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北関東とは?

北関東のデータ
【北関東3県の合計】


日本
面積
18,867.56km
推計人口
6,790,660
(2018年4月1日)
人口密度
359.9人/km
(2018年4月1日)
【位置】


【北関東4県の合計】

【面積】
22,665.31km
【推計人口】
14,101,538
(2018年4月1日)
人口密度
622.2人/km
(2018年4月1日)
【位置】


北関東(きたかんとう)は、関東地方の北部を指す名称である。同じく関東地方の南部を指す呼称として南関東がある。

目次

  • 1 概要
  • 2 各種用語使用範囲
  • 3 範囲の分類
    • 3.1 県別の分類
    • 3.2 地域圏的分類
    • 3.3 歴史的分類
  • 4 歴史
  • 5 地域
    • 5.1 都県間流動
    • 5.2 地域別特徴
      • 5.2.1 茨城県
        • 5.2.1.1 北部
        • 5.2.1.2 鹿行地域
        • 5.2.1.3 県南地域
        • 5.2.1.4 県西地域
      • 5.2.2 栃木県
        • 5.2.2.1 宇都宮都市圏とその周辺
        • 5.2.2.2 那須・大田原周辺
        • 5.2.2.3 両毛地区
      • 5.2.3 群馬県
        • 5.2.3.1 前橋・高崎都市圏および群馬県中北部
      • 5.2.4 埼玉県
        • 5.2.4.1 秩父・寄居・熊谷周辺
  • 6 自然地理
    • 6.1 気候
    • 6.2 地形
  • 7 経済
    • 7.1 第一次産業
      • 7.1.1 農業
      • 7.1.2 畜産業
    • 7.2 第二次産業
      • 7.2.1 鉱業
      • 7.2.2 工業
    • 7.3 第三次産業
      • 7.3.1 商業
    • 7.4 家電量販店
  • 8 交通
    • 8.1 交通史
    • 8.2 現在の交通網
    • 8.3 代表的な鉄道路線
    • 8.4 代表的な道路
    • 8.5 主要な港湾
    • 8.6 空港
  • 9 補足
  • 10 脚注
  • 11 関連項目

概要

関東地方の北部、茨城県栃木県群馬県の3県を指した地域の呼称である。埼玉県を加えた4県を指すこともあり、その場合、埼玉県の中でも北部・秩父地域を北関東とし、南部は含まないこともある(埼玉県が北関東に含まれない場合は、一般に南関東に含まれる)。

各種用語使用範囲

「北関東」が含まれる主な用語は以下のとおり。

範囲の分類

県別の分類

北関東三県(茨城県+栃木県+群馬県)
茨城県・栃木県・群馬県の3県。人口は、3県合計で約698.5万人。
北関東四県(茨城県+栃木県+群馬県+埼玉県)
茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県の4県。人口は4県合計で約1,415万人。国政選挙の選挙区では、首都圏一都七県を東京ブロック(東京都)、南関東ブロック(千葉県+神奈川県+山梨県)、および、北関東ブロック(上記4県)としている。また、カトリック教会さいたま教区や日本聖公会の北関東教区の範囲はこの4県である。

地域圏的分類

北関東(東京大都市圏の北側にある地域圏)
経済的に一体な東京圏(→都市雇用圏)は、埼玉県南東部や茨城県南西部にまで及ぶ。そのため、それらを北関東四県から除いた範囲が「東京大都市圏の北側にある地域」として「北関東」と表現される。
東京圏の南側には、神奈川県の小田原周辺(小田原都市圏)、千葉県の南房総などの東京大都市圏に含まれない地域があり、「東京大都市圏の北側にある地域」=「北関東」に相当する地域となっているが、これらを以って一括りに「南関東」ということはない。そのため、この場合の「北関東」の対義語は存在しない。
北関東四県の内、東京圏に含まれる地域 約700万人
  • 茨城県南西部(県南地域) 約100万人
  • 埼玉県の各大都市周辺広域行政圏 約620万人

歴史的分類

毛野川(鬼怒川)流域
有史以来江戸時代以前の北関東。
律令制が敷かれる以前、毛野川流域には毛野国が成立し、その勢力はヤマト王権吉備国筑紫国に伍するものだったと言われる。下毛野古麻呂は、藤原不比等らとともに大宝律令の編纂にあたった。
律令制が敷かれた奈良時代以降、常陸国は東海道に属し、桓武平氏大掾氏平将門が支配した時代があったが、鎌倉時代以降は他の北関東諸地域と同様に藤原北家小田氏清和源氏佐竹氏の治世となったことから同一地域とみなすのが一般的である。
歴史的に藤原北家流諸氏(宇都宮氏、小田氏、小山氏結城氏佐野氏川野辺氏比企氏那須氏等)や清和源氏流諸氏(足利氏新田氏佐竹氏武田氏高氏等)が支配した地域が北関東であり、桓武平氏流諸氏(鎌倉氏三浦氏千葉氏北条氏秩父氏長尾氏等)が支配した地域は南関東である。
下毛野古麻呂が建立した下野薬師寺は、大和国東大寺筑後国(筑紫国筑前国と筑後国に分割)の観世音寺とともに三戒壇に指定され、当時下野国がこの地域の文化の中心地であったことを客観的に示している。なお、日光山を開山したと謂われる勝道上人はこの寺の修行僧であった人物である。
利根川以北
利根川東遷事業」も参照
江戸時代後期~明治以降の北関東。旧来の藤原北家流諸氏や清和源氏流諸氏が姿を消し、新田氏徳川家康に近しい親族や旗本譜代大名が変わって入封し、北関東は事実上徳川幕府の自領となった。家康は利根川東遷事業を号令し、利根川・渡良瀬川の河口を江戸湾から現在の銚子市に変更し、干拓/開拓された入間川毛野川の流域は旧来の関東八屋形諸氏の一部領土であった地域も含め南関東に組み込まれ、河口干拓地には江戸が設けられ南関東の中心地となった。
家康は東北を見据える地として日光を自らの墓所と指定し、病没後は徳川秀忠徳川家光によって日光東照宮が造営・改築された。

歴史

現在の関東地方の中央部には利根川が東西に流れているが、この地形になったのは徳川家康の号令で始まった利根川東遷事業が完了した明治時代以降である。それまでの関東地方は中央部(現在の荒川~利根川の間の帯状地)に以下の水系が集まり、大雨の時期には氾濫を繰り返し下流域~河口付近は広大な湿地帯を形成していた。

古墳時代、関東地方には毛野川(けぬのかわ=現在の鬼怒川)流域一体に毛野国(けぬのくに)が成立しており、毛野氏ヤマト王権の中でも大きな発言力を有していたと言われる。

毛野国は北関東の中央部に位置し、開祖は第十代天皇・崇神天皇の第一皇子・豊城入彦命で、毛野氏はその後裔と伝えられる。飛鳥時代後期、毛野氏後裔の下毛野古麻呂藤原不比等らとともにヤマト王権の律令制定(大宝律令:大宝元年)の編纂に関わったと言われる。足柄山の金太郎のモデルは下毛野公時で、足利銀行のマスコットキャラクターは金太郎であった。

戦国時代以前、関東地方は藤原氏流あるいは河内源氏流で毛野氏の流れをくむ諸氏の治世であり、都の文化を基盤とした関東独特の文化が培われてきた。

戦国時代には主に守護大名関東八屋形戦国大名化していった。また、戦国時代中期までは上位権力として古河公方(古河府)が存在した。

北関東地方の主要な戦国大名

戦国時代初期には永正の乱での混乱に乗じて下野国の戦国大名宇都宮成綱が北関東の覇権を制し頭角を現すが、子の忠綱の代に内訌で勢力を急速に喪失するなど北関東の情勢は安定していなかった。宇都宮氏だけでなく佐竹氏、山内上杉氏、那須氏、小山氏、岩松氏といった各勢力内でも永正天文年間に内紛が発生している。

そうした内紛の対応に追われている間に南関東の後北条氏が虎視眈々と勢力を拡大し、北関東へと侵攻を仕掛けてきた。結城氏、小田氏、那須氏、壬生氏といった勢力は後北条氏に従い、佐竹氏や宇都宮氏、小山氏といった勢力は越後国上杉謙信、南関東の里見義堯と連携し、北条氏康氏政父子に抵抗した。一方、佐野昌綱皆川広照由良成繁といった一部の小大名は上杉謙信を盟主とした連合軍と後北条氏の間を離反と降伏を駆使して命脈を保った。後北条氏の侵攻により山内上杉氏、小山氏といった勢力は没落し小田氏、壬生氏、皆川氏、佐野氏、由良氏といった勢力は最終的に後北条氏に従属する形となった。また、上野国には甲斐国武田信玄も侵攻を仕掛けており、主君無き後も山内上杉家臣の長野業正が侵攻を食い止めていた。そんな状況下で常陸国の佐竹義重が頭角を現し、反後北条氏連合の盟主を務めつつ奥州方面に勢力拡大するなど佐竹氏は北関東の中心勢力へと成長することに成功。反後北条氏連合は豊臣秀吉による小田原征伐まで後北条氏による侵攻に激しく抵抗していった。

また、戦国時代の北関東では大田原資清大関高増壬生綱房芳賀高定大田原綱清福原資孝芳賀高経、由良成繁等、多くの謀略家が活躍しており、暗殺や下克上が頻繁に起こっていた。

小田原征伐後、豊臣秀吉による宇都宮仕置により、こうした関東地方の文化を築いた諸名家(足利氏上杉氏武田氏、小山氏、小田氏、大掾氏、壬生氏、江戸氏等)は支配的地位から退くことを余儀なくされた。一方で佐竹氏、宇都宮氏、結城氏、那須氏、皆川氏、由良氏、大関氏大田原氏岡本氏等は所領を安堵され豊臣大名へとなっている。しかし、豊臣大名として残れた勢力も決して安泰ではなく、宇都宮氏のように改易されたり、佐竹氏、結城氏のように豊臣大名から近世大名へと移行する間に江戸幕府の命で北関東の地から去ることとなった勢力もいた。

主を失った関東の地で、これら諸氏の受け皿となったのが清和源氏義家流新田氏の名を継ぎ江戸幕府の祖となった徳川家康であった。徳川氏は着々と関東各地に親藩旗本譜代大名など腹心を配置し、あるいは直轄地(天領)化し、戦国期の「覇道」的支配体制(武力・苛烈な法をもって治める方法)に代えて「鳴くまで待とう…」に象徴される「王道」的支配体制(仁徳をもって治める方法)を敷いた。こうして江戸時代の間、関東はさしたる大変化や大改革も求められず、(大雑把な意味での)古来の関東平野に根付いた文化が引き続き培われ、更にそれが領主の定期交代によって関東一円で一様化された。

しかし、欧米列強による帝国主義(グローバル化)の波は日本国内に覇道を再起させ、江戸幕府の王道的統治機構を麻痺・崩壊に至らしめた。こうして関東地方は再び大きな主を失うこととなった。倒幕運動戊辰戦争といった武力闘争の末に誕生した明治政府は国家の近代化・列強化、そして中央集権化を「民主的な法」をもって急速に推進し、明治政府の本拠地となった江戸は、中央政府の「近代国家・日本」の象徴・首都東京たるべく急激に改造され、それに見合う「東京文化」が新たに形成された。しかし、その表舞台となった関東地方に根付く旧来の民衆、都市構造、文化といった要素は、「東京文化」に相反するものであり、「東京」との距離が生じる結果となった。

こうした歴史を見ると、関東地方は、「日本の首都・東京を抱える地方」という実状は元より、「古くから関東平野に培われた独自文化が放置され、急激な近代化・列強化した文化に直接曝された地方」という意味合いを背後に含んでいるのである。

更に南関東が、将に「近代化・列強化」の表舞台となって、急激な変化が一次的に起こった地域であるのに対して北関東は、「利根川水系と関東北部山系の地理的・気候的影響」によって「近代化・列強化」が二次的に起こった地域であり、これが関東地方内における北関東の大きな特徴とも言える。

地域

都県間流動

交通機関別都道府県間流動表(年間)(全交通機関)
※目的地への流動が100万人/年以上のみ記載(2000年)
※関東地方以外は「
出発地:茨城県
【順】
【目的地】
【万人/年】

1 | 千葉県 | 1988.3
2 | 栃木県 | 1524.6
3 | 東京都 | 1153.2
4 | 埼玉県 | 806.2
5 | 福島県 | 528.7
6 | 神奈川県 | 225.1
7 | 群馬県 | 109.9
 | 
出発地:栃木県
【順】
【目的地】
【万人/年】

1 | 茨城県 | 1523.8
2 | 群馬県 | 1158.0
3 | 埼玉県 | 827.5
4 | 東京都 | 651.2
5 | 福島県 | 380.8
6 | 千葉県 | 223.0
7 | 神奈川県 | 217.3
 | 
出発地:群馬県
【順】
【目的地】
【万人/年】

1 | 埼玉県 | 1797.9
2 | 栃木県 | 1157.4
3 | 東京都 | 514.6
4 | 長野県 | 252.2
5 | 千葉県 | 200.0
6 | 新潟県 | 122.1
7 | 神奈川県 | 118.3
8 | 茨城県 | 109.7

このように、北関東は関東平野の北部地域であり、自治体の境無く自治体間流動が非常に活発となっている。

地域別特徴

代表的な地域とその特徴を以下に列挙する。

茨城県

北部

県央(けんおう)地域と県北(読みは「けんほく」及び「けんぽく」が見られる)地域。茨城県北部は常陸国であった。古代の常陸国周辺は東国最果ての地であったと言われる。奈良時代律令制が敷かれると東海道に属した。平安時代に入り、桓武天皇に多くの皇子があったことから大和朝廷は常陸国を親王任国と指定し、以降常陸は桓武平氏一族の任地の一つとなり、水戸周辺は常陸平氏・大掾氏の領地となった。大掾氏は水戸に館を築くが、これがその後の水戸城に継承された。

一方、前九年の役後三年の役奥州安倍氏の鎮圧で功を挙げた清和源氏流新羅三郎源義光の長男・源義業は常陸国久慈郡佐竹郷(現在の常陸太田市)を領して佐竹氏を名乗った。また義光の三男・源義清那珂郡武田郷を領して武田氏を名乗った。武田氏は大掾氏と競合して朝廷から牽制され甲斐国に移ったが、佐竹氏は大掾氏の娘を嫁として土着し戦国時代には戦国大名となって常陸国・下総国を支配したが、関ヶ原の戦いで西軍に就いたため久保田藩に転封された。江戸時代、この地には水戸徳川家が配され、日本橋からは水戸街道が整備された。

現在は、主な鉄道にJR常磐線、道路は常磐自動車道国道6号が通り、福島県浜通りへの経路となっているほか、北関東自動車道国道50号栃木県群馬県への経路となっている。中心地は茨城県の県庁所在地である水戸市(人口約26万人、人口密度は約1,200人/平米)。県央地域と県北地域を合わせた茨城県北部(水戸市、ひたちなか市笠間市那珂市常陸太田市常陸大宮市日立市高萩市北茨城市東茨城郡那珂郡久慈郡)の人口は約114万人。

日立市、東海村、ひたちなか市、大洗町には北関東随一の重要港湾である茨城港(日立港区、常陸那珂港区、大洗港区)があり、北海道/北米/欧州/極東/中国/韓国定期貨物航路の拠点・北海道定期旅客航路の拠点・北関東の物流拠点となっている。また日立市、ひたちなか市は日立製作所およびその関連企業の工場が多数立地する企業城下町となっている。

地域の東部には北関東最大の海水浴場である大洗阿字ヶ浦、夏に海浜コンサートが開かれる国営ひたち海浜公園が立地し、また北部日立周辺は河原子・川尻・伊師浜等の海水浴場を抱える。久慈川上流は八溝山地の関東北部山系、さらに阿武隈高地に連なり、陸奥国との天然の境界となっていたが、現在はJR水郡線国道349号が整備され、日本有数の名瀑である袋田の滝があり観光名所となっている。

鹿行地域

南東部に位置する地域(読みは「ろっこう」)。大洗鹿島線鹿島線国道51号の沿線地域である。 東関東自動車道により千葉東京と結ばれている。水郷筑波国定公園の一角で、東に鹿島灘、西に霞ヶ浦、南に利根川、北に北浦が面する。古くから関東第一の神社として知られる鹿島神宮(古代には最果ての地であり、常陸は海路で奥州へ向かう船出の地だったと言われる)や、菖蒲(前川あやめ園)で有名な水郷地帯の潮来といった観光地を抱える。高度経済成長期に重要港湾の鹿島港を中心とした鹿島臨海工業地帯が建設され、住友金属系の企業などが多い鉄鋼や石油を中心とした工場が置かれており、重化学コンビナートのとしても発展と工業が盛んであり、最近の神栖は商業としても発展している。また、鹿嶋、神栖は風力発電が行われている。農業も盛んであり、鉾田のメロン出荷量は日本一である。 スポーツ界では鹿行地域の全域が鹿島アントラーズホームタウン(鹿嶋、潮来、神栖、鉾田行方)に指定されており、最近は鹿嶋の高校から全国高等学校サッカー選手権大会に出場するほか、神栖にはサッカーグラウンドといったスポーツ施設が整備され、全国から合宿で訪れるなどサッカーが定着している。他の地域へは、千葉県北東部(香取成田銚子など)に行く者が多い。

県南地域

かつての毛野川小貝川河口付近であり、南部は香取海や湿地帯であった。江戸時代以降に開墾され、新田となった土地も多い。現在ではベッドタウンとして開発され、東京都区部や南関東が生活圏に含まれる地域となっている。

常陸国部分と下総国部分に分かれる。常陸国部分に関しては、古代、毛野川流域には毛野国が立国され下毛野君の領土であったと言われる。平安時代、この一帯は桓武平氏大掾氏の領地であったが、その後政争に敗れて失脚した。鎌倉時代から室町時代にかけては下野国司宇都宮氏傍系の八田氏流・小田氏常陸国守護となって統治し、戦国時代には常陸国守護で戦国大名となった佐竹氏の勢力下にあった。江戸時代になると清和源氏細川氏谷田部藩に入封し明治維新まで続いた。廃藩置県の当初は新治県に編入された。また、下総国として続いてきた南部は印旛県千葉県を経て、茨城県に編入された。現在は筑波山霞ヶ浦などの観光地を抱える。

県南地域は大きく4つに分けられ、つくばエクスプレス沿線地区、取手・龍ケ崎・牛久地区、土浦・石岡地区、稲敷地区に分かれる。筑波研究学園都市常総ニュータウン竜ヶ崎ニュータウンをはじめとする新興都市が多く、県南地域の中心として人口21万を数えるつくばは、研究学園都市としての成熟が進む中、鉄道開業と前後して商業集積が進み、ベッドタウンの側面を見せつつも、ニュータウン都市とは一線を画した独自の中心性を持っている。

JR常磐線首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス沿線は、東京都区部へ通勤する新興住民が増え、この新興住民は「茨城都民」とも呼ばれる(→ニュータウン)。このため、場合によっては南関東扱いされる事もある。常磐線及び国道6号が利根川を渡ってすぐの所に位置する取手は、JR電車特定区間の北端であり朝夕は地下鉄千代田線が乗り入れ、長年に渡って茨城の南の玄関口とされてきたが、2005年のつくばエクスプレス開業以降、都心回帰が叫ばれる今なお着実に人口増加を続ける守谷をはじめとした同線沿線の地域に、その座を奪われつつある。

県西地域

古河や筑西を初めとする地域(読みは「けんせい」)。主に、旧猿島郡(一部西葛飾郡)、旧真壁郡、旧結城郡に相当する。古河は宇都宮線の沿線なので、埼玉県や栃木県の一部だと誤認される事も多い。結城も新4号国道が通っている為、埼玉県や栃木県・群馬県(両毛)との繋がりが深いのに対して、県内他地域との繋がりは浅い。国県の出先機関が集中する筑西も栃木県との境にあり、県庁所在地の水戸方面との繋がりは浅い(自動車・鉄道とも栃木県の県庁所在地宇都宮市の方が、水戸よりもはるかに近い)。以前は土浦ナンバーだったが、全域でご当地ナンバーにより新たに作られたつくばナンバーへと変わった。

地域格差を解消するための施策として、県では、2006年から2010年度までの5ヶ年計画で、鹿行・県南・県西の各地域を「南部広域連携圏」とし、県北山間・県北臨海・県央の各地域を「北部広域連携圏」に分けた展開の方向性を示している。「南部圏」は、南関東との更なる連携を強める交通インフラに重点を置いた地域造りを、「北部圏」は、北関東における物流拠点や先端産業拠点と、広域交通基盤の整備を目指している。 また、県庁内に、県北地域の振興を専門に行なう県北振興室が新設され、県北地域振興を担う(財)グリーンふるさと振興機構とともに、「いばらき さとやま生活」 と名付けた主に団塊世代をターゲットにした移住・二地域居住など、県北地域でのゆったりと豊かなライフスタイルを発信、推進している。今後は、東京都心に近く人口増加傾向の南西部の発展が続くと予想されている。逆に北部は過疎地域が増加する傾向にあるため、衰退の可能性も孕んでいる。

栃木県

宇都宮都市圏とその周辺

栃木県最大の都市であり、北関東随一の商工業都市である宇都宮(人口約50万人、人口密度1470人/平米)を中心とする地域。宇都宮市・日光市・塩谷郡河内郡芳賀郡真岡市鹿沼市上都賀郡の人口は約100万人。東北新幹線宇都宮線東武日光線東北自動車道北関東自動車道をはじめとする数多くの交通網が整備されている。南東平野部には北関東工業地域の工業団地(清原・芳賀・平出・真岡)が造成され工業化が進んでいる。北西の山地部と各都市部には歴史的財産(日光東照宮輪王寺日光二荒山神社宇都宮二荒山神社益子西明寺など)および ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/06/16 06:28

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