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台湾とは?

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台湾

【地理】

【場所】
太平洋
【座標】
北緯23度46分 東経121度0分 / 北緯23.767度 東経121.000度 / 23.767; 121.000
【面積】
36,193 km (13,974 sq mi)
面積順位
136位
【最高標高】
3,952 m (12,966 ft)
【最高峰】
玉山
【行政】

中華民国

【首都】
台北市
【最大都市】
新北市(人口3,967,571)
【人口統計】

【人口】
23,539,816(2016年時点)
【人口密度】
650 /km (1,680 /sq mi)
【民族】

86% 漢民族
73% 河洛
12% 客家

2.3% 台湾原住民

台湾
繁体字
臺灣 / 台灣
【発音記号】

標準中国語

漢語拼音
Táiwān
ウェード式
T'ai2-wan1
国語ローマ字
Tairuan
注音符号
ㄊㄞˊ ㄨㄢ
呉語

ローマ字
[d̥e uɛ]
客家語

客家語拼音
Thòi-vàn
粤語

粤拼
Toi Waan
閩南語

閩南語白話字 Tâi-oân
閩東語

福州語ローマ字 Dài-uăng

ポルトガル語: (Ilha) Formosa
繁体字
福爾摩沙
英文表記
(意味) beautiful island
【発音記号】

標準中国語

漢語拼音
fúěrmóshā
注音符号
ㄈㄨˊ ㄦˇ ㄇㄛˊ ㄕㄚ
粤語

粤拼
fukjimosaa
閩南語

閩南語白話字 Hok-ní-mô͘-sa/Hok-mô͘-sat (福摩薩)


台湾
人口 - 経済
教育 - 交通
言語 - 軍事
政治
文化
遺跡 - 映画
芸術 - 文学
演劇 - 舞踊
宗教 - 民俗
台湾歴史建築百景
地理
温泉 - 国立公園
歴史
先史時代
オランダ統治時代
鄭氏政権
清朝統治時代
台湾民主国
日本統治時代
中華民国時代
カテゴリ
政府機構 - 社会 - 文化
生物 - 博物館 - 台湾人
スポーツ - 原住民 - 古跡
行政区分 - メディア - 交通
食文化 - 教育 - 経済
組織 - 言語 - 地理
歴史 - 画像 - 政治

台湾(タイワン、: 臺灣 / 台灣: Tâi-oân)は、東アジア島嶼である。

1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島金門島馬祖島東沙諸島南沙諸島太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2016年時点では同島で人口最多の都市である。

目次

  • 1 概要
  • 2 定義
  • 3 名称の由来
    • 3.1 別称
    • 3.2 中国による呼称の変遷
  • 4 歴史
  • 5 地理
    • 5.1 台湾の公立公園
    • 5.2 気候
  • 6 政治
  • 7 地方行政区分
    • 7.1 主要都市
  • 8 経済
    • 8.1 通貨
    • 8.2 賃金・給与
    • 8.3 世帯の所得
    • 8.4 金融・資産
    • 8.5 日本との経済関係
    • 8.6 台湾証券取引所における主要な上場企業
    • 8.7 台湾に本拠地を置く代表的な大企業
      • 8.7.1 エレクトロニクス関連
      • 8.7.2 交通・輸送関連
      • 8.7.3 その他
  • 9 交通
    • 9.1 道路
    • 9.2 鉄道
    • 9.3 海運
    • 9.4 空運
  • 10 住民
    • 10.1 言語
      • 10.1.1 文字
      • 10.1.2 電子機器の文字入力
      • 10.1.3 言語教育
    • 10.2 宗教
    • 10.3 教育
      • 10.3.1 人材競争力
    • 10.4 婚姻
      • 10.4.1 同性結婚
    • 10.5 男女平等
    • 10.6 海外旅行
  • 11 文化
    • 11.1 食文化
    • 11.2 文学
    • 11.3 音楽
    • 11.4 映画
    • 11.5 世界遺産候補
      • 11.5.1 自然遺産候補
      • 11.5.2 文化遺産候補
      • 11.5.3 複合遺産候補
    • 11.6 世界遺産以外の文化アピール
    • 11.7 スポーツ
  • 12 通信・メディア
    • 12.1 報道自由度
  • 13 主権紛争
  • 14 出典・脚注
  • 15 参考文献
  • 16 関連項目
  • 17 外部リンク
    • 17.1 政府
    • 17.2 日本政府
    • 17.3 観光
    • 17.4 その他

概要

かつては「フォルモサ」 (ポルトガル語: Formosa, 「麗しの島」) として知られた台湾島は、漢民族が同島に移住し始めた17世紀における大航海時代オランダ及びスペインの植民まで、台湾原住民が主に居住していた。1662年、寄りの支持者である鄭成功はオランダを追放し、同島初の漢民族の政治的実体である東寧王国を設立した。は後に同王国を破り、台湾を併合した。1895年に日清戦争の結果下関条約にて台湾が日本に割譲されるまでは、台湾の居住者の大多数は漢民族であるか、漢民族に同化された台湾原住民であった。現在のDNAの調査によれば、8割が南方アジア系である。

1912年、中華民国が中国に設立された。1945年における日本の降伏後、中華民国は台湾の統治を引き継いだ。国共内戦後、中国共産党中国大陸を完全に支配し、1949年には中華人民共和国を設立した。中華民国は政府を台湾へと移転し、同国の法域は台湾及びその周囲の諸島に限定された。1971年、中華民国が当初占有していた国際連合での中国の議席を中華人民共和国が継承した。多くの国が中華人民共和国へと国際的承認を切り替えるにつれ、中華民国の承認は次第に失われてきた。現在国連加盟21箇国及び聖座のみが中華民国と公式の外交を有するが、他の多くの国家とは駐在員事務所経由で非公式な関係を有する。そのため、多くは公式に台湾を中華人民共和国台湾省また台湾地域と表記している。

憲法上、中国大陸及び外蒙古を含む定義における「中国」全てを主権国家として政府が主張するかどうかに関して論争が存在するが、1992年以来、中華民国は中国大陸を取り戻すことを政治的目標にはしていない。しかし、政党の連立に大いに依存する中国との関係の政治姿勢を定義する政府の立場は責任を負っている。一方、中華人民共和国は自らを中国唯一の合法的な代表であると強く主張し、主権国家としての中華民国の地位及び存在を否定し、台湾を中華人民共和国統治権下の台湾省として主張する。中華人民共和国は台湾独立のいかなる公式な宣言への反応として軍事力を行使すると脅迫し、平和的な再統一はもはや不可能であると考えている。中華民国におけるナショナル・アイデンティティの問題だけでなく両岸関係も台湾の政治において重要な要因であり、政党及び各政党支持者間の社会的及び政治的区分の原因となっている。

20世紀後半に台湾は急速な経済成長及び工業化を経験し、現在では先進国である。1980年代及び1990年代初頭、普通選挙で複数政党制民主主義に発達した。台湾はアジア四小龍の一角であり、WTO及びAPEC加盟地域である。世界第21位の経済規模を有し、世界経済においてハイテク産業は重要な役割を担っている。台湾は言論の自由、報道の自由、医療、公教育、経済的自由、男女平等、人間開発の観点から上位に順位付けされている。

世界で最も総合的な報告書のひとつである「Expat Insider 2017」によると、外国人から最もクオリティ・オブ・ライフ(生活の質、英: quality of life、QOL)が高いと判断された国では、台湾が世界2位であった。

定義

島嶼としての台湾
台湾本島、または台湾島を中心として蘭嶼など77の付属島嶼からなる。総面積は36,193 km (13,974 sq mi)。
地域としての台湾
1885年清朝が新設した台湾省に属していた地域を指しており、具体的には台湾本島、付属島嶼、および澎湖諸島から範囲が構成されている。
政治実体としての台湾
中華民国の政府が実効支配している全地域を指しており、具体的には台湾本島、付属島嶼、澎湖諸島に中国大陸沿岸の馬祖列島烏坵島金門島、および南シナ海東沙諸島南沙諸島の一部(太平島中洲島)を加えた範囲から構成されている。憲法上の公式な名称は「中華民国自由地区」。法令・公文書等では他に台湾地区台澎金馬とも表記される。この範囲は、国民政府1955年浙江省大陳列島領有権を喪失したことで確定した。なお、福建省に属する島々を台湾省の台湾、澎湖と区別して金馬地区(きんまちく、金門島と馬祖列島の頭文字に由来)と呼称することもある。
これは、国共内戦を経て1949年社会主義陣営中国共産党率いる中華人民共和国が成立した後に発生した地域概念である。本来、「中国を統治する唯一の合法(正統)な国家」は中華民国のみであったが、中華人民共和国が成立したことにより、「中国を統治する唯一の合法(正統)な国家」を自称する2つの政治的存在が並立し、それぞれ台湾に対する権利を主張する事態となった。
その後、冷戦下における微妙な軍事・政治バランスの中、1971年国際連合で中華人民共和国が「中国」の代表権を取得してからは多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認したが、それ以降も資本主義陣営の中華民国との非公式な関係維持を望むアメリカ合衆国や日本国などの多くの国では、中華民国が実効支配している地域を中華人民共和国の統治地域とは別個の「地域」と判断して、「台湾」という地域名称で呼称し始めた。

名称の由来

台湾の語源は不明確で、原住民言語の「Tayouan(ダイオワン)」(来訪者の意)という言葉の音訳とも、また、「海に近い土地」という意味の「Tai-Vaong」や「牛皮の土地」という意味の「Tai-oan」などの言葉に由来するとも言われる。大員(現・台南)が ダイワンと呼ばれており、そこにオランダ人が最初に入植したためとも見られている。いずれにしても原住民の言葉が起源と見られ、漢語には由来していない。中国の文献に台湾が台湾と呼称されるようになったのは清朝が台湾を統治し始めてからのことである。

別称

台湾島には、フォルモサ (Formosa) という別称が存在し、欧米諸国を中心に今日も使用されることがある。これは「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(イーリャ・フォルモーザ=美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。なお、フォルモサの中国語意訳である美麗(之)島や音訳である福爾摩沙を台湾の別称として用いることもある。

ちなみに、日本では高山国(こうざんこく)、もしくは高砂国(たかさごこく)と呼んだ。高山国や高砂国などは「タカサグン」からの転訛という。これは、商船の出入した西南岸の「打狗山」(現・高雄)がなまったものと思われる。正式の使節ではないが、タイオワン事件に関して、原住民が「高山国からの使節」として江戸幕府3代将軍徳川家光に拝謁したこともある。

中国による呼称の変遷

漢書地理志』の中に「会稽海外有東鯷人、分為二十余国、以歳時来献見……」との記載があり、一部の学者は東鯷とは台湾を指す名称であると主張している。しかし漢代の中心地は中原と呼ばれる、長安および洛陽を中心とする地域であり、福建省広東省の沿岸地帯(河洛)に至ることは非常に稀であった。ゆえにその東岸にある島嶼を正確に記録したとは考えにくく、東鯷とは海上の島嶼群を漠然と示した名称であると考えられ、台湾の呼称と即断することは困難である。

三国時代には、沈瑩著『臨海水土志』と陳寿著『三国志』呉志の孫権伝の部分に記述が見られる。 『臨海水土志』に、「夷州在浙江臨海郡的東南、離郡二千里、土地無霜雪、草木不枯、四面皆山、衆山夷所居。山頂有越王射的正白、乃是石也。」「部落間互不相属、各号為王、分割土地……」、および

夷洲在臨海東南、去郡二千里。土地無霜雪、草木不死。四面是山谿。人皆髡髮穿耳、女人不穿耳。土地饒沃、既生五穀。又多魚肉。有犬、尾短如麕尾状。此夷舅姑子婦臥息。共一大牀、略不相避。地有銅鐵、唯用鹿格爲矛以戰闘、摩礪青石以作(弓)矢鏃。取生魚肉雜貯大瓦器中、以鹽鹵之、歴月所日、乃啖食之、以爲上肴

とあり、『孫権伝』には、

二年春正月,魏作合肥新城。詔立都講祭酒,以教學諸子。遣將軍衛溫、諸葛直將甲士萬人,浮海求夷洲及亶洲。亶洲在海中,長老傳言:秦始皇帝遣方士徐福將童男童女數千人入海,求蓬萊神山及仙藥,止此洲不還。世相承有數萬家,其上人民。時有至會稽貨布,會稽東縣人海行,亦有遭風流移至亶洲者。所在絕遠,卒不可得至,但得夷洲數千人還。

とある。これらの場合の夷州は台湾島の特徴に合致する。またこのような島嶼は中国南部の沿岸には台湾島以外に見当らないため、この時代には中国文明が台湾を認識していたと考えられている。

末からまでの600年間、中国の文献の中で台湾の記事が出現しない空白期間を迎える。代になると再び記録に台湾が出現するようになる。明代の記録である『東西洋考』、『閩書』、『世法録』では台湾を東蕃、と呼んでいる。周嬰在が表した『東蕃記』では台員、何喬遠が表した『閩書島夷誌』では大員、張燮の『東西洋考』では大円、何喬遠の『鏡山全集』では台湾、沈鉄的奏折の中では大湾のように様々な呼称が与えられている。また福建沿岸の民衆は台湾南部を毗舍耶、中原の漢族は台湾北部を小琉球と呼んでいる。

明王朝の太祖・朱元璋の時代になると、琉球という呼称は沖縄・台湾双方を指す語として使われ続けたため、両者の区別に混乱が生じ、沖縄を大琉球、台湾を小琉球と呼ばれるようになるが、その後名称に混乱が生じ、小東島小琉球雞籠北港東番のような名称が与えられていた(地理そのものが知られていなかったので、これらが台湾全島を含んだとは限らず、台湾を中心とした概念だったかもわからない)。明末に鄭成功が台湾に建てた鄭氏政権時代になると、鄭氏政権は台湾を「東都」、「東寧」などと呼ぶようになった。なお、「大員DaiUan/ダイワン」の呼称が用いられるようになると、いつしか台湾近くにある琉球嶼(屏東県琉球郷)を指して「小琉球」と呼ばれるようになり、台湾と琉球嶼との間で両者の区別に混乱が生じている例もある。

このような名称の変遷を経て、清朝が台湾を統治し始めた後に、原住民の言語を語源とする台湾が使われるようになった。

歴史

詳細は「台湾の歴史」、「先史時代 (台湾)」、「オランダ統治時代 (台湾)」、「鄭氏政権 (台湾)」、「清朝統治時代 (台湾)」、および「日本統治時代の台湾」を参照

地理

詳細は「台湾の地理」を参照
台湾東部の大部分は山地であり、西部は緩やかに傾斜した平野である。澎湖県は本島西方に位置する。

台湾は、台湾本土とその周辺諸島(澎湖諸島蘭嶼など)、および金馬地区東沙諸島南沙諸島から構成されており、面積は35,980 km (13,892 sq mi)と日本の九州と同程度(日本の約10分の1)の大きさである。

台湾北東部は日本琉球諸島の西方海上に位置しており、最も近い与那国島との距離は110km以下である。また、台湾地域西端の金馬地区は台湾海峡を隔てて中国と接しており、最南端の岬である鵝鑾鼻(がらんび)は、バシー海峡を隔ててフィリピンと接している。

台湾最大のである台湾島は、南北の最長距離が約394km、東西の最長距離が約144kmで木の葉のような形をしている。島の西部は平野、中央と東部は山地に大別されるが、島をほぼ南北に縦走する5つの山脈(中央山脈玉山山脈雪山山脈阿里山山脈海岸山脈)が島の総面積の半分近くを占めており、耕作可能地は島の約30%にすぎない。台湾最高峰の山は玉山山脈の玉山(旧日本名:新高山、海抜3,952m)であり、富士山よりも高く、同様に雪山など標高3,000mを超える高山が多数連なっている。また、このほかの重要な地勢としては丘陵台地、高台、盆地などが挙げられる。

なお、台湾はフィリピン海プレートユーラシアプレートの交差部に位置するため、日本と同様に地震活動が活発な地域である。また日本と同じ火山帯に属し、温泉も豊富にある。

台湾の公立公園

気候

台湾はほぼ中央部(嘉義県付近)を北回帰線が通っており、北部が亜熱帯、南部が熱帯に属している。そのため、北部は夏季を除けば比較的気温が低いのに対し、南部は冬季を除けば気温が30度(摂氏)を超えることが多くなっている。台湾の夏はおおよそ5月から9月までで、通常は蒸し暑く、日中の気温は27度から35度まで上り、7月の平均気温は28度である。冬は12月から2月までと期間が短く、気温は総じて温暖であり、1月の平均気温は14度である。ただし、山岳部の高標高地帯では積雪が観測されることもある(玉山 (台湾)の山頂は寒帯ツンドラ気候に該当する)。

平均降雨量は年間およそ2,515mmであり、雨期に多く、また降雨量は季節、位置、標高によって大きく異なっている。台湾は台風の襲来が多く、毎年平均3 - 4個の台風に襲われている。台風で給水の大きな部分を賄っているが、同時に損壊、洪水、土砂流などの災害も発生している。1996年台風9号2009年台風8号などは、豪雨をもたらした。また、台風以外にも、夏季には台湾語「サイパッホー (sāi-bak-hō)」と呼ばれる猛烈な夕立が多い。

政治

詳細は「中華民国の政治」を参照
1950年以来、台湾総督府に代わり使用されている中華民国総統府
中華民国と関係を維持する国
外交関係及び台北市在外公館有り
非公式な関係有り
中華民国の領土問題を示した地図

今日の台湾における重要な政治的問題としては、台湾問題が挙げられる。

台湾問題とは、台湾の最終的な政治的地位および主権帰属を巡る中華民国と中華人民共和国と台湾未定論の問題である。1945年9月2日調印のポツダム宣言(第二次世界大戦終結)に伴い、中華民国南京国民政府は、連合国軍の委託を受けて駐台湾日本軍の武装解除を行うために台湾へ軍を進駐させ、1943年カイロ宣言に従い(ただし、同会談後に報道関係者向けに配布されたニュース・リリースであり無効という説もある)、1945年10月25日に台北で日本側の安藤利吉台湾総督・第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は台湾の実効支配を開始した(台湾光復)。ただし、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾島地域は依然として日本国の領土であった。1949年10月1日国共内戦で勝利した中国共産党中華人民共和国を樹立し、中華民国政府が国共内戦下で一旦崩壊した上で「台湾国民政府」として再始動してからは、両党間で「中国を代表する正統な政府」としての権利を巡る対立が生じるようになり(→中華民国の歴史)それと同時に台湾の政治的地位と主権帰属も対立の一要因となっていった。なお、日本国政府は、1951年サンフランシスコ講和条約および1952年日華平和条約において台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は現在でも未確定であるという見方(台湾地位未定論)もある。

21世紀初頭では、国際政治上の駆け引きの結果から「中国を代表する正統な国家」として中華人民共和国を承認する国が大勢を占めている。ただし、ほとんどの国は、中華人民共和国を「承認」しながら、半官半民の組織を介して中華民国と実務関係を維持している。現在も中華民国憲法は、大陸統治時代に制定された条文を維持し、中華民国が中華国家であることの象徴としている。その一方で憲法追加修正条項の制定以後、中華民国が台湾地域のみを統治するとの前提により民主化が進められてきた。しかし、中華民国の反独立派や中華人民共和国政府は、こうした動きを法理独立と非難してきた。その一方で、台湾独立運動(台独運動、または台独)の一部は、中華民国体制が長年に渡り台湾住民の国政参加を拒み、差別と弾圧を行ってきた歴史(二・二八事件と呼ばれる台湾人大虐殺と、中国国民党による長期間の高圧独裁)を忘れるべきではなく、中華民国支配からの解放と異なる新しい国家を自ら建設すべきであると主張している。このように、現在も台湾問題に関する様々な意見が存在し、第三者による理解を困難にしている。

しかし、台湾世論の大勢は、台湾が中華人民共和国の主権に帰属するものではなく、中華民国という国家であるという点で一致している。その上で中華民国の立法府たる立法院の議員などの政治家は今なお、「台湾も中華人民共和国も同じ中華民族の国家である」とみなす泛藍連盟派と、「台湾と中国は別々の国である」とする泛緑連盟派(台湾本土派および独立派)のいずれかに大別される。

ただし、世論調査では、早急な統一も独立も望んでおらず、実質的に中華人民共和国とは分離している現在の状態を維持することを望む声が多い。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行なっている。2008年8月末には、中華民国からの独立デモが発生している。

政治大学による、自らを台湾人、中国人、台湾人かつ中国人だと考える台湾人の割合
【調査】
【台湾人】
【中国人】
【台湾人かつ中国人】

国立政治大学(1992年) | 17.6% | 25.5% | 46.4%
国立政治大学(1996年) | 24.1% | 17.6% | 49.3%
国立政治大学(2000年) | 36.9% | 12.5% | 44.1%
国立政治大学(2008年) | 48.4% | 4% | 43.1%
国立政治大学(2016年) | 59.3% | 3% | 33.6%

地方行政区分

詳細は「台湾の行政区分」を参照
2014年以降の行政区分
出典:wikipedia
2018/01/13 12:04

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