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南武線とは?

【基本情報】

【国】
日本
【所在地】
神奈川県東京都
【起点】
川崎駅(本線)
尻手駅(浜川崎支線、尻手短絡線)
【終点】
立川駅(本線)
浜川崎駅(浜川崎支線)
鶴見駅(尻手短絡線)
【駅数】
30駅(支線含む)
【路線記号】
JN
【開業】
1927年3月9日
【所有者】
東日本旅客鉄道(JR東日本)
【運営者】
東日本旅客鉄道(JR東日本)
日本貨物鉄道(JR貨物)
車両基地
中原電車区
【使用車両】
E233系(本線)
205系(浜川崎支線)
【路線諸元】

【路線距離】
35.5 km(川崎-立川間)
4.1 km(尻手-浜川崎間)
5.4 km(尻手-鶴見間)
軌間
1,067 mm
【線路数】
複線(川崎 - 立川間、八丁畷 - 浜川崎間)、単線(前記以外)
電化方式
直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式
自動閉塞式
保安装置
ATS-P
最高速度
95 km/h
【路線図】



南武線(なんぶせん)は、神奈川県川崎市川崎区川崎駅東京都立川市立川駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。そのほか以下の支線を持つ。

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
    • 2.1 年表
      • 2.1.1 南武鉄道
      • 2.1.2 国有化
      • 2.1.3 民営化以降
  • 3 運行形態
    • 3.1 快速
      • 3.1.1 国鉄時代の快速
      • 3.1.2 JR発足後の快速
      • 3.1.3 臨時快速
    • 3.2 優等列車
    • 3.3 貨物列車
  • 4 車両
    • 4.1 現在の使用車両
      • 4.1.1 本線
      • 4.1.2 支線
    • 4.2 保安装置
    • 4.3 過去の使用車両
      • 4.3.1 南武線の車両
      • 4.3.2 南武鉄道の車両
  • 5 沿線概況
    • 5.1 本線
      • 5.1.1 川崎駅 - 武蔵小杉駅間
      • 5.1.2 武蔵小杉駅 - 登戸駅間
      • 5.1.3 登戸駅 - 府中本町駅間
      • 5.1.4 府中本町駅 - 立川駅間
    • 5.2 浜川崎支線
    • 5.3 尻手短絡線
  • 6 今後の計画
    • 6.1 連続立体交差事業
  • 7 データ
    • 7.1 路線データ
    • 7.2 混雑率の推移
    • 7.3 駅一覧
      • 7.3.1 本線
      • 7.3.2 浜川崎支線
      • 7.3.3 尻手短絡線
      • 7.3.4 廃止区間
      • 7.3.5 廃駅・廃止信号場
  • 8 脚注
  • 9 参考文献
  • 10 関連項目
  • 11 外部リンク

概要

東京地区の電車特定区間(E電)の路線の一つであり、神奈川県の川崎駅と東京都の立川駅を結ぶ路線で、川崎市をその細長い形に沿うように貫く動脈である。ラインカラーは黄色()であり、走行する車両の車体色の一部に用いられている。駅ナンバリングで使われる路線記号はJN

川崎市内においては、川崎駅付近や臨海地区などの南部地域と多摩区などの北部地域を結ぶ唯一の交通機関である。東京都心山手線各駅から郊外に延びる複数の放射状路線と交差する環状路線(フィーダー線)の一つとなっており、京葉線武蔵野線と連続する東京の外環状線の一部を構成している。また、川崎駅の隣の尻手駅からは、鶴見線東海道貨物線の浜川崎駅へと伸びる支線(通称「浜川崎支線」)と、品鶴線新鶴見信号場へと伸びる支線(通称「尻手短絡線」)が存在する。

多摩川とは距離は多少離れるが全線で並行し、右岸を走る南側では多摩丘陵東端に沿って多摩川の氾濫原を走る。多摩川を渡った北側では立川崖線を登り、武蔵野台地上を走る。堤防稲城市内の高架線や登戸駅付近で見える。川崎市内では二ヶ領用水とも並行し、その本川および川崎堀とは中野島駅宿河原駅久地駅武蔵小杉駅平間駅の各駅付近で計5回交差する。

また、大半が地下を通る貨物線(通称「武蔵野貨物線」 新鶴見信号場 - 梶ヶ谷貨物ターミナル駅 - 府中本町駅間)が南武線の南側の多少離れた所を通っている。

本路線の線路は立川駅では中央本線青梅線と接続しており、貨物列車臨時列車の直通運転で頻繁に使われていたが、本数は激減している。川崎駅においても、京浜東北線北行の線路とつながっているが、保安システムの関係上、入線は不可能であり、また長い間使われていないため線路の劣化が激しい。東海道本線横須賀線へ車両を回送する際は尻手駅からの浜川崎支線、東海道貨物支線経由で鶴見駅や品川駅へ出る。また、府中本町駅では武蔵野線と旅客ホームを経由しない形態でつながっている。かつては向河原駅からも東海道貨物支線へ分岐線が延びていたが、1973年に廃止されている。

2008年、JR東日本が発表した長期経営計画「グループ経営ビジョン2020 -挑む-」において、横浜線・武蔵野線・京葉線とともに「東京メガループ」を形成し、サービス向上に努めていくことが発表された。これに関連し、2011年4月9日より快速列車が32年半ぶりに復活した(詳細は後述)。

歴史

多摩川鉄橋(南多摩駅 - 府中本町駅間)

南武線は、私鉄の「南武鉄道」により開業した路線である。

上平間で代々名主を務める家の生まれで16代目当主、村会議員の秋元喜四郎が発起人総代となり、1919年(大正8年)5月5日付けで、鉄道院に「多摩川砂利鉄道敷設免許申請書」を出願した。秋元喜四郎は1915年、平間界隈の多摩川の堤防建設を、500名の村人全員が編笠をかぶって県庁に直訴した「アミガサ事件」を先導した人物である。申請は川崎駅を起点に橘樹郡の各村を経て東京府南多摩郡稲城村へ達するという蒸気鉄道の運営であり、多摩川の川原で採取した砂利を運搬するのが目的であった。1920年1月29日に免許が交付された後、3月1日に会社を設立し、社名を「南武鉄道株式会社」に改称した。3月17日には終点を立川まで延長、府中町 - 国分寺町間の支線の敷設を追加で申請した。これらは単に砂利を運搬するだけでなく、多摩地域と川崎とを結ぶ交通路線となることも目指していた。主要事業の登戸、宿河原の砂利運搬のため、南武鉄道は川崎 - 登戸間を「第一期線」として、「川崎登戸間開通セバ殆ンド全通シタルト同様ノ収益アリ」と説明した。

会社設立の際、資金集めに難航し、地元の発起人は次々と脱退した。沿線地域の住民の利益よりも、企業目的の優先に重きが置かれたように感じられたため、実際に1919年5月に南部砂利鉄道株式会社の設定計画が立てられてから、工事許可申請が何度も延期された。当時は物流については稲田村から大師河原までの水上交通があり、旅客については一頭立ての四輪馬車などがあり、地元住民は鉄道に利用価値を感じていなかった。鉄道用地買収もコスト削減のために農地ばかりを買い進め、予定路線は大幅にずれて田んぼの真中を走ることとなり、着工時期はまったく見当がつかない状況であった。

そんな中、浅野セメント(現在の太平洋セメント)の浅野総一郎とその系列企業が名乗りを上げた。浅野総一郎は既に青梅鉄道(現在の青梅線)を傘下に収めており、セメントの原料の石灰石を青梅鉄道から中央本線・山手線・東海道本線経由で工場のある川崎まで運んでいた。川崎と立川を結ぶ南武鉄道を傘下にすればすべて自分の系列の路線で運搬することができ、輸送距離も大幅に短くなる。両者の利害が一致し、南武鉄道は浅野系列となった。浅野総一郎の息子、浅野泰治郎が1923年9月30日に南武鉄道の株5000株を入手し、筆頭株主となった。

1927年3月9日に川崎駅 - 登戸駅間と貨物線の矢向 - 川崎河岸間が開業した。貨物線を除き当初から全線電化である。当初、南武鉄道は電車6両、蒸気機関車2両、貨車44両を保有していた。目黒競馬場の移転先を沿線の府中に誘致し(東京競馬場)、稲田堤の桜や久地の梅園などへの花見客を誘致するなど、利用者増加のための努力が行われ、特に競馬開催時に電気機関車牽引の客車列車を運転するほどの利用客があった。1927年11月1日に登戸 - 大丸(現・南多摩)間、1928年12月11日に大丸 - 屋敷分(現・分倍河原)間を延伸、1929年12月11日に分倍河原 - 立川間を開業、全線が開通した。全通当時は川崎 - 立川間35.5kmを1時間10分で結んでいた。1930年3月25日に支線の尻手 - 浜川崎間も開業した。

1930年代以降、沿線には日本電気、富士通信機製造(現在の富士通)などの工場が進出し、沿線の人口が急増、南武鉄道はその通勤客を運ぶことになった。1937年上期(4月 - 10月)の乗降客は200万人に達し、日中戦争下の1938年下期には「通勤職工の増加、連日急増を呈し、定期旅客は人員において、十一割三分の未曾有の激増」と総括している。このような事情のもと、1939年までには川崎 - 武蔵溝ノ口間が複線化されていた。川崎市の人口増に住宅を供給するため、日本光学、東京電気、南武鉄道の三者により川崎住宅株式会社を設立し、経営にも参画した。1941年12月にはじまった大東亜戦争の対米英戦(太平洋戦争)下で、民間企業で初めての徴用令適用事業所となった日本光学をはじめとした軍需産業が川崎に集中し、1943年1月には、全国から約1万人の農村の女性が勤労報国隊員として川崎の軍需工場に動員された。帝都防衛のための軍事施設も沿線に多く造られ、そのための軍事輸送も南武鉄道が担うこととなった。

また、石灰石輸送などにおける浅野の資本系列の奥多摩電気鉄道、青梅電気鉄道、南武鉄道、鶴見臨港鉄道の連携が重要視され、4社の合併への協議がなされた。合併交渉途上に鶴見臨港鉄道が国有化されたが、1943年9月には残る3社の合併が決定し、1944年2月に関東電鉄(関東鉄道との記述もあり。茨城県の関東鉄道とは別)が発足することとなっていた。しかし、東海道線や工業地帯と中央線を結ぶ重要路線であること、重要物資の石灰石を輸送していること、軍事施設や重要工場が沿線に存在することなど軍事上重要な路線だという理由で、1944年4月1日に戦時買収私鉄指定で国有化され国有鉄道の南武線となった。この頃に一部の駅が廃止されている。なお、戦後の1946年から1949年頃に4社で払い下げ運動がなされた際も、払い下げ後はただちに4社が合併して関東電鉄となる予定であった。

南武線の国有化時に南武鉄道は会社を解散せず、バス事業を立川自動車運輸(現・立川バス)に継承し、鉄道路線以外で保有していたわずかな土地を管理する会社となった。その後「アサノ不動産」、「太平洋不動産」(現在の本社は東京都。神奈川県に本社を置く同名の会社とは別)と社名を変更し、太平洋セメントの傍系会社として現在も存続している(「立川バス#沿革」も参照)。

軍需工業地帯を走っていた南武線は、1945年入ると連合国軍機による空襲の被害も受け、終戦直後の1945年11月には所属41両のうち19両しか稼働できないという状況であった。ただ、一部で複線の幅が狭く、車両限界の大きな国鉄の他線からの車両転属を阻まれたため、1947年には小田急電鉄から幅の狭い車両を借りるという、前代未聞の手段にも出ていた。このように、輸送改善が進まない現実を前にして、南武線など戦時買収された路線の払い下げ運動が起きるが、実現することはなかった(詳細は「鶴見臨港鉄道#買収後」を参照)。

1950年代に入り高度経済成長により東京都区部の人口が増加すると、南武線沿線も私鉄との乗り換え駅を皮切りに都市化が進み、利用客が急増した。国鉄は車両の増結と複線化工事の実施などで輸送力増強を進め、1960年代後半には6両化と全線の複線化(1966年9月30日)を完成させた。また、軌道構造も通勤需要だけではなく、800トン級の貨物列車を通す目的もあって強化された。その後も車両の大型化や新型化、一部区間の高架化などの事業を進めている。車両面の変遷を見ると、1963年から20m級の車両配置が行われたが、当初はホーム有効長の点から必ず17m車3両+20m車1両の編成として編成全長を71m以内に抑える措置が採られていた。そして1972年には101系が配属され、1978年には101系で旧型車を一掃した。その101系も1991年には103系205系で淘汰され、さらにはJR化後の1993年209系が配属されるなど、変遷を重ねている。高架化は1990年12月20日に武蔵小杉 - 武蔵溝ノ口間、2005年10月9日に稲田堤 - 稲城長沼間が竣工した。矢向 - 川崎河岸間の貨物線は1972年5月25日に廃止された。

1980年代には、中野島にあったキトーや武蔵溝ノ口にあった東芝、鹿島田の日立製作所など一部の工場が郊外に移転した敷地にパークシティなどの高層マンションが建つようになり、沿線人口はさらに増加したが、1990年代以降の乗客の増加率は横這い状態にある。なお、武蔵溝ノ口の池貝鉄工跡にはかながわサイエンスパーク (KSP) が建てられた。

2010年3月13日のダイヤ改正に合わせ、横須賀線にも武蔵小杉駅が開業し、武蔵小杉などの沿線では再開発によるマンションの建設が盛んで、再び混雑が進んでいる。

2014年10月4日からはE233系電車が営業運転を開始し、205系、209系を置き換えていった。本線(川崎駅 - 立川駅間)用の205系のうち、先頭車が0番台の編成は2015年12月6日 で、先頭車が1200番台の編成は2015年12月24日をもって 、それぞれ定期営業運転を終了した。なお、1200番台の編成については2016年1月9日の臨時列車が最後の運用を行った。南武線用の205系のうち一部はインドネシアKRLジャボタベックへ譲渡された。

年表

特に戦前において許認可と実態に差異のある場合がある。

南武鉄道

国有化

民営化以降

運行形態

停車駅

2015年3月14日現在、快速各駅停車が運転されている。

本線・支線ともに定期運転の旅客列車において他路線との直通運転は行っていない。列車番号の末尾につく英字は本線が"F"で、支線が"H"である。

南武線の輸送量は、立川駅寄りより川崎駅寄りで多い傾向があり、川崎駅 - 立川駅間の全線通しの列車のほか、朝・夕方・夜の時間帯では川崎駅 - 武蔵溝ノ口駅・登戸駅・稲城長沼駅間の区間運転列車が多数設定されている。2015年3月13日以前は日中にも区間運転列車が設定されていた。武蔵中原駅構内には南武線の車両基地である中原電車区があり、この基地への出入りを兼ねて、川崎駅 - 武蔵中原駅間の系統が朝晩に設定されているほか、武蔵中原発の登戸行き・稲城長沼行き・立川行きと登戸発立川行きが朝に、立川発武蔵中原行きの列車が夜にそれぞれ設定されている。矢向駅には留置線があり、朝の時間帯に矢向発川崎行きの列車が存在する(矢向行きの営業列車はない。川崎駅から回送)。宿河原駅にも留置線があるが、こちらは登戸駅および武蔵溝ノ口駅発着の列車が使用しているのみであり、宿河原駅発着の設定はない。立川駅にも留置線があり、夜間に川崎発稲城長沼行きからの回送が入庫し、翌朝西国立発川崎行きで出庫している。

平日は朝夕ラッシュ時が約2 - 4分間隔、日中が1時間に8本(各駅停車6本、快速2本)、土曜・休日は朝夕が約5 - 7分間隔、日中が1時間に9本(各駅停車6本、快速3本)で運行されている。

浜川崎支線では、終日にわたりワンマン運転を行う2両編成の電車が尻手駅 - 浜川崎駅間で折り返し運転を行っている。川崎区内は路線バスの本数が多いこともあり、こちらは昼間は40分間隔のダイヤであるが、朝夕には多い時間帯で10 - 20分間隔で運行されており、平日・土曜日の沿線工場への通勤客を中心に利用されている。

快速

205系電車による快速(2011年4月15日)
209系2200番台電車による快速(2011年4月15日)
E233系8000番台電車による快速(2015年12月5日)

国鉄時代の快速

かつて南武線には、旧国鉄時代の1969年(昭和44年)12月15日から川崎駅 - 登戸駅間において快速が運行されていた。車両は中央線用の101系を使用し、10時台から15時台まで1時間あたり1本の1日6往復の運行であった。途中停車駅は他線との乗り換え駅である武蔵小杉駅武蔵溝ノ口駅の2駅のみであり、快速運転区間の所要時間は各駅停車が31分に対して快速は21分で運行した。川崎駅行の快速は始発駅である登戸駅において中野島駅方面からきた各駅停車と接続をしてから発車していたが、快速運転区間において途中駅での追い抜きが行われていなかったため快速と各駅停車との列車間隔が開いていた。一方、登戸駅行は武蔵中原駅での追い抜きが行われていたが、一部の快速は武蔵溝ノ口駅で立川方面行の各駅停車と接続していた。この快速運転は、前述した通り快速と各駅停車との間隔が開くなどしたため、旧社会党が運転中止を求めるなどし、1978年(昭和53年)10月2日ダイヤ改正で廃止された。旧国鉄によると、旧型車から101系への車両置き換えが完了して各駅停車の速度が向上したことが理由とされた。

神奈川県知事などから成る「神奈川県鉄道輸送力増強促進会議」はJR東日本に対して快速運転の要望を継続的に行っていたが、2007年度要望に対してJR東日本は回答を行っていなかった。

JR発足後の快速

2010年9月、JR東日本から2011年3月12日のダイヤ改正より日中に1時間あたり2本の快速を運転することが発表された。定期列車としては32年半ぶりの復活となった。運転開始時の停車駅は、川崎駅・鹿島田駅・武蔵小杉駅・武蔵中原駅・武蔵新城駅・武蔵溝ノ口駅と登戸駅 - 立川駅間の各駅で、所要時間は川崎駅 - 登戸駅間で各駅停車より5分短縮された。2014年3月15日ダイヤ改正では、快速運転区間が稲城長沼駅まで拡大され、中野島駅と矢野口駅が通過駅になった。 快速運転区間内では下りは武蔵溝ノ口駅、上りは武蔵中原駅で先行の各駅停車に連絡し、川崎駅 - 稲城長沼駅間の各駅停車と稲城長沼駅(快速運転区間の終端)で接続を行うダイヤになり、快速通過駅でも2011年3月11日以前と同水準の運行本数が確保されている。

2014年3月14日までは快速と接続する川崎駅 - 登戸駅間の各駅停車が登戸駅の2番線に発着することから、下りの登戸行き列車から登戸駅で後続の下り快速に乗り継ぐ旅客は跨線橋を渡っての乗り換えが必要であったが、2014年3月15日のダイヤ改正で日中の登戸行き各駅停車が稲城長沼行きに延長され、稲城長沼駅では下り線と対面乗り換えが可能な3番線に停車するようになった。しかし、上りの快速列車から矢野口駅に向かう際は、新たに階段を利用しての乗り換えが必要になった。また、下りは武蔵溝ノ口駅、上りは武蔵中原駅で緩急接続を行うようになった。いずれのダイヤでも、下り列車については各駅に停車する区間では駅・車両の行先案内ともに「快速」の表示は消え、各駅停車と案内されていた。上り列車については全区間で「快速」として案内されていた。

2015年3月14日のダイヤ改正では川崎駅 - 立川駅間の全区間で快速運転が開始された。快速運転区間が立川駅まで拡大され、南多摩駅・西府駅・谷保駅・矢川駅・西国立駅が新たに通過駅になった。土曜・休日には、日中1時間あたり快速が2本から3本になり、各駅停車が7本から6本になった。各駅停車の運転区間も快速と同様に全区間となった。また、上りの緩急接続駅が武蔵中原駅から稲城長沼駅に変更された。

2017年3月4日の

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出典:wikipedia
2018/12/09 02:01

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