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千葉ロッテマリーンズとは?

千葉ロッテマリーンズ
会社名 株式会社千葉ロッテマリーンズ
創設 1949年9月 (1949-09)
今シーズン
2021年の千葉ロッテマリーンズ
ロゴデザイン

所属リーグ

パシフィック・リーグ


歴代チーム名

本拠地
ZOZOマリンスタジアム(千葉県千葉市美浜区)
QVC時代のZOZOマリンスタジアム

収容人員 30,118人(ZOZOマリンスタジアム)
フランチャイズの遍歴

永久欠番

26:ファンナンバー



獲得タイトル
アジアチャンピオン(1回)

2005


日韓クラブチャンピオンシップ(1回)

2010


日本一(4回)


リーグ優勝(5回)


セ・パ交流戦優勝・最高勝率(2回)
(2015年から2018年までは最高勝率)



成績(タイトル以外)
アジアシリーズ出場(1回)(太字は優勝、斜体は準優勝)

1勝
2005


日韓クラブチャンピオンシップ出場(1回)(太字は優勝、斜体は準優勝)

1勝
2010


日本シリーズ出場(6回)(太字は勝利した年)


クライマックスシリーズ(6回)
(太字は勝利した年、斜体は第1ステージ敗退)


プレーオフ(2004-2006)(1回)
(太字は勝利した年、斜体は第1ステージ敗退)


プレーオフ(前後期制)(4回)
(太字は勝利した年、斜体は後期優勝)




球団組織
オーナー 重光昭夫
(代行)河合克美
運営母体 ロッテホールディングス
監督 井口資仁

株式会社千葉ロッテマリーンズ
Chiba Lotte Marines
種類
株式会社
【略称】
ロッテ、マリーンズ
【本社所在地】
日本
261-8587
千葉市美浜区美浜1番地 ZOZOマリンスタジアム
【本店所在地】
160-0023
東京都新宿区西新宿三丁目20-1
【設立】
1950年1月
(株式会社毎日球団)
業種
サービス業
法人番号
8011101012891
【事業内容】
プロ野球競技の運営並びに選手の指導、養成など
【代表者】
重光昭夫(代表取締役会長オーナー)
河合克美(社長兼オーナー代行)
【資本金】
6000万円(2017年12月31日現在)
【純利益】
▲5億4090万5000円(2020年12月31日時点)
【純資産】
6億9212万6000円(2020年12月31日時点)
【総資産】
51億7994万円(2020年12月31日時点)
【従業員数】
55人(2009年12月31日時点)
【決算期】
12月末日
【主要株主】
ロッテホールディングス
【関係する人物】
永田雅一(大映創業者、現球団法人設立時オーナー)
中村長芳(大映からロッテへ球団移譲時のオーナー)
重光武雄 (ロッテグループ創業者・初代代表取締役社長、元球団オーナー)
【外部リンク】
https://www.marines.co.jp/
特記事項:1957年11月に大映野球株式会社を吸収合併。
千葉ロッテマリーンズ

【YouTube】

【チャンネル】

【活動期間】
2013年3月28日 -
【ジャンル】
野球
【登録者数】
10.9万人
【総再生回数】
6205万回
YouTube Creator Awards
 | 登録者100,000人 | 2020 |  |  | 

チャンネル登録者数、総再生回数は000000002021-01-18-00002021年1月18日時点。

千葉ロッテマリーンズ(ちばロッテマリーンズ、英語: Chiba Lotte Marines)は、日本プロ野球球団パシフィック・リーグに所属している。

千葉県保護地域とし、同県千葉市美浜区にあるZOZOマリンスタジアム専用球場(本拠地)としている。また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は埼玉県さいたま市にあるロッテ浦和球場である。

球団の歴史

東京時代

毎日時代

1949年

9月、毎日新聞社を親会社とする毎日球団が設立され、毎日オリオンズ(まいにちオリオンズ)が結成された。毎日新聞社はもともと昭和初期にセミプロ野球チーム『大阪毎日野球団』を組織していた。戦後正力松太郎からの勧誘を契機に球団結成の気運が高まり、戦前の大阪毎日野球団を基礎に、自ら主催する都市対抗野球の有力選手をスカウトして球団を結成。9月21日、日本野球連盟に加盟を申請。

リーグ拡大の機運にも乗って加盟を申請したが、毎日新聞のライバル会社であった読売新聞社(読売ジャイアンツの親会社)・中部日本新聞社(中日ドラゴンズの親会社)が強く反発。交渉は平行線を辿り、毎日オリオンズと電鉄系を中心とした毎日オリオンズ加盟賛成派の阪急ブレーブス南海ホークス東急フライヤーズ大映スターズ西鉄クリッパース近鉄パールスの7球団からなる太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)と毎日オリオンズ加盟反対派の大阪タイガース・読売ジャイアンツ・中日ドラゴンズ・松竹ロビンス大洋ホエールズ広島カープ西日本パイレーツ国鉄スワローズの8球団からなるセントラル野球連盟(セントラル・リーグ)が結成される「2リーグ分立騒動」に発展した。

詳細は「プロ野球再編問題 (1949年)」を参照

この騒動の中、大阪タイガースの主力選手であった若林忠志別当薫土井垣武本堂保次呉昌征が毎日に移籍した。加盟賛成を表明しながらリーグ分立直前に態度を翻した大阪に対し、毎日が意趣返しに大量の選手引き抜きを行ったといわれた。

1950年

パ・リーグ公式戦開始より参入。本拠地は後楽園球場。毎日新聞東京本社運動部長で、戦前は明治大学のエースから前述の大毎野球団の一員となった湯浅禎夫を総監督、前大阪監督の若林忠志を監督(選手兼任)とする二頭制をとり(実質的には湯浅が監督権限を掌握し、記録上の監督も湯浅である)、大阪からの移籍組に、大洋漁業(後の大洋ホエールズ)から獲得した河内卓司戸倉勝城を加えて「ミサイル打線」を形成、投手では前年の都市対抗野球を制した星野組のエース荒巻淳や、大洋から獲得した野村武史が活躍。10月25日、対東急戦に勝利して、活動1年目にしてリーグ優勝、日本シリーズでも松竹ロビンスを4勝2敗で圧倒し、初の日本シリーズで優勝を達成した。打者では別当薫が本塁打王打点王の二冠王を獲得し最優秀選手となり、投手では荒巻淳が最多勝最優秀防御率の二冠王で新人王となっている。

1951年

首位南海と22.5ゲーム差のリーグ3位に終わる。

1952年

7月16日、福岡平和台野球場での対西鉄ライオンズ戦で、雨天と日没を悪用し故意に試合をノーゲームにするという毎日側の策略に観客が激怒し暴動が発生(平和台事件)。7月27日、責任を取り総監督の湯浅、監督の若林が2人とも更迭される。この年は南海と争うものの、首位南海と1ゲーム差の2位に終わる。シーズン終了後に若林、湯浅がそれぞれ復帰。

1953年

首位南海と14.5ゲーム差の5位。西宮球場での対阪急戦が、NHKによるプロ野球初のテレビ中継となる。

1954年

3位。オフには別当薫が選手兼任で監督就任。

1955年

山内和弘が打率リーグ2位の.325と打点王、中川隆が最優秀防御率をあげ、新人の榎本喜八が新人王を獲得。チームは首位南海と14ゲーム差の3位に終わる。

1956年

首位西鉄と13.5ゲーム差の4位。

1957年

シーズン成績は3位。11月28日、成績が低迷していた大映ユニオンズ(大映野球)と対等合併毎日大映オリオンズ(まいにちだいえいオリオンズ)に改称。略称は大毎オリオンズ(だいまいオリオンズ)。新会社毎日大映球団が設立。球団組織と法人格は毎日側を存続させ、形式的には毎日新聞社大映の共同経営としたが、実質的な経営は大映側が掌握し、同社社長の永田雅一がオーナーに就任するという「逆さ合併」だった。

大毎時代

1958年

葛城隆雄が打率リーグ3位・打点王となるがチームは4位。この時期、パ・リーグでは西日本に本拠を置く南海西鉄がリーグの覇権を握り、関東の球団で集客を期待されたオリオンズが優勝できないことがリーグの不人気の原因であるとする指摘が複数なされるほどだった。オフには、この年セ・リーグの首位打者となった田宮謙次郎A級10年選手の権利で阪神より移籍する。

1959年

優勝した南海と6ゲーム差の2位。山内が本塁打王、葛城が打点王となる。

1960年

西本幸雄が監督に就任。新監督のもと榎本喜八、山内和弘、田宮謙次郎らを擁す破壊力抜群の「ミサイル打線」で10年ぶり2回目のリーグ優勝。結果的に2位の南海と4ゲーム差の僅差だった。しかし、大洋ホエールズとの日本シリーズでは、4連敗で敗退。その時のバント戦法が永田オーナーの逆鱗に触れ、西本は1年で解任される。

この年をもって毎日新聞社は球団から役員を全員引き上げ、経営から事実上撤退。永田が球団経営を掌握することになる。パシフィック・リーグ誕生時には、毎日新聞は「リーグの広報」役を期待されていた。毎日の撤退は、その戦略が潰えたことを意味した。毎日新聞社史『毎日新聞百年史』(1972年)ではオリオンズについての記述が著しく少ないという指摘がある。

1961年 - 1963年

3年続けてBクラス(1961年・4位→1962年・阪急と同率の4位→1963年・5位)。 1962年より本拠地は永田が私財を投じて荒川区南千住に建設した専用球場・東京球場に移転。

東京オリオンズ時代

1964年 - 1968年

1964年、球団名を東京オリオンズ(とうきょうオリオンズ)に改称。現在で言うところの地域密着策というわけではなく、東京都を保護地域とする他球団が「東京」を名乗っていないことに永田が目を付け「東京を本拠地とする球団の中でも、“東京”を名乗る我がオリオンズこそが、東京を代表するチームである」と発案したのがきっかけだった(チーム名に「東京」を冠した球団は当時歴代通算4球団目。この他、ヤクルトが2006年から東京ヤクルトスワローズに改称している)。だが、この改称は毎日新聞社側への根回しがないまま行われたため、毎日側が不快感を示した挙句、毎日新聞社の資本も翌1965年1月に引き上げ、なおかつ後援も1966年度シーズンをもって打ち切っている。これによって球団は完全に永田が掌握することになったが、会社名は「毎日大映球団」を維持した。

優勝した翌1961年以降、チームは7年連続Bクラスと低迷する。原因として、主砲の山内一弘や、葛城隆雄といった主力選手をトレードで放出し、田宮謙次郎が引退するなど、それまでのミサイル打線を解体して守りの野球を作ろうとしたが、本拠地がそれまでの後楽園球場より狭い東京球場に移った事で、方針としては逆行しているという指摘が多くあったとされ、1964年から1967年にかけてはチーム本塁打より被本塁打の方が多いという状況で、1968年にジョージ・アルトマンアルト・ロペスなどを獲得してようやくこの数字を逆転し、チームも8年ぶりのAクラス、3位入りしている。

ロッテ時代

1969年

1月18日、永田は友人である岸信介の斡旋により、ロッテをスポンサーに迎えて業務提携を結び、球団名をロッテオリオンズに改称。ただ、正式な球団買収ではないので球団の経営は従来通り毎日大映球団(=永田側)が行って、ロッテは球団名の冠スポンサー(現在に置き換えれば命名権の制度に近い)を取得する形としてとどまった。このため、ロッテ本社からの人材の派遣は行われなかった。首位阪急と5.5ゲーム差の3位。

1970年

10年ぶり3回目のリーグ優勝。東京球場での優勝決定時には、観客が次々とグラウンドになだれ込み、そのまま真っ先に永田を胴上げした。しかし、初の同一都道府県内のみでの開催となった日本シリーズ(東京シリーズ)は巨人に1勝4敗で敗れる。

1971年

1月25日をもって永田は球団経営から撤退。ロッテが正式に球団を買収して親会社となり、会社名も球団名と同じ「ロッテオリオンズ」になる。以来40年以上にわたりロッテは球団を保有し続けているが、これはパ・リーグに現存する6球団では最長である。7月13日西宮での対阪急戦で江藤愼一のハーフスイングの判定をめぐり濃人渉監督が猛抗議、放棄試合を宣告される。10日後、その責任を取る形で濃人が監督を解任され二軍監督に降格、後任に大沢啓二二軍監督が就任。この年は、優勝した阪急と3.5ゲーム差の2位。39本塁打したジョージ・アルトマンなどチーム193本塁打は1963年の南海が記録した183本を抜いて(当時の)日本プロ野球記録となった。

1972年

前年と一転、Bクラスの5位に転落。本拠地・東京スタジアムは永田と共通の友人である児玉誉士夫の斡旋で国際興業社主の小佐野賢治が経営を引き継いだが、小佐野は経営不振を理由に単独企業での球場経営の継続は困難であると判断。球団と球場は一体であることが望ましいと考え、ロッテに対し球場の買い取りを要求。しかしながら、ロッテ側は費用対効果の面で難色を示し、賃借継続を要請して交渉は平行線を辿る。結局、シーズンオフに監督に就任した金田正一が「あそこは両翼の膨らみが無くて本塁打が入りやすい。投手泣かせの球場を買い取る必要はない」と猛烈に反対したことなどから交渉は決裂。東京球場は閉鎖され、ロッテは本拠地球場を失った。金田が監督に就任したのは同じ在日韓国人のオーナー重光武雄に「ワシをロッテオリオンズの監督にして下さい。必ず客を呼んで見せます。一流の球団にしてみせます。カネやんのいうこと信用して下さい。」と頭を下げ、当時の重光は野球にさほど興味なかったが、国民的英雄の在日同胞が頼んできたので男の約束を交わし、監督に起用したばかりか破格の権限を与えた。

仙台時代

ジプシー・ロッテ」も参照

1973年

この年から宮城県仙台市宮城球場(現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地)を中心に(翌年から保護地域も宮城県に暫定移転)、首都圏では後楽園球場、明治神宮野球場川崎球場を転々としつつ主催試合を行った。特定の本拠地を持たない状況は1977年まで続き、この5年間は「ジプシー球団」などと揶揄された(歴代本拠地参照)。日拓ホームフライヤーズから合併を持ちかけられるもこれを拒否、このためフライヤーズは日本ハムに売却されることになった(現在の北海道日本ハムファイターズ)。また、1971年からオーナーを務めた中村長芳西鉄ライオンズ(→太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ)の経営に参画・福岡野球株式会社を設立するため、プロ野球協約の一個人・団体(企業)による複数球団保有を禁じる規定に従い、中村が保有していた株式はロッテに譲渡された。 この年からパ・リーグは前後期制度を導入。成績は前後期ともに2位で総合では3位に終わる。

1974年

金田監督の下で有藤通世山崎裕之弘田澄男、投手では金田留広木樽正明村田兆治成田文男らが活躍して後期優勝。プレーオフでは前期優勝の阪急ブレーブスを3連勝で破りリーグ優勝。中日との日本シリーズでは4勝2敗で日本一になった。このときの日本シリーズの主催3試合は施設上の問題から仙台ではなく後楽園で行われた(この年と1977年度のパシフィック・リーグのプレーオフは宮城で開催されたが、1977年の日本シリーズにロッテが進出していた場合も、ロッテ主催試合は後楽園で行われることになっていた)。また、日本一を決定した後の凱旋パレードも東京・銀座から新宿にかけて行われたのみで仙台では行われず、これらの行為は仙台市民や一部のスポーツ新聞から「地元無視」と批判されたこともあった。なお、この年を最後に、パシフィック・リーグ年間勝率1位に一度もなっておらず、2019年現在存在する12球団で最も長く勝率1位から遠ざかっており、45年間勝率1位になっていないのは横浜DeNAベイスターズの37年間をぬいてプロ野球史上最長である。

1975年

前年の優勝から一転して前期最下位。後期は2位に浮上するも総合4位に終わる。

1976年

前後期ともに3位で総合でも3位に終わる。

1977年

前期は5位に終わるも後期は優勝。プレーオフでは前期優勝の阪急と対戦。最終戦までもつれ込んだが3勝2敗で敗退。総合3位に終わる。

川崎時代

1977年

神奈川県横浜市で横浜スタジアムの建設が始まったのに伴い、すでに横浜への移転が内定していた大洋と共に本拠地として使えるよう折衝を行ったものの、横浜使用については折衝に失敗。その後川崎市から誘致を受け、翌シーズンから川崎球場への本拠地移転が決定。10月4日に保護地域を神奈川県に移転することが承認された。

1978年

この年から正式に川崎球場を本拠地として使用(なお宮城球場でも引き続き年間10試合前後の主催公式戦を開催)している。移転1年目は、総合4位に終わる。シーズン終盤金田の解任が一部マスコミに報道され、金田はその後辞任した。前年オフに将来的な監督候補と見込んで獲得していた野村克也選手兼任監督として後任を打診するも金田の後任は荷が重いと固辞しそのまま退団。

山内監督時代

1979年

山内一弘が監督に就任。就任1年目は、総合4位に終わる。ルーキーの落合博満を山内が積極的に指導するも、落合に山内の打撃理論は習得出来なかった。

1980年

山内の下、レロン・リーレオン・リーのリー兄弟、投手陣では仁科時成水谷則博倉持明が活躍し前期優勝したが、プレーオフで後期優勝の近鉄に3連敗で敗退した。

1981年

村田が11連勝し、19勝を最多勝利のタイトルを獲得、落合はレギュラーに定着し、首位打者のタイトルも獲得。エース村田の大活躍もあり2年連続前期優勝。プレーオフで後期優勝の日本ハムと対戦、前評判は圧倒的有利だったが、1勝3敗1分で2年連続プレーオフ敗退。10月19日に山内が1年の契約期間を残して退団、ロッテ本社はフロントを急がせ「10人の候補者リスト」を作り、片っ端から交渉を開始したが野村克也、土橋正幸豊田泰光と次々に断られ、有藤の監督兼任案も出たが、重光武雄オーナーが「あと3年、プレーヤーで専任させよう」とストップをかけ鶴岡一人に相談し次期監督に山本一義を推薦し、山本が監督に就任した。なお、金田の再任も候補に挙がっていたが、見送られた。

山本一義監督時代

1982年

落合博満が日本プロ野球史上4人目(5度目)の打者三冠王となる。順位は5位に終わる。

1983年

球団史上初の最下位となり、山本は同年限りで解任。

稲尾監督時代

1984年

稲尾和久が監督就任。なお、稲尾は「埼玉県所沢市に移転したライオンズに替わり、ロッテを数年以内に福岡県に移転させる」という条件で監督要請を受諾したが、(結果的に)福岡への移転は実現しなかった。石川賢 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2021/05/14 09:49

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