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南太平洋海戦とは?

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2017年1月)
第二次世界大戦 > 太平洋戦争 > ソロモン諸島の戦い > 南太平洋海戦
南太平洋海戦

空母ホーネットに急降下爆撃中の九九艦爆
戦争:太平洋戦争 / 大東亜戦争
年月日:1942年10月26日
場所:ソロモン諸島サンタ・クルーズ諸島
結果:日本の戦術的勝利

米軍の稼働空母が一時的に空白


交戦勢力
大日本帝国 |  アメリカ合衆国
指導者・指揮官
山本五十六
近藤信竹
南雲忠一
角田覚治 |  ウィリアム・F・ハルゼー
トーマス・C・キンケイド
ジョージ・D・マレー
ウィリス・A・リー
戦力
空母4
戦艦4
重巡洋艦8
軽巡洋艦2
駆逐艦22
基地航空隊 | 空母2
戦艦2
重巡洋艦4
軽巡洋艦5
駆逐艦20
基地航空隊
損害
空母2損傷
重巡洋艦1損傷
駆逐艦1損傷 | 空母1沈没
駆逐艦1沈没
空母1損傷
戦艦1損傷
軽巡洋艦1損傷
駆逐艦1損傷
ソロモン諸島の戦い


南太平洋海戦(みなみたいへいようかいせん)は、1942年10月26日ソロモン海域で行われた日米両軍の機動部隊による海戦のこと。アメリカ軍側の呼称はサンタ・クルーズ諸島海戦(Battle of the Santa Cruz Islands)。日本軍は空母翔鶴瑞鳳が大破・中破という損害を受けたものの、米空母ホーネットを撃沈、空母エンタープライズを中破という戦果を挙げ、戦術的には日本軍の勝利であった。しかし多数の航空機と搭乗員を失い、また戦闘の主目的であるガダルカナル島飛行場も占領できなかった。

概要

ガダルカナル島における日米の戦いにおいて、最も重要な役割を担った同島ヘンダーソン飛行場基地をめぐって行われた日米主力機動部隊の海戦。1942年(昭和17年)10月下旬、ガダルカナル島の日本陸軍第十七軍が米軍支配下のヘンダーソン飛行場に総攻撃を実施することになり、日本海軍は空母機動部隊を含む多数の水上艦艇を投入して支援にあたることとなった。 これを阻止するためアメリカ軍も空母機動部隊をサンタクルーズ諸島方面に派遣し、10月26日の本海戦に至った。日本海軍はアメリカ機動部隊を撃退して戦術的には勝利を収めたが、日本陸軍のガ島ヘンダーソン飛行場に対する総攻撃は失敗した。戦略的にはアメリカ軍の勝利(飛行場維持成功)に終わった。日本海軍機動部隊の航空隊の消耗も甚大で、その後の日本軍の作戦行動に影響を与える。

背景

詳細は「ガダルカナル島の戦い」を参照

1942年6月のミッドウェー海戦で日本軍主力空母4隻(赤城加賀飛龍蒼龍)を撃沈して勝利したアメリカ軍は、2か月後の8月7日ウォッチタワー作戦を発動し、アメリカ軍海兵隊ツラギ島(フロリダ諸島)とガダルカナル島に上陸する(フロリダ諸島の戦い)。ガダルカナル島では、完成したばかりの日本軍飛行場を占領した。この飛行場は、のちにヘンダーソン飛行場と命名された。

日本軍は基地航空部隊の第十一航空艦隊と、南東方面を担当する第八艦隊にアメリカ軍の撃退を命じ、外南洋部隊は第一次ソロモン海戦で勝利を収めた。だが海軍特別陸戦隊の輸送船団はツラギ島に到着できず、8月18日にガ島に上陸した一木清直陸軍大佐の一木支隊先遣隊イル川渡河戦で壊滅し、アメリカ海兵隊の早期撃退企図は頓挫した。この間、アメリカ軍は護衛空母ロングアイランドによりヘンダーソン飛行場へ航空隊を空輸することに成功した。これ以降、ヘンダーソン飛行場の航空隊は逐次増強され、ガ島へ向かう日本軍増援部隊は絶えず空襲に晒されるようになった(川口支隊第一次輸送失敗など)。

8月24日、日本艦隊(第二艦隊司令長官近藤信竹中将が指揮する前進部隊、第三艦隊司令長官南雲忠一中将が指揮する機動部隊)は、アメリカ軍の二つの任務部隊、すなわち空母サラトガを基幹とする第11任務部隊と、空母エンタープライズを基幹とする第16任務部隊と交戦した(日本側呼称:第二次ソロモン海戦、連合軍側呼称:東部ソロモン海戦)。 この戦いでアメリカ軍は日本軍の軽空母龍驤を撃沈し、水上機母艦千歳を撃破した。さらに日本軍輸送船団を航空攻撃で阻止し、勝利を収めた。日本軍は輸送船団によるガ島増援作戦をあきらめ、駆逐艦など軽快艦艇による鼠輸送を開始した。 その一方、一航戦の空襲で空母エンタープライズが損傷し、真珠湾に回航されて修理をおこなった。

8月31日、伊号第二十六潜水艦の攻撃でフランク・J・フレッチャー中将の旗艦サラトガが大破して、長期修理を余儀なくされた。

9月12日以降、ガダルカナル島に上陸していた川口清健陸軍少将の日本陸軍川口支隊が、ヘンダーソン飛行場に総攻撃を敢行した。支援部隊(前進部隊、機動部隊)はトラック泊地を出撃してガ島北方海面を遊弋したが、川口支隊攻撃失敗によりトラック泊地に引き揚げた。日本艦隊阻止のため行動していたアメリカ海軍機動部隊も、9月15日に伊19の奇襲で空母ワスプが沈没した。さらにホーネットを護衛していた戦艦ノースカロライナも中破した。この時点で、太平洋戦線で作戦行動をとれる正規空母ホーネット、新鋭戦艦はワシントンのみとなった。 アメリカ軍は修理中のエンタープライズとサラトガの復帰を急いだ。このうち、エンタープライズは10月中旬までに対空火砲の強化を含む修理が完了した。エンタープライズと最新鋭戦艦サウスダコタをふくむ第16任務部隊は真珠湾を出撃して南下し、10月24日午後4時頃にエスピリッツサント島から北東約500kmの地点で、ホーネットを基幹とする第17任務部隊に合流した。

また、太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、南西地区の司令官をゴームレー中将からハルゼー中将に交代させた。ニミッツ大将は、ゴームレー中将がガダルカナルで苦戦する部隊を率いるにはあまりに狭量で、悲観的過ぎると感じていたのである。ハルゼー中将は着任すると直ちに日本艦隊と決戦するための計画の策定を開始した。この海域で作戦をおこなう第61任務部隊の指揮官は、トーマス・C・キンケイド少将であった。

日本海軍連合艦隊も、ガ島攻勢に向けて動いていた。 第十七軍(司令官百武晴吉中将)が10月中旬に予定していたガダルカナル島での総攻撃を支援するため、南東方面ではラバウル所在の第八艦隊司令長官三川軍一中将を指揮官とする外南洋部隊が麾下の駆逐艦や巡洋艦でガ島への鼠輸送を実施し、さらに水上機母艦日進が重機材を輸送していた。日進輸送に加えて、高速輸送船団による大量輸送も実施予定であった。 トラック泊地には、第二艦隊司令長官近藤信竹中将(旗艦「愛宕」)が指揮する支援部隊(近藤長官を指揮官とする前進部隊〈 第三戦隊:戦艦金剛榛名、第二航空戦隊:空母隼鷹飛鷹 〉および第三艦隊司令長官南雲忠一中将を指揮官とする機動部隊〈 第一航空戦隊〈空母瑞鶴翔鶴瑞鳳〉等)が集結していた。第一航空戦隊と第二航空戦隊にはミッドウェー海戦で乗艦を失ったパイロット達も多数着任しており、士気旺盛だったという。

10月7日、ガダルカナル島ではアメリカ軍の反撃により第二師団(師団長丸山政男中将)が後退を余儀なくされ、第十七軍の作戦計画に齟齬が生じた。ガ島現地軍を指導していた大本営陸軍部参謀辻政信中佐は、ヘンダーソン基地への第十七軍総攻撃が10月25日に遅延すると海軍や大本営に通知した。 10月11日午前中、第二艦隊司令長官近藤信竹中将(支援部隊指揮官)が指揮する前進部隊(近藤長官)と機動部隊(南雲長官)は、それぞれトラック泊地を出撃した。 サボ島沖海戦のあと、10月13日から14日にかけて行われた挺身隊(指揮官栗田健男第三戦隊司令官:戦艦金剛榛名)によるヘンダーソン飛行場艦砲射撃の成功を受けて第十七軍は総攻撃の準備をおこなうが、無事だった飛行場から飛来したアメリカ軍攻撃隊により高速輸送船団は空襲で輸送船3隻を喪失、揚陸した物資もすべて焼き払われてしまった。 第三戦隊に続き、10月14日に第八艦隊の重巡2隻(鳥海衣笠)、10月15日に第五戦隊(妙高摩耶)と第二水雷戦隊などが飛行場砲撃をおこなった。飛行場を維持するガ島のアメリカ海兵隊も苦しい状況が続いた。

総攻撃準備のためガ島ヘンダーソン基地に対する空襲を強化中の10月20日夜、第二航空戦隊(司令官角田覚治少将)の旗艦飛鷹で火災と機関故障が発生し、速力低下により航空戦続行が不可能となる。飛鷹は旗艦任務と搭載機を姉妹艦隼鷹に移し、駆逐艦2隻(磯波)に護衛されてトラック泊地に回航された。日本軍はアメリカ軍と戦う前から空母1隻を事実上失ったことになる。一方で、10月17日のガダルカナル島飛行場攻撃で消耗していた隼鷹の戦力は回復した。また飛鷹の零戦16、九九艦爆17がラバウルに移動した。 日米双方の事情により、日本陸軍のガ島総攻撃実施日(Y日)は10月21日から23日、23日から24日へと、たびたび延期された。連合艦隊は燃料と月齢の関係から10月23日までに総攻撃を開始するよう要望しており、日本陸海軍間に微妙な空気が流れた。

同時期、アメリカ軍はガダルカナル島のヘンダーソン基地に航空燃料を補給するため、燃料補給船団(貨物輸送船〈ベラトリクスアルキバ〉、魚雷艇母艦〈ジェームズタウン〉、艦隊曳船〈ヴィレオ〉、駆逐艦〈メレディスニコラス〉)を編成してガ島にむかわせ、第64任務部隊(戦艦ワシントン、軽巡洋艦アトランタ、駆逐艦ウォーク、駆逐艦ベンソン)が間接護衛をおこなった。10月15日、南雲機動部隊は索敵機を発進させ、重巡の水上偵察機が米軍燃料補給船団を発見した。一航戦攻撃隊(零戦8、艦爆21、艦攻9)は船団から分離してガ島へ進撃していたメレディスを撃沈(日本側は軽巡洋艦撃沈と誤認)、曳船ヴィレオを損傷させたが、翔鶴艦爆1、瑞鶴艦攻2を失った。10月18日、駆逐艦グウィングレイソン、曳船セミノールが曳船や生存者を発見し、ガ島へ曳航して燃料補給に成功した。

10月20日午後7時頃、サンクリストバル島東端の南100浬において伊号第百七十六潜水艦は第64任務部隊を発見する。伊176は重巡洋艦チェスターを雷撃して大破させた。 これ以降、日本艦隊に敵主力部隊(第64任務部隊)に関する情報はたびたび入ってきたが、肝心の敵機動部隊の所在がわからず、東方から奇襲される恐れがでてきた。 10月22日夜、利根型重巡洋筑摩と秋月型駆逐艦照月が牽制部隊となり、日本軍機動部隊から分離して南方200(370km)地点に進出した。筑摩は偵察機を発進させるが米艦隊を発見できず、アメリカ軍飛行艇の雷撃を回避したあと、南雲部隊(筑摩は前衛、照月は本隊)に合流した。10月23日、連合艦隊は以下の警告を発した。

  1. ここの数日来、敵空母の所在不明。敵機動部隊に対し、サンタクルーズ島方面、とくに警戒の要ありと認む。
  2. 24日、X区哨戒機および二式飛行艇はなるべく早く発進し、かつ許す限り長く哨戒のことに取り計らわれたし。

日本軍機動部隊は23日正午に前衛部隊を分離し、陸軍支援の態勢に入った。しかし日本陸軍から総攻撃延期の連絡があり、日本軍機動部隊は北上した。たびかさなる延期に苛立ち、またアメリカ軍哨戒機に発見される事を懸念した南雲機動部隊は、駆逐艦(第4駆逐隊司令有賀幸作大佐)を東方に派遣し、26日まで北方に待機する旨を連合艦隊司令部に報告させた。宇垣纏(連合艦隊参謀長)は第三艦隊の行動を優柔不断・独断的措置と解釈し、前進部隊が孤立する事への懸念も示した。24日午後6時44分、山本五十六連合艦隊長官の下令に従い、日本軍機動部隊は再び南下した。南雲機動部隊の北上と南進の反復行動は草鹿龍之介参謀長の指示によるものだったが、南雲長官は草鹿を呼び出すと今後の作戦方針について検討を行い、連合艦隊の命令に従って南下を決定した。

10月23-25日にかけて、日本陸軍はガダルカナル島で総攻撃を行うが、猖獗(しょうけつ)を極めるジャングルでの行軍で将兵は消耗して部隊間の連絡も途切れがちとなり、さらに重装備を持たない戦闘のため苦戦を強いられる。指揮系統も混乱する。第二師団の総攻撃は、兵力を増強し防御陣地で待ち構えていたアメリカ軍海兵隊(2万3000名)の反撃に遭い失敗に終わった。 にもかかわらず10月24日夜には「2100、バンザイ(21時、ガダルカナル飛行場を完全に占領)」「22時50分発信:2100(やや)前、第二師団右翼隊ハ飛行場ヲ占領セリ 同時左翼隊ハ飛行場付近ノ敵ト交戦中」という一報が発信された。日本海軍にも情報が伝わり、艦隊は一気に沸き立った。飛行場占領の速報は大本営にも通知された。その後、25日午前2時から午前3時にかけて「〇二一〇飛行場ハ未タ占領シアラス」「師団ハ未タ飛行場ヲ占領シアラス 両翼隊共飛行場付近ニ於テ激戦中」との情報が飛び込んだ。日本艦隊では、飛行場占領が誤報とわかり落胆している。宇垣纏連合艦隊参謀長の「戦藻録」からも、日本陸軍の度重なる総攻撃予定変更に対する当惑と苛立ちがうかがえる。(詳しくはガダルカナル島の戦いを参照)

外南洋部隊(第八艦隊)は、日本陸軍のガ島総攻撃に呼応して支援攻撃を行うことになっていた。外南洋部隊麾下の第6駆逐隊司令山田勇助大佐が指揮する駆逐艦3隻(白露)と、第四水雷戦隊(司令官高間完少将)は、24日深夜から25日朝にかけてガダルカナル島泊地に突入する。

当時、掃海駆逐艦ゼイン (USS Zane, DMS-14) がルンガ泊地で荷役作業中であったが、3隻の日本駆逐艦の出現により逃亡を図る。日本側3隻はシーラーク水道を突っ切ってゼインまで5カイリに接近したところで砲撃を開始し、ゼインに命中弾1発を与えるが主任務であるアメリカ軍陣地砲撃との兼ね合いからそれ以上の追撃はできなかった。

再度ルンガ泊地に向かうと、今度はアメリカ海兵隊向けの軍需品をガダルカナル島に陸揚げ中の艦隊曳船セミノール (Seminole, AT-65) と沿岸哨戒艇YP-284を発見した。セミノールとYP-284は接近してきたのが日本駆逐艦だと知ると陸揚げ作業を打ち切り、直ちに逃亡を開始した。間髪入れず砲撃を開始し、YP-284を砲撃で炎上させて撃沈したのに続きセミノールも砲撃により撃沈した。突撃隊は小型輸送船1隻・仮装巡洋艦1隻の撃沈を記録した。 続いて海兵隊陣地に対して艦砲射撃を開始するが、海兵隊陣地の5インチ海岸砲からの反撃により暁の三番砲塔の薬室に1発が命中して一時火災が発生、4名の戦死者を出す被害を受けた。雷も緊急発進したF4Fワイルドキャット戦闘機の機銃掃射で損傷、銃撃で数名が死傷する被害を受けた。

突撃隊は無事にルンガ泊地から脱出したが、続いてガ島に突入しようとした高間完第四水雷戦隊司令官指揮下の6隻(秋月〈四水戦旗艦〉、由良、村雨五月雨夕立春雨)はヘンダーソン飛行場から飛来したアメリカ軍SBDドーントレス急降下爆撃機とF4Fワイルドキャット戦闘機の波状攻撃を受け、軽巡由良が沈没している。四水戦旗艦秋月も中破し、高間少将は村雨に移乗した。これらの状況をうけて第八艦隊司令長官は外南洋部隊各隊にショートランドへの帰投を命じた。

ガ島でこのような戦闘が繰り広げられる中、第61任務部隊ことエンタープライズを基幹とするキンケイド提督の第16任務部隊と、ホーネットを基幹とするマレー提督の第17任務部隊、戦艦ワシントンを基幹とするリー提督の第64任務部隊は、日本軍の攻撃と艦隊を邀撃するため、ガダルカナル島北東海面すなわちサンタ・クルーズ諸島北方を索敵して日本艦隊を邀撃するよう命じられた。

戦闘経過

北方より進出する日本艦隊と南方より進出するアメリカ艦隊が会戦した

日本海軍の海戦参加部隊において、支援部隊指揮官(近藤長官、旗艦「愛宕」)が、前進部隊(第二艦隊)と機動部隊(第三艦隊、旗艦「翔鶴」)を指揮する。支援部隊指揮官は前進部隊指揮官を兼ねる。

第三艦隊司令長官南雲忠一中将が指揮する機動部隊本隊(第一航空戦隊〈空母翔鶴瑞鶴瑞鳳〉、重巡〈熊野〉、駆逐艦〈嵐、舞風、雪風、時津風、天津風、初風、浜風、照月〉)、第十一戦隊司令官阿部弘毅少将が指揮する機動部隊前衛部隊(戦艦〈比叡霧島〉、重巡〈利根、筑摩、鈴谷〉、軽巡〈長良〉、駆逐艦〈谷風、浦風、磯風、秋雲、風雲、巻雲、夕雲〉)、本隊の後方に補給部隊(駆逐艦〈野分〉、油槽船6隻)、機動部隊より西方に第二艦隊司令長官近藤信竹中将が指揮する前進部隊(重巡〈愛宕、高雄、妙高、摩耶〉、戦艦〈金剛、榛名〉、第二水雷戦隊、第二航空戦隊〈隼鷹〉)という4つの集団にわかれて行動していた。

機動部隊前衛部隊は空母へ向かう敵機の攻撃を吸収するために、機動部隊前方に横一列に並んだ。

両軍の索敵

10月25日、日本軍は数日前から見失っていたアメリカ軍機動部隊を求め索敵を活発に行ったが、アメリカ軍機動部隊の発見には至らなかった。対するアメリカ軍は、哨戒中のPBYカタリナ飛行艇25日午前中に日本軍機動部隊を発見した。同25日正午すぎには、水上機母艦カーティスの水上偵察機が日本空母2隻を発見した。 南雲中将は日本陸軍総攻撃成功(ヘンダーソン飛行場占領)の報告を受けて南下していたが、誤報と判明してから機動部隊本隊のみ北上、機動部隊前衛はそのまま南下をつづけていた。アメリカ軍哨戒機の出現により、南雲中将は前衛にも反転北上を命じた。前衛はB-17 6機の攻撃を受けたが被害を受けなかった。

一方、第61任務部隊のキンケイド少将は、指揮下のエンタープライズから索敵を兼ねてF4Fワイルドキャット戦闘機16機、SBDドーントレス急降下爆撃機12機、TBFアヴェンジャー雷撃機7機からなる攻撃隊を発進させた。その後の報告で日本軍機動部隊が北に反転したことが判明したが、キンケイド少将は無線封止を維持するため攻撃隊に日本軍位置情報を転送しなかった。アメリカ軍攻撃隊は反転した日本軍機動部隊を捕捉出来ず、燃料切れや着艦時の事故でF4F1機、SBD4機、TBF3機の計8機(『THE BIG E』では7機)を失った。また朝の着艦事故でF4F4機が失われており、エンタープライズの航空隊は決戦を前に航空機12機を失うという大きな痛手を受けている。

午前9時、山本五十六連合艦隊長官は前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)の航空兵力で、ガダルカナル島の敵軍陣地・アメリカ艦隊の攻撃を命じた。これを受けて空母隼鷹から発進した零戦12機、九九艦爆12機(攻撃隊指揮官志賀淑雄大尉)はガ島ヘンダーソン飛行場を爆撃し、石油タンクの炎上を確認した。二航戦の空襲と並行して、基地航空部隊も飛行場爆撃と上空制圧をおこなった。 午前10時、前衛部隊索敵機が「米軍戦艦2-3、防空巡洋艦4、巡洋艦1、駆逐艦12、ツラギより方位160度、170マイル」を報じた。支援部隊指揮官(近藤長官)は南雲機動部隊に「成シ得レバ攻撃セヨ」と命じたが、機動部隊は「本日攻撃ノ見込ナシ」と返電した。 19時18分、連合艦隊電令作第354号は『陸軍は今夜19時、ガ島突入の予定にして、26日、敵艦隊はガ島南東海面に出現の算大なり。連合艦隊は26日敵艦隊を補足撃滅せんとす』と伝える。この電令の中で山本長官は日本軍基地航空隊も米艦隊を攻撃するよう求めているが、実際の海戦は機動部隊と機動部隊の正面衝突となり、基地航空隊は全く関与しなかった。第四艦隊麾下の第四空襲部隊も飛行艇や陸攻で26日以降の偵察を実施したが、連合軍を発見しなかった。 この時、アメリカ軍はハワイのラジオ放送を通じて「近くソロモン方面で大海空戦が行われる。米国民に良きプレゼントを送る」というプロパガンダを行っていたとされる。夜間、前衛の磯風は飛行艇から雷撃されるが、命中しなかった。

海戦当時の日本艦隊の配置は、機動部隊本隊(南雲長官)と前衛(阿部中将)の距離が50 - 60浬、第二航空戦隊ふくむ前進部隊(近藤長官)は機動部隊の西方100~120浬を行動していた。10月26日南雲忠一中将の機動部隊本隊は午前0時30-50分にアメリカ軍のPBYカタリナ飛行艇から爆撃を受け、瑞鶴の至近距離に爆弾が落下した。各艦を攻撃したB-17はエスピリトゥサント島から、カタリナ飛行艇はヌデニ島などから飛来しており、爆撃・雷撃を実施するとともに日本艦隊の位置を通報している。カタリナ飛行艇が発した情報は、エスピリトゥサント島基地航空隊を経由して2時間後の26日0312にアメリカ軍機動部隊へ届けられたという。ニューカレドニア島ヌーメアの司令部から指揮をとるハルゼー提督は「攻撃せよ、反覆攻撃せよ」の命令を発した。

これに対し、米艦隊の奇襲を受ける可能性があると判断した南雲機動部隊は、ガダルカナル島北東460km地点で反転北上する。そして黎明(日出03時45分)から艦上攻撃機13機による二段索敵を開始した。レーダーがないと夜間は索敵できないため、夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し、先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵、夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させるという方法である。日本軍前進部隊(第二艦隊)からも、重巡洋艦や軽巡から零式水上偵察機九四式水上偵察機が発進し、索敵にあたった。一方のアメリカ軍も、エンタープライズからドーントレス16機が発進し、2機ずつのペアになって索敵に向かった。

両軍の攻撃隊発進

10月26日の日の出は、日本時間午前3時45分である。天候は晴れ、風速は北西10ノット以下、海面は穏やかで、たびたびスコールがあった。午前4時50分、日本軍翔鶴四番索敵機はアメリカ軍機動部隊を発見し「敵空母サラトガ型1、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦16、針路北西」(南雲機動部隊から125度210浬)を報告した。瑞鶴索敵機も敵艦隊を発見していたが、同機の報告は母艦に届かなったという。日本軍はアメリカ軍機動部隊戦力を空母3隻と判断した。

午前5時30分頃、翔鶴飛行隊長村田重治少佐が指揮する第一次攻撃隊が発進する。内訳は旗艦翔鶴から24機(村田機を含む九七式艦上攻撃機20機、零式艦上戦闘機4機)が発進、瑞鶴から瑞鶴飛行隊長高橋定大尉が率いる29機(九九式艦上爆撃機21機、零式艦上戦闘機8機)、瑞鳳から(零戦9機)、三艦合計62機(零戦21、艦爆21、艦攻20)が発進した。また触接のため瑞鶴と瑞鳳から艦攻各1機が発進した。

続いて第2次攻撃隊として各艦合計44機(九七艦攻16機、九九艦爆19機、零戦9機)が発進準備を行う。だが、翔鶴のレーダーがアメリカ軍機の機影をとらえたため第二次攻撃隊全機が揃うまで発進を調整せず、まず翔鶴から(関衛少佐・翔鶴飛行隊長:艦爆19、新郷少佐・翔鶴飛行隊長:零戦5)が発進し、30分遅れた午前6時45分、瑞鶴から(今宿大尉・瑞鶴飛行隊長:艦攻16、零戦4)が発進した。他に触接のため艦攻2機(翔鶴1、瑞鶴1)が発進した。母艦上空直掩に零戦を配備したため、南雲部隊は攻撃隊に十分な数の護衛機をつけられなかった。

またアメリカ軍機動部隊発見の報告は日本軍前進部隊(第二艦隊)麾下の空母隼鷹(二航戦)にも伝えられ、前進部隊はガダルカナル島攻撃を中止した。アメリカ軍機動部隊の攻撃に向け、航空隊の発進準備がはじまった。前進部隊指揮官の近藤信竹中将は第二航空戦隊を南雲機動部隊の指揮下に預けると自身はアメリカ軍方向に南下し、同時に機動部隊前衛(第十一戦隊:戦艦比叡霧島等)を指揮下に入れ夜戦を挑む考えを各部隊に通達した。

ほぼ同時刻、アメリカ軍も日本艦隊を発見した。エンタープライズはSBD 16機を偵察に投入しており、SBD 2機のペアは第61任務部隊の北東方面を捜索した。ウェルチ大尉機とマクグロウ中尉機は、「フロート1つ」の日本軍水上偵察機とすれ違い、20分後に金剛型戦艦を発見した。キンケイド提督は「戦艦2隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦7隻、南緯8度10分、東経163度55分、針路北、速度20ノット」という報告を受け取る。まもなく、第10偵察隊隊長J・R・"バッキー"・リー少佐と僚機から「空母2隻、護衛艦、南緯7度5分、東経163度38分」(距離320km)の連絡が入った。リー機とジョンソン中尉機は襲ってきた零戦3機を返り討ちにしたと主張し、2機とも生還した。日本軍機動部隊の位置をつかんだキンケイド少将は、指揮下の第16任務部隊と第17任務部隊に対し、直ちに攻撃隊発進を命令する。空母ホーネットから第1次攻撃隊29機(F4Fワイルドキャット8機、SBDドーントレス15機、TBFアベンジャー6機)、空母エンタープライズから第2次攻撃隊19機(F4F 8機、SBD 3機、TBF 8機)、さらに「ホーネット」から第3次攻撃隊25機(F4F 7機、SBD 9機、TBF 9機)、合計73機が推定距離200浬の日本艦隊にむけて発進した。

南雲機動部隊から空母翔鶴の第二次攻撃隊の発艦準備が終了しかけたとき、瑞鶴より「発艦作業30分遅れる」と報告が来た。さらに、索敵中のアメリカ軍SBDドーントレス2機(バーニー・ストロング大尉機、チャールズ・アーヴィン少尉機)が彼らに全く気付いていない空母瑞鳳に奇襲をかける。上空警戒中の零戦9機もSBD 2機を阻止できなかった。SBD 2機が投下した爆弾は瑞鳳の飛行甲板後部を直撃した。ストロング機とアーヴィン機は日本軍の対空砲火と零戦の迎撃をふりきり、逆に計2機の零戦の撃墜を主張して生還している。日本軍にとって幸運なことに被弾箇所が最後部であったこと、被害艦が第二次攻撃隊を艦内に抱えていた瑞鶴でなかったため、誘爆によるミッドウェー海戦の悪夢再現は避けられた。しかし飛行甲板の破孔により、瑞鳳は発着艦不能となった。瑞鳳は駆逐艦2隻(舞風、初風)に護衛され戦線を離脱する。このため南雲長官は瑞鶴隊を置いて、翔鶴隊を発進させた(第二次攻撃隊戦力は上記参照)。攻撃隊が発進すると翔鶴では被弾に備えて可燃物を全て捨てたが、この時、演芸会用の女着物とかつらが投げ込まれるのが目撃された。

日本軍機動部隊の第一次攻撃隊は、進撃途中に日本艦隊を目指

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出典:wikipedia
2020/06/26 00:39

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