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六甲山とは?

【六甲(山)最高峰】


標高
931.25 m
【所在地】
日本
兵庫県神戸市東灘区北区
位置
北緯34度46分40.815秒
東経135度15分49.4669秒
座標: 北緯34度46分40.815秒 東経135度15分49.4669秒
【山系】
六甲山系
六甲山の位置

OpenStreetMap

プロジェクト 山

六甲山(ろっこうさん)は、兵庫県南東部、神戸市の市街地の西から北にかけて位置する山塊である。瀬戸内海国立公園の区域に指定されており、また新日本百名山日本三百名山ふるさと兵庫50山の一つでもある。

一般に「六甲山」は大小の山を含む六甲山系全域(狭義には中央部から東部)を指し、最高峰は特に六甲(山)最高峰と称される。山域は神戸市のほか、芦屋市西宮市宝塚市に属す。

山系は南北に狭く、東西方向に長さ数十kmにわたって市街地の北側直近に迫っており、その山並みは神戸や阪神間また大阪市内を含む大阪府内からも天然のランドマークとして機能している。また裏六甲側からの山系も高い山地に遮られないこともあり、三田市三木市、天気が良ければ小野市加東市加西市加古川市などの兵庫県中部、姫路市などの兵庫県南西部などからも望むことができる。古くから交通路や観光施設の開発が進められ多くの観光客や登山客を集めており、「西の軽井沢」とも称される。

以下、本項では六甲山系およびその最高峰について述べる。北西に位置する丹生山系を含む六甲山地全体は六甲山地を、山系に属する個々の山、施設はCategory:六甲山地を参照。

地理

六甲高山植物園
ホール・オブ・ホールズ六甲
六甲ガーデンテラス

南西端は塩屋駅付近の明石海峡に程近いあたりで大阪湾に接し、そこから山稜が北東方向に伸びる。山系のほぼ中央に位置する摩耶山で方向を東寄りに変え、東灘区北区の境界に位置する最高峰を経て宝塚駅の西方に達する。東西方向の長さは 30 km 超であり、南北方向の幅はおおむね5キロメートル未満、最深部の最高峰周辺でも 10 km 程度である。北西に続く丹生山系とともに六甲山地を形成し、西から北方の西半にかけては播磨平野東部の印南野台地、北方の東半には三田盆地が位置する。また、北東方向に武庫川渓谷をはさんで続く丹波高地(北摂山地)とともに大阪平野の北限をつくっている。

東部の一部を除いたほぼ全域が神戸市に、芦屋川流域周辺が芦屋市に、夙川・仁川流域周辺および太多田川・名塩川・船坂川流域周辺が西宮市に、逆瀬川流域周辺が宝塚市に属している。

神戸市と西宮市の市域はこの山系によって南北に分断されているため、多数の道路、鉄道がこの山系を横断して市内を南北に連絡している。(個々の道路、鉄道は本項下部の#交通を参照)また、大阪湾に接している南西端では地形の制約から山陽電気鉄道本線国道2号、JR山陽本線(JR神戸線)が海岸線に沿って数キロメートルにわたって併走している。そのため国道2号ではボトルネックになっており、第二神明道路バイパス道路として整備されている。

南に広がる市街地はこの山系に源を発する河川によって形成された、合流扇状地を主とする沖積平野上にある。また、この山系が北西の風を弱めることが、神戸港を良港とした理由の一つである。

山上の街

最高峰の西にある神戸市灘区六甲山町の六甲有馬ロープウェー「六甲山頂駅」から摩耶山山頂近くの摩耶ロープウェー星の駅」にかけて、多くの文化・保養施設やホテルなどが集まって“山上の街”をつくっている。その中にある神戸市立六甲山小学校は神戸市内で一番高い標高にある学校として知られており、冬の入りの風物詩として他に先駆けてストーブに点火する様子が地元のニュースでしばしば取り上げられる。六甲山ホテルの旧館が関西では数少ないクラシックホテルとして名高いほか、別荘建築として複数の西洋館が現存している(ただし個人所有であるため一般公開されていないものが多い)。六甲山観光六甲ケーブル線六甲ケーブル下駅六甲山上駅の駅舎も開通当初の近代建築で、極めて美しい。

個々の施設はTemplate:六甲山上の名所・施設を参照のこと。

一般人の宿泊できる施設としては現在(2018年)改装中の六甲山ホテル、旧国民宿舎摩耶ロッジ:オテル・ド・摩耶六甲スカイヴィラ六甲YMCA神戸市立自然の家オーシャンテラスあじさい他数軒がある。

かつては、六甲オリエンタルホテル摩耶観光ホテル、六甲山ホテルと現YMCAの間の日本庭園に囲まれ、将棋の対局も行われた全但ハウスなども存在したが、現在はない。跡地には企業の保養所や会員制の別荘などが散見される。

六甲山西部

神戸電鉄有馬線より西側、神戸市長田区須磨区内に位置する高取山、横尾山(須磨アルプス)、鉢伏山旗振山(須磨浦公園須磨浦山上遊園)などは須磨ニュータウンと河川によって主山稜と各個に分断されていることもあり六甲山とは区別される場合もあるが、全山縦走の経路であり、地理上もこの山系に含まれる。

自然

地質・地形

芦屋ロックガーデン

南面が急な傾動地塊(傾動山地)である。

六甲山の大部分は、約1億年前(中生代白亜紀)に地下深くで生まれた花崗岩でできている。第四紀、百万年前以後の六甲変動と呼ばれる地殻変動によって最高部が 900 m 以上に至るまで隆起し、現在も変動を続けている。それによって生じた複数の断層が北東から南西に向かって主稜線と平行に走っている。いずれも北西側が東に向かって動く右横ずれ断層であり、横ずれが起こると同時に北西側が高くなる傾向がある。これらの断層は阪神淡路大震災震源断層である野島断層などとともに六甲-淡路島断層帯を構成している。

1932年(昭和7年)、京都大学助教授であった上治寅治郎により丸山断層が発見されるまでは、六甲山の成り立ちは、地塁説(六甲山地塁説)で説明されてきており定説となっていた。これは、六甲山の高い中央部を除いた南北の両側が、陥没して低くなり、北側に落ちて谷状の凹地になったのが、現在の箕谷から花山、大池、有馬、さらに生瀬宝塚にいたる低地帯であり、南側に落ちてできたのが現在の神戸の市街地であり、ずり落ちずに残った高地が現在の六甲山であるという考えである。ところが、丸山衝上断層の発見により、地塁説とは全く逆の、地殻にかかる側方からの圧力により、基盤が上向きに隆起し六甲山を形成したという説が現在では主流となった。

最高峰のすぐ南から神戸市内に向かって南西に一直線に流れる住吉川の谷が、五助橋断層(ごすけばしだんそう)・大月断層に相当する。芦屋ロックガーデンなどの断崖の麓にあるのが芦屋断層、その東側で甲山の乗っている北山高原を持ち上げたのが甲陽断層と呼ばれている。(断層でできた崖は長い年月の間に侵食されているので、今見える崖と断層の位置はずれている場合がある)これらの断層によって、南東の西宮市側からは幅広い階段状にわかれて隆起してみえる。なお、六甲山を東西に縦断するように貫かれた山陽新幹線六甲トンネル工事では多くの断層破砕帯を貫通させることとなり大変な難工事であった。

山頂部は比較的平坦な地形が広がっておりゴルフ場やホテル・保養所、各種観光施設が点在している。この平坦な地形は「隆起準平原」と呼ばれるもので、侵食が進んでいない若い山によく見られる地形である。

北斜面は比較的緩やかであるが、東西に走る有馬-高槻断層帯の一部である六甲断層によってできた断層谷である、蓬莱峡や白水峡などの谷で区切られている。

河川と湖沼

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穂高湖
大池地獄谷の地獄大滝

南部には20程度の水系があり、南流して大阪湾に達する。北部は三つの水系に大別され、東端と北東部への降水は武庫川水系によって大阪湾へ、北中部へは加古川水系、北西部へは明石川水系によって播磨灘へ流入する。

南部の河川は河口までの距離が短く、急勾配な天井川が多いため伏流していることも多い。灘五郷日本酒造りに使われる有名な宮水はそうした伏流水の一つである。南西部には六甲山の隆起以前から存在し、主稜線を分断している先行河川がいくつか見られる。また、いくつかの川沿いには両岸に幅 50 m ほどの公園が山麓から河口まで整備されている。これ等南斜面の河川は下流の神戸に度々大水害をもたらし、その予防・減災の為数多くの砂防ダムが設けられ続けている。

山中には布引の滝をはじめ高座の滝鼓ヶ滝地獄大滝有馬四十八滝など数多くのと、穂高湖や三国池などの湖沼が点在している。湖沼では人造湖である金仙寺湖(丸山貯水池)や烏原貯水池が比較的大規模である。

「六甲山北面沢地群」が日本の重要湿地500に選定されている。

個々の河川はCategory:六甲山地と兵庫県の二級水系一覧を参照のこと。

気候

全域が瀬戸内海式気候に含まれ、温暖少雨であるが、山上と北斜面は東北北部から北海道南部の気候に似ていて、比較的冷涼で冬季に積雪する。市街地からの距離に比べて標高が高く、山頂付近が高原の様をなしているために、避暑地としての利用も多い。また複数の植物園が高度ごとに立地しており、特に六甲高山植物園は山上の冷涼な気候をいかし高山植物や寒冷地の植物を栽培している。

六甲颪

冬季に神戸市の北側に位置する六甲山系から吹き降ろす風を「六甲颪」(ろっこうおろし)と呼ぶ。「比叡颪」や「筑波颪」等と同様、冬場の北西からの季節風が山を越えて太平洋側に吹き降りる際、乾燥して強く冷たい風となって吹くものである。

なお西宮市阪神甲子園球場を本拠とする、阪神タイガース球団の応援歌『阪神タイガースの歌』も、その冒頭の歌詞にちなんで「六甲颪」の俗称で呼ばれている。この俗称を使い出したのは、元朝日放送アナウンサータレント中村鋭一といわれている。
野球ファンも勘違いしていることが多いが、実際に甲子園球場で吹く風、いわゆる「浜風」は六甲颪そのものとは発生の原理が異なる。プロ野球の最盛期の夏季には「六甲颪」は吹かない。
これは夏が終わり六甲颪が吹き始める時期には颯爽としている、つまり優勝していると言う意味である。
また、同じ西宮市の阪急西宮球場を本拠としていた阪急ブレーブスの球団歌『阪急ブレーブス団歌』の冒頭も「六甲颪に鍛えたる…」となっていた。

植生

環境省 第6回・第7回自然環境保全基礎調査 植生調査
 | 有馬(未調査) | 宝塚
前開(未調査) | 神戸首部 | 西宮
須磨(未調査) | 神戸南部(未調査) | 

六甲山は元々緑の山であった。山頂付近は落葉広葉樹林、その他は照葉樹林の森で覆われていたのが古代の本来の姿であった。

近隣に人が進出するにつれ、伐採利用が行われるようになり、森の二次林化が起こった。

江戸時代に入ると燃料や資材として山中の樹木伐採が進みはげ山化した。江戸末期の神戸港開港はこうした事象をさらに悪化させ、明治初期には地表が露出するほどに荒廃した。当時の神戸港の写真の遠景には草木が全く生えていない六甲山が写っている。現在の緑豊かな六甲山からは想像もできない全山はげ山の姿であった。わずかに最高峰付近と寺院近傍にのみ林が残存していたのみである。

山地の荒廃により、土砂災害を度々招いたことから1895年(明治28年)より兵庫県が砂防事業を開始した。そして1902年(明治35年)からは山地の緑化事業を開始した。これは、杉や檜のような商業材ではなく、広葉樹林を中心とした治水を目的とした当時としては画期的な緑化事業であった。 「布引と再度山」が森林浴の森100選に選定されている。また、ひょうごの森百選に域内から複数選定されている。 六甲山には約1700種の植物が自生する。以下は、六甲山自然案内の会が2006年に発行したパンフレット『六甲山花百選』(2006年)による。

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六甲山の植物」も参照

なお、兵庫県立御影高等学校の環境科学部では六甲山におけるキノコの研究や収集を行なっており、周辺施設や兵庫県立人と自然の博物館などにおいて標本 (分類学)の展示会が恒例で実施されており、その数は約340種500点以上を超えており、六甲山における生物多様性気候変動などの研究成果を上げている。

砂防

六甲山は風化花崗岩でできた地質であるため、地表から草木が除かれ土壌が流出すると雨により崩壊しやすい。 1938年(昭和13年)に空前の阪神大水害が発生し、大きな被害が出た。これを契機に、翌1939年(昭和14年)より六甲山の砂防事業は国(当時の内務省)の直轄事業に移って今日に至る。この時期から植林による砂防から、渓流への砂防えん堤等の設置対策へと比重が移る。 そのため、六甲山は流れる川に砂防の堰堤が多い山としても知られる。国による砂防えん堤が511基、地方自治体によるものも含めると約1000基にのぼる。

砂防事業による効果としては、1967年(昭和42年)昭和42年7月豪雨にも阪神大水害を上回る雨量で土砂災害が発生したものの、都市化の進行にもかかわらず被災者数、被災家屋は少なくなっていることが挙げられる。平成7年の兵庫県南部地震では六甲山も崩壊地が多数生じ、新たな危機が浮き彫りとなった。これを契機に、六甲山系グリーンベルト構想が打ち出され、今日に至っている。

動物

看板

六甲山系では広い範囲で野生が生息しており、登山者に目撃されることが多く、住宅地に出没することも珍しくはない。登山道などでは注意喚起の看板などもあるが、一部で餌付けされている猪もおり人を恐れない猪も生息する。2009年6月には神戸市中央区の狐川で、10日以上閉じ込められていた猪の子どもを県の鳥獣保護員らが救出して山に放された。害獣であり「野生動物は自然のままに」と静観していたが住民などの声などで方針を転換、捕獲後に山に放して論議となった。過去には飼い犬が殺されたり、人が噛まれたりしており注意が必要である。

六甲山の天然水と宮水

六甲山は花崗岩が主体の山塊であり、山に降った雨が長い年月をかけて浸透し、濾過された水が伏流水として地下を流れる多くの地下水脈があり、市街地などの一部でミネラル分の多い湧水として採取も可能である。また、川となって生田川の源流ともなる布引渓流名水百選にも選定されており、一日あたり数千 - 数万トンの河川流量を有する天然のミネラルウオーターとして昔から重宝されてきており、その水を水道水として確保するために1900年(明治33年)に完成した布引五本松ダム(国の重要文化財)から神戸港に停泊する船舶に送られる六甲山の水は「赤道を越えても腐らない水」として寄航する世界の船舶関係者から称賛され、「コウベウオーター」(KOBE WATER)の名で知られた。また1983年(昭和58年)にはハウス食品から灘区の採水場の水源を用いた「六甲のおいしい水」の商品化も図られ、六甲山の水のおいしさを世に知らしめることになった。以前には新神戸トンネル内での湧水を汲み取ることが可能だっが後に廃止されており、布引渓流でも直接湧水を汲める場所はない。現在では水の採水場所は限られており、有料の採水所などがいくつか市街地に存在する。なお、神戸市で用いられる水道水の一部には六甲山を水源とする布引五本松ダムや住吉川の水が使用されているが、ブレンドされた水であり、大半は淀川からの水である。(詳細は神戸水道#現在を参照)

また、西宮市から湧出する宮水日本酒造りに適しており江戸時代後期頃からその存在が知られている。日本一の酒造業地帯である灘五郷の酒造りには欠かせない名水として知られ、多くの酒造会社の井戸がある。宮水は硬度が高く、リン含有量が高く、鉄分が少ないという特徴があり、西宮から神戸市灘区の酒造地帯では六甲山からの寒風の吹き降ろし六甲颪と三木市などで生産される山田錦とあわせおいしい日本酒造りには欠かせない最適な水とされている。(詳細は宮水を参照)さらに、夙川・芦屋川・住吉川・都賀川・生田川などの河川の急流を活用した水車による精米技術を早くから取り入れたことで大変酒質が向上し、灘の酒の大量生産が可能になったのも地の利を生かした六甲山の恩恵のひとつである。

歴史

近世以前

この地帯は古くから「むこ」の名称で呼ばれ、武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられており、『日本書紀神功皇后摂政元年の条には「務古水門(むこのみなと)」の記載がある。語源については、畿内から見て「むこう」を意味するという説が有力であるが、諸説があるという。六甲山全山はかつて廣田神社の領地であり、吉田東伍『大日本地名辞書』の「広田神社」の項に、祭神名の撞賢木厳御魂天疎向津比売命と関連して「向津は武庫津というに同じ」とあり、廣田神社祭神向津姫(瀬織津姫)との名称の一致がみられる。「六甲」の字が当てられるのは比較的最近で、元禄時代にできた『摂陽群談』に見られるのが初期の例であり、享保年間の『摂津志』には「武庫山一名六甲山」の記載が見られるという。 古くから急峻な地形であることから山岳修行の山でもあった。768年(神護景雲2年)には和気清麻呂によって再度山山頂近くの南斜面に大龍寺 (神戸市)が開かれた。山号空海が2度参詣したことに由来するという。

奈良時代には律令制下で農地増加を図るために墾田私有を認めたことに始まる荘園制度が確立され、中央貴族、大寺社、地方の富豪が山林を開墾して荘園が拡大し、山麓部の森林はカシシイからなる常緑樹林から二次林であるアカマツ林やコナラ林へと推移した。また、周辺の寺院城砦の建設資材を供給するため樹木の伐採や土地の改変、御影石などの砕石が行われた。

平安時代には末期の1180年(治承4年)平清盛の主導で造営が進められた福原京の資材は六甲山から供給された。平氏が神戸に拠点を置いたことから源氏との戦い(治承・寿永の乱)では1184年(寿永3年/治承8年)の一ノ谷の戦いなどの戦いが勃発したため、六甲山の中腹や奥山まで森林が荒廃するようになった。また、南北朝時代には1333年(元弘3年)の摩耶山合戦1336年(建武3年)の湊川の戦いがあった。 室町時代後期には応仁の乱にまつわる1469年(文明元年)の兵庫焼き討ちなどで荒廃が進んだ。

鎌倉時代から安土桃山時代(戦国時代)には1333年(元弘3年)赤松則村により築かれた摩耶山城では摩耶山天上寺を城郭として修築したほか、1334年(建武年間)再度山上に多々部城(たたべじょう)などの山城が築かれた。1580年(天正8年)には荒木村重花隈城に篭って、山路城(諏訪城)の池田恒興と戦った花隈城の戦いなどの争いがあり、これらの戦いと復興のたびに周辺の樹木の伐採などが大規模に行われた。さらに、1590年天下統一を成し遂げた豊臣秀吉政権時は「武庫山の樹木の伐採勝手たるべし」との徳政令が出たこともあり、六甲山の「禿山」化がさらに加速した。以降、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で焼失した大坂城を再築した徳川幕府による大坂城再築事業では、2代将軍徳川秀忠により石垣の調達を大名に命じて1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)までの約10年の歳月をかけ石垣の採掘を行い大坂城へ運び込まれた。なお、各所のの名が彫られた刻印石が残る搬出途中で放棄された巨大な「残念石」が現在でも甲山森林公園六麓荘町など西宮市から神戸市にかけた東西約6km、南北約2kmの山麓周辺に放置されており、これらは「徳川大坂城東六甲採石場」と呼ばれる。

江戸時代には山麓の人々が山中の谷奥に溜池を築き、牛の飼料や屋根に葺く、燃料のや土壁などの様々な生活物資を求めて奥地にまで及び荒廃はさらに進んだ。あわせて山火事も多発することとなって、明治初期には六甲山一帯は禿山で、所々に芝草が生育している程度まで人々の手で荒廃された山であったとされる。

明治時代

三国池。畔にグルームの山荘があった
記念碑台東の小径。別荘・山荘と保養所の街

現在の六甲山観光は、明治時代以降に神戸外国人居留地欧米人によって開発されたハイリゾートに始まる。山頂エリアにはイギリス人グ

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出典:wikipedia
2020/06/04 17:36

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