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南部町_(山梨県)とは?

【国】
日本
【地方】
中部地方甲信越地方
【都道府県】
山梨県
【郡】
南巨摩郡
市町村コード
19366-6
法人番号
9000020193666
【面積】
200.87km

【総人口】
7,188[編集]
(推計人口、2020年6月1日)
人口密度
35.8人/km
【隣接自治体】
南巨摩郡身延町
静岡県:静岡市富士宮市
【町の木】
ヒノキ
【町の花】
アジサイ
【町の鳥】
メジロ
【南部町役場】

【町長】
佐野和広
【所在地】
409-2102
山梨県南巨摩郡南部町福士28505-2
北緯35度14分32.4秒東経138度29分9.8秒

【外部リンク】
南部町の公式サイト

― 市 / ― 町 / ― 村



ウィキプロジェクト

南部町(なんぶちょう)は、山梨県南巨摩郡の町。山梨県の最南端に位置する。町の中央部を富士川が縦断するように流れる。陸奥国南部氏の発祥地として知られる。江戸時代には舟運で栄えた。

概要

南部町民憲章

南部町では2004年(平成16年)1月5日、議会で南部町民憲章が制定された。内容は以下の通り

わたくしたちの郷土は、富士川に沿う河内路の要衝として、 古くから特色ある文化を育ててきました。 私たちは、この南部町民であることに誇りをもち、恵まれた 自然に感謝し、歴史や文化を大切に、ふれあい豊かな躍進する 町をつくるため、この憲章を定めます。
一、 自然を愛し、美しい町をつくります。
一、 仕事にはげみ、活力のある町をつくります。
一、 生涯を通して学び、文化の町をつくります。
一、 心とからだをきたえ、明るい町をつくります。
一、 たがいに助け合い、平和な町をつくります。

地理地形

西側に十枚山篠井山などの身延山地、東側に思親山などの天子山地に挟まれ、そのほぼ中央に富士川が流れる。町の9割近くが森林地帯で、宅地と農地を合わせた比率は4%にも満たない。標高は富士川河岸で150m未満と山梨県では一番低い位置にあるうえ、静岡県に近いことから平均気温は15度と温暖で、また降水量も年間2,500mm以上と多い。

主な河川

南部町内を流れる主な河川(距離順)
【河川名】
長さ
佐野川 | 18.8km
富士川 | 16.0km(地内)
福士川 | 10.0km
戸栗川 | 7.8km
内房境川 | 4.3km(地内)
船山川 | 3.1km

歴史

※ここでは旧南部町域を主体に記述している。旧富沢町域については富沢町#歴史を参照。

古代から南部氏統治時代

南部氏の祖である南部光行富士川の戦い後に南部郷を領し、奥州合戦まで統治していた。

古代律令制下では富士川右岸が巨摩郡河合郷に、左岸が八代郡河合郷に比定される。

平安時代末期には甲斐源氏の一族加賀美遠光の三男光行が南部郷に進出して南部氏の祖となり、睦合地区には居館跡とされる南部氏館跡がある。また、鎌倉時代には光行の子実長が波木井に居を構え、日蓮の弟子となり日蓮を身延に招聘した。栄地区では鎌倉時代の武将で鎌倉北条氏の一族・名越氏に仕え、日蓮を崇拝していた四条頼基が内船の地を与えられた際内船寺を建立し、付近にあった温泉を内船温泉として開湯している。

平安時代末期の奥州合戦の頃に光行ら南部氏は奥州に侵攻しそのまま土着した三戸南部氏(南部氏宗家)と甲斐国に留まっていた甲斐南部氏(のちの一戸氏)・根城南部氏(波木井氏、のちの八戸氏)とで別れ、鎌倉時代末期には甲斐・根城が鎌倉幕府側についたのに対し三戸は幕府討伐側につき、鎌倉幕府が倒れた後の南北朝時代になると甲斐・根城は南朝方に与していたが、1392年(元中9年または明徳3年)の南北朝合一(明徳の和約)により甲斐・根城は北朝方であった三戸に帰順する形で奥州陸奥国に転封し、南部氏による河内領統治は終焉を迎えた。

穴山・徳川氏統治時代

南部氏代わって北朝方であった甲斐守護武田氏の一族穴山氏が河内領へ進出し室町期に統治を行った。穴山氏は当初南部を拠点とし武田方であったが、戦国初期の穴山信風の頃に駿河国今川氏に帰属し、南部も今川方の領地となっている。その後武田信虎の甲斐国統一政策による河内侵攻により再び武田方となり、信風の子・信友の時代には武田氏の甲斐国平定と甲駿同盟の成立により本拠を南部から下山(身延町)移転する(但し、信風の代に今川の甲斐侵攻政策により移転していた説あり)が南部が重要拠点であることには変わりなく、信友の子・信君の頃に駿州往還の拠点として南部宿が成立し、武田信玄による駿河侵攻後は伝馬制の中継点として、信君が徳川氏に従順して徳川領となり江戸幕府が成立した後は身延山参拝および駿河から甲斐への流通のための宿場町となる。同じ時期に富士川水運の中継や駿州往還の脇街道である東河内路の拠点として内船も発展し、睦合(南部)と栄(内船)を結ぶための渡し舟も設けられている。近世には11か村が成立し、富士川西部が巨摩郡西河内領に、東部が八代郡東川内領に属した。全村が幕府直轄領甲府藩領、再び直轄領に変遷し、上飯田代官から市川代官支配となる。

明治期から昭和の大合併まで

明治時代の1878年(明治11年)に郡区町村編制法が設定され、南部を主とした睦合地区は南巨摩郡、内船を主とした栄地区は西八代郡に属するようになる。1889年(明治22年)の町村制によって睦合地区は睦合村、栄地区は栄村として単独自治体が成立した。睦合村では近藤喜則が南部宿の陣屋であった南部本陣跡地に私塾である「蒙軒学舎」を開き、宣教師チャールズ・イビーを招くなどして地域の教育の向上を図った。

睦合村は駿州往還による馬車運輸や徒歩運輸、栄地区は富士川水運が維持され互いに独自の発展をしていたが、大正になると富士川沿いに甲駿鉄道計画の話が持ち上がり、睦合側を通過する甲駿軽便鉄道と栄側を通過する富士身延鉄道(現在の身延線)との誘致合戦になるが富士身延鉄道側による鉄道敷設が採用され、1918年(大正7年)に富士側から延伸してきた南部内船駅(現在の内船駅)まで開業。1920年(大正9年)には身延山の最寄駅である身延駅まで、1928年(昭和3年)には山梨県庁がある甲府駅まで延伸し、それに伴い富士川水運が廃止されたが自動車運輸はまだ未発達であったため町内の交通の要所はこれまでの睦合側から栄側へ移動した。一方で睦合側から内船駅を利用する目的のため1932年(昭和7年)に南部橋が架橋されると両地区の結びつきは強くなり、第二次世界大戦後に実施された昭和の大合併によって両地区の村は1955年(昭和30年)4月1日 に合併し、南巨摩郡に属する形で(旧)南部町が発足した。

(旧)南部町時代

南部町発足後はこれまでの林業に加え静岡県から流通用茶葉の導入により茶業が発達し、また駿州往還が国道52号の指定を受け自動車運輸が盛んになったことから睦合村では路線バスが相次いで開設する。しかし1970年代になると林業の衰退などから人口が減少に転じ、路線バスも相次いで廃止されるようになった。町では身延線の貨物輸送に代わり自動車輸送の増加に対応すべく南部バイパスの建設や工場誘致を進めるが人口減に歯止めがかからず、最盛期は1万人近くいた人口は7千人を割り込むことになった。そのため 1995年(平成7年)に地方分権一括法による合併特例法が改正(平成の大合併)されると周辺自治体との合併話が持ち上がり、結びつきが強かった富沢町との合併協議会が設置されると話はスムーズに進み、2003年(平成15年)3月1日に両町は合併し(新)南部町が発足した。

隣接している自治体・行政区

山梨県

静岡県

人口


南部町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 南部町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 南部町
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性


南部町(に相当する地域)の人口の推移

総務省統計局 国勢調査より


行政

町長

【代】
【町長】
【就任日】
備考
町長職務執行者 望月秀次郎 | 2003年(平成15年)3月1日 | 旧富沢町長(1993-2003)
初代 小沢介三 | 2003年(平成15年)4月13日 | 旧南部町長(1986-2003)
2代 望月秀次郎 | 2007年(平成19年)4月13日 | 旧富沢町長(1993-2003)
3代 佐野和広 | 2011年(平成23年)4月13日 | 

財政

2004年の南部町の財政力指数は0.3とかなり低い数値となっている。(財政力指数は0.5が財政的自立の目安だといわれている。)また1人あたりの地方債現在高も92万円と類似団体の平均(47万円)と比較して高い数値を表している。今後は三位一体の改革による地方交付税減少や過疎化による住民税・固定資産税の減少が見込まれることから更に厳しい財政となることが予想される。一方で地方債の町負担分が30億に対し基金が42億あることや今後公共施設の抑制を行なうとしていることから町側は健全財政であるとアピールしている。(出典:町広報誌2007年1月号より)

参考:市町村財政比較分析表(PDF)

地区

経済

産業

南部町の特産でもある南部茶室町時代には既に栽培が行われていた記録があり、戦後栽培が活発化した。

第一次産業

古くから林業が盛んであり、スギヒノキをブランド化した「南部の木」は地域団体商標に登録されている。また、温暖多湿な気候であることから正確な記録上では室町時代から日本茶が栽培されており、戦後やぶきた種を導入してからは栽培が活発化し、南部茶として出荷・販売している。竹林も多く、旧富沢町域ではタケノコの収穫も行われている。富士川が縦断しており、支流も多いことからアユヤマメアマゴイワナといった漁業も行われており、町内には遊漁証を発行する取扱所が点在しているほか、富沢の奥地である徳間地区にはヤマメ、アマゴ、イワナの稚魚を育成する魚苗センターも存在する。

第二次産業

医療用カプセル・錠剤の製造会社であるアリメント工業の本社をはじめ、中央化学(プラスチック容器製造)、東タイ(プラスチック包装製造)、ビヨンズ(自動車部品製造)の工場がある。また、日本軽金属の発電施設も点在しており、第二次世界大戦の末期から戦後にかけて富士川第一発電所や柿元ダムの建設が行われている。

第三次産業

駿州往還の宿場町であった南部や福士、富士川舟運の中継基地でもあった内船に小規模ながら商店街がある。中規模以上の商業施設は存在しないが、身延町にあるフレスポみのぶ静岡県富士宮市にあるイオンモール富士宮へは車で1時間以内で行くことができる。

町内には温泉旅館民宿キャンプ場が点在し、万沢地区にはゴルフ場がある。東海自然歩道が縦断しており、十枚山篠井山思親山などといった日帰り可能な登山トレッキングコースがあり、JR東海によるウォーキングツアーも設定されている。

通信

町内放送

固定電話が一般的でなかった1960年代頃に有線放送電話が導入されたのが始まりで、固定電話が全家庭に広まった1980年代からオフトーク通信に切り替わり、合併後も継続して使用され1日2回の定期放送や火災時の緊急情報送出に使用されていたが、設備の老朽化や提供元のNTT東日本が2015年を以てオフトーク通信のサービス終了を決めたことから、2012年3月に市町村防災行政無線を導入し、現在に至る。

インターネットサービス

インターネットは2000年頃より日本各地で普及が始まったADSLであったが、南部町では町内放送用に用いられていたオフトーク通信による干渉の問題や基地局が南部町内に未設置だったことなどからフレッツADSLなどのサービスが未提供の状態が続いていた。しかし2004年にオフトーク通信の干渉問題が解決され、また南部町内にも基地局が設置されたことから随時提供が開始されるようになった。さらにFTTH網の整備が進捗したことで2011年末にはフレッツ光のサービス提供が万沢地区より開始され、2012年3月の市町村防災行政無線導入と同時にほぼ全地域でのサービス提供行われている。

携帯・モバイル通信

携帯電話についてNTTドコモが1990年代に南部町内に基地局を設置し町内でのサービスを開始したのが始まりで、日本移動通信(現在のau)およびJ-PHONE(現在のソフトバンクモバイル)も2000年頃よりサービスの提供を開始したことで携帯電話の主要キャリアは山間部を除き通話・通信が可能(3社とも4Gに対応)となっている。PHSについてもウィルコム(現在のY!mobile)が2007年よりサービスを開始しており、WiMAXUQコミュニケーションズのサービス提供エリア内となっている。但し公衆無線LANについてはごく一部の旅館などを除き末導入の状態が続いている。

テレビ放送

地上波は共同受信設備経由での視聴が主であり、アンテナ受信の家庭は少数である。

山梨県側からの甲府放送局山梨放送(日本テレビ系列)、テレビ山梨(TBS系列)をはじめ、静岡県側からの静岡放送局静岡第一テレビ(日本テレビ系列)、静岡放送(TBS系列)、静岡朝日テレビ(テレビ朝日系列)、テレビ静岡(フジテレビ系列)の放送も視聴可能であるが、町内にいわゆるCATV局のような他チャンネルサービスを行う事業者は存在せず、またテレビ東京系列の放送局は山梨・静岡双方に存在しないため、遅れネットによる一部番組の放送を除き視聴は不可能となっている。

文化

宗教

南部町域を統治していた南部氏や四条氏が日蓮を崇拝していたことから内船寺妙浄寺といった日蓮宗、その後統治した穴山氏臨済宗妙心寺を菩提としていたことから円蔵院最恩寺などといった臨済宗妙心寺派の寺院が多い。その他諏訪神社八幡宮(八幡神社)といった神社キリスト教会の支部、さらには新宗教の本院も存在する。かつては福士川沿いにオウム真理教の施設(富士清流精舎)が存在したが、1995年(平成7年)の一斉捜査後に解体され、跡地は公園となりその痕跡は一切ない。

教育

南部町立南部中学校校舎。かつては町内に3つの中学校があったが、現在はこの南部中学校に集約されている。

合併時点では3つの町立中学校と4つの町立小学校があったが、2011年に3つの中学校が統合して南部町立南部中学校に、2020年には富河小学校と万沢小学校が統合して南部町立富沢小学校となったため、中学校1校と小学校3校となった。 1970年代以前は、道路事情が悪かったこともあって山間部からの通学が困難であったため、分校や寮が設けられていたが、その後いずれも廃校や閉鎖となっている。

町内に高等学校はなく、公立高は基本的に隣の身延町にある山梨県立身延高等学校または山梨県立峡南高等学校山梨県立青洲高等学校へ通学するが、隣県特例が効くため静岡県側にある静岡県立富士宮西高等学校静岡県立富士宮北高等学校静岡県立富士宮東高等学校静岡県立富岳館高等学校静岡県立富士高等学校へ通学する生徒も多い。
山梨県では1968年(昭和43年)から2006年(平成18年)まで普通科を有する県立高等学校を対象に小学区による通学制限が行なわれ、南部町は身延学区に属し、県立高校普通科への進学は身延高等学校のみであった。一方で、静岡県側は2008年(平成20年)まで普通科で中学区制を導入していたものの隣接の第4学区(富士学区)内の高校で南部町からの志願者を自県と同等に扱っていたことや、旧富沢町地域からの場合、身延と富士宮との距離に大差がないことから、ある程度の学力があれば静岡県公立高への通学が容易に行なわれており、両県の学区制が廃止された後もその傾向は強い。
私立高も県内の身延山高等学校や隣県の星陵高等学校に自宅通学容易な環境にある。

交流

青森県三戸郡にある南部町とは南部氏関連で繋がっており、旧南部町時代から交流があったほか、2006年(平成8年)に南部氏の所轄地であった岩手県盛岡市や青森県八戸市、南部氏が東北へ移住する前に統治していた身延町などと共に平成・南部藩を結成している。

静岡県側との結びつきも強く、先述の越県通学だけでなく企業や工場が多い富士宮市富士市への県またぎの通勤も盛んに行われており、合併前の2000年国勢調査では旧富沢町が、合併後の2010年国勢調査では町全域が富士都市圏の一部に組み込まれている。

交通

内船駅
道の駅なんぶ

鉄道

東海旅客鉄道(JR東海)
身延線:十島駅-井出駅-寄畑駅-内船駅

バス

かつては甲府駅と静岡駅を結ぶ特急バスが南部、福士(町屋)、万沢に停車していたほか山梨交通のバスが町内を巡回していたが1970年代を境に順次廃止していき、最後に残った駅北西部の中野から身延駅方面へ乗り入れている山交タウンコーチ(山梨交通グループ)のバスも2017年3月31日に廃止となった。

道路

高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
町道

官公庁・公共施設・組合施設一覧

役場関連

郵便局

警察

消防

医療施設

福祉施設

保育施設

教育施設

幼稚園

小学校

中学校

官公庁出先機関

組合施設

祭事・催事

南部の火祭り
出典:wikipedia
2020/07/03 19:55

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