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吉村禎章とは?


監督・コーチ歴

  • 読売ジャイアンツ (2002 - 2003, 2006 - 2011, 2018 - )

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


吉村 禎章(よしむら さだあき、1963年4月27日 - )は、奈良県御所市出身の元プロ野球選手(外野手)、 下記のとおり、1980年代後半の巨人の主力打者として活躍。1988年、プレー中に「交通事故レベル」と言われる大けがを負うも、不屈の精神で復帰を果たし、その後も代打の切り札として活躍した。 現在は読売ジャイアンツ一軍打撃総合コーチ。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り、全盛期
    • 1.2 札幌円山球場での事故
    • 1.3 リハビリ、復帰、代打要員
    • 1.4 現役引退後
  • 2 詳細情報
    • 2.1 年度別打撃成績
    • 2.2 表彰
    • 2.3 記録
    • 2.4 背番号
  • 3 関連情報
    • 3.1 書籍
    • 3.2 ビデオ
  • 4 脚注
  • 5 関連項目
  • 6 外部リンク

経歴

現役時代の愛称は「ポチ」。

サッカー元日本代表の岩淵功義父にあたる。

プロ入り、全盛期

PL学園高西川佳明若井基安らと共に1981年の第53回選抜高等学校野球大会にて優勝を果たす。

1982年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。

高いバッティングセンスと身体能力を武器に2年目の1983年に84試合の出場を果たし、規定打席未到達ながら打率3割2分6厘の好成績を挙げる。同年若手選手として活躍した駒田徳広槙原寛己とともに、彼らの背番号にちなんで50番トリオ(2010年代には五十路トリオ)と呼ばれた。

その活躍をきっかけに、翌1984年から右翼手のレギュラーに定着。俊足強肩の選手として将来を嘱望されていた。

1985年、最終戦を残して出塁率.432でランディ・バースに.009差をつけて1位であったが、バースが本塁打のシーズン記録で王貞治に1本差に迫っていたため勝負を避けられ5打席全部出塁したのに対し、吉村は4打席凡退したためバースが.0005差で逆転し、吉村は最高出塁率のタイトルを逃した。この年からセ・リーグは最多出塁数ではなく最高出塁率で記録・表彰することになっており、出塁率に馴染みのなかった巨人ベンチは気づいていなかったという。

1986年は主軸として128試合に出場。打率5位、23本塁打を記録。

1987年も打率5位、86打点をマーク、30本塁打も達成。開幕戦の中日戦では杉本正から本塁打を放っている。30号目は、10月18日の対広島(後楽園球場)最終戦、4回裏の打席で、カウント2-2の際にスコアボードの表示(2-1)が球審山本文男の手元カウンター(2-2)と異なっていたことから、打者吉村、捕手の達川光男にカウント確認したところ捕手の達川よりスコアボードの表示が正しいとのアピールを受け、カウント2-1として白武佳久が次の球を投じてしまったためカウントが確定、プレーが続行され本来あり得ない「2ストライク4ボール」の状態から打ったものであり、この本塁打は後楽園球場のシーズン公式戦最後の本塁打でもあった。1986年、1987年と2年連続でベストナインに選出され、若くして巨人の主力選手となった。その一方で当時から肩の弱さによる送球能力の低さが指摘されていた、この年から代走や守備固めが送られることが多くなった。

1988年3月18日、阪神とのオープン戦東京ドーム完成後の第1号本塁打を放つ。

札幌円山球場での事故

1988年7月6日の対中日ドラゴンズ戦(札幌市円山球場)では、3回に通算100号本塁打を記録した。ところが、8回の左翼手としての守備で中尾孝義の放った飛球を捕球した際、この回から中堅手の守備に入った栄村忠広と激突。左膝の4本の靭帯のうち3本が完全に断裂し、さらに神経まで損傷するという、主治医曰く「交通事故レベル」という大怪我を負った。この試合は、直前の7回裏に吉村に打席が回れば吉村に守備固めが送られる予定であったという。

長い療養生活を余儀なくされ、それでも後遺症が確実に残るあまりにも深刻な負傷であった。

リハビリ、復帰、代打要員

左膝靭帯断裂は重度の障害者認定を受けるほどの大怪我であり、一旦北海道大学付属病院に入院したが、当時の日本の医療レベルでは手に負えるものではなく、渡米し、スポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ博士の執刀を受けた。ジョーブに「野球選手でこんな大けがは見たことがない」と言わしめるほどの大怪我であったが、2度の手術と神奈川県厚木市の神奈川リハビリテーション病院にて1年以上の苦しいリハビリ生活を経て、最終的には特注品のレガースとシューズを付け、直線であれば100メートルを11秒台前半で走れるまでに復活した。リハビリで使用したギプスはジャイアンツの選手寮に飾られている。

1989年9月2日斎藤雅樹代打で復帰(当時ルーキーの川崎憲次郎と対戦し、結果は二塁ゴロ)。「バッター、斎藤に代わりまして吉村」というアナウンスがかき消されたほどの大歓声に東京ドームが包まれた。

1990年9月8日、チームのリーグ優勝を自らのサヨナラ本塁打で決めた(このときの相手投手も同じく川崎であった)。1990年代前半は貴重な打てる外野手として貢献。

けがによって、中長距離ヒッターにとってオーソドックスな軸足(左脚=けがをした脚)に体重を乗せる打ち方が不可能になり、リハビリを通じて前脚(右脚)を軸に回転する打ち方に取り組むことになったが、以後の数字は吉村がその非凡なセンスでそのイレギュラーな打ち方で中長距離ヒッターとして復帰したことを物語っている。

その後も、踵から足をついて歩けないという状態ながら、主に左の代打の切り札として活躍した。

1998年シーズンには長嶋茂雄監督から第16代キャプテンに指名された。同年限りで現役を引退。

現役引退後

1999年から日本テレビ野球解説者およびスポーツ報知評論家を務めた。

2002年に巨人一軍打撃コーチに就任。

2003年シーズン終了後に退団。

2004年から日本テレビ解説者およびスポーツニッポン評論家を務める。

2006年に巨人二軍監督に就任。シーズン後半、怪我人が続出した一軍へ脇谷亮太を1番打者として送り出すなど貢献。

2007年は世代交代を受け坂本勇人など4人のルーキーを優先起用した。

2009年からは一軍野手総合コーチに就任。(2011年は一軍打撃コーチ)木村拓也一軍内野守備走塁コーチ急逝後の一塁ベースコーチも担当した。

2011年のシーズン終了を持って退団。打線の不振の責任をとったとの報道がある一方、複数回に及ぶ女性問題が辞任の原因とも報じられた。その後、2017年に巨人に復帰するが、女性問題は解決したとの声が出ている。

2012年からは日本テレビ解説者、スポーツニッポン評論家に復帰。2013年からアール・エフ・ラジオ日本の解説者も兼務。

2015年、侍ジャパンのアンダー世代である15U(中学生以下)代表監督にも就任した。

2017年11月1日より、一軍打撃総合コーチとして巨人に復帰。

2019年シーズンは引き続き一軍打撃総合コーチだが、ヘッドコーチ格の役割を担う。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1982 | 巨人 | 4 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000
1983 | 84 | 104 | 95 | 26 | 31 | 1 | 4 | 5 | 55 | 11 | 3 | 0 | 1 | 0 | 8 | 1 | 0 | 11 | 1 | .326 | .379 | .579 | .958
1984 | 115 | 298 | 260 | 56 | 89 | 26 | 3 | 13 | 160 | 34 | 8 | 8 | 4 | 1 | 29 | 1 | 4 | 30 | 0 | .342 | .415 | .615 | 1.030
1985 | 120 | 418 | 344 | 57 | 113 | 19 | 1 | 16 | 182 | 56 | 8 | 6 | 4 | 6 | 59 | 3 | 5 | 36 | 4 | .328 | .428 | .529 | .957
1986 | 128 | 534 | 474 | 84 | 148 | 25 | 6 | 23 | 254 | 72 | 10 | 4 | 7 | 5 | 41 | 3 | 7 | 68 | 8 | .312 | .372 | .536 | .908
1987 | 127 | 464 | 428 | 76 | 138 | 21 | 2 | 30 | 253 | 86 | 5 | 1 | 8 | 3 | 24 | 3 | 1 | 62 | 9 | .322 | .357 | .591 | .949
1988 | 65 | 256 | 222 | 33 | 67 | 12 | 1 | 13 | 120 | 39 | 4 | 0 | 1 | 5 | 26 | 1 | 2 | 23 | 3 | .302 | .373 | .541 | .913
1989 | 17 | 31 | 28 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | .179 | .226 | .179 | .404
1990 | 84 | 241 | 208 | 26 | 68 | 11 | 0 | 14 | 121 | 45 | 0 | 0 | 0 | 1 | 29 | 6 | 3 | 25 | 4 | .327 | .415 | .582 | .997
1991 | 93 | 271 | 242 | 25 | 55 | 6 | 0 | 10 | 91 | 42 | 0 | 1 | 0 | 1 | 27 | 2 | 1 | 31 | 6 | .227 | .306 | .376 | .682
1992 | 91 | 248 | 224 | 25 | 71 | 10 | 0 | 6 | 99 | 32 | 1 | 0 | 0 | 2 | 20 | 2 | 2 | 22 | 5 | .317 | .375 | .442 | .817
1993 | 94 | 351 | 311 | 26 | 84 | 14 | 1 | 8 | 124 | 43 | 0 | 1 | 1 | 6 | 28 | 1 | 5 | 46 | 6 | .270 | .334 | .399 | .733
1994 | 81 | 174 | 160 | 14 | 28 | 6 | 0 | 3 | 43 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | 0 | 20 | 9 | .175 | .241 | .269 | .510
1995 | 53 | 75 | 66 | 5 | 19 | 2 | 0 | 4 | 33 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 8 | 4 | .288 | .373 | .500 | .873
1996 | 53 | 65 | 61 | 2 | 15 | 0 | 0 | 2 | 21 | 11 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1 | .246 | .277 | .344 | .621
1997 | 69 | 69 | 62 | 2 | 16 | 6 | 0 | 1 | 25 | 14 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 1 | 0 | 11 | 3 | .258 | .290 | .403 | .693
1998 | 71 | 76 | 65 | 2 | 17 | 2 | 0 | 1 | 22 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 2 | 0 | 12 | 1 | .262 | .368 | .338 | .707
NPB:17年 1349 | 3678 | 3253 | 459 | 964 | 161 | 18 | 149 | 1608 | 535 | 40 | 22 | 26 | 35 | 334 | 27 | 30 | 418 | 64 | .296 | .364 | .494 | .858

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

関連情報

書籍

ビデオ

脚注

  1. ^ 過去のドラフト 第17回(1981年)
  2. ^ 【10月18日】1987年(昭62)やっぱ老朽化?後楽園最後の公式戦に飛び出した“怪弾” - スポーツニッポン(2008年10月18日)
  3. ^ 「肩の弱さの原因は対外的には1986年のシーズン中の練習によって痛めたためとされていたが、真の理由は自らの飲酒運転に起因する交通事故によるものである」とする記事が1987年9月発行の月刊現代に掲載され(ロバート・ホワイティング著・玉木正之訳『和をもって日本となす』306頁、角川書店、1990年3月30日)
  4. ^ 1988年7月7日付読売新聞19面、当初は「じん帯損傷」と発表された。王監督(当時)も、この試合について「試合に勝ったことより、吉村のケガが心配だ。起きてしまったことは仕方ないが……」と述べた。
  5. ^ 『不屈の男吉村禎章』ベースボールマガジン社
  6. ^ “【7月6日】1988年(昭63) 通算100号本塁打の日に…2人の運命を変えた外野フライ”. スポーツニッポン. (2008年7月1日). オリジナルの2016年3月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160304210431/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_july2/KFullNormal20080701165.html 2016年7月26日閲覧。
  7. ^ 巨人軍5000勝の記憶読売新聞社ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。 p.70~ 優勝決定サヨナラ本塁打、p.9 徳光和夫のメッセージ
  8. ^ 巨人の優勝決定サヨナラ本塁打は、10年後の2000年9月24日の対中日戦で二岡智宏も記録している。
  9. ^ 巨人吉村、香田コーチ退団 秦氏ら入閣へ nikkansports.com 2011年11月1日
  10. ^ 巨人・吉村コーチ 不可解退団の陰に愛人への不倫暴行事件 NEWSポストセブン 2012年4月2日
  11. ^ https://taishu.jp/detail/30478/
  12. ^ https://taishu.jp/detail/29947/
  13. ^ 侍ジャパンU-15代表メンバー発表!吉村禎章監督が意気込み語る
  14. ^ http://www.giants.jp/smartphone/G/gnews/news_3912161.html

関連項目

外部リンク

読売ジャイアンツ 2019 - 2020
監督 | 
83 原辰徳

一軍コーチ | 

ファーム監督 | 
  • 76 高田誠(二軍監督)
  • 72 井上真二(三軍監督)

  • ファームコーチ | 
  • 73 三澤興一(投手)
  • 78 木佐貫洋(投手)
  • 85 杉内俊哉(投手)
  • 106 会田有志(投手兼トレーニング)
  • 74 金城龍彦(打撃兼外野守備)
  • 75 村田修一(打撃兼内野守備)
  • 103 堂上剛裕(打撃兼外野守備)
  • 86 古城茂幸(打撃守備)
  • 70 片岡治大(内野守備走塁)
  • 104 藤村大介(守備走塁)
  • 84 松本哲也(外野守備走塁)
  • 89 秦真司(バッテリー兼打撃)
  • 102 吉原孝介(バッテリー)
  • 105 木村龍治(トレーニング)
  • 107 石森卓(トレーニング)
  • 108 白水直樹(トレーニング)

  • 巡回コーチ | 
  • 100 小谷正勝(巡回投手)
  • 101 内田順三(巡回打撃)

  • 投手 | 
  • 11 山口俊
  • 12 高橋優貴
  • 13 森福允彦
  • 15 澤村拓一
  • 17 大竹寛
  • 18 菅野智之
  • 20 マシソン
  • 21 岩隈久志
  • 23 野上亮磨
  • 24 クック
  • 28 田口麗斗
  • 29 鍬原拓也
  • 30 宮國椋丞
  • 31 畠世周
  • 32 鍵谷陽平
  • 35 桜井俊貴
  • 37 田原誠次
  • 40 谷岡竜平
  • 41 中川皓太
  • 42 メルセデス
  • 45 今村信貴
  • 47 藤岡貴裕
  • 48 池田駿
  • 49 ヤングマン
  • 50 戸根千明
  • 53 高田萌生
  • 54 直江大輔
  • 57 高木京介
  • 58 坂本工宜
  • 62 横川凱
  • 64 大江竜聖
  • 67 古川侑利
  • 68 戸郷翔征
  • 92 アダメス
  • 95 堀岡隼人
  • 97 デラロサ

  • 捕手 | 
  • 10 阿部慎之助
  • 22 小林誠司
  • 27 炭谷銀仁朗
  • 38 岸田行倫
  • 46 大城卓三
  • 69 田中貴也

  • 内野手 | 
  • 00 吉川大幾
  • 0 吉川尚輝
  • 5 中島宏之
  • 6 坂本勇人
  • 25 岡本和真
  • 33 ビヤヌエバ
  • 51 田中俊太
  • 52 北村拓己
  • 56 山本泰寛
  • 60 若林晃弘
  • 61 増田陸
  • 63 増田大輝
  • 65 松井義弥
  • 93 湯浅大
  • 96 マルティネス

  • 外野手 | 
  • 2 陽岱鋼
  • 8 丸佳浩
  • 9 亀井善行
  • 36 石川慎吾
  • 39 立岡宗一郎
  • 43 重信慎之介
  • 44 ゲレーロ
  • 59 松原聖弥
  • 66 村上海斗
  • 94 加藤脩平
  • 99 山下航汰

  • 育成選手 | 
  • 001 比嘉賢伸(内野手)
  • 003 山川和大(投手)
  • 004 笠井駿(外野手)
  • 005 広畑塁(捕手)
  • 007 小山翔平(捕手)
  • 008 折下光輝(内野手)
  • 010 高山竜太朗(捕手)
  • 011 高井俊(投手)
  • 012 平井快青(投手)
  • 014 モタ(外野手)
  • 015 巽大介(投手)
  • 016 沼田翔平(投手)
  • 017 山上信吾(投手)
  • 018 田島洸成(内野手)
  • 019 田中優大(投手)
  • 020 橋本篤郎(投手)
  • 021 黒田響生(内野手)
  • 022 荒井颯太(外野手)
  • 023 與那原大剛(投手)
  • 024 山下亜文(投手)
  • 025 ラモス(投手)


  • 業績
    日本プロ野球オールスターゲームMVP
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲
  • 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎
  • 1962 ブルーム, 張本勲
  • 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅
  • 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ
  • 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一
  • 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識
  • 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男
  • 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司
  • 1969 土井正博, 船田和英

  • 1970年代 | 
  • 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎
  • 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司
  • 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩
  • 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之
  • 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲
  • 1975 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  • 出典:wikipedia
    2019/10/23 09:38

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