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北海道コンサドーレ札幌とは?

【北海道コンサドーレ札幌】

【原語表記】
北海道コンサドーレ札幌
【呼称】
北海道コンサドーレ札幌、コンサドーレ札幌
【愛称】
コンサドーレ、コンサ
【クラブカラー】
レッド
ブルーグレイ
ブラック
ホワイト
【創設年】
1935年
【所属リーグ】
日本プロサッカーリーグ
【所属ディビジョン】
J1リーグ
【クラブライセンス】
J1
【ホームタウン】
札幌市を中心とする北海道
【ホームスタジアム】

札幌ドーム
【収容人数】
39,856
【運営法人】
株式会社コンサドーレ
【代表者】
野々村芳和
【監督】

ミハイロ・ペトロヴィッチ
【公式サイト】
公式サイト
■テンプレート(■ノート)サッカークラブPJ
株式会社コンサドーレ
Consadole Co., Ltd.
株式会社コンサドーレ本社

種類
株式会社
【市場情報】
非上場
【本社所在地】
日本国
063-0052
北海道札幌市西区宮の沢二条3丁目4番1号
【設立】
1996年4月16日
業種
サービス業
法人番号
7430001022464
【事業内容】
サッカークラブの運営他
【代表者】
野々村芳和
【資本金】
10億7,600万円 (2018年1月期)
【売上高】
26億7,600万円 (2018年1月期)
【営業利益】
▲900万円 (2018年1月期)
【経常利益】
6,300万円 (2018年1月期)
【純利益】
3,300万円 (2018年1月期)
【純資産】
4億5,200万円 (2018年1月期)
【総資産】
13億9,400万円 (2018年1月期)
【従業員数】
30名(2014年12月期)
【決算期】
1月期
【主要株主】
石屋製菓 38.0%
ダイヤモンドヘッド 30.1%
コンサドーレサポーターズ持株会 14.1%
札幌丸井三越 2.4%
ニトリホールディングス 2.3%
【主要子会社】
株式会社エゾデン
【関係する人物】
石水勲 野々村芳和
特記事項:「北海道の関与団体」として指定。
ゴーイングコンサーン付帯。

北海道コンサドーレ札幌(ほっかいどうコンサドーレさっぽろ、Hokkaido Consadole Sapporo)は、日本札幌市を中心とする北海道ホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 フロント
  • 2 歴史
    • 2.1 前身
    • 2.2 1996年 - 1997年(旧JFL)
      • 2.2.1 1996年
      • 2.2.2 1997年
    • 2.3 1998年(Jリーグ)
    • 2.4 1999年 - 2000年(J2)
      • 2.4.1 1999年
      • 2.4.2 2000年
    • 2.5 2001年 - 2002年(J1)
      • 2.5.1 2001年
      • 2.5.2 2002年
    • 2.6 2003年 - 2007年(J2)
      • 2.6.1 2003年
      • 2.6.2 2004年
      • 2.6.3 2005年
      • 2.6.4 2006年
      • 2.6.5 2007年
    • 2.7 2008年(J1)
    • 2.8 2009年 - 2011年(J2)
      • 2.8.1 2009年
      • 2.8.2 2010年
      • 2.8.3 2011年
    • 2.9 2012年(J1)
    • 2.10 2013年 - 2016年(J2)
      • 2.10.1 2013年
      • 2.10.2 2014年
      • 2.10.3 2015年
      • 2.10.4 2016年
    • 2.11 2017年 - (J1)
      • 2.11.1 2017年
      • 2.11.2 2018年
  • 3 所属選手
  • 4 成績
  • 5 Jリーグ記録
  • 6 記録
  • 7 タイトル
  • 8 代表選出選手
  • 9 ホームスタジアム
    • 9.1 ホームゲーム入場者数・主催試合数など
    • 9.2 スタジアムDJ
    • 9.3 入場曲
    • 9.4 配布物
  • 10 ユニフォーム
    • 10.1 クラブカラー
    • 10.2 ユニフォームスポンサー
    • 10.3 ユニフォームサプライヤーの遍歴
    • 10.4 歴代ユニフォーム
    • 10.5 歴代ユニフォーム スポンサー表記
  • 11 スポンサー
    • 11.1 オフィシャルトップパートナー
  • 12 アカデミー
    • 12.1 歴史
    • 12.2 札幌U-18
      • 12.2.1 成績
      • 12.2.2 国際大会
      • 12.2.3 海外遠征
    • 12.3 札幌U-15
      • 12.3.1 成績
      • 12.3.2 国際大会
    • 12.4 旭川U-15
      • 12.4.1 成績
    • 12.5 釧路U-15
      • 12.5.1 成績
    • 12.6 札幌U-12
    • 12.7 東川U-12
    • 12.8 釧路U-12
    • 12.9 アカデミー出身者
  • 13 コンサドーレ北海道スポーツクラブ
    • 13.1 サッカースクール
    • 13.2 北海道リラ・コンサドーレ
      • 13.2.1 スタッフ・所属選手
      • 13.2.2 成績
      • 13.2.3 表彰
      • 13.2.4 世代代表選出選手
      • 13.2.5 スポンサー
    • 13.3 北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム
      • 13.3.1 スタッフ・所属選手
      • 13.3.2 成績
    • 13.4 北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム
      • 13.4.1 スタッフ・所属選手
      • 13.4.2 成績
    • 13.5 コンサドールズ『月下美人』
    • 13.6 コンサドーレパートナーアスリート
  • 14 国際試合
  • 15 提携クラブ
  • 16 クラブ経営
    • 16.1 北海道と札幌市からの融資と補助金
    • 16.2 2008年の減資と2012年の増資
    • 16.3 Jリーグライセンスへの対応
    • 16.4 決算
      • 16.4.1 損益
      • 16.4.2 資産
  • 17 メディア
    • 17.1 雑誌
    • 17.2 テレビ
    • 17.3 ラジオ
  • 18 シーズン前キャンプ地
  • 19 脚注
  • 20 関連項目
  • 21 外部リンク

概要

宮の沢白い恋人サッカー場

1935年創部の東芝堀川町サッカー部が前身。1996年に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として株式会社北海道フットボールクラブを設立。同年Jリーグ準会員に承認。1998年よりJリーグ加盟した。2016年より運営会社を「株式会社コンサドーレ」に変更。ホームタウンは「札幌市を中心とする北海道」、ホームスタジアムは札幌ドーム(詳細は#ホームスタジアムを参照)。

チーム名の「consadole(コンサドーレ)」は道民を意味する「道産子(読:どさんこ)」の逆さ読みと、ラテン語の響きを持つ「-ole(オーレ)」を組み合わせたもので、一般公募によって決定された。発足当初のクラブ名はコンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ)で、ホームタウンも札幌市1市だけだったが、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンエリアも拡大された。

エンブレムは、北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』を象徴的に図案化。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。シマフクロウがモチーフとなり、1997年にマスコットの「ドーレくん」が誕生した。

練習場はオフィシャルスポンサーの石屋製菓が所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」。クラブ事務所はかつては札幌ドーム内にあったが、2014年1月29日に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した。

詳細は「石屋製菓#北海道コンサドーレ札幌との関わり」を参照

コンサドールズは、日本サッカークラブ史上初のクラブ専属オフィシャルダンスドリルチームである。1997年5月15日、札幌厚別公園競技場でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。

2016年より「コンサドーレ パートナー・アーティスト」が設けられ、第1号は札幌市出身の歌手・大黒摩季が選出された。

フロント

代表取締役会長
  • 今井春雄(1996年4月16日 - 1998年1月15日)
  • 坂野上明(1998年2月16日 - 2003年1月15日)
  • 石水勲(2005年3月11日 - 2005年5月12日)
代表取締役社長
  • 斉藤達(1996年4月16日 - 1997年2月9日)
  • 金井英明(1997年2月10日 - 1998年2月9日)
  • 田中良明(1998年2月10日 - 2003年1月15日)
  • 佐々木利幸(2003年1月16日 - 2005年3月10日)
  • 児玉芳明(2005年3月11日 - 2008年7月10日)
  • 矢萩竹美(2008年7月11日 - 2013年3月21日)
  • 野々村芳和(2013年3月22日 - )
ゼネラルマネージャー
  • 村野晋(2008年2月 - 2008年12月)
  • 三上大勝(2013年1月 - )


歴史

前身

詳細は「東芝堀川町サッカー部」を参照

1996年 - 1997年(旧JFL)

1996年

1996年開幕スタメン
監督 高橋武夫
白井淳
平岡宏章
ペレイラ
平川弘
足立恵蔵
後藤義一
太田貴光
オテーロ
財前恵一
アルシンド
吉原宏太

「北海道からJリーグチームを」を合い言葉に、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。東芝時代から監督を務めていた高橋武夫が初代監督を務めた。 V川崎からJリーグでの実績を持つブラジル人選手のアルシンドペレイラを獲得。元ウルグアイ代表経験のあるMFオテーロを獲得した他、第74回全国高等学校サッカー選手権大会の得点王となった初芝橋本高校吉原宏太が入団した。Jリーグから移籍してきたプロ選手と川合孝治を含む東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在する41人体制のチーム編成となった。

第1節福島FC戦で吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。同年に獲得したFWアルシンドが第2節富士通川崎戦で審判への暴言で4試合の出場停止処分となり、更に第9節大塚製薬戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。7月30日チェコの一部リーグからヨゼフ、ルボシュを獲得し入団。これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、ペルー国籍を持つ吉成大がペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。その後、ペレイラが第20節本田技研戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節鳥栖戦と第24節東京ガス戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。初年度は20勝10敗の5位(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。

シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。また、チーム得点王の8点をマークした川合孝治が戦力外通告を受け、1987年から1996年まで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。

1997年

1997年基本布陣
監督 ウーゴ・フェルナンデス
ディド
冨樫剛一
(古川毅)
ペレイラ
渡辺卓
太田貴光
村田達哉
田渕龍二
後藤義一
マラドーナ
吉原宏太
(山橋貴史)
バルデス

ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスが監督に就任した。茶木裕司(仙台へ移籍)、平岡宏章(新潟へ移籍)、加藤剛と木島敦と川合孝治と後藤静臣(大分へ移籍)、新明正広渡邉晋笠原恵太(甲府へ移籍)、小池大樹と村田信行(熊本へ移籍)、白井淳(市原へ移籍)、パベル、オテーロ、金鍾成ら1996年まで所属していた選手の多くが退団した。

新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるパナマ代表バルデスが復帰、福岡から世界的に有名なディエゴ・マラドーナの実弟であるウーゴ・マラドーナ磐田からハーフナー・ディド、大塚FCから古川毅田渕龍二C大阪から渡辺卓山橋貴史コスモ四日市から鳥居塚伸人、市原から新村泰彦ら数名を獲得し、新人では法政大学から赤池保幸、初芝橋本高校の大野貴史亜細亜大学から黄川田賢司ら数名が加入。

『チームはファミリー』を合言葉に、リーグ戦前に行われたナビスコカップ予選リーグでV川崎、G大阪横浜MのJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。リーグ戦が開幕し、開幕から6連勝と快進撃を続け、5月25日の第7節川崎戦(厚別)では後半43分に1-3とされ後半44分から怒涛の攻撃を見せバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦へ、最後はバルデスの延長Vゴールによって4-3で勝利した。9月4日の第20節に等々力で川崎と再び対戦し、後半31分に1-3からバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦でバルデスが延長Vゴールを決めた。川崎戦の2試合とも1-3からの延長Vゴールで逆転勝利を収めてた。バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、10月22日の厚別競技場で行われた第28節大分戦で2-1で勝利して昇格と優勝を決めた。リーグの最終戦も勝利して26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たした。バルデスは40得点でリーグ得点王となり、この年に7回のハットトリックを成し遂げた。11月18日にJリーグの臨時理事会が東京で開かれ、Jリーグ正会員として正式に承認された。

1996年6月13日JFL第10節の鳥栖戦から1997年10月29日第30節ジャトコ戦までの2年間、厚別競技場でリーグ戦21勝0敗の成績を残し『厚別不敗神話』『厚別神話』という神話が生まれた。

1998年(Jリーグ)

戦いの場をJリーグに移したシーズン。フェルナンデス体制2年目。工藤英章(青森へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介(新日鉄室蘭へ移籍)、石塚啓次(V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、森敦彦冨樫剛一が引退した。

新戦力としてC大阪から深川友貴梶野智、G大阪から木山隆之から加藤竜二有馬賢二のJリーグ経験者を獲得、本田技研から村主博正バウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。

1stステージ開幕戦の清水戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、磐田戦では中山雅史が4試合連続となるハットトリックを献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強でから棚田伸横浜Fから埜下荘司、東京ガスから関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。

1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸と福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。

詳細は「J1参入決定戦」を参照

1999年 - 2000年(J2)

1999年

「1年でのJ1復帰」を目指して1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)日本代表監督として指揮を執っていた岡田武史を監督に招聘。1996年から1998年まで活躍したペレイラ、マラドーナ、バルデスと、渡辺卓(水戸へ移籍)、太田貴光(ジャトコへ移籍)、後藤義一と有馬賢二(横浜FCへ移籍)、バウテル(山形へ移籍)、鳥居塚伸人(図南SCへ移籍)らが退団。ディドと赤池保幸と木山隆之と浅沼達也と山橋貴史が引退した。

新たに平塚から名塚善寛鹿島から佐藤洋平池内友彦栗田泰次郎から加藤竜二横浜FMから桜井孝司ロナウジーニョの実兄アシスリカルジーニョ、クレーベルらを獲得。藤枝東高校から河村優と北海道札幌市出身の佐賀一平磐田東高校から藤ヶ谷陽介らが入団。

「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりにビジュ、ジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。

しかし、明るい兆しがあった。吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、シドニーオリンピック代表の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したためコパ・アメリカ(南米選手権)に追加招集された。

2000年

2000年基本布陣
監督 岡田武史
佐藤洋平
大森健作
名塚善寛
森秀昭
野々村芳和
ビジュ
伊藤優津樹
田渕龍二
アウミール
播戸竜二
エメルソン

岡田体制2年目。吉原宏太(G大阪へ移籍)、栗田泰次郎(清水へ移籍)、アシスと棚田伸と関浩二ら数名が退団。期限付き移籍していた林晃平(G大阪)と井手口純(横浜FM)が移籍元へ復帰。埜下荘司と梶野智が引退。

一方、市原から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二京都から大森健作FC東京からアウミール、V川崎から高木琢也、福岡から森秀昭川崎Fから小松崎保伊藤優津樹、ブラジルのサンパウロFCからエメルソンらを獲得。初めて札幌の下部組織(札幌ユース)から遠国信也がトップ昇格、北海高校山瀬功治四日市中央工高校から中尾康二筑波大学から井上敦史らが入団した。

少ない予算でJ1昇格を狙うためにクラブが採った策は、主力選手を期限付き移籍で集めてメンバーを固定して戦うというものだった。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成だった。J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分) を含む31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬功治と藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。

2001年 - 2002年(J1)

2001年

創立5周年を迎えた2001年シーズン。岡田体制3年目。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、大分ウィルをレンタルで獲得した。

開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。一時は2位に付け、10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がJ1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。

2002年

2002年開幕戦スタメン
監督 柱谷哲二
佐藤洋平
吉川京輔
マクサンドロ
大森健作
森下仁志
ビジュ
今野泰幸
平間智和
山瀬功治
小島宏美
ロブソン

監督に元日本代表の柱谷哲二が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグFCスパルタク・モスクワからブラジル人ロブソン、東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、さらにワールドカップ開催による札幌ドームの利用制約からホームゲームすら遠隔地で開催せざるを得ないというスケジュールの厳しさもあり、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したマクサンドロと共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。

後任の監督として リーガ・エスパニョーラレアル・オビエド」のチームコーディネータを務めていたイバンチェビッチ・ラドミロを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人バーヤック、ブラジル人ジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍が就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。

2003年 - 2007年(J2)

2003年

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出典:wikipedia
2018/12/15 23:39

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