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千葉工業大学とは?

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  • 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2014年3月)
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  • 正確性に疑問が呈されています。(2015年1月)
  • 宣伝広告的であり、中立的な観点で書き直す必要があります。(2014年10月)

【千葉工業大学】

千葉工業大学

【大学設置/創立】
1942年
【学校種別】
私立
【設置者】
学校法人千葉工業大学
【本部所在地】
千葉県習志野市津田沼2丁目17番1号
北緯35度41分21.15秒 東経140度1分16.81秒 / 北緯35.6892083度 東経140.0213361度 / 35.6892083; 140.0213361座標: 北緯35度41分21.15秒 東経140度1分16.81秒 / 北緯35.6892083度 東経140.0213361度 / 35.6892083; 140.0213361
【キャンパス】
津田沼(千葉県習志野市)
新習志野(千葉県習志野市)
【学部】
工学部
創造工学部
先進工学部
情報科学部
社会システム科学部
【研究科】
工学研究科
情報科学研究科
社会システム科学研究科
【ウェブサイト】
千葉工業大学公式サイト

千葉工業大学(ちばこうぎょうだいがく、英語: Chiba Institute of Technology)は、千葉県習志野市津田沼2丁目17番1号に本部を置く日本私立大学である。1942年に設置された。大学の略称は「千葉工大(ちばこうだい)」または「工大(こうだい)」、英称では「CIT」または「ChibaTech」。

目次

  • 1 外観
    • 1.1 大学全体
    • 1.2 建学の精神(校訓・理念・学是)
    • 1.3 学風および特色
      • 1.3.1 大学全般
      • 1.3.2 教育の傾向と特徴
      • 1.3.3 研究活動の特徴
      • 1.3.4 教務システムの特徴
  • 2 沿革
    • 2.1 略歴
    • 2.2 年表
  • 3 基礎データ
    • 3.1 所在地
    • 3.2 象徴
  • 4 教育および研究
    • 4.1 組織
      • 4.1.1 学部
      • 4.1.2 大学院
      • 4.1.3 旧設置科
      • 4.1.4 附属の研究所
        • 4.1.4.1 千葉工業大学工学研究所
      • 4.1.5 学校法人直轄の研究所
        • 4.1.5.1 未来ロボット技術研究センター
        • 4.1.5.2 惑星探査研究センター
        • 4.1.5.3 人工知能・ソフトウェア技術研究センター
        • 4.1.5.4 国際金融研究センター
        • 4.1.5.5 次世代海洋資源研究センター
    • 4.2 研究
      • 4.2.1 中島「橘花」プロジェクト
      • 4.2.2 鯨生態観測衛星「観太くん」
      • 4.2.3 レスキューロボット・原発調査ロボット
      • 4.2.4 流星観測カメラシステム「メテオ」+流星観測衛星「S-CUBE」プロジェクト
      • 4.2.5 はやぶさ2プロジェクト
      • 4.2.6 水星探査プロジェクト
    • 4.3 教育
      • 4.3.1 採択されているプログラム
      • 4.3.2 特色ある大学教育支援プログラム
  • 5 学生生活
    • 5.1 サークル活動
    • 5.2 イベント
  • 6 大学関係者と組織
    • 6.1 大学関係者組織
    • 6.2 大学関係者一覧
  • 7 施設
    • 7.1 キャンパス
      • 7.1.1 津田沼キャンパス
      • 7.1.2 新習志野キャンパス
      • 7.1.3 東京スカイツリータウンキャンパス
    • 7.2 運動施設
      • 7.2.1 茜浜校地(運動場)
    • 7.3 寮
  • 8 対外関係
    • 8.1 他大学・高専との協定(国内)
      • 8.1.1 包括提携校
      • 8.1.2 単位互換協定校
      • 8.1.3 連携大学院
      • 8.1.4 高等学校との協定
      • 8.1.5 その他
    • 8.2 海外学術交流(大学/機関)
      • 8.2.1 留学プログラム
    • 8.3 産官学間での連携
      • 8.3.1 企業との連携
      • 8.3.2 自治体との連携(協定)
      • 8.3.3 研究・教育機関との連携(協定)
    • 8.4 工大の煉瓦門(文化財)
    • 8.5 メディア
      • 8.5.1 撮影協力・製作協力
  • 9 社会との関わり
    • 9.1 ダライ・ラマ法王の特別記念講演
    • 9.2 事件・不祥事等
  • 10 脚注
    • 10.1 注釈
    • 10.2 出典
  • 11 参考文献
  • 12 Wiki関係他プロジェクトリンク
  • 13 関連項目
  • 14 公式サイト

外観

大学全体

千葉工業大学(JR中央総武線路を挟んで)

千葉工業大学は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年(昭和17年)5月15日(設立許可日は1941年(昭和16年)12月8日)に「興亜工業大学」(旧字体では興亞工業大學)の名称で玉川学園内に日本国政府主導のもと国策大学として設立された。日本の私立理工系大学(私立の理工系専門の単科・総合大学)としては藤原工業大学(現在の慶應義塾大学理工学部の前身で、1944年(昭和19年)に慶應義塾大学に統合されて廃学)に続き2番目(合併などない現存する私立の理工系大学としては日本最古)、国立を含めても東京工業大学に次ぐ歴史を持つ。

設置科は3学部11学科、大学院3研究科修士課程8専攻・博士後期課程3専攻で、学生数は約1万名。また津田沼駅前にある津田沼キャンパスと幕張新都心に隣接する新習志野キャンパス(旧・芝園キャンパス)、および東京スカイツリーキャンパスの3つのキャンパスを有する。

建学の精神(校訓・理念・学是)

千葉工業大學教育8訓
設立認可申請書に添えて提出された設立趣意書では建学の精神及び教育方針は以下の通り(概略)。
(1)新国士の養成
専門家であるだけでなく、「吉田松陰先生の如く燃える愛国心と広く世界に知識を求むる好奇心とを兼備し、国家を担きアジアを背負ひ、世界文化に尽し得る」人物、新国士の養成
(2)全人教育
単なる知識人、技術家ではなく、「自ら学び自ら体験し自ら思索し創造する」人間、「如何なる困苦に遭遇するとも正しきを実現せんとする活動力ある」人物の養成
(3)労作教育
教育は、知育のみにあらず、「真の知育は労しみ、作り、体験し、試み、為し、行ふ所の自学自律、自啓自発の教育」でなければならないとする精神。
(4)塾教育(寮制教育)
「共に起き、共に食い、共に歌ひ、共に働き、共に遊ぶ」師弟同行、師弟共生の精神。(千種寮の記事も参照)
(5)相互扶助の精神
偉人は陋より生る。貧しき家に生まれし優秀児の救済、その境遇を理解し、同情し合って、完全なる人格を成し行く姿を大学の理想とする。
(6)実習教育
工場鉱山商店などの職場を学校とする計画実習と学習との心身一如の機会を捉える。
(7)天才教育
自由闊達な頭脳を作り、機智縦横の人を作る。
(8)アジアの学生と教育
隣国アジアの友と親しくし、共に手を携え、国際社会の善隣と協力をつくり上げていく。
現在の建学の精神
現在は、創立当初からの建学の精神である『師弟同行』『自学自律』を基調とし、工学的な基礎学力や教養力、コミュニケーション力を広く身につけるための実践型カリキュラムによる技術者の輩出に努めている。また大学では刻々と変化する社会、科学技術に対応するため、教育の精神に立ち返りながら、時局に即した教育目標や教育方針を定め社会に役立つ人材を育成するため努めている。

学風および特色

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大学全般

  • 大学が掲げている目標は伝統的に「世界文化に技術で貢献する」である。

教育の傾向と特徴

  • 同大学の教育方針は「自学自律」「自学自習」であり、独学(自己学習)が基本とされている。大学に入ると学習習熟度を測るためのテストや性格分析、適正検査などが随時行われ、各学生の自己学習の為に役立てられる。また、大学では学生の自己啓発の機会を積極的に作る為、スポーツ大会や見学会、マナー講習会、留学制度など各種様々なイベントを通年を通じて開催している他、学習支援センターを設置したり、工作センターを自由に使えるようにしたり、学生主導プロジェクトを奨励・支援したりと、学生の学習面のサポート体制を整えている。
  • 同大学では講義の最終日に学生に対して教務課がアンケート調査を実施している。この調査結果によって教員の評価が行われ、評価が高かった教員はベストティーチャー賞などの評価を受ける。逆に学生の評価が悪かった教員は、指導を受けるなど講義の改善が促され、今後の教育活動の質向上に役立てられる。

研究活動の特徴

  • 2003年には全国初の「学校法人直轄の研究所」として「未来ロボット技術研究センター」を設置している。同じように2009年には「惑星探査研究センター」を、2015年には「人工知能・ソフトウェア技術研究センター」を、2016年には「国際金融研究センター」と「次世代海洋資源研究センター」を設置した。これらは特定の組織に属さない独立性の高い研究機関である。

教務システムの特徴

  • 2005年より、多機能ICカード型学生証を大学として導入している。
  • 2007年より、NTTドコモの端末が当時の芝園校舎全教室(翌年からは津田沼校舎も)に設置され、全授業でICカードによる出欠確認システムの運用が開始されたが、2015年度をもって使用終了し、端末も2016年度後期までに撤去された。
  • 2016年より、入学時に貸与されるiPadminiにインストールされているアプリを用いた出席システムの運用が開始された。

沿革

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略歴

第一期生入学式記念写真
(1942年6月8日、玉川学園内にて撮影)
大学の沿革マップ

千葉工業大学は、1929年(昭和4年)に澤柳政太郎の遺志を受け継いだ小原國芳によって計画・準備されたものが起源である。

澤柳と小原らは、明治、大正、昭和と教育政策、教育活動に携わる過程で、様々な問題に遭遇し、本当の教育とは何か?本当の学校教育とは何か?を長年に渡って模索し、追究していた。彼らは明治政府が推し進めた近代化(西洋化)の行き過ぎによって教育までもが西洋の模倣化してしまい、国民思想や発想、考え方までも西洋化してしまったことに危機感を抱いていた(当時、帝国大学海軍兵学校陸軍士官学校をはじめとする明治以来の日本の多くの官学私学の高等教育機関は、主にイギリスフランスドイツオランダなどのヨーロッパ諸国を模範とする模倣教育が一般的で、今日の日本でも言えることだが、戦前の教育も明治の頃に西欧から輸入されたデカルト的な西洋の思想哲学我思う、ゆえに我あり」に基づく西欧式教育が主流だった)。更に彼らは、学生を大きな教室に集め、一律に知識概念技術のみを一方的に注入する知識偏重(一夜漬けで人生が決まってしまう一律の棒暗記主義)の教育を主流とする、これまでの西洋起源の教育のやり方やテストの成績だけで人物が評価されてしまうテスト主義による教育のやり方では、中国朝鮮などで見れられた科挙制度の先例からも(詳細は小原國芳#全人教育と小原の教育理念を参照のこと)本当に国家を担う人材は育まれないと考えていた。彼らは松下村塾咸宜園興譲館などの江戸時代までの日本の教育にも見られたような日本的、インドなどの東洋的な哲学、思想「我思う、ゆえに我あり。されど我とは何ぞや?」を土台に、欧米のイートン・カレッジなどで新しく試みられていた新しい教育思想を取り入れながら、西田哲学をベースに、知識や技術を使いこなす肝心の(良識と調和ある人格)を育てる為の教育、そして、これまでの教育の様に受け身ではなく、学生自身が自らの頭で物事を判断したり、考えられる環境を整えることで、学生自らが、自らが持つ個性才能、創造性や能力など(天分)を引出し、自由なペースで伸ばしていける(自分の力で成長していける)ような創造力豊かな人材を育てる為の新しい形の創造教育の拠点を創成しようとした(全人教育の記事も参照)。

彼らは、まず最初に成城学園を創立したが、成城学園の運営は予想に反した方向へと進み、進学実績を伸ばしたい教員保護者の意見が強くなり、他の学校と同じように、帝大などへ進学するための受験対策の為の予備校へと変貌してしまった(成城事件)。

そのため、小原らはこの失敗を踏まえ、1929年(昭和4年)、故人となった澤柳の遺志を踏み、全人教育を柱に日本第一、世界第一の教育拠点の創成を目指し玉川学園を創立すると共に、その最高学府である「玉川塾工業大学」設置のための準備をはじめる。その過程で軍部をはじめとする旧来の教育を成り合いとする勢力による抵抗や圧力などもあったが、小原の創造教育の理解者である東久邇宮稔彦王陸軍大将永野修身海軍大将(後に元帥)らの働きもあり(詳細は「日本冶金工業六十年史」の51ページを参照のこと)、大学創設計画は国家プロジェクトに発展した。こうして文部省主導のもと国策の官民大学(予科3年、本科3年の全寮制6年制大学)として1942年(昭和17年)に設立された。大学の創設には東久邇宮稔彦王、永野修身をはじめ、小原國芳橋田邦彦文部大臣小西重直森矗昶森曉親子、東郷実本多光太郎平賀譲八木秀次西田幾多郎本間俊平武者小路実篤徳富蘇峰などの人々が参加、東京町田の玉川学園内に興亜工業大学の名称で発足した。

なお、大学設立の際には東京帝国大学東京工業大学から全面的な支援を受けたが、不足していた実験設備や実験機器などは東大・東工大の取り計らいにより共同利用するなどして対処した。

1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)までは玉川学園内で教育が行われた。この玉川学園時代の塾生活は建学精神の理想の境地とされ、戦時下にもかかわらず、芝生の上で生徒が教師を囲みながら英語や音楽、道徳などの教養教育が行われるなど、世俗と切り離された自由な環境だったという(詳細は青空教室の「興亜工業大学の場合」の記述を参照)。小原國芳指導の下、大正自由教育などの新教育の方針・手法が重視され、予科教育では、単なる技術教育(テクニック)だけで終われるのではなく、哲学宗教学芸術学語学スポーツなどの幅広い意味の教養教育人格陶冶などの人物教育が重要視された(リベラルアーツ)。ちなみに制服は帝大のような学生服黒マント白線帽ではなく、背広ネクタイ(紳士服)であり、「紳士」を育てることを念頭としていた。

なお、当時は戦争中だったこともあり、日本全体が国への奉公一辺倒の時代だった。その為、入学する学生の中には、当時としては異質で変わった大学の雰囲気(自由な気質の校風など)に馴染めず、大学を去り、軍学校などに入りなおす者もいた。

1944年(昭和19年)に東京町田では手狭となったことから、神奈川県川崎市に移転する。この時、学徒出陣によって空となっていた上智学院の校舎に移転した際、同学院との合併問題が文部省筋で浮上、実際に合併した際の校名を『麹町大学』とし具体的な要綱も作られ併契約書の案文を作成するところまできたが、上智学院側の役員だったナチスドイツの神父の署名が得られず、交渉は1945年(昭和20年)5月22日に打ち切りとなった。

戦時を通じ一部の理工系学生は徴兵を猶予されていたため、1943年(昭和18年)に実施された学徒出陣壮行会には出席していない。代わりに1944年(昭和19年)8月23日から学徒勤労令に基づき、兵器開発や生産など、陸軍海軍関係の研究所や工場などに動員された。この時、航空工学科の学生は東大航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構-JAXA)に派遣され、糸川英夫のもとで航空機の研究開発を手伝った。中島飛行機三鷹工場の動員先では空襲で学生1名、引率の教員1名が犠牲となっている。また、この時期になると技術将校養成のために陸軍士官学校や海軍兵学校などの士官学校と合同訓練が行われるようになった。

太平洋戦争終結後の1946年(昭和21年)には千葉県君津市へと移転し、校名を千葉工業大学と改称。1950年(昭和25年)に同県習志野市津田沼校地へ移転し現在に至る。

戦後、新たに設立された玉川大学と本学は直接の系譜的なつながりはないが、両大学とも小原の全人教育精神は継がれている。また、1991年には玉川学園小原哲郎理事長の好意で、玉川学園時代に使われていた校旗が寄贈されたほか、2013年には新習志野キャンパス図書館に、千葉工業大学の創立に尽力した小原國芳が生涯もっとも多く書き記した「」の文字を書したタペストリーを設置するにあたり、小原芳明玉川学園理事長・学園長が招待されるなど両学園の間には現在でも交流が続いている。

年表

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【年】
【月日】
【沿革】

1929年 | 4月 | 小原國芳成城学園から分離し、町田財団法人玉川学園を設立。幼稚部初等部中等部を設置する。
6月 | 永野修身海軍兵学校長が学園視察に来訪。最高学府である大学設置構想を説明する。
1939年 | 9月 | 大学設置に向けて中等部の上に専門部(玉川塾)を設置し、森矗昶の協力を得て産学連携による実践教育を開始
1940年 | 9月 | 東久邇宮が学園視察に訪れ、大学設置の構想が本格化する
1941年 | 6月 | 「玉川塾工業大学」設置許可申請を文部省(現・文部科学省)に行うが受理されず
12月8日 | 太平洋戦争開戦
興亞工業大學設置許可申請文部省(橋田邦彦文部相)受理
1942年 | 5月15日 | 東京府町田町(現東京都町田市)の玉川学園内に「興亞工業大学」の名称で国策大学として創立(予科3年・本科3年)
小原國芳が理事、東郷実が理事長、小西重直が学長、本多光太郎などが顧問に就任
5月24日 | 成城中学早稲田中学で第1回入学試験を実施
6月8日 | 開校式を実施する。航空工学科(50名)・冶金学科(50名)・機械学科(60名)の160名が入学
1943年 | 7月 | 小原國芳が理事・学監を辞任。森曉が2代目理事長に就任
1944年 | 4月 | 玉川学園内から予科・財団本部が、皇居近くの東京市麹町区紀尾井町上智学院(上智大学)内に移転する
9月 | 神奈川県川崎市大師河原日本冶金川崎製造所構内に学部(本科)仮校舎の使用許可を取得する
10月 | 東京工業大学学長の八木秀次が正式に相談役に就任
1945年 | 4月13日 | 東京空襲によって麹町本部・予科校舎が全焼する
5月25日 | 東京空襲の余波で川崎学部校舎も罹災する
9月 | 東久邇宮内閣によって太平洋戦争(第二次世界大戦)が終結
君津の旧海軍施設の借用認可を申請、東京残留学生の授業を東京工業大学に委託
戦災による実験設備の損失から学生東大東工大東北大などに預け、卒業研究を開始
11月11日 | 君津の旧海軍第2航空廠八重原工員養成所設等の施設(君津校舎)の設営管理を開始
1946年 | 3月30日 | 東京から千葉県君津町に移転、教員・学生の意見一致のもと校名を「千葉工業大学」に改称
12月4日 | 玉川学園側との会談の結果、小原國芳から寄贈された土地・建物を清算し不動産を所有しない大学となる
1947年 | 2月7日 | 君津校舎のうち寮、食堂、図書館などを含む3/4が漏電による火災で延焼する
3月 | 公職追放の影響を受けて2代目理事長の森曉、学長の小西重直などが大学を去る
9月30 | 第1回卒業式が行われる
1948年 | 4月 | 田中航空機器製作所津田沼工場の施設を学部校舎・寮として使用する為に文部省に認可申請
予科寮を旧君津海軍病院施設に移転する
12月 | 千葉大学(当時設立準備中)への統合案が出るが教員・学生が反対し回避される
1949年 | 4月 | 新制大学となる
11月26日 | PPA創立
1950年 |  | 旧鐵道第2聯隊跡地(現・津田沼校舎)を取得し、大学機能を移転する
1953年 | 11月 | 校歌制定。電気工学科を増設。
1954年 | 10月7日 | 大久保の旧軍施設(旧陸軍習志野学校)を取得
1955年 |  | 電気工学科第2部を増設。
1961年 | 3月10日 | 電子工学科工業化学科を増設
1962年 | 8月 | 千種校地を取得
12月20日 | 土木工学科建築学科を増設
1964年 | 4月1日 | 日本私立大学協会常務理事校となる
1965年 | 8月11日 | 大学院修士課程(工業化学科、金属工学科)を設置
8月11日 | 飯岡研修センターを開設
1967年 | 3月31日 | 千種寮が完成
1968年 |  | 千葉市千種校地に電子計算センター完成
1972年 |  | 千種校地に硬式野球場・武道館完成
1986年 |  | 芝園校舎(現・新習志野校舎)が完成
1987年 |  | 茜浜運動施設(茜浜校地)完成
1988年 |  | 工学部第一部情報工学科、工業デザイン学科を新設
1989年 |  | 大学院工学研究科博士課程(金属工学専攻・工業化学専攻)
修士課程(機械工学専攻・電気工学専攻・電子工学専攻・建築学専攻)を増設
1990年 |  | 第2部電子工学科・情報工学科・建築学科を増設。
大学院工学研究科博士課程(土木工学専攻)修士課程(精密機械工学専攻)を増設
1991年 |  | 第1部既設学科(金属工学科を除く)の定員を増加
大学院工学研究科博士課程(機械工学専攻・電気・電子工学専攻)を増設。
1992年 |  | 大学院工学研究科博士課程(建築学専攻・精密機械工学専攻)
修士課程(情報工学専攻・工業デザイン学専攻)を増設。
1994年 |  | 大学院工学研究科博士課程(情報工学専攻・工業デザイン学専攻)を増設
1995年 |  | 大学院工学研究科修士課程(経営工学専攻)を増設。
1997年 |  | 第1部情報ネットワーク学科・プロジェクトマネジメント学科を増設。
1999年 |  | 工学部に社会人対象教育を充実するために昼夜開講制を導入
ハイテクリサーチセンター開設。
2001年 |  | 工学部を改組し、情報科学部・社会システム科学部を新設して3学部制に移行
3学部全学科に昼夜開講制を導入。
2002年 |  | 鯨生態観測衛星「観太くん」の打ち上げに成功
2003年 |  | 工学部9学科を5学科に改変しフレックス制を導入
(機械サイエンス学科・電気電子情報工学科・生命環境科学科・建築都市環境学科・デザイン科学科の5学科)
未来ロボットセンターを開設
日本の大学としては初めてとなる完全直収型光ファイバー(FTTD)LANを構築
大学としては世界初となる「非接触型手のひら静脈認証技術」および「多機能ICカード」を大学内諸施設へ導入
2004年 |  | 大学院工学研究科11専攻を3研究科(工学研究科・情報科学研究科・社会システム科学研究科)7専攻に改組。
2005年 |  | 文部科学省特色ある大学教育支援プログラムに採択、現代的教育ニーズ取組支援プログラムに選定される
2006年 |  | 工学部に未来ロボディクス学科を新設
4月 | 御宿研修センター開設
R&Iによる格付けフォローアップ調査の結果「AA-(ダブルA・マイナス)」を維持
2008年 |  | フレックス制を廃止し、全学部学科とも昼間部に移行。
2009年 | 4月 | 社会システム科学部に金融・経営リスク科学科を、また、大学院工学研究科に未来ロボティクス専攻を設置。
惑星探査研究センターを開設。
2012年 | 5月22日 | 東京スカイツリーイーストタワーに東京スカイツリータウンキャンパスを開設
2014年 | 2月23日 | 東京スカイツリータウン(R)キャンパスAreaII開設
4月 | 新学生寮(桑蓬寮・椿寮)完成
2015年 | 3月3日 | キャンパス内に千葉銀行と共同で、千葉工大ひまわり保育園を設置
4月1日 | 人工知能・ソフトウェア技術研究センター STAIR Labを設立
2016年 | 4月 | 国際金融研究センター(GiFr)、次世代海洋資源研究センター(ORCeNG)を設立
12月15日 | 英国フィリップ・ハモンド財務大臣が大学視察に来訪
2018年 | 4月3日 | アラブ首長国連邦(UAE)アーマド・ベルホール・アル・ファラシ高等教育大臣・宇宙庁長官が大学視察に来訪

基礎データ

所在地

  • 大学本部(津田沼キャンパス本号館、〒275-0016 千葉県習志野市津田沼2-17-1)
  • 津田沼校地(津田沼キャンパス、千葉県習志野市津田沼)
  • 芝園校地(新習志野キャンパス、千葉県習志野市芝園)
  • 茜浜校地(茜浜運動施設、桑蓬寮、椿寮、千葉県習志野市茜浜)
  • 千種校地(千種寮、千葉県千葉市花見川区千種町)

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出典:wikipedia
2018/05/25 23:35

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