内股など他人には見られにくい場所に、花びらなどで隠れた名前や言葉、淫靡な絵を彫る。
毛彫り(ケボリ)
人物や動物の毛の部分を彫ること。通常よりも細い針で彫ることが多い
筋彫り(スジボリ)
下書きとしてボカシの前に全体の輪郭を彫る。
ボカシ(あけぼの)
墨の濃淡や各色を用いて、全体を彫っていく。
ツブシ
塗りつぶすこと
シャッキ
手彫りの音
マシーン彫りの様子
機械彫り(キカイ・マシーンボリ)
磁石の磁力または、モーターの回転運動を用い、機械の上下運動により肌に針を刺す。束ねられた針には、浸透圧により墨が蓄えられる構造。
ライナー・マシーン
ライン(筋彫り)を行うための「ライナー」と呼ばれる入れ墨器具。
シェーダーマシーン
シェーディングを行うための「シェーダー」と呼ばれる入れ墨器具。シェーディングとは、ツブシやボカシ、カラー等の施術を指す意味の用語。
半端彫り(ハンパボリ)
彫りの痛みに耐えられない、費用が続かないなどの理由により、入れ墨が途中で終わっていること。
白粉彫り(オシロイボリ)
血行が盛んになると浮き出ると言われている彫り物のこと。創作上のものであり、現実には不可能である。蛍光塗料を用いて、ブラックライトに浮かび上がる入れ墨は存在するが、通常の状態でも絵は見える。
二重彫り
刺青を入れた人物の図柄を入れること。水門破り、花和尚魯智深、九紋龍史進など。
図柄の周囲の雲や波を彫ったもの
抜き彫り
額を彫らずに主題だけを彫ったもの
古梅園
和彫りのインクとして使われる書道用の固形は、奈良の古梅園製の和墨が良いとされ、明治時代の彫師の間では、古梅園製の「桜」が定番として使用されていた。続きを別の彫師が彫る際、墨の銘柄が違っていると色が変わってしまうため、共通してこの銘柄が使われたのだという。菜種油煙の上質な墨が刺青にはいいとされており、現代では梅花墨、金神仙、五つ星紅花墨などが使われている。

医療的側面

オートクレーブ等の殺菌方法では血液中の全ての種類のウイルスを死滅させることはできないため、施術用の針やインクの再利用はC型肝炎等のウイルス感染の原因となる。そのため、血液の付着する施術用の針やインクは使い捨てにする必要がある。

昭和の頃に和彫りの入れ墨を施した者に対してはMRI検査を行うことができない場合がある。MRI検査の際に金属が多く含まれる顔料を使用した入れ墨がある部分に、火傷や痛み、入れ墨の変色が発生することや、MRI画像にノイズが入ることがあるためで、このようなトラブルは入れ墨に使われるインクの成分 (特に酸化鉄やその他の金属成分が原因とされる) によって発生する。そのため病院ではMRI検査の前に患者に入れ墨の有無を確認することがある。ただし、このような事例は平成以降に製造されたタトゥーインク(酸化鉄などをチタンなどの磁性を帯びない金属で代替しているインク)の場合には稀であり、アメリカ食品医薬品局は火傷のリスクに比べてMRIによる診断を行う有用性の方が非常に高いとしている。MRI撮影を行う場合でも、入れ墨がある部分に冷却材などを当て、医療従事者が細心の注意を払い、異常があれば即座に撮影を中断できるような体制を作ることが求められる。

入れ墨の除去

美容外科では入れ墨の除去手術が行われている。その方法としては、皮膚の表面を削りガーゼ等で顔料を吸い取る、自家植皮をする、レーザーで色素を分解する、入れ墨が小さい場合には縫い合わせる、といったものがある。入れ墨の除去手術をしても手術痕は残る上、複数回の手術が必要となるため患者は苦痛に耐え続けなければならず、健康保険が適用されないため多額の費用も必要であり、種々の困難を伴う。入れ墨を施す際には、除去手術が極めて困難であることを十分に考慮する必要がある。

日本における入れ墨

入れ墨の歴史

上古まで

縄文弥生期の日本は、世界でも有数の入れ墨文化を有していたと考えられている。縄文時代の土偶には入れ墨を思わせる紋様が描かれているほか、魏志倭人伝によると邪馬台国の男はみな入墨をしていたという。同書には、水に潜って漁をするときのまじないとして入れていたものが装いに転じ、地域や階級によって刺青が異なるとも書かれている。 古墳時代、4世紀になると入れ墨を施した埴輪(黥面埴輪)が登場すようになるが、6 - 7世紀ごろになると、入れ墨の文化は徐々に廃れていくものとなる。

古代の畿内地方には入れ墨の習俗が存在せず、入れ墨の習俗を有する地域の人々は外来の者として認識されていた、との主張も存在する。これは、古事記神武天皇紀に記された、伊波礼彦尊(後の神武天皇)から伊須気余理比売への求婚使者としてやって来た大久米命の“黥利目・さけるとめ”(目の周囲に施された入れ墨)を見て、伊須気余理比売が驚いた際の記述を論拠とするものである。

さらに、日本書紀には蝦夷が入墨をしているという記述があり、全員入墨をしていたという邪馬台国と大和朝廷とでは、入墨に関して正反対の態度が窺える。

これに対して、顔に入れ墨と思しき線が刻まれた人物埴輪が畿内地方からも出土している例や、出土地域による図案の違いから類型化もなされている事実などが、反証として挙げられている。

ただ、近年の研究では、アイヌのいれずみは縄文の形式を踏襲したものであり、弥生時代、古墳時代の黥面は、大陸側の龍文化の影響を受けて成立していたことが示されており、日本列島の東西黥面文化さらに大陸文化が混じることで、古代日本のいれずみ文化が形成されていたことが指摘されている。また『古事記』『日本書紀』にみる黥・文身の内容は、事実の記録ではなく、当時の国際情勢から政治的に操作されての記述であることが指摘されている。

奈良時代 - 戦国時代

古代の日本における入れ墨の習俗が廃れるのは、王仁および513年百済五経博士渡来による儒教の伝来以降と考えられる。

遣唐船の乗組員達に入れ墨の習俗があったとされ、後に発生した倭寇集団もまた入れ墨を入れており、海上交易や漁撈を生業とする人々の間では、呪術と個体識別の目的で広く入れ墨が施された。

この他、蝦夷隼人といった人々や、儒教と対立した密教の僧侶によって、入れ墨の技術が継承された。山岳仏教出身者であり、書寫山圓教寺を開いた性空は、胸に阿弥陀仏の入れ墨を入れていた。日本においては耳なし芳一の説話が有名だが、経文を直接身体に書き込む行為は、仏法への帰依とその加護を得る目的で広く行われた。現代のタイカンボジアなど小乗仏教の盛んな地域では、経文を身体に入れ墨する習慣が一般的に見られる。

中世に入ると人々の日常生活を描いた絵画が残されるようになるが、これらの絵画に入れ墨をした人々が描かれている例は見られない。

また、戦国時代には死を覚悟した雑兵達が、自らの名や住所を指に入れ墨で記す個体識別目的の習俗があった。

江戸時代

浪子燕青(水滸伝より)
歌川国芳
入れ墨を施した男性
フェリーチェ・ベアト撮影 1870年頃
アドルフォ・ファルサーリ撮影、明治初頭

17世紀頃になると、入れ墨に対する記録が残されるようになる。当時、入れ墨による芸術、表現の文化は社会であまり見かけないものであったが、江戸神田の釣鐘与弥左衛門には文字の入れ墨で「南無阿弥陀仏」とあったことが知られている。江戸や大阪などの大都市に人口が集中し始めたことから、犯罪の抑止を図る目的で入墨刑が用いられるようになり、1720年(享保5年)には、徳川吉宗が中国の明王朝で行われていた墨刑(入れ墨刑)を採用した。そのようなことから江戸の後期頃になると、罰としての「入墨(いれずみ)」(烙印)と、「彫り物(ほりもの)」(芸術表現)とで呼称を分けて、そこでの意味を区別する風潮が生じていた。

遊廓などにおいては、遊女が馴染みとなった客への気持ちを表現し起請する手段として、上腕に相手の年の数のほくろを入れたり、「○○命」といった入れ墨を施す「起請彫(きしょうぼり)」(神仏に禊を立てるという意味を持つ彫り物)と呼ばれた表現方法が流行した。

こうした風潮に伴って、古代から継承された漁民の入れ墨や、経文や仏像を身体に刻む僧侶の入れ墨といった、様々な入れ墨文化が都市で交わった。

現代に続く日本の華美な入れ墨文化は、江戸時代中期に確立された。

明和安永期(18世紀後半)になると、侠客の間で刺青を誇示することが目立ってきた。江戸火消しや鳶などを中心として『』を見せるために好んで施した。それは江戸時代での美意識を形成するものとなっている。

当時中国趣味が流行して『通俗忠義水滸伝』(18世紀後半)など翻案物が多く出版され、寄席・講談などで演じられるなど水滸伝ブームが起こり、物語に登場する豪傑たちの活躍を刺青にするのが明治期まで流行った。水滸伝は登場人物に刺青が施されている(史進)こともあり、任侠道にも通じるいわゆる「漢」の勇壮さを江戸期の人々に印象付け、刺青文化の発展に強い影響を与えた。

江戸時代末期には、歌川国芳を代表とする浮世絵などの技法を取り入れて洗練され、装飾としての入れ墨の技術が大きく発展した。

国芳は華やかな刺青に覆われた勇壮な男たちを描いた『通俗忠義水滸伝豪傑百八人之一個』シリーズを文政10年(1827年)より出版し、全身に刺青を施すという刺青史上画期的なブームを作った。また同じ文政年間ごろから、墨だけでなく朱や藍が入れられるようになった。

背中の広い面積を一枚の絵に見立て、水滸伝や武者絵など浮世絵の人物のほか、竜虎や桜花などの図柄も好まれた。額と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で色彩豊かな入れ墨の技法は、この時代に完成されている。

11代将軍徳川家斉文化年代(19世紀前半)に入れ墨の流行は極限に達し、博徒火消し飛脚など肌を露出する職業では、入墨をしていなければむしろ恥であると見なされるほどになった。

刑罰で入れ墨を施された前科者がより大きな入れ墨を施すことでこれを隠そうとする場合もあった。幕府はしばしば禁令を発し、厳重に取り締まったが、ほとんど効果は見られず、やがてその影響は武士階級にも波及して行き、旗本御家人の次男坊・三男坊や、浪人などの中にも、入れ墨を施す者が現れるようになり、図案にも「武家彫り」や「博徒彫り」といった出身身分の違いが投影された。

下総小見川の藩主内田正容などは、一万石の知行を持つれっきとした大名でありながら入墨を入れていたと言われる。ただし正容は幕府に不行跡を理由に隠居を命ぜられた。

時代劇で有名な江戸町奉行の遠山景元に入れ墨があったとの伝承が残されているが、これを裏付ける資料は発見されていない。

また、当時の武士階級の間では、入れ墨のある身体を斬ることに対して、その呪術性への恐れから生じた忌避感情が存在していたことも記録されており、市中では帯刀できない町人にとって、刃傷沙汰を避ける自衛策としての側面もあった。

明治以降

明治維新以降、近代国家体制の構築に邁進した新政府は外国人の目に対する配慮から、1872年(明治5年)の太政官令によって入墨刑を廃止するとともに、同年11月に司法省が発令した違式詿違条例を受けて旧幕臣出身である大久保一翁東京府知事が発した布告によって、装飾用途の入れ墨を入れる行為を禁止し、既に入れ墨を入れていた者に対しては警察から鑑札が発行された。入れ墨を施す行為は厳しく取り締まられ、当時の彫師達は取り締まりを恐れて住居を転々と移した。

他方、日本の伝統的入れ墨の芸術性と高い技術は外国船の船員を通じて世界に広く知られ、1881年に英国のジョージ5世とアルバート皇子が来日に際して日本の入れ墨師による入れ墨(花繍)を彫った。また、1891年に皇太子時代のロシア皇帝ニコライ2世(ジョージ5世の従兄弟にあたる)とギリシャのゲルギオス皇子が来日した際にも両腕に龍の入れ墨を入れたことも知られている。

その後、時を経るごとに入れ墨はある程度黙認される存在へと移行し、小泉又次郎(小泉純一郎の祖父)のように禁令後に入れ墨を入れながら政治家として活躍する人物も現れた。

普請現場で働く大工。威勢の良い男で、入れ墨をしている。
(『童謡妙々車』(刊行年:嘉永8年(1855年)~明治7年((1874年)より)。

また、入れ墨の持つ性的装飾としての側面や嗜虐性も大衆文化のなかで再び焦点化され、明治期の谷崎潤一郎の『刺青』や昭和初期の江戸川乱歩の「黒蜥蜴」などの小説世界に入れ墨を施した登場人物が描かれた。また推理小説で名を馳せた横溝正史も多くの作品で入れ墨をモチーフとして、あるいは小道具として多用している。

戦後

終戦後の1948年(昭和23年)、米国GHQの占領政策の一環として、入れ墨は再び合法化されることとなった。欧米を主とした海外からの日本の伝統的な入れ墨に対する関心の高まりにも関わらず、明治以降の非合法化されてきた印象は払拭されず、1960年代以降、娯楽の中心だった映画が入れ墨と「ヤクザ」との結びつきをドラマチックに焦点化し(ヤクザ映画)、大衆文化の中で「入れ墨=ヤクザ」のイメージが広く形成された。

現代では、海外のタトゥー文化(Tatoo)の趨勢に呼応した芸能人やアーティスト、ファッションモデルなどから影響を受けて入れ墨(タトゥー)を施す若者が増加傾向にある。おしゃれを楽しむためのツールとして「ファッションタトゥー」「プチタトゥー」「ワンポイントタトゥー」を施す女性もいる。また入れ墨を扱った「TATTOO girls」など入れ墨を主要な題材としたファッション雑誌も各種出版された。

一方で、入れ墨保有者が結婚や出産などに際して、家庭や教育で支障をきたすこともあり、親の入れ墨を理由に子どもが学校でいじめを受ける、逆に親の脅威から敬遠されて友人ができないなどの事例もある。また、海水浴場で入れ墨をした者の入場を禁じる条例が物議を醸すなど、公衆の場で受け入れられているとは言い難い事例も存在する。こうした風潮が形作られたことを法律の拡大解釈であり、警察の示威行為とみる意見もある。

呼称

日本において入れ墨が施されて来た理由は、身体装飾・個体認識・社会的地位や身分の表示・宗教上の理由など多種多様であり、その歴史的経緯はいくつかの曲折を経たため、多様な呼称が存在する。

など様々な表現で呼ばれており、入れ墨を施す行為も墨を入れる彫るなどと表現されるほか、苦痛と金銭的な負担をかけて『がまん』と呼ぶ場合もあるとされる。なお、近年のマスメディアによる報道、法律・条例の条文では、入れ墨という呼称が用いられる。 古来より、入墨彫物という呼称が多く使われる。ほか歴史的に(げい)文身(ぶんしん)箚青(とうせい、さっせい)のほか、入黒子(いれぼくろ)といった呼称がある。 日本の伝統的な入れ墨を和彫りと呼ぶのに対して、欧米における入れ墨の呼び名であるタトゥー(tattoo)を洋彫りと呼び分けている場合もあるが、両者に本質的な違いはなく、図案や描画の技法に違いがあるのみである。

日本社会における取り扱い

法的・社会的規制

被施術者側
2007年の三社祭では都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕者を出した

入れ墨に対する法的規制は、敗戦後の1948年(昭和23年)、軽犯罪法の公布とともに解かれた(それまでは警察犯処罰令で処罰対象だった。人権侵害の疑いがあることからGHQにより入れ墨禁止が条文より外された)ため、現在の日本では入れ墨そのものに対する法的規制は存在しない。明治以降の法規制の結果、入れ墨に対する規制が生じるものとなっている。

社会にみる規制行為
入場制限

入れ墨を入れた者は公衆浴場法で定められた浴場を除いた入浴施設(温泉大浴場サウナスーパー銭湯健康ランドなど)や遊園地、プール海水浴場ジムゴルフ場などへの入場を断られることがあるがこれは各施設の規則によるものであり法的な制限はない。施設管理者に逆らった場合は建造物侵入罪(刑法130条前段)の構成要件に該当し、入れ墨をした者が退場を求められても従わなかった場合は不退去罪(刑法130条後段)の構成要件に該当する。しかし最近では外国人も多くいるため入場を規制しない施設や入れ墨をシールで隠す対応を取れば入場を可能とする施設が出てきている。ただし公衆浴場法では入浴を拒む理由として入れ墨が認められていないために公衆浴場法で定められた公衆浴場では入れ墨を入れてたものも入浴が可能である。愛媛県の道後温泉など温泉でありながら公衆浴場である場合などは入れ墨を入れたものの入浴を認めている場合がある。

雇用

就職採用に当たり身体検査のある企業への就職には制限がある。公務員では自衛官など一部の職種において、入れ墨も「身体上の不具合」として採用していない。

入れ墨が原因で懲戒解雇されるか、もしくはマイナス評価を与えられたり、コンプライアンスの観点から雇用契約を破棄されたりと、社会生活上様々なリスクを負ったケースも報告されていた。

2012年2月の大阪市の事例では児童福祉施設で働く30代の市役所職員が子どもたちに入れ墨を見せて脅していたという件で、大阪市長橋下徹は全職員を対象にアンケート調査を行い、入れ墨が他者の目に触れる可能性のある職員に関しては、直接市民と接することのない部署への配置転換を行った。大阪市による入れ墨調査について回答を拒否した職員に対しては戒告処分となったが、最高裁判所はこの訓告処分を合法とした。

スポーツ界

全日本柔道連盟2016年12月に、入れ墨をした選手を2018年4月以降、高校生以下の全柔連主催大会で出場禁止にすることを決定。この年、入れ墨をした中学生選手が出場してから対応を検討してきた。Jリーグでは各クラブが厳重注意という形で通達をしている。プロ野球ではアレックス・カブレラのような例がある。プロボクシングではライセンス取得のために、皮膚移植やレーザー除去した選手もいる。2014年時点で日本ボクシングコミッション(JBC)のルールブック「試合出場ボクサー」の項には、入れ墨に関する記述があった。日本相撲協会では2019年2月に相撲規則の力士(競技者)規定を改定し、これまで部屋の師匠が口頭で伝えてきた入れ墨(他、伸びた爪や過度な験担ぎによるひげ)禁止を明文化、力士会で関取衆にも伝えた。

施術者
医師法

暴力団員、またその関係者に対する逮捕を主な目的とするために、平成時代では医師法を適用することでの取り締まりを行おうとした。

しかし、2018年11月の大阪高裁の判決では、タトゥーは歴史や現代社会で美術的な意義や社会的風俗という実態があることを踏まえ、「医師の業務とは根本的に異なる」として医行為には当たらないと判断した。

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出典:wikipedia
2020/06/27 21:03

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