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前橋市とは?

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前橋市旗 | 前橋市章

【国】
日本
【地方】
関東地方
【都道府県】
群馬県
市町村コード
10201-6
法人番号
9000020102016
【面積】
311.59km

【総人口】
332,393[編集]
(推計人口、2020年5月1日)
人口密度
1,067人/km
【隣接自治体】
高崎市伊勢崎市桐生市渋川市沼田市北群馬郡吉岡町榛東村佐波郡玉村町
【市の木】
ケヤキイチョウ
【市の花】
バラツツジ
【キャッチフレーズ】
水と緑と詩のまち
前橋市役所

【市長】
山本龍
【所在地】
371-8601
群馬県前橋市大手町二丁目12番1号
北緯36度23分22.2秒東経139度3分48.3秒座標: 北緯36度23分22.2秒 東経139度3分48.3秒

【外部リンク】
公式ウェブサイト

― 市 / ― 町 / ― 村

地図


【特記事項】
平成の大合併前の前橋市

ウィキプロジェクト

前橋市(まえばしし)は、群馬県の中南部に位置する。群馬県の県庁所在地であり、中核市に指定されている。

1892年(明治25年)の市制施行当時の区域は旧:勢多郡(当時:東群馬郡)。現在の市域は、旧:勢多郡(旧:東群馬郡・南勢多郡)・群馬郡佐波郡(旧那波郡)の区域で構成される。2001年(平成13年)4月1日に特例市に移行し、2009年(平成23年)中核市に移行した。

概要

古くは街道の駅家に架けられた橋からとって、厩橋と書き、江戸時代に前橋に改められた。中世での読み方は「まやばし」(『前橋市史』第2巻、1973、前橋市、6-15頁)、初めの読み方は「うまやばし」であったと推定される。明治時代には製糸業で栄えた都市の一つとなった。戦後は工場誘致を積極的に行い、同時に区画整理を推進した。2001年(平成13年)4月1日に国から特例市に指定され、2009年(平成21年)4月1日に中核市へ移行した。中心地域は旧東群馬郡前橋町を中心とする地域。

ニュースなどでは「まえばし」の「え」の部分のみが高いアクセントで読まれるが、地元では平板型アクセントで発音するのが普通である。「前橋市」と読むときの「まえばし」である。NHKでは2016年(平成28年)にアクセント辞典を改訂した際、「まえ\ばし」を第1アクセントとしつつ、平板型の発音も「地元放送局アクセント」として許容している。

市章は1909年(明治42年)の制定で、旧前橋藩主・越前松平氏の馬印「輪貫」(わぬき)から採用された。外円と内円の半径比は1対0.73に規定されている。

地理

JR東日本群馬総社駅近辺を蛇行する利根川と前橋市街。利根川の奥は烏川

関東平野の北西端、赤城山南麓に位置する。市内には利根川広瀬川などが流れる。伏流水による水質の良さで知られ、中心部で供給される水道水は、その地下水である。又、全国の都道府県庁所在地では海から最も遠い。鉄道交通では中心駅の前橋駅が幹線から外れているため、隣の高崎市にある高崎駅が前橋市への中継点の役割を果たしている。

また、海岸より100km以上離れた内陸に位置するにもかかわらず、市の中央部から南部にかけては海抜が100m前後と低い。また、市の北部には海抜1000m以上の地点も存在し、富士見町赤城山の黒檜山南面では海抜1823mの地点がある一方、下阿内町の利根川河川敷では海抜64mの地点もあり、市内で標高差が1759mもある。

1986年(昭和61年)撮影の前橋市中心部周辺の空中写真。利根川が北から南へ流れる。1986年撮影の18枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

気候

太平洋側気候内陸性気候を併せ持つ。新潟県長野県から北西の季節風が吹き、県境にまたがる山岳部に甚大な積雪をもたらし、前橋市に到達する風は乾燥している。この冬の北西からの乾燥した季節風は「上州からっ風」と呼ばれ、この影響で晴天の日が多いが数年に一度30cmを超える激しい大雪に見舞われることもあり、平成26年豪雪では観測史上最高となる最深積雪73cmを記録している。群馬県の平野部にある前橋市、伊勢崎市から埼玉県熊谷市にかけての高崎線沿線沿いの上武地域は冬の最低気温が比較的高く、南関東内陸部の地点(東京都府中市八王子市神奈川県海老名市千葉県佐倉市など)よりも高いことが多い。

は内陸部に位置するため地表が温まりやすく、埼玉県熊谷市などと並び暑さが烈しい。2001年(平成13年)7月24日には最高気温40.0°Cを観測。気象官署で40°C以上の最高気温を観測したのは、1978年(昭和53年)8月3日山形県酒田市で最高気温40.1°Cを観測して以来23年振りであり、平成初の記録であった。更に、この高温のためが多い特徴がある。

前橋市(前橋地方気象台)の気候
【月】
【1月】
【2月】
【3月】
【4月】
【5月】
【6月】
【7月】
【8月】
【9月】
【10月】
【11月】
12月 年
最高気温記録 °C (°F) 22.0
(71.6) | 24.6
(76.3) | 27.1
(80.8) | 32.4
(90.3) | 36.5
(97.7) | 38.3
(100.9) | 40.0
(104) | 39.1
(102.4) | 38.1
(100.6) | 33.0
(91.4) | 26.6
(79.9) | 25.2
(77.4) | 40.0
(104)
平均最高気温 °C (°F) 8.8
(47.8) | 9.4
(48.9) | 12.9
(55.2) | 19.0
(66.2) | 23.5
(74.3) | 26.2
(79.2) | 29.7
(85.5) | 31.3
(88.3) | 26.7
(80.1) | 21.2
(70.2) | 16.0
(60.8) | 11.4
(52.5) | 19.7
(67.5)
日平均気温 °C (°F) 3.5
(38.3) | 4.0
(39.2) | 7.3
(45.1) | 13.2
(55.8) | 18.0
(64.4) | 21.5
(70.7) | 25.1
(77.2) | 26.4
(79.5) | 22.4
(72.3) | 16.5
(61.7) | 10.8
(51.4) | 6.0
(42.8) | 14.6
(58.3)
平均最低気温 °C (°F) -0.8
(30.6) | -0.4
(31.3) | 2.6
(36.7) | 8.0
(46.4) | 13.1
(55.6) | 17.5
(63.5) | 21.4
(70.5) | 22.6
(72.7) | 18.9
(66) | 12.5
(54.5) | 6.5
(43.7) | 1.7
(35.1) | 10.3
(50.5)
最低気温記録 °C (°F) -11.8
(10.8) | -9.0
(15.8) | -7.8
(18) | -3.1
(26.4) | 0.3
(32.5) | 6.0
(42.8) | 11.9
(53.4) | 13.6
(56.5) | 8.4
(47.1) | 0.6
(33.1) | -3.5
(25.7) | -7.4
(18.7) | -11.8
(10.8)
降水量 mm (inch) 26.2
(1.031) | 32.1
(1.264) | 61.5
(2.421) | 78.1
(3.075) | 101.9
(4.012) | 145.2
(5.717) | 197.3
(7.768) | 202.3
(7.965) | 220.6
(8.685) | 115.5
(4.547) | 44.7
(1.76) | 23.1
(0.909) | 1,248.5
(49.154)
降雪量 cm (inch) 8
(3.1) | 9
(3.5) | 4
(1.6) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 0
(0) | 2
(0.8) | 24
(9.4)
平均降水日数 (≥ 0.5 mm) 3.6 | 5.0 | 8.7 | 9.8 | 10.9 | 14.6 | 17.0 | 13.4 | 14.2 | 9.8 | 6.1 | 3.2 | 116.4
平均降雪日数 (≥ 0 cm) 6.0 | 5.8 | 3.3 | 0.5 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.1 | 2.4 | 18.2
% 湿度 54 | 53 | 54 | 56 | 62 | 71 | 74 | 73 | 74 | 68 | 62 | 57 | 63
平均月間日照時間 210.1 | 194.3 | 206.2 | 199.7 | 192.6 | 132.2 | 139.0 | 165.1 | 126.2 | 161.0 | 179.3 | 205.1 | 2,110.9
出典: 気象庁 (平均値:1981年-2010年、極値:1896年-現在)

隣接する自治体

群馬県庁舎展望ホールから見た前橋市街(上:東方面、下:北方面)

歴史

町村制施行当時の町村

旧・前橋市(平成の大合併前の前橋市)

旧・大胡町

旧・粕川村

旧・宮城村

旧・富士見村

東群馬郡前橋町成立後の周辺町村との境界線変更・合併など

高崎市との関係

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この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2010年1月)

前橋市への県庁誘致に尽力した初代前橋市長・下村善太郎
明治時代の群馬県庁

前橋市と南西に隣接する高崎市は、競合・対立関係にあるとされ、 よく「行政や文化の中心は前橋、交通や商業の中心は高崎」といわれることがある。これは前橋に県庁が置かれており、日本銀行の支店、国の出先機関や大手金融機関、県民会館に代表される県の施設や医療施設などが集中するなど、古くから行政の中心地として機能してきたのに対し、高崎は古代から東山道・鎌倉街道が開け、江戸時代には中山道・三国街道・日光例幣使街道などの主要幹線が交差する一大交通拠点であり、現代においても新幹線高速道路などの県内交通の拠点としての地位を占めていることによる。同じような例にかつての埼玉県さいたま市併合前における行政都市旧浦和市と、交通・商業都市旧大宮市がある。

両市の関係はいわゆる「両翼興県」であり、両市においての前橋・高崎連携事業でもキーワードとなっている。県庁が置かれ萩原朔太郎ら多くの文人を輩出している「文化都市」前橋と、駅の周辺や古くからの街道沿いに商業施設が密集する「商業都市」高崎は、しばしば好対照として比較される。ただし実際は、後述のとおり年間商品販売額の県内第1位は前橋市であり、一方の高崎市は前橋市にない公営美術館(ただし市立美術館としてアーツ前橋として開設された。)、地方オーケストラとして著名な群馬交響楽団といった文化施設・団体を擁する部分がある。

前橋市と高崎市の人口は、1920年(大正9年)の第一回国勢調査より、一貫して面積の広い前橋市が優勢であり、桐生市に首位を譲った時期を除き、群馬県下一の座を維持していた。しかし高崎市による2006年(平成18年)10月1日の榛名町合併により、高崎の人口は前橋市を上回ることになった。もっとも、高崎市は純山村である旧倉渕村などを市域に含めているため、人口密度やDID(人口集中地区)人口では依然として前橋市が上回っている。

両市の競合・対立関係は、以下に挙げる明治初期の県庁誘致合戦がその原因の一つである。現在の群馬県が成立した当時、県庁は前橋に置かれていたが、一時県庁は高崎に移転して置かれた。しかし、高崎城が当時の兵部省の管轄に入ったため、市内に散在する手狭な仮庁舎に各部署が分散配置された。当時、生糸の輸出で財を成していた前橋では、生糸商人と後の初代市長・下村善太郎により、県庁を厩橋城跡に誘致する事を明治政府に提案し、10万円の移転資金を用意することで移転を了承する旨を要求される。

当時、安田銀行の支店長の給与が17円であった時代において、明治政府もこの巨額な資金を用意するのは不可能と思われていた。ここで下村善太郎は自ら1万円を寄付することで先鞭をつけ、取り纏めを5,000円の寄付をした荒井其次郎など数名に依頼した。明治維新の年に川越藩から松平氏と共に移住して財をなした荒井氏などは、その伝を頼りとすると共に有志に勝手に巨額な金額を算定して請求書を送りつけるなどの強引な資金集めをした。

しかし、応じない高額納税者もあり期限が迫っても巨額な資金要求のため5万円まで集まったところで頓挫する。困った下村善太郎はこの5万円を持って上京し直談判をした。明治政府は集まった巨額な金額に驚くと共に移転を了承した。これによって、県庁は前橋に戻り、県庁所在地として確定した。この当時の前橋市の経済力には驚くほどの目を見張るものがあり、多額の資金を用意出来なかった高崎と対比できる。

高崎市民は、明治政府に県庁の奪還を幾度も訴えるが、いずれも却下されている。これにより、発展の基盤を奪われた高崎市民は、前橋に対する感情を悪化させた。この経緯が前橋に対するわだかまりとして残り、高崎市民・前橋市民が互いに対抗意識を抱くこととなる。

現在では、前橋・高崎およびその周辺自治体の商工会議所などが主体となり、県央政令指定都市の実現を目指した活動や、両市役所による前橋高崎連携事業など官民一体となった活動が行われているなど新たな局面も生まれている。

地政的には、江戸時代の前橋藩領・高崎藩領は入り組んでいた。一例を挙げれば、現在は高崎名物とされる「縁起だるま」で知られている少林山達磨寺は、前橋藩を守護する寺院である。一方、上野国府や総社神社・国分寺を含む古代上野の中心地域は高崎藩領であり、前橋城(現在の群馬県庁舎)の対岸にまで及んでいた。

高崎の藩域は、初代高崎藩主井伊直政の時代を除いて前橋藩を上回ることはなかった。しかし前橋藩主松平氏が利根川の氾濫で前橋城を廃し、江戸中期から幕末までの約100年間(江戸を中心に隆盛した化政文化時代を含む)は居城を川越に移したこと(川越藩の分領となる)などから、陣屋が置かれた前橋は城下町としての発展が少なかった。

1869年(明治2年)、明治政府により東京 - 京都の両市を結ぶ鉄道建設計画(中山道幹線)が発表され、1883年(明治16年)日本鉄道よって上野 - 熊谷間などが開業。翌1884年(明治17年)には上野 - 高崎間が開通した。古代から交通の要衝であった高崎は、交通の拠点として、また商都として発展することとなった。

後年、上越線開設の際にターミナル駅を巡って前橋・高崎間で誘致合戦が行われた。前橋駅をターミナルとする案は実現しなかったが、当時の幹線ルートであった三国街道よりもかなり東側(利根川右岸)を通過するルートで敷設され、新前橋駅経由で高崎駅がターミナルとなることで決着した。

その後も過去の対立解消の目的もあり、半ば大岡裁き的な提案として、両市を合併させる案が度々出るが、上記の歴史的経緯もあり、提案をされても進展なく自然消滅している。

地域

町丁・行政区

本庁管内

本庁管内は概ね小学校の学区によって9つの地区に細分化されている。

桃井地区
中川地区
敷島地区
南部地区
城東地区
若宮地区
2010Happy Mail