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博多駅とは?

【博多駅】

JR博多シティ(博多口・駅ビル)

はかた
Hakata

【所在地】
福岡市博多区博多駅中央街
所属事業者
九州旅客鉄道(JR九州・駅詳細)
西日本旅客鉄道(JR西日本・駅詳細)
福岡市交通局(福岡市地下鉄・駅詳細)
博多口駅前広場
JR博多駅クリスマスイルミネーション2018

博多駅(はかたえき)は、福岡県福岡市博多区博多駅中央街にある、九州旅客鉄道(JR九州)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・福岡市交通局(福岡市地下鉄)のである。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 乗り入れ路線
    • 1.2 乗車カード対応
  • 2 歴史
    • 2.1 駅名の由来
    • 2.2 移転の歴史
    • 2.3 明治中期
    • 2.4 明治終期
    • 2.5 昭和期
    • 2.6 平成期
    • 2.7 年表
  • 3 九州新幹線開業に向けた動き
    • 3.1 新幹線ホーム工事
    • 3.2 博多口駅ビル工事
    • 3.3 博多駅再整備事業
  • 4 駅構造
    • 4.1 JR九州・JR西日本
      • 4.1.1 構造・通路など
      • 4.1.2 改札口など
      • 4.1.3 のりば
    • 4.2 福岡市地下鉄
      • 4.2.1 のりば
  • 5 駅弁
  • 6 利用状況
  • 7 駅周辺
    • 7.1 駅ナカ
    • 7.2 駅ビル・商業施設
    • 7.3 博多口
    • 7.4 筑紫口
  • 8 バス
  • 9 駐車スペース等・その他
  • 10 隣の駅
    • 10.1 かつて存在した路線
  • 11 脚注
    • 11.1 注釈
    • 11.2 出典
  • 12 参考文献
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

概要

規模や利用客数において九州最大の駅であり、九州旅客鉄道(JR九州)の本社最寄り駅にして同社最大のターミナル駅でもある。また、九州鉄道(初代)開業当時から存在する九州最古の駅の一つでもある。

当駅を拠点に、新幹線や九州の主要都市とを結ぶ特急列車福岡都市圏等を走る多くの路線が乗り入れる全旅客列車停車駅である。2004年(平成16年)時点では特急列車の発着本数が日本一だった。

山陽新幹線の終点にして東海道・山陽新幹線系統の西端でもあり、九州新幹線(鹿児島ルート)の起点でもある。東海道・山陽新幹線系統の「のぞみ」「ひかり」「こだま」は、当駅をまたいで運行する列車はない。また、山陽・九州新幹線系統の「みずほ」は全列車が当駅をまたいで運行されている一方、「さくら」は当駅止まり(九州新幹線内のみ運行)の列車もある。一方、九州新幹線の「つばめ」は熊本小倉行の1本を除いて当駅で折り返す。

2007年(平成19年)3月31日に閉店した博多井筒屋が入居していた旧駅ビル(博多ステーションビル)の解体後、複合商業施設である新駅ビル(JR博多シティ)が建設され、九州新幹線鹿児島ルート全線開業9日前の2011年(平成23年)3月3日に開店した。

福岡市地下鉄の駅はJRホームの中心点の地下付近にある。福岡市地下鉄の駅の中では天神駅に次いで二番目に利用者が多く、同線の拠点駅である。また、七隈線を当駅まで延伸する計画があり工事中である(後述)。

JR博多駅の事務管コードは▲910127、福岡市内の事務管コードは▲919902である。また、福岡市地下鉄博多駅の事務管コードは8551101である。

乗り入れ路線

以下の路線が乗り入れる。JR九州の在来線駅には「00」の、地下鉄の駅には「K11」の駅番号が設定されている。

乗車カード対応

ICカード乗車券は、JR九州の在来線駅がSUGOCAに、地下鉄の駅がはやかけんに対応しており、いずれも交通系ICカード全国相互利用サービスに対応する。新幹線は山陽新幹線のみエクスプレス予約のEX-IC・スマートEXサービスに対応するが、九州新幹線には対応しない。また、博多南線もICカード非対応である。

歴史

駅名の由来

所在地の旧来からの地名「博多」に由来する。

「博多」は、古代日本、遅くても六国史が成立した頃からの地名であり、中国代には貿易港として大陸にも「覇家臺」や「八角島」として知られたほか、兵法書武備志では日本にある三つの港の一「花旭塔津」として紹介され、江戸期には黒田氏那珂川対岸に築いた「福岡城城下町」とともに栄えた。

「博多駅」は、明治維新に続く文明開化期の1889年(明治22年)、九州鉄道が九州初の鉄道路線を敷設するにあたり、当時の「博多」の南限にあたる承天寺の境内南端部を通り現在の「出来町公園」付近に福岡市の玄関駅を開業させ「博多駅」としたものである。

博多大宰府の外港として古代から栄えた町であったのに対し、福岡江戸時代黒田氏が封ぜられ福岡城を中心に栄えた武家の町であり、それぞれは那珂川を挟んで別々の都市という位置づけであった。

1889年(明治22年)4月「市制及び町村制」の公布に基づき、県令により博多・福岡をまとめて「福岡市」として市制施行することとなった。その際に九州鉄道の駅名を「博多」とすることにより市名議論の決着を図ろうとした。その後「博多市」に市名を改称しようとする動きもあったが、一票差で否決されて現在に至る。

福岡と博多との関係についての詳細は、博多の項目参照

そののち新幹線の開業などにより「博多」の知名度が高まると、「福岡」より「博多」のほうが全国的に認知されるようになった。そのため、「博多市」という市が存在する、かつては福岡市と博多市に分かれていてその名残として「博多駅」が残っているなどといった誤解も存在するようである。過去に「博多市」なるものが存在しないという事情からすればかなり特殊な例といえ、駅名が都市全体の対外的印象に大きな影響を及ぼす代表的な例となっている。

所在地の市名と中心駅名に差異の見られる例としては全国に複数あるが、その多くは過去に自治体名を冠していたものが、合併等により自治体名が変更になったにもかかわらず駅名を旧自治体名(あるいは旧自治体名の表記違い)のままとしているものである。1889年(明治22年)の市制町村制施行時点の市町村合併が原因で所在地の市名と中心駅名が一致しない例として、東京都武蔵野市吉祥寺駅などがある。

市内のもう一つのターミナル駅である西日本鉄道天神大牟田線の始発駅の名称は「西鉄福岡(天神)駅」である(2001年に西鉄福岡駅から改称)。これは、同駅が福岡側の天神に開設されたことと、国鉄駅が「博多」であったために、後から開業した西鉄が市名を名乗ることができたためである。なお、福岡駅という駅は存在するが、富山県高岡市福岡町にあるあいの風とやま鉄道の駅である。


移転の歴史

初代博多駅跡地(出来町公園)の記念碑
明治終期の博多駅

博多駅はこれまでに2回の移転が行われている(出来町公園付近→祇園駅付近→現在地)。また、駅舎の大規模な新築・改築は5回行なわれている。

出来町公園付近
明治22年駅舎
祇園駅付近
明治23年駅舎(初代駅舎とされる事も多い)
明治42年駅舎(一般向け広報では「2代目駅舎」としている)
現在地
昭和駅舎(一般向け広報では「3代目駅舎」としている)
平成駅舎(JR博多シティ)

明治中期

明治中期の初代博多駅は、九州で最初の鉄道である九州鉄道(初代)1889年(明治22年)12月11日に博多 - 千歳川仮停車場(久留米駅の北側、筑後川の北岸)間に開通時に開業した。そのため、この駅の跡地にある出来町公園に「九州鉄道発祥の地」の記念碑が設置された。

それから間もなく、1890年(明治23年)9月28日に博多駅 - 赤間駅間に開通時に、地下鉄祇園駅付近に移転した。この場所は当時は福岡市境であって田畑などの耕地だったため駅の建設が容易であり、中洲など市の中心部へのアクセスの利便性も良い位置にあり、また門司・熊本方面へ鉄道を結ぶに好都合であったと考えられる。

駅舎に面したホームと島式ホームの2面がある駅であったが、島式ホームの外側の線路は片側のみ本線に接続されている留置線で、営業列車の発着に使用されるのは駅舎側のホームと島式ホーム内側の2線のみであった。また島式ホーム外側には転車台(ターンテーブル)などを備えた機関庫が設けられ、駅舎側ホームの一部には貨物ホームが設けられていた。このときの構内総面積は20,486平方メートルであったと記録されている。

この時代から次の明治終期を経て昭和期の現在地移転に至る前までは、鉄道は現在の祇園大通り付近、萬行寺、覚永寺や承天寺などの博多の寺社仏閣のすぐ南を通っており、博多駅界隈の市街地区の南端を形成していた。当時の博多駅より南方は田畑が広がる農村地帯であった。

明治終期

経済の発展に伴い鉄道輸送量は急速に伸びていき、九州の鉄道で最大の需要のある駅にもかかわらず規模が小さかった博多駅では支障を来すようになった。このため更なる駅の改築が計画された。周辺の土地の買い占めなどの動きがあって地価が高騰し、一時は御笠川(石堂川)をはさんで対岸の堅粕村に移転することも計画されたが、結局現在地で改築することになった。1906年(明治39年)1月13日に仮駅舎が完成し、引き続き8月から新駅舎に着工したが、1907年(明治40年)7月1日に九州鉄道が国有化されて、駅の工事は国鉄に引き継がれた。

1909年(明治42年)3月3日に新駅舎が完成した。新駅舎は煉瓦造りの2階建てで、ルネサンス様式の建物であった。総面積3,160 平方メートルで、当時の費用で11万8000円の巨費を投じ、便所にも大理石を用いるなど豪華な建物となっていた。プラットホーム(ホーム)は2面あり、営業列車の発着には3線を利用できるようになっていた。さらに島式ホームの外側には広い貨物用の側線が用意され、一番南側には貨物用ホームと貨物上屋が設置されていた。

新駅舎が完成して不要となった旧駅舎は、隣接する吉塚駅に移築されたとする説と、直方駅に移築されたとする説がある。直方駅説については、1910年(明治43年)に落成した駅舎が2011年(平成23年)に解体された際に調査が行われ、建築当時の記録に「新築」とあることや、木材に再利用の痕跡が見られないことなどから、博多駅舎の移築説を否定する報告が出されている。

その後、貨物取扱量がさらに増加していき、早くも1914年(大正3年)には構内の拡張工事が行われており、貨物扱い設備が増設されている。この間、1911年(明治44年)5月17日に吉塚側を篠栗線単線部分を転用する形で複線化し、1919年(大正8年)10月15日には南側も二日市まで複線化が完成した。

1925年(大正14年)11月20日に北九州鉄道は新柳町駅(後の筑前高宮駅) - 南博多駅間を開通させた。その後新柳町(後の筑前高宮) - 南博多間に南博多分岐点(後の住吉信号所)を設置して、そこから線路を伸ばす形で1926年(大正15年)10月15日に北九州鉄道が博多駅へ乗り入れてきた。このときに南博多駅は旅客営業を廃止して貨物専用となった。 博多駅の貨物需要は増大し続け、この南博多駅(通称住吉貨物積卸場)に一部を転嫁したがそれでも間に合わず、吉塚駅・筑前高宮駅・博多港駅へも貨物の処理を分散させた。この北九州鉄道は1937年(昭和12年)10月1日に国有化されて国鉄筑肥線となった。

こうしたことからすぐに明治42年駅舎も手狭となり、1939年(昭和14年)には早くも移転拡張の計画が持ち上がっている。1942年(昭和17年)1月には実際に都市計画決定が申請され、1943年(昭和18年)4月には認可も受けたが、戦争の激化により11月に中止された。1945年(昭和20年)6月20日には福岡大空襲で駅が被災している。

第二次世界大戦後も博多駅の混雑は限界に達しており、1947年(昭和22年)には貨物列車は全て博多駅を通過するようにし、博多駅に発着する貨車のみを別途吉塚駅で編成しなおして運転する形式に変更して、博多駅の負担を緩和した。さらに貨物扱いに使っていたホームを旅客列車用の第3ホームに転用し、旅客用ホームが3面となった。しかし貨物設備を旅客用に転用したために、貨物の処理能力はますます逼迫することになった。

明治時代に完成した煉瓦造りの駅舎は、多少の手を入れてはいたが、抜本的な改築は困難で増大する旅客輸送に対処しきれていなかった。福岡市の急速な発展に伴い乗降客数は激増を続け、特に便所の不足は深刻となっていた。プラットホームも狭くごったがえしており、混雑する時期には始発駅での座席の確保を目的に、本来は他の駅から出発する乗客も博多駅に集中したためさらに混雑が増し、者がでかねないと懸念されるほどの混雑となっていた。さらに博多駅が地上にあるために駅の前後に踏切があり、列車の発着の多い時間帯には1時間に50分近くも踏切が閉まる「開かずの踏切」と化していた。こうした問題は、駅を移転し高架化することでしか解決できないと考えられた。

昭和期

1958年頃の西鉄福岡市内線博多駅前電停。後方に博多駅2代目駅舎(明治42年駅舎)が見える。

こうして大戦中に計画されていた移転拡張が再度動き始め、1958年(昭和33年)12月9日に高架式の純旅客駅とすることが決定され、1960年(昭和35年)7月に着工された。博多駅で取り扱われていた貨物は1961年(昭和36年)6月1日に廃止されて吉塚駅へ移転された。また香椎操車場が完成して、福岡地区での貨物の入換作業を一手に引き受けている。貨物扱い廃止と同日、門司港から久留米までの交流電化が完成しており、移転直前の博多駅も電化されている。なお、この際、感電事故防止のため、交流電化には高さが十分でなかった跨線橋の下部が、死電区間とされた。

昭和駅舎(博多ステーションビル)

1963年(昭和38年)12月1日に、2007年まで使用された昭和の駅舎(駅ビル)が開業した。それまでの博多駅付近で市街地に駅を近づけるために大きく曲がっていたところをショートカットするように南東方向へ移設されており、これにより鹿児島本線について吉塚駅との距離が1.6 kmから1.8 km、竹下駅との距離が3.4 kmから2.7 kmとなり、合わせて0.5 km短縮され、筑肥線については筑前簑島駅との距離が2.3 kmから1.6 kmとなって0.7 km短縮された。0時52分に旧駅舎最後の列車を送り出すと、新駅舎への慌ただしい引っ越しが行われ、4時28分に新駅最初の列車が出発した。新駅は4面8線で完成し、さらに2面4線分の増設が可能なように配慮されていた。結果的にこの2面4線は、山陽新幹線に生かされることになった。また竹下気動車区と結ぶ本線と独立した線が建設されて、博多駅で始終着となる列車の回送が本線の線路容量を圧迫しなくなった。 新駅舎への通路を建設するために徹夜で旧駅ホームの撤去作業が行われて、旧駅舎の前後に2本の通路が通された。移転前の旧駅舎は貴重な文化財であるとの観点から保存も検討されていたが、12月13日の福岡市議会で西日本文化協会の保存の請願が否決された。福岡市の都市計画に基づいて旧駅舎の地点を貫く道路(大博通り)が建設されて取り壊されている。

1975年(昭和50年)3月10日には、山陽新幹線が延伸してきて博多駅まで開業した。この際には、昭和駅舎建設時にあらかじめ増設余地として準備されていたスペースが活用された。さらに1983年(昭和58年)3月22日には福岡市交通局の地下鉄が博多駅まで開業した。このときは仮駅(現在の祇園駅方面連絡通路付近)であったが、1985年(昭和60年)3月3日に本駅が開業した。一方、地上を長く走行して福岡市内の道路交通の妨げとなっており、また非電化単線で輸送力に限りのあった国鉄筑肥線の姪浜駅 - 博多駅間は、地下鉄に代替されて地下鉄開業と同時に廃止となった。筑肥線の姪浜以西は電化され、地下鉄に直通して博多駅へ乗り入れるようになった。

1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化が行われ、博多駅のうち在来線部分がJR九州に、新幹線部分がJR西日本に承継された。

平成期

JR博多シティ」も参照

1990年(平成2年)4月1日に、新幹線の車両基地(博多総合車両所)までの回送用の線路を旅客化した博多南線が開業した。1993年(平成5年)3月3日には福岡市地下鉄が福岡空港まで延伸され、博多駅から2駅で空港へ行けるようになった。

2005年(平成17年)から、九州新幹線の全線開業を見据えたホームの再編および駅舎の大規模な増改築工事が始められた。プラットホーム部分は在来線のスペースを一部削ってそこに山陽新幹線・九州新幹線用の増設ホームを建設するなどの工事が行われた。また昭和期の旧駅ビル(博多ステーションビル)を取り壊して、新しい駅ビル(JR博多シティ)を建設する工事が行われ、2011年3月3日に開業した。

詳細は後述の#九州新幹線開業に向けた動きも参照。

年表

なお明治42年の新駅舎完成、昭和60年の地下鉄博多駅の本駅開業と平成5年の福岡空港駅延伸開業、および平成23年の新駅ビル開業はいずれも3月3日である。

九州新幹線開業に向けた動き

解体直前の駅ビル(2008年1月)
新駅ビルの建設工事(2008年7月)
建設途中のJR博多シティビル (2009年10月)

当駅は2011年に全線開業した九州新幹線鹿児島ルート起点駅で、山陽新幹線との相互乗り入れが行われている。鹿児島ルート全線開業開通に合わせて、2006年から駅本屋解体及び新築、新幹線ホームの増設や在来線ホームの再編、駅周辺の環境整備等の総合再開発が行われた。

新幹線ホーム工事

2005年10月1日に実施された秋のダイヤ改正と共に九州新幹線開業準備工事(新幹線ホーム新設工事など)が開始されたため、在来線ののりば変更が実施された。

新幹線ホーム新設に伴い、新幹線高架下にあった在来線の9番のりば(単式ホーム)が撤去され、7番・8番のりばも南半分が使用停止となった。これにより生まれたスペースに新幹線ホーム島式1面2線が増設されている。スペースが狭隘なため、新設の新幹線ホーム西面(11番のりば)を8両編成対応・車止め設置とし、在来線8番線と突き合わせとなる構造(ホーム階層は異なる)とするなどの策が取られている。

博多駅部分の工事については、九州新幹線全体の建設を担当した鉄道建設・運輸施設整備支援機構から駅を管理するJR九州・JR西日本に委託され、両社が分担して行った。全長約1 キロメートルの区間が4つの工区に分割され、中央の2つの工区をJR九州が、両端の2つの工区をJR西日本が担当した。また、電気設備とレールの敷設はJR西日本が担当した。営業中の在来線と新幹線の線路に挟まれた狭隘な空間で建設を行う困難な条件となっていた。

建設期間の短縮と費用の削減のために、新幹線の高架橋は既存の在来線の高架橋の上に重ねて建設する「高架橋の重層化」が検討された。専門家による耐震性と耐久性の詳しい検討の結果、鋼板を巻いたり浸透固化処理を施したりして基礎補強を行うことで可能と判断された。ホームおよび線路の本体工事は2010年9月23日完了した。

博多口駅ビル工事

詳細は「JR博多シティ」を参照

博多口には九州新幹線乗り入れを前に、地下3階・地上10階、旧駅ビルの約7倍の延べ床面積約20万平方メートルを持つ、新駅ビル「JR博多シティ」が2011年3月3日に開業した。

博多駅再整備事業

JR博多シティ」も参照

新・駅ビル「JR博多シティ」と並行して、博多口駅前広場ほか駅ビル周辺の再整備事業が福岡市により実施されている。新駅ビルの開業に合わせて使用を開始する予定となっていたが、一部の事業対象施設の完成は、ビル開業以降にずれ込んだ(後述)。

対象事業は次のとおり。

連絡路など
地上1階には既存の中央コンコース(筑紫口と博多口を結ぶ)の南側に、連絡通路を新設。地上2階部分(博多口側)には隣接する博多バスターミナル(旧・福岡交通センター)、旧・博多郵便局(現・KITTE博多)ビル方面に通じる空中回廊(ペデストリアンデッキ)を設ける計画となっていた。2011年3月3日の新駅ビル開業時点では、この内、博多バスターミナルへのデッキだけが建設され開通している。また、大博通りに面する博多新三井ビル付近の歩道まで、「博多駅歩行者連絡橋」としてデッキを延伸し、2012年12月20日に開通した。また、同デッキはKITTE博多JRJP博多ビル(現・博多郵便局が入居)方向にもそれぞれ延伸された。
駅前の博多口交差点を横断する地下通路が整備された。
駅ビル中央コンコース周辺に広場が設けられた。
博多口駅前広場
主として、既存のタクシープールや地下鉄入口がある北寄り部分と、工事開始以前には平面駐車場などがあった南寄り部分とに分かれる。南寄り部分は一新され、特徴的なデザインの巨大な屋根モニュメントが置かれる。福岡市によると、イベントをおこなったり、市民の憩いの場となる交流スペースを設ける。南寄り部分の地下には、地下1階に新地下街(アミュプラザ博多所属
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出典:wikipedia
2019/09/17 19:51

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